クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi 作:Kohya S.
学園祭が近づいてメンバーはより一層、練習にはげんだ。
海未は日舞の稽古や勉学にも追われ目の回るような忙しさだったが、それでも充実感を覚えていた。
他のメンバーにふたりで買い物にいくと伝えると、穂乃果と
「あの、留学については、その後、どうですか」
帰り道、海未はことりに聞く。
「私……どうしようかなって」
ことりは目を伏せた。
「まだ迷っているのですね」
「うん。穂乃果ちゃんに話してから、決めようと思って」
「ええ、それがいいと思いますよ」
穂乃果はすでに知っているわけですから……。穂乃果に相談せずに決めてしまったら、穂乃果はより一層、傷つくに違いありません。
それにしても、穂乃果にも、もうすこし周りを見るくらいの余裕があればいいのですが……。学園祭が終わったら、それも含めて、相談したほうがよいですね。
海未は続ける。
「……あの、実は昨日、留学経験のある友人に、話を聞いたのですが」
ことりは顔を上げた。
そういえば、昨日の田辺さん、私が困っていたところをスマートに助けてくれて、素敵でした……。いえ、いまはそのことは忘れましょう。
海未は心のなかであわてて打ち消して続ける。
「やはり、いろいろな人に会えて、視野は広がった、とおっしゃってました。文化の違い、価値観の違いが、勉強になったと」
「……そうだよね、やっぱり」
「ええ、ですから……。もし私たちのことが迷っている理由だとしたら……。それは気にしないでください」
「うん。ありがとう、海未ちゃん」
ことりはすこし寂しそうに微笑んだ。
海未はそのようすをみて胸が締め付けられるように痛んだ。言葉をつなぐ。
「ただ、その方は……高校時代の友情はかけがえないものだ、ともいってました。それに、勉強はやる気さえあれば、どこでも、いつでもできる、と」
「ええっ、なにそれ。余計、迷っちゃいます」
ことりはいくぶん明るさを取り戻し、笑った。
「……たしかに、そうですね」
海未は一緒に笑った。昨日、聞いたときには、それらしく聞こえたのですが、と思う。
もしかして……。田辺さんも私が悲しそうなのを見てそういってくれたのでしょうか。
「でも、その人の実感がこもってるのかも……」とことり。
「そうかもしれません。……ですから、ことりが、やりたいように、やってください」
「うん、そうだね」
ことりは前を向いた。
・
屋上での練習は毎日続いた。
毬穂が練習に参加するようになってから、彼女はときどき自分の携帯端末で練習風景を写真に収めていた。毬穂いわく、こういった日常の光景をブログなどで公開することで、ファンはアイドルのことを身近に感じて、人気につながる、とのことだった。
そんなものでしょうか、と海未は思う。
たしかにいままでは、カメラマンがいませんでしたから、そういう写真はあまり撮っていませんでしたね。
私たちの記念にもなりますし、悪くないのかもしれません。
翌日の放課後。
「うん、ずいぶんよくなったわ。そろそろ休憩にしましょう」
絵里の呼びかけでメンバーは隊列をくずした。
「汗だくにゃ」
「まだまだ暑いわね」
日影へと避難してそれぞれ座り込む。
海未とことりは他のメンバーからすこし離れて、なんとなく隣りあわせに座った。
穂乃果はひとり残ってステップを確認していた。海未は熱心な穂乃果に感心するとともに、一抹の不安を覚えた。あまり、無理していなければいいのですが……。
「はい、どうぞ」
毬穂がタオルとボトルを、ふたりにそれぞれ差し出した。
「ありがとうございます」
海未は礼をいって受け取る。一口飲んだドリンクは冷たく、それでいて冷えすぎておらず、ほてった体に心地よかった。
「あの、毬穂ちゃん」
ほかのメンバーがすでにボトルを手にしているのを見てか、ことりが話しかけた。
「はい」
毬穂はふたりの前に膝立ちになる。
「ずっと、海外で勉強してたんだよね。向こうでの勉強って、どんな感じなのかな」
おや、この前の毬穂の話では、ことりはすでに相談していたと思いましたが……。
海未は疑問に思ったが、すぐに打ち消す。
ああ、昨日、私がことりに留学について話しましたから、きっとあらためて、聞きたくなったのですね。
「そう、ですね……」
毬穂は驚いたように目を
「あの、そんなには変わらないと思います。もちろん、英語とかを別にすれば、ですけど。日本の環境も、恵まれてますよね」
ことりはうなずいた。
「やっぱり勉強って、本人のやる気次第、だと思うんです」
毬穂はことりを見つめた。
「そっか……そうだよね」
「あ、もちろん私の経験だけなので、そこはすみません」
にこりと毬穂は笑った。
「ありがとう、毬穂ちゃん。参考になったよ」
ことりも笑う。
「いいえ。相談に乗るのもマネージャの役目、ですよね」
毬穂は立ち上がり穂乃果のボトルを取りに行った。
「穂乃果さーん、水分補給しないと、だめですよー」
ときどきドリンクを飲みながら物思いにふけることりを、海未はしばらく眺め続けた。
・
「い、いよいよですね」
「うん。運命の日だよ……」
花陽と凛が顔を見合わせる。
学園祭が迫り、部員たちは空き教室に集まっていた。教室には福引でよく見る抽選機――ハンドルで回して球を出す多角形のもの――が学園祭実行委員会によって設置されていた。学園祭で講堂を使う権利のくじ引きだった。
講堂が使えれば音響や照明の心配もしなくてよく、観客の誘導もスムーズだ。なにより天候に左右されないのが大きい。
講堂は時間帯を区切っていくつかの部活が使えるようにはなっていたが、希望する部活は多く、かなりの高倍率だった。
「……えっと、それで、誰が引く?」
順番を待ちながら穂乃果が聞く。
「ここはやっぱり希に頼みましょうか。スピリチュアルパワーで当ててもらうわ」
絵里が希をちらりと見た。
「神頼みってことね。いいんじゃない?」真姫もいう。
「うーん、うちはやめとこうかな。
「それじゃ、マネージャ?」
穂乃果は毬穂に振り向く。
「ええっ、私? いいんですか?」
「たしかに、こういうのも重要な仕事、かもしれません」
「うん、そうだね」
花陽とことりがうなずく。
海未は先日、宏未にいわれたことを思い出しながら、そのようすを見守っていた。
田辺さんは部長が引くべき、といっていましたね。たしかに、ここで毬穂が引いて、外したりしたら、すこし空気が悪くなってしまうかもしれません。もちろん、そんなことを気にするメンバーではないと、信じてはいますが……。
海未は口を開く。
「あの、やはりここは、部長のにこにお願いしてはどうでしょうか」
「おおっ、なるほど」と穂乃果。
「ええっ、私?」にこは驚いてみせた。「なーんてね、実はいつ声がかかるか、うずうずしてたのよ。まったく、気づくのが遅すぎるわ」
にこは胸を張る。
「そうね、学園祭だし……それが一番かもしれないわね」と絵里。
部員たちはうなずきあった。
海未は毬穂がすこし不安げにしているのに気づいた。彼女はなにかいいたそうだったが――結局なにもいわなかった。
そんなにくじ引きに自信でもあるのでしょうか……。
前の部活が抽選機を回し、金色の玉を引き当てた。
「書道部、午後三時から一時間の講堂の使用を許可します!」
「やったー」
喜ぶ書道部員たち。
「でも……なんで講堂がくじ引きなわけ?」
「昔から伝統らしくて……」
にこの問いに絵里は困ったように答えた。
「では、続いて、アイドル研究部」
委員の声に、にこは抽選機に近づいた。
「みてなさい!」と実行委員をにらみつける。
「……がんばってください」
実行委員はたじろぎながらこたえた。
「にこちゃん、頼んだよ!」
「講堂が使えるかどうかで、ライブのアピール度は大きくかわるわ」
穂乃果と絵里が声援を送った。
にこはおもむろに取っ手を持ち、まわし始めた。穂乃果がすぐうしろで眺める。がらがらと威勢のいい音をさせながら一回転させて手を止める。
一瞬ののち、銀色の出口から転がり落ちた球は、白色だった。
「残念、アイドル研究部、学園祭で講堂は使用できません!」
実行委員が高らかに宣言した。
「うそ……」
にこはそのまま硬直する。
「ダ、ダメでしたか……」「あちゃー」「にこちゃん、不運よね」
部員たちはくずおれた。
「やっぱり、こうなったんですね……」
毬穂がつぶやくのが海未に聞こえた。
・
部員たちは、とぼとぼと屋上を目指した。
「あーっ、どうしようーっ」
屋上につくなり頭を抱える穂乃果。
「くじ引きだもん、仕方ないじゃない」
にこは腕を組んでそっぽを向いた。
「あー、開き直ったにゃー」と凛。
「ううっ、なんではずれちゃったの……」
花陽がぽろぽろと涙をこぼす。
「ま、予想されたオチね」
「にこっち、うち、信じてたんよ」
真姫と希も落胆の言葉を漏らす。
「うるさいうるさいうるさーい。悪かったわよー」
にこは全員に向けて叫んだ。
田辺さんにいわれてにこに引かせましたが、これでよかったのでしょうか、と海未は思う。
でも、もし毬穂が引いて、さらに外れていたら、気まずいですよね。にこには悪いですが、結果的にはこちらのほうがよかったと、思いましょう。
とはいえ、にこに引かせようといった手前、海未は雰囲気をかえようと口を開いた。
「でも、どうしましょうか?」
「そうね、気持ちを切り替えましょう」絵里がうなずいた。「講堂が使えない以上、ほかのところでやるしかないわ。体育館もグラウンドも、運動部が使ってる」
「そうでしたね。どこかいい場所があればいいのですが……」
「部室とか、空き教室とか?」にこが候補を挙げた。
「どっちも、観客を呼ぶには、狭すぎるやん」
希が首を振る。
「それじゃ、廊下でゲリラライブとか?」と今度は穂乃果。
「私、そんなバカみたいなの、嫌よ」
真姫が冷たい声でいった。
部員たちは考え込んだ。
「そうだ!」
やがて穂乃果が顔を上げた。
「じゃあ、ここ! ここに簡易ステージを作ればいいんじゃない?」そういって屋上を示してみせる。「お客さんも、たくさん入れるし」
「屋外ステージ?」と希。
「たしかに、人はたくさん入るけど……」
ことりも思案顔でいった。
「なによりここは、私たちにとってすごく大事な場所……。ライブをやるのに、ふさわしいと思うんだ」
穂乃果はそう続ける。
「野外ライブ、かっこいいにゃ」
凛はすでに乗り気だった。
なるほど、悪くないアイデアかも知れません。そう海未は思う。ただ、ひとつ問題がありますね。
「でも、それなら、屋上にどうやってお客さんを呼ぶの?」
海未と同じ懸念を抱いたのだろう、絵里がたずねた。
「はい、ここだと、たまたま通りがかるということも、ないですし」
海未はうなずく。
「下手すると、ひとりも来なかったりして」
「ええっ、それはちょっと……」
真姫と花陽もすこし不安そうに顔を見合わせた。
「じゃあ、おっきな声で歌おうよ! 校舎のなかや、外を歩いてるお客さんにも聞こえるような声で歌おう。そしたらみんな、きっと興味を持って見に来てくれるよ!」
穂乃果は明るくいった。
「……うふふ」絵里が思わずといったようすで微笑んだ。「穂乃果らしいわ」
たしかに、その通りですね。海未も笑みを浮かべた。
「いつもそうやって、ここまで来たんだもんね。μ'sってグループは」
絵里は穂乃果に笑いかけてから、全員に向かって話す。
「決まりよ。ライブはこの屋上に、ステージを作って、おこないましょ」
「そうやね、それが一番、μ'sらしいライブかもね」
希がうなずきながらいった。
「よーし、凛も大声で歌うにゃ」
凛は右手を突き上げて宣言した。
希のいう通り、私たちの集大成のライブ、屋上はたしかに悪くない気がします。
「でも、雨が降ったら、どうするんですか?」いままで黙っていた毬穂が口を開いた。「せっかくのライブ、中止になっちゃうんですよ」
「大丈夫だって、穂乃果がいれば、雨なんか降らないよ」
穂乃果が笑う。
「そういえば、穂乃果ちゃんは晴れ女ですね」ことりも言葉を添えた。
「そんな、無茶ですよ」
毬穂は首を振った。彼女はいつになく思いつめた表情だった。
毬穂の真剣さを見て海未は口を挟む。
「たしかに、せっかくのライブですから、穂乃果の晴れ女としての才能に、期待するわけにはいきませんね」
「そうね、機材とか、雨対策は必要ね。でも、何曲もやるわけじゃないから。ステージは多少の雨なら大丈夫よ」
絵里がなだめるようにいった。
「毬穂ちゃんは心配性だにゃ」
凛が毬穂の背中を叩いた。
毬穂はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「わかりました。そうですね、私もマネージャとして対策します。……いいライブに、しましょうね」
毬穂はにっこりと微笑んだ。
「うん、毬穂ちゃん。いろいろお願いすると思うけど、よろしくね」
「はい、穂乃果さん」
「よーし、学園祭、成功させて、ラブライブに向けて弾みをつけるぞー」
決意を新たにする穂乃果のようすをみて、海未は考える。
屋上のライブ……きっと記念になりますね。むしろ講堂より、よいのかもしれません。特に、ことりがこれで、いなくなるのだとすれば……。
その毬穂は早速、にこに話しかけていた。
「にこちゃん、部費、どれくらい余ってるんですか。仮設のステージ、作りたいんですけど」
「たいして残ってないわよ。ただでさえ弱小だし、衣装でも使ったし……。まあすこしだけ、学園祭用に残してあるけど」
「さすがですね、部長。具体的にはどれくらい……」
うふふ、頼もしいマネージャですね。きっとライブ、成功しますね。
・
いよいよ学園祭も間近に迫った。
ラブライブに向けて弾みをつけたい、と穂乃果はライブの一曲目に新曲をやることを提案した。
「私、がんばりたい。そのためにできることは、全部やりたい!」
そう穂乃果は話した。
期限も限られているため部員たちのあいだに不安はあったものの、穂乃果の熱意に押される形で部員たちは同意した。
ただ、そのぶん練習は厳しさを増すことになった。特にセンターボーカルの穂乃果の負担は大きかった。
穂乃果はプレッシャーにもめげずに、懸命に練習に取り組んだ。
ことりの留学を知ったことで、穂乃果は、ことりとの最後のライブになるかもしれない。そう思っているのでしょうね。
きっとそれも穂乃果が情熱的に取り組む理由のひとつだと、海未は思う。
ともすればそれはやり過ぎにも見えて、海未は懸念を覚えていた。しかし海未は――そしてことりも――事情が事情だけになかなか止められないでいた。
例外は毬穂で、ことあるごとに穂乃果をたしなめていた。
「穂乃果さん、やりすぎです。休憩してください」
「えー、まだまだ大丈夫だよ」
「そう思っても、意外に疲れてるんですよ。はい、こっちに来て」
海未はそのようすに感心していた。マネージャとしての役割、果たしてくれていますね、と思う。
しかし、残念ながら穂乃果には、毬穂の忠告はあまり響いていないようだった。
学園祭が無事に終わればよいのですが……。海未は
・
学園祭の前日。練習は早めに終わりになった。
「いよいよ明日が本番よ。今日はゆっくり休んで、英気を
「はーい」「了解です」「わかりました」
絵里の言葉にメンバーは思い思いに返事をした。
海未は、穂乃果、ことり、そして毬穂と一緒に帰宅した。
天気はどんよりと曇っており、明日の天気予報も雨だった。
「毬穂さん、あなたのいった通りになりましたね」
穂乃果、毬穂と一緒に歩きながら海未は話した。ことりはひとり、うしろをついてくる。
「そうですね。でも、準備しておきましたから……大丈夫だと思います」
毬穂は微笑んだ。頼もしいですね、と海未は思う。
「穂乃果さん、体調、大丈夫ですか?」
毬穂が聞いた。
「もう、ばっちりだよ。絶好調」
「そんなこといって、疲れ、たまってないでしょうね。今日は、早く寝てくださいね」
「大丈夫、大丈夫。もう、心配性だなー」
海未はことりの隣に移った。
「ことり、やはり話すのは、学園祭が終わってから、ですか」
「うん、穂乃果ちゃん、あんなにがんばってるし……」
ことりはちらりと前を行く穂乃果を見る。
「そうですね……」
穂乃果はもう知っていますよ、あなたとの、最後になるかもしれないライブを、素晴らしいものにしようとして、がんばってるんです。海未はそう伝えたくてならなかったが――。
「きっと、穂乃果ならわかってくれますよ」
そういうのがやっとだった。胸がきりりと痛んだ。
ことりは、こくりとうなずいた。
――――――――
宏未が海未と別れてからしばらく経過し、学園祭の日が近づいていた。
ときどき大学に行ってみたりもしたものの、友人がいるわけでもなく、手持ち無沙汰な日々が続いていた。
ライブの会場、どこになったんだろう……。講堂、取れたのかな。海未さんの連絡先、やっぱり聞いておけばよかったな。
そんなある日、宏未はμ'sのブログをチェックした。部員が共同で更新しているらしいそのページを確認するのが、宏未の日課になっていた。
あ、情報が更新されてる。学園祭ライブ……午後二時から屋上、か。屋上になったんだな。
その日の記事には練習風景の写真も添えられていた。海未がすこし恥ずかしそうに写っているのを見て宏未は心のなかで微笑んだ。
続いて宏未は携帯端末の情報――未来でダウンロードしたμ'sブログのアーカイブ――を確認してみた。宏未の記憶通り歴史改変後のライブ会場は講堂だった。
改変前の歴史に近づいている。宏未はすこしだけ安心した。
ただ宏未は改変後のブログの、その次の記事が気になった。ライブ成功を伝える記事だが――。
『じつは、あのあと、穂乃果が風邪を引いてたいへんだったの。ステージを終えたとたんに倒れちゃって。聞いたら、毎晩、自主練をやってたらしいの。うちのマネージャによると、前日も雨の中、走りに行こうとしてたんだって。ほんと、バカなんだから』
『更新が遅くなったのは、そういう事情です。ごめんね。あ、穂乃果は復活したから、安心してね。厳しくいっておくにこ。次のステージでは完璧なパフォーマンスをお届けします♪』
雨の中のトレーニング……これって、この歴史でも同じことが起きるのかな。毬穂が見た最初の歴史だと、たしか、穂乃果さんが体調をくずして、ライブが中止になったはずだ。改変後は、毬穂が止めたのか……。
ということは、改変前も、改変後も、トレーニングに行くのは共通、みたいだな。きっと、この歴史でも……。
宏未はとりあえず学園祭の前日、穂乃果の家に行ってみることに決めた。
・
天気予報の通り――そして歴史の通り、学園祭の前日は夜から雨になった。
穂乃果の家は老舗の和菓子屋らしい。宏未は目立たないように黒っぽい服を着て穂乃果の自宅に向かった。
雨はしとしとと降り、気温も急速に下がっていた。こんな雨のなか、走りに行ったら風邪、引くよな、と思う。
それで、俺はどうすればいいんだろう。歴史を元に戻すためには……ライブを失敗させるためには、穂乃果さんには悪いけど、風邪を引いてもらうべき、なんだよな……。
雨の夜。大通りを離れすこし裏に入るとそこは静かな住宅街で、路上には誰もいなかった。
目的の場所に近づいたとき、宏未は物陰に青緑色の傘を差した人物がいるのに気づいた。音ノ木坂学院の夏の制服。オレンジ色の髪。毬穂だった。
やっぱり、と宏未は思う。きっと穂乃果が走りに出てきたら呼び止めるつもりなのだろう。ライブを成功させるために。
宏未は必死に考えた。
毬穂に話しかける? いや、変装してるならともかく、論外だな。なにか投げて気を引くか……。うーん、犬でもあるまいし、無理があるよな。……そうだ、端末。
宏未は穂乃果の家と毬穂、両方が見える場所までゆっくりと移動し、携帯端末を取り出して準備した。この時代の毬穂の電話番号はわからないが、端末間通信なら未来の番号でも呼び出せるはずだった。
「穂むら」の看板の下、店の売り場だろう、そのなかで動きがあった。誰かが会話する声が聞こえてくる。毬穂がぴくりと体を動かした。
今だ。
宏未は携帯端末で毬穂の端末を選択して、呼び出し操作をおこなった。
暗い路上に呼び出し音が響いた。毬穂があわてたように携帯端末を取り出すのが見えた。
「もう、こんなタイミングで、誰からなの。……えっ、うそ、宏未ちゃん?」
毬穂は傘を取り落とす。
しまった、非通知にしておけばよかった。宏未はそう思ったがすでに手遅れだった。
毬穂は携帯端末を耳に当てる。
「もしもし、宏未ちゃんなの? もしもし」
小声でそういう毬穂のうしろで、穂むらの扉が開き、ひとりの少女が夜の街に走り出していった。
宏未はあわてて通話を切断した。
「もう、なんなの。故障かな……。あっ、穂乃果さん」
毬穂はあわてて走り出したが、次の交差点でその足は止まった。どうやら見失ったらしかった。路上に傘が転がっていた。
ごめん、穂乃果さん、毬穂。
それを見届けて、宏未は毬穂に見つからないよう、急ぎ足で穂むらを離れた。
・
翌日。宏未は音ノ木坂学院の学園祭を見に行った。朝から雨が降り続いていた。
ライブの時間よりも早めに行って、校内を見て回る。
雰囲気は宏未が参加した文化祭とよく似ていて――こういうところは、時代が変わっても、変化しないんだな。そう宏未は思った。
「まもなく二時から、当学院のスクールアイドルグループ、μ'sのライブが開催されます。どうぞ皆さん、屋上にお越しください」
校内放送が流れた。
宏未は階段を上り屋上へ出た。
あいにくの天気だったが、それでもかなりの観客が来ていた。宏未は傘を開き、そこに加わった。
屋上の一角には仮設のステージが用意されていた。なかなか立派なもので、バックパネルにはμ'sのロゴ入りの布が貼られている。簡単な屋根まで付いていた。
穂乃果さん、どうなったのかな。それに、海未さん。生で見ると、どんな感じなんだろう。
気をもみながら待つとステージの照明が灯った。
「えー、みなさん、雨のなか、ようこそお越しいただきました。ありがとうございます」アナウンスが響く。毬穂の声だった。「それでは、μ'sの学園祭限定ライブ、スタートです!」
メンバーがステージに走り出てきた。穂乃果を含めて九人いた。
そうか、穂乃果さん、参加できたんだな。宏未はほっとしたような、残念なような、複雑な気分になる。
メンバーはステージに広がった。短いイントロのあと歌い始める。宏未が未来の動画で見たことのある曲、「No brand girls」だった。
実際にすぐ目の前で見たμ'sは、二次元動画で見たのとはまったく違っていた。メンバーの躍動感、声の響き、そして熱気――宏未はそれらに圧倒された。
そうか、これが見たかったんだな。毬穂は。
ハイテンポな曲にあわせてメンバーたちは歌い、踊った。穂乃果は中央だった。軽快に飛び回る彼女はとても体調不良とは思えなかった。
また海未は一番右、宏未に近い場所にいた。
宏未と会うときの、
ときにかわいらしく、ときにクールな表情を浮かべる海未。
街で会ったときの彼女も魅力的だったが、ステージ上のその姿は、異なる魅力にあふれていた。
これも海未さんの、いつもと違う……
冷たい雨のなか宏未の体と心は熱く火照った。
最後の決めポーズを全員が取った。暗くなったステージで、メンバーのシルエットが浮かび上がった。照明が落とされる寸前、宏未は海未と目があった気がした。
観客席から拍手がわき起こる。宏未はそれに加わった。