今回は(今回も?)かなり元ネタと変えてあると思います
元ネタは、剣客商売一巻「まゆ墨の金ちゃん」より
どうぞ、ご笑覧ください
長門が小兵衛隠宅の庭先に座り込んでから、優に二刻が過ぎていた。
龍驤は心配そうに話しかけていた。
「えーと、長門はん、なんか食べるか?」
「いえ、お構いなく」
「そしたらお茶だけでも」
「お構いくださるな、奥方殿」
「お、お、おく」
長門の言葉にうろたえる龍驤を、小兵衛はやれやれといった顔で見ながら言った。
「長門殿は、いつまでそこで粘るつもりかね」
「無論、先生に一手ご指南いただくまで」
「だから、わしにその気はないと」
「この長門、そう容易くは諦めませぬ」
危機を救われて(第一話「艦娘長門」)以来、長門は秋山小兵衛という元提督、老剣客に一目置いていた。
ところが先日、ひょんなことから小兵衛が知る人ぞ知る不世出の名提督であり、剣客としても稀代の腕であるという人物評を聞きつけ、その行動はエスカレートしていたのだ。
小兵衛としても、一手の指南をことさらに嫌がるものでもない。果し合いというわけではないのだ、それくらいであれば気軽に応じることもやぶさかではない。
ただ、一手で済まないことは目に見えている。
一手が終われば二手三手、果ては弟子入り志願まで。
押しかけ弟子は御免被りたい小兵衛であった。
その手の無鉄砲をあしらった経験がないわけではない。いずれも、足腰立たぬまでに荒稽古を施してやれば這う這うの体で逃げ出していったものだ。
それに耐えるような者なら、それはそれで小兵衛の対応も変わっていたのだが。
だがしかし、それもまだ小兵衛自身が血気盛んだった時代の話、今は隠居の身である。新たな弟子も艦娘も、そして鎮守府も、今の小兵衛には必要ないのだ。
それでも長門はやってくる。夜討ち朝駆けとはいかぬまでも、このところほぼ毎日を長門は小兵衛隠宅の庭先で過ごしていた。
さらにこの数日は、弁当まで持参する準備の良さである。小兵衛としても、やや持て余し始めたところであった。
「小兵衛様、司令の使いで参りました」
そこへ顔を出したのが大治郎の秘書艦、秋月であった。
秋月は長門に気づくと、あからさまに顔を背けた。初対面での長門の大治郎に対する物言いを、秋月は今でも根に持っている。言われた大治郎自身はほぼ忘れていることだ。
「おう秋月殿、わざわざ済まぬな」
「いえ、司令のお父上ならば秋月にとっても司令同然ですから」
「大治郎から何か連絡はあったかえ」
「いえ、なにもありません。すべて順調のようです」
「そうかそうか、おお、そうじゃ、今丁度、龍驤が飯の支度を始めるところじゃ。秋月殿も一緒に食うていかんか」
「ありがとうございます」
「長門殿もどうかね」
声をかけられると思っていなかった長門は、懐から出していた握り飯を慌てて背後へと回した。
「先生、食事よりも私は」
「天下の田沼長門を飯も食わせず庭先に何日も放置したと言われては、わしも困る」
そこでようやく長門は自分の振る舞いに思い至ったか、赤面して頭を下げた。
「浅慮でした。申し訳ございません」
「さあ、上がりなさい。ほれ、秋月も、せんちゃんもせいちゃんも」
「秋月は、龍驤さんをお手伝いします」
龍驤の指示に従い、米をとぎ始める秋月。米とぎに関しては、秋月は群を抜いている。なにしろ米を一粒たり
ともこぼさない、とは龍驤の評である。
「対空迎撃と同じです。一粒たりとも見逃しません」
「龍驤殿、私は何をすればいい?」
長門の問いに、龍驤は考えた。
「長門はん、得意な料理は何かな?」
「特にないな」
「一応聞くけど、料理したことは」
「ないな。食事はすべて鎮守府で摂っている」
「長門はんのところの賄い方って」
「鳳翔、間宮たちだ」
少し考え、
「田沼では、時折大和や比叡も賄いを手伝っていたようだが」
「……比叡はどっちやったん?」
「標準だった」
「そら良かった」
人間でいうところの突然変異、砕けて言うならば変わり種が生まれる場合が、艦娘にもある。
それは艦の大幅な性能差として現れることがほとんどだが、比叡の場合は、何故か味覚障害という形で現れることが多い。
いわゆる、味音痴である。
困ったことに、標準の比叡は料理を得意とする者が多い。事情を知らない提督が味音痴の比叡に料理を任せてしまい大惨事となるのは、そう珍しい話でもないのだ。
結局、龍驤が長門に任せたのは切ること、だった。
煮る、炊く、焼くがすべて未体験だという長門に何を任せられる訳もない、龍驤の苦肉の策であった。
切るならば、包丁こそ初めてで持つ手も怪しいが、刃物そのものは持ち慣れている長門なのだ。
そして、よく食べる。
もっともこれは戦艦娘故のことなので、今さら誰も驚かない。それなりの量を龍驤と秋月は準備していた。
「ところでな、長門はん」
食べ終えたところで、龍驤が切り出した。
「長門はんの見る目は確かや、小兵衛はんに教えを請いたい気持ちはわからんでもない」
「ならば龍驤殿」
「そやかて、本人が嫌がるところに押しかけるんは感心せんよ」
痛いところを突かれた長門が言葉に窮すると、わが意を得たりとばかりに頷く秋月。
「それにや、今、長門はんが世話になっとる井関鎮守府にも申し訳が立たへんやろ」
さらに深く頷く秋月。
「ここはいっそ、大治郎はんとこの鎮守府に世話になったらどうかと、うちは思う」
「龍驤さん!?」
秋月は悲鳴をあげて抗議した。
「なんでそうなるんですか!」
「大治郎はんとこ、艦娘の数そろってないんやろ?」
「司令は精鋭で行くんです」
「長門はんやったら、充分に精鋭やん」
「いざというときは鈴谷さんや熊野さんを出向させてくれるって牛堀提督が」
「ほっほう、それ二人とも重巡やん。せやったら、ますます戦艦いるんちゃうかなぁ」
見事な墓穴であった。
「そないしょっちゅう借りるわけにもいかんしな」
理は龍驤にある。そもそも長門を不必要だというのが、秋月の個人的意見に過ぎない。言い換えれば、わがままである。
「先生のご子息とあらば、人品に不足はないと思う」
長門の言葉に秋月は、「何を当たり前のことを」と言いたげな顔を向けた。
「ですが失礼ながら、秋山大治郎殿の腕を私は知りません」
ふむ、とこれまで我関せずを決め込んでいた小兵衛が頷く。
「ならば、倅の腕を試せばよいであろう。長門殿直々に」
秋月の口がぽっかりと開いた。
「倅に勝てるようなら長門殿の弟子入りも認めよう」
勿論、海の上ではなく陸での腕試し、と付け加えることも忘れない。
龍驤はにやにやと笑っていた。
○
「提督、お客様です」
「この時間は余程の用件でもない限り……」
「まあまあ、固いこと言わないでよ」
朝潮の案内も待たずにその背後についてきた客の姿に、牛堀九万之助は内心ほう、と呟いた。
「お前か」
「もぉ、嬉しいくせに提督ったら」
「こんな時間に何の用だ」
軽巡洋艦娘那珂は、九万之助のつっけんどんな返事にも臆することなくするすると部屋に入ると、当たり前のように隣に座った。
どうも九万之助は、この那珂が苦手だった。艦娘那珂が苦手というわけではない。この“那珂”が苦手なのだ。
この“那珂”は普通の那珂とはどこか違う。勿論、同じ艦種だからといって皆がそっくり同じ性格、気質だと
は限らない。特に、身を持ち崩して暴れ艦になってしまったような艦娘は、艦娘としてまっとうに生きるものと比べると別人といってもいいほどの変貌を見せる。
しかし、この“那珂”の場合はどこか違うのだ。
元々、那珂という艦娘には二面性がある。川内、神通となるほど姉妹艦であると思わせるだけの戦闘力、そしてそれとは相容れぬ、「アイドルに憧れる」という性格。
牛堀の見るところ、この“那珂”は、二面性の乖離がひどい。
アイドルに人一倍憧れ、活動を実践しているにもかかわらず、その実力は高い。
実際のところ、牛堀鎮守府には一対一で“那珂”に勝てる艦娘はいない。軽巡洋艦同士ではなく、重巡洋艦が対したとしてもだ。
戦艦とて、夜戦に持ち込まれた場合は危うい。いや、錬度によっては容易に持ち込まれ敗れる。
さらに、“剣客”としても手練の技を持っている。
海上では艦娘として、地上では剣客としての腕を余すところなく振るうのだ。
那珂は言う。
「那珂ちゃんは、みんなのアイドルだからね」
「歌って踊って、みんなを笑顔にするんだよ」
「闘って笑顔にするのはもうおしまい」
「これからは、艦娘那珂ちゃんじゃなくてアイドル那珂ちゃんの時代だよ」
多くの那珂はそう言って笑う。しかし、“那珂”は続ける。
「でもね、闘うのも嫌いじゃないよ。この“那珂”ちゃんは」
それから、笑うのだ。
九万之助は、ひょんなことから知りあったこの変り者の那珂を鎮守府に出入りさせていた。というよりも黙認していた。
強いのは確かであり、変り者といっても周囲に迷惑をかけて良しとする性格ではないことが見てとれたためだ。
それからは、那珂は自由に鎮守府を訪れた。そのたびに妙な土産や噂話を持ってくるのが、当たり前のようになっていた。
牛堀鎮守府には那珂はいないが、神通と川内はいる。だからといって那珂は格別姉妹艦に会いに来るわけでもない。
ただ、牛堀自身とはよく話をしに来るのだ。
しかし、この時間に直接顔を見せたのは初めてである。
那珂は一人で飲んでいた九万之助の前に置かれた膳から徳利を持ち上げると、
「はい、那珂ちゃんが注いであげるから、ね」
流れるように続く動作に隙はない。
「牛ちゃんにね、今日も面白い話があるんだよ」
この時間、一人きりで酒を飲むのが牛堀の日課のようなものだ。
鎮守府の艦娘たちは皆それを知っていて、九万之助を一人にしている。その時間が大切な時間だと、彼女らは知っているのだ。
那珂が鎮守府を訪れるようになって二年ほどが経つが、那珂もここまで踏み込んだことはない。
今日、この時までは。
そのことに気づいた九万之助が居住まいを正した。
「なにがあった。那珂」
ようやく、とでも言うように那珂は頷いた。
「秋山大治郎」
「若先生がどうした」
秋山大治郎は、牛堀鎮守府のいわば剣術指南である。今は訳あって出稽古を休んでいるが、その代わりといっ
て秋山小兵衛が姿を見せている。
「倅の代役じゃ」
そう本人はいい、艦娘からの評判も決して悪くはない。悪くはないのだが、九万之助から見れば小兵衛はまさに別格の剣客である。恐縮することしきりであり、小兵衛を先生、大治郎を若先生とよんでいるのだ。
「あの人、狙われてるよ」
「何者に」
九万之助は大治郎を気に入っていた。何かあればぜひ力を貸してやろうとも思っている。
そして、自分には好ましく感じられる大治郎の生き方が、今では敵を作りやすいものだろうということも理解していた。
よって、「何故」ではない。「誰に」である。
「そこまでは那珂ちゃん、わかんないなあ」
「何故わかった」
ふふふ、と笑う那珂。
「何がおかしい」
「那珂ちゃん、暗殺に誘われちゃいましたあ」
「おい、まさか」
立ち上がりかけて、再び九万之助は座りなおした。
那珂は話を聞かせに来たのだ。暗殺に誘われ、素直に受け入れたものが今ここに来る理由はない。
「誘われた、のだな」
「うん」
請け負った、とは言っていないのだ。
「那珂ちゃん、悩んでます」
じろり、と九万之助は那珂を睨みつけた。
「提督、盃が空いてるよ」
盃に注ぎ、自分の盃にも注ごうとする那珂の手から、九万之助は徳利をとった。
「ほれ」
「ありがとー」
「それで?」
「ん?」
「何を悩むことがある」
「那珂ちゃんが頼まれたのは、お手伝いなの」
「暗殺の手伝い?」
「秋山大治郎本人には手を出さなくていいって」
「ふむ」
ならば、那珂に相手をさせるのは秘書艦秋月か。と九万之助は考える。
防空駆逐艦たる秋月の相手であれば、空母や軽空母というわけにはいくまい。
さらに暗殺に必要な隠密性を考えれば、戦艦でも重巡でもない、手練れの軽巡を雇うのも頷ける。
「秋月じゃないよ」
那珂は笑っていた。
「そんなつまらない相手じゃ悩みません」
「つまらない、か」
「だって、駆逐艦だよ」
「ふむ」
ならば、秋山小兵衛か。
尋ねかけて、九万之助はやはり口を閉じた。
いかに那珂が手練れといえど、少なくとも地上において秋山小兵衛が後塵を拝するとは思えない。
確かに、水上においては艦娘は脅威である。しかし、剣客提督ともなれば、地上においては艦娘と同等。ましてや秋山小兵衛である。いかに那珂でも簡単に太刀打ちできるとは思えない。
「提督は狙いません」
心を読んだか顔色を見たか、那珂はそう言って盃を一息に空けて見せた。
「那珂ちゃんはね、戦艦娘と戦うように頼まれたの」
腑に落ちた。
田沼長門が小兵衛と親しく交わっていることは聞いている。大治郎とのつきあいも皆無ではないだろう。
確かに、戦艦長門であれば、那珂にとって相手は充分だろう。
九万之助は那珂の盃に注ごうとし、徳利が空であることに気付いた。
「だれかいるか?」
「はい」
声を掛けると、控えていたらしい朝潮が姿を見せた。
「酒を。それから何か適当に見繕ってくれ」
少し待つと、朝潮から報告を受けたらしい妙高が酒と新しい膳を運んできた。
膳には練り物と野菜を煮込んだものなどが並んでいる。
「妙高、すまんがしばらくの間、人払いを頼む」
「承知いたしました」
こういう場合、妙高は何も聞き返さずに指示に従ってくれる。これが鈴谷や熊野ならば、理由を説明しなければならないところである。
鎮守府ではもっとも古株の秘書艦筆頭である妙高故こその気遣いであった。
「では」
九万之助は膳を置くと、那珂に正面から向き直る。
「詳しく聞こうか、那珂」
「ふふふ、やっぱり? 那珂ちゃんがお話ししてあげるね」
○
那珂は、小さな小屋でアイドルとしての活動を始めていた。僅かではあっても、ファンも付いている。
その日も、那珂はミニライブを終えたところだった。
「那珂ちゃん、今日のライブも良かったよ」
「ありがとー!」
声を掛けてきたのは、那珂が活動を始めたすぐの頃から付いてきてくれている、ファンを通り越してマネージ
ャーのような存在になってしまった男だ。
「もう少し大きい小屋に移りたいけれど、ちょっとお金がね」
「大丈夫大丈夫、那珂ちゃん、どんなところでもアイドル魂は忘れないから」
「そこは心配してないさっ、ただ、客がもっと入って欲しいよな」
「そうだね、もっと入って欲しいけど、この大きさじゃ仕方ないよね」
「そこで、だ」
男は声を潜めた。
「那珂ちゃん、お客さんが来てるんだよ」
「お客さん?」
「出資したいって言ってる」
「うーん、なんか怪しいね」
「やっぱりな、断るか」
あっさりと言う男を那珂は引き留める。ここでしつこく会わせようとするような男であれば、那珂はとうに身近から遠ざけている。
その意味で、那珂は男を信頼していたのだ。
「その人、提督なのかな?」
「いや、普通の人みたいだけど」
ならば会ってみよう。と那珂は決めた。
提督相手ならば、艦娘としては別として、アイドルとしては色々困ったことになる可能性もある。
世の中、清廉潔白な提督ばかりでないことを、那珂は不本意ながらも身をもって知っていた。
提督でないとすれば、よからぬ事を仕掛けてきたところで艦娘の力で簡単に退けることが出来る。
「気ぃつけなよ?」
「うん。大丈夫大丈夫、那珂ちゃん、こう見えても強いよ?」
「強い弱いじゃなくて、那珂ちゃん、俺らのアイドルだから」
「ふふっ、ありがとね」
小屋の裏、人目に付かぬ場所でその男は待っていた。
「川内型三番艦、軽巡洋艦那珂」
「そうだよ? 那珂ちゃんに何か用かな?」
「三浦那珂」
「……知ってるんだ、那珂ちゃんの所属していたところ」
「第四次房喃沖海戦で駆逐棲姫を単騎撃破した殊勲艦、三浦那珂さん」
「単騎じゃないよ」
川内と神通がいた。名ばかりではない、那珂と同じ工廠で生まれた本当の姉妹がいた。
艦娘の姉妹艦には二種類ある。
同じ工廠で生まれた場合と別の工廠で生まれた場合。
後者であれば、姉妹という感覚はそれほどない。姉妹の同型艦でしかないという感覚だ。普通の艦娘よりは親しみを感じるだろうが、それだけのこと。
その時、那珂が思っていたのは前者の二人だった。
那珂をかばい、駆逐棲姫の前に散った二人の姉だった。
あと一手、あと一秒、那珂が早ければ救えた二人だった。
……那珂ちゃんの一番のファンは私たちだよ
……那珂ちゃんはアイドルなのよね
……夜戦は私が
……昼戦は私が
……だから那珂は、アイドルを頑張って
……私たちがみんなを守るから
……那珂ちゃんはみんなを笑顔にしてほしい
那珂に言葉を、約束を残した二人だった。
「結果的には、単騎でしょう」
「……そうだね」
「そのお力を見込んで、お話が」
姉妹を失った戦いで三浦鎮守府は壊滅した。今の那珂はアイドルと名乗っているだけのはぐれ艦娘だ。
後ろ盾など、ないに等しい。
わずかなファンと小さなイベントで糊口をしのぎ、かろうじて生きて、活動している。
「話くらいは、聞くよ」
○
その夜のことである。
小兵衛の隠宅に急の来客があった。
「これは、九万さん」
小兵衛は九万之助を九万さんと呼ぶようになっていた。
軽侮の響きのない、他愛もない軽口と九万之助は感じ、親しみある呼び方として他意もない。
ただ、牛堀鎮守府に球磨型一番艦球磨が配属されたらどうするのか、とその場にいた龍驤が問うてみた。
しばし考え、小兵衛は重々しく言ったものだ。
「……球磨ちゃんでは駄目か?」
「それは、贔屓や」
「ならば、球磨型が配属されたときには、お前の呼び名も変えよう」
「つまり、うちは龍驤ちゃんになるんやね?」
「そうなるな」
「そやったら、ええわ」
そういった経緯があったのだから、いきなり訪れた九万之助に龍驤が「球磨来たん?」と喜色満面で尋ねても
仕方のないことだろう。
「いや、龍驤殿、違うのだ」
慌ててかぶりを振る九万之助を見た小兵衛が龍讓を叱った。
「これ、龍驤、いきなりそんなことを言うものがおるか」
むう、と唇をひん曲げて、龍讓は下がった。
「先生、このような時間にご無礼します」
「なに、年寄りは夜を持て余していかん、ささ、上がりなさい」
「失礼いたします」
龍驤が何事もなかったかのように顔を出し、小兵衛に目を向けた。
「悪いが茶でも頼む」
「お酒やのうてええの?」
「うむ」
「はぁい」
再び龍讓が下がると、小兵衛は確認するように九万之助に頷いて見せた。
「先ほどまでは飲んでおりましたが、酔いも覚めました」
「酒の肴に何やら聞きこんだかい」
「は、実は以前にもお話しした、わが鎮守府に出入りしておる……」
「アイドルの那珂ちゃんかえ?」
那珂の話は初めてではなかった。
世間話の一環として九万之助も話したことがあり、小兵衛が別の場所で耳にしてから九万之助に確認した話もある。
「これは……恐れ入ります」
「なに、年を取ると世間の噂ばかりが気になっていかん。これでは元提督というより重巡青葉じゃわ」
「その、那珂なのですが」
大治郎が狙われている、という話を那珂から聞いたままに、九万之助は小兵衛に告げた。
「詳しいことがわかれば是非知りたい、と那珂には頼んでおるのですが」
「大治郎は、兄弟子の遺骨を届けるため、西国に行っておる」
「ならば……」
「だが、帰る時期は特に秘密では無い。誰であろうと尋ねる者がおれば秋月が隠すこともなく伝えるじゃろう」
そこを襲う手筈、とは充分に考えられる。そして、鎮守府で秋月と長門が待っていても何の不思議もない。
その秋月と長門を抑える手として、那珂は計算されているのだろう。
「すぐに連絡を。島風に海路で先行させれば、西国ならば造作も無いでしょう」
基本的に海路はまだ一般には開放されていない。必要物資の輸送は艦娘の護衛で行われてはいるが、深海棲艦
が現れないという保障はないため、民間航路はほぼ存在していないのだ。
ただ、高レベルの艦娘であれば、単独で海路を行くのはそれほど難しくない。陸路に先行するためだけの沿岸航路ならばなおさらである。
例えば高速艦娘の中には、海路を利用した伝令業を営む者もいるのだ。
「無用」
「先生?」
決めつけるような小兵衛の言葉に九万之助が慌てた。
「倅も剣客の端くれならば、狙われるは必定」
その度にこの老父が出張るようでは、剣客としての道末など見えている。
「故こそ、無用と」
「しかし」
「重ねて、無用」
九万之助とて二人に及ばぬとはいえ剣客、小兵衛のいうこともわかる。
しかし、しかしだ。
小兵衛は大治郎の実父ではないか。
そう、言いたいのを九万之助は堪えた。小兵衛が正しいのだ。
父と子である前に剣客。それを選んだが故の剣客提督。それを間違いだと言うことが、余人にできるはずもなかった。
「わかり申した」
ですが、と九万之助は続けた。
「私が大治郎殿に肩入れする。これは私自身の、剣客秋山大治郎との交誼のためです」
小兵衛はただ、無言のままに頷いた。
しばらくして湯呑を引き取りにきた龍驤が見たのは、一人難しい顔で茶を飲む小兵衛だけだった。
○
翌日再び訪れた那珂に、九万之助は小兵衛とのやりとりの内容を簡潔に告げた。
「それじゃあ、那珂ちゃんはこのお仕事引き受けてもいいんだね」
露骨に渋い顔をして見せる九万之助に那珂はにっこり笑って、
「ほら、那珂ちゃんが獅子身中の虫になってあげるよ?」
と言ったものである。
田沼長門はおいて、自分は秋山大治郎とやりあうわけではない。
ならば、
「何か動きあれば、こちらに伝えることもできる、と?」
那珂は頷いた。
「その代わり那珂ちゃんが何もしていないのに秋山大治郎が討たれても、知らないことだよ」
そこまでは、九万之助にも如何ともし難いことである。
九万之助も頷くしかなかった。
さらに、と那珂は続ける。
「那珂ちゃんが最後の一人になれば、誰とも戦う必要ないでしょ?」
那珂が最後まで刺客に義理立てする理由などない。言ってしまえば、途中から寝返ってもいいのだ。
「那珂ちゃん、そこまで恩知らずじゃありません」
秋山親子や田沼長門は知らず、牛堀九万之助との義理を棄てるまでのことではない。と、那珂は言っていた。
「頼む」
「オッケーだよ」
そしてこの話は、那珂も九万之助も驚く程の早さで進められた。
九万之助からの連絡が絶えず送られていた小兵衛も同じである。
「アホやろ」
牛堀鎮守府からの使いを見送りながら、龍驤が言った。
「誰が、ですか?」
長門が小兵衛に尋ねると、秋月も真剣な表情で小兵衛を見た。
大治郎の帰宅がまだなので、秋月も長門も小兵衛の隠宅にいることが多い。
秋月は秘書艦としての修練、長門は相変わらずの弟子入り志願のためである。
「誰だと思うかね?」
「軽巡那珂です」
小兵衛の問いに間髪を容れず答える秋月。
「理由がどうあれ、大治郎さまを狙う痴れ者に与するなど、なにを考えているのやら」
それにやや間をあけて、
「話が漏れているとも気づかぬ、その痴れ者どもでしょうか?」
と長門が答えた。
「大治郎はんがおらへんのに、なに急ぐ理由があんねん」
二人の意見を上からぴしゃり、と龍驤ははねのけ、
「本命は長門はんや、バレバレやろ」
「なぜ隠す必要があるのですか」
「本人が狙われた。たまたま巻き込まれて襲われた。恥ずいんはどっちやろな」
「ま、泣き寝入りしかあるまいよ、少なくとも表向きは、な」
田沼の者と知って襲ったならば、それこそ櫓櫂の及ぶ限り追うこともあり得るだろう、それを田沼提督が望む望まずに拘わらず。
しかし、ただの不幸な偶然とならば話は別である。人の口とは不思議なもので、流れによっては襲われた当人の不手際とも喧伝しかねない。
小兵衛はそれを指摘した。
「それでは、巻き込まれているのは大治郎さまではないですか」
秋月の言は間違いではない。
「いや」
しかし長門が首を振ると、秋月はムッとした顔で睨んだ。
それを横目に見ながら、長門は言葉を続けた。
「我々はすでに知っているのだ。むざと巻き込まれることはない」
「それよ」
小兵衛が楽しそうにニヤリと笑った。
「那珂ちゃんと九万さんの友誼を知らぬ、調べもせぬ連中が阿呆よ」
○
夕暮れも近いころ、那珂は集められた艦娘に目を向けていた。
戦艦が二人、重巡が一人、自分を含めた軽巡が三人だ。
相手は駆逐一人と戦艦一人、そして剣客提督一人。
数だけを見れば襲撃には十分だろう。
空母系がいないということは、夜戦を念頭に置いているということか。
あるいは集めきれなかったか。
大したことは無い。と那珂は感じていた。
このうちのどの一人であろうとも、一対一ならば勝つ自信が那珂にはあった。
いや、統制をとる者がいないのならば、同時に戦ってもどうにかなる。
自分を雇った男の眼力に対する失望を少し感じながら、那珂は依頼の内容を確認していた。
「時間は夜。夜戦を鎮守府に仕掛ける」
旗艦となったらしい戦艦の一人が言った。
「今から向かう」
「急ぐね」
思わず那珂は口に出していた。
実際には、今であろうと明日であろうと那珂にとって変わりは無い。
「怖じ気づいたなら下りてもいいぞ。金を返せば、な」
「下りたら背中からばっさりでしょ。那珂ちゃんそういうのは嫌だなぁ」
笑いながらすぐに自分の言葉を打ち消す。
「冗談だからね、今更下りるなんて那珂ちゃん言いません」
毒食らわば皿まで、ではないが、ステージが始まれば幕まで演じるのが那珂の意地だ。
「アンコールまで、頑張っちゃうよ」
近場までは陸を行き、近づいたところで鎮守府内に引き込まれている水路より侵入、奇襲する。
狙うは提督。見当たらない場合はその場にいる艦娘を討つ。
「楽な仕事だな」
もう一人の戦艦娘が笑うと、追従するように重巡娘も笑った。そして、あからさまに機嫌を伺うような軽巡た
ち。
「俺はここまでだ」
先導していた男が言う。
ここからは、艦娘は水上を進むことになる。
「那珂」
男は那珂に近づくと、残りの艦娘からは聞こえぬように囁いた。
「秋山がいなくても長門は討て。最悪、あとの艦は見捨てても良い」
捨て艦。
本命は自分。ならば、他艦とは錬度が違いすぎるのもわかる。
そこに気づいた瞬間、那珂の血は上った。
己の内から、いつか聞いた声が這い上がってくるのを感じた。
……満身創痍の川内と神通を見切り、駆逐棲姫を討ち滅ぼした三浦那珂。
もう一度その名を帯びよと。
僚艦を、姉妹を見捨てて殊勲を求めよと。
違う。
その悲鳴は聞こえず、その悲哀は理解されず。
ただ、深海棲艦を屠った誉れだけに目を向けよと。
一人残った我が身を誇れと。
「違うよ」
「何か言ったか」
「いや」
言葉は平静に。気取られることなく。
旗艦に従い身体は水上へと動き、陣形を組んだ。
どうする。
那珂は自分に問うた。そして答えた。
秋山大治郎は鎮守府に確実にいない。
真の狙いは田沼長門。
「速度を上げろ」
旗艦に従い速度を上げた瞬間、砲撃音が響いた。
那珂の隣にいた軽巡が身体を回転させながら水面に叩きつけられた。
一撃大破であった。
そして今の砲撃音と衝撃は、紛れもない戦艦の砲撃。
「田沼、長門……一撃必中ぅ?」
慣れ親しんだ自鎮守府への水路であれば、改めての距離測定の必要は無い。一撃必中も不可能ではないだろう。
だが、「不可能ではない」というだけの話である。
それを今、田沼長門はやってのけたのだ。
その事実が、那珂に現状を忘れさせた。ただ目の前の強敵だけを見せた。
「那珂ちゃん、いっきまーす!」
勝負にすらならず、戦闘は終わった。
水上に立つのは長門と那珂のみ。
那珂を除く五人は全て大破となり、秋月によって回収されている。
そして長門と那珂は、共に無傷ではなかった。
「牛堀殿の鎮守府に出入りしている那珂であろう。話は聞いている。引け」
「……強いね、長門は……ううん、田沼長門は」
ただの長門ならば勝っていた。そう、那珂は告げていた。
「でもね、それでも、那珂ちゃんは勝たなきゃいけないから」
戦わなくてよいと言われたから。
アイドルでよいと言われたから。
二人を見捨てたと言われたから。
二人を見捨てる必要などない。
それならアイドルでなくていい。
だから戦わなければならない。
「戦って、くれるよね。田沼長門」
「この長門、逃げはせぬ」
那珂が先手を切った。
艦の砲撃戦ではない、人の身体を得た艦娘の砲撃戦である。両手足を使うことは当然であった。
姿勢を低く飛び込んだ那珂の右腕が伸び、主砲を長門へ向けた。
長門は避けようともせず、向かってきた那珂に合わせ身を傾ける。
さらに進む那珂。速度を緩めず、ひたすら那珂は右腕を伸ばす。
この距離ならば、まだ避けられる。
那珂が先手を外せば、長門が那珂を撃つ。長門が先手を外せば、那珂が長門を撃つ。
この距離ならば、那珂は避けられる。
両者は主砲を掲げたまま、ただ正面から向き合い、接近し続ける。
那珂がさらに手を伸ばし、同時に水面を蹴った。
わずか一瞬、那珂の最高速度が艦としての性能を越えた。
普通ならば予想されるより一手早く、那珂の砲塔は長門の顔面を捉えた。
既に避けられる距離でもタイミングでもない。
「長門ぉぉぉぉっ!」
軽巡にしては重すぎる主砲が火を噴くかに見えた瞬間であった。
長門は頭を振った。
避けたのではない。このタイミングで避けたとしても間に合わない。
だから、長門は那珂と同じく水面を蹴り、那珂の伸ばした砲塔に自ら額を覆う装甲をぶつけた。
両手足を使えるのが艦娘であるならば、その頭蓋を使って何が悪いか。
那珂の砲塔が揺れ、狙いは外れ、それでも完全に外す距離ではなく、那珂の砲撃は長門の左肩を砕いた。
しかし長門は止まらない。
衝撃を堪え、残った右腕をあげる。
「次弾装填急いでっ!」
那珂の叫びと同時に、長門の砲撃が那珂の胸板を直撃した。
水面に叩きつけられる那珂、それを見下ろす長門。
「貴様相手に左肩一つで済むなら、私の勝ちだ」
軽巡那珂、轟沈。
「長門さんっ!」
近づく気配に長門は再び構え、秋月がその横に並ぶが、そこに姿を見せたのは、
「……遅かったか」
軽巡川内、軽巡神通を従えた牛堀九万之助であった。
「牛堀提督……」
「田沼長門殿。那珂の始末、我らに任せてはくれんか」
長門は頷いた。
川内と神通が水面に浮かぶだけの那珂に寄り添っていた。
「……あれ? 川内ちゃん……神通ちゃん……那珂ちゃんはね、戦ったよ」
「那珂ちゃんは強いよね……川内ちゃんと神通ちゃんと一緒に戦えるよね」
「一緒だよ……一緒に戦おうね……もう、一人で戦うのは厭だよ……」
目を閉じた那珂を、川内と神通が丁寧に曳航していく。
「三浦那珂は、三浦川内と三浦神通と共に眠らせたい」
長門と秋月は、静かに見送った。
そして少しして駆けつけたあきつ丸に、大破した五人を引き渡したのだった。
五人を取り調べ、やはり狙いが田沼長門であるとわかったのは後日である。
雨が降り始めていた。
大治郎が鎮守府に帰還したのは、雨の降り止まぬ翌日だった。
次回になるかどうかはちょっとわかりませんが、
「約束金二十両」を足柄さんで書いてみたく