「あー……手が重い」
六月頭の、日曜日の夕方六時ごろ。織斑一夏は、寮の自室でベッドに沈んでいた。たまの休みということで、旧友である五反田の家に遊びに行き、エアホッケーの連勝記録を十六まで伸ばしてきたのだ。リベンジに燃え、負けて悔しそうに歯噛みする旧友の元気な姿が見れたことは嬉しかった。だが名誉ある連勝記録の代償は、腕に鉛のように巻きつく疲労である。
「うーん……」
何の気もなしに部屋を見回してみても、ベッドは一つしか存在していない。先週までは幼馴染である篠ノ之箒と同室だったのだが、ようやく個室が用意されたのだ。個室といっても、簡易キッチン、さらにはシャワー付きであり、広さも十分。先週までの慌しさが嘘のようであり、一夏はのんびりとした個室ライフを満喫していた。
慌しさの原因である箒は『学年別個人トーナメントで優勝したら付き合え』を宣言した後すぐに逃走。追う暇もなしに現在まで至っている。いったい何に付き合うのかは、聞きそびれてしまった。多分買い物か何かだろうと、一夏は一人納得する。
その学年別個人トーナメントとは、全員参加の、IS対決のトーナメント戦だ。一学年訳百二十名なので、かかる期間が一週間。各国の重鎮・防衛関係者・IS研究者まで視察に来るという大規模なイベントであり、それだけに注目されるのだが――
「優勝、ねえ……」
箒の発言が一夏の頭をよぎる。姉の織斑千冬に恥をかかせないぐらいには良い成績を、という思いもあったが、今はそれより優勝候補のことが気になっていた。箒の優勝はまず阻まれるだろう。一つの確信が、一夏にはあった。
(優勝は、シンだろうな)
シン・アスカ――IS学園一年一組所属の、二名しかいない男子生徒の内の一人。第一学年最強を謳われる男。そして一夏にとって、なくてはならない仲間でもあった。
珍しい男子生徒であるからと本気にしないで『学年最強』と、はやし立てて言っている生徒も多い。おまけにシン本人はいつも「俺だけの力じゃない」と言って謙遜している。しかし今まで繰り返してきた摸擬戦での経験から、一夏はシンの実力を高く評価していた。
理由は分からないが、シンは戦闘そのものに慣れていた。
ISの操縦技術は自分と同様に初心者であるのだが、いざ戦闘を開始するとその動きは自分とは比べ物にならないぐらい洗練されている。剣での話ならば自分も遅れはとらないものの、それ以外での動作は差が明白だった。鈴を越えるほどの反応速度が後押ししている。
さらにシンはすさまじい速さで成長している。前に自分と一緒に地面に墜落するという醜態を演じていたのが嘘のように、今のシンは空を飛び回っている。そして空を飛べるようになってから、セシリアたちと簡単に渡り合えるようになっていた。水を得た魚ではないが、まるで空に戻った戦闘機パイロットだ。
そして最後の、最も重要なこと。ISの操縦技術や知識、そんなハンデを全て覆すものを持っている。意志の力だ。あの赤い瞳の中にある、燃えるような意志。どれだけの不利な状況でも一筋の光を導くもの。度々口にする守るという言葉。
悔しいが、今の段階でシンに勝つことはできないだろう。
今までの摸擬戦の結果は勝率ゼロ――しかも一撃も与えられないという完封負けの嵐。
うかつに接近もできない。なんとか接近しても、その反応速度から強烈なカウンターが飛んでくる。接近戦特化型の自分の機体と、戦局に合わせて装備を変える換装型万能機の、致命的な相性の悪さだった。
それでもと、一夏は思う。一夏はシンに負けたくはなかった。
「……やってやる」
技術も、経験も、能力も――全て自身の上を行っている相手。それでも、負けられないものがある。
大切なものを守りたいという気持ち、思いだけは、譲りたくはない。
決意を新たにしながら、相棒であるガントレットを宙にかざし、袖から取り出してみる。
(また訓練、がんばらないとな)
そこまで考えて、その訓練をいつもシンに見てもらっていることに気付き、一夏は思わず苦笑した。普段は気にならないが、一つ年上であるからなのか、シンはとても面倒見が良かった。嫌な顔一つせずに自分と訓練に行き、訓練が終っても整備を手伝ってくれ、二人でプログラムの調整に熱中する。
居眠りを咎められれば時折へそを曲げるような子供っぽさがある。ところが「守る」と口にするときはいつだって、自分よりはるかに大人びた顔をしている。
姉が一人いるだけの一夏にとって、シンは友人であると共に、年の近い頼りになる兄のようにも思えるのであった。
◇
「お兄ちゃん、今度は映画観に行こうねっ! 約束だよっ!」
「うん、約束するさ」
六時過ぎの駅のホームは、帰宅する人たちでごった返していた。スーツ姿で携帯に電話している人。時計を見て、慌てて改札をくぐる人。これから俺も、その中に混じって学園に戻らなきゃいけない。
けど、今日一日はとても楽しかった。
笑顔で小指を差し出してきたマユと指切りをして、頭をくしゃくしゃとなでると、マユは嬉しそうに目を細めていた。その顔を見ると、俺も胸がいっぱいになる。
「おう、何かあったら連絡しろよ。特に、イグナイテッドの調子がおかしかったらすぐ言えよ?」
「はい、葛城さん。今日はありがとうございました。見送りまでしてもらって……」
「なーに、せっかくの休暇だ。マユと出かけるのも久しぶりだしなあ」
そう言うと葛城さんは、頭をかきながらからからと笑う。普段の白衣姿から一転、シャツにジーパンというラフな格好だけど、相変わらずシャツの着こなしはだらしがない。でもマユと笑っている“父親”の姿は、俺にはすごく格好良く見えた。
ハプニングの中、クラス別対抗戦が終了。というわけで、イグナイテッドの調整、各シルエットのデータの整理、新シルエットの搭載などなど……学園ではできないことをしてもらうために、俺は昨日の夕方から研究所に帰っていた。久しぶりにマユの顔も見たかったし。
そんな俺を気遣って、葛城さんは土曜日の夜の内にISの調整を終了。日曜日は丸一日休みをとって、三人で出かけることにしてくれた。マユのリクエストもあって、一日水族館観光が決定。その水族館、定番のイルカショーも大きな人気なのだけど、なによりユニークなお土産が好評を博しているらしい。特に人気なのが『ドキドキ! マリンクッキー!!』(税込み1029円)で、様々な形のクッキーの中、サメ型クッキーを引いたら負けという、パーティーゲームにもってこいな代物。俺もクラスのみんなにお土産ということで、三つほど購入しておいた。
そんなわけで、久方ぶりの家族サービスということも手伝って、マユは一日中楽しそうだった。葛城さんも、マユも、元気そうで何よりだ。
「本当に……ありがとうございました。俺、嬉しかったです」
「いいんだよ、マユも喜んでんだからな。なあ、マユ?」
「うん! でも、私達のことだけじゃなくて、お父さんもたまには休まないとダメだよ?」
「ははっ、違いねえや」
三人で笑っていると、先日の乱入者騒ぎも嘘のようだ。誰が、どうして、何のために、全部わからないらしい。この件に関しては口外禁止になっていて、膨大な始末書と一緒に誓約書も書かされたんだけど、大丈夫なのかな……?
「はいっ、これっ! 貸してあげるから読んでおいてね、お兄ちゃん!」
「え? マユ、これは?」
手渡されたのは一冊の本。カバーがかけてあってタイトルは見えないけど、結構な厚さがある。
「今度観る映画、その本が原作なの! だからちゃんと読んできてね!」
「へー……分かった。ありがとな、マユ」
「えへへー……」
もう一度頭をなでると、マユの頬が思いっきり緩んだ。つられて俺の頬も緩んでしまう。もうお別れの時間なのが、名残惜しくてたまらない。
「そろそろ電車が来る頃か。じゃあな、シン。今度会うときまでに、渡した装備は使えるようになっとけよ?」
「うえぇっ!? まだブラストが残ってるのにですか!?」
「お兄ちゃん、ガンバレ!」
今度は俺が苦笑する番だった。追加された装備二つは――フォース・ソード・ブラストの三つはインパルスと同じだったんだけど――俺の乗っていた機体が元になってはいなかった。まさか“あの二人”の装備とはなあ……けど、だからこそといった気合も入る。二人には笑われたくない。まあ、二人とも揃いもそろって癖のある装備が好きだったから……うえ、こりゃ時間かかるぞ。使ったことない装備だし……
「じゃあお兄ちゃん、またねっ!」
「ああ、マユも葛城さんも、元気で!」
「おーう、良いデータ待ってるからなー」
改札を抜けて最後にもう一度、二人に敬礼をした。学園に戻ることが寂しい反面、みんなにお土産を渡すのも楽しみだ。みんな喜んでくれるだろうか。
俺は……大切な人たちと笑っていられる今、俺は幸せなんだろう。
いつか俺は帰らなければいけないけど。
それでも今だけは、もう少しだけ。
明日も、明後日も、その先も……こうしていられることを望みながら。
駅のホームの階段を一段ずつゆっくりと上っていった。
そう言えば、映画って何を観るんだろうな? さっき渡された本が原作って、マユは言ってたけど。帰ったらちょっと読んでみようっと。
◇
そして月曜日の朝が来た。機体の調整にリフレッシュも完璧。心機一転、やってみせるさ俺はぁっ! と、言いたいところなんだけど……朝から俺は頭を抱えていた。
「まいったなあ……約束しちゃったもんなあ……」
「おはようシン……って、どうしたんだ? 頭抱えたりして」
「あ、一夏。おはよう、実はさ……」
教室に入ってきた一夏に挨拶を交わして、早速に相談事。俺の悩みの原因は、昨日マユに渡された本だった。読書が苦手なわけじゃない。むしろオーブにいたころは本はよく読んでいたぐらいだから、好きな方ではある。でも、内容の好き嫌いぐらいは俺にだってあるさ。
「今度マユと映画を観に行くことになってさ、その原作だから読んできてねって言ってこの本を渡されたんだ」
「ふーん、それで?」
「その本の中身がさ、その……俺の苦手な内容で……」
百聞は一見に如かず、とりあえず一夏に本を手渡してみる。首をかしげて本を開き、一夏はタイトルの文字を目で追いながら、同時に口にも出す。
「“ボクはホントはオンナのコっ!” ……なんだコレ?」
「え、織斑くん、知らないの!? 今すっごく流行ってるんだよ!?」
「今度映画になるんだよね? いいな~、観に行きたいな~!」
そのタイトルに過敏に反応したみんな。周りで何かのカタログを見ていた女子生徒が、一斉に俺達を取り囲んだ。ああ、女子は好きなんだろうな、こういうの。確かにそういう内容だった。
「流行の本、ねえ。いったいどんな中身だったんだ?」
「あ、それは――」
「えっとね、主人公の『香菜ちゃん』は高校一年生。ホントは女の子なんだけど、お家の事情で男子校に通わなきゃいけなのね! で、高校のルームメイトになったのが『健一くん』って男の子なんだ!」
「自分が女の子だってバレたら大変! 香菜ちゃんは必死に男の子のフリをします! ところがルームメイトの健一くん! 香菜ちゃんが女の子だってことにまるで気付きません! 激鈍なんだねっ!」
「でもでも、すっごく優しい健一くんのことを香菜ちゃんは好きになってしまいます! 健一くんが好きっ! でもそれを言ったら自分は高校にいられなくなっちゃうっ! さあ、果たして香菜ちゃんは健一くんと結ばれるのかっ!?」
「――っていう話なんだ……」
俺が説明する前にみんなが説明してくれたよ、ありがとう。自分で話すのも気が引けていたから良かった。
そう。この本、あまりにも少女趣味と言うかなんと言うかな内容で……つまり、俺の趣味じゃない。これを映画で観るのは非常に遠慮したかった。けど、マユと指きりまでしてしまったので、今更変更なんてできない。ため息の一つや二つ、吐きたくもなる。
投げやりに腕を放りながら、一夏の方に目を戻す。あらすじを聞いた一夏は半ば呆れ顔で苦笑いを浮かべていた。
「……健一くん鈍すぎやしないか? 気付くよな、普通は」
「普通じゃないんだよ、健一くんは。先輩も含めて」
健一くんの先輩である『彰さん』。これもまた、とんでもない先輩だった。過去に行った所業といえば『彼女に同じプレゼントを延々とあげ続けていたら、いつの間にか彼女は自分の親友に取られた』とか、『彼女に指輪をあげた途端に長期間放置。当然、次にあった時には彼女は指輪をしていなかった』とか……優柔不断で、全く頼りになりそうもない。
俺の上司でさえ、普段は頼りなくてもきっちり決めるところは決めたというのに……健一くんは残念なことに、彰さんにアドバイスを求めてしまう。ダメだってば健一くん、そんなヘタレを参考にしちゃ。
「ははは……シン、ドンマイ」
「はあ……上映中に寝ちゃいそうだよ、俺」
「映画ですか……いいですねえ、ラブストーリー……」
だらしなく机に突っ伏す俺の耳に、副担任の山田先生の声が入ってきた。顔を上げると、山田先生は少し遠くを見つめてウットリしている。気のせいか、普段の三割り増しぐらいぼーっとしていた。
「映画の中で抱き合う二人……その時、映画館の二人の手もそっと重ねられて……それから……」
「素敵っ! 女の子の夢だよね、山ちゃんっ!」
「山ぴー分かってるなあ……」
先生と一緒に女子生徒が複数名、頬に手を当てて惚けている。辺りの空気がほわほわとして、ハートマークがふわふわ浮いて……苦手だ、この雰囲気。女子ってどうしてこういう話が好きなんだろうな? ハートマークを手で払いのけながらそんなことを考えていると、この空気におおよそ似つかわしくない声が教室に入ってきた。
「諸君、おはよう。全員席に着け」
「おはようございます!」
一組担任、織斑先生の一声で教室の雰囲気は一変。みんなが整然と座りなおして、ハートマークはどこかへ逃げていった。流石は織斑先生。俺もその手腕を見習おうか。いや、やっぱり止めとこう。
「今日から訓練機を使用しての本格的な実戦訓練に移る。ISスーツは今日が申し込み日なので、各人のスーツが届くまでは学校指定のものを使ってもらう。忘れたものは学校指定の水着で訓練参加、それもないなら下着で受けてもらうからな」
あー、今日ってスーツの申し込み日だったんだ。皆が見てたカタログはそれだったんだな。うーん……普通はパイロットスーツとかって所属とか階級とかで規格を統一するもんだと思ってたんだけど、ISスーツはかなり自由がきくようになっていて、学園でも個人のスーツ所有が認められている。こんなところでもおしゃれに気を遣うんだな、女子って。
ちなみに俺のスーツは葛城研で作ってもらった。デザインは俺が着ていたZAFTのパイロットスーツを参考にしているけど、FAITHのマークだけは……葛城さんに頼んで消してもらった。
信念・忠誠・信頼――もう俺には、FAITHを着ける資格があるなんて思えなかったから。
「では山田先生、ホームルームを」
「は、はいっ」
……って、いけない。連絡事項、聞いてなかった。仕方ない……後で一夏に聞こう。
「今日はみなさんに、なんと転校生を、しかも二名! 紹介します!」
「え……」
「「「えええええっ!?」」」
また転校生がやって来るらしい。教室中がざわざわとして、落ち着きがなくなる。今回は転校生の噂なんて立っていなかったのだから、尚更だ。かく言う俺と一夏も驚いているわけで、隣同士の俺達はお互いの顔を見合わせる。
「失礼します」
「…………」
クラスに入ってきた二人。その姿を認めるや否や、教室のざわざわがピタッと止まった。
銀の長髪、左目の黒い眼帯。そして小柄な体から発せられる『軍人』然とした雰囲気。
そしてもう一人。眩い金髪の、貴公子然とした立ち振る舞い。
あっけに取られている俺と目が合うと、呆けた顔がおかしかったのか、口元に少し笑みを浮かべた。
「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、みなさんよろしくお願いします」
今度は唖然とするクラス一同に礼儀正しく挨拶をして、優しそうな笑顔を向ける。
まだ教室の静寂が継続しているのは、目の前の転校生があまりにも意外だからだろう。
転校生が来たこと以上にその“性別が”、だ。一夏と俺だけだって思ってた。
「お、男……?」
「はい、こちらに同じ境遇の方がいると聞いて本国より転入をしてきたんです。でも、二名とは聞いてなかったんですが――」
誰かが言った言葉に丁寧に答えると、転校生はもう一度俺の方を見やって微笑んだ。そろそろ日本政府が俺の情報を出し始める頃だって、葛城さんには聞いていたんだけど、どうやらまだだったらしい。
最初にISを動かせる男性として情報が出たのが一夏。世間の注目が向いたのも一夏の方。俺はと言えば入学まで政府がこっそり隠匿。国籍、操縦IS、そして本人の意思まで考慮に入れて、とりあえず日本の所属ってことで発表する、とのことだ。ホントはいろんな取り決めがあるはずなんだけど、イグナイテッドを動かせるのが俺だけってのが肝心らしい。厳密には違うけど、日本の国家代表候補生……みたいなモノだって、葛城さんが言っていた。
まあそれはとにかく、ついに三人目の男子生徒。しかも一組に一同に揃っている。これなら、女子の反応はそりゃ凄いことに……
「えっと、シャルルだよな?」
「は、はい」
「耳、ふさいだ方が良い……」
「ああ、早くしないと……」
「へ?」
どうやら一夏もこの後の展開が読めていたみたいで、既に耳にふたをする準備ができていた。二人で忠告すると、混乱した表情のまま転校生は耳をふさぐ。次の瞬間――
「「「きゃあああああああ――――っ!!」」」
大きな歓声が教室を、それこそ物理的に震えさせた。もう衝撃波と言ってもいいくらいの歓喜の声。俺達はいい加減に慣れてきたけど、初めて遭遇しただろうシチュエーションに転校生は目を白黒させる。『大丈夫だから』と声をかけたんだけど、それもみんなの声に簡単にかき消された。
「男子、三人目だよっ!? まさかの男子トリオの結成っ!!」
「しかも良い感じにタイプの違った、美形の!!」
「神様、このクラスに入れてくださってありがとうございます! 今度のお賽銭は千円札入れちゃいます!!」
「いけない、夏コミの予定練り直さないとっ!! 時代は一夏×シンじゃなかったのねっ!!」
「静かにしろ、全く……」
きゃあきゃあとはしゃぐ女子を、織斑先生が面倒だとばかりに一蹴する。織斑先生、ものすごい男前ですね。本人の前で言ったらどうなるかは想像したくないので割愛しとこう。
「えっと、み、みなさん。まだ自己紹介終わってませんよー」
慌てふためく山田先生の一声で、また教室が静まり返る。これまた見た目から特徴的な転校生が、腕を組んで静かに目を閉じていた。
「挨拶をしろ、ラウラ」
「はい、教官」
従順な返事に正しい敬礼。軍の模範生のようなその動きに、クラスの一同は再度衝撃を受ける。教官? なんか一夏から聞いたけど、事情があって織斑先生はドイツで軍の教官を務めていたらしい。ということは、その関係者? じゃあまず間違いなく……軍人だな。
「ここでは教官と呼ぶな。織斑先生と呼べ。それから……他の阿呆にも言っているが、敬礼は止めろ。ここは軍じゃない」
「了解しました」
言いながらチラリと俺を見る織斑先生。ああ、俺は阿呆ですかチクショウ……まあ、今だに敬礼の癖が抜けてないから、言い返せるわけないんだけどさ。
そうやってふて腐れる俺のことを、何故か銀髪の転校生は一睨みする。
それからクラスに向かって簡素な自己紹介を始めた。
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
「…………」
「い、以上ですか?」
「以上だ」
けんもほろろ、一切を拒絶するような返事。何も言うつもりがないらしい。おろおろとする山田先生を尻目に、つかつかと俺の前にやってくる。
その体に纏っているのははっきりとした敵意だった。
紅い瞳から覗いている怒り。何か鏡を見させられているような、怒りの瞳が俺を映す。
敵意は、俺を見ていた。
「貴様が――」
「……っ!?」
腕が大きく振りかぶられ、それが俺の顔面に向かって放たれた。
いきなり打たれた平手をとっさに腕で払いのける。小柄な体から想像できない、躊躇ない威力。あまりの展開にみんな、ぽかんと口を開けていた。
「し、シン。大丈夫か?」
「いきなり何するんだよっ!?」
「ほう……受け止めたか。腐っても教官の弟ではある、ということか」
目の前で冷笑する転校生が言っていることが良く分からない。
はあ、弟? コイツ何言ってるんだ? 織斑先生の弟って、それは隣の一夏だろ?
「ラウラ」
「はっ、何でしょうか」
「私の愚弟は、その隣の奴だ」
織斑先生の言葉を聞いた転校生は、驚きで目を見張る。そして今度は隣の一夏を一瞥すると、すぐに織斑先生に食い下がった。
「何かのご冗談でしょう? コイツは今の平手に反応するそぶりさえ見せられなかった」
「……はあ?」
「本当のことだ。いいから早く着席しろ」
「……了解です」
一言返事すると、ラウラと呼ばれた生徒は俺達二人をキッと睨みつけた。そしてまたつかつかと空いた席に歩いていき、どさっと腰を下ろす。
待て、人違いした挙句に謝りもしないのか? そもそもいきなり人を叩こうとして何の言葉も無しか? オマケに一夏まで馬鹿にしといて、俺たちを無視か?
「おい、アンタどういうつもりだよっ! 聞いてるのかっ!!」
「ちょっと待てよっ! 無視すんじゃねえっ!!」
「…………」
「アスカ、織斑。それぐらいにしておけ。ホームルームはこれで終了だ。各人、すぐに着替えて第二グラウンドに集合しろ。今日は二組と合同で模擬戦闘を行う。解散!」
この話はお終い、とばかりに織斑先生が手を叩いてから教室を出て行こうとする。吠え立てる俺と一夏はこれ以上何も言えなかった。
正直言って納得できないけど、早いとこ教室から出て行かないといけないから、今はガマンしよう。いちいち空いてる更衣室をチェックして、そこまで移動しなければいけないのが辛いところだ。流石に女子と一緒には着替えられない。
「アスカ、デュノアの面倒はお前が見てやれ。ああ、それから今日からお前はデュノアと同室だ。放課後に荷物をまとめろ。部屋を移ってもらう」
「え、俺が……でありますかぁ?」
「お前を取り巻く事情も変わってきたからな、そういうことだ」
「……了解であります」
勝手に敬礼をしそうになった腕を抑えて、事情が呑み込めたと首肯する。『もう俺の事なんて隠し通せないから、他の生徒と一緒にしちゃってもいいや』ってことだろう。
えっと、部屋の移動か……たいした荷物があるわけじゃないから、移動は楽だな。誰かと相部屋になるのもミネルバ以来だ。
「えっと、そちらが織斑くんで、君がアスカくん? 始めまして。僕はシャルル――」
「ああ、挨拶は後にしよう。早く包囲網を抜けないと」
「シン、今日は俺が最前線に出る。シャルルは一番後ろがいいな」
「え? ほ、包囲網?」
挨拶の言葉を途中で遮られて、何が何だか分かっていない様子のシャルル。まあ、説明しなくても廊下の様子を見れば分かるはずだ。
「ちょっと走るけど、大丈夫だよな?」
「え? う、うん」
「心配するなって。シャルルのことは俺が守るからさ」
そう言ってシャルルの手を取って、一夏の後ろにつく。三人で一列縦隊、目指すは第二アリーナの更衣室だ。
「さあ行くぞっ!」
「了解だっ!」
「え? え? え?」
一夏の声を合図に三人で廊下に飛び出した。他のクラスから覗きに来た女子たちを次々に抜き去り、階段へと駆け抜けていく。人だかりをかき分け、前へ前へ。
「転校生発見しました!」
「小隊単位で移動中! 速いです、追いつけません!」
「ちいっ、第二部隊で足止めを! 校舎を出る前に食い止めるのよっ!」
予想通り、今日は女子の人数が半端じゃなかった。ものものしいセリフや通信機がその気合の入り方を物語っている。通信機なんてどこから持ってきたんだ? それにいつ部隊が編成されたんだろうな。
疑問に思いながらも足を止めてはいられなくて、俺たちは更衣室目がけて廊下を駆けていった。
◇
「ここまで来れば安心だな。シャルル、平気か?」
「うん、大丈夫だけど……」
「早く慣れたほうがいいぜ? しばらくはこんな調子だろうからな」
階段を飛び降りるように下りて、追っ手を振り切り、早々と校舎を出ることができた。速度を落として、駆け足でアリーナに向かう。慣れてくればこれが準備運動代わりになるので、着替え時間の確保に加えてストレッチの時間も多少節約できるわけだ。
「それにしても、何でみんな騒いでるの?」
「え? 男が少ないから目立つんだろ?」
「つまり俺達はウーパールーパー状態なわけ」
まだシャルルは困ったような顔をしていた。ああ、多分ウーパーなんとかが分からないんだろう。確か――
「ウーパールーパー。二〇世紀の珍獣で、昔日本で流行ったんだとさ」
「ち、珍獣?」
「一夏、その例えだと分かり辛いって。パンダならもっとグローバルで……」
「パンダなら知ってるよ。中国のカワイイ珍獣だね。あ……結局珍獣だ」
自分の言ったことに気付いてクスクス笑うシャルル。俺と一夏もつられて、三人で一緒になって笑う。いや、仲間が増えたのはいいことだ。珍獣の仲間だけど。
「よし、到着! ……っと自己紹介がまだだったな。俺は織斑一夏。一夏って呼んでくれ」
「俺はシン。シン・アスカだっていうんだ。呼ぶ時はシンで構わないから」
「うん。二人ともよろしくね。僕のこともシャルルでいいよ」
プシュッとドアの空気が抜ける音を聞きながら、俺達は自己紹介を済ます。シャルルの人懐っこそうな笑顔を見て、さっき叩かれかけた怒りが少し治まった。
「ラウラ……だったっけ。一夏、アイツもお前の知り合いか何かか?」
「いきなり人を引っ叩く知り合いなんて俺には――い、いるけど……アイツは知らねえ」
ばつが悪そうに答える一夏。お互いに知らない相手だってことは分かったけど、喧嘩を売られた理由は分からない。
全く……アイツが男じゃなくて良かった。男だったらまず間違いなく殴りかかってる。俺も少しは気の短いのが直ったつもりだけど、流石に、突然殴られれば頭に来るさ。
「えっと……ねえ、シン……」
「どうした? 何でも聞いてくれよ?」
「いや、その……手……」
「ああ、悪い悪い」
そう言えばシャルルと手を繋ぎっぱなしだった。いけない、気をつけないとまた男色家疑惑が浮上する……一夏どころか、シャルルまで巻き込むわけにはいかないからな。
でも、手を繋いだぐらいでどうしてそんな噂が立つんだ? ヴィーノはしょっちゅう俺達に抱きついてたのに、誰もそんな噂立てなかったぞ? ……アレか、人柄って奴なのか? なら俺の人柄は信用されないってことなのか……? ちょっとショックだ。
「シン、どうしたんだ? 早く着替えちまおうぜ?」
「あ、ああ。そうだな……あれ? シャルル、どうかした?」
「いや、何でもないよっ!? き、着替えるから、そのっ、あっち向いてて……」
「ん? ああ、いいけど……」
どうしたんだろう? シャルルの奴、なんかもぞもぞして……何か着替えるのに不都合があるのか?
シャツを脱ぎ捨てながら、一夏とお互いに顔を見合わせる。一夏も不思議そうな顔のまま、ロッカーに手をかけていた。
ん? そう言えばこんなシチュエーション……どこかで、見たことあるような、いや、本で読んだことあるような……
しばらく思案しているうちに、俺の中にある一つの結論が閃いた。
「あっ! 思い出した! シャルル、お前もしかして……」
「っ!? いや、僕はっ! それはっ!!」
「ゴメン、気がつかなくてっ!! 俺達は手前で着替えるから!! シャルルは奥に行ってくれ!!」
「……へっ!?」
「一夏、ほら、こっちだって……」
「なんだ? シン、どういうことだ?」
ズボンを引っ掴んでいる一夏を引っ張ってドアの方に移動する。一夏はまだ気づいていないらしい。シャルルに聞こえないように声のトーンを抑えて、推測できた事情を説明した。
「ほら、事故で怪我とか火傷の痕が残ることあるだろ? あれ見られるの嫌がる人もいるんだって。シャルルもきっと同じだ」
「ああ、そういうことか! やべ、気が回らなかったな……分かった、気をつける」
アカデミーの本に載っていた、仮面をつけた金髪の人。火傷の痕を隠すために仮面を着けてるって話だった。えっと白服のエースパイロットで名前は……なんだったかな、ラウ・なんとかさんだっけ。とにかく、そういうのを気にする人は気にするから、こっちも気を遣わないと。
……なんだかとんでもない勘違いをした気もするけど、気のせいだよな。気のせいな……はず。
◇
「着替え終わったか? シャルル、悪い。俺ぜんぜん気付かなかった」
「今度から、俺達もっと気をつけるよ」
「い、いや、いいよ別に。ありがとう……」
更衣室を出てグラウンドに向かう道すがら、改めて俺達は謝った。シャルルも許してくれたみたいだ。うーん、懐が広い。どっかの誰か達に見習わせたいよなあ……すぐに木刀振り回す奴を筆頭に。どこで聞かれてるか分からないから、言わないけど。
「シャルルは優しいな。どっかの誰か達に見習わせたいぜ……」
「どっかの誰か達?」
「ああ、木刀振り回す人間凶器の幼馴染とか――」
「――げっ!? 一夏、それ以上言っちゃダメだっ!!」
しまった、一夏は俺と全く同じことを思っていたらしい。そして、それを口にしてしまっている。さらに言えば、一夏は気付いていない。鬼さえも逃げ出しそうな殺気が三つ、背後から近づいてきていることに……
「――すぐに銃を撃つ短気なお嬢様に、これまた短気で口の悪いセカンド幼馴染とかにな」
俺の制止の声は間に合わず、一夏が口にしてしまったのは禁断の言葉。
悲しいかなこの世界は女尊男卑であり、俺たちはか弱い男だ。弁解の余地はなくて、取れる手段はたった一つ。
「シャルル、逃げるぞ」
「へ?」
俺は後ろを振り返らずに、シャルルの手を再び取って全速力で走り出した。きょとんとしている一夏を置いていくのは少し心が痛むけれど、そんなことに構っていられないと俺の中の防衛本能が叫び声をあげる。
「シン、シャルル。何で走るんだ? まだ時間は余裕が――」
「そうだな、一夏……貴様が念仏を唱える時間はたっぷりあるぞ?」
「ええ……一夏さん。覚悟はできていまして?」
「短気で口が悪くて、何だっけ? もう一度言ってみなさいよ?」
「――うげっ!? 箒、セシリア、鈴!? シン、シャルル、助け――」
背後から身も心も凍りつくような悲鳴が襲ってきた。
ゴメン、俺……守るって言ったのに。守るって言ったのに……頼りにならなくてゴメン。
心の中で謝り続けながら、でも俺の足は、前に向かって走り続けるだけだった。
「シン、一夏のことはいいの?」
「シャルル、一夏のことは忘れちゃいけない。アイツは良い奴だった」
「ぷっ……あははっ! 一夏もシンも、にぎやかで面白いなあっ!」
「何だよ、笑うことないだろっ!?」
「ふふ、シンも笑ってるじゃない」
二人で笑いながらグラウンドに向かって走り続ける。
今日の訓練も、気を引き締めてがんばろう。
また一人、大切な仲間ができたんだから。
その明日を守れるように。みんなの明日を守れるように。
「おああああああっっっっっっっ!!」
――それから、遠くで悲鳴をあげ続ける大切な仲間が、無事に明日を迎えられますように。