ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結) 作:ファルメール
「急げ!! 全てのデータを消すんだ!! 証拠は何も残すな!!」
海洋安全整備局、海洋生物の研究部門。
その一室では白衣姿で研究者然とした男達が慌ただしく駆け回っていた。
ある者はキーボードを物凄い勢いで叩いてデータの削除に躍起になっていて、またある者は資料を一杯に詰め込んだ段ボール箱を前が見えなくなるほど抱えて右往左往していた。
一団の長と見られる恰幅の良い中年男は、遅々として進まない作業に苛立ってガリッと爪を噛んだ。
「まさかこんな事になるとは……」
横女の学生艦に入り込んだRATtの被害は、フィリピン方面に向かった陽動部隊である比叡と磯風がブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの合同艦隊によって制圧され、日本に向かっていた武蔵を初めとする艦隊も全艦が航行不能に陥った事もあってひとまずは収束の気配を見せている。
場合によっては日本どころか世界が終わるような最悪のケースさえ想定されていただけに、これで一安心。
……とは、問屋が卸さない。少なくともRATtの研究開発に関わっていた者達は。
世界が終わって法律も金も無意味な末世がやってくる瀬戸際となれば、誰が悪い誰が腹を切るべきだなどと責任の所在をどうこう言っている場合ではない。
逆に言うのならそうした危険が排除されたのであれば、一時の喜びの後に今度はこの一件は誰の責任によるものなのかを問う段階となってくる。
彼らはRATtの研究に最初期段階から関わり、責任追及の槍玉に挙げられる立場であった。
「くそっ……こんな事なら最初からクリムゾンオルカに全てを明らかにして依頼しておくのだった……!!」
愚痴をこぼす。
RATtの存在は秘密裏に処理するのが望ましく、また可能な限り漏れる口を少なくする為に、公的な機関を動かす事は躊躇われた。よってグレーゾーンの仕事を請け負うクリムゾンオルカに依頼を行った訳だが、しかしこの時、助平根性を出したのが良くなった。
彼は秘密を知る者を一人でも少なくしたいという考えが先に立って、ビッグママに事実を伏せたままでその代わり口止め料として破格の報酬を提示して依頼したのだ。
しかしそうした「報酬を払うのだから余計な事は聞かずにさっさとやれ」というクライアントからの”一方通行”はビッグママの最も嫌う事であった。仕事を請け負う自分達への誠意が無いし、第一そういう依頼は往々にして罠の可能性も高い。これはフリーランスが、身を守る為の知恵だ。恐らくは更に10倍の金額を提示したとしてもビッグママは断ったであろう。
仕方なく海上安全整備局から選出した対バイオハザードチームを、海洋生物の生態を研究する為という名目で海上演習を行う猿島に同乗させて対処する運びとなった訳だが、しかし彼らは失敗して、感染が学生艦に広がる結果となってしまった。
最終的に、各国の学生艦を招集して事態の解決に尽力したのが彼が最初に依頼したクリムゾンオルカひいてはビッグママであると言うのは、とてつもなく皮肉に満ちた結果であると言えた。
「とにかく……全ての証拠を消す事だ……この件を追求されたら我々は一巻の終わり……」
「遅かったですね」
「!!」
凜とした声が響いて、ドアが開く。
研究員達の動きが止まって、視線が入り口へと集中した。
完全装備のブルーマーメイドを従え、現れたのは現ブルーマーメイドの最高責任者である宗谷真霜であった。
「!! む、宗谷一等監察官……!!」
「既にあなた方がこの一件に深く関わっている事は、調べが付いています。ご同行、願えますよね?」
「なぁっ……!!」
「……最初から、おばさま……ミス・ビッグママにクリムゾンオルカの流儀で依頼を行うべきでしたね」
ビッグママ海賊団は、クリムゾンオルカの艦内にバイオハザード装備を常備している事から分かるように対生物災害の訓練も積んでいるプロ中のプロ。彼女達ならば、少なくとも海上安全整備局のチームよりは任務達成の可能性は高かったであろう。
「あ……ああ……」
証拠隠滅の指揮を執っていたその男は全てを諦め、がっくりと膝を落とした。
伊豆半島沖。
スクリューが機能停止して、航行停止した武蔵の舷側をぶち破る勢いで晴風は接舷(激突とも言う)し、既に編成済みであった救出部隊が武蔵への乗り込みを開始していた。
「突入!!」
陣頭に立つのは、万里小路流薙刀術免許皆伝の腕前を持つ楓だ。木剣を振り回しながら、即席の連絡通路を駆け抜けて武蔵の甲板に降り立った。
「うっ!!」
出迎えに現れたのは、シュペーの時と同じ尋常でない目つきをした武蔵の乗員、横女の生徒達だった。やはりRATtに操られているのだ。
楓は油断無く木剣を構えて、すぐ後ろに控えていた媛萌やマチコ、それに一緒に突入していた明乃もそれぞれ手にしていた麻酔銃の感覚を確かめる。最後尾の美波は、白衣の内側から血清の入った注射器を取り出した。
まさに一触即発。
武蔵の生徒達は今にも飛びかかってきそうだ。
しかし晴風クルーにはまだ、頼もしい援軍が居た。
「よう、どうやら最後のパーティーには間に合ったようだね」
先端に磁石が仕込まれたワイヤーガンを使って、ビッグママが専用のスキッパーから甲板に這い上がってきていた。
「ママさん!!」
「おう、ミケ!!」
ビッグママの大きな体を認めた瞬間、クルー全員の顔に笑みが浮かぶ。彼女が来てくれるとは、こんなに頼もしい事は無いというものだ。
「ふふふ……」
ビッグママは義手を外してその下から現れた生身の手をニギニギと動かす。そうして眼帯をも外す。シュペー救出作戦の時にも見せた、彼女の近接戦闘モードだ。
「ミケ、ここはあたしに任せな。あんたはこのまま艦橋へ急ぐんだ」
「で、でもママさん……」
「行くんだ。もかが待ってる」
「……っ!! みんな、ママさん!! ここは頼みます!!」」
有無を言わせぬ口調で、しかし頼もしさが感じられる笑みを浮かべるビッグママ。
明乃は、艦長としての義務感から辛うじて堰き止めていた感情が吹き出したようだった。感極まった表情になって、一直線に艦橋へと走り出す。
当然、武蔵の生徒達は彼女を追いかけようとして動き出すが、
「おっと」
ビッグママがその間に立ちはだかった。
「あんたらの相手はあたしだ」
「潮崎教官、援護しますわ」
「ああ、頼むよ楓ちゃん」
ビッグママは隣に並んだ楓に頷いて返すと、そっと首筋に手をやる。
すると、背中に隠されていたのだろう。襟口から木刀が姿を現した。少しだけ、楓が目を見張った。
「潮崎教官は、剣も使われるのですか?」
問いを受けて、にいっと子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべるビッグママ。
「あぁ、あたしは柔道の達人で合気道の達人でもあるが、同時に剣の達人でもあるのさ。武芸百般だ」
ビッグママはくるくると、片手で木刀をステッキのように回して野球のバッティングフォームのように、五行の構えで言う八双に構えた。
楓は少しだけ驚いたようだった。現代の剣道ではルールの関係上、八双の構えを主力で用いる者は稀であるからだ。しかし構えるビッグママの全身から漲る迫力たるやどうだ。味方であるにも関わらず身震いするものがある。そして構えには一分の隙も無い。楓は自身も武の心得があるが故に、それが良く分かった。
話している間に、武蔵の生徒達に動きがあった。
全員が諸手を挙げて、姿勢が気持ち前屈みになったようだった。
動く。来る!!
楓が肌でそれを感じて、身構えた瞬間だった。
「きええええええいっ!!!!」
怪鳥音とも雄叫びとも付かない咆哮を上げて、ビッグママが飛んだ。
跳躍したのだ。
身長190センチオーバー、推定体重170キロオーバーの巨体が自身の頭よりも高く飛び上がると、信じられないほどあっさりと宙返りを打って武蔵生徒の眼前に着地。操られていても流石に驚いた様子の生徒達に生じた一瞬の隙を衝いて、思い切り体を回転させるとその怪力と遠心力をたっぷりと乗せた太刀を的確に急所へと命中させ、全て一撃の下に意識を刈り取っていく。
「ママさん、後ろ!!」
姫萌の声に振り返ると、3人の生徒が飛びかかってきていた。
「いえぇぇぇえいっ!!」
しかしその誰も、ビッグママを捕まえる事は出来なかった。
ビッグママは再び跳躍、手近な手すりに着地すると、そこから更にジャンプした。いわゆる三角跳びと呼ばれる離れ業だ。だがこんなものは曲芸と言って良い技術であり、少なくとも楓は実戦で使われるシーンなど見た事が無かった。
しかしそれをあまりにも容易くやってのけたビッグママはそのまま空中で新体操選手のように体を捻って武蔵の生徒達の背後に着地すると、そのまま首筋を打って気絶させた。
「す、凄……」
ビッグママの戦い振りを目の当たりにして、五十六を連れてきていた百々はあんぐりと大口を開いたままになる。
「見とれている場合じゃないよ!! 私達も援護しなきゃ!!」
「そ、そうだった……!!」
姫萌の声で我に返ると、麻酔銃を撃っていく。専門訓練も受けていないので命中率はお世辞にも良いとは言えないが、しかし銃声は牽制にはなったようだった。びくりと、操られた生徒達が体を竦ませて動きが止まる。
その間隙を縫うようにして、楓の木剣やマチコの銃撃が的確に命中し、生徒達を倒していく。
美波は、意識を失った生徒達に持参した血清を手際良く注射していく。
「ふう……」
一息吐いたビッグママは木刀の峰で肩たたき器のように肩を叩くと、空いている手で腰を叩いた。
「潮崎先生、大丈夫ですか?」
すぐ傍らにやってきた美波に、ビッグママは「あぁ」と返す。
「久し振りに棒振りすると少し腰が痛いねぇ。腕は落ちていない筈なんだがあたしも今年で85……いや、86だっけ? まぁ兎に角トシだからねぇ。年々、体が上手く動かなくなるねぇ」
「……それは、ひょっとしてギャグで言っているのですか?」
加齢で体が上手く動かない人は、宙返りや三角飛びを決めたりはしない。
「ははは……だがこれで、武蔵の生徒達の制圧は上手く行くだろう」
からからと笑いながら話していたビッグママは、しかしすぐに真剣な表情に切り替わった。
「しかし美波ちゃん、油断は禁物だ。まだこの武蔵にはRATtの親玉……ボルジャーノンが潜んでいる」
「はい」
RATtは蟻や蜂のような真社会生物の特徴を持っている。ボルジャーノン以外のRATtは究極的には只の働き蟻・捨て駒に過ぎない。女王とも言えるそいつを何とかしない限り、事態を収束させる事は出来ないのだ。
しかもRATtの体はネズミくらいの大きさしかないから、ちょっとでも目を離せばどこへでも侵入してくる。
もし晴風にでも潜入されたらまたしても感染が広がって、それこそミイラ取りがミイラになってしまう。
よって現在、晴風と武蔵をつなぐ唯一のルートであるこの臨時の連絡通路は、是が非でも守らねばならない絶対防衛線であった。だからビッグママと美波はここを動かないのだ。動けないと言うのが正しいか。
楓達は、今頃は艦内を制圧しつつスキッパーを確保しに向かっているだろう。RATt達は操った生徒にスキッパーを運転させて、それで脱出する可能性もあるからだ。
「……さて、兎に角今はここを確保しつつネズミ達の炙り出しを……」
言い掛けて、ビッグママの表情が凍り付いた。
美波のすぐ背後の壁に、一匹のRATtがへばり付いていたのだ。
「美波ちゃん、後ろだ!!」
「え……」
叫び声に反応して美波が振り返るのと、そのRATtが彼女へ飛びかかるのはほぼ同時だった。
すかさず、ビッグママは木刀を振ってそのRATtを叩き落とそうとする。
しかし、遅かった。
「ん」
ビッグママの木刀が振るわれるよりも早く、飛びかかった五十六が前足でそのRATtをはたき落とし、そのまま甲板に押さえ付けたのだ。ビッグママは、ぴたりと木刀を止めた。
RATtはじたばた手足を動かして逃げようとしたが、五十六の力は強くて抜け出せない。やがて、諦めたのかそれとも力尽きたのかそのRATtは動かなくなった。
「……こいつは……」
そのRATtを見ていたビッグママは何かに気付いたようにスマートフォンを取り出すと、そこに表示された画像とそのRATを何度か見比べる。
「……間違いない、こいつがRATtの親玉……ボルジャーノンだね……写真と毛皮の模様が同じだ」
恐らくだが、晴風が接舷するのとほぼ同時にこの連絡通路の近くにまで移動してきていたのだろう。航行不能となった武蔵に代わって、晴風を乗っ取る為に。そして、他のクルーが武蔵艦内に移動して連絡通路に美波とビッグママの二人しか居なくなったのを見計らって美波に襲いかかったのだ。彼女にウィルスを感染させて意識を乗っ取り、傀儡として動かす為に。
ただし五十六の存在だけは、計算に入っていなかったのだろう。
「ありがとうございます、五十六……助けられました」
「ん」
ビッグママの礼に、五十六はいつも通りどこか不機嫌そうな声で応じる。
そんなデブ猫に頷いて返すと、ビッグママはしゃがみ込んでそのRATt、ボルジャーノンを見据えた。ボルジャーノンの方も五十六に拘束された不自由な体勢ながら可能な限り首を動かして、ビッグママと視線を合わせる。
「ボルジャーノン……」
本当はRATtの間でだけ使われる別の名前があるのかも知れないが、ビッグママはそれ以外にこのRATtを指す呼び名を知らなかった。
「……あんた達は悪くない。あたしら人間が、勝手にあんた達を生み出したんだからね」
それでたまたま自分達には邪魔な性質を持っていたから殺処分しようなどとは、勝手で傲慢極まりない話ではある。それはビッグママも認めていた。
「だが……あんた達を生かしておくと人類が滅びるんだ。これは善悪の問題ではなく、生存競争……生と死の問題、種が滅ぶか滅ばないかの問題なんだ。あんた達だって、もし勝っていたのなら世界中の人間にウィルスを感染させて支配下に置いて、滅ぼすなり支配していた筈……残念だが……生き残った方が正しいという事で納得しておくれ」
ボルジャーノンがいくら高い知能を持っているからと言って人間の言葉を解するかどうかは分からないが……それでもこの言葉は、ビッグママなりのせめてものけじめ、手向けだった。
その時、ビッグママが手にしたスマートフォンが鳴った。画面には真雪の名前が表示されている。
「あぁ、ユキちゃんか。あたしだ」
<教官、ご無事で……>
電話の向こうの元教え子の声が、どこか弾んでいるのがビッグママには分かった。
<先程、真霜から連絡がありました。海上安全整備局の、RATtの研究開発に携わっていた者と全ての研究資料を確保したと。フィリピン沖の永瀬校長からも比叡と磯風を制圧、現在生徒達の治療を行っていると報告が入りました>
「そうか、ユキちゃん……こっちも武蔵以下RATt艦隊を航行不能にし、武蔵を制圧……親玉ネズミも捕まえた」
ちらりと、視線を上げる。
最近は少し霞みがちな視界だが、艦橋で抱き合っている明乃ともえかの姿が、はっきりと見えた。
「生徒達も無事に制圧または保護し……現在、血清の注射を進めている」
<それでは……>
「あぁ」
ビッグママは頷きを一つすると、振り返って海へと視線を向ける。
各国の学生艦とクリムゾンオルカが、RATtに制圧された横女の学生艦へと、生徒達の救出の為に近づいていくのが見えた。
「ミッション・コンプリートだ」