クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi 作:Kohya S.
「おはようございます」
カフェテリアで
「うい、おはよう」
先に来ていた男の先輩が机上の端末から顔を上げずにこたえた。
「おはよう、園田君」
もうひとりの女性の先輩は顔を上げて宏未に笑った。すぐに端末に顔を戻す。
宏未はこの研究室で時間理論について学んでいた。
研究室では一番の下っ端で、時間遡航の下準備や航時機の保守や点検など――実際の操作はまだやらせてもらったことはない――の雑用を担当することも多かった。
宏未は自分に割り当てられた入口に一番近い机に座った。端末を立ち上げて、昔ながらのキーボードを叩く。
「えーと、航時機のスケジュールは……さすがに夏休みだと、いつもより
今週は史学系の利用が数件、予約されているくらいだった。
「航時機、見てきますね」
先輩たちに断ってから宏未は隣の部屋に移った。
そこは計算機室で、大きめの衣装箪笥ほどの大きさのいつくかのラックが並んでいた。そのなかには計算機が詰め込まれ、ゆっくりとLEDの明かりを瞬かせていた。
また居室のある側と反対側の壁は一部が大きくガラス張りになっており、その先の航時機室がよく見えた。
宏未は航時機室に入った。巨大な機械が存在感を持って鎮座していた。
航時機は中央の直径1メートルほどの円形の台座と、それを取り巻く複数の金属製のキャビネからなっていた。それぞれは大量の電線で接続されている。また台座の上には、同じ直径の半透明の筒が天井付近から吊り下げられていた。
実際に時間遡航をおこなうときには、筒が下りてきて力場を形成し、円筒のなかの物を過去に送り込む仕掛けだった。
航時機、か。実際、過去に戻るときには、どんな感じなんだろうな。体験した人の話だと一瞬らしいけど。
いまは航時機室は静まり返っており、キャビネのクロームの表面に宏未の顔――すっと通った鼻筋に黄色の瞳が目立つ――が写りこんでいた。
宏未はキャビネのひとつをそっとなでた。それはひんやりと冷たかった。
航時機の前まで来たものの、ここでできることは特になかった。宏未はしばらく見つめてから計算機室に戻った。
コンソールの前に立って平面ディスプレイに機器情報を表示した。
「主計算機異常なし、航時力場生成機異常なし……と。時空安定度+0.3、ここ二十四時間の変異は-0.1……。問題ないね」
宏未は居室の自分の席に戻ると、いま取りかかっている研究テーマの資料を開いた。
しばらくして居室の扉がノックされた。
「失礼しまーす。宏未ちゃん、いる?」
ガチャリと音がして扉が開き顔がのぞく。毬穂だった。
「うん、いるよ。なんの用?」
宏未は顔を上げた。
毬穂はときどき研究室に顔を出していた。あまり顔を出されると、先輩に冷やかされるんだけどな、と思う。
目があうと毬穂はいたずらっぽく笑った。
「えへへ。これ見てよ」
毬穂は部屋のなかに入ってきてくるりと回ってみせた。半袖のブラウスにクリーム色のベスト。襟元には赤いリボン。青系統のチェック柄のスカートが舞い上がる。
「と、とりあえず外に出よう、毬穂」
こんな妙な格好、先輩に見られたらなにいわれるか、わからないからな。
「えー、どうしてよ」
不満そうな声をあげる毬穂を押し出すようにして廊下に出る。
扉を閉めると宏未はあらためて聞いた。
「なにそれ……コスプレ?」
「ひっどーい。オトノキの制服だよー」
「オトノキって……音ノ木坂学院、か」
「そうだよ。似合ってるでしょ」
毬穂は笑いながらスカートの裾を持ち上げてみせる。
彼女のいう通り、古風で素朴な衣装は毬穂の健康的な魅力を引き出しているように見えた。
毬穂、うん、たしかにかわいいんだよな。
「まあ、ね」
そういってから素直に認めるのも
「……っていうか、どこで手に入れたの、それ」
まさか曾祖母の? いや、さすがにそこまで物持ちはよくないだろうな……。
「自作だよ、自作。市販のデータ、加工して、3Dプリンターで出力したんだ」
毬穂は自慢するように胸を張った。
「そこまでしたんだ。……ってことは、まだ諦めてないの?」
「もちろんだよ!」
毬穂は両手のこぶしを体の前でぐっと握りしめた。
はあっ、と宏未はため息をついた。
こりゃ、いつものように……いや、いつもよりも、相当、本気だぞ。
「立ち話もなんだから……カフェテリアまでいくか」
話が長くなりそうなのを予感して宏未はそう提案した。
・
ふたりはカフェテリアの端のほうの目立たない席に座った。
「毬穂、お前、時間遡航がどれだけ大変か、わかってるのか」
「もちろん。だからこうやって、わざわざ制服、作ったんじゃない」
「それだけじゃない。現地に行って、溶け込まなきゃならないんだよ。俺も遡航したこと、ないんだぞ」
宏未はさとすようにいう。
「当時の状況も、学習したよ。学校の仕組みとか、社会情勢とか……。予防注射も受けたし」
「……すごい努力だな」
こういう前向きなところ、勉強に生かせばいいのに。
「うん。だから、宏未ちゃん。協力してよ。悪いようにはしないからさ」
毬穂は微笑む。まったく、悪いように、ってなんだよ……。
しばらく沈黙が流れた。
すろとなにを思ったのか毬穂は左手でベストの胸元を握りしめた。目を落として伏し目がちになる。
「宏未ちゃん……」
そういった毬穂は次の瞬間、顔を上げて訴えかけるようにいった。
「お願い!」
宏未ははっと息を飲んだ。思わずうんといいそうになって、気を取り直す。
「……なにそれ」
「お友達のつぐみちゃん直伝、お願いポーズだよ。……ダメかな?」
「それは置いておいて……」
「置かないでよ!」
「……本気なんだな」
「もちろん!」
宏未は毬穂を見つめた。彼女は真剣な表情で見つめ返す。
はあっ、と宏未はふたたびため息をついた。
本気だとは思ったけど、制服作って、学習して、どれだけやる気なんだよ……。昔から、こいつには振り回されてたっけたな……。
時間遡航……どうせばれない……はあ、仕方ないな。
「……明後日、今度の土曜日。航時機、空いてるよ」
「え、それじゃ……」
「保守の予定、いれとく。そうすれば誰も来ない、はずだ」
「ありがと、宏未ちゃん!」
毬穂は輝くような笑みを浮かべた。宏未は内心でまた、ため息をつく。
「……準備もあるから、十二時に研究室、時間厳守だぞ」
「うん、わかった!」
「それじゃ、早速準備、はじめなきゃ」
毬穂はがたんと音を立てて席を立った。宏未も立ち上がる。
毬穂は宏未の手を両手で握りしめた。
「ありがと、宏未ちゃん。大好き!」
毬穂はそれだけいうと手を離し、カフェテリアから走り出ていった。
その背中を見送りながら、宏未はやれやれというように首を振った。
とんでもないこと、約束しちゃったな。まあ、わずかの期間、遡航するだけならμ'sに与える影響も、たいしたことないだろう。毬穂にとっては、休暇みたいなものかな……。
・
土曜日。研究室は休みだった。
宏未が五分前に研究室につくとすでに毬穂が来て廊下で待っていた。たいしたやる気だな、と思う。
「あ、宏未ちゃん」
先日の音ノ木坂学院の制服姿の毬穂は顔を上げた。
「こんにちは、毬穂。今、開けるから」
宏未は指を押し当てて指紋認証式の錠を解除する。
「失礼しまーす」
宏未に続いて毬穂が居室に入った。宏未はいつもの席に、毬穂はその隣に座る。
「端末、貸してみ。ロック解除して」
「うん、いいけど……。どうするの?」
毬穂は内ポケットから端末を取り出してロックを解除した。宏未は受け取る。端末は毬穂の体温で温かかった。
「携帯端末自体は、多帯域対応だから過去でも使えるけど……。遡航者用のアプリがあるんだ。どうせ戸籍のこととか、考えてなかっただろ」
「うん、まったく!」
「201X年くらいだと、ハッキングで戸籍、作るのが一番、簡単なんだよ」
そう話しながら宏未は携帯端末を研究室のサーバに接続し、アプリをインストールする。
「ハッキング用の機能とその時代の基礎データいろいろ。それに偽造用の身分証明書とか紙幣のデータも入ってる。端末の3Dプリンターで出力できるけど、ほどほどにな」
「へーっ、そんなアプリ、あるんだ」
「うん、当時の技術だと、本物と見分けつかないよ。……ほら、入れたぞ」
宏未は毬穂に携帯端末を返した。
「ありがと」
「音ノ木坂学院へはどうやって入るつもりなんだ?」
「うん、そこは考えてる。二学期のすこし前に遡航して、転学手続きを取るつもり」
「なるほどな。まあ戸籍があればいけるか。……それで、どのくらい、向こうにいるの?」
「半年くらいって考えてる。八月半ばから次の年の二月かな」
「半年?」
宏未は聞き返した。
そんなに長くか。大学の長期研究プロジェクト並みだな。まあ、古代や中世、近代にくらべれば、格段に難易度は低いけど……。それだけ滞在すると、さすがに歴史に、なにか影響が出るかもしれないな。
「だって、μ'sをサポートするんだよ。それくらい、いなきゃ」
「うーん、事故とかにあわないように、気を付けろよ」
「大丈夫だって。穂乃果さんたち、ふつうに生活してるんだよ」
毬穂は笑った。
まあ、たしかにその通りなんだけど。それでも、ちょっと心配だな。
「……そうすると帰還までだいたい六時間か」
過去への滞在期間に制約はなかったが、それに応じて現在に戻ってくるまでの時間が伸びるのだった。
「それじゃ、遡航先は八月二十日、十三時ちょうど。帰還日は六か月後、えーと、念のため日曜日がいいか……」
宏未は自分の端末でカレンダーを確認した。
「翌年の二月二十三日、十八時ちょうど。これなら時差ぼけもないはずだ。これでいいかな」
「うん。遡航先の場所は?」
「音ノ木坂学院の裏庭にしようかと思う。どうだ?」
「そうだね。そのへんの地理は学習しておいたから……大丈夫」
「帰還時刻になると、どこにいても強制的に帰るからな。神隠しとかにならないように、気を付けろよ」
「わかった」
毬穂はうなずいた。
宏未は端末に時刻と場所を設定してから研究室のサーバに転送した。
「……荷物、端末だけ?」
「そのつもりだけど……ダメかな?」
「お金は3Dプリンターで出力できるけど、結構、時間かかるぞ。当面の着替えとか、宿の確保とか、どうするんだよ」
「あ、そっか……」
毬穂は笑って頭をかいた。
いまはどこに行くのも端末ひとつで十分だからな。まあ、そんなことだろうと思った。
「ついてきて」
宏未は立ち上がり計算機室に入る。毬穂も続いた。
「へー、これが航時機か。本物見るの、初めてだよ」
毬穂はガラス越しに航時機を眺め感嘆の言葉をもらした。
「まあ、ね。けっこうな金額、かかってるらしいよ」
「ふーん、すごいね」
宏未は航時機室の隣の予備室に入る。そこにはいくつものロッカーが並んでいた。
「えーと、二十一世紀初頭、若い女性、と……。このへんかな。おい、毬穂」
「はいはい」
あわてて毬穂が顔を出す。
「ここから二、三着、服を取っていいよ。鞄も。あとで補充しておくから、ばれないと思う」
「へー、準備、いいんだね」
「まあ、こうやって用意しておかないと、効率悪いからな」
毬穂はロッカーに頭を突っ込み、上着と肌着などが一式ごとにフィルムに包まれた服を取り出した。
「うーん、あまりかわいいの、ないなあ」
「そりゃ仕方ないよ。……ほら、お金も」
宏未は備品から同じくフィルムに包まれた紙幣と硬貨のセットを渡す。
「うん、まだ現金が主流なんだよね。そのへんはおさえてるよ」
「……へんなことしてぼろを出さないようにな」
「わかってるって。宏未ちゃん、心配性だなあ」
毬穂は鞄に服や金を突っ込みながら、明るくこたえた。
毬穂の準備ができたのを見て宏未は毬穂を航時機室に案内した。いつの間にか毬穂は真剣な表情になっていた。
円形の台座に立たせる。
「ここに立って……上からあの筒が降りてくるから、ぶつからないようにな。俺は向こうの計算機室で操作するから」
「えーっ、隣にいてくれないの?」
「操作はここじゃできないんだよ。そこの窓から見てるから」
「……わかった」
毬穂は唇をかみしめていた。すこし震えているように、宏未には見えた。急に毬穂のことが年相応の少女らしく頼りなく見えて、さらに心配になる。
μ'sのいたころは、戦争も暴動もない時代だけど……。
「……やっぱり、止めておくか?」
宏未は優しくいった。毬穂はしばらく黙っていたが、やがて決意したように首を振った。
「……ううん。いく」
「そっか。……気を付けろよ」
うん、毬穂ならそういうと思ったよ。
宏未は毬穂の手を握った。毬穂の手は緊張のためかすこし汗ばんでいて冷たかった。
宏未は計算機室に戻りコンソールの前に立った。実際に航時操作をするのは初めてだが、なんどもわきで見ている。不安はなかった。
まずは計算機の自己診断を走らせる。ゆっくりとリストが埋まっていき、やがてすべての項目がグリーンに輝いた。
次に力場生成機の電源を入れた。どこかで継電器がガチャリと鳴り、低い機械音が響き始めた。
コンソールに遡航前のチェックリストを表示する。
「主計算機異常なし。航時力場生成機異常なし。時空安定度+0.1、問題なし。遡航対象重量確定、52.2キログラム」
意外に重いんだな、と場違いなことが頭をよぎる。あ、服と鞄も込みか……。
ちらっと毬穂を見ると不安そうな瞳と目があった。安心させるように微笑む。毬穂はこくりとうなずいた
航時機室からの音はだんだんと高くなっていった。
「……遡航先時刻設定、UTC 201X、0820、0400。遡航先座標設定、35.696709、139.766739。高度自動設定モード、オン。帰還時刻設定、UTC 201X、0223、0900。チェックリスト、オールクリア」
コンソールに緑色のメッセージが表示された。
ふたたび毬穂に目をやり、親指を上げる。毬穂も同様に親指を上げた。
コンソールに最後の操作をするとブザー音が鳴り響いた。航時機室にも同じ音が鳴っているはずだ。誰の趣味なのか、航時機のキャビネのひとつの上に置かれた古風な回転灯が灯り、黄色い光を投げかけた。ずっと響いていた音はすでに数オクターブは高くなっている。
すぐに半透明の円筒が下り始めた。宏未はじっと毬穂を見つめる。
数秒で円筒は床まで下りた。その直後、内側の毬穂の体がまぶしい輝きに包まれた。
次の瞬間、毬穂の体は消えていた。
宏未はふーっと息をはいた。
行っちゃったな……。まったく、見上げた行動力だよ。
機械音は鳴りやんであたりは静寂に包まれていた。宏未はしばらく航時機の円筒を見つめていた。
思いついて自分の携帯端末を取り出す。
毬穂が遡航した瞬間に並行世界への遷移が起き、歴史改変の結果はすぐにあらわれているはずだった。
そうだな……まずは海未さんのインタビュー、確認してみるか。
検索をして記事を探し出す。すぐに毬穂が見せてくれたのと同じ題名の記事が見つかった。
まあ、記事がなくなるほどは、歴史、変わってないよな。そう宏未は
しかし――その安堵は記事を読み始めるまでだった。
「なんだよ、これ……」
宏未は携帯端末を取り落としそうになり、あわててつかみ直した。