クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi 作:Kohya S.
4. ことりの迷い
新学期が始まって数日後。
「海未ちゃん、今日の練習後、ちょっと時間あるかな。話があるの」
昼休み、穂乃果と
「ええ、かまいませんが……。私だけで、いいのですか?」
「うん、まずは……海未ちゃんに聞いてほしいの」
ことりは心細そうにあごに手を当てる。
穂乃果にも話せない、ということでしょうか、と思う。ことりが今までそんな風にいったことは、海未の記憶になかった。ことりのようすと相まって海未は不安を覚える。
いったいどんな話なのでしょうか……。
穂乃果と毬穂が戻ってきた。ことりはあわてて続けた。
「じゃ、ふたりで帰ろ。よろしくね」
「わかりました」
練習を終え、部員たちにはにはすこし用事があると告げて、海未とことりは一緒に部室を出た。
九月に入り、夕方になると秋の気配もすこしずつ感じられるようになってきていた。
学院の前の長い階段をふたりで下りた。ことりはうつむき気味でなにかに悩んでいるようだった。
そういえば二学期になってからずっと、いつもより静かだった気がします……。もっと早くに気づいてあげるべきだったでしょうか。毬穂さんが入部されたりして、ばたばたしていましたからね。
「それで、話とはなんですか、ことり? 立ち話がなんでしたら、どこかへいきましょうか」
「うん、それじゃ、あそこの公園で……」
公園のベンチに座る。夕日が公園を赤く染めていた。
海未はなにもいわずにことりが話し出すのを待った。
ことりはしばらく地面を見つめていたがようやく口を開いた。
「実はね、海未ちゃん。先月、お母さんの知り合いから、エアメールが来たの」
「エアメール、ですか」
話の
「……こっちの服飾の専門学校で、学んでみないかって。わたし、その学校に、ずっと前からあこがれてたんだよ」
服飾……ことりの得意分野ですね。そのような誘いが来るとは、さすがことりです。海未は友人が誇らしくなる。
ことりは洋裁が得意で以前から衣装作りが趣味だった。ことりはそれを生かしμ'sのステージ衣装のデザインを主に担当していた。
衣装のかわいさはメンバーたちに好評で、ネットのファンのあいだでの評価も高かった。
でも、エアメール、とことりはいいました。
「……ということは、海外にいくのですか?」
「うん、もし誘いを受けたら……留学して、向こうで通うことになるの」
ことりは言葉を切った。
ゆっくりと言葉の意味が海未の心に染み込んできた。
海外、ですか。つまり、ことりと別れる、そういうことですね。
海未は秋葉原での路上ライブのあと、神田明神で三人で話したことを思い出す。
そう、あのとき私たちは、ずっと一緒にいる、と話しましたね。穂乃果も一緒に。だからことりは、自分ひとりで悩んでいたのですね。
たしかに、ことりと別れるのはつらいです。ただ、ことりは、あこがれだったと話しました。きっと、ことりの夢なのでしょう。友人としては、それを無理に引き留めては、いけないのではないでしょうか……。
海未はあらためてことりを見つめた。ことりは眉を寄せてじっと考え込んでいた。
「行くかどうか、悩んでいるのですね」
海未は優しくいった。
「……うん」
「もし留学するとなると、寂しくなりますね。私からは、なにもいえませんが……。ことりの決断を、私は尊重しますよ」
「ありがとう、海未ちゃん」
ことりは顔をあげて微笑んだ。
海未は同じくらいショックを受けるであろう、もうひとりのことを思い出す。
「穂乃果には話したのですか」
ことりはかすかに首を振る。
「ううん、まだ。穂乃果ちゃん、ずっと忙しそうで……」
「そうですね……」
たしかに、学園祭にラブライブ、新入部員と、穂乃果はずっと張り切り通しだった。
「でも、早めに話したほうがいいですよ」
「うん、わかってる。学園祭のあと、話そうと思う。そのころまでに決めれば、大丈夫だから」
できるならすぐにでも相談したほうがいいとは思いますが……。いっそのこと、私から穂乃果に話しましょうか。……いいえ、ここは、ことりに任せるしかないでしょうね。
「そうですか。わかりました」
海未がいうと、ことりはうなずいた。
その顔は寂しそうで――留学の誘いが来たことを喜んでいるようには、海未にはどうしても見えないのだった。
・
毬穂がアイドル研究部に入ってから一週間ほどがすぎた。
このあいだ毬穂は、練習前にドリンクの準備をしたり、タイムキーパーを買って出たり、屋上の鍵の管理をしたりと積極的に動いていた。
メンバーからの評判も上々だった。
毬穂は徒歩で通える場所に住んでいることがわかり、海未は穂乃果、ことりに加えて毬穂とも、ときどき一緒に帰宅するようになっていた。
学園祭も近づいたある日の練習後、四人はその日も校門まで歩いた。
「そういえば、毬穂ちゃん。部活、いろいろありがとう」
穂乃果が毬穂に笑いかけた。
「いいえ、すこしでも役に立っていれば、いいんですけど」
毬穂は白い歯を見せる。
「本当に助かっていますよ」海未もいい添えた。それは海未の本音だった。「雑用が意外にたくさん、あったのですね。練習がずっとスムーズになりました」
「そんな……。ありがとうございます」
毬穂はすこし恥ずかしそうにする。
「お礼をいうのは、こちらのほうですよ」
それに、すっかりみんなに馴染んでいるようで、安心しました。先輩禁止も、定着したようですしね。
校門を出たところで、ことりがいった。
「ごめんね、今日、ちょっと買い物があるから、ひとりでいくね」
「なになに、どこにいくの。付き合おっか?」
穂乃果がことりのほうに身を乗り出す。
「ううん、いいの。ひとりでいくから」ことりは言い訳をするように首を振った。「じゃあね、みんな。また明日」
ことりは小走りで離れていった。
残った三人は学院前の階段を下りる。
「ことりちゃん、最近、付き合い悪いなあ」
「いろいろ忙しいのですよ、新学期ですから」
海未はことりをかばうように話す。
「留学、どうするのかなあ……」
毬穂がぽつりとつぶやいた。
海未はあわてて毬穂のほうを見た。毬穂はしまったというように、目を見開き口を手で押さえていた。
穂乃果は階段の途中で立ち止まった。あっけにとられたように毬穂を見つめる。
「留学? なに、それ……」
次の瞬間、穂乃果の表情が
「もしかして、ことりちゃんが?」
そういって毬穂に詰め寄る。
「穂乃果、危ないですよ」
海未はとりあえず穂乃果の気を引くために声をかけた。
「で、でも……」
こういうときだけ穂乃果は勘がいいのですね。しかし、毬穂はどうして、ことりの留学のことを知っているのでしょう……?
海未は穂乃果をなだめるようにしながら階段の下まで下りた。
穂乃果の問い詰めるような視線に毬穂は口を開く。
「留学って、どんな感じなのって、聞かれたの」
毬穂は顔を落とし唇をかみしめていた。
「ごめんなさい、私、ことりちゃんから、黙っていてっていわれたのに……」
そういうことですね……。海未は思う。
毬穂さんは帰国したばかりですから、きっとことりは、彼女に海外のことについて、相談していたんでしょう……。でも、困ったことになりましたね。
「ねえ、海未ちゃん、ほんとなの?」
穂乃果は今度は海未に、思いつめた表情で聞いた。
毬穂は詳しいことは聞いていないようですが……。しかし、いまさらごまかすのは、難しいでしょうね。
「……ええ、本当です。服飾の勉強に来ないか、といわれているようです。いま、悩んでいるらしくて……」
「そんな……どうして私には話してくれないの。ずっと一緒にいる、っていったのに……」
いやいやをするように首を振る穂乃果。
「ことりは気にしていましたよ。でも、穂乃果がずっと忙しそうでしたから……学園祭が終わったら相談するって、いってました」
「そう、なんだ……」
穂乃果は下を向いて黙り込んだ。
「私、本当にごめんなさい」
毬穂がふたりに頭を下げた。彼女も彼女なりに考えていたのだろうと、海未は思う。ここで毬穂を責めても、仕方ありませんね。
「いいえ。どうせいつかは、明らかになったことですから……」
そう優しく告げる。
「私……ことりちゃんと毬穂ちゃんには悪いけど、聞けて良かったと思うよ」
穂乃果は顔を上げて苦しそうに微笑んだ。
「あの……ことりちゃんには、黙っていてもらえますか。私が話したってこと……」
毬穂は暗い表情でいう。
毬穂も気まずいでしょうし、それがよさそうですね。
「ええ……わかりました」海未はうなずく。「穂乃果、どうですか。つらいとは思いますが」
「うん、わかった。……ことりちゃんから打ち明けてもらえるまで、待つよ」
「ありがとうございます」
毬穂はもう一度、頭を下げた。
三人はゆっくりと歩き出した。
「でも……ことりちゃんがいなくなるなんて、私、耐えられないよ」
穂乃果がもらした。
「しかし、ことりのあこがれだったようですよ。それに、ことりの将来のことですから……」
「うん、わかってる。わかってるけど……」
それから三人は、別れる場所までずっと無言だった。
・
翌日。穂乃果は練習に参加したものの、海未の目から見るとどこかぎこちなかった。無理もないだろう、と思う。毬穂も終始、無言だった。
穂乃果に毬穂、そしてことり。三人ともそれぞれに難しい状態になってしまいましたね。学園祭、無事に終わればいいのですが……。それに、私ができることは、なにかないのでしょうか……。
その日の練習後。海未は買い物にいくという穂乃果たちと別れ、ひとりで帰宅していた。母親から日舞の稽古を付けるといわれていたのだった。
夕暮れの光のなか、海未はいつもの公園を通りがかった。
ふと公園を見ると、ブランコのわきの空中がまばゆく輝いた。思わずまばたきをする。一瞬ののち、そこにはひとりの青年が立っていた。
あれ、あんな人、いましたっけ。海未は自分の目をうたがった。
まるで突然、あらわれたような……。いえ、疲れていますし、夕暮れですから、きっと気のせいですよね。
海未はそう自分にいい聞かせた。
青年はあたりをきょろきょろと見まわしたかと思うと、ふらりと歩き出した。海未が見るうちに公園を横切り、道路へ出ていき――。
「危ない!」
海未が声を上げたのと同時に、クラクションが鳴り響いた。青年が車をよけてうしろに倒れこむ。その直前を車が走りすぎていった。
海未はあわてて駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
青年は尻餅をついていた。見たところ出血などはしていないようだったが――。
「いたた……。いえ、大丈夫です」
青年は顔を上げてそうこたえた。大きな怪我はしていないようですねと、海未はまずは安心する。
海未と目をあわせた青年は
ひかれそうになったショックでしょうか。あんな風に道路に出ていくなんて、本当に危ないですね。
「どうですか、立てますか」
海未は手を差し伸べた。青年はようやく気を取り直したのか、海未の手を取って立ち上がる。
「ありがとうございます」
笑顔を浮かべた青年は、すらりとした長身だった。銀色の光沢を帯びた半袖シャツと、同生地のストレートのパンツを身に着けている。
しかしその笑顔はすぐに曇った。
「あ、痛。……ちょっと、足首、ひねっちゃったかな」
そういって足元を見下ろす。
辛そうにしているその姿を見て海未は思う。
お怪我をされているようですね。見ず知らずの人にこんなことをいったら、かえってご迷惑でしょうか。でも、情けは人の為ならず、といいますし。
海未が悩んでいたのはごく一瞬だった。
「あの、よろしければ……うちで手当て、いたしましょうか。すぐ近くですので」
「え、いや、いいですよ。たいしたことはなさそうだし、ご迷惑でしょうし」
青年はかぶりを振った。しかしその表情は海未には無理をしているように見えてならなかった。
「そんなことはありません。どうぞご遠慮なさらずに」
海未はきっぱりといった。
青年はしばらく
「それでは、お願いできるでしょうか。すみません」
青年は丁寧に頭を下げた。
「いいえ」海未は微笑む。「……手を、お貸ししましょうか」
「いえ、そこまでは」
青年も微笑みを浮かべた。その笑顔は優しそうで――海未はすこしどきりとした。
――――――――――
毬穂が遡航したあと、携帯端末で開いた海未のインタビュー記事は、大きく変わっていた。
『――高校時代、アイドル活動をされていたそうですね』
『はい、そうなのです。通っていた高校が廃校になると聞いて、幼馴染ふたりに巻き込まれて始めました。それからメンバーも増えて……PRの
『――大成功ですね』
『それが……そうでもないのです。そのあと、私たちのグループは人気が出て、コンテストでも優勝しました。そしてメンバーの卒業を機に、芸能活動を始めました。でも……私たちも若かったんですよね』
『――若かった、というと』
『ちょっと天狗になっていたんです。人間関係のもつれから、メンバーの仲は険悪になり……不幸な事故で仲間を亡くすトラブルもあって、ほんの数年で解散しました。今ではみな、なにをやってるのか。……すみません、湿っぽい話で』
これ、明らかに悪くなってるじゃないか。毬穂が時間遡航したことが、こんな結果になるなんて……。そうだ、校内新聞。
宏未は計算機室から廊下に出て図書室へ急いだ。
閑散とした図書室の書架からパイプファイルを取り出す。幸いファイルは同じ場所にあり、ほこりにまみれていた。
宏未は若干の違和感を覚えたが、それはあせりに流されていった。
閲覧席まで持っていって開く。
八月まで……たぶん毬穂が見てたのと同じだな。
九月。「穂乃果と毬穂の高坂ズ、講堂を引き当てる」か。毬穂が出てる。あれ、たしか毬穂は矢澤部長って、いってた気がする……。くそっ、もっとよく見ておけばよかった。
学園祭特別号……ライブ大成功。十月号、ラブライブ準優勝か。あれ、この写真、九人いるぞ。それも、毬穂じゃない。
どうやら毬穂はメンバーの引き留めに成功してμ'sは九人のまま続いたようだった。宏未は読み進めた。
「ラブライブ!」――スクールアイドルのコンテスト的なものらしい――で第一回は準優勝、第二回は優勝し、μ'sは存続する、というところで校内新聞の記述は終わっていた。
毬穂が戻ってきたら……どんな顔をするだろうな。もう一度、遡航するっていい出すかもしれないけど……。
すでに再遡航は試みられていたが、同一人物が同時代にふたり以上、存在することは許されないらしく遡航自体が失敗してしまうのだった。
宏未はひとつの案を思いついた。それは毬穂がすでに遡航している以上、当然のアイデアで――しかし実際に実行するには勇気が必要だった。
宏未は焦燥感に
そう、ひとつの可能性として、俺が遡航すれば歴史はさらに変わるかもしれない。もうすこしマシな……元の世界に。
ただ、毬穂が戻ってきてからだと、いま遡航している毬穂は救えない。……いや、もうこの世界は確定してるのか? それでも俺は……。
宏未の脳裏に毬穂の姿が――μ'sをささえるといった真剣な表情が、航時機の前の不安そうな顔が――よぎった。
宏未が悩んでいた時間は短かった。
たとえそうだとしても、毬穂は放っておけないよな。
パイプファイルをそのままにして宏未は研究室まで走った。
計算機室から予備室へ入る。服と鞄、現金をつかんだ。本当ならいま着ている服も着替えたかったが、時間が惜しかった。
シンプルなシャツとパンツだから、なんとかごまかせるだろう、と思う。
次に航時機室に移り体重を測定した。
そして計算機室に戻りコンソールを開いた。
自己診断を走らせるあいだ、宏未はμ'sの情報を手当たり次第にダウンロードした。毬穂はμ'sについて事前に調べていたはずだが宏未はなにも知らない。遡航先で役に立つだろうと考えたのだった。遡航者用のアプリもインストールする。
やがて自己診断が終わった。ひとつの項目だけが黄色だった。
「遡航者あり」
力場生成機――半透明の円筒内部――がふさがっていると現在に戻ってくることができないため、滞在期間が狂ってしまう。その警告だった。
無視するしかないな。宏未はコンソールを叩いて先に進んだ。力場生成機の電源が入り機械音が鳴り始める。
「主計算機、航時力場生成機、ともに異常なし。時空安定度±0.0、問題なし。遡航対象重量確定、65.8キログラム。遡航先時刻設定」
宏未はコンソールに表示された現在時刻を確認した。すでに毬穂が遡航してから三十分ほどが経過していた。
戻ってくる時間をだいたいあわせたいな。遡航先、半月くらいあとにしよう。それに、昼間より夕方のほうが目立たないか……。場所は……適当でいいか。
「UTC 201X、0910、0900。遡航先座標設定、35.701737、139.769934。高度自動設定モード、オン。帰還時刻設定、UTC 201X、0223、0900。よし、チェックリストクリア」
宏未は一分後に自動的に遡航開始するよう、航時機をタイマー動作モードに設定した。
航時機室へ急いで歩き、円形の台座に立つ。音が徐々に高まっていく。
俺、ひょっとしてとんでもないこと、してるんじゃないだろうか……。ここにきて宏未は後悔に襲われた。
いや、もう、いくしかない。毬穂にだってできたんだ。なんとかなるさ……。
警告音が鳴り、回転灯が灯った。半透明の円筒が宏未を包んだかと思うと、宏未の視野は光で満たされた。
・
体感時間は一瞬だった。
気がつくと宏未は夕暮れの公園に立っていた。空気はむっとして、湿っぽかった。オゾンのにおいが去っていくと、かわりに土のにおいとかすかな刺激臭がした。
東京、昔はこんなに暑かったんだ、と思う。
あたりを見渡すと公園にはいくつかの遊具が並んでいた。その先の道路を車が行き交っている。付近の建物はごちゃごちゃと混みあっていた。いまのところ人影は見えない。
建物、車。宏未の目にはすべてが古めかしく見えた。
さて、どうしよう。どこか落ちつけるところを見つけて……。いろいろ、準備しなくちゃな。
宏未はとりあえず歩き出した。
いつもの癖でまっすぐに道路に踏み出す。
「危ない!」
背後から声が聞こえた。右から来た車が宏未の目の前まで迫っていた。鳴り響くクラクション。宏未はかろうじてかわした。そのまま尻餅をつく。
しまった。この時代、自動運転車じゃないから、止まってくれないのか……。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってくる足音に続いて女性の声が聞こえた。
「……いえ、大丈夫です」
宏未はそういって顔を上げた。目の前にあったのは動画で見た――園田海未の顔だった。
宏未は驚きに打たれた。