「フゥ! あの子をここまで運んで!」
クルスが呼び掛けたその瞬間、フゥが小さく唸り声をあげたかと思うと、その少女が独りでにフワリと浮き上がり、クルス達のいる場所まで地面スレスレを移動してきた。怪我人に余計な衝撃を与えないように力を加減していることから、このスカイドラゴンがかなり訓練されていることが分かる。
そうして少女が仰向けになって再び地面に下ろされると、今度はシンが彼女の傍までやって来た。体のあちこちを触りながら手慣れた様子で簡単な問診を済ませると、すぐさま杖を取り出して呪文を唱えた。
その瞬間に青白い光が少女の体を包み込み、少女の眉間の皺が薄くなったように見えた。そして少女の体のあちこちに刻まれた傷が塞がって目立たなくなってきた頃には、眉間の皺は完全に無くなっていた。
「わ、私も手伝います!」
しばらくシンの治療を眺めていたバニラだったが、ふいにそう叫ぶと杖を取り出して呪文を唱えた。すると杖の先端から微量ながら水が流れ出し、少女の体や髪にこびり付いている泥や砂を優しい手つきで拭いながら洗い流し始めた。普段は落ちこぼれのレッテルを張られているバニラだが、今は間違いなく彼女の魔術が役に立っていた。
そうして少女の体を洗いながら、バニラは彼女をまじまじと観察し始めた。
――この子、凄く綺麗……。
“可愛い”ならまだしも、自分より年下の少女に対する表現としてはかなり珍しい部類に入る言葉だったが、今のバニラにはこれ以上適切な言葉が見当たらなかった。
バニラが泥を落としたことで、彼女の髪は太陽の光そのものだと形容できる鮮やかな金色と、ずっと触っていたくなる上質な絹糸のような手触りを取り戻した。痛みが消えて穏やかになった彼女の顔は、今は閉じられているもののパッチリと大きいことが分かる目に、ちょっと風が吹いただけで揺れるほどに長く豊かな睫毛、唇はぷっくりと形良く化粧もしていないのに朱が差している。
全体に目を移してみても、怪我が消えたおかげでその肌が一切のシミの無い綺麗なものであることがよく分かる。手足はスラリとしなやかに伸び、無駄な脂肪の無い細身でありながら柔らかさも感じられるその体つきは、まだ子供でありながら大人の女性をも髣髴とさせる魅力を携え、薄い布1枚をとりあえず服の形にしたような粗雑な衣服(しかもあちこちが破れている)と相まって同性のバニラすら鼓動が早くなる心地になる。
しかし何よりバニラの目を惹いたのは、上半分が上方向に尖った特徴的な外見をしている彼女の耳だった。
――この耳、もしかして彼女って……。
「グルルルル――」
バニラの脳裏に或る単語が過ぎろうとしたその瞬間、フゥの唸り声が彼女の耳に届いた。先程の怪我だらけの少女を見つけたときのそれとは違い、ドラゴンについてあまりよく知らないバニラですら分かるほど明らかに警戒の色が含まれているものだった。
「マンチェスタ先生! フゥの様子が――」
それを伝えようとバニラがクルスの方へと1歩足を踏み出したその瞬間、
ひゅんっ――。
彼女の顔を掠めて、空気を切り裂くような小さく軽い音が通り過ぎていった。
そして、
どっぱぁん!
「――――!」
ちょうど彼女の真後ろ辺りから突然聞こえた破裂音に、未だに気絶している金髪の少女を除く全員が一斉にそちらへ顔を向けた。
広場を取り囲む森に生える木の幹に、直径が拳ほどの穴が空いていた。それは表面が少し抉れているなんて生易しいものではなく、けっして細くない幹がまっすぐなトンネルのように完全に貫かれており、向こう側の景色が覗き込めるようになっていた。
「何、今の――」
「フゥ! 私達の周りを固めて!」
「グルアァ!」
困惑するバニラの呟きを掻き消すクルスの叫びに、フゥは大きく一鳴きして体を震わせた。
そしてその瞬間、彼女達の体が辺り一面から聞こえる風の吹き荒ぶ音に包まれた。しかしそれに反して、その肌に風が打ちつける感触は微塵も無い。おそらくフゥがやったのは、自分達の周りに気流を作って物理的な攻撃から身を守る壁としているのだろう。ちなみにここからもう少し威力を弱くすると、周りの音を聞こえなくする《ノイズ・キャンセル》となる。
ぱんっ! ぱんっ!
「ひっ――!」
と、次の瞬間、先程よりも若干勢いの弱い破裂音が、先程よりも若干大きく二度立て続けに聞こえてきた。
バニラが肩を震わせながらも音のした方へ目を向けると、気流の壁の向こう側に、先程までは確かに無かった2本の“矢”が地面に落ちているのを見つけた。細長い木の棒の両端にそれぞれ鳥の羽根と石を削って作られた
「この矢で、さっきの穴を……?」
バニラは地面に落ちている矢と、先程木の幹に空いた穴を交互に見比べながらぽつりと呟いた。何度矢に目を凝らしても何か仕掛けを施しているようには見えず、こんな何の変哲も無い普通の矢で木の幹を貫通させるほどの威力が出せるとは思えない。
「ねぇアルちゃん、どう思う?」
バニラが自分の傍に寄ってきたアルに尋ねると、アルは地面の矢と木の幹を1回ずつ見遣り、
「確かにそれも不思議だけど、それ以上に気になるのは“飛距離”と“軌道”だよ」
「飛距離と軌道?」
「そう。――その矢、どこから撃ってきたんだろうね」
アルの言葉に、バニラはハッとして矢の飛んできた(と思われる方向)にじっと目を凝らした。鬱蒼とした森のほとんどが木々によって視界を遮られ、僅かに見える隙間からも人影を見つけることができない。
そして次に、地面に仰向けに眠る少女へと視線を移した。特に、長い金色の髪を掻き分けて存在を主張する尖った耳に、その視線が固定されている。
ターゲットからも見えないほど離れた場所から木々の隙間を縫って正確に狙い撃ち、しかも木の幹を貫通させるような普通では有り得ない威力を生み出す。
もしそんな奴の身体的特徴が金髪の少女と一致すると仮定した場合、バニラにはもはや“或る種族”しか思い当たらなかった。
「マンチェスタ先生――」
「えぇ。ほぼ間違いなく“エルフ”でしょうね」
バニラの呼び掛けだけで意図を汲んだクルスが、矢の飛んできた(と思われる方向)を睨みつけながらそう答えた。
そしてその言葉に真っ先に反応したのは、アルだった。
「エルフ? 何それ?」
「あら、てっきり知ってるものだと思ってたけど」
「学院に来てから魔術について勉強するようになったけど、自分に関係あること以外は基本的に勉強しないからなぁ」
そうねぇ、とクルスは呟いてから、まるで授業をするように説明を始めた。ちなみにその間も、幾つかの矢が
「エルフっていうのは、“亜人”と呼ばれるカテゴリーに分類されている種族の1つよ。その名の通り、人間とほとんど変わらない見た目をしているけど、私達とは違って杖を使わなくても魔術を行使できることが大きな特徴ね」
『ほっほっほっ。お嬢様、今は公の場で“亜人”という言葉を使うことは控えられておりますぞ。エルフなどがそれを聞けば「我々を自分達よりも下に見ているのか」と怒りかねませぬ』
「うっさいわね。今は公の場じゃないんだから良いでしょ」
アーノルドの揚げ足取りに聞こえなくもない物言いに、クルスは拗ねたように唇を尖らせてそう吐き捨てた。確かに“亜人”という言葉には『“人間を基準とした視点”から見た“人間とは似て非なる存在”』という意味合いが含まれている。エルフ側から見たら『むしろ自分達と似て非なる存在が人間だろう』と考えたっておかしくない。
しかしアルが気になっていたのはそんなことではなく、その後に述べた“杖を使わなくても魔術を行使できる”という点だった。
「それで、クルス。エルフの身体的特徴って、この子みたいに耳が尖っていたりするとか?」
仰向けに眠る金髪の少女を一瞥して尋ねるアルに、クルスは気を取り直して、
「それもあるけど、一番の特徴は“人間の目から見てかなりの美形”ってことね。その子を見ればすぐ分かると思うけど、子供の時点でも既にそのレベルなのだから、大人のエルフは街中を歩いたら人目を惹くどころじゃない騒ぎになるでしょうね」
「とはいっても、普段僕達の住む街とかにエルフが姿を現すことはあまり無いけどね。エルフはこういった深い森の中で独自のコミュニティを形成していて、外に出てくること自体が稀だから。大衆向けの酒場では、エルフを見たってだけのエピソードが鉄板ネタになっているくらいだし」
クルスの説明に補足を加える形で横から口を挟むシンに、クルスは少しだけ不機嫌そうに彼を見遣るもののそれ以上は何も言わなかった。
たとえ何か言いたいことがあったとしても、即座に次の質問をぶつけてきたアルに遮られただろうが。
「森の中に住んでるってことは、森の中での戦い方も熟知してるってこと?」
「その通り。エルフには“森の番人”って異名もあるくらい、とにかく森の中での戦いに長けているわ。今こうして撃ってきてる矢も、風系統の魔術で威力や耐久力を強化したり軌道を操ったりしているんでしょうね。――そう考えると、私達がこうして開けた場所にいたのは幸運だったかもしれないわ」
ぱんっ! ぱんっ! と未だに続く矢での攻撃を、クルスは気流で出来た壁の内側から緊張の面持ちで見上げていた。矢の飛んでくる方向はもはや限定することすら難しいほどに多岐に渡り、姿は見えないものの完全に広場を囲まれていることを意味している。
気流の壁に守られているとはいえ、それ自体は目に見えない透明なものだ。中にいる物からしたら、何も隔てる物の無い状態で通常よりも速い矢がこちらに飛んでくる光景である。そんな状況に耐えかねて、とうとうバニラが体を震わせて大声をあげた。
「な、なんでそんな人達が、私達のことをいきなり襲ってきたんですか!」
「ほぼ間違いなく、この子が原因じゃないかしら?」
クルスはそう言って、仰向けに眠る金髪の少女を一瞥した。
「も、もしかして、私達がこの子を怪我させたと勘違いして怒ってるってことですか! それだったら、勘違いだってことを説明すれば――」
「もしかしたら、その逆だって有り得るんじゃない? 僕達を襲ってる奴らから逃げるためにこの子は森の中を歩き回っていた、とか」
『いずれにしても、まずは会話ができる状況にまで持っていかないといけませんな。この状況は、互いにとってジリ貧ですぞ』
「そうねぇ。向こうもそれは分かってるだろうし、仕掛けるとしたら多分そろそろ――」
クルスがそんな風に分析していた、そのときだった。
ばしゅっ――!
今までは気流の壁で真っ二つに折られるだけだった矢が、その壁に辿り着く直前で地面に突き刺さるようになった。それも全方向から飛んでくる矢が一斉に同じ行動を取り、魔術で強化されているだけあって地面が大きく削られ、その度に大量の土や芝生が宙を舞った。
そしてそれら土や芝生が、目の前にある気流の壁に吸い寄せられるように風に乗って運ばれ、目に見えない透明の壁だった気流の壁を緑と茶の
そしてその結果、アル達のいる場所から、周りを囲む森の景色が一切見えなくなった。
「成程、考えたわね!」
クルスのその言葉は相手を褒め称えるような内容ではあったが、その表情はむしろ苛立ちで溢れている。他の面々も彼女ほどではないにしろ、透明でなくなった気流の壁を睨みつけていた。
そして彼女達は自然と、金髪の少女を介抱していたバニラを中心に集まっていた。
「アル! バニラ! あなた達はこの子の傍にいなさい! ――ヴィナ、悪いけど協力してくれるかしら!」
ここまで一言も喋らず、存在感も希薄なせいでここにいたのかどうかさえ怪しかったヴィナにクルスが尋ねると、ヴィナはちらりと一瞥するだけで何も答えなかった。
しかし彼女が嫌なときはしっかり嫌だと口にする性格であることを知っているクルスは、それを了承の返事と受け取って即席の陣営を形成し始めた。金髪の少女・バニラ・アルの3人を囲みながら、クルス・シン・ヴィナの3人がそれぞれ別の方向を警戒する。フゥも同じように森から出てくるであろう敵、そして万が一のために空からの襲撃を警戒してもらう。
ちなみにアーノルドは、現在はシンの胸ポケットからバニラの胸ポケットへと移っていた。
「えっと……、ところでアーノルドさんって、戦闘の方は……」
『申し訳ありませぬ、バニラ殿。私に戦闘力は期待なさらないでくださいませ』
「ですよねぇ……」
バニラが乾いた笑い声をあげたそのとき、
「フゥ! 魔術を解除して、奴らにお見舞いしなさい!」
「ガウゥッ!」
クルスの呼び掛けにフゥが返事したその瞬間、彼女達の周りを取り囲んで渦を巻いていた気流の壁がさらに加速した。大量の空気が動く地響きのような風の音に、風に乗る土や砂粒同士が擦れ合う甲高い音が混在し、緑と茶の斑模様だった壁が完全に2つの色の混ざり合ったそれへと変貌を遂げる。
そして渦はその勢いを保ったまま、その直径を急激に大きくして、周辺の森に強烈な風と土と砂粒と芝生を叩きつけた。まるで爆発でも起こったかのような衝撃と音を周囲に響かせて、幾つかの木々がそれに耐えきれずにバキバキと音をたてて折れていくのが聞こえた。
クルス達の司会を遮るものは、何も無くなった。
そしてその直後、広場近くの木の陰に隠れていたらしい男女が5人ほど、様々な場所から一斉に飛び出して姿を現した。全員が煌くような金髪や銀髪を靡かせ、男女問わずハッと息を呑むほどの美貌であることから、クルス達の見立て通りエルフで間違いないだろう。
そんなエルフ達の全員が弓矢を手にしており、次の瞬間には流れるような動きで矢の羽根に弓の弦を掛けて引き絞り、一斉にこちらへと狙いを定めていた。
「――――」
その瞬間、クルスは杖を構えて呪文を詠唱し、杖の先端から飛び出した雷で自分に狙いを定めていた2人のエルフをほとんど同時に攻撃した。彼らは一瞬体をビクンッ! と跳ね上げさせると、そのまま地面に崩れ落ちて動かなくなった。
シンの正面にも男のエルフが1人いて、彼の頭に狙いを定めて矢が放たれた。風系統の魔術で推進力を強化しているのか、普通よりも圧倒的なスピードで彼の頭に迫るが、杖を握っている彼の表情は実に冷静なもので、何やら小さく口を動かしたかと思うと、その矢が独りでに軌道を反らしてまったく見当外れの方へと飛び去っていった。
その光景に驚きで目を見開くエルフだったが、直後に彼の体が何かに引っ張られるように後ろへ飛び退き、近くにあった木の幹に強く叩きつけられた。その衝撃で彼は苦悶の表情を浮かべて地面に寝そべり、やがて静かに意識を失った。
「…………」
ヴィナの正面にはそれぞれ男女1人ずつエルフがいて、一方が弓を構える間にもう一方が矢を放つ、というコンビネーションを見せていた。しかし魔術によって耐久力を上げているであろうその矢は、半分ほど過ぎたところでヴィナの杖から飛び出す炎の塊と正面衝突し、灰となって影も形も無くなっていた。完全に狙いを読まれ、全ての攻撃をことごとく防がれていることに、2人のエルフは目に見えて焦りを覚えていた。
だからなのか、見事なコンビネーションに若干の乱れが生じ、ほんの少しだけ攻撃の間が空いた。並みの魔術師だったら特に問題無かったのだが、最初からそれを狙っていたヴィナが見逃すはずもなく、矢を撃ち落とすときよりも大きな炎の塊が2つ、2人のエルフに襲い掛かった。どうやら自分自身にも魔術を掛けていたようで体に火が付くことは無かったものの、その衝撃に2人は持っていた弓矢を離してしまった。
「…………」
その隙を突いて、ヴィナが再び仕掛けた。先程の炎の塊よりも圧縮させ、まるで矢のように細い軌道を描いて空中を突き進んでいく《フレイム・アロー》ならば、いくら魔術で耐久力を上げようがそれすらも貫通して2人のエルフを消し炭に――
「や、止めてくださいっ!」
背後から突然浴びせられたその叫び声に、ヴィナは咄嗟に後ろを振り返った。
つい先程まで眠っていた金髪の少女が、悲痛な表情を浮かべてこちらを見つめていた。くっきりと大きな2つの瞳は澄んだ空色をしており、涙を堪えているからか高級な宝石であるかのようにキラキラと輝きを放っている。
そして彼女の両隣では、突然大声をあげた少女に驚くアルとバニラの様子が見られた。
「お願いします……。あの人達は、私にとって大事な家族なんです……。いきなり攻撃したことは私からも謝りますので、どうか殺さないでください……」
そして少女は、今度はヴィナの正面で困惑の表情を見せるエルフへと視線を向けて、
「みんなも、この人達を攻撃しないで! この人達は、怪我していた私を助けてくれたの!」
その呼び掛けが効いたのか、2人のエルフはゆっくりと全身の力を抜いて両手を肩の高さにまで上げた。これ以上戦闘の意思が無いことを示すジェスチャーだと思われ、別に自分達に立ちはだからなければ無闇に殺したりしないヴィナも、彼らに見せつけるように自分の胸ポケットに杖をしまった。もっとも彼女の場合、何かあれば即座に杖を取り出せるように内心で警戒は怠っていないのだろうが。
『いやはや、一時はどうかるかと思いましたが、大事に至らなくて何よりですな』
「…………」
自分の胸ポケットでそう呟くアーノルドに、バニラは何とも言い難い表情で、クルスとシンの向こう側で未だに気絶しているエルフ3人を見つめていた。