〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第83話

 この世界における農業というのは、大きく分かれて3つの方法がある。

 1つ目は、全て人間の手で田畑などを整備して作物を育てる方法。品質にこだわった一級品を育てるには最も適しているが、出荷までに数ヶ月から数年単位で時間が掛かる、天候に左右されやすく収入が安定しない、重労働となるため女性や高齢者には負担が大きい、など多くの短所がある。主に健康に気を遣う(ほどの余裕がある)富裕層が、この方法で育てた作物を好んで食している。

 2つ目は、植物系統の緑魔術で食べられる品種の植物を直接作ってしまう方法。これを“農業”と呼称して良いか迷うところではあるが、『食物を生産する』という目的は一致する。魔力を材料としてほぼ一瞬で作物を生成できるため、1つ目の方法で挙げた短所はほぼ補えるが、品質に関しては(術者の力量に依るとはいえ)大抵は普通に育てたものに劣る。その代わり安価で市場に並べられるため、あまり経済的余裕の無い人々が主な購入層となる。

 そして3つ目は、先に挙げた2つの手法を複合した方法。基本的な流れは人の手で作る1つ目の方法と類似するが、土を耕す、種を植える、雑草を取り除く、収穫する、といった様々な作業において魔術を利用する。1つ目の方法よりも体の負担が少なく、天候の変化に応じて魔術を用いる(降水量が少なくなれば青魔術で雨を発生させるなど)ことで生産性も安定し、魔術で一から生成したものよりも品質が高い。大規模な農場を運営することに優れているため、現在市場に並ぶ作物の大多数がこの手法で生産されたものである。

 

 農業が盛んなランカッシュ領では、特にその傾向が顕著である。エルフ達の住む広大な森を抜けた先にある、細い川が蜘蛛の巣のように張り巡らされている起伏の少ない平野では、非常に大きく区分けされた畑のそれぞれにて異なる作物が育てられている。区画ごとに作物の色に染まったその光景は、まるでピースの少ない子供向けのジグソーパズルのようである。

 そしてそれは、現在のクルス達のように、空高く突き進むドラゴンの背中に取り付けた籠から見下ろせばより分かりやすいことだろう。

 

「おぉっ! 凄い景色だねぇ!」

「う、うん、そうだね……」

 

 しかし現在その景色を純粋に楽しんでいるのは、籠から身を乗り出して感嘆の声をあげるアルのみで、一応彼女に返事をしているバニラもその表情は緊張を帯びたぎこちないものだ。クルスやシンは余計なお喋りはせずに黙り込み、ヴィナも我関せずといった無表情でアルに寄り添い、アーノルドはそもそもネズミなので表情なんて読めない。

 そして籠の前方であぐらを掻いて座るエイシアは、全員に背中を向けているため表情を窺い知ることはできない。しかしガタガタと落ち着きなく貧乏揺すりをしているその様子から、抑えようのない苛立ちと焦燥感が迸っていることは容易に想像できた。

 ちなみにエルフ達の中で、クルス達に同行したのは彼女のみである。襲撃のときに一緒にいた4人のエルフは、1人はユフィの付き添いとして一足早く仲間の下へ帰り、残る3人は付近の警察が到着するまで老婆が怪しい行動をしないか見張っているところだ。

 

「エイシア、どうせ言っても無駄だろうけど、少しは落ち着きなさい」

「それは無理な相談というものだ。子供達が今にも低俗な輩に売り渡されようとしているというのに、落ち着いてなどいられるはずがない」

 

 そりゃそうだ、とクルスはそれ以上何も言わなかった。

 老婆から聞き出した情報によって、彼女が子供達を売り渡した組織がランカッシュ領のプレスに拠点を置いていることまでは聞き出せた。しかし肝心の組織の名前や具体的な場所など、それ以上詳しい情報については彼女も知らされていなかった。彼女の役割はあくまでも“商品の仕入れ”であり、その商品が()()()()()売り渡されるのかまで把握する必要は無かったということだろう。あるいは、だからこそ彼女は犯罪組織相手に商売ができたとも言える。

 街まで特定できたとはいえ、人口が数十万人と推測されるほどにもなればその広さは相当なものだ。そんな街中をたった数人だけで探し回ったところで、たとえ運良く見つけたとしてもその頃には既に色々と手遅れになっていることだろう。

 

「あの、マンチェスタ先生。警察と協力して、一緒に探してもらうっていうのはどうですか?」

 

 遠慮がちに提案するバニラだが、その作戦は有効どころか最善手の1つと言えるだろう。警察ならば目的の組織に関する情報を或る程度掴んでいる可能性は大いにあるし、そうでなくとも組織力を駆使した情報収集能力はけっして馬鹿にできない練度を誇る。

 とはいえ、まったく訂正する箇所が無いというわけではない。

 例えば、

 

「バニラ様、プレスには専門機関としての警察組織は存在していません。街を守っているランカッシュ家の私設部隊が、警察の役割も兼任している状況でございます」

「あっ、そうだったんですか。大きい街だと聞いてたので、てっきり警察もあるのかと……。でも“兼任”ってことは、警察でもあるってことですよね? だったら事情を説明すれば、協力してくれるんじゃないでしょうか?」

「確かに、彼らの協力を得られればそれに超したことはないんだけどもねぇ……」

 

 何やら含みを持たせたクルスの言葉に、バニラの表情に不安の色が浮かぶ。

 

「……何か、問題があるんですか?」

「私達の言葉を、はたして彼らがどこまで信用してくれるか、信用したとしてもどこまで本腰入れて協力してくれるか、といったところね」

 

 クルスはそこで一旦言葉を区切り、エイシアの方を一瞥してから再び口を開く。

 

「誘拐されたのはプレスの住民ではなく、そこから遠く離れた森に住むエルフの子供達。そして肝心の証言も、緊急事態とはいえ、私達があのお婆さんを脅してむりやり聞き出したもの。いざとなったら私の家名でむりやり動かす、なんてこともできなくはないけど、そんな状態で調査させたところで、どこまで結果を期待できるのやら――」

「で、でも! 自分達の街で、今まさに人身売買が行われようとしてるんですよ! 本職の警察官じゃなかったとしても、そんなの聞いたら何とかしたいって思ってくれるんじゃ――」

「クルスが言っているのは、あくまで警察が“非協力的”だった場合。本当にまずいのは、彼らが僕らに対して“敵対的”だった場合だよ」

「敵対的……?」

 

 2人の会話に割り込む形でシンの口から飛び出したその言葉は、バニラにとって思いも寄らないものだった。

 

「そ、それって、どういうことですか……?」

「人身売買なんて大それたことをやってるような奴らだ、警察や権力者に賄賂を渡して自分達を見逃してもらおうって考えたって不思議じゃない。そして仮にそれが本当だった場合、僕達みたいに組織の存在を暴き出そうと動いている者が現れた場合、賄賂を貰っている連中はどういう行動に出るだろうね」

「――そ、そんな! お金を貰えるからって、犯罪行為に目を瞑るなんて――」

「あるいは賄賂ではなく、“脅迫”という手段に出ているかもしれない。自分だけじゃなく、その人が大切に想っている家族や恋人の命を脅かすようなことを言われたら、正義感の強い人でも、いや、そんな人だからこそ手出しできなくなってしまうんじゃないかな?」

「そ、それは……」

 

 反論しようとしたバニラだったが、だんだんと言葉を詰まらせ、その視線もシンから逃げるように俯かれていった。

 そんな彼女に、シンは苦笑いのような困った笑みを浮かべて、

 

「まぁ、仮にそんなことが無かったとしても、組織の人間を警察の中に潜り込ませるくらいのことはやってるかもしれない。それでもしこっちの情報が向こうに筒抜けになったら、こっちが踏み込む前に逃げられてしまう。――だから警察とかの協力を仰ぐときは、かなり慎重にやらないといけないんだ」

「……ね、ねぇ、アルちゃんはどう思う?」

 

 今までの会話を聞いている素振りも無く眼下の景色を眺めていたアルだったが、バニラが呼び掛けると即座に反応して振り返った。“目は口ほどに物を言う”とはよく言うが、バニラは目どころか顔全体でアルが自分を助けてくれることを期待していることをアピールしていた。もちろん、本人はまったくの無自覚だろうが。

 そんな彼女に見つめられる中、アルはバニラではなくクルスへと視線を移し、

 

「ねぇクルス、プレスって街で観光客に人気の料理って何かある?」

「料理? そうねぇ、野菜がよく採れる場所だから、高圧力でその野菜を丸ごと煮込んだスープとか、焦げ目が付くまで丸ごと焼いたグリルとか、そういうのが色々な店ごとに出ていたかしら?」

「おぉっ、美味しそう! 街に着いたら、さっそくそれを食べに行ってみよう!」

「え、えっと、アルちゃん……?」

 

 自分の質問そっちのけではしゃぐアルに、バニラが遠慮がちに呼び掛ける。

 

「その、アルちゃん、さすがに今は食べてる余裕は無いんじゃないかな……?」

「えぇっ? だってさっきからお腹が空いて仕方がないんだよ!」

「いや、お昼にお弁当をたくさん食べてたし、あのお婆さんの家でも食べてたよね?」

「お弁当はアジトを探している最中だったからほとんど掻き込む感じだったし、あのお婆さんが出したのだって普通の1人前だけじゃん。何だか食べた気がしなくてさぁ」

「…………」

 

 手すりに寄り掛かって大きな溜息を吐くアルに、バニラは口をモゴモゴさせて何か言いたげにしていたが、結局それを声に出すことはせずに溜息1つに留めた。彼女に対して呆れ果てて何も言えなくなったのか、それとも自分より言いたいことがあるであろうエイシアが何も言わず黙り込んでいることに配慮したのか、あるいはその両方か。

 その代わり、バニラはクルスへと顔を向けて疑問を口にする。

 

「それじゃマンチェスタ先生、プレスでどうやって子供達を見つけるんですか?」

「それについては追々説明するとして……。ほら、見えてきたわよ」

 

 クルスがそう言って指差すのに合わせて、他の全員が一斉に前方へと目を凝らした。

 ほぼ直線で区切られた畑と、その中を突っ切って張り巡らされた細い川、そしてほんの微かにしか確認できないほど遙か遠くの山脈以外何も無かった地平線から、自然界ではまず見ることのない色をした構造物が所狭しと並べられている街が顔を出すのが見えた。

 

 

 *         *         *

 

 

 プレスの高級住宅街の中でも一際目立つブエルロッシュの屋敷、その地下階の奥深くにひっそりと存在する地下牢にて。

 

「ほら、飯だ」

 

 見張りの男がぶっきらぼうにそう言いながら、トレイに載せた食事を4つ、専用の穴から牢屋の中へと差し入れられた。

 鉄格子から離れて壁に寄り掛かり互いに身を寄せ合っていた4人だが、ワインレッドの髪の女性がゆっくりと起き上がってその食事を取りに行った。4つあるトレイの内3つを手に取り、先程の場所から動かずに縮こまっている3人の子供達へと手渡しする。

 

 メニューは固いパンが1つと野菜の切れ端が浮かぶスープと、オブラートに包んだ表現をすれば“質素”なものではあるものの、少なくとも空腹や栄養失調で倒れるような心配は無さそうだ。あくまで彼女達は“商品”であり、売りに出すまでは最低限の“品質維持”に努めるということだろう。

 食事を受け取った子供達だが、しばらくの間それをじっと見つめたまま、すぐに手を出そうとはしなかった。おそらく老婆から貰った菓子に手を付けたせいでここに連れて来られたという経験が、一種のトラウマとして彼女達の脳内にこびり付いているようだ。

 

「大丈夫だ、何も入っていないよ」

 

 しかし、食事を差し入れられた場所に座り込んでそれを口に運ぶ女性の言葉に、子供達は恐る恐るスープを口にした。そしてスープの味がじんわりと口いっぱいに広がったその瞬間、元々空腹に耐えかねていた子供達は(たが)が外れたようにそれを掻き込み始めた。子供の顎の力では食い千切るのが困難な固いパンも、スープに浸して柔らかくしながら食べ進めていく。

 女性はそんな彼女達を慈しむような優しい目つきで眺めていたが、彼女のすぐ近く、鉄格子を挟んだ向こう側から見張りの男が鼻から勢いよく息を吐きだす音が聞こえた。

 

「はんっ、まるで家畜だな」

「そういうおまえは、ご主人様の命令に尻尾を振って従うペットだろう?」

 

 皮肉たっぷりに返した女性の言葉に、見張りの男が眉を吊り上げて彼女を睨みつけた。

 しかし彼女はそれを怖がる様子も無く、クスリと笑みを漏らすと、

 

「気を悪くしたのなら申し訳ない。――せっかくだ、話し相手になってくれないか? 彼女達はただ怖がって私に甘えるだけで、暇を潰す話し相手にはなり得ないからな」

「……悪いが、おまえ達とはあまり話をするなと言われていてな」

「そう固いことを言うな。こうして閉じ込められているせいで、私も色々と持て余しているんだ。――色々と、な」

 

 彼女は意味ありげにそう言うと、男の方に体を寄せながらじっと彼の顔を見つめてきた。

 それを見つめ返す男の喉が、ゴクリと鳴った。豊満ながら引き締まっているという矛盾を体現している彼女の魅力的な体は、現在粗末な1枚の布のような服を身に纏っているだけで、彼女の体つきが服の上からでもハッキリと見て取れる。しかも彼女のすべらかな褐色の肌が弱々しい地下牢の明かりに照りつけられ、彼女のちょっとした動きに合わせて艶めかしく動くその肢体を立体的に強調している。

 

「……まぁ、最後に人間らしい会話をさせてやっても良いだろう。どうせここから出て誰かに売り渡されれば、まともな会話すらできなくなるだろうからな」

「ふふふ、そうこなくっちゃな」

 

 腕を組んでやけに尊大な態度で了承する男に、女性はニッコリと笑みを浮かべてそう答えた。形の良い艶やかな唇が弧を描く様を盗み見て、男は再び小さく喉を鳴らした。

 もっともそういった視線や仕草というのは、本人は隠しているつもりでも相手は案外バレバレだったりするのだが、女性はそんなことをおくびにも出さずに笑顔を崩さなかった。

 

「それで結局のところ、私達が売りに出されるまで後どれくらいなんだ?」

「ふんっ。そんなことを知ったところでどうする、心の準備でもしておくつもりか? ――まぁ良い。俺も細かいことは知らされていないが、おそらく2、3日中には“パーティー”が催されるだろうな。刺激を求める金持ちが、あちこちから大勢集まってくると聞いている」

「成程、“パーティー”か。さしずめ私達が出品されるオークションも、そんなパーティに集まるお客様を盛り上げる余興といったところか。そのパーティーというのは、私達みたいな者をどこかから連れて来る度に催されるのかな?」

「まぁな。とはいっても、あのエルフのガキみたいにどっかから誘拐されるのは、どっちかといえば珍しいな。大体は()()()()()()()、ブエルロッシュ様から借金した奴が金を返せなくなって、代わりにそいつの娘や妻を貰う場合が多い。――とはいえ、おまえほどの容姿を持った女が売りに出されることは滅多に無ければ、ましてやエルフの子供が3人なんてのも初めてのことだ、きっと今までで一番の盛り上がりになるだろうよ。光栄に思うこったな」

 

 自分の方が立場が上であることをアピールするためか、男は女性の質問に高圧的な態度と皮肉を交えて答えてみせた。ペラペラと饒舌に喋っているのも、それだけ余裕があるということを示す一環だろう。

 

「そのパーティーで出品されるのは人だけか? 普通のオークションみたいに、何か珍しい物が出品されたりはしないのか?」

「そりゃまぁ、元々は“借金のカタで手に入れた物を売り捌く”ためのオークションだからな。本来なら美術館辺りに飾られていそうな美術品や調度品、訳あって表舞台には出せない存在すら極秘の代物とか、とにかく物好きの金持ちが興味を持ちそうなヤツは片っ端から出品されるらしい」

「成程な。――今回は、そういった物は何か出品されないのか?」

 

 女性の質問に男は「あぁん?」と面倒臭そうな声を出しながらも、明後日の方に視線を向けて自身の記憶を掘り起こす。

 

「確か、珍しい機能が付いた道具が1つ売りに出される、ってのを聞いた気がするが……」

「ほう、それは興味深いな。その“珍しい機能”っていうのは、具体的にはどんななんだ?」

「あぁ? そんなの、俺が知るわけがないだろ」

 

 男が吐き捨てるようにそう言うと、先程からずっと口元に笑みを浮かべていた女性がスッと真顔になり、首を横に振って溜息を吐きながらおもむろに立ち上がった。

 

「おい、色々と持て余してるんじゃないのか?」

 

 1歩1歩遠ざかっていく女性の背中に男が呼び掛けると、彼女は首だけを回して流し目で彼を見遣ると、

 

「おまえじゃ私を満足させてくれそうにないんでな、他の奴に解消させてもらうことにするよ」

 

 女性はフッと笑みを漏らしてそう言い残すと、顔を戻してスタスタと奥へと歩いていった。

 

「……何なんだよ、ったく」

 

 鉄格子越しにそれを見つめていた男は、舌打ち混じりにそう呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 国境沿いということもあって、かつては激しい戦火に見舞われたマンチェスタ領。元々はそこの一部だったランカッシュ領の主要都市も、王都のロンドと同じように立派な城壁で囲まれている場合が多い。プレスもそれは例外でなく、戦争が行われなくなって100年ほど経った現在でも城壁がほとんど朽ちることなく健在だ。

 しかし見た目の堅牢さに反して、街の出入りの際に行われる衛兵による検査はそれほど厳しいものではない。よほど怪しい言動や見た目をしている者でない限り、持っている荷物の中をザッと覗き込むだけという、ほとんど形骸化した手荷物検査だけで済ましてしまう。経済的に潤っているとはいえ、わざわざテロの標的にするほどの旨味が少ない地方都市でしかないから、というのが大きな理由だろう。

 

「ふあぁ……」

 

 衛兵の1人である(よわい)二十代前半ほどのこの男も、自分の仕事をさほど重要だと考えていないようで、仕事中にも拘わらず大きなあくびをかましていた。そもそも彼が領主の私設部隊に入ったのも、街の平和を守りたいといった崇高な理由などではなく、単純に剣や魔術を振り回して暴れても許されるからというふざけた理由によるものなので、碌に体も動かさない今の仕事に身が入らないのも当然といえば当然かもしれない。

 大した運動もしていないのに全身に纏わりつく気怠さを溜息で誤魔化しながら、彼は馬車に乗った商人らしき男の荷物をほんの数秒だけ覗いただけで検査を切り上げた。あまりに検査が早く終わり逆に困惑している商人を尻目に、彼は記入が義務付けられている報告書の必要事項をサラサラと書き連ねていった。いかにも丁寧に仕事をしたかのように詳細をでっち上げ、しかもそれが嘘とバレないように数種類のパターンを使い分けるというのが、彼がこの仕事に就いてから真っ先に覚えた“技術”である。

 

「はい、次の方どうぞー」

 

 そして報告書を書き上げるかどうかというタイミングで、彼は実に気の抜けた声で門の外へと呼び掛けた。彼が手荷物検査をしているのは門の中に入ってすぐの広場であり、手荷物検査を待つ人々の行列は城壁の外側で壁沿いに作られているので、ちょうど彼の位置からは行列が見えないのである。

 なので彼の声に応えて門を潜り抜けて初めて、彼は“次の方”を確認することができる。

 人数は6人で、内訳は大人3人と子供3人。馬車などの乗り物に乗らず歩いてこちらに来るということは、ここまでの移動手段は空を飛んで人を乗せる大型の動物なのだろう。ちなみにそういった動物は防衛上の理由から街中に入れることができないため、門の外に設置された公営施設に有料で預けることになる。

 子供の1人が緑色の髪と瞳という、少なくとも彼は初めて見掛ける珍しい色をしていること以外、特に変わった様子は見られない。先頭を歩く金髪の美女が手ぶらで、代わりにその隣にいるどこか冴えない男が大量の荷物を抱えているのも、特段珍しい光景ではない。

 

 しかし彼は、集団の一番後ろを隠れるように歩く1人の人物を、先程よりも若干真剣な眼差しで見つめていた。

 本格的に夏の気候に突入したことで、この日の最高気温も外を歩く人々が汗を滲ませるほどに暑い。にも拘わらず、その人物は全身を覆うほどの外套を全てのボタンを閉じて身に付け、しかもご丁寧にフードまで被っているので顔もほとんど見えない。体格すら隠しているため断定はできないが、全体的な線の細さから女性ではないかという憶測が立つ。

 

「手荷物検査って、どうすれば良いのかしら? この場で全部広げる?」

「……いえ、口を開けて中身を見せてくれれば大丈夫ですよ」

 

 ジロジロとその人物を観察していた彼だが、金髪の美女が話し掛けてきたため一旦それを中断し、手荷物検査の職務を始めていった。とはいっても先程も述べた通り彼はけっして真面目ではないので、鞄を1つ1つサッと覗き見するだけで碌に中を改めようとはしないのだが、それでも6人分の旅支度ということもあって鞄の数もそれなりに多い。

 

「この街には何をしに?」

「ちょっとした観光よ。この街は商人が多く行き交って賑わっていると聞いたのだけど、あまり並んでいる様子が無いのね」

「今日はたまたま少ないですけど、いつもはもう少し観光客も商人もやって来ますよ。まぁ、もう少ししたら農作物の収穫期になるんで、そのときには全然比べ物にならないほど大勢の商人がやって来ますけど」

「そういうときでも、荷物を全部調べなきゃならないんでしょ? 大変なお仕事ね」

「あははっ、ありがとうございます。でも何年もやってれば“効率の良いやり方”が分かってくるんで、思っているより大変ではないですけどね」

 

 金髪の美女とそんな会話を交わしながら、彼は次々と鞄の中を覗き込んで手荷物検査を進めていく。冴えない男の持っていた荷物を確認し終え、そして3人の子供達がそれぞれ抱える荷物のチェックもすぐに終わった。

 あとは彼女達を街の中へと通し、いつも通り中身をでっち上げた報告書を仕上げればそれで完了である。

 しかし彼はここで、普段とは違う行動を取った。

 

「すいません。そこの後ろにいる方、フードを外して顔を確認させてもらえますか?」

「…………」

 

 外套に身を包んだその人物は、彼の呼び掛けに逡巡するような態度を見せるも、金髪の美女がそちらを向いて小さく頷いたことからか、ゆっくりとした動きでそのフードを後ろへとずらしてその顔を露わにした。

 その瞬間、彼は思わず息を呑んだ。

 最高級の衣服に使われる上質な絹糸を連想させる金色の長い髪、それ自身が輝きを放っているのではないかと思うほどに透き通った白い肌、そしてどんな著名な芸術家でも再現できないのではと思わせるほどに美しく整った相貌。

 そんな彼女の顔の両端には、上半分が上方向に尖った特徴的な外見をした耳が金髪を掻き分けて見えていた。

 

「……いやはや、エルフの方でしたか。エルフを見るのはこれが初めてですが、噂以上の美貌ですね。人間嫌いだと伺っていましたが、今日はどのような目的でここに?」

「観光だ」

「……そ、そうでしたか。良い思い出となることをお祈り致します」

「あぁ、私もそれを祈っているよ」

 

 エルフの女生徒の短い会話を終えた彼は、どこかボーッとしたような顔つきで「検査は以上です」と金髪の美女に伝えた。それを受けて、エルフの女性を含めた6人は、来たときと同じように冴えない男が荷物のほとんどを抱えて街の中へと歩いていく。

 しばらく彼女達の後ろ姿を眺めていた彼だが、ふと我に返ったようにハッとした表情になると、先程の検査に対する報告書を書き始めた。ザッと確認した荷物の中身を元にして、それなりに手間を掛けて調べたように見えるよう内容を膨らませて記入欄を埋めていく。

 そして最後の“備考欄”に差し掛かったところで、それまで淀み無く動いていた彼のペンがピタリと止まった。そこは特段変わったことが無ければ書く必要の無い項目であり、なので彼は普段そこを記入したことはほとんど無かった。

 しばらく迷う素振りを見せていた彼は、最終的にその備考欄に『エルフの女性:1名』と書いて報告書作成を締めくくった。

 

 

 

 

「何ていうか、思ったよりもあっさり終わったね。もうちょっと何かあるかと思ったけど」

「えぇ、あっさり終わったわね。あまりにもあっさりし過ぎてるくらいに」

 

 後ろを振り返っても先程潜った門が見えなくなった辺りで唐突に口を開いたアルに、クルスがそう返事をして小さく頷いた。もしかしたら街に入るときの検査で引っかかっているかも、と淡い期待を秘かに抱いていた彼女だが、あんな雑な仕事ではたとえ馬車の荷物にエルフの子供が紛れ込んでいても見つけることはできないだろう。

 

「それでマンチェスタ先生、これからどうするんですか? さっそく聞き込みでもします?」

「調査するにしても、まずは“拠点”を確保しないとね。とりあえず、私達が泊まるホテルに向かいましょう」

「ホテルかぁ……。どうせだったら、食事が美味しい所が良いなぁ……」

 

 相変わらずのアルに、バニラが苦笑いを浮かべてツッコミを入れようと――

 

「心配はいらないわ、アル。食事の美味しさは保証付きよ」

 

 クルスの言葉に、バニラが「えっ?」と言いたげに彼女へと振り向いた。

 そんなバニラの視線を受けながら、クルスが言い放つ。

 

「何てったってこれから私達が泊まるのは、この街で一番豪華で高価なホテルなんだから」


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