クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi 作:Kohya S.
修学旅行に出発する前日の夜。海未は
台風が来るかもしれない、という宏未の話には真実味が感じられた。わざわざ電話してきてくださるくらいですから、きっと確率が高いのでしょう、と思う。
しかし、困りましたね。なにより出発は明日ですし。どうしましょうか……。
そういえば、と今日、部室での会話を思い出す。
「二年生がいないあいだは、一年生のあなたたちが、主体的に動いてね。私たち三年生もあと半年もすれば、いなくなるんだし、その練習だと思って」
絵里は一年生たちにそう話していた。
ええ、とりあえず花陽に電話しておきましょう。
海未は携帯電話の連絡先から花陽を選んだ。
『はい、花陽です。あの、海未ちゃん?』
「こんばんは、花陽。いま、時間はありますか」
『うん、大丈夫だけど……。どうしたの?』
花陽はすこし
「明日から修学旅行ですが、もしも万が一、私たちが帰ってこられなかったときのことを、話しておこうと思って」
『ええっ、海未ちゃんたち、帰ってこられないかもしれないの? お、沖縄、そんな怖いところなんですか? もうお別れなの?』
花陽は涙声になる。
「ああっ、違います、花陽。その、たとえば台風とか、そういった事態で、もしも帰りが遅れたら、ライブをどうしようか、と思いまして」
『あっ、そうか、そうですよね。すみません、花陽、勘違いしちゃって』
花陽は鼻をすすりあげた。
『……でも、たしかにそんなことも、あり得ますよね』
「はい。ですから、準備をしておいていただければ、と」
『そっか……ライブ、中止になったら、デパートの人にも悪いですよね』
「ええ」
理解が早くて助かりますね。
「今回の曲は、穂乃果がセンターですが……もしなにかあったら、パート分けや振り付けもかえる必要がありますからね」
『わかりました。凛ちゃんたちとお話しして、念のため、考えておきます』
「助かります。ありがとうございます、花陽」
『いいえ。……海未ちゃん、気を付けて、いってきてくださいね』
「はい、わかりました」
『穂乃果ちゃんとことりちゃんにもよろしく。それじゃ』
花陽は電話を切った。
さて、これで一安心ですね。明日、穂乃果たちにも話しておきましょう。
・
翌日、海未たちは沖縄に旅立った。修学旅行は三泊四日だった。
一日目、二日目は幸い天候に恵まれた。しかし、三日目。肝心の自由行動の日、天気は朝から雨になった。
「もう、なんで雨なの。海未ちゃんのいった通りになっちゃったなあ」
穂乃果はホテルの一室から外を眺めた。
「今夜には、台風、直撃するかもだって」
ことりは自分の黄色いスマートフォンで台風情報を確認していた。
宏未さんのいった通りになりましたね、と海未は思う。
いろいろと準備ができたのは幸いでしたが、せっかくの自由行動がつぶれたのは残念です。特に、穂乃果はそうでしょうね。
「えー、海は? 真夏の太陽は?」
「諦めるしかありませんね」
海未は首を振った。
「やだよ! 高校の修学旅行だよ。一生に一度きりだよ!」
「残念でしたね、穂乃果さん」
ふてくされる穂乃果を
「もうこうなったら……台風、どっかいけー、どっかいけー」
穂乃果はことりのスマートフォンに向けて念を送った。
「あはは、それでなんとかなったら、すごいね、穂乃果ちゃん。でも、スマホじゃなくて、台風に直接、送ったほうがいいんじゃないかな」
「あ、そっか」
穂乃果は窓際までいって空に向かった。
「台風、それろー、それろー」
窓の外では、それをあざ笑うかのように風雨が吹き荒れていた。
「仕方ないですね。こんなこともあろうかと、トランプを用意してきました。これで遊びましょう」
海未は荷物からトランプを取り出した。
・
「どうして勝てないのでしょう……」
しばらくあと、海未は悩んでいた。ババ抜きを遊んでいたのだが、海未は十連敗中だった。
「次こそ……次こそ勝ちます!」
十一戦目。穂乃果と毬穂が上がり、海未はことりと最後まで残った。カードは減っていき、海未の手元には二枚。ハートのエースとジョーカー。
こ、これはまずいですね。絶対にジョーカーを引いてもらわないと。
「どうぞ、ことり!」
海未はカードを示した。ことりの指がカードの前でゆっくりと左右する。
「ええっと……」とことり。
あ、それはだめです。
「うーん、こっちかな……」
はい、そちらを、そちらを選んでください。
「それとも……」
ああっ、どうして戻ってくるのですか。そう、そうです、そこで取ってください……!
「海未ちゃん、ごめん!」
ことりは指をすっと動かして、ハートのエースを取った。
「ああっ」
海未は床にくずおれた。
「どうして負けるのです!」
「あはは……」
穂乃果が力なく笑った。
「あ、あの、わたし、ちょっとジュース買ってくるね♪」
ことりは立ち上がり部屋から出ていった。
「海未さん、別のゲーム、やりませんか。ポーカー……はだめですね、七ならべ……も微妙……。あ、神経衰弱とか」
毬穂が海未の肩を抱いてなぐさめた。
「みんな、たいへんたいへん」
廊下に戻ってきたことりがあわてたようすで呼びかけた。
「どうしたの、ことりちゃん?」と穂乃果。
「いいから来て!」
ことりはふたたび走っていく。
海未たちはあとを追った。
フロアのロビーで何人かの生徒が置かれたテレビを囲んでいた。ニュースが流されている。
『中心気圧は980ヘクトパスカル、時速10キロで北北西に進んでいます。本島に最接近するのは明日未明、午前二時ごろになりそうです』
「台風のニュースじゃない」と穂乃果。
「次、次です」
ことりがテレビを見たままいう。
『台風の影響で、那覇空港は今日午後からの全便が欠航です。また、明日についても午前中の全便の欠航が決まっています。午後については、天候の回復次第とのことです……』
「ええっ、これって……」
「うん、明日……帰れないかも」
穂乃果とことりは顔を見合わせた。
「でも、午後の便は飛ぶかもしれません」
毬穂がいう。
「そうですね。……先生のお話を、待ちましょうか」
海未は三人に声をかけていったん部屋に戻った。
『……音ノ木坂学院の生徒の皆さんにご連絡いたします。各班の班長はロビーにお集まりください。繰り返します……』
しばらくして館内放送が流れた。
「穂乃果、行ってくるね!」
穂乃果がすっくと立ちあがり部屋を出ていった。
三人はまんじりともせず待った。
やがて穂乃果が戻ってきた。肩を落とし暗い顔だ。
「……やっぱり明日は飛行機、飛ばないって。明後日の便だって」
穂乃果は三人の隣に座り込む。
「どうしよう、みんな。ライブ、出られなくなっちゃうよ」
「すみません、私がきちんと調べずに、ライブの予定なんか入れちゃうから……」
毬穂が穂乃果の手を取った。
「ううん、毬穂ちゃんのせいじゃないよ。天気だもん、仕方ないよ」
ことりがなぐさめる。
「いいえ、もっときちんと、調べておけばよかったんです」
毬穂は首を振った。
「あの、こうなっては仕方ありません。花陽たちに連絡、しませんか」
「……うん、そうだね。穂乃果、電話かけるよ」
海未にいわれた穂乃果は立ち上がり窓際へ歩いた。
「あ、花陽ちゃん。穂乃果だけど……」
スマートフォンを耳に当てる穂乃果を見ながら海未は思う。
困ったことになりましたが、花陽にあらかじめ話しておいて、正解でした。きっと準備、してくれているでしょう。宏未さんには感謝ですね。
「うん、そうなんだ。……できれば穂乃果も帰りたいよーっ」
おやおや、ひどい
「……そっか、わかった。うん、それじゃ、よろしくね」
穂乃果はしばらく会話をしてから電話を切った。
「六人でなんとかするって。うーん、穂乃果たちがいなくて、大丈夫かなあ」
穂乃果はふたたび座った。
「大丈夫ですよ。きっと、成功させてくれます」
海未ははげますようにいった。
「うん……。でも、残念だな……」
穂乃果は膝を抱え込み、なにか考えているようだった。
毬穂はそんな穂乃果に寄りそっていた。
海未はタイミングを見て部屋から出た。フロアの
「あ、宏未さん。突然すみません。あの、いま、大丈夫でしょうか」
ライブを見にいってほしいという海未の頼みを宏未は快く承諾した。
さて、これでひとまず、できることはしました。あとは花陽たちに任せましょう。
ただ、ライブに出られなくなったことは残念ですね。あれだけ練習してきたわけですから。特に、穂乃果は落ち込んでいるようです。なんとか気を取り直してくれるといいのですが……。
・
翌朝。天候は回復し、まだ風はやや強いものの紺碧の空が輝いていた。
「これなら帰れたんじゃない?」
起床して穂乃果は窓から空を見上げていう。
「でも、飛行機は機材の都合とかもあるから……」とことり。
「そっか。あーあ、残念だなあ」
朝食のため食堂に集まった生徒たちに、教諭から今後の予定の話があった。
「えー、みんなも気にしていると思うが、東京に戻る便は、明日の昼前に決まった。東京は午後だな。午前十時にはチェックアウトになる。それまでに準備しておくように。」
「ライブ、いつからだっけ?」
穂乃果が毬穂に聞いている。
「午後一時からです」
「……間に合わないね」
穂乃果はため息をついた。
教諭は続ける。
「今日は、昨日の予定をそのまま、一日、自由行動にする」
生徒から歓声が上がった。
「各班とも、くれぐれも、事故には気を付けるように」
「気にしても仕方がありませんよ」
食事が始まり、海未は穂乃果と毬穂に話しかける。
「そうだよ、穂乃果ちゃん、毬穂ちゃん。せっかくだから楽しまなきゃ♪」
ことりも笑った。
「……うん、そうだよね!」
穂乃果にもようやく笑顔が戻った。ただ毬穂は、どうしてもなにか引っかかっているようだった。
・
朝食後、海未たちは沖縄観光に出かけた。
台風は足早に通りすぎていったらしく波も意外なほど早くおさまり、海未たちは海水浴やトーイングを満喫した。
これはもしかして、穂乃果の神通力が通じたのでしょうか、と海未は思う。そうだとしたら、ありがたいことですね。
それから水族館に足を延ばし、最後に首里城を訪れた。
夕方、ホテルに戻るバスのなか。
穂乃果とことりは並んで座り、なかよく舟をこいでいた。
海未はそのうしろで流れていく街並みを眺めていた。毬穂は携帯端末でなにかを調べている。
「海未さん」
毬穂の声に海未は顔を向ける。
「機材も準備できて、夕方からの便、飛ぶみたいです」
「そうですか。天気も、すっかりよくなりましたからね」
「……これに乗れれば、帰れたのにな……」
毬穂は残念そうにつぶやいた。
「んー、なあに、どうかしたの?」
穂乃果が目をこすりながら振り向いた。
「いま、夕方の東京への飛行機は飛ぶようだ、と話していたのです」
海未は説明する。
「はい、これに乗れれば帰れたのにな、って」
毬穂もうなずく。
「そっか。先生も、こっちにしてくれればよかったのに。残念だな」
穂乃果はそういってゆっくりと前に向きなおった。
「……そうだ!」
穂乃果がもう一度、勢いよく振り返った。
「穂乃果、声が大きいですよ」
海未がたしなめる。
「あ、ごめん」
「どうしたの、穂乃果ちゃん」
ことりも目を覚ましたようだった。
穂乃果はすこし声を落として続けた。
「先生にいって、穂乃果たちだけ、先に帰らせてもらうのはどうかな?」
「そんな……無理ですよ。団体行動なのですから」
海未は
「でも、特別に、ってことがあるかもしれないし」
「うーん、ちょっと、無理だと思うなあ」
ことりもいい添える。
「ねえ、話してみるだけならいいでしょ?」
「ええ、それくらいなら止めませんが……」
海未はあいまいにうなずいた。
「やってみましょう、穂乃果さん」
「うん、毬穂ちゃん!」
無理だとは思いますが……。聞くだけなら、かまわないでしょうか。
ホテルに着くと同時に穂乃果は走り出した。
「部屋で待ってて!」
「あ、穂乃果さん」
毬穂があとを追う。海未とことりは顔を見合わせてから部屋へ向かった。
暗い顔の穂乃果たちが戻ってきたのは十分ほどあとだった。
「……やっぱり、だめだって。説得、したんだけどなあ」
「はい、部活の試合みたいなものなんです、って……」と毬穂。
「ちょっと納得してもらえそうな雰囲気も、あったんだけど」
穂乃果はため息をついた。
「だから無理だって、いったんです」
海未はあきれたようにいった。
納得してくれそうな雰囲気って、本当でしょうか。穂乃果の思い込みのような気がします……。そもそも、航空券だって、用意できないでしょうし。
「修学旅行、最後の夜なんですから、思い出に残るようなことをしませんか」
海未はふたりをなだめるように話す。
「そうだよ、穂乃果ちゃん、毬穂ちゃん」
ことりも微笑んだ。
「うん、そうだよね」
穂乃果はそういって、窓から暮れていく空を眺めた。
・
四人は食堂での夕食を終えた。
海未は部屋に戻った。入浴までにはすこし時間があった。
さて、どうしましょう。帰るまでに、今度こそ、リベンジでしょうか……。
「ねえ、海未ちゃん」
一緒に戻ってきたことりが聞く。
「なんですか、ことり」
「穂乃果ちゃんと毬穂ちゃん、どこいったか、知ってる?」
「そういえば、姿が見えませんね……」
海未は部屋を見渡すが、狭い部屋に隠れられる場所などあるはずもなかった。
「食堂を出るときまでは、たしかにいたんだよ」
ことりがあせりを浮かべる。
「きっと売店にでも、行ったのですよ。明日には帰るのですから」
「でも、それならわたしたちにも、声をかけると思うんだ」
それを聞いて海未も不安を抱く。
ことりのいう通りですね。もしかして……。そうです、荷物は?
海未はふたりの荷物を探した。部屋にあったのは海未とことりの鞄だけだった。
「ふたりのバッグが、ありませんね」
「ええっ、それって……」
海未とことりは顔を見合わせた。海未の心に冷たい不安の塊がわき上がる。
「あわてないでください。穂乃果に電話してみましょう」
海未は携帯電話を手に取り、穂乃果にかけた。
呼び出し音が鳴った。穂乃果はなかなか出ず、海未はじりじりしながら待った。
ようやく電話がつながる。
『ふえー、やっと見つかった。はい、穂乃果ですけど』
「穂乃果、いま、どこにいるんですか」
『あ、海未ちゃん。えっ、どこって……ちょっと、用事が……』
「穂乃果、まさかひとりで、東京に戻る気ではないでしょうね」
『ひ、ひとりじゃないよ。毬穂ちゃんも一緒。……先生は、その、なんとかごまかしておいて』
海未は絶句した。目の前が暗くなっていった。
まさかふたりで帰ろうとするとは……。なんということでしょう。
携帯電話を握る右手が白くなる。
「……ごまかせるわけ、ないじゃないですか! さっさと戻ってきなさい、穂乃果!」
『でも、せっかくのライブなんだよ! 穂乃果がいなくちゃ、始まらないよ』
「そんなことありません! どうしてみんなが、信じられないんですか」
『でも……』
穂乃果は押し黙った。
「クラスメイトや先生がた、それに部員たちにも、迷惑がかかるのですよ!」
『……次は、終点、那覇バスターミナル。那覇バスターミナルです。どなたさまも……』
電話から、バスの車内アナウンスらしい音声が聞こえた。
『えっ、ここで乗り換え? ごめん、海未ちゃん。絶対、成功させるから!」
それを最後に電話は切れた。
海未は茫然と携帯電話を見つめた。