〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第9話

 “赤の塔”の一階部分にある“踊り子達の食堂”。天井に描かれた、“災厄”を退いた勇者達を称えて群衆が踊っている様子を捉えたとされる絵画が、その名の由来だ。そしてその絵画からぼんやりと漏れ出ている光が、食堂中を柔らかく照らしていた。

 その食堂はとても広く、一度に50人以上は並んで座れるほどに長いテーブルが、6脚も置かれている。つまりそこでは、一度に600人以上もの人間が食事を摂れるようになっている。

 そして現在はちょうど夕食の時間であるため、そのすべての席が生徒や教師によって埋められていた。

 彼らの目の前にはそれぞれ、温野菜のサラダやトウモロコシのスープ、そして飲み物として赤ワインが置かれていた。

 しかし夕食がこれで全部かというとそんなことはなく、焼きたてのパンがいっぱいに入った籠、そしてまるまると太った豚の丸焼きが、4人に1つの間隔で振る舞われている。

 おまけに、サラダやスープはおかわり自由である。なので先程から皿に盛られたサラダやスープが、風系統の魔術に乗って彼らの頭上を忙しなく飛び交っていた。

 これだけ豪華な食事を、彼らは特に興奮した様子も無く、友人との談笑混じりに食べ進めていた。そのことから、彼らがこのような食事を日常的に食べていることが窺える。

 そんな生徒達の中に、当然のことながらバニラの姿もあった。

 彼女は特に誰とも喋ることなく、黙々と目の前の料理を食べ進めていた。肉を切り分けてそれを口へと運ぶまでに、一切音がたっていない。その所作は、周りの生徒達はもちろん、教師達と比べてもかなり洗練されたものだった。

 しかし、

 

「あらぁ、これはこれはバニラせんせぇ」

 

 自分へと話し掛けてくるその声を聞いた途端、彼女のナイフがカチャリと音をたてた。

 バニラは一瞬だけ眉をしかめた。しかし無視すると後で面倒なことになることを知っているため、仕方なくそちらへと顔を向けた。

 

「……ダイア、ちゃん」

 

 バニラの斜め前にいたのは、まさに予想通りの顔だった。バニラは本人にばれないように、ほんの少しの忌々しさを込めてその名を口にした。

 ダイアと呼ばれたその少女は、長い金髪を大きな赤いリボンで後ろに縛っていた。実はこの少女、先程シルバの授業でアルに箒を奪われていた女子生徒である。

 ダイアはにやにやと笑いながらバニラを見ていた。その笑みは、あの男子生徒から向けられたそれと酷似していた。

 そしてその表情によく似合ういやらしい声色で、バニラへと話し掛ける。

 

「バニラせんせぇ、こんなところで油を売ってて良いんですかぁ? “乞食ちゃん”との楽しいお勉強はもう宜しいんですかぁ?」

 

 バニラがここに座っていたことを知りながら、さもたった今彼女の存在に気づいたかのようなダイアの口振りに、バニラは秘かに溜息をついた。

 

「……今日は用事があったみたいだから、もう終わったの……」

「用事があったぁ? そうじゃないでしょ? ちゃんと見てたんだからね? 成功する見込みが無かったから、“先生ごっこ”を止めさせられたんでしょぉ?」

「……違うもん」

「まぁ、あんたなんかに教えられちゃ、身につくもんも身につかないわよねぇ。何てったってあんた、先生も認める、この学院始まって以来の“落ちこぼれ”なんだから」

「…………」

 

 好き勝手言うダイアに、バニラは顔を俯かせた。歯を食いしばり、拳を握りしめてそれに耐えている。

 一方ダイアは、反論が無いのを良いことに、なおも言葉を続けた。

 

「それにしても、碌に魔術もできないくせに、よくここにいられるわよねぇ。そういうの、“厚顔無恥”っていうんだっけぇ? 私だったら、耐えきれなくて自殺するかもねぇ」

「…………」

「ねぇ知ってる? あなたが未だに退学させられないでいられるのは、ただ単にあなたがヴァルシローネ家の人間だからってだけの理由なのよ? 良いわよねぇ、身分の高いお金持ちっていうのは、たったそれだけで優遇されるんだからぁ」

「…………」

「そんなあなたから教えてもらおうなんて、知らなかったとはいえ、あの乞食ちゃんも不幸よねぇ。いや、ひょっとしたら知ってたのかもしれないわねぇ。知ってて、あなたが必死に教えてるのを内心嘲笑ってたんじゃないの?」

「ア、アルちゃんは、そんな子じゃないもん……」

 

 それは、初めての反論だった。

 ダイアは一瞬だけ、目つきを鋭くした。しかしすぐさま何かを思いつくと、先程にも増してその口角を上げた。

 

「ああそっかぁ。別に誰に教えてもらおうと構わないのかぁ」

「……どういう意味?」

「箒にすら満足に乗れないようだし、どうせ魔術なんてまともに使えないんでしょ。だったら、誰に教わったってどうせ無駄なんだから、そんな意味の無いことに先生を巻き込むなんて真似はできないわよねぇ」

「……やめて」

「まぁそもそも、乞食の分際で魔術を使おうと思うこと自体がおこがましいのよねぇ。身の程をわきまえろっていうか――」

「やめて!」

 

 食堂中に、バニラの声が響いた。

 皆が一斉に動きを止め、何事かと声のした方を向いた。そしてバニラとダイアの顔を交互に見遣ると、皆一様に興味が失せたように目を逸らして食事を再開した。

 しかしバニラはそんな周りの様子など一切気にすることなく、まっすぐダイアを睨みつけていた。といっても、溢れそうな涙で瞳を潤ませながらだったが。

 やがてバニラは、まるで胸の奥から絞り出すような声で、

 

「……アルちゃんは、ダイアちゃんが言うような子じゃない……。頑張って練習すれば、いつか絶対魔術が使えるようになるんだから……。だから、勝手なこと言わないで――」

「何、生意気な口きいてんのよ」

 

 怒気を孕んだその声に、バニラは背筋がぞっとした。とっさにダイアから離れようとするも、その前にダイアがバニラの胸倉を掴み、強引に引き寄せた。その衝撃でテーブルのワインが零れ、テーブル掛けに血のような染みを作っていく。

 首の痛みと息苦しさで顔をしかめるバニラに、ダイアの声が冷たく響く。

 

「あんたみたいな“雑草を生やす”しか能の無い落ちこぼれが、一端の口きいて反抗してんじゃないわよ。――それとも何? ルークくんに優しくしてもらったからって、調子乗っちゃったりしてるわけ?」

「あ、あれはただ落とし物を拾ってもらっただけで――」

「あんたみたいな奴、どうせ誰も相手になんかしてくれないわよ? せいぜいあの乞食ちゃんと、落ちこぼれ同士傷の舐め合いでもしていたら?」

 

 ダイアは吐き捨てるようにそう言って、その手を離した。

 首が自由になったバニラだったが、しばらくの間その姿勢のまま固まっていた。やがてぴくりと指を動かしたかと思うと、彼女は何も言わずにその場を離れ、足早に食堂を出ていってしまった。

 ダイアはそれを見て、「あら、あいつでも傷つくことってあるんだ。何も言わないから、何も感じてないと思ってたわ」とけらけら笑っていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 一方、食堂内の別の一画。

 

「まったく! 図に乗るのもいい加減にしてもらいたい!」

 

 ばんっ! とテーブルを叩く音と共にそう叫んだのは、シルバだった。骨張った顔を真っ赤にする彼に周りの者は迷惑そうな視線をくれるも、その火の粉が自分に降り掛かるのが怖いのか、彼に声を掛ける者はいなかった。

 彼の正面にいる、その男を除いて。

 

「また、クルス先生のことですか?」

 

 その男の年齢は30代後半で、学院指定のローブとは違う真っ黒なそれを身に纏い、室内にも拘わらずフードをすっぽりと被っていた。フードの下から覗かせるその顔立ちは年齢の割には精悍で、そのまま澄ましていればなかなかのイケメンで通るかもしれない。

 シルバは彼の方をちらりと見て「ああ、リーゼンド先生か……」と呟くと、

 

「まったくあの女……、生徒だったときもそうだが、教師になった今でも、学院長からの信頼が厚いのを良いことに傍若無人に振る舞いやがって」

「そんなことはないでしょう。彼女はよくやっていると思いますよ」

「いいや、あいつはこの学院の“汚点”なんだ! リーゼンド先生だって、あいつの悪行はよく分かっているだろう!」

「……まぁ、確かに」

「今日なんか特にひどい! あいつ、どっかから得体の知れないガキを連れてきたかと思ったら、そいつをここに住まわせるとまで言いやがった! あの女、この学院を保健所か何かと勘違いしてんのか!」

 

 シルバはそう捲し立てると、グラスのワインを一気に煽った。

 リーゼンドと呼ばれた黒ローブの男は、そんなシルバに苦笑いを浮かべて、

 

「シルバ先生がそこまで怒るということは、その子の魔術の腕は……?」

「魔術の腕どころの話ではない! 箒に乗ることすら満足にできないクズだ! まったく、落ちこぼれはバニラ1人だけで手一杯だってのに、さらにお荷物が増えるっていうのか! そいつのせいで、誰が迷惑を被ってると思っているんだ!」

「……でしたらシルバ先生、その子のことは、私に任せてもらえませんか?」

「えっ?」

 

 突然の提案に、シルバは間抜けな声をあげた。

 リーゼンドはその精悍な顔を不気味な笑みで歪めて、

 

「要は、その子供を追い出してしまえば良いんでしょう?」

「……できるのか? 学院長が、とっくに許可してしまわれたんだぞ?」

 

 シルバの言葉にリーゼンドは、ふふふ、と笑って返した。

 そして、まるで舞台上で演じる役者のようにえらくゆっくりとした動きで立ち上がると、その不気味な笑みをシルバへと向けて、

 

「肝心の本人が、いつの間にかどこかへと消えてしまえば、さしもの学院長も取り消さざるを得ないでしょう?」

 

 

 *         *         *

 

 

 本棟から少し離れた所に建てられた、生徒が生活するための部屋が並ぶ建物である“生徒寮”。その中にある、ドアの横の札に『バニラ=ヴァルシローネ』と書かれた一室。

 そこはクルスの部屋よりも若干狭いが、勉強机と本棚と洋服箪笥、そして1人用のベッドを置いてもまだまだスペースが余るほどには広い部屋だった。しかし勉強机の上に置かれた、普段なら火が灯っているはずの燭台には何も無く、今その部屋を照らしているのは窓から差し込む月明かりだけなので、部屋はかなり薄暗い。

 そんな薄暗い部屋で、主であるバニラはベッドに顔を埋めて、泣いていた。

 顔を真っ赤にして、苦しそうに嗚咽を漏らして、ぽろぽろと涙を零していた。胸の奥底から溢れ出しそうになる何かを、拳を堅く握りしめてベッドに叩きつけることで必死に抑え込んでいた。

 バニラは、悔しかった。

 バニラは、悔しくて仕方がなかった。

 そしてそれは、けっして自分のことを悪く言われたからではなかった。

 

 ――アルちゃんは、あなたが馬鹿にして良いような子じゃない!

 

 魔術の才能に恵まれず、級友から馬鹿にされ、教師からも見放され――。そんな毎日を送っている内に、バニラの心からは、悔しさだとか怒りだとかいう感情はすっかり消え失せてしまった。

 しかしバニラの胸は今、怒りではち切れそうになっていた。

 アルのことを馬鹿にしたダイアに対して。

 そして、そんなダイアに碌に言い返せなかった自分に対して。

 やがて泣き疲れたバニラは、ふと顔を上げた。月明かりを辿るように視線を窓へと向けると、ゆっくりとした動きで立ち上がり、窓へと歩み寄った。

 漆黒の空には数え切れないほどの星が散りばめられ、そしてそのどれにも負けない輝きで満月がその存在を主張していた。それらが天然の照明の役割を果たし、外は学院を囲む塀が見えるほどに視界が開けていた。

 それを眺めながら、バニラは考える。

 アルは、自分に対して何の裏も無く接してくれた。しかしそれは、自分がどういった生徒なのかを彼女がまだ知らないからだ。

 もし彼女がそれを知ったとき、彼女はいったいどうするだろうか。

 今までと変わらずに接してくれるだろうか。

 それとも――

 

「……箒の練習しよ」

 

 アルにきちんと教えられるほどに、上手くなるために。

 ぽつりと呟いたバニラは、壁に立て掛けてあった箒を手に取ると、窓をがらりと開けた。

 涙は、乾いていた。


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