目が覚めた時、尹は布団の中にいた。何が起きたのか理解できず、飛び起きて辺りを見回す。すると、驚いたことにそこは捨ててきたはずの我が家だった。
「何が起きたんだ……もしかして、さっきまでのは夢……だったのか?」
自分を見下ろしてみれば、妖怪にやられた時の傷などどこにもなく服装も寝間着だった。先程まで握っていたはずの刀も手元にない。
だが、もしかしたら無意識のうちに帰ってきていたのかもしれないと幻想郷に行った時の服と刀を調べようと自分の部屋から出た。が、尹はそこで足を止める。否、止めざるを得なかった。
何故なら……
「あぁ○○。やっと起きたんだね。あんまりにも起きてくるのが遅いもんだから叩き起こしてやろうかと思っていたよ」
「な、な………」
そう、襖を開けた先には竹刀を持っている老婆が……死んだはずの尹の祖母がいたからだった。あまりのことに言葉が出ない尹。何か口にしようとしても、口をパクパクすることが精いっぱいの尹を見て祖母は呆れた表情をする。
「何呆けた顔をしてるんだい。早く来な。朝ご飯が冷めちまうよ!」
「ま、待ってくれ! 婆ちゃ……!」
尹に背を向ける祖母を呼び止めようと、思わず手を伸ばす。しかし、その手は祖母に触れることなく彼女の体をすり抜けていった。
だが、そんなことに驚く余裕もなく尹の意識は再びそこで途切れた。
☆
本来ならばもっと早く飛べる文だが、彼女の背で意識を失っている尹のことを配慮するとこの程度の速度が限界だった。これ以上の速度は、尹にダメージを与えてしまうかもしれない危険性があったからだ。
「やれやれ……我ながら面倒なことをしようと思ったものです」
小さくため息をつきながら、文は空を翔ける。目的地は、竹林の奥にひっそりと建てられた月の都からの逃れ者が住む『永遠亭』。そこにいる医者の
彼女は、材料さえあればどんな薬でも調合が可能でその効能は優秀極まりないという薬師が誰でも夢見るような能力の持ち主である。
彼女の腕ならば、尹の傷を癒すことなど朝飯前だろう。そう考えたが故の決断だった。勿論、傷を癒すだけであればわざわざ永遠亭に赴く必要などなく、人里で治療を受けさせればそれでよかった。が、永琳に任せた方が尹が回復するのは圧倒的に早いため、文はそちらを選んだ。
その理由は勿論、自分が個人で発行している新聞記事のネタにするため。探そうと思えば……いや、作ろうと思えばネタなどいくらでもそこらじゅうに転がってはいるが、尹は正真正銘のネタだった。
見たところ外来人である彼が、たった一人で三匹の妖怪に勝ったというのは極めて異例だからだ。それに、倒れている場所も場所だった。彼が倒れていたのは博麗神社に続く階段の下。これだけなら、特に不思議ではないかもしれない。が、彼を追っていたであろう妖怪の血痕は、階段の上の方から続いていた。
文は推測する。
この少年は確実に博麗神社を訪れていた。そして、確実にあの神社の巫女と顔を合わせている。にもかかわらず、彼は神社の外に出た。だが、いくらあのぐーたらな博麗の巫女でも、外来人が安全地帯である境内から外に出ようとするのを止めないはずがない。止めなければその人間が殺されるのは火を見るよりも明らかだからだ。
けれど、彼女はそれを止めなかった。この少年が殺されると知っていて。その理由は恐らく、何かしらのトラブルが二人の間で起こったから。結果、巫女は彼を放置した。
そして、この少年は襲い来る妖怪たちを退けた。だが、自身が受けた傷も深かったためにあそこで意識を失い、自分に拾われたのだと。
しかし、文はそれに関して巫女を、霊夢を責めるつもりなどこれっぽちもなかった。現に、神社や人里にたどり着くことなく妖怪に食われ無念の死を遂げた外来人の方が圧倒的に多いのだ。そして、外来人がいつどこからやってくるかなど、一人を除いて誰にも分かりはしないのだから。少なくとも、この少年は巫女に出会った上で、自分の意志で神社の外に足を踏み出したのだ。巫女との間にどんなトラブルが起きたのかまではわからないが、自ら安全地帯から外に出た彼を救わなかった彼女を責める必要などどこにもない。
それ以上に、今はこの少年を永琳に診せることの方が重要だった。文が今出せる限りの最高速度をもってしても、尹の命の灯が消えてしまう前に永遠亭にたどり着けるかどうか怪しくなってきたのだ。
尹が受けた傷は文が予想していたよりも深かったようだ。一応、飛び立つ前に自分の胸元にあるリボンで彼の腕を縛って止血はしたが、もともと失っていた血の量が多すぎたようだ。尹を負ぶって飛ぶ文は、背中から感じられる鼓動がほんの少しずつ、しかし確実に弱まっているのを感じ取り焦りを感じずにはいられなかった。
(これはまずいですね……あと少しですから、持ちこたえてくださいよ……)
祈りにも似た想いを抱きながら文は出せる限りの速度を出して空を翔け続ける。やがて、そんな彼女の視界に目的地の永遠亭が見えてきた。
間に合うことを祈りながら、彼女は永遠亭の玄関の目の前まで飛び続けた。
☆
「ん……? こ、ここ……は……」
次に尹の意識が戻った時、彼の目に映ったのは見たことの無い和風な天井だった。そして、同時に体に暖かいものがかけられていることにも気づく。
目覚めたばかりでぼんやりとした意識のまま首を動かし辺りを見渡すが、やはり彼の知っている場所でないのは確かだった。
「あ、目が覚めましたか?」
「……?」
ふと視界の外から声が聞こえたため、そちらの方に目をやるとそこにはブレザーに身を包んだ少女が笑顔を浮かべて尹を見下ろしていた。やや普通の人間と比べ違うのは、その頭にウサギの耳らしきものがついていることだろうか。
「お怪我の方は大丈夫ですか? 師匠の調合した薬を使いましたから、もう動かしても大丈夫だと思いますけど……」
「怪我……!! そうだ、俺は……確か妖怪に……って、え……?」
自分が最後に意識を失ったときのことを思い出し、飛び起きた尹は、あれだけ深い傷を負っていたはずの左腕から全く痛みと、異常を感じないことに驚きを隠せずにいた。
しかし、不思議な少女はそのことに全く驚く様子も見せず、むしろ安心した表情を浮かべていた。
「よかった。薬はちゃんと効いたみたいですね」
「なぁ、アンタ! 俺がここに寝かされてどのくらい経った!?」
「わひゃあ!? ちょっ……そんなに揺らさないでください!!」
ここに来て、自分の理解の範疇を越えた出来事が立て続けに起きた尹は完全に落ち着きを失っていた。その為、少女を揺さぶりながら次から次へと質問をぶつけ続け……その途中でピタリとその動きを止めた。
勿論、揺さぶられ続けた少女は完全に目を回していたが、尹にはそんなことなどどうでもよかった。それよりももっともっと大切なことを思い出したから。
体のどこにも異常がないであろうことを先程の少女の言葉から推測した尹は、そのまま部屋を飛び出す。ここがどこなのかも分からないまま、無我夢中で駆け出した。その表情には、焦り、そして恐怖の色がありありと浮き上がっていた。
(刀とお守りと財布がない……! どこだ……! どこに行った!?)
それは、彼にとって文字通り命よりも大切なもの。ただ死んだ家族の忘れ形見というだけではない。尹にとって、それらは唯一の心の拠り所だった。
刀以外はいつも、どんな時であろうとも肌身離さず持ち歩いていた大切なものが手元から失われた今、彼の精神状態は極めて不安定と言えた。
その姿は、もといた世界の彼からは到底想像できないほどのもので、まるで迷子になった子供そのものだった。
だから、尹は今いる場所がどこであるか、自分がどんな状況に置かれているのか、これからどうするのが最も賢いのか等と言った冷静な思考が全くできずにいた。ただただ、闇雲に辺りを走り回って大切なものを探し回る。
そんな彼の目の前に、一人の女性が立ちはだかる。彼女こそ、文が尹を診せた薬師兼医者の八意永琳である。
「待ちなさい。患者さんには大人しくしていてもらわないと色々と困るの。何をそんなに慌てているのか知らないけれど、今は大人しく部屋で寝ていなさい」
「悪いが、今はアンタに構ってる暇はない! 俺は忙しいんだ!!」
そう言って、永琳の横を駆け抜ける尹。そんな彼に、永琳はため息をついて振り返りながら尹が最も望んでいることを口にした。
「貴方の持ち物なら、私が預かってるわ。大丈夫、ちゃんととってあるから」
「!!? なら今すぐ返してくれ!!」
「そんなに慌てないの。返すには返すけど、今は無理ね」
「なんだと!!?」
「貴方、外来人でしょう?」
「そんなこと関係ねぇだろ!! 返せ!!」
自分の全てが詰まっていると言っても過言ではないそれらを返すことを拒否する永琳に、激昂する尹。しかし、冷静に考えれば当然だった。彼の持ち物には、刀が入っているのである。勿論、文とて刀も一緒に永遠亭に持ってこれたわけではなかったが、尹を永琳に預けた後直ぐに現場に取って返しそこに突き立てられた尹の刀を発見。取材の時に刀についても聞きたいと思った文があとから永琳に届けたのだった。
それはともかく、刀は立派な凶器。その切れ味は低級の妖怪とは言え真っ二つにできるほどの業物なのだから、永琳としてはいくら患者とは言えおいそれと返すわけにはいかない。万が一があっては困るからである。
さらに、尹は外来人である。その為、彼が永遠亭の者に危害を加えないと証明できる人物が誰もいない。それが、永琳の警戒心を余計に高めている原因の一つだった。
だが、返すべきかどうか永琳は悩み始めていた。当然、今にも暴れだしそうなほど怒気を孕ませた尹を見たせいである。
彼が危険人物でない保証はどこにもないが、かといってこのまま返さずにいれば何をしだすか分からない。どちらが永遠亭に危険を及ぼすことなく済ますことができるか……答えは明白だった。
「……分かったわ。返してあげるから、ついてきなさい」
「……!!」
その言葉を放った瞬間、永琳は自分の判断が誤りでないことを確信した。先程まで切羽詰り、余裕のない表情をしていた尹だったが、彼女の言葉を聞いた瞬間安堵の表情を見せたのだ。まだ決して彼が刀を持って暴れだす可能性が無くなったわけではないが、少なくともこれで対策を練ることは出来る状態になった。
後ろから黙ってついてくる尹を、肩ごしに盗み見る。が、その表情は何を考えているのかが分からないものだった。純粋にはぐれた親に会えるとわかり安堵した子供のようであり、同時に永琳の隙を伺う刺客のようなそれだった。
事実、この時尹は自分の荷物が手の届く位置にあることが分かって安堵していた。が、同時にそれが嘘だった時、目の前を行く永琳を……ここにいる者全員を手にかけるつもりでいた。
まさに爆発寸前の爆弾。一歩対応を間違えれば大惨事を招きかねない不穏分子に、しかし永琳は冷静さを失うことは皆無だった。既に、そういった修羅場なら数えきれないほど潜り抜けてきたのだ。今更こんな少年一人程度で怯えるほど、彼女はやわではない。しかし、今は昔と少しばかり状況が違う。この永遠亭にいる者全てが護るべきものである以上、あまり強引な手段に出るべきではないと彼女は判断していた。
「ちょっとそこで待ってなさい。今貴方の荷物を持ってこさせるから。鈴仙~! ちょっと来て頂戴!」
「はいは~い! なんですか……って、貴方ここにいたんですか……探しましたよ~」
「…………」
永琳に『鈴仙』と呼ばれた少女は、尹が目が覚めた時に彼の部屋にやってきたあの少女だった。しかし、鈴仙の言葉に尹は言葉でなく睨みを返す。
「あらあら……鈴仙、貴女嫌われちゃったみたいよ? いったい何をしたのかしら?」
「何もしてませんよぅ! だからそんな怖い笑顔でこっち見ないでくださいってば師匠!」
「何でもいいから、早く荷物を返せ」
いつも通りのやり取りをする永琳たちに、苛立ちを隠すことなく荷物を返すことを要求する尹。その言葉に、しかし永琳はそれを全く意にも介さずに鈴仙に命じた。
「と言うわけで鈴仙。彼の荷物を持ってきてもらえる?」
「了解です」
「さて……と」
「…………」
荷物を取りに行った鈴仙が部屋を診察室を出ていくのを見送った永琳は、尹の方に向き直る。その眼は、どこか人を見定める様な眼つきになっていた。
だが、その視線に尹は臆することなく真っ向から睨み返す。僅かに、二人の間に緊張感が漂い始めた。
その空気を打ち払ったのは永琳の方だ。おもむろに椅子に座ると、尹も座るように促す。彼も、一応黙ってそれに従いそこにある椅子に腰かけた。そして、どこか挑戦的な表情で尹に問いかける。
「貴方には、いろいろと聞きたいことがあるの。それと、確認したいことも。構わないわよね?」
投稿遅れました。予想した以上に大学生活が忙しく、なかなか執筆時間が取れずにいたので……
これからもスローペースの投稿となりますが、よろしくお願いします。