鎮守府商売   作:黄身白身

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第七話です。

剣客商売二巻「鬼熊酒場」を元ネタに。


どうぞ、ご笑覧ください


キタクマ酒場

 

 

「初春じゃ。妹たちともどもよろしく頼みますぞ」

 

 初春型の駆逐艦娘たちが秋山鎮守府の門をくぐったのは、「提督毒殺」事件も落ち着いたころであった。

 

 大規模な鎮守府であるほど、自然と細かい部分への眼は届かなくなる。提督とて人間である限り、それは仕方のないことであった。

 それを防ぐためには、鎮守府筆頭提督の下に複数の平提督を置くのが通常である。一鎮守府に一提督などと拘っていては大規模鎮守府は成り立たぬのだ。

 どうしても平提督の数が足りぬ場合は、援助や友好の意味も込めて小規模鎮守府に艦娘をまとめて派遣する方法もある。

 大規模鎮守府にしてみれば育成、訓練の手間が減り、小規模鎮守府にしてみれば人手が増えるという、双方ともに得のあるやり取りであり、派遣は盛んに行われている。

 

 今回もそうであり、初春たちは田沼鎮守府より秋山鎮守府へとやってきたのだ。

 

 艦娘が増えれば負担も増えるが、かわりに受領できる任務も増え、任務達成の報奨金も増える。

 さらに今回は、艦娘に対する剣術指南の礼金が田沼より払われるのだ。

 

 まず、秋月が喜んだ。

 鎮守府の収入が増えたのである。無知というほどではないが無頓着な提督の経済感覚に、秋月はひそかに心を悩ませていた。

 もっとも龍驤に言わせれば、

「秋月は気にし過ぎやろ」とのことなのだが。

 

「どうやら、お前の鎮守府もようやく形になってきたような」

 

「田沼さまのご厚意に甘えるようで、いささか心苦しいのですが」

 

 父の言葉に大治郎がそう答えると、

 

「名ばかりで選ばれたわけではないわ、堂々としておれ」

 

 事実先日、田沼意次に長門とともに招かれた大治郎は、田沼鎮守府の剣術指南役と同等以上に戦って見せた。

 それを目の当たりにした初春たちが大治郎による指南を希望した、という話もある。

 

 いずれにしろこれによってようやく、秋山鎮守府が曲がりなりにも一艦隊を組めるようになる。

 鎮守府としての一応の型ができたのである。

 

「ふむ、しかと陣は組んでおるのう」

 

「さすがは若先生、抜錨指示も堂に入ったものでありますな」

 

 小兵衛に並ぶようにして抜錨風景を眺めているあきつ丸は、しみじみと言った。

 

「大先生もやはり若先生の指揮が気になるのでありますか」

 

「わしは長門殿や足柄殿を見に来ておるだけよ」

 

「ほう」

 じろりと小兵衛はあきつ丸を睨みつけ、

 

「鈍っておるな。久しぶりに、わしの指揮で抜錨してみるかえ? そうさな、夜間迎撃の緊急発着訓練など、どうじゃ?」

 

 慌ててかぶりを振るあきつ丸。

 

 とはいえ小兵衛、大治郎の鎮守府を訪れる回数が増えたことに間違いはなかった。

 

 だからと言って、艦隊帰還まで居座るつもりもない。それでは純粋に、大治郎の邪魔になってしまう。

 

(そうじゃ。久しぶりにあそこに行ってみようか)

 

 そこを小兵衛が初めて訪れたのは、ちょうど、田沼長門と初めて出会った頃か……

 

 知り合いから名物の酒屋の噂を聞いた小兵衛は、町から少し外れた通りを歩いていた。

 

 安くてうまい、ただし、気に入らぬ客ならば問答無用で叩きだす。そんな酒屋があると聞いた小兵衛である。

 しかも屋台だというのが面白い。

 店の主人は軽巡球磨。一人で屋台を引き、一人で店を切り盛りしているのだと。

 店の名前など特に決まってはいないのだが、とある駆逐娘が「キタコレ球磨さん」などと声を上げては開店を伝えたため、誰いうとなく「キタクマ」と呼ぶようになったとか。

 

 噂に聞いたそんな話を思い返しながら、

(さて、この辺りか……)

 と辺りを見渡した小兵衛。

 

「てめえ、何しやがる!」

 

「うるせえクマ、そっちこそ何しに来たクマ」

 

「ああ? 酒屋で酒飲まずに何しろってんだ」

 

「酒を飲まずに食うだけの客もいるクマ」

 

 特徴ある語尾ですぐにわかる、軽巡球磨と酔客の争うやり取りが聞こえてきた。

 

 かと思うと小兵衛の目前に、投げ飛ばされたらしい酔客が転がってきた。

 そして、それを追うように軽巡球磨が。

 

「文句があるなら、いつでも来るクマ。球磨は逃げも隠れもしねえクマ」

 

 二人の出てきた路地に目をやった小兵衛は、小さな屋台とその周りで二人のやり取りを笑いながら見ている客たちに気づいた。

 

「おうおう、球磨ちゃんのあれがなきゃ、ここで飲んだ気がしねえぞ」

「そんなにわか野郎、やっちまえ」

 

 常連たちにはそれこそ日常茶飯事なのだろう。

 

 捨て台詞をはいた酔客が這う這うの体で去っていくと、球磨は小兵衛に気づきじろりと睨みつけた。

 

「何か用クマ?」

 

「客じゃよ」

 

 ふん、と鼻息も荒く屋台に戻る球磨の後ろに小兵衛はつき従い、空いている場所を見つけて座った。

 

「さっさと注文するクマ」

 

 乱暴な口調は変わらず、しかし小兵衛は逆らわずに応えた。

 

「酒と、肴は適当に見繕っておくれ」

 

 待つというほどもなく酒と肴が、やはり乱暴な調子で小兵衛の前へと運ばれてくる。

 

(むう……)

 

 早速一献と盃をとり、次いで肴を口にした小兵衛は心中で唸った。

 

(美味い)

 

 のである。

 

 酒も上質のものであるし、肴として出された料理は干した魚を薬味とともに味噌で味付け、軽く焙ったものである。

 おそらくは味噌そのものも丹念に拵えられているのであろう。

 

 小兵衛は周囲を見回した。

 酒も肴も決してこのような場所で出される簡単廉価なものではない。

 値段も、料理というよりも場所相応の安さである。

 

(なるほど、これはたまらぬわ)

 

 これだけの料理と酒でこの値段ならば、客のつかぬほうがおかしいというものだ。

 そう、小兵衛は思った。

 

 予想外の心地よさに随分と飲み過ぎて、小兵衛は腰を上げた。

 

 そうして小兵衛はしばらく通い詰めとなるのだが……

 

「小兵衛はんの浮気者」

 

 龍驤が拗ねた。

 

 勝手に居ついておいて何を、とは小兵衛も言わない。とうに他人行儀の仲ではなくなっている。

 二日と空けずに外出しているのだから、浮気というのは論外にしろ、これは自分が悪い。と小兵衛も素直に当分の遠出を自粛した。

 

(提督も務めたこのわしがいまさら、艦娘とこのような仲になるとはのう……)

 

 艦娘は、人間の眼からは例外なく美しく、可愛らしく見える。

 だが、艦娘の見た目を鵜呑みにして逆上せるようでは、とてもではないがまともな提督は務まらぬ。

 そしてまたそのような提督など、艦娘も信頼はせぬ。

 

 ゆえに提督としての経験を積むほど、その見た目にはこだわらなくなる。

 

 小兵衛と龍驤は、互いにその心持を気に入っている。

 それは、人間同士の情愛とはやや異なる。無論、どちらが良いとかどちらが優れているというたぐいの話ではない。 

 ただ異なる。それだけの話ではあるのだ。

 

(だが、これもまた、悪くはないわえ)

 のであった。

 

 そのような次第でキタクマより足を遠ざけていた小兵衛であったが、大治郎の鎮守府を訪れたこの日は自分の思い付きに頷きながら、かって屋台のあった場所へと向かっていた。

 

 ところが、見覚えのある路地へとたどり着いたはいいが、肝心の屋台は影も形もない。

 辺りを見回してもそれらしき姿はない。

 元々が屋台である。場所などいくらでもかえられるだろう。小兵衛が来ない間に、場所を変えるような出来事があったのかもしれない。

 

 出会えぬことを予想していなかったわけではない。それでも思った以上に消沈している自分に苦笑しながら、小兵衛は隠宅への帰り道を選んだ。

 

 ここで、小兵衛の尋常ならざる勘働きが発揮された。

 常人ならば気づかずに見逃すであろう、ある風景に気づいたのである。

 木々の陰、道からはほぼ見えぬ位置に置かれた屋台に。

 

 死線をくぐり抜けた剣客提督ならば一度は経験したであろう、見えぬ敵。

 見えぬ故に気づかぬ。そう言いきってしまえば、そこに待つのは確実な敗北であり、死である。

 見えぬものに気づいたゆえの生存であり、今の姿であった。

 それは、小兵衛ただ一人の経験ではない。

 

(はて……?)

 

 妙な位置に隠された屋台に近づく小兵衛は更なる異物、いや、異音に気づいた。

 

(苦悶の声?)

 

 さらに進むと、密生した木々と藪の奥に横たわる艦娘の姿が見えた。

 軽巡球磨。屋台の主人である。

 足を速めた小兵衛は、身体を二つ折りにして苦痛に耐えているような球磨の姿に足を止めた。

 

 小兵衛の眼には怪我とは見えぬ。また病であれば、屋台の隠し方からして突発的なものではあるまい。

 むしろ痛みを予期して屋台を隠し、藪の中へと隠れたようにも見える。

 

 痛みを周囲に隠している、というのであれば小兵衛の出る余地はない。球磨の持つ事情など小兵衛にわかるはずもない。

 

 しばらくすると、痛みも治まったのか、球磨は辺りを窺いながら屋台まで戻っていった。

 小兵衛は静かに、その場を後にした。

 しかし、隠宅へ向かうはずの小兵衛の足は知らず知らずのうちに旧知の医者でもある、工作艦娘明石のもとへと進んでいた。

 

 世間話のついででもあるように、小兵衛は艦娘の養生法について訊ねてみた。

 

「養生というより、私たちは高速修復材さえ多量にあれば、ほとんどの怪我も病も治ります」

 

 けれど、と明石は続けた。

 

「戦のない世界を生き続けた艦娘、という記録がまずほとんどないんです」

「そもそも小兵衛さんもご存知の通り、提督が故意につけた傷であれば修復材で完治しない場合もありますし」

「正直言えば、まだまだわからないことだらけですよ、私たち艦娘の身体も、人間の身体も」

 

 小兵衛はそこで、名を出さずに球磨の症状を見たままに告げた。

 

「艦としての構造自体に無理がかかっているのかもしれませんね」

 

「それは修復材ではどうにもなりませぬか」

 

「人間でいいかえるならば、寿命のようなものです。痛みを消す薬なら作れるかもしれませんが、治すのは無理ですよ」

 

「痛みは消せる、と」

 

 明石は頷きつつも、悲しそうに言った。

 

「生きる望みがある子には、絶対に出せない薬ですけどね」

 

 その翌日、小兵衛が好奇心に耐えかねて出かけると、屋台は普段通りに出ていた。

 

 小兵衛は何も言わず、酒を頼む。

 球磨も以前に比べれば静かに注文に応え、酒を出し、包丁を握っていた。

 常連の数人も姿を見せ、今日は静かだね、と軽口をたたいても、やはり逆らわずに静かに客の相手をしていた。

 昨日の苦悶が相当に堪えているのかと小兵衛が考えていると、

 

「ここか? 客に喧嘩を売るという怪しからん店は」

 

「ふん、下らん小さな店じゃのう」

 

 どこかの提督らしき男と重巡娘が新たな客としてやってきた。

 

「おい、そこの軽巡崩れ、酒だ酒」

 

 球磨はこれも逆らわず、素直に酒を出す。

 

「お主のような出来損ないがこんなところで店を出せるのも、吾輩たちが命をはって深海棲艦どもと戦っておるからじゃぞ!」

 

「まったく、わが鎮守府に感謝してもらいたいな」

 

 あからさまに店主に喧嘩を売ろうと騒がしく飲み続ける二人組を常連たちが苦々しく睨むが、球磨は何も言わない。

 

 少しして、まったく反応しない球磨の態度に飽きたか、提督は席を立つとこう言い放った。

 

「おい、今日の勘定は店主の奢りだ。戦わぬ艦娘がそれくらいしても罰は当たるまいよ」

 

 球磨がこれも逆らわずに皿を下げようとすると、

 

「てめえはただ酒かっ食らっといて、どの口で球磨ちゃんに戦わぬとか言ってんだい」

 

 客の一人の声が響いた。決して大声ではないのだが幸か不幸か、周囲のざわめきが潮引いた絶妙のタイミングであった。

 

自然、その声は提督たちの耳に入る。

 

「なんだぁ?」

 

 提督が刀の柄に手をかけ、重巡娘は提督の横に位置どった。

 

「客に手だすんじゃねえクマ!」

 球磨が包丁を手にしたまま提督へと向かうと、それを待っていたかのように重巡娘がその手を掴む。

 そのまま球磨の身体を引き寄せようとした重巡娘の顔に、お銚子が一つどこからか投げつけられた。

 ただの投擲ならいざ知らず、どのように工夫したものか、ちょうど視界を覆うようにぶちまけられた中身が、その顔を包んだ。

 

「あ」

 

 視界のふさがった重巡娘が一瞬怯んだ隙に、球磨は進む方向をかえ、重巡娘に包丁を突きたてた。

 人間の力ではない、艦娘の力である。

 

 刺され悲鳴を上げる重巡娘はどんと突き放され、倒れた。

 

「腐っても艦娘なら、この程度じゃ死なないクマ。早く帰って、バケツを浴びるクマ」

 

 客たちの嘲笑を浴びながら退散していく二人を思うさまに睨みつけていた球磨は、次に小兵衛を睨みつけた。

 その前には、肴の皿と盃だけがある。

 

「球磨ちゃんや。酒をもう一本頼む」

 

「年寄りの早飲みは身体に悪いクマ」

 

「余計な世話じゃな」

 

「お互い様クマ」

 

「うむ、気を付けよう」

 

 毎日、とは言わぬものの、小兵衛のキタクマ通いは再開された。

 

 すると、定期的に屋台の場所と客が変わることに小兵衛は気づいた。

 そのうちの一つには駆逐艦娘漣の所属する鎮守府の裏手があり、球磨が屋台を引いて現れると、漣は「キタコレ球磨さん」と歓迎する。

 店の通称の由来でもあり、球磨も受け入れている様子があった。

 

 そして屋台を出す場所が変われば客も変わり、場所に関係なく通っているのは小兵衛一人だけであった。

 

「また来たかクマ」

「暇なじじいクマ」

「家から追い出されたクマ?」

「金持ってるクマ?」

 

 憎まれ口をたたきつつも小兵衛の好みを覚えたか、何も言わずとも料理が出されるようになった。

 数日おきに姿を見せ、一人でゆっくりと酒を飲み、金を払って帰る。小兵衛にはそれが楽しみの一つとなっていた。

 不思議と、この店に知り合いを連れてこようという気にはならぬ。提督でも先生でもなく、ただの小金を持った一人の年寄りとして扱われるのが小兵衛には心地よかったのだ。

 

 通い続けたある日、小兵衛は再び球磨の苦悶に行き当たった。

 球磨自身にも意外のことだったか、小兵衛が見つけたのは藪の奥に倒れる屋台であった。

 急ぎ藪に分けいる小兵衛の前には倒れ苦しむ球磨の姿。

 

「これ、球磨や、しっかりせい」

 

 普段の小兵衛の優しげな口調ではない。艦娘を率い深海棲艦に相対する提督としての声であった。

 その声に気づいてか顔をあげる球磨の口元に、小兵衛は袂より取り出した竹水筒をくわえさせた。

 高速修復材である。

 

「治らぬまでも多少は楽になる。飲め、球磨」

 

 飲み込むのを確認すると、小兵衛は球磨を担いだ。

 驚いてもがこうとする球磨を叱りつけ、小兵衛は道へと戻ると球磨を地面に横たえた。

 

「いいか、じっとしておれよ」

 

 息をつく間もなく小兵衛は大道へと向かって走り、駕籠屋を見つけ声をかけた。

 

 大戦によって人手は極端に減ったため、駕籠屋を営む艦娘も多い。

 小兵衛が声をかけたのもその艦娘駕籠屋であり、そこにいたのは千歳と千代田の水母姉妹であった。

 

 運の良いことにこの二人は小兵衛もよく利用しており、小兵衛の立ち回り先もよく知っている。

 

「この者を明石先生の屋敷まで運んでくれ。秋山からといえばわかる」

 

 金を多めに渡すと、千代田はにっこりと笑った。

 

「いつものところね、任せてよ。ねえ、千歳姉」

 

「ええ、急ぎましょう」

 

 

 *********

 

 

 球磨が目を覚ますと、そこには明石がいた。

 

「……明石」

 

「目が覚めましたか?」

 

「覚めたから話しているクマ。多摩と木曾は?」

 

「……、二人は入渠してますよ」

 

「どうせ木曾がビビッて、多摩が庇ったクマ?」

 

「ええ」

 

「大井と北上もいつも通りクマ?」

 

「はい」

 

「また、大井の奴、北上にべったりかクマ」

 

「そうですよ」

 

「ふふっ、仕方のない妹たちクマ……」

 

 球磨が目を閉じると、明石は振り向いて頷いた。

 そこには、球磨から見えない位置に立つ小兵衛がいた。

 

「また、眠りましたよ」

 

「今のは?」

 

「完全に目を覚ましていたわけじゃないようです。多分、以前にいた鎮守府の記憶でしょうね」

 

「以前、か。良い鎮守府であったのかの」

 

「球磨ちゃん、寝顔が笑ってますから」

 

 二人はそっと部屋を出る。入れ替わるように部屋へ入る朝風を確認すると、明石は小兵衛を別の部屋へ招いた。

 五月雨が茶を運ぶ。

 

「明石先生、球磨の容態は」

 

「人間でいえば、寿命です」

 

「やはり」

 

「もって半年、次にまた倒れれば……」

 

「それほどに……」

 

「まともな入渠もせずに怪我を治したような痕もあります」

 

 鎮守府にも属さず一人暮らしてきたのだろう、と明石は続けた。

 

 艦娘とはいえ皆が皆、戦を好んでいるわけではない。

 ただ、それは性格が好戦的ではない、というだけであり、戦そのものを忌避するものはいなかった。

 それでも様々な理由で戦から遠ざかった艦娘の存在は、小兵衛にも覚えがある。

 球磨もその一人ということであろうか。

 

「戦わない艦娘にいい顔をしない提督は多い、というより、それが当たり前ですね」

 

 艦娘同士でもその傾向はあると明石は言った。

 

「元々が戦闘向けでない私や間宮さんはそうでもありませんけれど、五月雨ちゃんや朝風ちゃんも、ここに来るまでに色々ありました」

 

 今は明石のもとで人間、艦娘双方の医術を学んでいる二人である。

 

「人間艦娘を問わず、戦しか知らぬものなど今の世間では役立たずよ」

 

「小兵衛さんならそう言うと思ってましたけどね」

 

「気づいたときにはもう老いぼれじゃ」

 

「大治郎さんや長門さん、足柄さんに教えてあげればいいじゃないですか」

 

「自分で気づかねば、すぐに忘れてしまうわ」

 

「そういうところは厳しいんですから」

 

「明石先生も自分で気づいたから、こうやって金も稼げぬ医者をやっておる」

 

 貧乏人からは薬の代金すらとらぬ医者、として明石の名はこの辺りでは有名であった。

 

「私一人の生きていくお金なんて、微々たるものです」

 

「先生」

 

 そこで声がかかった。朝風であった。

 その朝風を押しのけるようにして顔を出す球磨。

 

「世話になったクマ」

 

「もう少し休んでいきなさい」

 

「もう充分クマ」

 

 明石はそれ以上引き止めず、立ちあがる小兵衛に小さな袋を渡した。

 目を向けずに受け取った小兵衛はかすかに頷くと、背を向けて歩きだす球磨の後を追った。

 

「これ、球磨さんや」

 

「じじいの余計なお世話はしつこいクマ」

 

「安くて美味い酒と肴は惜しいからな」

 

「心配しなくても店は開けるクマ」

 

「それは重畳」

 

 明石の屋敷を出、少し行ったところでクマは立ち止まった。

 

「どこまでついてくるつもりクマ」

 

 言われた小兵衛は平然と、明石から預かった袋を掲げる。

 

「薬を預かっておる」

 

「薬なんて」

 

 吐き捨てるように言いながら睨みつける球磨にかぶせ、小兵衛は言った。

 

「効かぬよ。お主は病ではない。艦娘としての寿命じゃ」

 

 球磨の表情に動揺はなかった。

 

(やはり、悟っておったか)

 

「だったらわかるクマ? 薬なんて意味ないクマ」

 

「治すための薬ではない」

 

 小兵衛の決して大きくない声に、球磨は怯んだ。

 返す言葉を一瞬失った球磨へ、小兵衛は続けた。

 

「痛みを消す、ただそれだけの薬に過ぎぬ」

 

 一転、小兵衛の口調が変化する。

 

「球磨さんや。最後くらい、楽になってみてはどうじゃ」

 

 今度こそ言葉を失った球磨は、小兵衛に促されるままに薬の袋を受け取った。

 

「何も聞かぬよ。しかし、美味い酒をまた、飲ませてほしいものじゃな」

 

 それだけ言うと振り返り、小兵衛は球磨に背を向けて帰っていく。

 あとに残された球磨はその後ろ姿をしばらく眺めていたが、やがて我を取り戻すと、逃げ出すようにその場から走り去っていった。

 

 その十日後のことである。

 

 あきつ丸が小兵衛の隠宅を訪ねてきた。

 小兵衛のことを訪ねまわる不審な艦娘、軽巡球磨がいると。

 思い当たる節のある小兵衛であった。

 

「あきつ丸。このこと、龍驤には無用じゃぞ」

 

「おや先生、隅に置けないでありますな」

 

「馬鹿者、邪推するでないわ」

 

 翌日、早速に小兵衛が屋台へと向かうと、何事もなかったかのように迎える球磨がいた。

 

「話があるクマ」

 

 最初の酒を出した時にそう言ったきり、球磨は他の客をあしらっていた。

 そして早々と店じまいすると、小兵衛について来いと言って屋台を引く。 

 素直についていった小兵衛が案内されたのは、町の裏手にある小さな小屋であった。

 周囲に人気はないが、荒れている様子はない。

 

「球磨には姉妹がいたクマ」

 多摩、北上、大井、木曾に一番艦球磨を合わせたのが軽巡球磨型五姉妹である。勇猛果敢な五姉妹として、大戦中はどの鎮守府でも重宝されていた軽巡姉妹であった。

 

「みんな、大戦で轟沈したクマ」

 

 小屋の内に小兵衛を招きながら、球磨は独り言のように言葉を重ねた。

 

「球磨のいた鎮守府は、港湾棲姫率いる艦隊と戦っていたクマ」

 

 

 

 鎮守府でも筆頭を争う錬度を誇っていた球磨は水雷戦隊を率い、数多くの僚艦とともに戦った。

 轟沈した僚艦を悼み、撃破した深海棲艦を誇った。それは、大戦中の艦娘であればほとんどが辿る道であった。

 球磨は、自らの戦のありように何の疑問も持ってはいなかった。

 

 大戦末期、港湾棲姫率いる艦隊の襲来に鎮守府は色めき立った。

 戦艦が、空母が、そして球磨型率いる水雷戦隊が出撃し、これを迎え撃った。

 一隊を打ち破ったところで、提督はこれを先遣部隊と判断し、本軍の捜索と追撃を艦娘たちに命じた。

 後にわかったことではあるが、この判断自体に間違いはなかった。しかし、敵部隊は複数にわかれ、それぞれ独立した形で鎮守府襲撃を計画していた。

 それが判明した時、それでも提督は命じた。

 球磨を含む部隊をそのまま進撃させることを。残存艦隊のみで鎮守府を死守することを。

 結果から言うならば、提督の策は半分正解だった。

 港湾棲姫征伐には成功したが、鎮守府もまた、崩壊したのだ。

 

「大艇ちゃんが、何も見つからないかもって……提督さんも吹雪ちゃんたちも」

 

 鎮守府方面へ飛ばした二式大艇からの報告を泣きながら告げる秋津洲を、扶桑と山城が抱き寄せていた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。きっとみんな、どこかに隠れているから見つからないだけなの」

 

「お姉さまの仰る通りです。私たちは提督の命令に従いこのまま進撃、港湾棲姫を討ちとります」

 

「私と山城は瑞雲を放ちながら突撃、青葉の重巡部隊は援護しながらの前進を。球磨型五隻は水雷部隊を率いて敵中枢を叩いて」

 

「最高の勝利を持ち帰ってやるぜ」

 

「北上さんと一緒なら、どこだって行ってやるわ」

 

「にゃあ」

 

「球磨姉、行ける?」

 

「誰に向かって言っているクマ」

 

 艦娘側は鎮守府を討たれ、深海棲艦側は本拠地ともいえる本軍に攻め込まれている。

 双方背水の陣となった戦闘は苛烈を極めた。

 前に立つ敵を屠る。それ以外に生還の道はない。そう思い極めた艦娘、そして深海棲艦の攻撃に一切の容赦はなく、逃げる先もなかった。

 

 勢力を削りあい、やがて残った戦力は一点に収束された。

 

 獣の雄叫びをあげ斬りこんだ球磨の後ろに続くのは多摩と北上だけだった。

 旗艦扶桑からの通信はとうに途絶え、声の届く範囲の僚艦はすべてもの言わぬ骸と化していた。

 敵旗艦、港湾棲姫を三人は追い詰めようとしていた。陸上を定置とする型の深海棲艦である港湾棲姫は戦闘中に大きく動くことはできない。

 さらに、港湾棲姫にもその場から逃げる意思はないように見える。

 

「多摩、北上、向こうさん、何かを隠しているクマ」

 

 港湾棲姫が待ち構えていたのは小さな島であった。中規模鎮守府一つ置けば、たちまち手狭となる程度の大きさの島。

 それでも急ごしらえの施設らしきものが見える。どうやら、臨時で造られた深海棲艦の施設のようであった。

 三人はそれこそが港湾棲姫の本拠地だと判断した。ゆえこそ、その足を速め主砲を掲げた。

 

 それを座視する港湾棲姫ではない。既に空爆や長距離砲撃を受けて傷を負った身を物ともせず、残存部隊と共に反撃を展開する。

 

「ごめん、先に大井っちのところに行くね」

 

 球磨の制止よりも早く北上は先行し、残弾を全て港湾棲姫の護衛へと散らす。

 深海側戦艦、重巡の悲鳴が上がるとそこに立つ深海棲艦はただ一人となり、艦娘は二人となった。

 

「多摩、まだ間に合う。お前だけでも戻るクマ」

 

「にゃあ、多摩は独りぼっちは嫌だにゃあ。一緒に帰るか、一緒に行くかの二つに一つにゃ」

 

「仕方ないクマ」

 

 球磨は横に並んだ多摩に一瞬だけ目を向けた。

 

「一緒に妹たちに会いに行くクマ」

 

「一緒にゃ!」

 

 二人は何の合図もなく左右に分かれ、残りわずかの砲弾を放つ。

 港湾棲姫はあえてそれを避けずに、たたき落とすように両腕を振るい、半壊した艤装を楯とし、反撃を放った。

 球磨は進んだ。脳裏からは多摩のことも、そして港湾棲姫のことすら消え去り、ただ、目の前にあるものを打ち砕かんと進んだ。

 港湾棲姫の主砲があがり、その筒先が球磨に向けられる。

 

「なめるなクマー!」

 

 筒先から逃げようともせず主砲を放つ球磨。二つの砲撃音はほぼ同時に重なった。

 いきなり球磨の前に躍り出た多摩の身体が文字通り吹き飛んだ。

 次に港湾棲姫の胸元が爆ぜ、その動きが止まった。

 

 ……クル……ナト……

 

 言葉も途絶え、球磨はその場に生きるものが自分一人となったことを知った。

 

 ……カエレ

 

 いや、違う。と球磨は気付いた。

 声がする。

 港湾棲姫の立っていた位置の後ろ。隠された扉がある。

 

 扉の位置を見つけ、球磨は港湾棲姫の立ち位置を確認した。

 間違いなかった。

 港湾棲姫は球磨の一撃を致命からは避けることができていたのだ。この扉を守らなければ、の話だ。

 球磨はゆっくりと、扉を開いた。

 

 カエレ!

 

 そこには、小さな深海棲艦がいた。

 普通の深海棲艦ではない。おそらくは姫級だろう。

 後に球磨は、そこにいたのが北方棲姫だと知る。

 だが、その時球磨が見たのは小さな子供だった。深海棲艦姫級の子供だった。

 

 球磨は悟った。

 港湾棲姫が護ろうとしたものを。

 港湾棲姫が攻めてきたことは決して正当化されるものではない。

 それでも今このとき、港湾棲姫は己よりも優先して守ったのだ。北方棲姫を。

 多摩が、球磨の受けるはずだった砲撃を受けたように。

 北上が、多摩と球磨のために血路を開いたように。

 互いを庇って倒れた、木曾と大井のように。

 

「お前も、一人クマ?」

 

 北方棲姫は何も言わず、港湾棲姫に近づいた。

 そして、揺り動かす。

 

 起きろ、というように。

 起きてくれ、というように。

 

 球磨はその姿を眺めていた。

 やがて、その姿が揺れ、ぼやける。球磨の視界が濡れていた。

 そして球磨は気付く。目の前の北方棲姫がまだ幼い姿であるということに。

 北方棲姫は、艦娘の基準で見ても元々幼い子供の姿を持っている。それにしても、この北方棲姫はさらに小さい。

 おそらくはまだ、深海棲艦の基準でも幼いのだろう。そのために、港湾棲姫が庇おうとしていたのだろう。

 

 球磨はこのまま、北方棲姫を捨て置けばいい。やがて鎮守府の異変を知った別鎮守府が艦隊を差し向けるだろう。

 そうなれば、残った北方棲姫一人など恰好の標的に過ぎない。抗することも出来ずに即座に滅ぼされるだろう。

 

 港湾棲姫の護りなど無意味だった。

 球磨はそう思いたくなかった。

 命を張って護った者がここにいる。

 球磨は、妹たちを護れなかった。

 港湾棲姫は、北方棲姫を護った。

 

 自分は護れなかった。ならば、護られた者がいてもいい。球磨はそう思ったのだ。

 

 

 

「球磨にはもう、北方棲姫を撃つなんてできなかったクマ」

 

 語り終えながら、球磨は小屋の奥の扉を開いた。

 

 ……クマ、カエッタ?

 

 さしもの小兵衛も一瞬息をのんだ。

 

 そこに球磨を迎えるように立っているのは、紛れもない深海棲艦。

 大戦中、数多くの艦娘を、そして人間を襲い屠った姫級。北方棲姫であった。

 

 カ、カエレ!

 

 小兵衛は困惑していた。北方棲姫の存在にではない。それは自分の反応に対してであった。

 自分は息をのんだ。しかし、愛刀に手は伸びない。実際にも深海棲艦を斬り伏せたことのある大戦中からの愛刀である。

 恐怖に身が竦んだのではない。斬れるか否かの疑いでもない。

 小兵衛は瞬間の惑いの後、答えを出した。

 自分はこの不倶戴天であるはずの相手から殺意を、いや、敵意すら感じていないと。

 

 剣士とは常に理詰めで動くとは限らぬ。他ならぬ小兵衛自身が、かつて大治郎にそう語ったことがある。

 

 このような例がある。

 ある男が剣の師匠を訪ね、暇を請おうとした時である。

 

「兄弟子も来る頃だ、も少しゆるりとしていけ」

 

 それまで欠片とも出なかった兄弟子の話題に男は眉を顰めたが、なにしろ師匠の言葉である、男は素直に腰を下ろした。

 はたしてその数分後、確かに兄弟子が姿を見せたのである。

 後に確認したところ、兄弟子もその日急に思い立って訪れたのだと言った。無論、男の訪問など知らぬうえである。

 何故分かったのかと尋ねると師匠は難しい顔で、「わしにもわからぬ。ただ、そのような気がしただけでな」と言うのみであった。

 

 剣士に限らぬ、何事も極めようとするならば、いずれは理外の境地に達することもあろう。それが今の小兵衛の理解であった。

 

 ならば、己に正直に動くのみ。

 

「お客さんクマ。大丈夫クマ」

 

 北方棲姫は、小兵衛をじっと見上げると、ゆっくりとお辞儀をした。

 緊張が解けるのを小兵衛は感じていた。

 北方棲姫から困惑は感じられても、敵意は感じない。

 

「うむ。儂の名は秋山小兵衛じゃ」

 

 ……コヘ

 

「うむうむ、ようできたの」

 

「怖くないクマか?」

 

「友好的な深海棲艦、長年提督をやっていれば聞かぬでもない」

 

 実際に出会ったかどうかは別として、友好的な深海棲艦というのは提督の間では広く知られた存在である。

 ただし、それを実在していると取るか、法螺話と取るかは人によって大きく変わる。

 

「その頃の北方棲姫は、今よりももっと小さくて自力では遠くまで行けそうになかったクマ」

「あの場に残せば、後から来るだろう別鎮守府の艦娘にきっと殺されていたクマ」

「球磨ももう、鎮守府に戻りたくはなかったクマ」

「だからその場から一緒に逃げたクマ」

「離れたところで別れようとしたけれど……」

「北方棲姫はそれからも球磨に付いてきてくれたクマ」

 

 全てを語り終えたクマに、小兵衛は大きく頷いた。

 

「球磨よ。少なくとも儂に、お前を責めることはできぬよ。ただの男としても、提督としても」

 

「別に責められてもいいクマ。その覚悟はしているクマ」

 

「じゃが、責めて欲しくて儂を呼んだわけでもあるまい」

 

 そもそも責めるというのならば、それが許されるのはその時にいた艦娘か提督だけだ。と小兵衛はいった。

 艦娘の常識と人間の常識には違う部分がある。提督としての小兵衛もそれを知らぬではない。

 しかし、肝心要の部分については人間も艦娘もさほどの違いは無い。小兵衛はそう信じているし、そのように鎮守府を運営していた。

 その頃の麾下であった艦娘達、そして今もつきあいのある艦娘達を見る限り、自分の鎮守府運営が間違いであったとは、

 

どうしても小兵衛には思えぬのだ。

 

「球磨はもう、長くないクマ」

 

 小兵衛はその言葉を否定するでもなく、かすかに頷いた。

 球磨はその小兵衛の反応に安心したかのように笑う。

 

「ふふっ、その方がありがたいクマ」

「球磨は、たくさん深海棲艦を殺したクマ。友達も、提督も、妹たちもみんな死んだクマ」

「今更、自分が死ぬことは怖くないクマ」

 

 北方棲姫が球磨の着物の裾を引き、すがるように抱きついた。

 

「安心するクマ。お前のことは何とかするクマ」

 

 球磨は小兵衛へと向き、真剣な顔で頭を下げた。

 

「この子の行く末を何とかしたいクマ」

 

 

 

 三日後、小兵衛の姿は田沼鎮守府の応接室にあった。

 

 小兵衛の前にいるのは田沼提督ではない。その筆頭秘書艦たる大井である。 

「恐ろしいことを仰いますね」

 

 大井の言葉に、小兵衛ははて? と首を傾げて見せた。

 

「恐ろしいこと、とは?」

 

「深海棲艦を匿う脱走艦娘など」

 

「それが恐ろしいと」

 

「無論です。秋山殿は、その討伐を田沼様にお願いしたいと言うことなのですか?」

 

「ならば、深海棲艦と密会なされる提督は恐ろしくないと?」

 

 大井が小兵衛を睨みつけた。

 すぐに、その表情は和らぎ、苦笑のような顔に取ってかわる。

 

「噂通りね。食えないわ、貴方」

 

「噂など、当てにはなりませぬな」

 

 フフと笑い、大井は改めて頭を下げた。

 

「無礼を謝罪しますわ」

 

「こちらこそ、つまらぬ噂を口にしました」

 

 同じく頭を下げる小兵衛。

 

「噂など、当てにならないのでしょう?」

 

「まったく」

 

 二人は顔を上げ、示し合わせたわけでもなく同時に笑った。 

 

 小兵衛が告げたのはまさしく噂である。

 田沼提督を中傷する噂は実に多い。その噂がどれほど真実に近いかは別として、噴飯物から笑えぬものまで、その種と量には枚挙にいとまがなかった。

 

 その噂の中には、田沼提督が深海棲艦と密会しているというものまである。普通に考えれば噴飯物の類であろう。

 なにしろ、深海棲艦と正面から戦う鎮守府を率いるのが提督である。故にそれはもっとも眉唾とされ、逆に広く流布している噂でもあった。

 あからさまな嘘と判断できるからこそ、嘘を嘘として話の種にする者が多いのだ。

 そしてそのような類の噂であるからこそ、正面から咎める者も少ない。

 

 それを小兵衛は気に留めていた。

 噂の内容を直に信じたわけではない。

 かつて、「提督暗殺」事件のとき、小兵衛は田沼提督と語らった。

 田沼提督は小兵衛に、深海棲艦との和平の可能性を語った。深海との戦に勝利したいではなく、終わらせたいと言ったのだ。

 

 ゆえに小兵衛は感じた。ある種の深海棲艦を田沼提督は知っていると。

 大戦時、ごく一部の提督だけが話していたこと。それは、穏健派の深海棲艦の存在。深海側から見れば異端にして裏切り者である。

 その存在を全く知らぬ者からすれば、深海との和平を考えること自体が画餅としか思えぬ。

 

 小兵衛自身が積極的に深海との和平を望むわけではない。それでも、尽きぬ戦よりは和平を選ぶ。深海が和平を望むのなら、話次第では応じても良いのではないかとも考える。

 小兵衛だけではない。大戦を乗り越えた提督の中には、同じような思いを持つ者が決して少なくはない。却って、前線に

 

出ることのなかった高官や民衆の中に、深海棲艦の滅亡まで徹底して戦うべきと唱える者が現れているのが現状であった。

 直接襲われた人々の怨嗟の声は理解できる。それは当然であろうと誰しも思う。しかし、あえてそこに拘泥せぬのもまた、上に立つ者の視点ではないかとの声も少なくはないのだ。

 

「噂といえば」

 

 大井は笑みを収めると続けた。

 

「奇妙な深海棲艦の噂もありますね」

 

「奇妙な、とは」

 

「戦わぬ、深海棲艦」

 

 小兵衛は頷き、答えた。

 

「噂とはいえ、一度目にしたいものですな」

 

 これに大井はええと答え、手を叩くと、小兵衛を部屋まで案内した使用人が姿を見せた。

 話は終了、との合図である。

 

「秋山様」

 

 席から立ち上がった小兵衛に大井は改めて頭を下げた。

 

「このたびの御指図、球磨型軽巡艦娘として御礼申し上げます」

「系違いとはいえ、球磨姉さまが御世話になりました」

 

「なんの、提督の習いじゃ」

 

 小兵衛の姿が見えなくなるまで、大井の頭が上がることはなかった。

 

 その二十日ほど後、二人の姿は大治郎の鎮守府にあった。

 

 大井と小兵衛だけではなく、当然大治郎と秋月、そして龍驤の姿がある。

 さらに隠れるようにして球磨、そして北方棲姫の姿もあった。

 秋月はやや及び腰であるが、それでも引かずに北方棲姫に対していた。

 対して長十糎砲ちゃんたちは、敵意を感じぬのか北方棲姫と戯れている。

 

「小兵衛はんが決めたことやから、今更うちは何にも言わん」

 

 せやけど、と龍驤は続けた。

 

「ほんまに、球磨もついていったらあかんのか?」

 

 大井はかすかに頭を下げた。

 

「ええ。約定通り、艦娘は一人だけ」

 

 球磨が北方棲姫の手を取り、頭を撫でた。

 北方棲姫はされるがままでいると、ふと顔を上げた。

 

 ……クマ、イッショ

 

 球磨は優しく微笑むと、静かに首を振った。

 

「もう、決めたことクマ。ちゃんと話もしたクマ」

 

 小兵衛にすべてを告げてより今日まで、球磨は北方棲姫に別れる道理を言い聞かせていた。

 

 戦場より離れてすぐの頃であれば、二人は何の心残りもなく立ち去り、ただ互いの記憶の中にかすかに残るだけだっただろう。

 心残さずに去るには、あまりにも二人の生活は長すぎた。

 球磨の説得の間、北方棲姫は暴れた。

 出会ってすぐの頃のように暴れた。それでも、無抵抗の球磨には傷一つつけぬ暴れ方に球磨は泣いた。球磨の涙を見た北方もまた、泣いた。

 

「これを持って行くクマ」

 

 球磨が差し出した零式水上機を北方は受け取った。

 

「球磨にはもう、要のないものクマ」

 

「さあ」

 

 声をかけた大井の手を、北方が握る。

 

「元気でいるクマ」

 

 ……ホッポ、ゼロ、タイセツニスル

 

 抜錨する二人を球磨は見送った。

 二人の姿が見えなくなるまで、そして、見えなくなっても、いつまでも。

 

 やがて時が過ぎ、小兵衛も、大治郎さえ没した後、深海棲艦との初の和平交渉の席に零式水上機を手にした棲姫が姿を見せ、同席の艦娘たちを驚かせるのだが、それはまた、はるか先の別の物語である。

 

 話は、球磨と北方棲姫との別れに戻る。

 北方と別れた球磨は床に伏しがちとなり半年の後、息を引き取った。

 死ぬ間際に球磨は小兵衛に礼を述べ、墓はいらぬ、海に流してほしいと告げた。

 

「海には、多摩が沈んでいるクマ」

 

 北上も大井も木曾も、と続け、球磨は最後に呟いた。

 

「ホッポもいる、海がいいクマ」

 

 そして、静かに目を閉じた。

 

 その二日後、遺言を果たすために小兵衛は大治郎とともに海へと出た。大治郎麾下の艦娘と龍驤の護衛を受ける船は、球磨の亡骸を海へと運んだ。

 

「この辺りか」

 

「深海棲艦の目撃報告もされぬ海域です。球磨殿も、静かに眠られるでしょう」

 

「うむ」

 

 二人はゆっくりと、球磨の亡骸を流す。

 

「球磨さんや。妹たちと、ゆっくりとしておくれ」

 

 しばしの黙祷をささげ、小兵衛は引き返す合図を龍驤に送った。

 

「父上、あれは」

 

 その声に振り返り、大治郎の指し示した宙に目をやった小兵衛はおお、と感嘆の呻きを漏らした。

 

 そこには、一機の零式水上機が。

 まるで、球磨の姿を探しているかのように小さく旋回している。

 

「うむ」

 

「あれはもしや……」

 

「何も言うな、大治郎」

 

 言いかけた大治郎は、父の瞼に生まれた雫に気付き、口を閉じて背を向けた。

 

 去って行く一同から見える水上機は、いつまでも旋回を続けていた。

 小兵衛と大治郎、二人の眼から見えなくなるまで、そして、見えなくなっても、いつまでも。

 

 




できれば、冬コミ前に完成させて投下して、参加した艦これアンソロの宣伝もしたかった……残念


大井さんは切れ者だと勝手に思ってます。


話としてはまとまってないのですが、この世界の成り立ちや設定的なものをいずれは活動報告のほうにでも少し書こうかなと思ってます。
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