鎮守府商売   作:黄身白身

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今回から、一部の表現変えました

「長10㎝砲ちゃん」→「長十糎砲ちゃん」




飯食わぬ空母

 その日、秋月は珍しい艦娘と再会した。

 秋月にとって忘れられぬその艦娘の名は赤城、所属する鎮守府を持たぬ浪人艦娘であった。少なくとも、かつて秋月とまみえたときはそうであった。

 防空駆逐艦たる秋月の艦娘としての矜持は、言うまでもなく対空防御である。

 建造された直後、秋月の目の前の壮年男性はまず最初にこう言った。

 

「私の名は仙庭清五郎という。先に言っておくが、私は君の提督ではない」

 

 戸惑う秋月に仙庭は重ねて言う。

 

「大恩ある師の御子息がこの度、提督となることが決まった」

 

 なるほど、と秋月は納得する。

 建造された艦娘というのは人間と違い、最初からある程度の世間知を得て生まれる。故に、仙庭の言うこともすぐに理解できた。

 

「私は約束しているのだよ」

 

 鎮守府の初期艦娘として約束された建造。ならば運営のいろはから学ばねばならぬ。容易ではないが、それが望まれているというのならば否はない。秋月は即座にその覚悟を固めた。

 

「優秀な艦娘を用意すると」

 

 それは、秋月の矜持にはいっそ心地好い宣告であった。

 

「秋月にお任せください」

 

 その夜には早速、軽巡艦娘大淀に引き合わされ、運営を学ぶ手はずを整えられた。

 

「何故、防空駆逐艦娘が選ばれたかわかるか」

 

 講習も終わりかけた頃、再び秋月は仙庭に呼び出される。

 

「君が仕えることになる提督の名は秋山大治郎。剣客提督であり、その腕は確かだ」

 

「剣客提督を名乗るならば、近接に限れば深海棲艦とも互角以上に戦える提督。ですが、人間である限り、決して越えられない壁があります」

 

「うむ。それは?」

 

「対空防御。仮に弓矢手裏剣の名手といえども、空からの攻撃には無力。だからこその秋月です」

 

「そうだ。他に空母、軽空母、対空重巡、航空戦艦という手もあるが……」

 

 仙庭が軽く笑う。秋月には何故かそれが、悪意のない意地悪に見えた。

 

「秋月大治郎、おそらく金はない。つまり資材を食う艦娘は養えぬ。苦労するぞ、秋月」

 

「望むところです」

 

 秋月型と言えば、艦娘の中でも質素清廉で名が通っている存在である。この秋月も例外ではない。

 

「良い答えだ。ああ、それからもうひとつ。明日、一対一の演習を行うつもりだ。準備は良いか」

 

「いついかなるときでも」

 

 初演習と言うわけではない。この鎮守府の演習には参加している。

 

「うむ。相手は正規空母赤城。ただし、この鎮守府の赤城ではない」

 

 秋月は内心首を傾げた。

 演習が赤城と一対一だというのはわかる。防空駆逐艦の実力を測るにはもってこいの相手だろう。

 だが、わざわざ別の鎮守府の赤城をつれてくるとは。

 赤城が不調、あるいは任務か。いや、それならば時期をずらすなり、この鎮守府には加賀、天城、雲龍と代役にも不足はない。

 考えてもわからず、秋月は大淀に相談することにした。

 

「ああ」

 

 すぐにわかったのか、大淀は大きく頷いた。

 

「しばらく前から滞在なさっている赤城さんですね。演習の邪魔になるので、私から詳しいことを言うことはできません」

 

 ですが、と大淀は続ける。

 

「その赤城さんには、うちの空母たちは全員負けてます」

 

 秋月も頷いた。

 つまり、それほどの高練度なのだろう。

 確かに、防空駆逐艦としては心震えるにふさわしい相手らしい。

 

「なにしろ変わり種の赤城さんですから。お食事もいつもお一人ですから人柄もよくわかりません。ただ、強いとしか。秋月さんも、油断されぬように」

 

 礼を言うと、秋月は与えられた自室に戻る。そこには、二台の艤装生物が主人の帰りを待っていた。

 長十糎砲ちゃんと呼ばれる、それは秋月型にのみ従属する対空砲の化身である。

 

「一緒に、励みましょうね」

 

 二台は慶びを見せるように震え、秋月と接続するための補助器に我先に身を委ねた。

 健気な様子に秋月は優しく笑い、気が早すぎると嗜めるのであった。

 そして当日が来た。

 演習場にて秋月の前に立つのは、紛れもない正規空母娘赤城である。

 しかし、秋月は己の目を疑った。次いで、目の前に立つ赤城の姿になんの間違いもないと知ると激怒した。

 水上機動のための艤装はつけてはいるが、飛行甲板はない。さらには、弓こそ持ってはいるが、矢筒にはわずかに一本の矢があるだけなのだ。

 赤城、加賀などの正規空母娘は射ち放った幾つもの矢を艦載機へと変化させ、編隊を組み、攻守の要となす。勿論、わずか一機など論外である。

 つまりはなめられた。単機で充分の力量と侮られた。と秋月は感じ、激昂した。

 それが自惚れであると秋月が思い知ったのは、ただの一矢を報いることもなく水中に没したときだった。

 まず赤城は矢を構え、秋月は僅か一機の艦載機であろうと油断無く対空警戒を厳とした。

 次に赤城は、秋月の意表を突いた。まっすぐに矢を放ったのだ。空に向けてではなく、秋月に向かって。

 空母艦娘の持つ、艦載機に変化する矢ではなく、それは単なる一本の剛矢であった。

 それでも咄嗟に避けた秋月は、しかし赤城の姿を見失った。否、赤城の目的がそれであったのだ。

 赤城の姿を見失った秋月が次に見たものは水面だった。

 その寸前に背中に受けた衝撃に押され、振り向こうとしたところで後頭部を押さえつけられ、そのまま海面に叩きつけられる。

 どこからも文句の付けようのない轟沈判定が下された。秋月は、何をすることもできずに敗れたのである。

 

「貴女は艦娘なのですか、それとも艦なのですか」

 

 念のため明石の点検を受けた後に陸に上がった秋月へと、赤城はそう尋ねた。

 なんのための艦娘かと。なんのための四肢であるかと。

 

「艤装による対空防御が貴女の全てだというのであれば、そこに貴女は必要ありません。長十糎砲ちゃんだけで充分です。今すぐに艤装を外しなさい」

 

 理は赤城にあった。

 それは赤城に言われるまでもなく、秋月が知っていなければならぬことである。

 そもそも、艤装に近接武器を含む艦娘、深海棲艦すらいるのである。四肢を振るうことを遠慮する理由などどこにもない。

 これまでの演習では艤装のみで戦っていたというのも、なんの言い訳にもならぬ。

 これが初敗北というわけではない。ではあるが、このような負けかた、そして戦いかたは初めてであった。

 敗北を受け入れた秋月は赤城に教えを乞うた。

 

「私の指南など、無意味です」

 

 それは性悪さからでた言葉ではない、と秋月にもわかった。赤城はただ、正直であるにすぎないと。

 

「ですが、単に私と仕合たいと言うのであれば、この鎮守府にいる限りはお応えしましょう」

 

 その言葉に偽りはなく、時間と体力の許す限り赤城は秋月の挑戦を受け入れ、仙庭もそれを容認した。

 幾度の挑戦を経ても赤城に土はつかず、秋月は苦杯を嘗め続けた。それでも挑む秋月に、赤城は好感を覚えたのか、二人はしばしば膳を共にするようになった。

 このとき驚いたのが秋月である。

 食事を共にすることにではない。

 赤城の食事量が極端に少ないのだ。

 一般的に正規空母娘の食事量は多い。艦載機を操る航空戦のあとは一際である。ただでさえ、その能力を存分に発揮するために大量の燃料、あるいは食料を必要とする空母が、艦載機の乗員妖精分まで必要とするのである。食事の量が多いのも頷ける話ではあるのだ。

 しかし、赤城は例外中の例外であった。

 秋月の顔に何を見たのか、むすびを一個だけ手にした赤城は恥ずかしそうに笑った。

 

「もう、これだけしか食べられないんですよ、私は」

 

 深くは聞くな、そう言われたような気がして、秋月は己を恥じ、顔を伏せる。

 ところがその翌日、赤城はなにも言わずに鎮守府を出ていってしまう。

 

「私のせいでしょうか」

 

 項垂れる秋月に詳細を尋ねた仙庭は首を振った。

 

「気に病むな、君のせいと限ったわけではない」

 

 そもそも、と言葉を続ける。

 

「故あれば、いつなんどきと言えど立ち去る約束でな」

 

「故、とは」

 

「かの赤城は仇持ち。大方、仇の行方のあてでもついたのであろう」

 

 仇持ちの艦娘とは。

 当然最初に思い当たるのは深海棲艦であるが、だとすれば赤城がどこの鎮守府にも属していないというのはおかしい。

 赤城ほどの実力であれば受け入れる鎮守府は確実にあるだろう。そして、相手が深海棲艦であれば堂々と協力を求めれば良い。所在がわからぬと言うのならば尚更である。仮にただ一人の力でどうしても討ちたいとしても、鎮守府や他艦娘の力を借りずに特定の深海棲艦を探しあてることなど、事実上不可能であろう。

 つまりは、赤城の言う仇とは人間、あるいは艦娘か。

 たしかに、どちらにしろ広言できるような類のものではないだろう。

 艦娘同士の内輪揉めを嫌う者は少なくない。そのうえ人を討とうとする艦娘など、その理由如何を問わず言語道断と決めつける者はさらに多い。

  

「とはいえ、死すべきとまではさすがに大声では言えぬが、討たれても仕方の無いと言える人間は、確実にいる」

 

 自らの想いを正確に読み取った仙庭の言葉に、秋月はただ平伏した。

 

 その後、秋月は秋山大治郎の鎮守府へと入り、今に至る。

 そして今日、所用で田沼鎮守府へ赴いた秋月はその帰りに赤城と再会したのである。

 

「失礼ですが、仙庭様の鎮守府でお目にかかった赤城さんではありませんか」

 

 往来での突然ではあるが礼に適った秋月の言葉に、赤城は立ち止まり、少し考えると頷いた。

 

「仙庭様の……ああ、秋月さん。お久しぶりです。その節は、別れの挨拶もなく失礼しました」

 

「いえ、こちらこそ、数々の指南にまともなお礼もできませんでした」

 

「指南と言うほどのことはしていませんよ」

 

 どうやら赤城に急ぎの用はなく、本当にたまたま秋月に出くわしたようであった。

 

「もしよろしければ、私の所属する鎮守府へ招きたいのですが」

 

 今の赤城の境遇を秋月は知らぬ。知らぬが、少なくとも只今に関しては急いでいる様子はない。ならば、もう一度教えを請いたい。いや、あわよくば、今秋山鎮守府に出入りしている艦娘達にも一手の指南を請いたい。

 戦いに関する話は足柄なども大喜びするだろう。

 

「秋月さんは、鎮守府に入ったのですね」

 

「はい。今は、秋山秋月を名乗っています」

 

 艦娘に名字はない。自らの所属する鎮守府提督の名を仮につけるのが、習わしのようなものである。

 名乗りを受けた赤城は少し考えるそぶりを見せた。

 

「一旦、宿に戻らなければなりません。その後でも、よろしいですか?」

 

「はい。では、この子に案内させましょう」

 

 秋月は、自分の足元にまとわりついていたせいを赤城の足元に寄せる。

 

「長十糎砲ちゃん……せいと名付けたのですね」

 

「こっちの子はせんです。せい、お願いね。赤城さんを鎮守府までお連れするのよ」

 

 わかった、というように頭を振るせい。

 

「では、後ほど」

 

「はい、お待ちしています」

 

 秋月は頭を下げ、せんと共にその場を後にする。

 所用とは鎮守府で使用した物資の需給報告であった。

 大小様々な鎮守府がそれぞれの物資需給をばらばらに報告していては鎮守府側と幕府の双方が煩雑この上ないため、それなりの大きさの鎮守府がある程度の数をまとめて統轄することが多い。今の秋山鎮守府は、田沼鎮守府の統轄下にあった。

 需給報告はつつがなく終了し、現在秋山鎮守府へ出向している初春らの様子も伝えた秋月は、帰途についていた。そこで、赤城に再会したのである。

 赤城を招いたことは秋月の独断であるが、一流の正規空母である赤城を招き話を聞くことは決して悪いことではない。必ずや、大治郎も喜ぶであろう、と秋月は確信していた。

 秋月は、鎮守府への道を急いだ。

 

 

 その日、十郎は恩人と再会した。

 数年前の話である。

 西国街道を旅していた十郎は突然の腹痛に襲われた。腹痛とはいえ、旅慣れていた十郎にとってそれ自体はどうと言うことはなく、常備の薬を飲み、脇の木陰に入ってしばらく休むつもりであった。

 そこに不運が重なったのである。

 不逞の浪人二人が、その十郎に目をつけたのだ。

 二人は人気の無い脇道へと逸れる十郎に気付くと、うなずき合い、その後ろをやや間を空けながら付いていく。

 十郎が二人に気付いたときは既に遅く、さんざんに殴りつけられ、懐の金を奪われてしまう。

 

(金で済むなら仕方ねえ)

 

 殴られつつ、十郎は金に関しては諦めていた。十郎とて腕に覚えはある。それどころか、この程度の浪人であれば即座にやり返すこともできただろう。しかし、腹痛で身体は満足に動かない状態ではいかんともし難い。命さえ取られなければいいと思い切るしかないのだ。

 しかし、その十郎の願いも空しく、一人が刀を抜いた。

 

(くそが……身体さえまともに動きゃ、こんな連中……)

 

 刀身が視界に入ったとき、十郎は半ば覚悟していた。逃げ道はない。

 と、次の瞬間、男が崩れ落ちる。

 

「何事かと付いてきてみれば」

 

 秋山大治郎であった。大治郎は、遠目に弱々しく歩く十郎を見かけ、さらにその後ろに付いていく二人を見、咄嗟に駆けつけてきたのだった。

 

「其処の方、大丈夫ですか」

 

 刀を抜いていなかった一人も既に大治郎の手によって昏倒している。

 十郎は倒れた姿勢のまま起き上がりもせず、大治郎を拝むように頭を下げた。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 

「怪我はないですか」

 

 殴られた怪我はあるが、それ以上の怪我はない。

 十郎は咄嗟に奪われた財布を取り戻すと、中からひとつかみの金を取り出す。

 

「こ、これを、せめての礼に」

 

「そんなつもりで助けたわけではない。旅には金子も必要でしょう、持っていなさい」

 

 大治郎は十郎に手を貸すと、次の旅籠までの道を共にした。そのうえ、腹痛の治まらない十郎の看病まで続けたのである。

 一晩明け快癒した十郎は恐縮しきりで何度も礼を言うが、大治郎は何事も無かったかのようにそれでは、と別れようとする。

 十郎はこれを慌てて呼び止め、名と住まいを聞いたのである。

 江戸に戻り、鎮守府を建てるのだという大治郎に、必ずこの礼をすると約束し、十郎は江戸へ向かう大治郎を見送った。 

 そして、その足で即座に来た道を戻ると二人の浪人を見つけ、夜を待つ。そして寝入ったところに侵入した十郎は二人を刺殺する。

 十郎こそは、西国で「赤蝗の十郎」という異名を持つ盗賊の頭であった。「赤蝗の十郎」といえば西国では知らぬ者のない、盗みの目撃者だけでなく店の者を皆殺しにする残忍な手口が恐れられている凶賊である。

 

(しかし、この俺がこんな連中にいいようにやられるとは、焼きが回ったもんだなぁ)

 

 二人の死体を見下ろしながら、十郎は口には出さず愚痴る。

 

(それにしても、あの若え侍……いや、提督か……気分のいいお人だった)

 

 十郎はこのところ鬱屈した気持ちを抱え続けていた。

 まずは、目星を付けていた大店が火付けの被害に遭い、数ヶ月ほど温めていた計画が狂った。

 計画が潰えたと言っても、準備をしていた手下共を食わせる金は要る。十郎の一味など、金払いが悪ければ裏切り逃散などは日常茶飯事、悪には悪の仲間意識、などといったものなどない関係である。

 そこで十郎は、声をかければすぐに集まる直属の配下と共にある村を襲った。盗賊というよりも山賊だが、十郎のやることに違いは無い。襲い、奪い、殺すだけである。

 ところが、そこで十郎の勘が狂った。その村に出入りしていた艦娘がいたのだ。

 気付いたのは村を離れた後である。手下を残して先に村を離れていた十郎は、それを自らの幸運と信じ、手下を捨てた。怒り狂い追ってくるであろう艦娘を想像し、痕跡を全て消して逃げおおせたのだ。

 艦娘が自分の存在に気付いているかどうかはわからない。そこで仕方なく、十郎は西国から東に向かって逃げていたのだった。

 その途中、とおりすがりの浪人者に襲われ、秋山大治郎に救われたことになる。

 十郎は心底大治郎に感謝していた。 

 一つの村で皆殺しを行うような賊の頭としての残忍と、命の恩人への感謝は同じ人物にあるものであった。

 人には、そのような両極がある。人を嬲る心と人に感謝する心、それは一人の中で両立するのである。

 それから様々な土地を、やはり小さな悪事を積み重ねながら転々としていた十郎は今日、大治郎を見かけたのである。

 元より、名と住まいは聞いていたが出向く気などはなかった。追われているかもしれない身の自分が現れては迷惑がかかりかねない。恩人にそのような迷惑はかけられぬと十郎は弁えていた。

 

「もし、秋山大治郎様ではありませんか」

 

 それでも十郎は、たまらず声をかけた。

 大治郎は一瞬遠い目をするが、ややあって、

 

「……もしや、十郎殿か」

 

「はい、そうでございます。その節は本当にお世話になり、いつかは恩返しをと考えておりましたが」

 

 まさに地に頭を着けんばかりに平伏する十郎に、大治郎は困惑する。

 

「いやいや、そこまで言われては私も困ります、さぁ、顔を上げてください」

 

 顔を上げる十郎の表情は実に実直なもので、かつて大治郎に告げた嘘の身分……西国で小さな商いを営む主人……を疑うことなどできようはずもなかった。

 

「このようなところでお目にかかるとは、まさに神仏のお導きでございます。よろしければ、一献なりと」

 

 誠実かつ懸命な言葉に、大治郎も悪い気はせぬ。

 

「すまぬが、使いに出した秘書艦がそろそろ戻る頃で、これから鎮守府に戻らねばならぬ」

 

「おお、これは引き留めるなど却って失礼でした」

 

 では、と手を叩き、十郎は懐から手袱紗を取り出すと、手早く金を包む。

 

「目の前にて包むなど、実に不躾ですが、せめてあの時の礼を」

 

「それは……」

 

「秋山先生ではなく、我らを護ってくださる鎮守府への御報謝と言うことではいかがです」

 

 そこまで言われては、大治郎としても突き返すには忍びないものがあった。

 そもそも、金を出す十郎の表情に下卑たところは何もない。ただ、感謝を表したいという心情がありありと見えているのだ。

 

(父上なら、受け取らない私を朴念仁呼ばわりするだろうか)

 

 ふと、大治郎は小兵衛のことを思い出した、小兵衛であれば、これは受け取るであろう。ただし、もっと洗練された形であろうが。

 世間智というものでも自分はまだまだ及ばないのが、父である。

 報謝を渡した後も何度も礼を言う十郎に別れを告げ、大治郎は鎮守府へと戻った。

 

「司令、お帰りなさい」

 

「戻っていたのか、秋月」

 

 秋月は早速需給報告の詳細な結果を伝え、次いで言った。

 

「実は司令に是非会っていただきたい艦娘がいます。仙庭様の下で私の師となってくれた方です」

 

 大治郎は快く秋月の言を受け入れた。

 

「秋月の師であるというのならば、私もそれなりに迎えねばならんな。提督として恥ずかしい姿は見せられない」

 

「ありがとうございます」

 

「では、準備が必要になるか」

 

「はい、それは私が」

 

 大治郎はこの日の予定を確認する。足柄がやってくる予定になっているが、強きを好む彼女ならば、秋月の師である赤城とは良い話ができるのではないだろうか。

 だとすれば、ちょうど良い。

 強い艦娘の話というのは、一介の剣士としても提督としても学ぶべき事が多い、と大治郎は考えていた。

 

「そういえば私も、今日は珍しい人に会ってな」

 

 大治郎は十郎の話を秋月に語るのだった。

 

 

 

 安宿の、それも一番安く日当たりの悪い部屋に赤城は正座していた。

 その横では、せいが静かに眠っている。

 一つの膳を前に、赤城は瞑目していた。膳の上にはただ一つ、むすびが載せられている。何の変哲も無い、赤城が宿の賄いに作ってもらった平凡なむすび。

 手を伸ばし、掴む。

 赤城には見えていた。むすびを差し出す少女の満面の笑みが。かつて、実の妹のように可愛がっていた少女。どこか、秋月と似ていた少女の笑顔が。

 その命を守れなかった、徐々にその体温を喪っていく死体を抱きしめ嘆くことしかできなかった少女の笑顔が。

 

「これ、赤城お姉ちゃんの分だよ」

 

 言葉の直後、少女は背後から斬りつけられ、目を見開いたまま倒れる。

 例えそれが己の幻影の中だろうとも、いや、そうであるにもかかわらず、少女を助け起こすことはできず、赤城は思い出すのだ。

 赤城が守ろうとした村の少女が凶賊の逆鱗に触れ、斬り殺されたことを。

 鎮守府より出向していた赤城は、村の守備の任に就いていた。村人達は艦娘に友好的で、村で飯を食い、眠り、鎮守府へ戻ることなく村で過ごすこともしばしばだった。

 突発の任務で赤城が村を留守にした隙に凶賊が現れた。僅かな金も食糧も根こそぎ奪われた、いや、それだけならば良かった。それならば、事が終わった後に助けることはできただろう。

 

「それはお姉ちゃんのおむすびだ!」

 

 帰ってくる赤城のために準備されていた間食を賊の一人が見つけた。無造作に取り上げて食う。それだけのことだ。わざわざ人を殺めてまで奪うようなものではない。

 少女には、それが許せなかった。

 遅れて駆けつけた赤城は正しく鬼であった。村に居残っていた凶賊共を容赦なく狩り立て、貫き、掃射した。

 そして赤城は見たのだ。

 むすびを懐に抱えたまま、背後から斬られ絶命した少女を。

 己の不始末の結果、そして凶賊とて人間であることに絶望した赤城は、自沈する道すら選びかねなかった。自沈すれば深海棲艦化は避けられなかったであろう赤城を救ったのは、辛うじて生き残った数人の村人の懺悔と嘆願、そして、少女に直接手を下した凶賊「赤蝗の十郎」が赤城到着の前に姿を消しているという事実であった。

 赤城が鎮守府を出奔したのは翌日のことである。赤城の提督は、捜索の命令を下さなかったという。

 

 今、赤城は一つのむすびをゆっくりと食べ終えた。

 

「これが最後ですね」

 

 筆を執り、手紙をしたためる。

 秋月への謝罪であった。

 訳あって急遽出立しなければならぬ、と書き記す。

 

「せいちゃん、これをお願いします」

 

 せいを起こすと、手紙の入った袋をしっかりと胴体に結びつけた。

 

「ゆっくりと、秋山鎮守府へ帰ってください」

 

 首を傾げるせい。当然であろう。主人たる秋月からは、赤城の都合がつき次第案内するようにと厳命されているのだから。

 

「手紙を見せればわかることです」

 

 せいは頷いた。

 赤城は立ち上がり、せいを促して宿を出る。

 宿代は前払いで、持っていく荷物なども何もない。

 

「では、行きなさい」

 

 せいは赤城に背を向けると、鎮守府に向かってとことこ歩き始める。

 手紙を届いた頃には、全て終わっているだろう。

 赤城は、懐から別の手紙を取り出した。

 かつて世話をしたことのある艦娘神鷹からの手紙であり、そこには「赤蝗の十郎」の目撃情報が記されている。 

 

「……これで、最後ですね」

 

 暗くなり始めた道を、赤城は歩く。

 

「秋月さん。貴女との仕合、それなりに楽しかったのですよ」

 

 

  

 手紙を受け取った秋月は、大きくため息をつくと大治郎にそれを報告した。

 

「あら、残念」

 

 赤城の話を聞いて、それは是非、と居残りを決めていた足柄と長門も肩をすくめる。

 あまり見ることのないほど気落ちした秋月に長門は、慰めるように言った。

 

「縁は異なものというではないか。また、いずれどこかで会うこともあるだろう」

 

 妙な顔になる秋月に、長門は却って面食らう。

 

「どうした、秋月?」

 

 横からたまらず声を挟むのは足柄であった。

 

「あのね、長門。それ、縁は異なものって、男女の縁で使う話よ?」

 

 笑い出す足柄に、つられるように噴き出す秋月。

 

 

 翌日、深海棲艦が深夜に現れ、即座に撃破されたという報告が届けられる。

 

 その日以来、大治郎は十郎を、秋月は赤城の姿を見ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





狙ったわけでもないですが、赤城改二にあわせたみたいになっちゃいましたね。

6/2の艦これオンリー同人誌即売会、神戸かわさき造船コレクションに、「鎮守府商売」の同人誌版持っていきます。
詳しくは、活動報告のほうで。

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