鎮守府商売   作:黄身白身

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番外編、といっていいのかな。

鬼平犯科帳艦これです

ここまでもちょくちょく存在はほのめかしてきたし、那智も出してたし。

はい、出します。鬼の提督長谷川平蔵。人呼んで、鬼提


深海との戦も落ち着いた頃、幕府は艦賊改方という特別警察を設けていた。
独自の機動性を与えられた、その艦賊改方の長官こそが長谷川平蔵。
人呼んで鬼の提督である。



鬼提犯科帳「田楽屋羽黒」

 艦賊改方与力月形茶志郎が羽黒の姿に気付いたのは、市中見回りの途中であった。

 同型の艦娘同士は非常によく似ているため、慣れない者にとっては区別が付けにくい。慣れさえすれば見分けることができるというのだが、それでも艦娘が強いて似たような恰好となって誤魔化そうとすると、難易度は途端に上がる。

 もっとも、それは艦娘にとっては我慢ならぬことらしく、滅多にそのような状況になることはない。艦賊に落ちぶれたはぐれ艦娘であっても、自分と同型の者と偽って姿をくらまそうとすることは滅多にないのだ。

 大物艦賊ほど、それを「最後の矜恃」と嘯くものであった。

 とはいえ、不思議と提督には簡単に見分けがつくようであった。

ましてや艦賊改方ともなれば、同型が五人いれば五人を見分けることもできるのが当然である。

 それでも茶志郎は、一瞬自分の目を疑った。

 似ている似ていないの問題ではない。

 自分の知る艦娘羽黒がこのような時間にこのような場所にいることが奇妙なのだ。

 茶志郎の知る羽黒は、夕方辺りになると商家通りに屋台を引いて現れ、味噌田楽を売り歩く艦娘である。

 売り物は二つだけ。注文を受けるとその場で焼いて味噌を塗る豆腐と、刻んだ青菜を炊き込んだにぎりめし。ただし、日によっては蒟蒻や里芋もある。

 屋台を引いた羽黒の姿を見かけると、商家の小僧や艦娘達が挙って買いに来るのだ。茶志郎自身も数回どころか、大いに利用したことがある。

 しかしここは、かつての大戦中に臨時の軍営が置かれていた町外れ。深海棲艦の集中砲撃を受けて荒廃しきったまま放置され、今では治安の悪さからまともな人間ならばまず立ち入らない、半ば貧民窟と化した地域である。そこにある一つのあばら家に大きな包みを提げて入っていく羽黒の姿を、茶志郎は遠目ながら見かけたのだ。

 いかに腕に覚えのある艦娘とは言え、まともに商いをしている者が昼間から出入りするような場所ではない。人間の悪党だけではなく艦賊も跋扈しているのだ。

 艦賊改方といえど、無闇に中に入っていくことは危険であり、茶志郎も外側からふと様子を覗いてみただけに過ぎない。

 そこに、見覚えのある羽黒がいた。

「どういうことだ」

 茶志郎は自分が必要以上に衝撃を受けていることに気付いた。

 これが例えば同僚の那智であればどうするか。

 羽黒の姉妹艦でもある那智ならばやはり驚くだろうが、ここまでの衝撃を受けることはないだろう。

 私情が入っている、と茶志郎は苦々しくも自覚している。

 羽黒に対しての私情があるのだ、自分には。

 茶志郎が羽黒の屋台を利用していたことは先ほど述べた。それは決して偶然が重なったなどではない。いや、最初は確かに偶然であったのだ。

 見回りの途中に見つけた屋台で小腹を満たした。ただそれだけのこと。特に珍しい話でも、取り立てて吹聴するような話でもないはずだった。

 ところが、ある日の夕方のことである。

 その日もいつものように見回っていた茶志郎は、その頃既に何度か利用したことのある羽黒の屋台を見つけるといそいそと近づき、声を掛けた。

「いつもの豆腐を」

「はい。今お焼きしますね」

 豆腐の味噌田楽を受け取った茶志郎が早速一口かぶりつくと、鼻の頭に水滴が落ちてくる。

 夕立である。無論、天候の夕立であり駆逐艦娘ではない。

 しかし、

「あら、夕立っぽいですね」

「ん?」

 何のことはないやり取りであるが、その瞬間、茶志郎はつい笑ってしまった。

「あ、夕立ちゃん、いえ、駆逐艦、じゃなくて、あの、雨のほうで、あの子、口癖がポイだから」

 慌てて説明し始める羽黒の姿を茶志郎は好ましく感じた。

 そして勢いを増す雨。

「お武家様、こちらに」

 どこをどうしたのか、屋台の屋根、軒の部分がせり出して広くなっていた。二人程度ならば十分に雨を凌げる広さである。

「ほぉ、面白いな、これは」

「艦娘の艤装の応用だそうです」

「貴女がこれを?」

「近くの艦娘職人さんに作ってもらいました」

「これは便利なものだな」

「ありがとうございます」

 羽黒が照れたように微笑み、茶志郎はその姿に見とれている自分に気付いた。

 今思えば、確かにそのとき羽黒を見初めていたのだ。

 茶志郎とて、艦娘に免疫のない男ではない。基本的に見目麗しい者が多い艦娘の見た目にいちいち惑わされていては、とてもではないが艦賊改方などは勤まらない。それでも、茶志郎にとってこの羽黒は何かが違っていた。言葉で説明できるような話ではないのだ。

 さらに二度三度と今度は意識して通っている間に茶志郎の名と職を羽黒は知った。

 茶志郎は羽黒の練度が改であることと、もうすぐ改二になることを知った。

「しかし、演習に出るでもない、戦に出るでもないのに練度は上がるのか」

「遠征や、日頃の自主訓練でも練度は上がるんです。とっても少ないですけれど」

「では、改二になれば祝いが必要かな」

 そんな会話を繰り返しながらの茶志郎の屋台通いは、まず龍田に知られることとなった。

 軽巡龍田は艦賊改方に出入りする密偵の一人であり、普段は背負い駕籠で行商を営みつつ、様々な情報を仕入れている。

 艦賊改方長官長谷川平蔵の直属の密偵とも言える龍田の口は決して軽くない。軽くはないのだが、問題が一つあった。

 平蔵の放蕩時代からの昔馴染みかつ悪友でもある天龍は龍田の姉……単なる姉妹艦ではなく、この二人は実際に同じ工廠で生まれた姉妹……である。その天龍が相手となると、龍田の口も少し軽くなる。とはいえ、現在の天龍もまた密偵の一人であり、外部に対しての口は堅い。外部に対しては。

 要は、身内のたわいない噂話というものは内部では気軽に拡散されるのである。この辺りは、いつの時代のどんな組織でも似たようなものであろう。

「天龍から聞いたぞ、月形殿」

 ある日、那智がおもむろに茶志郎にそう切り出した。

「なるほど羽黒か。ふむ、やつは足柄ほど騒がしくないし妙高ほどお堅くない。更になんと言っても、私よりよほど女らしい。妙高型から選ぶとすれば、まさにお薦めだな。いや、なかなか目が高い」

 艦娘ながら与力扱い、月形と同格の那智である。

 長谷川平蔵が艦賊改方長官となってからの改革の一つが、所属する艦娘の地位向上であった。

 それまでの艦賊改方に所属する艦娘には成果能力がどうであろうとも役職などは与えられず、待遇も決して良いものではなかった。

 これを長官就任と同時に改めたのが平蔵である。

「悪に対しては我ら一丸となって立ち向かうべきであるというのに、同じ働きをする者に上下があるとはいかなる理由か」

 結果として役職はそのまま与えられこそしなかったが、「与力扱い」「同心扱い」などと呼ばれることとなり、その待遇も実際の役職とほぼ遜色ないものに変えられた。元より艦娘達と共に働きその尽力を知っていた与力同心達には何の異議があろうはずもなく、艦娘達も喜んだ。

 しかしここで、平蔵は艦娘を呼び集めると深々と頭を下げたのである。

「艦娘の待遇、我ら人間と艦娘を全く同じにできなんだはこの平蔵の不明である」と。

 艦娘達は慌てて平蔵に頭を上げて欲しいと声を上げ、その忠誠を深めたという。

艦賊改方に属する艦娘の頭領的存在が重巡那智であった。那智は平蔵の長官就任よりも前から艦賊改方の一員として働いており、それなりに有能ではあるが艦娘に対する理解に乏しい前長官の下ではかなりの苦労を経験していた。

 茶志郎も長谷川平蔵就任前からの古株であり、那智の苦労を知っている。そのため、このような軽口を互いに叩き合うことができるようになったというのはそれなりに嬉しいことなのだが。

「そのようなことを貴女が言われては困る。そもそも我らが艦娘にいちいち目を奪われていては、お勤めが十分に果たせぬではないか」

 真面目に返す茶志郎の反応に那智は喜んだ。

「なに、色仕掛けというものもある。艦賊を口説いて密偵とした強者もいると聞くぞ」

「羽黒は艦賊ではないでしょう」

「おや、羽黒を口説く気か」

 那智がニヤリと笑ったところで、茶志郎はただ軽口だけではなく自分がからかわれていると気づく。

「勘弁してくれ、那智殿」

 そこで那智の口調が優しげなものにかわった。

「人も艦娘も、色恋は同じさ」

 艦娘が人間に、人間が艦娘に惚れて何が悪いのか。

 人と艦娘の違いなど単なる力の差に過ぎない。それは本質の差異ではない。

 日頃より悪に堕ちた艦娘に対する艦賊改方がゆえの、皆に共通する想いでもあった。

しかしそれは、艦娘に対する無邪気な、あるいは盲目的とも言える信用などではない。人と艦娘に違いはないとはつまり、人に悪党がいるように、艦娘には艦賊がいるということに他ならぬのである。

 そして茶志郎は艦賊改方の一員であった。

 気を取り直した茶志郎は羽黒を見かけた位置をもう一度確認すると、そこから足早に立ち去った。

 その行先は、いつもなら羽黒が屋台を引いて流すだろう商家通りである。

 

 

 

 藤木克介という提督は、ごく平凡な技量の持ち主であった。

 あえて分類するならば剣客提督と呼ばれるであろうが、特筆すべき剣の腕を持っているというわけではない。戦術、建造、開発などの提督としての技量にもこれといった特色はない、きわめて平均的な提督であった。

 それはそれで良いのである。平凡であろうと、提督は必要なのだ。あとは本人がそれを割り切って平凡な一提督であることに納得していれば良い。平凡な一提督とは言うが、提督になることすらできぬ人間はいくらでもいるのだ。

 しかし中にはそうとは割り切れず、己の平凡を己の持って生まれた能力ではなく不運、あるいは他からの妨害のためではないかと考えてしまう者もいる。

 うだつの上がらぬ己に歯噛みしつつ、鬱々と日々を過ごす。中にはその心労をあろうことか麾下の艦娘に八つ当たりし、結果、自分の提督としての寿命を縮めてしまう愚か者まで現れるのである。

 これだけで十分艦娘には不幸な話であるが、更にひどい話になることもある。

 そのような提督に手を差し伸べる者がいる。救いの手ではない。更に下から、更に悪い方へと引きずり込む手である。

 提督と艦娘を手駒にせんと欲する悪党は決して少なくない。そして、提督と艦娘を迷わせる手管はさらに多いのだ。

 藤木克介もまた、その陥穽にはまった一人であった。

 低い評価と苦しい運営に疲れ果てたところで甘い言葉に誘われた。そう言えばどこにでもあるつまらぬ誘惑に引っかかった愚か者に見えるであろう。しかしそれは、当人にとっては決してつまらぬものではない。文字通り人生を左右する誘惑なのである。

 甘言にのせられ遊蕩に沈み、気が付くと藤木は借金を抱えていた。藤木一人の自由にできる金では払いきれぬ、それこそ小さな鎮守府一つの予算規模である。

 そして藤木は堕ちた。提督の座を棄て、半ば無理やりに口説き落とした艦娘と共に、裏の道、盗賊の一員となる道へと進んだのである。

「お頭。ご報告にまいりました」

 茶志郎に見られたと知らぬ羽黒は、あばら家の中で一人の男に向き合っていた。

「どうなってる」

「繋ぎはつきました」

 盗賊頭の問いに羽黒は端的に答える。

 西国から東海道沿いを手広く荒らし、現場に必ず手紙を残していく盗賊がいた。その手紙が必ず赤文字で書かれていたことから赤文字の二つ名で呼ばれるようになったのが、羽黒の前に座る盗賊頭、赤文字の成吉である。

 成吉は江戸での初仕事を働こうとしていた。いや、その準備は既に終えていた。

 目当ての商家には既に引き込み……奉公人を装った配下の者……が入っており、羽黒も確認を済ませていた。

 あとは、決行日を知らせて中から木戸を開けさせれば完了である。

 艦娘のいるこの時代、中へと入り込むだけならば艦娘の艤装を使えば簡単な話だと思われるかも知れない。確かにそれは正しい。正しいが条件がある。

 他に艦娘がいない場合、がそれにあたる。そして、この条件が満たされることはまずない。仮に商家にいなくとも町中である限り、砲撃音の聞こえる範囲には間違いなく一人はいる。他の艦娘が現れて艦娘同士の戦闘となれば盗みどころの騒ぎではなくなる。

 更に言うと、地上においての近接戦闘では必ずしも艦娘有利とは限らぬのである。

 少なくとも中に入るまでは周囲に気付かれてはならぬのだ。

 最初から皆殺しにするつもりで無理やり押し入りすぐに逃げるという盗賊もいるが、それは畜生働きと呼ばれる、今で言うところの強盗殺人である。成吉のような昔気質の正統を名乗る盗賊にとっては唾棄すべき所業であった。

「いつでもおつとめの日を伝えられます」

「なに、しばらくは豆腐を焼いていれば良いさ。なかなか旨いらしいじゃねえか」

「あ、あの、これを」

 片手に提げていた包みを置いた羽黒は、成吉の前にそれを広げてみせる。

 成吉だけでなく周囲の者も何事かと覗き込んだ。

「ここでお豆腐を焼いたりはできませんので、菜飯のおにぎりだけでも持ってきました。あの、皆さんのぶんもありますのでどうぞ」

「お、おう」

 毒気を抜かれたような表情で成吉は頷いた。

 羽黒は盗賊一味に完全に馴染んでいる。藤木提督はもういない。一味に入ってすぐ、押し入った先で藤木は弾みから店の小僧を殺したのだ。

 成吉は、配下に余分な盗みと殺しを許さない。藤木は追放されそうになったが羽黒がそれを庇ったため、ただ一度のみ藤木は許された。

 しかし、二度目は許されなかった。二度目は弾みではなかった。一度許されたことで愚かにも高を括ったのだ。それが自分を惜しんだのではなく羽黒のおかげだとも気付かずに。

「羽黒、お前さんの気持ちは通じなかったようだな」

 成吉の言葉に、今度こそ羽黒は何も言えなかった。

 その翌日、藤木の姿は消えた。羽黒は藤木の行方を問わず、成吉も何も言わなかった。

 羽黒は赤文字の成吉配下として、盗賊を続けている。

 

 

 

「なるほどな」

 艦賊改方長官長谷川平蔵は、部下である月形茶志郎の報告を受けていた。

 茶志郎は羽黒について語り、また、羽黒が普段屋台を出している地点についても地図に記していた。

「確かに、重なりますね」

 羽黒が屋台を引く道筋を確認すると、その全てに一致する通りが存在していた。

 通りに面する一番大きな店こそ、艦娘用資材を扱う問屋、松代屋である。

「確かに怪しいと言えば怪しいが」

 那智が首を捻っている。

「偶然と言えば偶然でも、何もおかしくはないだろう」

 大きな店であれば当然、雇われ人も多い。雇われ人が多ければ、屋台へくる客も多い。

 松代屋の前を羽黒が通ることに不自然なことは何もないのだ。

「この程度の疑惑で人員を配置するのは難しいですな。人員にも限りがある」

「見回りで気に留める程度でも良いのではないでしょうか。ねぇ、瑞鶴」

「翔鶴姉の言うとおりかもしれないけれど。月形さん、他に情報無いの?」

「うむ。確かに。何か他に情報は無いのか、月形」

「探りを入れてみますか」

 与力と同心、人間と艦娘が額を寄せ合っては意見を交わし合う。他では滅多に見られぬ光景であった。

「いや、連日の配置は必要あるまい」

 平蔵が言うと、一同の目が向けられる。

「お頭、何かお考えが」

「確かに、日のわからぬまま人を割いて見張り続けるのは無理があろうな」

 しかし、と平蔵は続ける。

「那智。何人か連れて羽黒を見張れ。羽黒が一味ならば、引き込みと繋ぎをつけるときがくるであろう」

 引き込みは既に入っている、と平蔵は確信していた。

 引き込みなど必要としない畜生働きならば、羽黒の存在自体が必要ないのだ。

 羽黒の存在そのものが、引き込みの存在を暗示している。

「お頭、この役目、月形殿ではいけませぬか」

「ふむ。何故だ」

「月形殿は既に羽黒とは顔見知り。私や天龍ではまず近づくことから始めなければなりません」

 茶志郎は背筋に寒さを覚えた。

 自分が今選ばれなかった理由を咄嗟に悟ったのだ。

 天龍、龍田、那智が知っている話を長官が知らぬ訳がない。部下の普段の行動になど興味がない、という類の上官ではないのだ。

 自分は既に羽黒と親しい。いや、親しい関係になろうとしている。

 情に負ける可能性を危惧されている。

 それは、艦賊改方の一員としてはとうてい見過ごせぬ事であった。

「お頭。那智の言う通りです」

 茶志郎は膝を進め、平蔵に直談判のように問いかけていた。

「お任せいただけませぬか」

 平蔵はこれに答えず、地図に目を落とす。

「俺の考えすぎだったな」

 そして何事も無かったかのように言う。

「誰を使う」

 密偵の選択を任せる言葉であった。

「天龍と龍田を」

「うむ。月形、羽黒のほうは任せた」

 そう言って一同を解散させると平蔵が立ち上がり、

「おう、そうだ。羽黒を見かけた場所をもう少し詳しく教えてくれ」

 再び茶志郎のみを引き留めて座り込むのだった。

そして翌日、平蔵の姿は貧民窟の近くにあった。どこで調達したものか、その格好はとても今をときめく艦賊改方長官のものとは思えぬ垢じみた着流し姿で、二本刀すら差していない。更にその顔にはうっすらと汚れが染みついている。

 どこからどう見ても不逞浪人にしか見えぬのは、衣装方の苦心の作である。

 艦娘衣装をまとっていない艦娘が道端に座り込んでいるところで、平蔵は足を止めた。

 平蔵に気付いたのか、艦娘は半分濁った目を上へ向ける。

「おう?」

「おう」

 妙なやり取りを終えると、平蔵は島風の前に座り込み、懐から鋼屑を取り出して艦娘の横に佇む艤装生物に差し出した。

 素直に受け取り嬉しそうに囓り始める連装砲ちゃんの姿を、島風は眺めている。

「ありがと」

「最近はどうだ」

「変わんない。私は走れないし、連装砲ちゃんは元気」

 片足を失って戦えなくなった島風は、主を喪った連装砲ちゃんを集めている。そして連装砲ちゃんはどこにでも入っていく。

「新参者を知りたいのだが」

「知らない」

「艦娘が配下にいる」

「知らない」

「知らぬか」

「しつこい」

「そうか」

 平蔵は鋼屑を入れた袋から、別の袋を取り出して島風の横に置く。

 連装砲ちゃんは首を傾げるが、島風の横に置かれた袋には手をつけようとしない。

「しつこい。私にも、言えないことも言わないこともあるよ」

「野暮だったか、すまぬな」

袋を取り戻そうともせず平蔵は立ち上がり、背を向けた。

 去って行く平蔵の後ろ姿をしばらく眺めていた島風は、連装砲ちゃんの囓る鋼屑に視線を落とす。表面に小さく書かれている二文字「妙四」が囓られ消えていくのを確認すると、懐から紙を取り出した。

 〝妙〟高型〝四〟番艦羽黒を配下とした盗賊が少し前から出入りしていることを、島風は知っていた。

 町を出たところで、平蔵は足元に何かが駆け寄ることに気付いた。

 連装砲ちゃんがまとわりついている。

「なんだ、食い足りぬか」

 平蔵は鋼屑を連装砲ちゃんの口元に持っていくと、咥えていた紙切れを受け取った。

 役宅に持ち帰り、紙を開く。

 そこには赤文字で「せいきち」と大きく書かれている。

 赤文字の成吉。

 平蔵も知る名前であった。

 同じ頃、松代屋前には龍田の姿がある。いつもの行商姿ではなく、どこかの店の艦娘女将と言っても通る恰好である。

 その姿で龍田は店に入ると、艦娘用の資材を手にとって確認する。

「店の艦娘を増やすことを考えておりますので、今のうちに資材の取引先を広げておこうかと」

 艦娘の居場所は鎮守府だけではない。ある程度の規模の店ともなれば、提督と艦娘を同時に雇って自分の店で出す船の護衛にあてるということもあるのだ。鎮守府に護衛依頼を出すこともできるが、そこはそれぞれの店のやり方というものである。

「またいずれ、本格的に伺わせていたただきます」

 店を出た龍田はわざと遠回りをしながら、茶志郎の待つ路地裏へと入る。

「引き込みがやっぱりいるみたいよぉ」

 独特の間延びした口調に緊迫感はないが、目は笑っていない。

 確たる証拠があるわけではない。かつて盗賊の一味でもあった龍田の単なる勘である。

 自分が盗賊の下見のような素振りをわざと見せたところに反応した、と龍田は言う。

 ならば十二分に信じられる。と考えるのは茶志郎だけではない。龍田と共に動いたことのある改方ならば、全員同じ事を考えるであろう。

「天龍にも人相を伝えてくれ」

 引き込み一人捕らえたところで意味はない。残りの者が逃げ出すだけである。

「はぁい」

 ややあって天龍がやってきたことを確かめ、茶志郎は普段の見回りと同じように歩を進める。

「月形さん、ちょいと考えがあるんで、俺は龍田から聞いた引き込み野郎が出てくるまでは引っ込んでるからな」

「頼むぞ」

「おう、任せな」

 細かい指図はしない。些事は任せるべき。密偵を使う際の鉄則である。

 有能であればあるほど、それぞれの動き方というものがある。無理に型にはめて持ち味を殺すなど愚の骨頂ということを、茶志郎はよく知っていた。

 羽黒の姿が見えた。

 茶志郎はあえて近づかず、いつものように周囲を見回しながらゆっくりと歩く。

 特に何をするでもなく、治安維持に携わる者が其処にいることを示す。普段ならばそれだけで十分なのだ。

 羽黒の様子におかしな所はない。普段通りに商売をしている。

 普段と同じく屋台へ近づき、注文する。

「お勤め御苦労様です。月形様」

「なに、ここの田楽が食いたくてやっているようなものだ」

「まあ」 

 笑いながら田楽を受け取り、少し離れて食べる。

 いつも通りに賑わう屋台に、不審な点は何も無い。

 早すぎず遅すぎず、食べ終えてその場を離れようとしたとき、茶志郎は物陰からの天龍の合図に気付いた。

 かすかに頷くと、やはり遠回りして所定の路地裏に入る。

 何があった、と聞く前に天龍は更に身振りで路地裏奥の古ぼけた酒屋を示す。飲ませるよりも売る方が専門の酒屋だ。

 天龍に続いて店に入ると、平蔵が奥に座っているのが見えた。

「この店をしばしの本営とする。そろそろ那智達もやってくる手筈だ」

「何かわかったのですか」

 那智達の到着を待ち、平蔵は赤文字の成吉が江戸に入っていると伝えた。

 どこの誰からの情報とは平蔵は言わぬ。与力達も聞かぬ。これまでにも何度か平蔵がどこからか情報を仕入れてくることはあったが、誰もその情報源を尋ねることはない。これは逆の場合でも同様である。

 与力同心に限らず、それぞれが互いに秘密の情報源、あるいは密偵を持っている。密偵とは、理由はなんであれ直接繋がっている個人のために動いている者が大多数であり、誰の命令でも聞くというわけではない。龍田や天龍とて例外ではない。

 平蔵は本営に詰める者と交替人員を指名する。そこには平蔵自身の名も入っている。

 さらに、店の奥には数人の密偵も待機していた。

「引き込みとの繋ぎを、見逃すな」

 平蔵はただ一つだけを厳命する。

 だが、どう繋ぐのか。

 羽黒は引き込みの日時をどう伝えるか。そして、それをどう察知するか。

 繋ぎを邪魔せずに、その内容だけを知ることができれば最良なのだ。邪魔で終わってしまえば、盗みそのものを諦めて一味は逃げてしまう。それでは困る。一味を捕らえるためには、盗みの日時を知る必要がある。それも、こちらが知ったことを知られずに。

「ま、あいつなら想像はつくぜ」

 天龍がニヤニヤと笑っていた。

「わかるか、天龍」

「おうよ」

 天龍は昔馴染みでもある平蔵相手には遠慮がない。

「俺の特技は知ってるだろう、てっつぁんも」

 平蔵の無頼時代の通り名「本所の銕(てつ)」の名で平蔵を呼ぶのも、今では天龍を含めた昔馴染み、いわば悪友達だけである。

 平蔵もニヤリと笑うと、周囲の者達がギョッとするほどの伝法な調子で答えた。

「おう、久しぶりに見せてもらうぜ、世界水準超えの天龍様の腕を」

「俺様に任せとけってよ」

 胸を張って宣言する天龍の後ろで、龍田が頭を下げていた。

(天龍ちゃんの手綱、ちゃんと握っておきますね)

 龍田の仕草に、かすかに頷く平蔵であった。

そして、三日が過ぎる。

 いつものように現れる羽黒。

 店の中から、龍田の指摘した引き込みが出てきたのはその直後であった。

 平凡な見かけの少し小太りな男は、屋台に味噌田楽を注文する。

 その少し前にふらふらと歩き始めていた天龍が屋台へと近づいた。

「旨そうだな」

 天龍は羽黒の差し出した豆腐を奪うと、抗議の声を無視してそのまま口内に放り込み、噛み千切ると豆腐を刺していた串を掲げる。

「お、マジで旨えなこれ」

 そして眉をひそめている男に向き直り、

「んだ? 堅ぇ事言うなよ? 金は払うんだから」

 懐から出した金を唖然としたままの羽黒に握らせると、わざとらしく咀嚼音を響かせる。

「もう食ったから、しゃーねぇよな」

 このような破落戸に正面から逆らう者はいない。

「狼藉者」

 そこに叫んだのは那智である。

「なんだ、てめぇ」

「重巡那智。同じ艦娘として無頼は見逃せん」

 天龍は走り出した。逃げたのである。それを追う那智。

その後、二人の姿は本営とされた元酒屋にあった。

「それで?」

 那智の問いに、見張っていた同心が答える。

「あのあと、新しい田楽を出してましたよ」

 天龍は口元に何かを出している。

 先ほどの豆腐が綺麗なまま、いや、羽黒に渡されたままの姿で串だけ抜かれている。

「器用なもんだ」

「俺の特技だからな」

「しかし、何か噛んでなかったか?」

「最初から別の豆腐、口ん中に入れてたからな」

「どういう意味だ」

 天龍は身振りでちょっと待てと伝えると、隅に置かれていた弁当用の重箱から、漬け物を一つ出して口に入れた。

「今、口の中にものを入れたが、わかるかい?」

 天竜の口調に変化はない。先ほどの動作を見ていなければ、口の中にものがあるとは信じられぬであろう。

「それでだ。続きを見てなよ」

 次に、残っていたにぎりめしを二つに割ると、片方を口に入れて食べ始める。

 しっかりと口を動かしてみせ、飲み込む。

 そして口の中に手を入れると、

「行儀が悪いのは謝っとくぜ」

 天龍の指先には、歯形一つついていない漬け物があった。

 那智は呆れていた。

「器用だな、お前」

「てっつぁんと昔練習したのさ」

「なんでまた」

「ま、いろいろとな」

 那智は困ったように首を傾げる。

「まさか、お頭もか」

「てっつぁんは成功したことねえな。全部食っちまってた」

 練習とやらをしていたのは天龍一人で、お頭は最初から普通に食べていただけではないだろうか、と那智は訝しんだ。

「で、肝心の豆腐だが」

 豆腐には味噌が塗られている。点と棒が並んだように形に塗られた味噌。

「俺たちにゃ、わかりやすいと思わねえか」

「これは、艦娘の符牒か」

 そこには、艦娘同士にのみ通じる符牒で決行の日時が記されていたのだ。

 引き込みは男だったが、数字ぐらいなら覚えることは難しくない。むしろ、豆腐の大きさでそれ以上の情報を伝えるには無理がある。日時だけで良いのである。

 那智はすぐに符牒を書き写すと、平蔵への報告に走った。

 報告を受けた平蔵はその場にはいない天龍をねぎらうように言うと、そばの者に指示を出し始めた。

「引き込みと羽黒は、符牒の豆腐は食われたと思っておるだろうな」

「天龍を知る自分にもそう見えました。それに、新しい豆腐を渡したことも確認しています」

「那智」

「はっ」

 平蔵の下知を那智は待つ。

「重巡那智、旗艦を命じる。日向、翔鶴、瑞鶴とともに抜錨せよ」

 基本的には艦娘組の指揮を那智がとり、人間組と全体の指揮を平蔵がとるのが、大きな捕り物での艦賊改方のやり方であった。

 待ち伏せて捕らえることが主眼とされる場合は基本的に軽巡や駆逐の出番であるが、この度は盗賊側に重巡羽黒の存在が確認されているため、戦艦と空母が出撃することになる。

「重巡那智、抜錨します」

 

 

 

 成吉とその配下たちは、静かに夜の町を進んでいた。

 羽黒からの連絡はちょっとした事故があったと聞いたが、符牒は見られていない。それに関しては信用できる手の者が確認している。艦賊改方の見回りが羽黒の屋台に顔を見せることは知っているが、その男に何かを見られたと言うこともない。

 その艦賊改方の長官、鬼提督と呼ばれる長谷川平蔵がなかなかのやり手であるという噂は成吉も聞いている。聞いているが、正面から立ち向かう気などはさらさらない。それは真っ当な盗賊のやり方ではないし、当然成吉のやり方でもない。

 気付かれずに盗みを終え、気付かれずに去る。それで終われば顔を合わせることすらないのだ。そうであれば、必要以上に怖れる必要は何もない。

「このおつとめが終われば、江戸ともしばらくはおさらばよ」

 横を歩く羽黒に、成吉は囁くような小声で話しかけた。

「上方に戻りますか」

「いや、舞鶴に艦娘どもを集めてでけえ鎮守府を作るって話を耳にしたんでな。鎮守府がでかけりゃあ町に人も集まるってもんだ。当然、物も金も集まる」

「舞鶴」

「羽黒、お前さんにもまだまだ働いてもらうぜ」

「あの、お頭」

「わかってる。ここじゃあ殺しは御法度だ。お前さんにゃまた屋台でも引いてもらうさ」

「美味しく作ります」

 成吉は小さく笑った。

 松代屋が見えた。

 成吉と羽黒を含めた十数名が、目配せでずらりと整列し、先頭のものがゆっくりと木戸に手を掛けた。

 抵抗もなく開き始める木戸に頷くと、一人、一人と入っていく。その中には軽巡娘の姿もある。最後に残ったのは、最後までこの位置で逃げ道を守る役目の羽黒であった。

 そして羽黒以外の全員が入ったことを確かめると、成吉が合図して再び進み始める。

 と、成吉の動きが止まった。いや、木戸を潜った者全員の動きが止まっている。

 店の中から現れる影。一つ二つではない。更に続いて、成吉達を取り囲むように次々と現れる人影。その中心に立つのは他でもない。

「艦賊改方長谷川平蔵である。神妙にいたせ」

「逆らうなよ」

 成吉の声であった。

 勝ち目はない。既に先手を打たれている。暴れたところで、逃げ切れるような包囲ではないだろう。ならば、残せる者は残したい、と成吉は思ったのだ。

「名取、長良。お前さんたちは誰一人手に掛けちゃあいねえ。艦娘ならば、まだ目があらぁな」

「赤文字の成吉。艦娘を庇うか」

 平蔵はあえて尋ねる。

「盗みに関しちゃ言い訳はしねえが、艦娘さんに助けられたことは忘れちゃいねえよ」

 深海との戦において艦娘に命を救われた者は決して少なくない。それが盗賊であろうと武士であろうと。

 無言で頷いた平蔵に、成吉は両手を差し出した。

 羽黒もまた、木戸の外で両手を差し出していた。

「月形様」

「羽黒殿」

 羽黒の前に現れた月形茶志郎の後ろには、那智を先頭とした戦艦と空母が控えている。

「瑞鶴、翔鶴は夜戦を飛ばしお頭を援護。日向は私とともに羽黒を抑える」

 那智がそう言うと羽黒は艤装を発現させ、すぐに外し、地に落とした。

 ごとり、と鈍い音がする。

 それは艦娘にとっては降伏に等しい行為である。

「この期に及んで手向かいはいたしません」

 羽黒の揃えられた両手は、茶志郎に向けられていた。

「せめて月形様にお願いいたします」

 やがて、捕らえられた一味は役所へと連行されていくのであった。

 盗賊は死罪である。場合によって罪一等を減じられ流刑などとなる場合もあるが、一味の首魁ともなればまず死罪は免れない。

 例外があるとするならば密偵となり罪を償う場合などであるが、それこそよほどの場合であり、自分を捕らえた者との信頼関係が無ければ無理な話である。そして、盗賊としての矜恃がある者ほどそれを拒否しあえての死罪を選ぶ。更に言えば、それほどの矜恃を持てる剛の者でなければ密偵として働くなど危うすぎるのである。

赤文字の成吉も例外ではなかった。

 そして艦娘達は吟味の後、大本営預かりとなる。

「まずは、最前線の鎮守府であろうな」

 数日後、成吉一味のその後を尋ねた茶志郎に平蔵は答えていた。

 数年戦えば、あるいはそれなりの戦果を積めば自由の身を約束されるのである。だが、それだけのことができる艦娘がどれほどいるか。

「戻ってきて再び艦賊となるか、あるいはただのはぐれ艦娘となるか、どこかの鎮守府の一員となるか」

 俯いた茶志郎に、平蔵は続ける。

「月形。お主、舞鶴へ行く気はないか」

「舞鶴、ですか」

 突然の言葉に茶志郎は鸚鵡返しに尋ねた。

「舞鶴に大規模鎮守府を新設するという話がある。そうなれば人は増える。無論悪党艦賊の類もな」

 話が読めぬと言う顔で、茶志郎は静かに続きを待った。

「そうなれば、舞鶴にも艦賊改方を新設せねばならぬ。人員をこれから集めるということなのだが、その一人としてお主を推挙したい。この話、受けてもらえるか」

 平蔵の表情はいつも通りの、普段の職務について話しているような柔らかい顔であり、これは強制ではないと茶志郎は感じた。

「失礼ながら……」

 そこへ、那智が姿を見せた。

「お頭、密偵が一人増えると聞きましたが」

 礼儀に五月蠅い那智にしては珍しく、二人の会話に入り込んでくる。

「羽黒の改二とは誠ですか」

 瞬間、茶志郎は振り向いていた。

 那智はかすかに笑っている。

「どうした、月形殿。私は羽黒改二の話をしている」

「うむ」

 平蔵も那智の話に乗っていた。

「先日捕らえた羽黒は改であったな」

「那智殿。お頭」

「知らぬ知らぬ。おお、そうだ。改二の羽黒は、江戸での密偵は困ると申しておる。我が儘かもしれんが、舞鶴でならば是非受けたいと。屋台で田楽を売る密偵など良かろうよ」

「お頭」

「どうした、月形」

 月形茶志郎が舞鶴へ出発したのは、その十日後であった。

 その隣には、一人の艦娘の姿があったという。

 

 




次は、秋月姉妹か、秋津洲か、あるいは〝再登場〟の空母ヲ級か

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