クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi 作:Kohya S.
図書室の窓の外には、オフィスと集合住宅が併存する緑の多い複合地区が広がっていた。中層のビル群と木々のこずえが朝日のなかできらきらと輝いている。
閲覧席からそれを眺めながら、
しばらくしてひとりの少女が古ぼけた厚いパイプファイルをどすんと机に置いた。
「もう、手伝ってくれてもいいじゃない、宏未ちゃん」
そういって頬をふくらませて見せる。
「資料の場所は教えてやったんだから……探すくらい、自分でやらなきゃ。
「はあ、ほこりだらけになっちゃった」
毬穂は光沢のある白い生地でできたシンプルな半袖の上着と、同生地の膝までのスカートを身に着けていた。緑のパイピングが施され、胸には東京セントラル高等学校の校章が淡く輝いている。
高機能素材でできた高校の制服は、軽く払うだけですっかりきれいになった。ただオレンジ色の髪はところどころで白くなっていた。
「ほら、頭、まだついてるぞ」
「あれ、困っちゃうな」毬穂は髪に手をやって払う。「……どうかな?」
「まあ、だいたいいいみたい。……それで、見つかったんだ」
「うん、201X年、
毬穂は向かいの席に座ると、ふーっとパイプファイルに息を吹きかけた。盛大にほこりが舞い上がり宏未を襲う。
「うわっ」げほげほとせき込む宏未。
「あ、ごめんごめん」
毬穂はあやまったがそれほど悪びれたようすでもなかった。
「ひどいなあ」
今度は宏未がほこりを払う。
毬穂は宏未には目をやらずパイプファイルを開き、古びた紙をめくっていった。
「四月は廃校のお知らせがトップだね。あ、小さくμ's結成の記事が出てる……」
宏未は食い入るようにファイルを読んでいる彼女のようすを、特に興味を持つでもなく眺めた。
「六月にはオープンキャンパスでライブ、と」毬穂がつぶやく。
宏未はふたたび窓の外へ目をやった。
セントラル高校の十二階の図書室から見える複合地区は秋葉ドームの跡地に開発されたものだが、再開発から数十年、木々もすっかり大きくなり
宏未が通う神田橋大学とセントラル高校、それぞれのキャンパスは隣り合っていて在校生は自由に施設を利用できた。
昨日、幼馴染の毬穂から突然、連絡を――それもメッセージでなく映話で――受けたときには
毬穂は、音ノ木坂学院の資料のありかを知らないか、と宏未にたずねた。音ノ木坂学院は何十年も前にセントラル高校に統合されていたが、それでも紙の資料は図書室にあるはず、と宏未は答えた。
礼もそこそこに、毬穂は朝九時に図書室に来てくれと一方的に告げて映話を切った。
それで宏未は呼び出しに応じたのだが――。話もしないで資料を読みふけるとは、毬穂らしいな、と宏未は思った。
宏未にとって毬穂は妹のような存在で、行動力だけはある毬穂に宏未は幼いころから振り回されていた。
「えーと、九月号。μ'sのライブは屋上に決定、
毬穂は笑みを浮かべながら資料をめくる。
「うーん、やっぱり学園祭特別号の記事は小さいなあ。『期待されたライブは、高坂穂乃果の体調不良と雨天のため中止』。十二月、ラブライブ予選落ち、μ's解散へ……か」
毬穂は今度は落胆したようにため息をついた。
「いったい……なにを調べてるんだ?」
宏未は聞いてみる。
「うん、夏休みの自由研究でね。ちょっと先祖のことを調べてたの。レポートにまとめて提出しようかなって」
「夏休み、あと一週間しかないぞ……。今からで間に合うのか?」
「まあ、そこはなんとかするよ。あはは」
毬穂はごまかすように笑った。
毬穂の年は、宏未の三つ下だが――。思えば小学校のころから、こんな感じだったな。まったく誰に似たんだろう。
「でもね、宏未ちゃん、聞いてよ」毬穂はぐいっと顔を近づけた。紫の瞳がきらめく。「かわいそうなんだよ、ご先祖様」
先祖に向かってかわいそうもないものだと思うが――とりあえず宏未はうなずいて、先をうながした。
「μ's、っていうスクールアイドルグループを結成したんだけど、いろいろあって一年もたたずに解散してるの」
「その、スクールアイドルって、なんだ?」
「学校の部活のひとつとしてアイドルをやるみたい。数年間、ブームになったらしいよ」
「ふーん」
部活でアイドル……すごく無理があるような。数年間で終わったのも当然な気がするぞ。
「それでね、穂乃果さん……私の
「その穂乃果さんって……もう亡くなってるよな?」
「うん、私がすごく小さいころ……。でも、スクールアイドルの話とか、おばあちゃんからも聞いたことなかった」
「そっか」
「……ねえ、これ見てよ」
毬穂はそういって制服のポケットから携帯端末を取り出した。机の上に置く。指先で操作すると端末の上にホログラフィで資料が浮かび上がった。端末ごと宏未に見せる。
この時代、一部の資料――さきほどの校内新聞など――を例外として、過去のほとんどの資料は電子化されてネットワーク経由でアクセスできるようになっていた。
それは雑誌かなにかのインタビュー記事のようだった。『園田流家元・園田海未、半生を語る』と題されていた。
「これって……うちの?」
「うん、宏未ちゃんのご先祖様だよ」
海未は宏未の曾祖母で、園田流日舞の家元として長く活躍し――宏未も動画を見たことがある――宏未の生まれる前に亡くなっていた。宏未には、その動画と、アルバムで見た凛と背筋を伸ばした写真の記憶しかない。
でも……厳しいなかにも優しさが感じられる、雰囲気だったな。
「これ、毬穂のご先祖様と、なにか関係あるの?」
宏未は聞く。たしかに毬穂とは昔から家族ぐるみの付き合いだが――。
「まあ、読んでみてよ」
毬穂は謎めいた表情で笑った。
宏未は指先をひらめかせながら資料を読んだ。
『――高校時代、アイドル活動をされていたそうですね』
『はい、お恥ずかしい限りですが……。通っていた高校が廃校になると聞いて、幼馴染ふたりに巻き込まれて始めました。それから何人ものメンバーに恵まれて……PRの
『――大成功ですね』
『ええ(笑)。ただ、幼馴染のひとりが留学することになり……。その後のコンテストでも予選敗退して、残念ながら解散しました。今から見ればおままごとみたいですが……それでも、私たちは本気だったのですよ』
『――青春の一ページ、ですか』
『はい。良い思い出ですね。メンバーとは今もお付きあいしています』
宏未は顔を上げた。
「うちのひいばあちゃんも、スクールアイドル、やってたんだ」
「うん、そうなんだ」毬穂が微笑む。「それに、ほら」
毬穂はふたたび端末を操作した。動画が浮き上がり、音楽が鳴り始める。宏未はあわてて周囲を見渡すが、図書室にはふたりのほかには誰もいなかった。
その動画は今では当たり前の
昔のニュース映像くらいでしか見かけない二次元動画では、臨場感もなにもあったものではないが――不思議と宏未は、なにか引き込まれるものを感じた。
「あ、これ、穂乃果さんか」
「うん」
まぶしい笑顔を浮かべて中央に立つ少女は毬穂によく似ていた。
「それに、一番左。海未さんだよ」
たしかにその少女は宏未と同じ黒髪で、どことなく母の若いころと同じ雰囲気があった。
そして海未の笑顔は穂乃果と同じく輝いていた。
へえ、うちと毬穂のひいばあちゃん、か。当たり前だけど、若いころ……高校生のころって、あったんだよな。
すぐに動画は終わった。宏未は端末を毬穂に押しやる。
「これについて、まとめるんだ」
「うん、そうしようと思ってる。……わざわざ呼び出して、ごめんね。でも、動画とか、見てほしくて」
毬穂はすこし
「いや、いいよ。俺も意外だった」宏未は首を振る。「まさかアイドル、やってたなんて」
「でしょう。さすがに今から見ると古臭いけど……でも、すごく輝いて見える。そういうのって、今と変わらないんだなって、思った」
「そうだな」
毬穂のいうことはうなずける気がした。急に彼女たちが身近に感じられた。
「……もっと活躍、できてれば、よかったのにな」
毬穂はぽつりともらした。
「それって……そうなってれば、私も有名人だったのに、ってこと?」
宏未は茶化すようにいう。
「違うよー。穂乃果さんや海未さんのグループ……μ'sの動画、すごくすこししか残ってないんだ。九月からは、ことりさんが抜けて八人になってるし。九人のは、たった三本だけ……」
毬穂は目を落とした。
「もし、なにか違ってたら、もっとずっと彼女たちのこと、見られたのに……」
毬穂はじっと考え込んだ。
「……まあ、仕方ないさ」
宏未は彼女に声をかけた。気が付けば日もずいぶん高くなってきている。窓のガラスが自動的に暗くなっていた。
「ほら、カフェテリアになにか、食べにいこうよ」
「……うん、そうだね!」
毬穂は顔を上げて立ち上がった。
「俺が持つよ」宏未も席を立ちパイプファイルを手にする。「で、場所は?」
「こっちこっち。奥から三列目」
毬穂はぱたぱたと走っていく。
「……この一番上だよ」
ああ、ここから無理して下ろしたからほこりだらけになったんだな、と思いながら、宏未は毬穂が指差した隙間にファイルを収めた。
「ありがと。背が高くて、うらやましいなあ」と不満げにいう毬穂。
「こればっかりは、しょうがないね」
毬穂は同年代の女子の標準よりやや高いくらいだが、宏未はさらに頭ひとつ分ほど高かった。どちらかといえばやせ形で締まった体つきで、親譲りの黒髪はショートにカットしていた。
小学生のころまでは自宅の道場で弓道を鍛えられていたが、宏未自身はどちらかといえば勉強のほうが得意で――中学のころからはときどき顔を出すくらいになっていた。残念ながら弓道の腕前は、すでに同年代の道場生の足元にも及ばない。
「さーて、今日は、なにおごってもらおうかなー」
図書室から出て毬穂がいう。
「おごってもらうの前提かよ……」
「当然でしょ!」
彼女はすっかり明るく振る舞っていたが――さきほどのすこし思い詰めたようすに、宏未はかすかな違和感を感じていた。
・
数日後。宏未はセントラル高校と神田橋大学の共用カフェテリアにいた。ふたたび毬穂に呼び出されたのだった。
カフェテリアは高校の校舎の最上階、十四階にあり、図書室よりもさらに見晴らしがよかった。大きく取られた窓はすこし暗くなり、午後の強烈な日光を適度にさえぎっている。
夏休み終盤とあってカフェテリアは閑散としていた。毬穂は来ていないようだったので、宏未は適当な席に座って待つ。
すぐに制服姿の毬穂があらわれて宏未の向かいの席に座った。
「ごめん、また呼び出しちゃって」
「いいよ、どうせ今日も研究室にいたから。……なにか飲む?」
「うん、イチゴオレにしよっかな。……今日は私がおごるよ」
「珍しいこともあるもんだな。じゃ、アイスコーヒーで」
「りょーかい」
毬穂は卓上の端末を操作して注文を入れた。指紋認証すると軽快な確認音とともに代金が引き落とされる。
ほどなくして一体の丸っこいドローンが飛んできて、ドリンクの筒状のパックがのったトレイをテーブルに置いていった。
「それで、今日はなんの用?」
アイスコーヒーを飲みながら宏未が聞いた。警戒心がにじんでいるのは、毬穂がおごるなどといったせいだった。
宿題の手伝いなら、願い下げだぞ、と思う。
「……宏未ちゃんの研究室、
それを聞いたとたん、宏未のなかですべてが
「……毬穂、お前まさか、μ'sのために過去に戻ろうっていうんじゃないだろうな」
「さすが、話が早いね」
毬穂はにっこりと微笑んだ。
宏未の研究室では、十数年前に実用化され、日本に数台しかない航時機を扱っていた。
発明された当時は世界中が大パニックになったものだった。ただ、過去からなにかを持ってくることはできないことがわかり――つまり
とはいえ時間遡航の安全性は検証が終わり、歴史研究に活用され始めていた。
「本気でいってるのか」
「もちろん、本気だよ。私が過去へさかのぼって、μ'sをささえる。μ'sは大活躍。歴史は大きく変わるよ」
毬穂は目を輝かせていて真剣な表情で――どうやら本気みたいだな、と宏未は思う。
「そんな……過去を変えるなんて、たいへんなことだぞ」
「でも、タイムパラドックスは起きないんでしょ」
毬穂はイチゴオレを口に運ぶ。
「それはそうだけど……」
宏未は言葉に詰まった。
毬穂のいう通り、時間遡航して過去を変えたとしても、それは新しい
新しい並行世界では改変された歴史が正しい歴史となり、その世界のすべての住人は、歴史は元々そうだったものとして認識するのだった。
研究でも理由は不明なものの、例外は時間改変に関わった人物で、彼(彼女)の持つ記憶は維持されるらしかった。これはその人物が他の世界からの
というのも、航時機が発明されてから、自分が過去を改変したという人物がときどきあらわれていた。ただそれが
まったく、研究室の話なんかするんじゃなかったな。
宏未は気を取り直して続ける。
「まだ並行世界についてわからないことは多いんだ。大学で許可されてる時間遡航は研究目的だけだよ。まして、個人の趣味で歴史を変えるなんて」
並行世界を作ることによる影響は不明で――自由意志や偶然が並行世界を作るのかどうかも明らかになっていない――いまのところ時間遡航は、注意深く観察者に徹することを前提におこなわれていた。
「犯罪? そんな法律は、ないでしょ?」と毬穂。
「そりゃ、そうだけどさ……」
「じゃあ、問題ないじゃない」
「見つかったら、俺が先生にどやされちゃうよ」
「そのくらい、大したことないよ」
毬穂はまた微笑む。いや、大いに問題あるんだが、と宏未は心のなかでため息をついた。
「……それに、いわなきゃばれないんでしょ、歴史改変」
「まあ、ね。……でも、無理だよ」
過去に戻ることの難しさ、わかってるのかな、と宏未は思う。
遡航者はさかのぼる時代について事前に強化学習し、場合によっては当時の言語まで覚えて、違和感を持たれないように努力していた。
たかがアイドルグループのために過去に戻るなんて、いままで聞いたこともない。いくらご先祖様だからって。
それに、μ'sのいた時代……だいたい八十年前か……そんな野蛮な時代に戻るんだし。毬穂が心配だよ。
「えー、そんなー。私と宏未ちゃんの仲じゃない」
ふくれっ面をする毬穂。
「どんな仲だよ……」
いろいろ迷惑かけられてた記憶しかないぞ。
「とにかく、それについては協力できないから」
宏未はコーヒーを飲みほして席を立った。
「私、諦めないんだから」
毬穂が小さくつぶやくのが聞こえてきた。