楽しんで頂けたら嬉しいです。
それでは4話どうぞ!
けして静かとは言えない人一人いない廊下を床を叩く音が、通り過ぎようとする度に聞こえる教室の喧騒に吸い込まれるように消えていく。
先ほど謎の初対面の女子からの謎の依頼を断った俺は、授業が終わる頃を見計らって自分の教室へと向かっている。
「一体なんだったんだ……」
思い出すのはあの時の彼女。
名前も知らない、素性も知らない、ましてや存在すら知りえないような人物にいきなり何かを頼まれるなんてこの17年の人生で1度はあっただろうか。
常識的に考えてまず無いだろう。俺の人生がラブコメであるならありえない話でもないだろう。
だが俺の人生はラブコメなんてものではなく、喜劇でもなければ悲劇でもない、俺しか存在しない、昏さそのものだ。
求めたもの何一つ手に入れることの出来ない主人公が一人いるだけの世界だった。
そんな世界で、求めたものは依然未だ知りえない何処かに燻り続けている。
それだけが今の俺に分かる事だった。
終業のチャイムが程なく鳴り響いて、教室へ辿り着く。
俺が教室のドアを開ける前に、そのドアが開いて、その向こうからは見知った明るい髪が出てくる。
向こうから聞こえていた談笑の声の主は俺の顔を見ると、その声を潜ませる。
「ヒッキー………遅かったんだね、おはよ」
「…………うす」
いくらかの迷いの末、俺は短な挨拶だけを残して見知った少女の前を足早に立ち去った。
由比ヶ浜は優しい。
修学旅行の一件の後ですら、俺に挨拶をし続ける。
これほどいびつな状況下でありながら、変わらない。
変わろうとしないのだろうか。
どちらでも俺には関係の無い話だが、その優しさは今の俺にとっては同情以外の何物でもないように思えた。
立ち去る刹那、
「待っ…」
呼びかけようとする声がしてもそれに俺が耳を傾け振り向く事は無かった。
教室は休み時間特有のガヤガヤとした喧騒に包まれて、誰も俺が登校したことに気づかない。やっぱ嘘。戸塚がこっち向いた。さすが戸塚、俺に向けている今の戸塚の微笑みが俺だけのものだったら良いのにな…
やっぱ時代は戸塚だわ。というか世界が戸塚だわ。どっちも似たようなもんか。
俺の思考を読んだのか戸塚がやや苦笑混じりに俺を見ていた。読まれたのか…
しかし。
時々使われた地の文読みも戸塚にされるとどこか癒しのように感じました。
席に着けば、日頃続ける寝た振りを開始する。
慣れ親しんだぼっちワーク。そして人間観察。視線だけを教室の後方へと向ければ、そこには数人で固まり笑い合うグループ、葉山のグループが見える。
葉山たちトップカーストのグループ連中は修学旅行を終えてもどこも変わりなく日々を送り続けていた。けれど、強いて言うならば、どこか上辺だけの言葉が、実態を持たない空虚さがより俺には際立って見える。
何も変わらない日常。
ようやく取り戻した孤独の日々。
そういうものはえてして手に入れて即手からこぼれ落ちるもので、
「あの………」
忌々しげに振り向くと、由比ヶ浜が俺の横にたって俺を覗き込もうとしていた。
「何してんだ……」
なんだあれか。さっき挨拶したのにまた挨拶したくてここまで来たのか?なにそれ俺のこと好きすぎだろ。
由比ヶ浜の目を見れば、どこか虚空を右往左往しており、タイミングを探っているようだ。
一体何の?
あの時に対しての謝罪なんてもう要らない。
俺の中ではこいつに対してももう完全にリセットされた。
過去にあったことは既になかったことへ。
あるべきものすら亡きものとして存在している。
居心地の悪い沈黙が空気を支配する。教室は未だ冷めやらぬ喧騒に包まれているのにここだけまるで切り離された空間のように空気が重い。
由比ヶ浜は何かを言いたげに、言いたくなさげに言葉を濁す。
どっちなんだよ。
「はぁ……で、用がないなら俺眠いんだけど」
どこか苛立ちと拒絶を孕んだ声を出す。
幸い、皆のおかんこと三浦は今いなくて俺は命の危機を心配することなく答えを待った。だって由比ヶ浜に話しかけられてる時とかすごいおかん見てくるからな。そのせいで胃が痛くなる。炎の女王だけあって視線さえもダメージ発生とかチートだろ。ポケモンだったら睨みつけるだけで防御と体力さえも奪う感じ。なにそれ無理。
「その……ね?実は……」
頬を日差しか何かはわからずとも朱に染める姿を見れば、まるで俺に好意を抱いているかのように見える。無いけど。
思わず唾を飲み込んだ…
「これ、1年生のかなちゃんからだって!」
かなちゃんって誰ですか。知らない子ですね…
「かなちゃんて誰だよ」
最近知らない女子から色々ありすぎてホント困る。
廊下で睨まれたりとか舌打ちされたりとかいきなり頼みごとされたりとか……そんなに俺に構って欲しいのか。あれか?やっぱり俺のこと好きなの?いやー…人気者は辛いな……あれ、目から汗が……
由比ヶ浜が差し出した紙を受け取り、果たし状かしらんと内心ヒヤヒヤしながら女子特有の複雑な折り方で小さく畳まれた紙を開くと、そこには、
「屋上で待ってます。水島奏」
またお前か……
思わずため息が漏れた。その身勝手さ故に。
俺が一体何をしたというのだろうか。
これ以上望まれることなんて無いはずなのに。
そして俺に一体何をしろというのだろうか。
そんな気掛かりが、俺の胸を走り抜けた。
そんな俺が横の彼女が思案している様子に気づく事は無かった。
―――――――――――――――――――
上を目指す足音が、高さを前に吸い込まれていく。
謎の呼び出しを受けた俺は指定された場所へと向かっていた。
俺が屋上へ行く事はあまり無くて、せいぜい黒のレースを初めて拝んだ時ぐらいだろうか。
目の前の階段の長さに辟易する。
本来であれば即帰宅して、即だらける。そんな怠惰な放課後を送りたいのに、こうして長い階段を上らせている。
「帰りたい…」
切実にそう願う。けれど世界は俺の願いを決して受け入れることなく、外から時折聞こえるカラスの声が俺にさっさと行けと催促しているように聞こえる。優しくないなこの世界。
心臓の動悸がやや速まる頃、屋上への扉の前に立つ。飛び降り防止用に付けたであろう南京錠は最早意味を成しておらず、今ではただ錠にすらなり得てなかった。
ドアノブに手を当て、そっと回すと、キィィ……と何か不気味な音を奏でながら扉が開く。
時刻も夕方に差し掛かれば、空は恐ろしい程に朱へ染まって、そして闇の広がる夜を迎える。
今空は控えめに浮かぶ雲と、うっすら上るまるで歪んだ口元のような鋭い三日月、そして、それらすべてをかき消すような朱に染まった空が俺の目に広がっていた。
おどろおどろしい程に美しい身勝手な朱、それが夜へ移り変わる様を思い描くと、それがまるで非日常へと至る陥穽のように思えた。
呼び出した張本人の少女を探す。
「来てくれてありがとうございます、比企谷先輩」
後方から聞き覚えのある声がして、そちらへと振り向けば、まるで今朝のように水島は俺の後ろに立って、俺をじっと見据えていた。
空を飛ぶカラスの声はいつしか催促から警告のように聞こえる。
――彼女が言葉を発しようと、その口を開こうとする。
彼女は何を願って、何を求めるのだろうか。
その答えを俺は知ることとなる。
空は依然美しい夕焼けに身を委ねていて、雲と月がまるで俺達を天上から監視しているかのような錯覚を受けた。
やがて彼女の告白が始まり、世界は黄昏へとその身体を浸からせる。
何も分からなくなるこの時間。
それでも彼女の、心に息づく崇高な信念だけは確かに、言霊となって俺の心へと届いていた。
俺も答えるために口を開く。
読んで頂きありがとうございました!3話なのですが、都合により書き直せて頂いてます。
今話も感想等どしどしお願いします!