東方にねこですよろしくおねがいします   作:ランタンポップス

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初めましてのねこです。

 男は必死に逃げて、やっとの事で人里まで戻って来た。入口には三人の若者が談笑しており、最大限まで怯えた様子を見せていた男に「何事か」と駆け寄った。近付けばその、取り乱し様は常軌を逸しており、彼の黒い瞳の向こうには鈍い理性がある。

 

 

 若者三人は駆け寄り、転んで地面を這い蹲る男を起こした。手足は引っ切り無しに震え、まだそこまで寒い季節ではないのに極寒の中にいるかのようだ。それを抑えるように自身の肩を抱きしめ、丸まって座る。

 若者の一人が、これは普通では無いぞと事情を聞こうとした。

 

「えい、おじさん。どうしたか?」

 

 男はブツブツと呟いたまま。あまりの恐怖に、気が触れたのかと疑ったものだ。

 

「どうした。もしや、妖怪に襲われたか?」

「あぁ、違う違う違う……あれはなんだ、あれはなんだったんだ……」

 

 呟く男の声に聞き耳を立て、その声を拾った。男の声は非常に漠然としたもので、「あれはなんだ」を繰り返している。あれ、とは何だと若者は聞く。

 

 

「あれは森の中の木屋の中にいた……ずっと、いる……ずっと付いてくる……俺の目から逃れようとしない、ずっといるんだ……」

「何がだ? もしや、この場にいるのか!?」

「いるさ、見えないか? ほらそこだよ! その、家の影に!」

 

 若者三人は勢い良く、反射的に振り向き、男の指差す場所へ一斉に視線を送る。

 家の影はそこまで暗くなく、黒と言うより淡い青と言う風な、昼時の穏やかな影だ。子供が数人、その場所を走り抜けて行ったのだが、何に襲われる訳でも何にぶつかった訳でもない。

 

 

 何もいないじゃないか、それが若者三人の率直な感想。だが丸まる男はそこばかり指差し、狂気の一歩手前と言う程に怯えを強めているのだ。

 もう若者たちには、異常事態かと言う警戒の念は消え失せている。確かに恐ろしい思いをしたようだが、今の状況はそれにより錯乱し、幻覚症状を起こしているに過ぎないと判断したのだ。勿論、男の様子を演技だとは思わない。演技ならば、これ程の名優がいるかと言う程に鬼気迫る表情と行動をしていた。

 

 

 まずは男を宥めさせ、落ち着かせる事が最優先だと判断し、一人若者は男に声かける。

 

「えい、おじさん。ここは里だ、妖怪は襲って来んぞ。安心しろ、おじさんは逃げ切った」

「逃げ切った? 逃げ切っていない! 俺は一生逃げ切れない!」

「何を言っているんだ。報復が怖かったら慧音さんの所に助けを求めたらいい」

「誰にも救えないんだ、俺を。分かったんだ、あれが見えているのは俺だけだ。俺は一生、あれに怯えなければならない」

「だから、あれとはなんだ!」

 

 あれ、あれと、何かを言わない男に対し、痺れを切らした若者が怒鳴り付けた。

 

 

 男はまた影の所に指を差し、はっきりと言ってしまう。

 

 

「……『ねこ』だ、『ねこがいる』」

 

 再び振り向いた若者三人。そこには何も無い影があるだけだろと踏んでいた。

 だが、目を向けた瞬間三人は表情を驚きのまま固め、腰を抜かしてしまった。一人の若者に関しては情け無い悲鳴も入る。

 

 

 

 

 影には白い物体が、黙って鎮座する。

 戯画的な物体で、何処か猫を思わせる風体の妙な生物。

 顔には口と鼻など無く、のっぺりとした紙上の顔に、はっきりとした人間の見開かれた目が三人を凝視していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには『ねこです、ねこがいました』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと聞きたいんだけど」

 

 

 少女二人は階段を登っていた。

 階段の両端には木々が立ち並び、木漏れ日がテラテラと降り注ぐ、青葉の洞穴のようだ。

 

 その青葉を裂いた階段の最上には、橙色の鳥居が仁王立ち。葉の隙間から覗く青空と、深緑の木々と、それら二つと面白い具合に噛み合っていた。

 

 

「なぁ、『霊夢』の所にも来たのか?」

 

 一方の少女は、もう一方の霊夢と呼ばれる少女に質問を投げかけた。

 黒と白を強調させた、まるで魔法使いのような大きいハットを被り、そこから垂れる金髪が木漏れ日を反射させている。手には魔法使いのアナログ的なイメージに沿って、身の丈程の箒を担いでいる、奇妙な格好をした少女だ。

 

 

「来たって、手紙の事? 慧音からの」

「流石の霊夢だ、勘が冴えてるなぁ」

「なに、あんたにも来たの?」

「そうそう! なんだやっぱり、霊夢ん所にも来ていたのか」

「朝一番に、わざわざ伝書鳩で。最初は悪戯かと思ったわよ」

 

 

 質問の応答者である霊夢は、赤と白を強調させた、やや布の薄い巫女服を身に纏った少女である。ただ、不機嫌そうに下唇を突き出し、眉間に皺を寄せている様は、巫女が持つであろう清楚やら淑やかと言ったイメージにそぐわず、気難しくキツそうな雰囲気を押し出していた。

 

 

「伝書鳩飛ばすなら、自分から飛んで来た方が早いでしょうに。しかも内容が『里に来るな』だから、失笑したわ」

「あ。やっぱ、私と同じ内容か!」

「里に来るなって?」

「アリスと香霖にも来ていたんだぜ」

「はぁ?」

 

 

 霊夢は怪訝な表情を見せる。

 破門状のような内容の手紙が、自分以外の他方にも向けられていたと知れば、驚く事も無理はないだろう。

 

「んで、みんなの手紙にも、判で押したように『里に来るな』ってだけだぜ? 理由も詳細も無いし、私も悪戯だって思ったぜ」

「あんな達筆、慧音しか書けないわよ」

「なんだよなぁ」

 

 

 話しながら登っていると、いつの間にか鳥居の下をくぐれていた。

 かんかん照りの太陽は、容赦無く大地を焼いている。垂れた汗を拭いながら、二人は参道を歩いて神社の方へ足を進める。

 

 

「『魔理沙』、里に行った?」

 

 

 霊夢は魔法使いの少女こと、魔理沙に話を振った。

 すると彼女は首を振る。

 

「いや? 別に行く理由も無いし、ガラクタ集めている方が生産的だぜ」

「あんたの感性はどうでも良いわよ……」

「そう言う霊夢は?」

「別件に追われていてね、行きたくても行けないわ」

 

 

 

 

 今、二人のいる神社は『博麗神社』と呼ばれ、霊夢はそこの巫女である。つまりこの神社は、彼女の家でもあるのだ。

 その彼女が魔理沙と会ったのは、神社の階段下。彼女は何処か、出掛けた帰りだった。

 

 

「別件って?」

「『紫』に頼まれたのよ。何かが郷に入り込んだんだってさ」

「へぇ、結界を抜けて?」

「だからこそよ。全く……自分の式神が行方不明だからって私を指名って、自分の式神くらい管理しなさいっての……」

 

 

 文句をぶつぶつ言いながら、霊夢は縁側に座る。

 丁度、太陽は西側へ落ちて行く頃で、二人のいる縁側の方は影が出来ていた。少し涼んだ日陰の中で、服の襟元を引っ張って「ふぅ」と息を吐く。

 

 

「それで、入り込んだ物は分かったのか?」

「昨日の今日でまだ分からないわよ……いや、分かるハズなんだけど、私からじゃ形跡が見えないのよ」

「紫の勘違いじゃないか?」

「だとしたら、こんな炎天下に私を回らせた罪は重いわよ」

 

 霊夢の殺気さえ見える呟きに、「おいおい」と苦笑いをする魔理沙。

 

 

 確かに今日は暑い。梅雨にもまだ入っていないと言うのに、すでに真夏のカラッとした熱で満ちていた。

 これが今で言う異常気象って奴かと皮肉に思いながら、魔理沙は帽子を取って、それで仰いだ。

 

 

「話戻すけどさ……慧音らに何かあったのかな。頭ごなしに里に来るなって、寺子屋の先生とは思えないぜ」

「そうね。行くべきと思うんだけど……手紙の内容が内容だから、行き辛いのよ」

「なんかのサプライズを企画しているかもな!」

「……あり得そうね。あのド真面目、嘘とか絶対出来ないし、手紙で済ませたって可能性もあるわね」

 

 

 

 

 そよ風が吹いて、軒先に吊るした風鈴が鳴る。ガラスの音と共に、木々のざわめきが二人の会話を一旦切った。

 

 

 

「……なぁ、霊夢」

 

 

 音が止んだと同時に、魔理沙は口を開く。

 

 

「あの、さ……何か、その……」

「ん? なによ、魔理沙」

「……いや、そこには、白いの……いないかなぁって」

 

 

 唐突に訳の分からない事を言う親友。

 怪訝に思いながらも、彼女の視線の先を追ってみるものの、案の定だが何もない。神社の白い丸石が、鬱陶しいくらいに光を反射させている事以外は思うものは見当たらないだろう。

 

 

「……何も? 白いのって、この丸石?」

 

 

 霊夢のその言葉に、魔理沙は一瞬だけ絶望に似た表情を見せた……ような気がした。

 

 

 ただぼんやりと、物思いに耽っているようにも思えたし、夏の暑さにすっかり疲れているようにも思えた。そう思ったのは、次の瞬間に霊夢の方へ顔を向けて、にっこりと笑ったからだった。

 

 

「いや、何でもないぜ。夏だし、怪談の練習」

 

 

 彼女のその言葉に、思わず霊夢は失笑する。

 

 

「なによそれ。魑魅魍魎当たり前の幻想郷で、怪談?」

「いつの時代も、こう言う物は尊重されるもんだぜ! 私は慣れてるから、風鈴より涼まないけどな」

「私だってそうよ」

「ははは! 何言ってんだか、私ったらさ!」

 

 

 彼女はダウナー気味の霊夢に比べ、とても明るい。この明るさに惹かれた者はたくさんいるだろう……少し問題もあるが、彼女は人に好かれる方の人物であった。

 

 この辺りでは気難し屋で有名な霊夢さえも、魔理沙にだけは無茶振りにさえ呆れつつ付き合う。話していて自然に笑みが出て来る人物である。

 

 

 

 

「じゃっ、私はお暇しよっかな。霊夢も慧音から手紙が来たかって、確認したかっただけだし」

「冷たいお茶ぐらい出すわよ? こんな暑い中じゃ、超高速で飛んでも涼まないでしょ?」

「今から紅魔館行くし、霊夢のお茶より良いお茶飲まして貰う予定だぜ!」

「あっそ、二度と来ないで」

「じょ、冗談冗談……ははは」

 

 

 魔理沙は立ち上がると、持っていた箒に跨った。

 そのすぐに、箒は彼女を持ち上げてふわりと浮遊し始める。この光景は周知であるのか、霊夢は去りゆく彼女に手を振った。

 

「報告ありがとう。手紙ではこう言われたけど、近い内に里に行ってみるわ」

「私も慧音に久し振りに会いに行くぜ」

「じゃあ、今度またゆっくりと」

「おう! じゃあな!」

 

 

 彼女の別れの挨拶を最後に、箒は流れ星のような速度で、あっという間に遠方に消えて行ってしまった。

 魔理沙がいなくなったと同時に霊夢は手を下げ、立ち上がる。

 

 

「さて。お茶を飲まないとね。この暑さじゃ倒れちゃうわ」

 

 炎天下、既に陽炎も見え始める夏の始まり。蝉はまだ這い出て来ない時期で、静かな夏を満喫するのは今の内である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙は真っ直ぐ家へと向かわず、家のある森の入り口に、ふわりと舞い降りた。

 そもそも先程、紅魔館へ行くと言っていたのに、どう言う風の吹き回しであろうか。

 

 

 表情はさっきの朗らかなものでは無く、神妙な面持ちとなっている。その表情のまま、森の木の側に目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を向けた木から、何かが出て来た。

 それは覆い被さる木陰を無視し、太陽の元のような鮮やかな白い身体で、彼女の前に躍り出る。

 

 

 猫のようなシルエットの、奇怪な生物だ。目だけが人間のようにリアルで、鼻も口も無いのっぺりとした顔の上で、目だけがギョロリと魔理沙を眺めていた。

 

 

「……霊夢にも、見えていなかった……」

 

 

 途端に、彼女は膝から崩れ落ちた。

 倒された箒が大袈裟な音を響かせ、二回三回と転がって離れる。蝉の鳴かない森の中で、その音だけが残っているかのようだった。

 

 

 

 

 顔を上げれば、さっきの猫が目前に座っていた。

 本物の猫のする、香箱座りをしながらも首はピンを張り、爛々と目を向け魔理沙を観察しているかのようだ。気の強い魔理沙は、キッと睨み返すものの、猫は意にも介した様子を見せない。

 

 

「お前……なんなんだぜ……ずっと、ずっと見ていて、よぉ……!」

 

 

 突沸した怒りに任せ、魔理沙は偶然そこにあった小石を握り、大きく振りかぶって猫に目掛けて投げ付けた。

 

 

 

 だが石は猫に命中する事なく、猫の背後の木に当たって弾ける。この存在へは、如何なる物理的攻撃が通用しないのだ。

 

 

「なんで私だけ、なんで私だけ、なんだぜ……なんで!?」

 

 

 手を思い切り、地面に叩きつける。

 

 

 

 

 その衝撃から、彼女の懐からぽろりと、四つ折りに畳まれた紙が落ちた。紙が目に付いた魔理沙は、それを拾い上げる。

 

 

「この、手紙、だぜ……なんで、私、の、手紙だけ、こうなん……だぜ?」

 

 

 口調の歯切れが悪くなる。

 頭の中に出て来るワードを、抑えつけるような不自然な口調。力んで、頑張って、何かを抑圧するかのようだ。

 

 

 彼女は他者に会う時も、何とか頑張って耐え忍んでみせた。しかし、そろそろ限界が近いと悟ったのだ。

 どうせなら、私の気持ちを分かり合える人に会いたいと、同胞を探すかのように、今日も今日とて霊夢に会いに行ったのだろう。男勝りで気の強い彼女は、この目の前のちっぽけで間抜けな輪郭の猫一匹に心が蝕まれ始めていた。

 

 

 

 

 猫の形がはっきりして来ると同時に、頭に出て来るワードを無意識に口走りそうになる。だが彼女は稀有な感性の持ち主であった、そのワードを言えば、他のみんなが巻き込まれてしまう事を、これまた無意識で気付いた訳だ。

 

 

 きっとこの手紙を書いた慧音も、同じ感覚だっただろうに。しかし、よりによってその限界は、魔理沙への手紙で超過してしまったようなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙は手紙を開く。

 そこにはこう、書いてある。確かにそこには、霊夢らと同じく、『里に来るな』と書かれていた。

 

 

 

「里に『ねこがいます』来る『ねこがいました』な。『よろしくおねがいします』」

 

 

 

 

 目の前の猫を睨み付けて、魔理沙は口を開いた。

 

 

「……『ねこ、です』……ぜ? だぜ?『ねこ』だぜ?」

 

 

 慌てて口元を押さえ、箒を持って森の中に逃げた。

『ねこ』はその後ろを、黙って見ていました。

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