〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第67話

 学院から一番近い場所にある、演習場としても使われている森。

 森をグルリと取り囲む鉄網に取りつけられた4つの入口の内、ちょうど学院とは反対方向に位置する門の前にて、バニラは目を瞑ってその場に佇んでいた。両腕を自然体に地面へとぶらりと垂らし、小さく呼吸を整えているその様子は、精神を集中させて何かを待ち構えているように見える。

 そしてそんな彼女のすぐ後ろには、相変わらずの無表情でその場に腰を下ろすヴィナの姿があった。芝生が隙間無くビッシリと生え揃っているため、制服のローブが汚れる心配は無い。もっとも彼女の場合、たとえ汚れたとしても気にする様子は無さそうではあるが。

 

「始め」

「――――!」

 

 と、そのとき、ヴィナが突如声をあげ、それに反応したバニラが目を開けて右手をローブの内ポケットに突っ込んだ。そしてそこから杖を取り出すとその先端を地面に向け、消え入りそうに小さな声で呪文を唱え始めた。

 自分の体内で練られた魔力が杖の先端から地面へと流れ落ち、その魔力が種子へと姿を変え、芽を出し、成長して黄色い花を咲かせ、綿毛の落下傘をつけた種を作っていく過程が、彼女の頭の中で映像として流れていく。これは彼女が今までで唯一、魔術を発動させるときに明確に思い描くことのできるイメージであり、そしてここ数日の“特訓”によってさらに鮮明になったものである。

 そして頭の中の映像が目の前の光景として現実の物となっていく過程を、バニラは魔術を発動させながらじっと眺めていた。自分を中心とした大股で10歩ほどを直径とした円の中が、まるで雪でも降り積もったかのように真っ白なタンポポで埋め尽くされていく。

 その光景に、彼女は思わず口元に笑みを浮かべそうになるが、すぐ後ろにヴィナがいることを思い出して何とかそれを堪えた。その代わりに、充足感を噛みしめるようにゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 

「まぁ、スピードとしてはこんなもんでしょ」

 

 ヴィナが口にしたその言葉は、ともすればバニラの高揚しかけていた気持ちに冷や水を掛けるようなものだった。しかしバニラは表情をムッとさせるどころか、むしろ嬉しそうに口元を緩ませている。

 それはそうだろう。なぜならこの特訓が始まってから、初めて彼女の口から飛び出したお褒めの言葉なのだから。

 

 アルに勝つことを目標に特訓することになったバニラだが、ヴィナに最初に課せられた特訓内容は『タンポポを地面に咲かせる魔術を、魔力が枯渇するまでひたすら繰り返す』というものだった。現時点でバニラが唯一使える魔術であるそれの技術を少しでも磨くためであり、そのためにはとにかく数をこなすことが一番だからである。

 だが、タンポポを地面に咲かせてはヴィナの炎で燃やされて再びタンポポを咲かせる、という過程を繰り返し続けるその特訓は、いつ終わるか分からない単調で生産性の無い作業のせいで、さながら拷問か何かを思わせるような内容だった。肉体面よりもむしろ精神面での披露が半端ではなかったが、しかしその甲斐もあって、最初の頃とは比べ物にならないほどの効率とスピードでタンポポを咲かせることができるようになったのもまた事実であるため、バニラとしては感謝こそすれ文句など言える立場ではない。

 とはいえ、

 

「タンポポを咲かせる魔術ではまともに攻撃なんてできないから、何か別の攻撃手段を考えないといけない」

「……やっぱり、そうだよね」

 

 予想していたこととはいえ、その場に崩れ落ちてしまいそうなほどに大きな疲労感がバニラを襲い掛かった。目の前に広がるタンポポ畑が彼女から見ても立派なものであるだけに、そのやるせなさがより顕著になっているように思える。

 

「……でもまぁ、仕方ないよね。タンポポじゃ目眩ましはともかく、攻撃なんてできるはずがないし……。それにしても、ここまで必死になってタンポポを咲かせる魔術を練習したのに、結局は別の攻撃魔術を練習しなきゃいけないなんて――」

「まったく別、というわけではない」

「……へっ?」

 

 バニラの独り言に被せるようにして告げられたヴィナの言葉に、バニラは彼女へと振り返って首をかしげた。

 

「アルとの対戦までに時間が無いから、まったく新しい攻撃魔術を練習する時間は無い。だから今使えるタンポポを咲かせる魔術を少しでも練習して、その魔術を起点にして攻撃に繋げる戦法を採る方が、まだアルに対して勝つ見込みがあると考えてる」

「確かにそうかもしれないけど……。で、でも、タンポポからどうやって攻撃に繋げるの……?」

 

 バニラの疑問ももっともだ。風に乗って空中を優雅に漂う綿毛の光景から、相手を攻撃する手段をイメージしろという方が難しい。

 しかしそれは、あくまでも“タンポポのままだったら”という意味である。

 

「あなたが魔術で咲かせたタンポポは、野生のそれとは違ってあなたの魔力が残留している。緑魔術の場合、何も無い場所からいきなり何かを生成するよりも、自身の魔力の籠もった物体を魔術で変化させる方が魔力の消費も少ない」

「そ、そういえば、確かに授業でもそう習ったけど……」

 

 ヴィナの言葉を聞いてバニラの脳裏に浮かんだのは、先日行われた演習科目の期末試験における第2試合の光景だった。

 アルの対戦相手だったクレイは、あらかじめポケットに仕込んでおいた幾つもの小さな金属製の球体を材料にゴーレムを生成していた。おそらくあれは、試験の前に自身の魔力で作り出した物なのだろう。ゴーレム生成は魔力の消費が特に激しい魔術であるが、ゴーレムと同じ素材でできた物体を使用することでもその消費を抑えることができる。

 つまりヴィナは、一旦タンポポを咲かせた後にそれを別の何かに作り替えることで、攻撃の足掛かりにしようと考えているのである。確かにこの手段ならば、いきなり何かを生成するよりもハードルが低くて済むだろう。

 問題は、タンポポを何に変化させるか、についてだが、

 

「これを作ってもらう」

 

 そう言ってヴィナが取り出したのは、掌で覆い隠せるほどに小さな透明のビンだった。その中にはほんの少しだけ赤みがかった液体が、彼女の手に合わせてタプタプと揺らめいている。

 正体不明の液体を、バニラはおっかなびっくり受け取った。目の前に持ってきてユラユラと揺らしてみるも、その正体を掴むことは叶わない。

 

「……ヴィナちゃん、これって何?」

「液体燃料。火を点ければ、一瞬で爆発する」

「――――!」

 

 その正体を聞いた瞬間、バニラは驚きのあまり思わずそれを手放してしまい、そして再び慌てた様子でそれを両手で素早くキャッチした。変わらずビンの中で揺れる液体に、バニラはホッと胸を撫で下ろす。

 

「私は使ったことが無いけど、赤魔術をメインにしている魔術師の中には、そういった燃料や火薬を使って威力を補強している人もいる。それにその燃料は植物を原料に作られているから、タンポポからその燃料に変化させることはそれほど高いハードルではない。――もっともあなたの場合、それでも相当な量の練習が必要だろうけど」

「な、成程……」

「それにタンポポは、“機動力”の点から見ればかなり優秀。そよ風程度でも遠くまで飛ばすことができるから、あなたの魔術の腕前でも、爆発に巻き込まれないくらいに相手と距離を置いて戦うことができる」

 

 確かに、タンポポほど“どれだけ自分の種子を遠くまで飛ばすか”に重きを置いて進化した植物も無いだろう。それにタンポポの綿毛を飛ばして目眩ましにするのは、バニラも以前からやっていたことだ。そういった点を考えれば、ヴィナの提案する戦法はバニラに非常に合っているといえる。

 しかしバニラが、その戦法を採用することに二の足を踏む理由があるとすれば、

 

「……それってつまり、アルちゃんを爆発に巻き込むってことだよね? そんなことをしたら、アルちゃんが大怪我を負うんじゃ――」

「へぇ、もうアルに勝つ気なんだ。随分な自信だこと」

 

 今までよりも一段低い声で、トゲが含まれているどころか剥き出しになっているヴィナの言葉に、バニラは大慌てで首を横に振って「そ、そんなつもりじゃ――」と否定した。

 そんなバニラに、ヴィナは小さく溜息を吐いて、

 

「別にそれでも良いと思うけど。最初から相手に勝つつもりで挑まなきゃ、勝てる戦いも勝てなくなるし。何だったら、アルのことを“殺すつもり”で挑んでみたら?」

「こ、殺すだなんて! そんなこと、冗談でも考えられるわけないよ! アルちゃんは私にとって大事な――」

「でも、」

 

 バニラの言葉に被せるようにしてヴィナはそう言うと、その大きな両目をバニラへと向けた。

 彼女の口元は、光の加減によるものか、若干笑っているように見えた。

 

 

「少なくともアルは、あなたのことを“殺すつもり”で来ると考えた方が良い」

 

 

「――――はっ?」

 

 ヴィナの言葉を、バニラは理解することができなかった。彼女の耳に入ったその言葉は、彼女の頭に到達する前に拒絶され、耳の外へ弾き出されていった。

 

「少なくともアルは、あなたのことを“殺すつもり”で来ると考えた方が良い」

 

 しかしヴィナがそれを許さないとばかりに同じ言葉を繰り返し、彼女の頭にむりやりその言葉を届かせた。バニラの感情がいくら拒んでも彼女の頭は本能的にその役割をこなし、ヴィナの言葉の意味するところを余すことなく彼女へと伝えた。

 

「な、なんで……?」

「別に大したことじゃない。今回の試験は白魔術に長けた教師が見守る中で行われるから、“万が一”のことが起こったとしてもすぐに手当てが施される。だから生徒達も気兼ねなく本気で勝負を挑める」

 

 確かに白魔術による“治癒”はかなり優秀で、特にこの学院に勤める教師ともなれば、たとえ四肢が千切れてしまっても何の後遺症も無く繋ぎ直すことができるし、命を落とそうが死んで間も無ければ蘇生させることも可能だ。そんな白魔術だからこそ、命の危険が伴う演習や試験を執り行うことが可能なのである。

 

「でも、でもさ……、頭では分かってても、実際は誰かを死なせるかもしれないってなったら少しは躊躇するでしょ?」

「確かに“普通の人”なら、それは正しい。――でも、アルは違う。感情と理屈を切り離して思考して、いざというときには一切躊躇わずに動くことができる。たとえ直前まで仲間のように親しくしていた人が相手でも、自分に害を成す存在だと分かれば即座に切り捨てることができる。――少なくとも、()()()()()()()()()()そういう人間だった」

「そ、そんなこと……」

 

 バニラは咄嗟にそれを否定しようとするが、それ以上の言葉が出てこなかった。

 数ヶ月前に突然この学院にやって来て、それ以来友人として付き合うようになった自分。

 一方、それよりも以前のアルについてよく知っており、おそらくそれなりに長い期間一緒にいたであろう彼女。

 アルについて語るには、目の前の相手はあまりにも分が悪かった。

 

「そんなことより、今はタンポポを液体燃料に作り替える魔術の練習に集中して。とにかくアルとの対戦までに少しでも完成させておかないと、勝つどころかまともに相手してもらえないよ」

「……う、うん、分かった」

 

 思考の海に沈みかけていたバニラの意識をヴィナの手でむりやり引っ張り上げられた形ではあるが、バニラは頭に纏わりつく嫌な考えを振り払いながら杖を握りしめた。

 

 ――そ、そうだよね……。べ、別にこれは単なる演習であって、私がアルちゃんにとって“害を成す存在”になったわけじゃないし……。そりゃ試験なんだから真剣にやるだろうけど、私はそこまで強くないし、私のことを、こ、殺すつもりで挑むとか……。

 

 もちろん実際に殺すわけではないし、それくらいの気概で挑めという意味であることはバニラにも分かる。しかしバニラはたとえ試験であろうとも、親友だと思っている相手を殺すつもりで挑むなんて考え方はできそうもなかった。

 そしてできればアルも、自分と同じ想いを抱いていてほしいと――

 

 ――アルちゃんは私のこと、どう思っているんだろう。

 

「…………」

 

 杖を握りしめた姿勢のままピタリと止まってしまったバニラの後ろ姿を、ヴィナがじっと見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 太陽の下半分が地平線に沈み、学院だけでなく周りの草原も真っ赤に染まった頃になって、ヴィナによるバニラの特訓はようやく終わりを迎えた。

 疲労困憊の様子で地面に横たわるバニラに特訓の終了を一方的に告げたヴィナは、そのまま彼女を放ってさっさと学院へと歩き出していった。学院のすぐ傍なので取り立てて身の危険も無く、たとえ日が沈み切るまでそこにいても凍える心配が無いからであり、仮にバニラに危険が迫ればさすがのヴィナも放っておくことはしない――と思いたい。

 

「あれっ、ヴィナさん」

 

 学院本棟の正面入口を潜って中に入ったとき、唐突に呼び掛けられたことでヴィナはほぼ反射的にそちらへと顔を向けた。そして視線の先に見つけたその人物の姿に、その大きな両目をほんの少しだけ細めた。

 その人物とは、おそらく夕食のために食堂へ向かう最中だったであろうルークだった。

 

「ひょっとして、さっきまでバニラさんを特訓していたの?」

「…………」

「僕も演習の試験に向けて、ついさっきまで自主練をしてたところだよ。――それにしても、ヴィナさんがバニラさんに何を教えているのかとても興味があるね。もし良かったら今度、特訓しているところを見学させてもらっても良いかな?」

「…………」

 

 ヴィナはその質問には答えず、止まっていた足を再び動かして食堂へと歩き始めた。しかしすぐさまルークが早足で彼女の後を追ったために、結局は2人横に並んで歩くこととなった。廊下の幅は広いので他の生徒達の邪魔にはならないが、色々な意味で目立つことの多い2人組だけあって、先程からチラチラと様子を盗み見る者が続出している。

 

「しかしまぁ、ヴィナさんがバニラさんを特訓するなんてかなり意外だよ。僕の印象としては、ヴィナさんはバニラさんのことをあんまり良く思ってないと感じてたからね」

「…………」

「まぁそれは、バニラさんに限った話じゃないけどね。ヴィナさんがこの学院にやって来てから、他のクラスメイトとまともに会話を交わす場面を見たことが無いし。それこそヴィナさん、アル以外の人間を認識してないんじゃないかってくらいに」

「…………」

「確かに君を明らかに見下すような奴を相手にする必要は無いけど、君の保護者代わりになってくれているマンチェスタ先生とかには、少しくらい会話をしても良いと――」

「説教するために話し掛けたの?」

 

 顔を合わせてから初めてまともに返ってきたヴィナの反応は、こめかみにうっすらと血管を浮き上がらせ、黒曜石のように大きな両目をギロリと歪ませた、彼女にしてはかなり珍しい剥き出しの敵意だった。そんな彼女に周りの生徒達も、表情を強張らせながらコソコソと彼女の脇を通り過ぎていく。

 一方、そんな彼女の怒気を真正面から受けるルークは、それをまったく気にする様子も無く口元に笑みを携えたまま彼女をまっすぐ見据えている。

 そしてそのまま、彼は口を開いた。

 

「いやいや、説教なんてとんでもない。僕はただ、ヴィナさんが何を企んでバニラさんを特訓しているのか、それが知りたいだけなんだから」

「…………」

 

 ルークの言葉に、ヴィナは呆れるような表情を彼へと向けた。遠回しな表現の一切無い、あまりにもまっすぐ過ぎるその言葉に、却って敵意が萎んでいったのかもしれない。

 そしてヴィナは小さく溜息を吐くと、ぽつりと吐き捨てるようにこう言った。

 

「何を企んでるのか、ねぇ……。――むしろそれ、私の台詞なんだけど」

「……それって、どういう意味?」

 

 ルークの問い掛けにヴィナは一瞬口を開きかけ、表に出そうとしていた言葉を飲み込むように口を閉ざすと、フイッとルークに背中を向けて再び食堂へと歩き始めた。

 だんだん小さくなる彼女の背中に、ルークは小さく首を横に振り、彼女の後を早足で追い掛けていった。


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