〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第65話

 一度に50人以上は並んで座れるほどに長いテーブルが6脚も置かれ、踊り子をモチーフにしたと思われる天井の巨大な絵画から漏れ出る光が、赤煉瓦を基調に造られた広い部屋を隅々まで柔らかく照らしている。

 最初こそアルはこの“踊り子達の食堂”の光景に爛々と目を輝かせていたものの、さすがに数ヶ月も通い詰めていればすっかり慣れた様子で席に着いている。最高級の素材を最高級の腕を奮って作り上げた、豪華でありながら栄養バランスもちゃんと考えられた料理がテーブルの上に所狭しと並べられた光景も、彼女にとってはもはや日常の一部となった。

 とはいえ、それで彼女の食欲が落ち着くなどということは微塵も無い。今日も彼女は美味しい料理を作ってくれる料理人への賛辞を心の中に並べながら、どんな言葉よりも感謝の気持ちが伝わるであろう晴れやかな笑顔でそれらを平らげていく。むしろ最初の頃よりも勢いが増しているのではないか、とすら思えるほどだ。

 

 そんな彼女の食事風景を間近で見つめているのは、自他共に彼女の親友だと認めているバニラ、例の盗難騒動以来明確に彼女の味方であることを大っぴらにしているルーク、そしてつい最近学院に入ってきた新顔のヴィナだった。

 ヴィナが来る前はアルとバニラが肩を並べてルークが向かいに座っていたのだが、ヴィナが無言の圧力でアルの隣を奪い取ってからはバニラとルークが2人の向かいに座るようになった。そんなものだから、学年問わず女子生徒に大人気である彼の隣を常に陣取っているとして、バニラは女子生徒からの更なるやっかみを買っている。

 なのでルークは前に一度、彼女のためにもあまり親しくしない方が良いのでは、と提案したこともあった。しかしバニラは「アルちゃん達が味方になってくれるから大丈夫だ」と首を横に振った。アルが来る前の、常に孤独で味方なんていなかった頃では有り得ない返事だっただろう。

 

「…………」

 

 しかしながら、今のバニラはどうしても疎外感を拭い去ることができなかった。

 

「とりあえずアル、まずは1勝おめでとう」

「ありがとねー。まぁ、あんな手は1回しか通用しないだろうから、次からはまた考えなきゃいけないんだけどねぇ」

「いや、でもその1回であの生徒に勝ったのは大きいと思うよ。普通クラスの生徒から聞いた話だと、そのレッダーって生徒は赤魔術を得意としてたんでしょう? さすがにアルの身体能力をもってしても、生身で炎に立ち向かうのは正直辛いんじゃない?」

「確かに他の魔術よりはやり難いね。正面からじゃなくても良いなら、色々とやりようはあると思うけど。――っていうか、ルークも今日の試合は勝ったんでしょ? おめでと」

「ありがと。でも僕としては、ヴィナさんの方が驚いたかな? いや、アルの知り合いだっていうから只者ではないと思ってたけど、まさかあそこまでだとは思わなかったよ」

「相性の問題もあるけどね。今日のヴィナの相手って、赤魔術をメインにしてたんでしょ? ヴィナを相手に赤魔術で勝とうなんて、よっぽどの実力が無い限りまず不可能だからね」

「確かに、今日の試合はすぐに終わっちゃったから少ししか観られなかったけど、それだけでも実力差が圧倒的だって感じたもの。――ヴィナさん、過去に誰かから教わってたりしたのかな?」

「…………」

「まぁ、そう易々と教えてはくれないか。とりあえず今の内から、ヴィナさんとどう戦うか考えておくよ」

「わたしも2人の試合、楽しみにしてるからね」

「…………」

 

 ナイフとフォークで行儀良く料理を口に運びながらのルークと、自分が喋り終わるや否や口の中に料理をめいいっぱい詰め込んでいくアルの会話を、バニラはただ横から聞いていることしかできなかった。アルの隣にいるヴィナも会話に参加せず口をモグモグ動かしているだけなので、実際にはバニラ1人だけ仲間外れにされているなんてことは無いのだが、彼女はどうしても他の3人との距離を感じてしまう。

 しかしそれも、仕方のないことかもしれない。

 

 この4人の中で、彼女だけが今日の演習で負けてしまっているのだから。

 

「どうしたの、バニラ? 何だか元気が無いように見えるけど」

「えっ? そ、そうかな? 別に大丈夫だよ?」

 

 ふと会話を止めてこちらへと顔を向けてきたアルに、バニラはドキリと心臓の鼓動を早めながらそう答えた。それと同時に、自他共に親友だと認めている彼女と会話するのに緊張を覚えている自分に対して嫌悪にも似た感情を抱いた。

 

「大丈夫、バニラさん? 期末テストの勉強と今日の演習とで、知らない内に疲労を溜め込んでるのかもしれないね」

「そうなの、バニラ? 無理しない方が良いよ。今日は早めに休んだ方が良いんじゃない?」

 

 ルークとアルの言葉が、バニラには助け舟のように思えた。つまりそれは、今の彼女にとってこの場が居心地悪いものであることを意味しているのだが、彼女はそれについては敢えて目を瞑ることにした。

 

「うん、そうだね。今日はもう部屋に戻るよ」

 

 バニラはそう言いながら席を立つと、足早にその場から立ち去っていった。

 振り返ってアル達の様子を確認する勇気は、今の彼女には無かった。

 

「…………」

 

 なので、食堂を出ていく自分の背中をヴィナがずっと目で追っていたことにも、バニラは気づかなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 月明かりに照らされた広場は、端が薄ぼんやりとしている分、昼間よりもだだっ広く見えた。まるで何のセットも組まれてない舞台のようであり、そうすると、月明かりはさしずめ舞台照明といったところだろうか。

 そんな舞台の中央で、バニラの足元から伸びた影法師がヒョコヒョコと動いていた。その影法師は、カサカサと風で簡単に掻き消されてしまうほどに小さな音をたてながら、少しずつ生徒寮へと近づいていく。既に何人かの生徒が自室に戻っているのか幾つかの窓から光が漏れており、それがまるでバニラを導いているように見える。

 そんな光を見つめながら、バニラは肺の空気を全て吐き出すように大きな溜息を吐いた。胸のつかえも一緒に吐き出され、開放感が全身を駆け巡るその感覚から懸命に目を逸らしながら。

 と、そのとき、

 

「ねぇ」

 

 突如背後から、けっして大きくはない、しかし風の音にも掻き消されずにハッキリとした声で呼び掛けられたバニラは、思わず肩をビクッ! と跳ねさせて後ろを振り返った。

 数歩ほど離れた場所にて、ヴィナがこちらをじっと見つめていた。ショートボブの黒髪と大きな黒い瞳が暗闇に溶けて見えるからか、これだけ近くにいるにも拘わらず、少しでも目を離すとすぐに見失ってしまいそうになるほどに彼女の存在感が希薄に思えた。

 

「え、ええと……、何か用かな、ヴィナ……ちゃん?」

 

 そんな彼女に、バニラは恐る恐るといった感じで問い掛けた。この1ヶ月ほどの間、アルという共通の知り合いがいたから同じ空間にいただけで一度も碌に会話を交わしたことのない相手が、アルもいないこのタイミングでいきなり声を掛けてきたという事態に、バニラはどのような距離感が適切なのかも図りかねていた。

 2人の間を、一陣の風が吹き抜けた。最近はすっかり気温も上がり、太陽の沈んだ夜でも出歩くことが苦痛ではなくなったはずなのだが、どうにもバニラは肌寒さを感じて仕方がなかった。

 とりあえず用事があるなら自分の部屋で話そうか、とバニラが提案しようとしたそのとき、

 

「あなたはなんで、戦闘科を選んだの?」

「…………」

 

 まっすぐ向けられたヴィナの問い掛けに、バニラは自分の心臓に刃が突き立てられる感覚になった。もっともそんな経験は一度も無いため、あくまでイメージである。

 

「ここ1ヶ月の間で、あなたがどれだけ魔術が使えないかよく分かった。だからこそ、あなたが戦闘科を選んだ理由が分からないの。学科の成績がそれなりに良いのを考えれば、研究科とかの方がまだ適性はあると思うんだけど」

 

 その感覚に則るなら、今のヴィナはバニラの心臓に何度も刃を突き刺していることになるのだろうか。苦しそうに表情を歪めるバニラにヴィナが構う素振りを見せないのは、単純に気づいていないのか、あるいは気づいていながら気にも留めていないのか、付き合いの浅いバニラには判断が付かなかった。

 

「ヴィ、ヴィナちゃんには、そ、そんなの関係無いでしょ……」

 

 とはいえ、どちらだったとしても、自分の心臓に刃を突き立て続けるヴィナを許すほどバニラもお人好しではない。弱々しく消え入りそうな口調で、ヴィナをまっすぐ見つめることもできなかったが、それでもバニラは自分の素直な感情を口にした。

 しかしバニラのその言葉に、ヴィナは今までで一番分かりやすく眉を潜めた。ある意味定型句ともいえるバニラの台詞に対し、むしろ「なんでそんな当然のことが分からないんだ」とでも言いたげな反応である。

 そんな彼女の反応に、バニラがムッと顔をしかめて口を開き――

 

「私は、アルがこの学院に留まるのに反対だった」

 

 かけたが、ヴィナのその言葉に、バニラはその口を咄嗟に閉ざした。

 

「アルの実力だったら別にここでなくても食事の心配はいらないし、現にアルはロンドにいたときもお金には困っていなかった。しかもこの学院の生徒、それに一部の教師はアルに対して否定的な感情を持っている。わざわざそんな環境に身を置く必要性が私には理解できない」

「そ、それは……」

 

 バニラは否定しようとするが、アルと出会う前の独りぼっちだった自分の境遇が頭の中を駆け巡り、結局その言葉が口から飛び出すことは無かった。

 

「アルは今まで、1つの場所に拘るような性格じゃなかった。アルが気にしていたのは自分の身の安全と食料の確保だけで、それが叶わないと分かれば即座に切り捨てて別の場所へ向かうような性格だった」

「そ、そうなんだ……」

 

 自分と出会う前のアルについて話すヴィナを前に、バニラは自然と彼女から目を逸らした。

 

「だけど私と再会して、私がここを離れて別の場所へ行くことを提案したとき、アルはそれを断ってここに留まることを決めた。――その原因が、あなた」

「……私、が?」

 

 しかしヴィナのその言葉に、バニラは再び彼女へと目を向けた。

 まっすぐこちらを見つめるヴィナの目つきは、感情の読み取れない彼女にしては珍しく、なぜかこちらを責め立てているような印象を受けた。

 

「あなたが唯一まともに使える魔術は、実戦では何の役にも立たないものだった。でもアルがこの学院に来て最初の夜にここの教師と戦ったとき、あなたのその魔術がアルのピンチを救った」

 

 バニラはそれを聞きながら、リーゼンドと戦ったあの夜のことを思い起こした。もう何年も昔のように感じるのは、アルと出会ってからの数ヶ月間があまりに濃いものだったからに違いない。

 

「え、えっと、でもそれは、たまたまっていうか何ていうか……。結局はアルちゃんがいたからこそ倒せたんであって、私はほとんど何も――」

「あなたがいなかったら自分はやられてた、ってアルは言ってた。本当にそうだったのかは分からないけど、少なくともその経験によってアルは魔術に興味を持ち、そしてここに留まることを決めた。――“あの人”でもできなかったことを、あんたが簡単にやってのけた」

「“あの人”……?」

 

 何やら気になる単語が出てきた気もするが、バニラが尋ねようとするのを遮るようにヴィナが口を開いた。

 

「だから私はこの1ヶ月、あなたのことをそれなりに観察してきた。正直に言って、あんたがアルの興味を惹くような人間だとはどうしても思えない。実力が不足していることは分かっていたけど、それを差し引いてもあなたからアルの言う“可能性”を感じ取ることができなかった」

「……そ、そんなこと言われても、私にはどうすることもできないよ。アルちゃんからどんな話を聞いたのか分かんないけど、別に私、そんな期待されるような人間じゃないから……」

 

 バニラは吐き捨てるようにそう言いながら、ヴィナから視線を逸らした。

 おそらく彼女は普段と変わらない無表情で聞いているのだろうが、それでもバニラは彼女の顔を見るのが怖かった。

 

「ご、ごめんね、ヴィナちゃん……。何だかガッカリさせちゃったみたいだね――」

「別に私のことは構わない。ただ――」

 

 ヴィナはそこで一瞬間を空けて、そしてこう続けた。

 

 

「――――アルを失望させるな」

 

 

「え――――」

 

 その言葉を聞いて、バニラは思わずヴィナへと顔を向けた。今までの言葉と違って、初めて彼女の感情が剥き出しになって表れたように聞こえたからだ。その直感が正しいのか判断するために、実際に彼女の表情を見ようと思ったからだ。

 しかしそれを確かめようとしたときには、既に彼女の視界は満天の星で満たされていた。

 

「…………えっ?」

 

 自分が地面に仰向けに転がっていることにバニラが気づいたのは、ヴィナが自分の体に馬乗りになって、その杖を自分の眉間に突き付けているときだった。手で押されたのかあるいは蹴飛ばされたのか、自分がなぜ地面に転がっているのかすらバニラには分からなかった。

 突然のことに困惑の表情を浮かべるバニラに、ヴィナはこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。そしてその大きな黒い瞳をじっとバニラへ向け、ついでに杖の切っ先も彼女へ向け、そのまま口を開いて喋り始めた。

 

「もしも、この学院にアルが留まるだけの“価値”が本当にあるというのなら、あなたにアルの言う“可能性”が本当に存在するというのなら、私はアルがここに留まるのをむりやり止めようとは思わない。アルがそうしたいと言うのなら、私もそれにできるだけ付き合うつもり。だから――」

 

 ヴィナはそこで一旦言葉を区切ると、ズイッとその顔をめいいっぱいバニラへと近づけた。バニラの視界が彼女の真っ黒な瞳で占められ、まるでその瞳に吸い込まれるかのような感覚になったバニラは思わず「ひっ!」と声をあげた。

 しかしヴィナはそれに構わず、バニラに言い聞かせるようにゆっくりとこう言った。

 

「私にも、その“可能性”を見せてよ」

「……ど、どうやって?」

 

 もし『私と戦って勝ってみせろ』なんて言われたら、バニラは即座に『無理だ』と返すだろう。特進クラスに楽々編入できるだけの実力があり、今日の演習でも圧倒的な実力差を見せつけたヴィナを相手に、普通クラスで底辺を爆走している自分が勝てる見込みなんてあるはずがない。

 固唾を呑んで次の言葉を待つバニラに対し、ヴィナは若干目を細めて口を開いた。

 バニラの見間違いでなければ、その目はほんの少しだけ笑っているように見えた。

 

 

「あなた、この演習の試験でアルに勝ってみせてよ」

 

 

「…………へっ?」

 

 ヴィナの言葉に、バニラは自分の耳を疑った。

 

 

 *         *         *

 

 

 バニラとヴィナがいなくなり少々寂しくなったテーブルでは、現在もアルとルークが斜向(はすむ)かいに座って食事を続けていた。ルークは上流貴族らしく音もたてずにナイフで器用に肉料理を切り分けて、一方アルはテーブルマナーなど知ったことかとでも言いたげに肉料理に齧り付いていた。

 

「ところで、アルはどうするつもり?」

 

 唐突にそう話を切り出したルークに、アルは口いっぱいに詰め込んだ肉料理を咀嚼しながら首をかしげた。何とも豪快な食べ方をしている彼女だが、彼女の口元や周りのテーブルにはソースの1滴も零れていない。

 

「バニラさんのことだよ。今回の演習の試験で、バニラさんと戦うことになったんでしょ? 本人がいないときに陰口を叩くようでアレだけど、バニラさんの実力を考えたら、アルに勝つどころかまともな勝負すらできないでしょ。アルはどうするつもりなのかな、って思って」

 

 アルは口の中の物をゴクリと飲み込むと、「あぁ、そういうこと」と呟いた。

 

「もちろん、真面目にやるつもりだよ」

「つまり、本気で相手をするってこと? ……まぁ、僕がとやかく言うことじゃないから、別に良いけどさ」

 

 色々と言いたいことを肉料理と共に呑み込んだルークは、その話題を打ち切って黙々と食事を続けた。気の置けない友人と語らう周りとは対照的に、2人はそれ以上会話を交わすことなく沈黙の空気が流れている。

 そんな中でポツリと呟かれたアルの言葉は、周りの喧騒に掻き消されていった。

 

「……案外、面白いことになると思うんだよねぇ」


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