東方自探録   作:おにぎり(鮭)

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第14話 霧中の本心

 いつの間にか晩酌の最中に眠ってしまった尹を妹紅が彼の自室へと運び終えた後も、慧音達は静かに盃を交わしていた。

いつも通り他愛のない世間話で語らいながら酒を飲む二人であったが、ふと妹紅がこんなことを呟く。

 

「なんだかんだ言っても、やっぱりアイツも年相応の子供なんだな……」

「木野のことか?」

「ああ。やたらと大人ぶっちゃいるが本当はただの子供なんだろうよ。寝言で家族の名前を呼んでたしな……」

 

 妹紅のその言葉に違和感を覚える慧音。彼女は霊夢から尹が自ら外の世界に帰ることを拒んだと言ったと聞いていたからだ。

それ故に家族とはもう完全に縁を切るつもりだったのだと思ってばかりいたのだが、そうやらそうではなかったらしい。

 

「そうか…霊夢から帰るのを拒んだと聞いていたからてっきり外に未練はないものだと思っていたが……」

「あの年頃の子供って言うのは案外一時の感情でそういう行動に出ちまうもんなのさ。きっと、頭が冷えたら帰りたくなるに違いない」

 

 そうだな、そうに違いない。と慧音は言うことが出来ず、口から出たのは何とも言えない生返事だけだった。

本当にそんな一時の感情だけで動いているのならばどうして刀など持ち歩いているのだろうか。単に自分を追いかけてくるであろう家族や他の者を撃退するつもりであれば何も真剣を持ち歩く必要はない。追っ手を脅かすにしても尹程の年頃の子供が行うには過激すぎる。

 幻想郷に来てからの行動だってそうだ。そんな一時の感情による行動にしては無謀が過ぎるものばかり。霊夢に外の世界への帰還を拒否する旨を伝え、あまつさえ妖怪との大立周りを演じてしまい、そして死にかけた。だと言うのに物怖じするどころか進んで今日の決闘を受けてしまうなど…

 そこまで考えて慧音は決心をした。

 

「やはり…ちゃんと彼から話を聞かないとな」

「アイツ、自分の身の上話なんて話しそうにないけどね」

「だが…少なくとも帰る意志があるかどうかははっきりさせておかないと」

 

 もしかしたらやせ我慢をしているだけなのかもしれない。本当は帰りたいのに帰りたいと言い出せないだけなのかもしれない。もしもそうなのであればきちんと返してやらなければならないだろう。幻想郷で彼の居場所が出来るよう尽力するつもりではあったが、本来彼のいるべき場所があるのであればやはりそこに帰るのが一番だ。

 

 しかし、と慧音は思う。帰りたいかと聞いたところで彼は素直に心の内を明かしてくれるだろうか。それこそまた変に意地を張って本心をさらけ出してはくれないのではないだろうか。こちらが差し伸べる手を取ることなく払いのけてしまうのではないかと。

 考えれば考えるほどどうすべきかが分からなくなる。何が尹にとって一番何かが分からない。だからどうしてあげればいいかも分からない。けれども、だからと言って放置すると言う方法なぞ慧音の頭にはもとよりなかった。

 

「やはり、今話してもらえること全てを話してもらわないとダメ…かな」

「慧音はほんとお人好しだねえ。あんまりお人好し過ぎて見てるこっちが心配だよ」

「そう言う妹紅だって、大分お人好しだと思うけどね」

 

 慧音程じゃないよ、と笑いながら酒を煽る妹紅はけれどもどこか愁いを帯びた表情をしていた。恐らく、昔のことを思い出しているのだろう。自分よりも遥かに長く生きてきた人物だ。きっと恩を仇で返されるようなことも少なくなかったのだろう。人は総じて、自分達とは違う存在に恐怖し、排除しようとする傾向があるのだから。

それが間違いだとは言わない。むしろ本能のようなものなのだ。それを理性で抑え込める人間はそう多くはない。

 自分だってそうだった。幻想郷(このばしょ)にたどり着くまでは…特に半妖の身になってしばらくの間はどんなに人に尽くそうとも忌み嫌われていたのだから。それでも、今はこうして人々に頼られる存在になれている。それは、とても幸せな事なのだろう。

 では、尹はどうなのだろうか? 寺子屋の子供達には確かに懐かれてきている。口も態度も悪いものの、なんだかんだと彼らの相手になっていた。その上、今日の騒ぎでは周りに被害を出さないよう…そして試合相手のあの彼にすら大怪我をさせないように立ち回っていた。

子供達にはまさにヒーローのように見えたのだろう。青年の暴走が始まってからあの場所を離れた時、尹を手伝おうと言い出す子供もいたくらいだった。

 そんなことが出来たのに、どうして彼は外からこちらへ望んできてしまったのだろうか。今慧音が見ている彼ならば外の世界に愁いを覚える事こそあれども、絶望し命を投げ捨てる真似をしようと思うことはないのではないだろうか。彼を待っている人だっているだろうから。

 それとも、そう言う人がいても耐えられないほどの苦痛が彼を襲っていたのだろうか。だとしたら…

そこまで考えた時、妹紅の優しい声が慧音の鼓膜を振るわせる。

 

 

「慧音。そんなに難しい顔してると、皺が増えるよ」 

「ん…そんなに?」

「うん。気になるのは分かる。でも、あんまり気にし過ぎるのも良くないよ。慧音にとっても、アイツにとっても」

「分かってる…つもりではあるんだけどね」

 

 自分の悪い癖だ、と慧音は苦笑する。ヒトが大好きな慧音は、どうしても気にかかる人に対してあれこれとしてあげようとするのが常だった。それによって割を食うことも少なくなかったが、彼女はその癖を悔いたことはない。いつだって慧音は人々の笑顔を望んでいたから。自分が何かすることによって、その場では無理でもいつかその人が笑顔になれたのなら。その一心で動くのだ。

 だからこそ、いつか尹にも心からの笑顔が浮かべられるようになってくれたらと思う。その為ならばできる限りのことをしようではないか。ただの自己満足としてしか受け入れてもらえないかもしれない。差し伸べた手を振り払われてしまうかもしれない。例えそうだとしても、何度でも差し伸べよう。彼がその手を握り返し、ぎこちないものであったとしても笑顔を浮かべられるようになるその日まで。

 そんな慧音を見て妹紅は苦笑する。

 

「ほんっとに、そんな性格というか役回りというか……」

「でも、その成功例が今私の目の前にいるんだよ?」

「っ! …やれやれ、そういえばそうだった」

「そういうこと。やらない善よりやる偽善。あの子だってまだ若い。試すだけの価値は十分あると、私は思ってるから」

「一度言い出したら聞かないからなあ。慧音は」

「良く分かってるじゃないか」

 

 そういって、二人はクスクスと笑う。今更お互いの腹の内を探るようなことをする必要もない。相手が何をしようとしているのか、何がしたいのか。親友である二人には口に出さなくとも大体わかってしまう。

初めは決して良好な関係とは言い難かった二人も、今では互いを理解しあえる良き友となっていた。だからこそ、二人はこの場で互いに決意する。

慧音はいつか尹の顔に笑顔を。妹紅は慧音をどんなことからも守ってみせる、と。

 

 

 

 翌日。尹が目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。それが寺子屋にあてがわれた自室だと尹が気づくのにそう時間はかからなかった。

寝起きでやや回転の鈍い頭で昨晩のことを思い出す尹。慧音たちと晩酌をしている最中に、猛烈な眠気に襲われたところまでは思い出せた。

 

(……寝ちまったんだな。藤原あたりが運んでくれたんだろう)

 

 そういえば、と徐々に冴えてきた頭がおぼろげながら昨晩の出来事をさらに思い出す。眠気に襲われ、意識を手放した直後に誰かに抱えられていた感覚があった。それが誰だったのか、まではわからなかったがとても暖かく安心できるものであったことは覚えている。

ぼんやりとした意識の中で、不意に家族の誰かの名前を呼んでいたような気もした。それ程、気が緩んでいたのだろう。

 そこまで思い出して、目を細める尹。家族。彼が失って久しいもの。祖母が死んでからというもの、もともと人付き合いの苦手だった尹は周りから孤立していたから本当の独りぼっちになってしまっていた。

寂しい、と感じたことはほとんどなかった。けれども、その代わりに尹の中の時計は祖母が死んだその時から止まってしまった。

生きがいを感じることもなく、ただただの毎日をやり過ごすだけの日々。唯一例外があるとすれば、一人自宅の中庭で剣術の修業をしている時だけだった。その時だけは、亡き祖母が傍にいてくれているような気がしていたから。

 いつまでこんな日々が続くのだろう。そう思ったこともあったが直ぐに考えるのをやめた。そんな分かりもしない先のことを憂いていても何も変わりはしないからだ。変わらないし、変えてくれる人もいなかった。

だからこそ、最後の手段として家出という形で行動を起こしたのかもしれない。もしかしたら何か変わるかもしれない、誰かが変わってくれるのかもしれないと思って。

 結果としてその願いは聞き遂げられたわけだ。こちら側に来てほんの数日しか経っていないが慧音というお人よしに会えた。本心はどうあれ、少なくとも表面上は彼を心配してくれる人に出会えた。他人を拒絶し、拒絶されていた尹にとってそれは大きなことだった。

 母親がいたら、あのような感じなのだろうか。ふと、慧音のことを思いながらそんなことを考える尹。いちいち小うるさくて、しなくてもいい心配をして鬱陶しさすら感じられるあの振る舞い。けれどもそれは、どこか優しさにあふれていて。

 

 祖母と暮らしているときは、基本気にやることさえやれば何も言われず干渉されることもなかった。尹はそれを不満に思ったことはないし、それでいいと思っていた。むやみやたらにコミュニケーションを取り合うのが仲のいい家族だとは思っていなかった。現に、必要最低限しか口を利かなくても彼と祖母は深い絆で結ばれていたのだから。二人の間に言葉はいらなかった。

 だけど、慧音と一緒にいると一緒に暮らしてきたのが祖母でなく母親であったら。きっとこんな感じなのではないかと思えてきてしまうのであった。

 

 そこまで考えて、不意に尹は祖母と暮らしたあの家が愛おしく感じられた。今帰れば祖母が鬼の形相で待っていて、ぼこぼこになるまで剣術の稽古につき合わされて……まるで雷でも落ちたのではないかと錯覚してしまうくらいの説教をされ、その後に心配かけるなと優しく言ってくれる。そんな気がした。

 そんなことはあり得ない。祖母は死んだのだと自分に言い聞かせ、それまで考えていたことを頭の隅へと追いやる。もうあの家には何もない、帰る必要などないのだ。それどころか、帰ったところで彼を待っているのは憂鬱で空虚な日々だけなのだから。だが、もやもやしたものは尹の心に巣食ったまま離れようとはしなかった。

 きっと二日酔いのせいだ。そう考え、布団から這い出して顔を洗いに部屋を出る。

井戸から水を汲み、冷たい水で顔を洗う。どこかもやがかかったような感じが頭の中から消え、心なしか視界が明瞭になった気がした。

 洗顔でさっぱりした尹は、そこで今一体何時ぐらいなのかと天を仰ぎみる。陽は既に昇っており、通りの方からはかすかにだが人々の営みの音が聞こえ始めてきていた。

どうやら、相当眠りこけていたらしい。もしかしたら寺子屋の授業が始まるまでそう時間は残されていないのかもしれない。そもそも今日も授業があるのかどうかすら分らなかったが。

 兎に角、慧音のところに行って確認しなければ。自室に戻り、今後の行動についてあれこれ思案しながら私服に着替える。

 丁度尹が着替え終わった時、襖の向こう側から慧音の声が聞こえてきた。

 

「木野、もう起きてるか?」

「ああ。今行く」

 

 襖を開けると、やや心配そうな表情をした慧音が立っていた。しかし、そんな表情もいつも通りの尹の顔を見るとほんの少しほっとしたかのように胸をなでおろす。

 

「今日は授業あるのか?」

「え…? あ、ああ。今日もあるぞ」

「じゃあ準備しねえとな…まだ時間に余裕はあるのか?」

「いや…もうすぐ始まってしまうよ。だけど最初の授業は歴史だ。資料も既に用意し終わっているし、そんなに慌てなくていい」

「そうか…すまんな。寝坊して」

 

それだけ言うと尹は慧音の横を通り過ぎて教室へと向かう。そんな彼を慧音が呼び止めた。

 

「木野…後で時間のある時でいい。少し話がしたい」

 

慧音の言葉を聞いた尹は、一瞬その場で立ち止まり何を言おうか数瞬考えるような仕草をし、そして答えた。

 

「……時間があったらな」

 

その言葉に、慧音はほんの少しだけ胸をなでおろす。少なくとも、尹から完全に拒絶されているわけではないのだと。

とにかく、これで彼からいろいろ聞くことができるかもしれない。どんな話を聞かされようと、彼が笑顔を浮かべられるようにできるだけ尽力しようと、慧音はふたたび決意し教室に向かった。

 


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