クロノスからの贈り物 ~ Story of Umi   作:Kohya S.

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8. ことりの決断

 数日後。部員たちは穂乃果の自宅を訪れ、ラブライブ欠場を決めたことを穂乃果に告げた。穂乃果は表面上は静かに、それを受け入れた。

 

 その翌日、穂乃果は学院に復帰した。病み上がりということを考えても穂乃果の口数はすくなく、海未は穂乃果の受けたショックを思わずにはいられなかった。

 

「それじゃ、穂乃果、今日は練習お休みして、先に帰るね」

 放課後、穂乃果はそういって鞄を手にして立ち上がった。

「あの、穂乃果ちゃん」

 ことりが呼び止める。

「ん、なあに、ことりちゃん」

 穂乃果はわざとらしく笑ってみせた。

「ちょっと、お話があるの……」

 穂乃果は椅子に座りなおした。

 

 海未は毬穂(まりほ)に目配せをした。席を外したほうがいいのでしょうか、と思う。

 

「海未ちゃんと毬穂ちゃんも、いっしょに聞いて」とことり。

 席を立ちかけていたふたりはその場にとどまる。

 

「あのね、穂乃果ちゃん。わたし……留学、することにしたんだ」

 ことりは目を落として静かに話した。海未は目の前が暗くなる。

 

 ああ、やはりそうなのですね。でも、ことりの決断ですから、尊重すべきなのでしょうね……。

 

「留学……それって、どういうこと」

 穂乃果は無表情でことりを見つめる。

「前から、服飾の勉強したいって思ってて……。そしたら、お母さんの知り合いの学校の人が、来てみないかって……。ごめんね、もっと早く話そうって思っていたんだけど」

 ことりはぽつりぽつりと話した。

 

「いったきり戻ってこないの?」

「高校を卒業するまでは、たぶん……」

 ことりは小さくうなずいた。

 

 穂乃果はつらそうに視線を外した。

「もう決めたんだ」

「うん。今日、先生に休学を申し込むつもり」

 ことりはゆっくりと立ち上がった。

「……そっか。穂乃果が悪いんだよね。倒れたりして。だからことりちゃんの相談に、乗ってあげられなかった」

「ううん、穂乃果ちゃんは関係ないよ。気にしないで。わたしが決めたんだから」

 

 その言葉は穂乃果に衝撃を与えたようだった。

 穂乃果はなにかいいたそうに口を開きかけたが――結局なにもいわず、悔しそうに下を向いた。

 

「それじゃあ、ね」

 ことりは寂しそうに笑うと教室から出ていった。

 

「穂乃果さん、それでいいんですか」

 毬穂が穂乃果に詰め寄った。

「ことりちゃん、とてもいきたいと思ってるように、見えないです」

「ううん、いいの」穂乃果は首を振る。「ことりちゃん、きっと、学園祭のあと、相談しようとしてたんだよ。でも、穂乃果が倒れたりして……それでラブライブ欠場が決まったりして……。ひとつの区切り、なのかな」

「そんな……」

 毬穂の顔が青ざめる。

 

 やはり穂乃果に事前に留学を知られてしまったのは……悪い方向に転がってしまいましたね。もし知らなければ、たとえ学園祭で倒れたとしても、どうして相談してくれなかったのかと、ことりを説得していたことでしょう。へんに知っていたから、ことりの相談に乗れなかった自分を、責めてしまってるのですね……。

 

「海未さん。海未さんはそれでいいんですか?」

 毬穂は海未に向き直る。

「ことりちゃんと、お別れなんですよ!」

 毬穂は必死の表情で大きく首を振った。

 

 はっと海未は我に返る。

 

 私? 私は……。そうですね、忘れていました。私は……穂乃果とことりが、こんな形で終止符を打ってしまうのは、たまらなく嫌です。

 

 海未の心に、幼い頃の思い出が、学院での毎日が、三人での練習が浮かんだ。その三人がばらばらになる。急にそれが現実感を帯びて迫ってきた。

 海未は数回、かぶりを振る。

 

 穂乃果のこと、ことりのことを思っているように、自分を納得させていましたが……実はそれは、すごく表面的だったのですね。ふたりが本当はどう思っているのか、なにを望んでいるのか……それを考えなけば、いけなかったんです。それに、私自身が、どう思っているのかも。

 一番、無責任だったのは、私なのですね。

 

 海未は顔をあげた。

「毬穂。ありがとうございます」

 そういって毬穂に微笑む。

 

「穂乃果、毬穂、ついてきてください」

 穂乃果は暗い顔で、毬穂はあせりながらも不思議そうに、海未にしたがった。海未は速足で校内を横切っていく。

 

 海未が向かった先は講堂だった。付いてきたふたりをうながして舞台に立つ。

 誰もいない客席が目の前に広がった。

 

「覚えていますか、穂乃果。最初に三人で、ここに立ったときのことを」

「うん。こんな感じで……誰もいなかったよね」

「でも、いまはμ'sの九人がいて、毬穂がいます。学園祭のライブも、オープンキャンパスも、大勢の人が、来てくれました」

 隣で毬穂がうなずいていた。

 

「最初、私は、すごく嫌だったんですよ。あんな恥ずかしい衣装で、みんなの前に立つなんて……」

 海未は最初のステージを思い出して胸が熱くなる。

「でも、いまは穂乃果に、感謝しているんです。いろいろなことを巻き起こしてくれて。後悔なんて、していません」

 海未は穂乃果に微笑んだ。

「きっとことりも、同じですよ。穂乃果はいつも、私たちを知らないところに連れていってくれるんです。それを……こんなところで、終わりにしないでください。私も、ことりがいなくなるのは、たまらなく嫌なのです」

「海未ちゃん……」

「さあ、穂乃果。自分を責めるのはやめて、自分に素直になって……いつもの無茶を取り戻してください。そして、ことりを引き留めてきてください!」

 海未は右手を大きく振り上げて、講堂の出口を示した。

 

 きっと穂乃果なら、わかってくれますよね。

 

 穂乃果はしばらく呆然としていたが、やがて大きくうなずいた。

「うん、そうだよね……。穂乃果、行ってくる!」

 穂乃果は舞台からぴょんと飛び降りた。

「ありがと、海未ちゃん」

 そういって通路を駆け出した。

 

 海未はそれを見送っていたが――わきから毬穂がいった。

「海未さん、いきましょう。感動のシーン、見逃す手は、ないですよ!」

 毬穂は穂乃果と同じように飛び降りた。

「さあ、早く早く」

 入口のところで振り返る。

 

 もう、物見高(ものみだか)いんですから……。海未は苦笑して、それでも舞台から降り、穂乃果と毬穂のあとを追った。

 

 職員室。

「ことりちゃん、待って!」

 穂乃果の声が聞こえた。入り口でなかをのぞき込む毬穂に、海未は加わった。

 

 担任の山田を前に立つことりを、背中から穂乃果が抱きしめていた。

 

「さっき、ことりちゃん、関係ないっていったけど……関係なくないよ! だって、だって……私が嫌なんだもん!」

「穂乃果ちゃん……」

「スクールアイドル、やりたいの。ことりちゃんと一緒に、やりたいの! お願い、ことりちゃん、いかないで!」

 

 ことりは穂乃果と目をあわせられないのか、あえて遠くを見ていて――その目は潤んでいた。

 

「わたし……ずっとずっと、悩んでた。留学、どうしようかなって。でも、いま気づいたけど……本当は、穂乃果ちゃんと一緒にいたかった」

 ことりは視線をそらしたまま、絞り出すように話した。

「だって、小さいころから、ずーっと一緒だったんだよ。それに、三人でがんばろうって、誓ったんだもん。それなのに……穂乃果ちゃんを、試すようなことしちゃって、ごめんね」

 ことりは穂乃果の手をほどき、ゆっくりと振り返った。今度はことりが穂乃果に両手を回す。

「ありがと、穂乃果ちゃん」

「ことりちゃん、それじゃ……」

「うん、よろしくお願いします、穂乃果ちゃん。これからも、ずっと」

 穂乃果がもう一度、ことりを抱きしめた。ことりの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

「うん、よかったです」

 毬穂が涙声でつぶやいた。

「ええ、そうですね」

 海未も目頭が熱くなるのを抑えられなかった。

「これで、きっと歴史が変わります……」

 

 こほん、と山田が咳払いをした。穂乃果はことりを開放する。

「それじゃ、これは返すぞ」

 休学届だった。ことりはそれを受け取ると胸の前で抱いた。

「あの、お騒がせしました」

「しました!」

 ことりと穂乃果はふたりそろってお辞儀をした。山田は思わずといったようすで吹き出した。

 

 海未と毬穂はあわてて職員室の入り口から離れた。

 

「あ、海未ちゃん、毬穂ちゃん」

 穂乃果が出てきた。目が赤くなっている。穂乃果はあわてたようすで目をぬぐった。

「一件落着、ですか?」

 海未はいたずらっぽく笑う。

「うん、明日からまた、ばりばりがんばるよ」

「今度は、無茶しないでくださいね」

「わかってるよ、もう。海未ちゃんてば……」

 

 そのうしろでことりが毬穂にささやいた。

「毬穂ちゃん、もしかして、見てました?」

「えへへ、ごめんなさい」

 毬穂は舌を出す。

「もう、趣味が悪いんだから」

 ことりは毬穂のひたいを中指で軽くはじいた。

 

 仲良くおしゃべりをしながら教室へ戻る三人を見ながら、海未は思う。

 本当に、ぎりぎりでした。毬穂には、感謝ですね。私も、反省しなくてはなりませんね……。

 

        ・

 

 数日後。来年度も入学者を募集する旨の掲示が、学院に貼り出された。花陽の報告で掲示板に集まったメンバーは手を取り、肩を抱きあって喜んだ。

 

 翌日には学院の存続を祝うパーティを部室でおこなうことになった。

 

 部長のにこの挨拶で始まったパーティは大いに盛り上がった。

 ジュースで祝杯をあげると、花陽の用意した米で炊いたご飯と、各自が持ち寄ったおかずとに舌鼓を打った。

 

 途中、海未はことりに確認する。

「例の件、お話ししていいですか」

「うん」

 ことりはすこし恥ずかしそうに微笑んだ。

 

 海未は雑談めかしてことりの留学の件を明かすことにした。

「実は……ここしばらく、ことりが留学するかどうか、悩んでいたのです」

「えーっ、留学って、海外にいくことだよね」

 凛が驚く。

「はい。服飾の専門学校で勉強しないか、と誘われていたそうです」

「だから最近、なにか落ち込んでいたように見えたのね。希と心配していたのよ」

 絵里がそういうと希もうなずいた。

「でも、過去形、っていうことは……」と真姫。

「うん、みんなにも相談して……」ことりは海未、穂乃果、毬穂を順に見やった。「まだここでやりたいことがあるし……もうすこし落ち着いたら、って決めたんだ」

「みなさんにはご心配をおかけして、すみませんでした」

 海未は四人を代表するつもりで頭を下げた。

 

「よかった。ことりちゃん、一緒にがんばろうね」

 花陽がことりの手を握りしめる。

「安心したにゃー」

 花陽とことりを凛が両手で抱き寄せた。

「うん、ありがと、花陽ちゃん、凛ちゃん」

 

 そのようすを残りの部員は暖かく見守っていた。

 

「学園祭が終わって、あとは生徒会役員の改選が来週……。それが終われば、学院の行事も落ち着くわね。そうしたら、μ'sも本格的に再始動かしら」

 ふたたび一年生たちと騒ぎ始めた穂乃果を見ながら、絵里が希にいう。海未はとなりでそれに耳を傾けた。

「そうやね」

「今度は穂乃果も、もうすこし落ち着いてくれるといいんだけど……」

「うーん、それはどうやろ……」

 希は苦笑する。どこからかカードの(たば)を取り出し、おもむろに一枚引いた。希の顔が曇る。

「……どうしたの?」

 希が示したカードには雷を受けてくずれる塔が描かれていた。

「タワー。暗示するものは、災難、転落、破滅……不吉やね」

「気を付けて進まないと、いけないわね」

 絵里がごくりと唾をのむのが、海未に聞こえた。

 

        ・

 

 その日の夜。夕食の席で海未は母に、廃校が回避されたことを伝えた。

「あらまあ、よかったわね」

 海未の母も音ノ木坂学院の出身であり、廃校には心を痛めていたのだろう、母の顔には喜びがあふれていた。海未はそれを見て誇らしさがわいてくるのを感じた。

「それで、アイドル活動は、どうするのですか」

「はい。穂乃果やことりとも話したのですが、もうすこし続けようと思います」

「そうですか。お友達にも恵まれて……部活動としては悪くないですね。ぜひがんばってください」

「ありがとうございます」

 海未は頭を下げた。

 

「でも、海未さん。……勉学も、おろそかにしてはいけませんよ」

 母は釘をさすのも忘れなかった。ただその顔は決して厳しくはなかった。

「はい、肝に銘じます」

 

 食事を終えて自室に戻った海未は考える。

 

 そうですね、学園祭に、ことりの留学といろいろありました。すこし勉強が片手間になっていたのは、否定できないかもしれません。それに、二年生の二学期ともなると、そろそろ進学のことも、考えなくてはなりませんね。

 

 穂乃果は大丈夫でしょうか、そう考えてから思い直す。いえ、まずは自分から、ですね。

 

 ふと学園祭で見た宏未(ひろみ)の顔が思い浮かんだ。

 

 そういえばいろいろあって田辺さんに、学園祭に来ていただいたお礼もしていませんでした。お礼と一緒に……家庭教師、頼んでみてもいいかもしれませんね。もちろん、お母さまとお父さまの了解を得てから、ですが……。

 

 海未は自室の時計を見る。まだそれほど遅い時間ではなかった。善は急げ、といいますね。

 海未は携帯電話を手に取り、連絡先から田辺を選び――しばらく固まった。

 

 あのときはなにも考えていませんでしたが、家族以外で男性の連絡先を入力したのは、田辺さんが初めてでした。そしていま私は、あろうことかお電話を差し上げようとしています。こ、こんなこと、許されるのでしょうか……。

 いえ、田辺さんはあくまでも先生です。それに、感謝を伝えなくては礼を失します……。

 

 海未は震える指でボタンを押した。

 数コールですぐに宏未が出た。

『はい、宏未です』

「そ、園田海未です。お世話になっております」

 海未は電話口で思わず頭を下げていた。

『あ、お久しぶりです。お元気でしたか』

 宏未の声は明るかった。

「ええ、おかげさまで。田辺さんはいかがですか」

『え、あ、はい、元気ですよ』

「それは幸いです。あの、いま、お時間、よろしいですか」

『ええ、大丈夫です』

「その、先日は学園祭に来てくださり、ありがとうございました。それに、あんなことになってしまい、申し訳ありません」

『ああ、いえ、すみません』宏未はそういってしばらく口ごもった。気を取り直したように続ける。『……あのときは、たいへんでしたね。高坂さん、大丈夫でしたか』

「はい、もう、すっかり元気です」

『それはよかった。……ライブ、一曲だけでしたが、とてもよかったです。う……園田さん、すごくかわいかったですよ』

 海未は顔を真っ赤に染めた。胸がどきどきと弾むのがわかる。

 

 そ、そんな面と向かって……。いえ、向かってないですが……。直接、いわれたら、私、どうしたらいいのでしょう。

 

『……園田さん。園田さん、もしもし』

「あっ、はい、すみません」海未はようやく我に返った。「あの、ありがとうございます」

 そう小声でいう。宏未は電話の向こうで笑っているようだった。

 

 海未は気を取り直して続ける。

「それで、お願いがあるのですが……。先日、お話しいただいた家庭教師の件、もうすこし詳しく、ご相談させていただけないでしょうか」

『ええ、かまいませんよ。私も暇ですから、ありがたいです。……ご自宅にいきましょうか?』

「いえっ、それは……」いきなりお招きするのはさすがにちょっと……。「あの、この前の喫茶店で、いかがでしょうか」

『わかりました。私はいつでもいいですよ』

「それでは……明日の放課後、六時くらいでよろしいでしょうか。急で恐縮ですが」

『はい、おうかがいします』

「よろしくお願いいたします」

 

 海未は電話を切った。胸の鼓動がおさまるまで、海未はしばらく携帯電話を握りしめていた。

 

 就寝前、海未が母に家庭教師を考えていることを伝えると、母は喜んで賛成してくれた。

 

        ・

 

 翌日、海未は真姫に、さりげなく家庭教師の謝礼の相場を聞いておいた。真姫は「相手にもよるけど……」といいながら親切に教えてくれた。

 練習を終えて、海未は穂乃果たちに断って先日のカフェに向かった。

 

 五分ほど前に店についた。店の前で、ガラスに自分の姿を映してみる。髪も落ち着いているし服も乱れていない。にっこりと微笑んでみる。

 はい、よさそうですね。

 

 店内に入って店員に待ち合わせであることを告げた。店内を見ると入り口から遠くない席に宏未が来ているのが見えた。

 

「田辺さん」

 海未は声をかける。宏未が顔を上げた。

「すみません、お待たせいたしました」

「いえ、いま来たところです」

 宏未はそういって笑った。

 

 この会話、まるでデートの待ち合わせみたいですね。海未は昨日のどきどきがふたたび戻ってくるのを感じた。深呼吸して落ち着かせる。

 今日は、勉強の相談、なのですよ、海未。

 

 やってきた店員に飲み物を――今回は抹茶オレにする――注文した。

 

「わざわざすみません、田辺さん」

 海未がそういうとなぜか宏未は苦笑した。

「あの、ぶしつけなお願いで恐縮ですが……」と切り出す。

「はい?」

「よかったら、名前で呼んでいただけますか?」

「な、名前、ですか」

 突然の申し出に海未は目を白黒させる。

 

 い、いきなりですか。まだ正式にお付き合いもしていないのに、それは、あまりにも破廉恥ではないでしょうか。

 

 海未のあわてぶりを見たのか宏未は急いで続けた。

「あの、海外が長かったので、苗字で呼ばれるのに、慣れてないんです。どうも落ち着かなくて……」

 ああ、なるほど、そういうことですね。

 特別な意味はないらしいと知って海未は胸をなでおろした。ただ、すこしだけ残念に思ったのは否めなかった。

 

「園田さんさえよければ、宏未って呼んでもらえると、ありがたいのですが」

「わかりました。ひ、宏未さん」

 海未がぎこちなく微笑むと、宏未も笑った。

 

「先日は学園祭、ご足労いただき、ありがとうございました」

 電話でも話したものの、あらためて海未はいった。

「いいえ。楽しかったですよ。でも、高坂さんが無事でよかった」

「すみません、ご心配をおかけして」

「屋上でのライブ、あいにくの雨で、たいへんだったでしょう。あそこは、くじ引きで?」

「はい。部長が引いて……」

「そうでしたか、すみません。私がへんなことをいったから……」

 宏未は恐縮してみせた。

「いいえ、誰が引いても、同じですよ」海未は手を振って否定した。「それに、ステージも準備できましたし」

「あれは、学校でなくて、部活で用意したんですか?」

「はい、新しくはいったマネージャが敏腕なんです」

 海未はにこりと笑う。

「そうですか……」

 宏未は感心と心配が入り混じったような複雑な顔をしていた。

 

「それに、留学の相談にも乗っていただいて……」

「いえいえ。お友達はどうするか、決めたんですか?」

「ええ、結局、留学はいったん見送りました」

「そうですか……。そのお友達が自分で決めたのなら、それが一番いいと思います」

 宏未はうなずいた。

 

「それで、家庭教師の件ですが……」

 海未は本題に入った。海未は週に一回、一、二時間、数学と英語を見てほしいと頼んだ。宏未は喜んで、と答えた。

 また宏未は神田橋大学の学生証を海未に示してみせた。

 

「それで、お礼ですが……」

 海未が真姫に教わった金額を伝えると、宏未は首を振った。

「それじゃ、いただきすぎです」

「でも、友人はこのくらいだと……」

「きっと、ご友人はどこかの会社を通しているんですよ。私は直接ですし、プロでもありませんから……」

 ふたりはしばらく押し問答をして、最初の金額の半分強で落ち着いた。そして初回の予定も決めた。

 

「あの、今日はわざわざ、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 海未がテーブルを見ると伝票は消えていた。

 

「今日は私が払います」

 宏未はウインクをした。

「はい、お願いします」

 あまり無理をいっても、かえって悪いでしょうね。

 

「ごちそうさまでした」

 店を出て、海未は丁寧に頭を下げた。

「いいえ。……ここのガラス、よく映りますよね」

 宏未はそういって笑った。海未は耳の先まで真っ赤になる。

「それでは、また」

 宏未は笑みを浮かべたまま軽く会釈して去っていった。

 

 まさか、見られていたなんて……。もう、知りませんっ。

 




次話以降の推敲のため、一日ほど更新をお休みするかもしれません。
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