OCCULTIC★DISASTER   作:粘体スライム狂い

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依頼

冷たい朝露が新緑の草花を飾る早朝。

鳥居のない神社とも仰々しい土蔵とも言える古びた建物の前で40過ぎの中年男が汗にまみれた額を拭っていた。

右頬にある大きな痣が特徴的なその顔にははっきりとした心労が透けて見える。

男は一つ大きなため息をつくと、三重になっている扉を順に閉め、厳重に施錠した。

夜を徹した探索がついに終わったのだ。

 

「今度も生きて帰れた」

 

安堵の表情を浮かべると男は重厚な扉の前にへたり込んでしまう。

よっぽどの緊張を強いられる環境にいたのだろう。

目元に刻まれた幾重もの皺を解きほぐすように目頭を揉む。

 

その時、男の耳に軽快な電子音が届いた。

音の発生源はたった今閉めたばかりの入口の横に置かれた藤籠だ。

そこには男が作業を始める前に入れた私物の数々がある。

鳴っているのは男の携帯電話だった。

 

眉をしかめ疲労した体をのそりと動かすと男は携帯電話を手に取る。

 

「藤堂です。ついさっき確認し終わりましたが、こちらには来ていないようです」

 

刺繍が施された紫色の袴についた埃を払いながら、要件などわかりきっているとばかりに藤堂は電話の相手に報告した。

 

「……いえ、あと一か所探さないといけない場所があります。ただ、私自身が探すわけにはいかないので暫く時間をいただくことになると思いますが。……ええ、わかりました。確認が取れたら連絡します」

 

通話を切ると藤堂は深いため息をついた。

胃に痛みを感じているかのように腹部をさすりながら、のっそりと立ち上がる。

 

「できることなら会いたくないが、電話で済ませては失礼になる。……胃薬飲むかぁ」

 

藤堂は顔をしかめながら天を仰ぐ。

東の空が白み、薄い日光が世界に差し込まれていく。

 

「当代の霞銀星(かすみぎんせい)。葬式以外で会う事になるなんて思わなかったな」

 

藤堂は背後の建物を振り返ると、深く一礼しその場を離れる。

人気のなくなった建物の入口の上、漆喰の塗られた純白の妻壁で、五芒星に日本画の霞を合わせたような紋章が日光を浴びて黒々と輝いていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「それと、最近とても物騒になっています。皆さんもニュースで見たでしょうが隣県で通り魔が出ました。隣県だからと言って油断せず早めの下校と人通りの多い道を通っての帰宅を心がけてください」

 

まだ30代というのに月代(さかやき)を剃った侍のような頭部を持つ担任の教師がそう締めくくると、帰りのホームルームは終了となった。

早々に帰宅する者、部活動へと向かう者、教室に留まる者。

一日の学業から解き放たれた生徒たちは思い思いに行動していた。

 

そんな活気あふれる教室の中で、満はスマートフォンを片手に神妙な顔をしていた。

相も変わらず学生の身分に相応しくない高価なアクセサリーと化粧が彼女のそこかしこを彩っている。

成績さえ良ければよいという校風であり、ピアスや指輪などの装飾品を身に着ける生徒が多いこの『星陵高等学校』においても満とその装飾品の数々は人目を集め、他の生徒とは一線を画する存在感を放っていた。

 

「みっちゃんどうしたん?」

「あ、サオリン」

 

机に座ったままの満に声をかけたのは、クラスメイトの|橘咲桜凛≪たちばな さおり≫だ。

風をはらむパーマを当てたセミロングの茶髪、スラリとしたスマートな体形なのに満よりも、いやクラスの誰よりも豊かな胸部を持つ彼女は今日も活発そうな笑みを浮かべている。

今日は彼女の所属する同好会の活動に参加すると約束していた事を思い出した満は、笑顔の咲桜凛に申し訳なさそうな視線を向けた。

 

「そろそろ行こうよ。グッチー待ってるだろうしさ」

「それが……ごめんサオリン!急に外せない用事が入っちゃって……」

「ええっ?」

 

満の発言に咲桜凛が目を丸くした。

それもそのはず。

咲桜凛の所属するオカルト同好会の活動に参加するという約束は満から言い出したことだったからだ。

満は友人の驚く様に歯噛みする。

自分が来ることを楽しみにしていた友人の心を裏切ってしまった事が満には心苦しかった。

 

「あー……いいよいいよ。気にしないで。でも一体どうしたの?もしかして男?」

「はずれ。と言いたいけど当たりなんだよねこれが」

「えっ!?マジ!?」

 

軽い調子で冗談めかして聞く咲桜凛に対し、満は困り顔で頷いた。

教室に残っていた生徒たちに電流が走り、一瞬空気がざわつく。

特に男子生徒達の反応が顕著だ。

突然会話を止め耳を澄ませたり、全身を硬直させ満を凝視したりと、如何に満の男性事情に興味があるのかが一目で分かるありさまだった。

女子生徒の大半も似たようなものだが男子のように情念はこもっておらず、純粋な興味と好奇心が原動力のようだった。

満は自身に集まる視線を感じながら、クラスメイト達の勘違いを解くために口を開いた。

 

「マジマジ。でもただの知り合いだよ。親の友達……みたいな人なんだ」

「ホント?ホントにホントだよね?私に嘘ついてないよね?」

「ついてない、ついてない。ホントにただの知り合いだって」

 

目を見開いて迫る咲桜凛に、満は昔見たアニメでこんなシーンがあったなと苦笑する。

そんな満に念を押すように確認を繰り返した咲桜凛はようやく納得がいったのかその豊満な胸をなでおろした。

 

「はぁー……よかったぁ。みっちゃんに男ができたとか、ショックで私だけじゃなくて男子がダース単位で倒れる所だったよ」

「大げさだって。というかなんでサオリンが倒れるの?」

 

男子がダース単位で倒れるという咲桜凛の言葉を大げさであると評したものの否定しなかったのは、満には倒れるまでは行かずとも衝撃を受けるだろう男子たちに心当たりがあったからだ。

星陵高校に入学して一年と少し。

その期間で満に告白して来た男子の数は12人を超えているのだ。

満は恋人が居ないにも関わらずその全てを断っている。

そんな女に|男≪彼氏≫が出来たとなれば断られた者達は程度の差はあろうともショックを受けるだろう事は満にも想像できた。

 

「みっちゃんほどの子でも彼氏できないんだから私にできなくても仕方ないという完璧な理論が崩壊するから!」

 

ピントのずれた事を胸を張って言う咲桜凛。

豊かな双丘がひと跳ねするのを見届けると、満は黒地に桜が描かれた和風なケースに収まったスマートフォンをカバンへとしまい席を立った。

 

「サオリンの理論の完璧性について議論するのはまたの機会として……ごめんね。坂口君にも私が謝ってたって伝えておいてくれる?」

「気にしないでいーって。グッチーも気にしないと思うし。また遊びに来たくなったら言って。いつでも大歓迎だからさ」

「ありがとサオリン。それじゃ、ごめんね」

 

満は咲桜凛に向けて手を合わせてウインクするとカバンを持って足早に教室から出て行くのだった。

 

「さて、私も行くかなぁ」

 

満を見送った咲桜凛も自分のカバンを手に取ると、校舎の隅にある学生寮の一室にあるオカルト同好会の部室へと軽い足取りで向かう。

 

先ほどまで注目を集めていた二人が居なくなったことで教室にいた大半の生徒たちは各々勝手気ままに放課後を満喫している。

そういった状況で未だに満への興味を失わない人物がいた。

教室の片隅の席で満の様子をうかがっていたその女子生徒は意を決したように勢いよく立ち上がるとカバンをつかみフワフワとした髪を弾ませながら教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

学校の校門を出て30分。

満はファミリーレストランの片隅で一人メロンソーダを飲みながらスマートフォンを弄っていた。

待ち合わせの時間までは後10分ほど猶予がある。

 

教室においてなんの気負いも見せなかった満だったが、内心は穏やかではなかった。

今日会う予定の相手が親の友達という言葉に嘘はないが、満にはあまり関わりのない人物なのだ。

顔を合わせた事など2回しかなく、言葉を交わした事など皆無に等しい。

言ってしまえば見知らぬ他人と変わらない。

緊張しないわけがなかった。

 

(お母さんは、臆病な人だから優しくしてあげてって言ってたけど……)

 

自分の二倍以上も生きている男性に優しく接するとは一体どうすればよいのか。

普通に接する以上の対処が思い浮かばないが、それでよいのなら母は態々優しくしてあげてなどとは言わないだろう。

満はテーブルに突っ伏して可愛らしく呻いた。

 

満は相手の素性についてはキリノから大まかに聞かされている。

それによれば、キリノ自身が集めたり人々から捧げられた珍品宝物の類を保管する蔵の管理を職務としている人物らしい。

形式上キリノに仕える神職なのだが満との血縁関係は無く、その世代ごとに最も相応しいとされる人物がその役に就くのだという。

相応しいかどうかはキリノが定めたいくつかの項目を満たしている人物の中から、日本で最も貴い神職が判断し選出する。

まさに神道のエリート中のエリートであり、霊的存在に対し見る、聞く、触るの3つが出来る正真正銘の霊能力者なのだ。

 

(私みたいななんちゃって神職とは違って本物の人だし、不安しかないよぉ)

 

満はキリノの巫女だが、世間一般の神社の神職とは異なる様式で働いている。

主祭神であるキリノの趣味や気まぐれによって作法が決定された結果、満の巫女としての常識は同業者には通じないのだ。

そのせいで一度恥をかいた経験があるため、満は同業者との会話に強い不安があった。

 

(ボロを出さないように口数少なく、かつ優しい感じで会話する……これしかない)

 

優しい会話とはいかなるものか、未だに掴めていないが方針が決まったことによって多少の落ち着きを取り戻した満。

そんな満の耳に自分の席に近づく足音が聞こえた。

満が乱れた髪を右手でかき上げながら上半身を起こすと、通路には40過ぎの中年男性が立っていた。

 

まるで鉄芯が入っているかのように背筋がピンと伸びた美しい立ち姿。

クールグリースによってオールバックに固められた濡れたような艶を出す豊かな毛髪。

右頬にある大きな痣が印象的なその男性は、高級そうな三つ揃えのスーツを着こなしている如何にも紳士らしい風体をしている。

年をとった男性が持つ落ち着いた雰囲気と色気が匂い立つようであり、遠目にその姿を見れば満でも暫しの間うっとりと見とれてしまうだろういい男ぶりだった。

 

満は体を強張らせてこの魅力的な男性を凝視した。

しかし、見とれているわけではない。

むしろ男性を凝視する満の目はスッと鋭く細まり、美人特有の凄みある睨みをきかせていた。

なぜならば。

 

「ヒッ……」

 

なぜならば、満の眼前にいるダンディな紳士は玉のような汗を額に浮かべながら強張った顔面を青くしていたからだ。

男性の喉から悲鳴が零れ、明らかに恐怖に染まった目が満の目を見つめる。

 

この異常な様子に満の脳裏に過去の恐怖体験が蘇る。

 

(8月の満員電車であんなふうに汗だくのウルトラデブのおじさんが密着してきた事があったなぁ。臭くて息も荒くて……)

 

いよいよ堪りかねてきた時、その巨漢は唐突に下腹部を押さえ苦痛の呻き声を上げると満から距離を取り、転げ落ちるように次の停車駅で下車していった。

手を使った痴漢行為こそされなかったが、あの巨漢は間違いなく自身の巨躯を利用した痴漢だったと満は今も信じていた。

 

満の目つきが鋭くなったのは男性の額に浮かぶ汗からその痴漢疑惑の巨漢を思い出したからであり、眼前の男性に対する嫌悪はなかった。

しかし、満のこのあからさまな視線に青痣の男性は総身を震えあがらせた。

 

「お、おしさしっ、お久ぶりです、霞銀星様。東の倉庫番、藤堂彦次郎、只今到着致しました!」

 

上ずった声でどもりながらも彦次郎は満へと深々と頭を下げた。

 

霞銀星。

キリノを祀る霧野神社の神紋の名だが、この場では唯一人その神紋を身に着ける事を許されている人間である自分の事を指しているのだと察しつつ、満は眉間に皺を寄せた。

腰を90度曲げてお辞儀する彦次郎に、店員やまばらに存在する客の視線が集まっている。

紳士ではあるが右頬の痣が人相に一種の凄味を加えている中年男性に畏まった礼をされる女子高生の図は、あまりにも目立ちすぎるし人聞きの悪い状況と言わざるを得ない。

現に他のテーブルに注文を取りに来ていたウェイトレスが驚愕の面持ちで満達を見つめている。

満が視線を向ければ電光石火の速度で顔を逸らし、上ずった声で注文を取り始めた。

一体どのような勘違いをされているのか?

想像するだけで羞恥のあまり頬が燃え上がりそうで、満は彦次郎を席に着かせるべく険しい表情のまま口を開いた。

 

「やめてください。見世物になってます」

「は?……はっ、はい!失礼しました!」

 

己の口から出てきた驚くほど冷たく感情の感じられない声。

彦次郎は一瞬あっけにとられるも、すぐに周囲の状況を理解し転がり込むように席へと座った。

身なりの立派な大人の男性にしては余りにも落ち着きがない情けない姿を見て満は胸が痛むようだった。

 

(藤堂さん、一年前と変わらずカッコイイ人なのに……。この人をこんな風にさせてるのは私の対応が悪いせい、だよね)

 

母の言いつけを全く守れていない事に罪悪感を覚えた満は心の中で彦次郎に謝罪した。

そして彦次郎を気遣い、意識して表情の険を和らげた。

 

「お待たせしたばかりか、このようなご無礼を……どうかお許しください」

 

周りに聞こえないように小声で謝る彦次郎の顔色は蒼白だ。

臆病な人とは聞いていたがこれは酷過ぎるのではないだろうか?

彦次郎が自分のバックにいるキリノ、すなわち毎年最大で499人まで人を殺すと明言している大悪神『大禍津霧野神』の霊威を恐れているのはわかる。

しかし基本的に日中行動しないキリノはこの場にはいないのだから、その巫女とはいえ大した存在ではない女子高生一人に対してここまで怯える必要はないように満には思えた。

 

「年下の私にそんなに畏まられても困ります。藤堂さんが怖がるようなものはこの場にはいないのでもっと気を楽にしてください」

 

その言葉に彦次郎の視線が左右に泳ぐ。

本当にキリノが居ないかを確かめているのだろうと満は思った。

満はキリノが近くにいれば必ずその存在を感知できる。

この霊妙なる能力のおかげでキリノがどこか遠いところにいる事は間違いなかった。

故に本職の神職でありこの世ならざる者達を見ることのできる彦次郎ならばキリノの不在に気づき、いよいよ安心してくれるだろうと満は安堵したのだった。

 

しかし。

 

「で、ですが……」

 

彦次郎は蒼白の顔面に汗をびっしょりとかいてブルブルと体を震わせていた。

進退窮まったとばかりの有様に満は表情には出さずとも内心微かに傷ついていた。

キリノが居ない事は彦次郎にもわかったはず。

にもかかわらず彼の緊張が解けないのは、つまり……

 

(もしかして、キリノに告げ口するとか思われてるのかな?)

 

つまりこの状況は彦次郎からしてみれば、暴力団の構成員が自分の所属する団体の大親分の娘と会話しているようなものなのだ、と満は思った。

もしも失礼があればそれがやがて上の耳に入り身の破滅を招くと恐れられているのだろう。

 

たとえ本当に失礼があったとしても、満にはそれをキリノに話すつもりは全くない。

彦次郎の心配は無用なものであり、満としては彼の誤解を解きたかった。

しかしこの状況において誤解を解こうと努力することは無駄のように思われた。

どんなに言葉を重ねても、立場的に彦次郎の疑心と不安はぬぐいきれるものではないのだ。

 

「……いえ、困らせてしまってごめんなさい。そのままで結構ですよ」

 

真実はどうであれ告げ口をするような人物だと思われているのようで満は少しショックを受けていたが、それを悟らせない柔和な笑顔で彦次郎に笑いかける。

彦次郎は肩の力を抜くと懐からハンカチを取り出し、乾いた愛想笑いを浮かべながら額の汗をぬぐった。

 

「は、ははは……恐れ入ります、ははは……」

「?」

 

彦次郎に視線が自分とその背後を行き来していることを不審に思った満は首をひねって後ろを確認する。

が、そこには何もない。

椅子の背もたれと油絵の掛けられた壁があるのみだ。

小首を傾げる満だったが、ようやく話を始められる雰囲気になった事を思い出し彦次郎へと視線を移した。

 

「ええと、お久しぶりです藤堂さん。今日はなんの用事なんですか?」

 

早く話を終えて切り上げようと要件を訪ねる満。

早めに切り上げたいのは同じなのか、挨拶もそこそこに彦次郎は本題に入った。

 

「実は、霞銀星様に頼み事があるのです」

 

こんなところで霞銀星様って呼ぶのやめてほしいなぁ、と思いながらも話が脱線する事を恐れた満はあえてそこには触れず彦次郎に先を促した。

 

「頼み事って?」

「霧野神社境内に短刀を持ったヌイグルミがないか確認してほしいのです」

 

短刀を持ったヌイグルミという言葉に満は笑顔を引っ込めた。

思い当たることがあったのだ。

 

「探し物ってことですか?」

「はい。既にご存知でしょうが、先週、隣県で一人かくれんぼを行った男性が霊障によって死亡しました」

 

その話は先日キリノから聞いたばかりだった満は無言で頭を縦に振る。

それと同時に満の心の中で不安が頭をもたげた。

犯人は言うまでもなくキリノであり、キリノは満の仕える主祭神だ。

あの青年の死について、巫女である自分に何らかの叱責があるのではないかと満は体を緊張させていた。

 

「それ自体はまぁ、問題ではないのですが……現場検証を行っていた警察から()()に連絡がありまして。現場のどこを探しても一人かくれんぼの依代に使われたヌイグルミの姿が見当たらないというのです」

 

一人の人間の死が問題になっていない事に不謹慎ながらも安堵しながら、満はキリノの話した内容にヌイグルミのその後がなかった事に今さらながら気が付いた。

 

ヌイグルミを持っていた女の霊はキリノによって窓に投げられどこか遠くへ飛んで行ってしまった。

女の霊は霊体であるから、窓を割らずすり抜けて飛んでいく事ができるが物体であるヌイグルミはそうはいかない。

窓が割れていないということは、あのヌイグルミは窓ガラスに当たって室内に取り残されているはずだった。

しかし、それが見当たらないと彦次郎は言う。

 

確かにそれは不思議で、なんとも不穏な事だと満は思った。

満は元々一人かくれんぼなど知らなかったが、オカルト同好会に所属する咲桜凛からの情報で基本的な知識は得ている。

それによれば、一人かくれんぼで使用した人形は必ず燃やして処分しなければならないらしい。

それも出来るだけ早くに。

でなければ、一度霊の媒体となった人形が周囲の霊を呼び寄せ人に害をなす……などと言われているのだ。

 

「もう随分と時間が経ってますよね?大丈夫なんですか?」

「大丈夫ではありません。配信された動画に映っていたあの女の霊、あれ程の大怨霊を呼び寄せた依代が一週間も処理されずに野放しにされているなど悪夢に他なりません」

 

深刻な表情で語る彦次郎。

そんな彦次郎の話を満はいまいち深刻に受け止められなかった。

彦次郎のいう大怨霊である女の霊はキリノによってあっさりと撃退されているのを満は知っている。

あんなぞんざいな扱いで無力化された霊など大したことはないように思えたのだ。

したがって、そんな霊を宿したヌイグルミの危険性も低く見られていた。

 

そんな満の危機感のなさは自然と表情に出てしまい、興味の薄そうなその表情を見た彦次郎は怒ることはなく、ただ冷たい汗を額に浮かべていた。

 

「もしあれが野に放たれたままだとしたら、寄り集まった雑霊によって大規模な心霊災害が発生するのは間違いないのですっ……!」

「心霊災害?災害、災害かぁ」

 

訴えかけるように、もしくは哀願するように語る彦次郎。

彼が口にした心霊災害という言葉のもつ物騒さに満は眉をひそめた。

 

「下手をすれば町一つがその影響を受けるでしょう。それを防ぐために何としても件のヌイグルミを見つけなければなりません」

 

ヌイグルミを確保し正しく処理しなければならない理由は満にも理解できた。

放置すれば地震や台風などと同じ『災害』が起こるというのであれば協力しないわけにはいかない。

 

「なるほど。それで、うちの主祭神が道楽でヌイグルミを持って行った可能性があるから探して欲しいと……藤堂さんの蔵にはなかったんですね?」

「はい。隅から隅まで探したのですが見つからず……。警察の一部が念のため町中の探索を行っていますが未だに見つかっておらず、あるとすればもう霧野神社しかないと、そういう次第でして」

 

キリノは時たま何か得体のしれないガラクタを彦次郎の管理する蔵ではなく霧野神社に持ってくる事がある。

それはキリノが祟り殺した人間の持ち物だったり、深海で見つけた珍しい鉱石だったりと様々だ。

そういったキリノの収集物の中から短刀を持ったヌイグルミを探す事ぐらいなら大した労力ではないのだから、満には彦次郎の頼みを断る理由が無かった。

 

「そういうことでしたら、わかりました。藤堂さんの頼みですしね、今日中にでもやってしまいましょう」

 

新たな客を衝立で仕切られた隣のテーブル席に案内しているウェイトレスの声を耳に捉えつつ、満は彦次郎の頼みごとを承諾した。

彦次郎の顔が喜色に染まる。

 

「おおっ!ありがとうございます!……これは、頼みごとを受けてくれたお礼です。どうぞ」

 

頭を下げて感謝する彦次郎は懐から茶封筒を取り出しテーブルの上に置いた。

 

「これ、なんです?」

「私からの心づけです。貴重なお時間を私の頼みのために割いて貰うのですからね」

 

心づけ。

お礼として渡す金銭の事だが、それにしては目の前の茶封筒は四角く盛り上がっている。

満は嫌な予感を感じつつ茶封筒を手に取り中身を確認した。

 

「1枚、2枚、3枚、4枚……こんなに!?」

 

中身の確認を始めた満は茶封筒の中に入っていた一万円札を4枚まで口に出して数えると、後は周囲を気にして無言となり最後に驚きの声を上げた。

その驚きは金額そのものに対してではなく、このような場で纏まった数の現金を女子高生に手渡してくる藤堂の非常識さに対するものだった。

 

(こんなに沢山お財布に入らない……だから現金って嫌!)

 

お金をくれるのなら口座に振り込んでほしかった。

色々とズレた事を考える一方で、満にも一般的な感性が備わっていた。

満がする事といえば神社の中で探し物をするだけ。

それだけの仕事に対してこの金額はあまりにも過分すぎる。

日給に換算してもこの額を一介の女子高生が稼いでいると知れば世の多くの労働者が勤労意欲を失いかねない。

 

「藤堂さん、これちょっと多くないですかね?」

「いやいや、やってもらう事を考えれば適切な……むしろ少ないぐらいですよ」

 

そういう彦次郎の顔には嘘は見当たらない。

心底、霧野神社で探し物をするだけの仕事がこの金額に見合うと思っている顔だ。

 

(まぁ、くれるっていうなら貰っておこうかな)

 

満の一族はキリノから『人生に一度だけ、初めてのギャンブルが必ず大当たりになる』という加護を得ている。

最強のビギナーズラックと言うべきその加護を、満は亡き母の勧めにより宝くじで使用している。

そのため金には全く困っていないのだが……。

満は少し困ったように笑った。

 

「それじゃあ、貰っておきますね」

「ええ、どうぞ」

 

安堵しきった笑顔を見せる彦次郎に促されるまま満はカバンを開き、手にした茶封筒をノートと教科書の間に滑り込ませる。

その、一瞬前の出来事だった。

 

「だ、ダメー!そんなお金受取っちゃダメ!」

「えっ」

「うおっ!?」

 

隣のテーブル席と満達の座る席を隔てる衝立の向こうから、満と同じ制服を着た女子高生が現れた。

そのフワフワした髪の女子生徒は顔を赤くして目には涙を溜めて彦次郎を睨んでいる。

突然の闖入者に睨みつけられた彦次郎は目を白黒させていた。

一方、満はこの女子生徒に見覚えがあった。

 

「新城さん?どうしてここに?」

 

このフワフワしたボブカット風の髪型をした女子生徒の名前は|新城美弥≪しんじょう みや≫。

満のクラスメイトで園芸部に所属している。

星陵高校の生徒にも関わらずアクセサリーを全くつけていないという地味な見た目に違わず、おとなしくとても真面目な性格のクラスメイトだと満には記憶されている。

あまり話をする機会に恵まれず詳しい人物像を掴みきれない相手だが、満は時折彼女からの視線を背中に感じる事があったので何時かは積極的に話しかけてみようと気をかけていた人物だった。

 

美弥は首を傾げる満に詰め寄ると茶封筒を持つ手を両手で掴んで涙ながらに語り掛ける。

 

「伊藤さん!どういう事情があるのかわからないけど、自分を大切にしなきゃだめだよ!」

「え、大切?自分を?」

「そぉだよ!今ならお金を返せば間に合うよ!そこのおじさんがダメって言っても社会は私たちの味方!通報すれば勝ち確定だって!そりゃあ少しはお説教されるかもしれないけど将来の事を考えればそっちのほうが絶対に良いってば!それにそれに、伊藤さんがそんな事をしたら泣く人がいるんだよ?少なくとも私は泣くね!大泣きだよ!そして脱水症状で死ぬよ!?いやむしろ死んでやるー!!」

「ちょ、ちょっとまって、まってってば!」

 

真面目で物静かな人物だと思っていた美弥の口からあふれ出す言葉の濁流に意識を流されそうになりつつ満は必死にストップをかけた。

なぜならば美弥が登場してから周囲の視線が痛すぎるのだ。

 

「え、なに?もしかして、えんこ……」

「男の方はヤクザっぽいし、なんか複雑な事情があるんじゃ……」

「これ通報したほうがいいんのかな?」

 

美弥の大声に紛れながらも店内のざわめきが満の耳に入ってくる。

満の顔が羞恥が真っ赤に染まった。

 

(あぁぁー誤解ぃー!誤解なんだってばぁぁぁぁー!)

 

女子高生に分不相応な値段の装飾品を身に着ける満に対し、冗談めいて語られる噂が星稜高校にはある。

伊藤満はアクセサリー代を年上の彼氏から貰っている、もしくは金持ち中年相手の援助交際で稼いでいるというものだ。

満のアクセサリー代は宝くじで当てた自分の資金から出されているので、これはあくまでも事実無根の噂に過ぎない。

だが美弥のとんでもない勘違いをそのままにすれば、彼女の口から今日の事が漏れ伝わり満の資金源について知らない同級生達はその噂を信じてしまうかもしれない。

そうなれば満の高校生活は一変してしまうのは間違いない。

 

暗黒の未来を思い浮かべた満は耳まで赤く染まった熱暴走する頭で、彦次郎に向けてどうにかしてくれという気持ちを込めた視線を送った。

その視線に気づいた彦次郎は顔面を真っ青にすると、死刑宣告を受けた罪人のような表情を浮かべた。

 

「き、君っ!かすみっ……伊藤さんの同級生かな!?違うんだ!そういうのではなくて、渡したお金は仕事の報酬、というかお礼であって……」

「仕事ってなんですか!それにかすみって……そういう名前で仕事させるつもりなんですね!?」

「違う違う!そういういかがわしいものじゃなくてだね!?あぁ、もう頼むから落ち着いてくれないかな!?」

 

社会的に死刑にされそうになっている彦次郎による美弥の説得はまさに必死の形相で行われている。

しかし彦次郎の努力と願いも虚しく美弥を落ち着かせることはできていない。

結局美弥が落ち着き、満達と同じテーブルについて話をする事が出来るようになるには、劣勢の彦次郎に満が加勢してから10分の時を要したのだった。

 




神紋『霞銀星』はレアっぽい既存の家紋を組み合わせたものです。
自作するにあたり家紋一覧を何度も見ましたが、いやほんと日本の家紋ってカッコイイのが多いですね!

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