〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第74話

「良いじゃん別に、学院を辞めちゃえば?」

「えっ――――」

 

 その言葉を聞いたとき、バニラは最初、それがアルの口から放たれた言葉だと認識することができなかった。胸にナイフでも突き刺さったかのように呼吸が一瞬止まり、崖から突き飛ばされたかのような浮遊感に足元がふらついた。

 つまりそれだけ、バニラにとって彼女の言葉が“ショック”だったのである。今まで自分がどれほど魔術で醜態を晒そうと、彼女だけはそれを馬鹿にしないで受け入れてくれた。そんな彼女から投げつけられたその言葉は、まるで自分を突き放すような冷たいものに聞こえたのだろう。

 そんなバニラを知ってか知らずか、アルはその笑顔をそのままに話を続ける。

 

「だってさ、別に魔術を使えなくなったからって、それで人生終わるわけじゃないじゃん。魔術が使えなくなったら、魔術師以外の道に進めば良いだけなんだから」

「そ、それは……」

「わたしみたいな例外はいるけどさ、この世界の人達って全員が大なり小なり魔術を使えるのに、“魔術師”って仕事に就いてる人は本当に一握りだけじゃん。むしろほとんどの人は、魔術と全然関係ない仕事で暮らしてるんだよ。そんな“ほとんどの人”の1人になるだけなんだから、そんなに気にすることじゃないって」

「た、確かにそうかもしれないけど……」

「それにほら、わたしだって今まで魔術なんて使ったことないけど、それでも今までこうして何とかなったしね。だからバニラだって、そんな思い詰める必要無いんじゃないの?」

「…………」

 

 両腕を大きく広げながらそう言うアルを見つめながら、確かに、とバニラは納得した。

 失望の目を向けられていたとはいえ家族が存在し、衣食住を保証されていたバニラとは違い、彼女は頼るべき家族もおらず、自分の手でお金を稼がなければならなかった。しかもバニラ以上に魔術の適性が無く、その辛さはもはやバニラの想像の及ぶところではない。

 しかしアルは、その自慢の身体能力で(つまり魔術に頼らずに)その生活を乗り越えてきた。衣食住を確保できるようになった今でもそれは変わらず、魔術が絶対の基準だと信じて疑わないクラスメイト達を魔術も使わずに薙ぎ倒している。

 それでもバニラとしては、何の反論も無いわけではなかった。

 

「で、でもそれは、アルちゃんに魔術とは別の“力”があったから……」

「まぁ、わたしの場合はそうだよね。でもわたしがロンドにいたときにも、わたしと同じように誰にも頼れずに1人で生活しなきゃいけない人とたくさん出会ったけど、皆が皆それぞれ“才能”とか“力”があったわけじゃないよ? そりゃ裕福って言えるような人達ばかりじゃなかったけど、皆がそれぞれ必死になって何かの仕事をして生活してるんだよ」

「…………」

 

 アルの言葉は普通の人にとっては当たり前の、しかし魔術学院の生徒という、魔術が自分達にとってかなり身近な存在で、バニラのように魔術師を目指すことが当然だった者にとっては忘れがちな事実だった。

 確かにアルの言う通り、この世界で“魔術師”と呼べる人間は1万人に1人とも言われるほどに貴重な存在だ。だからこそ魔術師を多く輩出する貴族が財力と権力を維持できるのであり、そうでなくとも大企業から国防軍まで様々な組織で優遇され、その収入も相当な額に上るのである。

 しかしバニラの場合、何もお金が欲しいから魔術師に固執しているのではない。そもそも彼女は、自分がまともな魔術師になれるとは思っていなかった。

 それでもバニラが、学院を辞めることを躊躇っている理由は、

 

「あっ、そっか。バニラは貴族の生まれだから、学院を辞めたら家を追い出されるのかもしれないのか。確かにそれを考えたら、そんな簡単に学院を辞めるなんて言えないよね」

「…………」

 

 アルの言葉に、バニラは無言のまま何も言い返さなかった。

 そしてそれこそが、何よりも雄弁な肯定の返事だった。 

 

 魔術によって現在の地位を確立した貴族の家系に生まれたバニラにとって、魔術を学ぶことは“義務の1つ”だった。貴族に名を連ねる者として恥じないだけの力を得るため、家の力で雇った優秀な魔術師による教えを存分に受けてきた。

 しかしそれでも、バニラの魔術に関する“才能”が花開くことは無かった。その身に宿す魔力量を表す“魔力値”も一般人と大差無く、魔術の才能と遺伝はけっして無関係とは言えないことから、バニラは『憐れに思った当主様に拾われた捨て子ではないか』なんて噂が使用人の間で流れるほどだった。

 そしてバニラは、貴族出身ならば自国の魔術学院に入学するのが普通である中、隣国であるイグリシア国の魔術学院に入学した。そのときの感情は今でも彼女の心の奥底に深く根付いており、だからこそ第1月の演習でダイアに指摘されたときにあれだけ激昂したのだろう。

 そんな現状さえ微妙な立場のバニラがもし学院を辞めでもしたら、本当にアルの言う通りの事態になったとしても不思議ではない。最悪『身内の恥を外に晒すことは許されない』とか言って、その場で殺されてしまう可能性も無くはない。

 

 そこまで想像を巡らせたバニラがブルリと体を震わせた、まさにそのときだった。

 

 

 

「だったらさ、わたしと一緒にここを出て一緒に暮らさない?」

 

 

 

「えっ――――」

「ロンド……はちょっと無理だから、ここから遠くにあるどこかの街にでも行って、そこで何か仕事でも探して一緒に暮らそうよ。わたしが色々助けてあげられるし、ひょっとしたら案外そこでバニラにぴったりの仕事が見つかるかもしれないよ」

「で、でも、アルちゃんが――」

「あぁ、別に大丈夫大丈夫。確かにここの料理は凄く美味しいけどさ、美味しい料理なんて別にここ以外にもあるからね。それにひょっとしたら、ここよりももっと美味しい料理が溢れる“美食の街”があるかもしれないよ! ――おぉっ! そう考えたら、何だかワクワクしてきたかも!」

「アルちゃんと、一緒に……?」

 

 彼女の提案を、バニラは無意識の内に口に出して呟いていた。

 バニラにとって今までの人生は、周りからの蔑視と自身への劣等感に塗れたものだった。双子の妹が優秀だったことが、さらにその感情を加速させた。両親は面と向かって罵るようなことは無かったが、自分に向ける目に失望と憐憫の色が浮かんでいたことを、彼女は幼いながらに、いや、幼いからこそ気づいていた。

 それだけ周りから疎まれ、どれだけ努力しても報われることが無かったにも拘わらず、バニラは今も魔術を諦めようとしなかった。努力すればいつか結果が出ると前向きに信じている、なんて理由ではない。彼女には生まれたときからその生き方しか与えられず、魔術を諦めて別の生き方を探す勇気が無かっただけの話である。

 

 しかし、もしもそれ以外の生き方を得られるチャンスがあるとするならば。

 

 苦手な魔術で馬鹿にされることもなく、失望と憐憫の目を向けられることもなく、自分が貴族であることすら知らない人達と一から交友関係を築いていく。もしかしたら今までの何不自由ない生活とはまるで違う、その日の食べ物さえ儘ならない苦しい生活が待っているかもしれない。

 しかし、自分の隣にはアルがいる。

 魔術なんて無くても力強く生きてきたアルが傍にいて、自分の一番の味方になって支えてくれる。

 

「アルちゃんと、一緒に……」

 

 もう一度、同じ言葉を呟いた。口に出さずに、頭の中で何回も繰り返してみたりした。考えれば考えるほど、彼女との生活が魅力的なものに思えてきた。

 確実に、バニラの心の中にある天秤がグラグラと揺らめいていた。

 と、そのとき、アルが再び口を開いた。

 

「それともバニラは、どうしても魔術じゃないとできないことをやりたいの? だったら別に良いんだけど」

「……私が、やりたいこと?」

 

 そんなこと、バニラにとって一度も考えたことが無いことだった。バニラにとって魔術とは、生まれた瞬間から学ぶことが義務づけられたものであり、そこに“夢”だの“目標”といったものは一切無かったのだから。

 

 ――本当に、そうなの?

 

 バニラは顔を上げて、目の前に立つアルをじっと見つめた。

 アルは何も言わず、微笑みを携えながらじっと彼女を見つめ返した。

 そしてバニラは、気づいた。

 いや、思い出した。

 

「ごめん、アルちゃん……。アルちゃんの誘いは受けられない……」

 

 とても小さな声で遠慮がちに呟かれたその言葉だが、アルはけっして聞き漏らさなかった。じっと彼女を見据え、次の言葉を待っている。

 そんなアルに見守られる中、バニラは顔を上げて彼女へと向き直った。

 その目は先程までの弱々しいそれとはまるで違う、バニラの内心を表しているかのような力強さに満ち溢れていた。

 

「私、アルちゃんと出会って、初めてアルちゃんを箒に乗せて空を飛んだとき、凄く喜んでくれるアルちゃんを見て思ったんだ。こんな自分でも、もしかしたら誰かの役に立てるんじゃないかって……。――だけど、もし今の状態で学院を辞めてアルちゃんと一緒にいたら、きっとまた昔の私に逆戻りしちゃって、アルちゃんに頼りっきりになっちゃう気がするんだ」

「…………」

「それに、ヴィナちゃんの特訓を必死になって頑張って、そのおかげで新しい魔術を使えるようになったとき、とても嬉しかったのを憶えている。だから私、まだ魔術のことを嫌いになりきっていないんだと思う」

「…………」

「もしかしたら、私の魔術でまた誰かが傷つくかもしれない。正直、それはまだ怖い。でも、もしかしたら、私の魔術で誰かを助けられるかもしれない。私にしかできない方法で、誰かの役に立てるかもしれない。もしそうだとしたら、私が今までやってきたことにも意味があるんだと思う」

「…………」

 

 アルは口を挟むことなく、バニラの話を聞いた。バニラも言葉を探り探り、アルに自分の想いを伝えた。もはや2人の間には、さっさと戦えと怒鳴るギャラリーなど存在していなかった。

 

「ひょっとしたら、これは単なる“逃げ”なのかもしれない。今までの生活を壊すのが怖くて、それっぽい理由で自分をむりやり納得させているだけなのかもしれない。――それでも、私はまだ魔術を諦めたくない! 私にはまだ“可能性”があるはずだから! だって私はヴィナちゃんとの特訓で、新しい魔術を使えるようになったんだもん! これからまだまだ特訓すれば、いつかはきっと……!」

 

 喋っている内に胸の奥から様々な感情が込み上げてきて、それが声の通り道を塞いだかのようにバニラは言葉を詰まらせた。大きな両目に涙をじわりと溜めて、それが零れないように口を引き結んで耐えている。

 そんな彼女の姿に、アルはフッと口元に笑みを浮かべた。その笑みに、嘲りの類は一切無い。

 

「ごめんね、バニラ。何だか試すようなこと言っちゃって。余計なお世話だったね」

「ううん、そんなことないよ。アルちゃんのおかげで、こうして気づくことができたんだから」

 

 制服の袖で乱暴に目元を拭いながら、バニラは晴れやかな笑みをアルに向けた。その頬にほんのりと朱が差しているのは、アルの前で涙を流したことが照れ臭かったのかもしれない。

 それを誤魔化すように、バニラは言葉を続けた。

 

「でも、アルちゃんの誘いはとても嬉しかったよ。わたしがもう少し魔術を使えるようになって、アルちゃんを助けられるようになったとき、いつか2人でどこか遠い街に旅をするのも良いかもしれないね」

「うんっ、楽しみに待ってるね!」

 

 満面の笑みで大きく頷くアルに、バニラも釣られてその笑みを大きくした。

 そしてバニラは、唐突に気づいた。

 彼女の姿が、先程よりも大きくなっていることに。

 

「――――あれっ?」

 

 それは彼女の体が大きくなっているのではなく、彼女がこちらに近づいているのだと気づいたときには、ぐっしょりと濡れたアルの両手がバニラの脇腹辺りを制服ごとガッシリと掴んでいた。制服に皺が寄るほどに力強く握り締められたその手は、同年代の女子と比べても弱々しいバニラでは振り解くどころか体を捻ることすら許さない。

 

「えっ? あの、ちょっ――」

「バニラのその魔術って、やっぱりタイマンのときには分が悪いと思うんだよね。ちょっとした風で遠くまでタンポポを飛ばせることと合わせても、自分は離れた場所に身を隠しながら不意討ちとして使うのが一番適してると思うよ」

「あの、アルちゃん……?」

「それにバニラ自身、まだこの魔術の“攻撃範囲”を把握しきっていないでしょ? 今みたいな状況では使えないのは当たり前だけど、もしあのタイミングでバニラが動きを止めずに火を点けられたとしても、バニラも爆発に巻き込まれてた可能性は結構高かったと思うよ。そういう意味では、あそこでバニラが動きを止めたのは正解だったんじゃない?」

 

 そんなことを喋りながら、アルはバニラを掴んでいるその両腕を少し上げた。

 バニラの両足が、地面からフワリと浮き上がった。彼女の体重が全てアルの両腕に掛かっているというのに、その両腕はまるでビクともせず、アルの表情にも苦悶の色はまったく無い。

 そしてアルはバニラを持ち上げたまま、自分の右脚を大きく後ろに引いて体を捻った。

 

「わたしは魔術を全然使えないから教えることはできないけど、練習相手くらいにはなってあげられるからさ、必要なときは言ってね」

「えっと、アルちゃん……? 何をしようと――」

「そぅれっ――!」

「ひっ――」

 

 バニラの問い掛けを無視して、アルは先程捻った体を元に戻す勢いを利用して半回転し、それと同時にバニラを抱える両腕を空に向かって振り抜きながらその手を離した。

 それによってバニラの体は、彼女の口から漏れた悲鳴を置き去りにする勢いで空中へと投げ出された。重力の影響で上方向の速度が徐々に落ちていき、やがて下方向に引っ張られながら広場の上空を飛んでいく彼女は、まるで物理の教科書に載っているような綺麗な放物線を描いていた。

 そんな放物線の終着点には、つい先程まで野次を飛ばしまくっていた生徒達の姿があった。

 

「えっ……! お、おい! こっちに飛んでくるぞ!」

「嘘っ! ちょ、待って!」

「やばいって! 早く逃げ――ぐへぇっ!」

「きゃっ――!」

 

 それに気づいた生徒達が一斉にその場から逃げ出そうとするが、完全に座り込んだ姿勢で油断していたせいもあって、何人かは勢いよく地面に転がり落ちたバニラに巻き込まれ、強制的にクッションの役割を果たす羽目になっていた。互いに体を衝突させたりしたことで全員が苦痛に顔を歪めているが、ざっと見た限り骨折などの重症を負った者はいないと思われる。

 

「いったたた……。アルちゃん、もう少し手加減してくれても良いのに……」

 

 バニラも頭を打ったのか手で押さえてはいるものの、ブツブツと愚痴を零す程度には無事なようだ。制服に付いた土や草などを払いながら上半身を起こした彼女は、アルのいる方(つまり自分が飛ばされてきた方)へと顔を向けた。

 そしてそこで、彼女は気づいた。

 自分が今、会場を取り囲む赤い線の外側にいることを。

 

「勝者、アル」

 

 そしてそれを待っていたかのようなタイミングで、ザンガがバニラにも聞こえる声量で宣言した。そしてその瞬間、彼女の背後では生徒達の失望感を隠そうともしない溜息で溢れていた。

 しかし彼女自身は、それを気にする様子は無かった。今の彼女にとって重要なのは、自分を投げ飛ばした場所で心配そうにこちらを窺うアルだけだ。

 

「やっぱり、アルちゃんにはまだまだ敵わないか……」

 

 鼻から大きく息を吐き出してそう呟くバニラだったが、その表情は実に穏やかなものだった。アルを倒すことを目標にしてはいたものの、心のどこかではアルに勝つことは難しいと感じていたのかもしれない。それでも“絶対に無理”とは考えなくなった辺りに彼女の成長が見られるが、残念ながらと言えば良いのか、本人はそれについて無自覚だった。

 むしろ、彼女が現在気掛かりなのは、

 

「……ヴィナちゃん、この試合の結果をどう見るんだろう」

 

 

 *         *         *

 

 

「うーん、さすがにここからじゃ声を聞くことはできないか……」

 

 本棟の屋上庭園から先程の試合を鑑賞していたルークは、残念そうにそう呟いて双眼鏡を目から離した。普段ならば微弱の風を自分に向けて発生させることで集音したりするのだが、微弱な風でも大きな影響を与えるタンポポが使われているために使用することができなかったのである。

 

「まぁ、2人が何の話をしたのかは、後でアルに差し障りの無い範囲で聞き出すとして……」

 

 ルークはそこで言葉を区切ると、チラリと隣に視線を向けた。

 

「…………」

 

 試合中も試合後も無言を貫いていたヴィナは、ルークからの露骨な視線に対して、僅かに眉を寄せてチラリと睨み返すだけだった。これでも彼女にとっては反応が大きな方なのだが、もちろんルークが(想定していたとはいえ)それで満足するはずもない。

 

「それで、ヴィナさんにとって、この試合内容は満足できるものだった?」

「…………」

 

 しかしヴィナは彼のその質問にも一切答えることなく、クルリと踵を返して足早にその場を立ち去っていった。

 そんな彼女をルークは小さく溜息を吐いて見送ると、再び広場へと目を向けた。アルがバニラの下へと駆け寄っていき、バニラがそれを笑顔で出迎えている光景が見て取れる。

 そんな2人を見遣りながら、ルークは呟いた。

 

「……僕も部屋に帰るか」




【6月29日追記】

第5章はあと2話で完結する予定でしたが、作者の中で完全に手詰まりの状態となってしまい、書き進めることが困難になってしまいました。
よって連載作品としてはある意味“禁じ手”であることは分かっていますが、次回の更新は第77話(第6章の1話目)とさせていただきます。真に申し訳ございませんが、ご理解のほどをお願いいたします。

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