第1話 忘れられた者達の楽園
少年が歩いていた。これと言って特徴があるわけでもない、どこにでもいるような少年だった。
彼は目的もなく歩き続ける。荷物は財布と自宅の鍵、そして竹刀袋と首からかけた御守りだけ。とても、遠くに出掛けるような恰好ではない。
それもそうだろう。何故なら少年は、そんなに遠くに行くことなど考えていないのだから。ただ、同じことを繰り返すだけの退屈な毎日に、毎日自分に絡んでくる自称カリスマのクラスメートとその取り巻きに嫌気が差したからちょっとの間家を離れることにした。
つまりは家出だ。子供の浅知恵程度でしかない簡単な逃げ道。あるいは、自分がいなくなることで逆に自分に注目を集めようと考える、はぐれ者の最後の手段か。
しかし、それを行うにはいかんせん少年は成長しすぎた。15にもなるのに、今更こんな幼稚な手段を使ったところで同情を得るどころか、軽蔑のまなざしを注がれることになるだろう。
少年とて、それはわかっているつもりだった。けれど、家族と言う支えを失った少年の心は少しずづ、しかし確実に生への絶望に蝕まれていた。
だから、完全に絶望に飲み込まれてしまう前に行動を起こしたのだった。家に引きこもる手段もあったが、不登校が続けば必ず教師が連絡をしてくる。そうなれば、辛い現実を再認識しなければならない。それは嫌だった。故の家出である。
しかし、行くあてなどどこにもなかった。両親を産まれてすぐ亡くし、育て親であり剣術の師でもあった祖母も数年前に他界。親戚筋など元から無い。家を飛び出す前にひっつかんできたなけなしの小遣いも、数日で底をつく程度の金額しかなかった。
どうしたものかと悩む少年は、ふとあることを思い出した。この辺りの噂の中では有名な、神隠しが起こるという神社の存在である。
「神隠し……か。いっそそのまま失踪しちまうかな……」
誰に言うでもなくそう呟くと、噂の神社へと向かった。
閑静な住宅街を抜け、鬱蒼とした森の中へと入る。季節が夏だということもあって、そこらじゅうに虫が飛び交い、蝉が大合唱をしていた。だが、少年はまるで気にする様子も見せずどんどんと草をかき分けて進んでいく。しばらく歩いていると、突然目の前が拓けた。
廃屋、という言葉がぴったりだろう。
少年がその神社を見て、まず最初に思ったことがそれだった。鳥居と参道は辛うじて原型を留めていたが、本殿は見る影もないほど崩壊が進んでおり、どこかの柱を蹴飛ばすだけでも完全に倒壊させられるのではないだろうか、と思わせるほどだった。
少年は鳥居の前でしばし立ち止まり、何か考え事をした後、意を決して本殿に向かって足を踏み出した。
そして、少年が鳥居をくぐった瞬間、強烈な眩暈を少年が襲った。たまらず、その場に膝をつく少年。ようやく眩暈が収まり、こめかみを押さえながら立ち上がった少年は信じられない光景を目にする。
なんと、先程まで倒壊寸前と言えるほど風化の進んでいた本殿はまるで時間を遡ったかのように元通りの姿に戻っていたのだ。さらに、振り返った先には薄暗い森などどこにもなく、彼の知らない風景が広がっていた。
さすがの少年も驚きを隠せず、僅かにうろたえる。だが、すぐに一つの答えにたどり着いた。
「なるほど……これが神隠しの正体か」
噂に聞いていた神隠しは実在していた、という答えだ。そして、その答えに達した少年はある種の喜びを感じた。何故なら、ここで暮らせばあの辛いだけの毎日から逃れられるから。
少年にとって、これ以上の喜びはないかもしれない。家族との思い出の詰まった、あの家を捨てることになってしまうが、本当に大切な家族との繋がりはすべて持ってきている。それならば、もう少年に選択の余地など存在しなかった。
この世界で暮らそう。そう決意した少年は、一先ず目の前の本殿に向かって歩く。突然の超常現象に、その場に立ち尽くしていた少年は、日陰を求めていたのだ。神隠しに遭ったとは言え、季節までは変わらなかったらしい。直射日光をじかに浴び続けた少年の髪は、今にも燃えそうなほど熱くなっていた。
いそいそと本殿の先に歩いていくと、いかにも空っぽな印象を与える賽銭箱が少年の視界に入った。
しばし賽銭箱を見下ろしていた少年は、やがてポケットから財布を取り出すとおもむろに財布の中の金をすべて放り込んだ。ジャラジャラと音を立てて、小銭が賽銭箱の中へと落ちていく。
すると、その音を聞きつけたのか本殿の横から一人の少女が飛び出してきた。
「……アンタ、誰? 見かけない顔だけど」
「人に名前を聞くときはまず自分からって習わなかったか?」
少女の方を見向きもせずに、少年はポケットに財布をしまう。そんな少年の態度に手元の箒を投げつけたくなる衝動を何とか抑え込んだ少女はため息を一つすると、自らの名を名乗った。
「ここ、博麗神社の巫女をやってる博麗霊夢よ。これで満足でしょう、アンタの名前は?」
「……そうだな、
「何よそれ。まるで本当の名前じゃないみたいね」
「はッ。名前なんて大した問題じゃないだろう」
少年――尹は、吐き捨てるようにそう返す。それに対して、霊夢の方もそれ以上追及することはなかった。沈黙が二人の間に流れる。
次に沈黙を破ったのは、尹の方だった。
「ここはどこだ?」
「博麗神社よ」
「それはさっき聞いた」
「……アンタ、外の世界の人間ね?」
「さぁな。外だか中だか知らんが、鳥居をくぐったらここに来た」
「やっぱりね。ここは幻想郷。アンタたちの世界で幻想となったものが流れ着く、忘れられた者達の楽園」
「忘れられた世界……か」
尹は自傷気味に呟く。家族を失い、親戚筋もない彼は実質忘れられた存在と言っても過言ではなかったから。
学校では名簿に載っているだけの存在。近所では見て見ぬふりをされていた。ずっと昔からそんな感じの扱いを受けてきた彼にとって、もはやどうってことはなかったが。それどころか、尹本人でさえそのような扱いの方が都合がよいとしていたのだから改善されることなどなおさらあり得るはずなどない。
けれど、そんな事情を知らない霊夢は彼の腕をつかみ、彼がくぐった鳥居の方へと連れて行こうとする。
「ほら、付いてきなさい。今、元の世界に返したあげるから」
「必要ない」
「はぁ!? アンタ、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。ここはアンタのような人間の来る場所じゃない。帰るべきなのよ、命が惜しければね」
「帰るべき、ね……ふん」
霊夢の言葉を鼻で笑う尹。そんな彼の態度に、霊夢は足を止め振り返る。
「……何よ。何かおかしいことでも言ったかしら?」
「いや? ずいぶんと綺麗ごとを並べるんだなと思って」
「悪いけど、本心じゃないわ。これも仕事なの。ほんとはアンタがどうなろうと私の知ったことじゃないしね」
「へぇ? それじゃ、折角お仕事しようとしてるところ悪いが俺は帰らない」
「そ。それなら好きにするといいわ。ただ、この神社から出た瞬間、アンタは死ぬわよ」
「外の人間には耐えられない有害物質でも飛んでんのか?」
「違うわ。妖怪よ。あいつらは人間を食べ物としてとらえているからね。久しぶりの餌に興奮して襲ってくるんじゃないかしら?」
妖怪。その言葉を聞いた尹は、僅かに眉を上げた。そんなお伽噺にしか登場しない奴らが、ここには跳梁跋扈しているというのか。それとも、この巫女が嘘をついているだけなのか。
これまで不思議な現象を連続で経験している尹だったが、まだどこかこの『幻想郷』という場所のことを信じ切れずにいた。
そんな尹を見た霊夢は彼に背を向けて、言い放つ。
「嘘だと思うならその鳥居から外に出てみるといいわ。それから階段を下りてしばらく歩けば人里につく。この世界で生きるなら、そこで厄介になるといいわ。アンタが死なずにそこまでたどり着ければ……ね」
「ご忠告どうも。きっと明日には骨ひとつ残らず逝ってるだろうがな」
「ま、頑張りなさい」
霊夢の言葉を受け、尹は鳥居に向かって歩き出す。けれどその瞳には、絶望ではなく希望の光が見え隠れしていた。
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