夕焼けの下。
俺はかつてあれ程までに純粋な、それこそ裏表が全くない傲慢な想いを感じたことがあったのだろうか。
周囲はいつも欺瞞に満ち溢れていて、誰もが自分を隠し通そうとするこの世界。
そんな世界が俺は嫌いだった。
目にする心はいつも裏には汚いモノを孕んでいて、それを確認する度に人すら嫌いになる。
けれど今目の前で凛とした声で打ち明けた彼女の想いは、この17年の人生の中で最も美しく感じる。
瞳に宿る熱はどこまでも澄みきっていて、言葉に宿る熱は俺でなければきっとその心を溶かしてしまう程に容赦無い温度。
現に俺も心を溶かされかけてしまっているのかも知れない。
心の隅では手を貸してやってもいいんじゃないか?とまるで悪魔の囁きのような声が聞こえる。
確かにこの状況で手伝うことを厭うのはあまり良くないだろう。それこそ人間性が疑われる程だ。
しかし俺の人間性は既に疑われているレベルにあるだろう。自覚済みだが。
文化祭での相模との一件。
修学旅行での戸部と海老名さんの一件。
当人達の祭りを、思いを蔑ろにしてのうのうと過ごしているのだから。
絡まる複雑な感情の糸を紐解かず、願いだけを叶え続けた。
そして紐解かなかった責任を全てをこの身体一つで背負うまでが俺のやり方。
以前の俺ならばきっと気にせず問題を片付けて、それで終わりにしていた。
だがそれはもう出来そうにない。
それはあの場所で否定されてしまったから。
信じてきた自分を、積み重ねたものを壊された気がした。
何よりも求めていた物に近かったであろう存在に。
たとえ切り捨ててもそれは禍根となって俺の中で息づいて、俺の心根を蝕む。
「俺は…………」
受けるべきか、受けないべきか。
今の俺には分かりそうもない。だがそれでも自分をあそこまで奥深くまで、不格好なところも曝け出して俺に求めたのだ。
ならば俺も曝け出して答えるべきではないだろうか。
受け入れてもらえるだろうか。
それは分からない。
理解してもらえるだろうか。
それだって分からない。
いつだって人は自分しか見えていないから人の想いを一緒になって感じる事なんて出来はしない。
それでもこの汚さに塗れた世界でも、きっと傲慢な押し付けがましい思いを、何かもを一緒になって感じてくれる誰かを求めたことがあった。
俺のこの孤独を理解して欲しくて、捻くれた俺自身を肯定して欲しくて。
俺は言葉を発した。
「俺は最低だ」
目の前の水島は動じない。静かに俺の次の言葉を待っている。瞳が期待の色を示している。
ならば。
その期待に応えて、続けようじゃないか。
たとえどれだけ幻滅されようとも。
「人の思いを踏み躙るような行為ばかりしてきた。
自分が抱けないような思いから目を逸らして、目先のものばかり見ていた。本来であれば楽しい思い出となるはずであった文化祭、修学旅行でもそうだ。俺の名前を初めから知ってるならある程度聞いてるだろうが、俺は相模を文化祭で口論の末涙を流させ、修学旅行では戸部の告白の邪魔をした。思い出を苦々しいものへと変化させ、それを心のどこかでどうせ青春の二文字で片付けてしまうんだろ?と思っていた。けれどそれは違って、彼らでも片付けきれないものであって、もし状況が違ったなら、俺は今イジメを受けていてもおかしくない程のものだ。
もう一度言う。俺は最低だ。
そんな噂通りのやつが俺、比企谷八幡だ。そしてこれからもそれはきっと変わらない。
それでも水島、お前はこんなやつを望むのか?
ここにはヒーローがいる。みんなの望む理想を表したかのような優しいヤツが。
もしも本当にそいつを助けたいなら俺じゃなくて、真剣に考えてくれる葉山の方がいいんじゃないのか?こんな俺じゃきっと役不足でしかない」
さざ波を立てる心をどうにか落ち着かせようと、そこで言葉を切った。波は収まらず俺の心でより大きく立ち始める。
そこで水島が閉じていた口を開き、予想していないことを言った。
「私は奉仕部の比企谷先輩に依頼しに来たわけではありません。私が助けたい人は既に奉仕部へと行きました。けれど彼女の願いは叶いそうにないみたいです。今の状況ではですが。それに葉山先輩にもあまりいい返事がもらえなくて…」
言葉を詰まらせる水島の顔に落胆の色は少ししか見えない。
「それになにより今の先輩の言葉には正すべきところがあると思うのです」
「そんなもんねえよ」
苛立ちが目に見えるほどに言葉に含まれる。
「私は分かりはしませんけど、それでも知っています」
ふつふつと熱が、沸騰するかのように高まって、
「おれの!何を知ってるっていうんだ!」
その熱はそのまま声となって彼女への容赦ない責めへと成る。
「知ったような口を聞くな!俺が今までどれだけ…」
続く言葉がでない。
喉より先に出ることを拒む決定的なナニカを、口から出してしまえば俺が俺でなくなってしまうような予感がした。
「あなたが……」
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。
俺の言葉にならない、それどころか音にすらならない制止が届くはずのない彼女は、
「確かな優しさを持って、誰かを救った人だと」
静かに俺の目を感情の炎が逆巻く熱い瞳でまるで射るかのように見据えている。
――――――それでは誰も救えないと言われたことがあった。
変わらないことを肯定する俺に人は救えない、と。
俺は「変わらないことを望むやつだっている」、そんな言葉で返した記憶がある。
それは否定された言葉。
けれど、今目の前にいる彼女は間違いなく、なにか勘違いをしているわけでもなく、真実を語っているように俺には見える。
嫌われても、指摘されても、俺は俺を貫き通しても良かったんだ。
なんとなくそう思える気がする。
否、彼女の言葉が確かに告げていたのだろうか。
どちらであるかは分からない。
けれど「変らなくていいんだ」と、言っていることは理解出来た。
人は互いに理解し合えない。一方が理解したつもりでいてもその実、本当に理解してはいなくて、また一方も理解しえない。
それはこの世界の不変の事実。
けれど、そこには続きがあるように俺は思える。
そこからまた二つに道が分かれるのだ。
理解のための努力をする一方と、その努力を諦めてしまう一方とに。
諦めてしまえば否定へと繋がり理解への道は閉ざされてしまうだろう。
努力する事は理解へと繋がり、険しい道であっても必ず終着へと行き着くはずだ。
それが例え自己満足の努力だとしても、俺はそれを咎めようだなんて思わない。
結果論になってしまうけど、確かにそれは人を思った証拠なのだから。
「俺はお前をよく知らない」
水島は優しく微笑む。
「私は知ってます」
水島がこちらへと一歩踏み出す。
「俺じゃ出来ないかもしれない」
「私も頑張ります」
「独りで背負えるのか」
「私も背負います」
「もう絶対に先輩だけが傷付く誰も傷つかない世界なんて絶対に作らせませんから!」
声高々に宣言する。
ちょっと待て。
「なんでそれ知ってんの?誰もいなかったよね?」
水島が目を逸らし、
「いやー、夕焼けがこれまた綺麗……」
「まさかお前……」
俺を知ってるって言ったのは憶測だとは思っていたが、まさかそこから考えるなんて誰が思うだろうか。
「相模を泣かせたときに実はいたんだな?」
ビシィと、擬音がなりそうな程に美しく指を伸ばし、水島を指さす。
「ギクゥ」
クロだ。
ひっかかる節がいくらかあったが、ようやく納得が言った。
たしかにあれを聞かれたのは失態だった。誰もいなかったあの場所だからこそ出せた弱音である。それを聞かれて、心の内まで暴かれるなんて………お嫁に行けない!って貰い手がいねえよ。
「あれを聞くとは……生きて帰さねえぞ」
水島は面白い程にその柔和な顔を冷や汗と脂汗とで塗れていた。
幾許かの後、夕焼けの空の下、甲高い悲鳴が上がったのは言うまでもないことだろう。
そして、比企谷八幡の黒歴史に新たな1ページが刻まれることとなった。
―――――――――――――――
朱く染まる空には夜の帳がまるで舞台の暗幕のようにゆっくりと降りてきている。
屋上から見える景色、無理解の黄昏は暗幕によって終焉を迎えようとしている。
俺は次こそ明確な答えを目の前の彼女へと出す。
1音毎を胸に刻みながら。
「その依頼引き受けた」
俺は諦めない。何度でも現状からの逃げを選び続けてやる。
たとえそれを否定されてもそんなものからは逃げてしまえばいい。
逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。
それを肯定してしてくれた人がいた。
優しさだと言ってくれる人がいた。
今はそれだけで十分だ。
観客もなしの、俺ひとりの独壇場。
そこに観客がまばらであれ、居ることはそんなに悪く無いな。そう思えた。
「………そう、貴方も……」
空の下誓い合う2人を他所に、扉の前には2人の少女が息を潜ませ、その場を覗いている。
あれほど頑なに孤独であることを望んだ彼の心を再び揺り動かしたものが何であったのか、会話を聞くことの出来ない2人からは想像もつかない。
けれど少女は一つだけ理解していた。
間違いなく彼と自分達の道は完全に分かたれたのだと。
彼はきっと目の前に立ちはだかる。それを完膚無きまでに叩きのめし、今度こそわかってもらうのだ。それではきっと救えない、と。だから、もう一度一緒に、3人で問題へ向き合うことが最善だと。
また、横の少女も理解した事があった。
ここからでも分かる彼の顔に以前の曇った表情は姿を消し、どこかこの空のように晴れ晴れとまでは言わずとも、晴れ渡っていること、それはきっと自分たちではきっと引き出すことの出来なかったものなんだということを、早々に理解した。
彼はきっと戻ってこない。私達がずっとこのままでいる限り、彼は、彼の前に立つ少女とこれからは過ごすのだろう。それだけは死んでも嫌だ。だから、もう一度あの部屋へ戻り、3人で笑い合う為に、頼りっぱなしでなく、闘わなければいけないのだ、と。
互いの交錯する思いに互いは気付かず、目を見やってその場を足早に立ち去る。まるで噛み合わない二人の願い。
けれど一つだけ共通点が存在した。
3人でまた過ごすこと。
それは間違いなく彼女らの中での果たすべきものであった。
依頼についての詳しい話を明日の昼休みとして、今日はお開きとなった。そうして現在、漆黒に染まりつつある夕暮れの空を一人で歩いている。
つかつか靴で地面を鳴らす音がどこか小気味良く辺りに木霊する。誰もいないこの路地は人がいないことによってさらに音が響いたように耳に届く。
耳に届く音はどこか寂しさを孕んでいるようで、あるいは安堵を漂わせている気がした。
傾く日が刺してできた影は自分のものであるのにどこか怪物のような不気味さを醸し出す。
あの屋上の雰囲気にあてられて気にも留めなかったが、俺は自分の気持ちに違和感を感じなかったのだろうか。
あるいは感じてもそれを抑えて、この現状に満足したのだろうか。
どうなんだろう。自分に問いかける。
―――そんなもので充分なのか?―――
いつの間にか止まっていた足を進めて俺はそれを答えとした。
そして影も何もかもが消え失せ、ほのかな街灯の明かりだけを便りに帰路へと着いた。
「ただいま」
「遅かったね」
即返事が帰ってくる。扉を開くと小町が仁王立ちしていて、俺の帰りを待っていた。
「色々あったんだよ」
そう言ってそれ以上の追及を逃れようとしても、何故か今日の小町は退かなかった。
「お兄ちゃん、いい加減話してもいいでしょ?」
「……何の話だ」
出た声は家族に隠し事をするには、些か平静さが足りないことを自覚した。これではまるで俺が何か抱えているようではないか。
「今まで何も言わなかったけど、今日は言うまでココ退かないから」
小町の言葉からはなにか鬼気迫るものを感じた。
その鬼気迫る態度が優しさであると分かってしまうと、俺は頬を緩めずにはいられなかった。
小町が目を丸くしてこちらを向く。
_「どしたの」
「いいや、なんでも?それより腹減った。ちゃんと話すから夜飯食べようぜ」
固まる小町の頭をぽんぽんと優しさを込めてそっと撫で、リビングへと向かう。
小町も幾らか空けて、
「はあ、しょうがないなあ」
そう、溜息をつきながら、顔を見ずとも表情を察することの出来る程に弾んだ声で俺に続いた。
やはり俺の妹はどこまでも優しい。
改めてそう思えた瞬間だった。
「―――――――と、いうわけだ」
修学旅行の事を洗いざらい話終える頃には小町の頭に怒りの具現たる角が見えるほどに小町は憤りを感じていた。由比ヶ浜と雪ノ下に対して。
どこまでも優しい妹だ。
「そんなの……お兄ちゃんは悪くないよ!私あの2人に…!」
今まさに殴り込みにでも行ってしまうかのような勢いの小町を宥めつつ、
「もういいんだ」
そう言った。
小町は一瞬ギョッとした表情を見せるが、すぐに「あぁ……」と納得したかのような声をだす。
「お兄ちゃんはそういう人だもんね」
どこか悲しげに、嘆くように小町は言う。
俺はそれに何も返さない。否、返せないのだ。
小町はきっと俺があの2人と決別したのだろうと考えているに違いない。
俺だってしたつもりでも、心のどこかでやはり考えてしまって、どうしても迷いを捨てきることができなかった。
「お兄ちゃん……。私は……何もしてあげられないけど、それでもお兄ちゃんがやった事が間違いじゃないことは分かってるよ。お兄ちゃんは自分を身代わりにしちゃうようなどうしようもない人だけど、それでもそれで助けられた人もいるんだから、もっと胸を張ればいいんだよ!さっきの話だってお兄ちゃんがいなかったらその人たちのグループは壊れてたかも知んないし、もっと多くの人が辛い目を見ると思うの。
それをお兄ちゃんは一人で片付けちゃうんだから、お兄ちゃんはすごい!」
俺に向けられた瞳はどこまでも澄んでいて、否が応でも暖かな愛を感じずにはいられない。
「ありがとな」
優しく微笑んで、ゆっくりと、壊れないよう優しくその小さな頭を撫でて、確かな感謝を伝えた。
「うん!」
弾けんばかりの元気を伴う笑顔は、これからを頑張るための活力へと変わった。
その日、比企谷家には、約半月ぶりとなる暖かな団欒の声が夜半まで続いたという。
比企谷八幡はやはり変わらない。どこまでも優しい妹に助けられながら、求めているものへと手を伸ばし続ける。
たとえ願ったものが手元へと舞い込んできたとしても。
如何でしたでしょうか?いきなり自分の話になりますが、デレステのラブレターのMVが凄かったです!斬新なもので、デレステの進化を垣間見た気がします。みなさんも是非この機会に初めてはいかがでしょうか!(謎の宣伝)
それではまた!