尹は今、人里の中を歩いていた。勿論、背中に刀を背負い、首から大切なお守りを下げた格好で。
どうして彼が人里まで来たのかという理由は、数時間ほど前の永琳との会話にまでさかのぼる。
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「なるほど……貴方もなかなか奇特な人ね」
「望んでこの世界に留まる事が、そんなにおかしいか?」
「えぇ。貴方のように、自分の命を捨てに行くような行動をした人は私は聞いたことないわね。あぁ、いや、話だけなら他にもう一人だけいたかしら」
「いるもんだな。いつの時代も、俺のような阿呆が」
「そうね。それはそうと……貴方、薬代は払えるのかしら?」
「金なら博麗神社の賽銭箱に全部ブチ込んだよ。どうせ、金なんて必要ないと思ったしな」
「やれやれ……霊夢が目を輝かせて喜んでるさまが目に浮かぶわ……まぁ、それはそれとして最低限薬代は払ってもらわないとね。これでも、一応商売としてやっているわけだし」
☆
そんなわけで、薬代を稼ぐために人里に出て仕事を探すことになったのだ。里の風景は古き良き日本の時代をそのまま再現したようなものだったが、外の世界から来るのは人だけではなく技術や文化もまたしかりのようで、カフェなどと言った尹が見慣れているものも多少形を変えているが存在していた。
辺りを見回しながら里の中を歩き回る尹は、しかし完全に周囲から浮いた存在になっていた。それは勿論、服装のせいである。彼が洋服を身に纏っているのに対して、里の人間は皆浴衣を着ていたのだ。そして、背中に背負った刀も彼の存在を周囲から浮き立たせるのを助長していた。
「ねぇ……あの人、外来の人じゃない?」
「そうだね、見たことない顔だし」
「刀なんて背負って……物騒な人」
「眼つきも悪いし……変なことしなければいいけど」
里の者の好奇と不安が入り混じった視線を全身に受け、しかし尹はそれらを気にすることなく寺子屋を探す。そんな彼に近づいていくものが一人いた。
「よぅ! この辺りじゃ見かけない顔だけど……どっから来たんだ?」
声をかけられた尹が振り向くと、そこには特徴的なマジックハットをかぶり、片手には箒を持った少女が尹に興味津々な表情を向けて立っていた。
「別に……答えたところで意味はない」
「おいおい……つれないこと言うなよ。まぁ、その恰好を見る限りだと外の人間みたいだけど?」
「分かってるなら聞くなよ。時間の無駄だ」
尹が少女のくだらない質問にウンザリしながら手渡された地図をもとに寺子屋へと歩き続けていると、やがて門に大きく『寺子屋』と書かれた札のかかっている家にたどり着いた。どうやら、本当に勉学を学ぶところらしく中からは女性の説明する声が響く。
「ここって、寺子屋か。アンタ、こんなところに何しに来たんだ?」
「……まだいたのか」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったな。私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ」
「魔法使い……ね。その箒も飾りじゃないってか?」
「あぁ! 私にとってはもう体の一部みたいなもんだぜ? こんな風にな!」
そういうなり魔理沙は箒にまたがると、そのまま宙に浮かぶ。これにはさしもの尹も驚きを隠せなかったようで、彼女の姿を見て硬直していた。
そんな彼を見て魔理沙は得意そうな表情をして、辺りを飛び回る。尹は、その姿をただただ見つめることしか出来なかった。
「へっへーん! どうだ、驚いたか?」
「……俺は悪い夢でも見てるのか」
「何を言ってるんだ? ここじゃこのくらい常識だぜ?」
「…………」
魔理沙の発言に、絶句するしかない尹。幻想郷の住人は皆空を飛ぶのかと、その情景を思い浮かべた尹はかぶりを振ってそれを打ち消した。
いくらなんでも、そんなことが目の前で起きたら彼とて正気ではいられなくなりそうだったからだ。最も、魔理沙の言う常識は外来人の尹が理解出来る領域にはないのだが。
しかし、今はそんなことに気を取られている場合でもない。早いところ仕事場所を探して、薬代を稼がなければならないからだ。永琳は彼に『十分に貯金出来てからでいい』と言っていたが、彼としては早いところツケを払っておかなければと感じていた。
それと言うのも、尹にあれだけ好意的に接してくれていた永遠亭の住人を未だ信用できずにいたからだ。勿論、永琳は利息を要求するつもりなど無かったし、薬代も外の世界に比べれば破格の金額で要求したが、尹を騙して金をだまし取ろうなどとは微塵も思っていなかった。そんなことをしたところで意味がないからである。
だが、尹の世界ではそういった不当かつ悪質な金銭問題が非常に多かったため、そういった被害に遭いたくなかったのだ。
最も、ここまで来ると慎重だとか思慮深いなどではなく人間不信といっても差支えないレベルだが、尹はそれを自覚していなかった。一人で過ごす時間が圧倒的に他人よりも多く、かつ親しい間柄の人間がほとんどいなかった彼は、人を信頼することが出来なくなっていたのだ。彼にとって信頼できる人物は今は亡き彼の祖母、たった一人しかいなかった。
兎にも角にも、まずは寺子屋にいる上白沢慧音という人物に会わなければならない。そう気を取り直した尹は、相変わらず得意げな顔をしている魔理沙を尻目に黙って寺子屋へと入っていった。
「……なんだアイツ。随分と冷めた奴だな」
「あら、魔理沙じゃない。珍しいわね、こんなところで」
「お、霊夢じゃないか。そっちこそ珍しいな、人里まで下りてくるなんて」
一言たりとも挨拶をせず寺子屋に入っていった尹を見送る魔理沙に声をかけたのは霊夢だ。普段、神社でのんべんだらりと過ごし、賽銭箱の中身が少ないことを嘆きながら自称貧乏生活を送っている彼女が、珍しいことに食材やら茶葉やらがたくさん入った竹籠を提げて魔理沙の前に現れた。
魔理沙はそんな霊夢を……というより彼女の提げている籠の中身を見て一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに何かを期待しているかのように問いかける。
「今日は珍しくたくさん買ったんだな! 近いうちに宴会でもやるのか霊夢?」
「そうね~。つい最近うちのお賽銭にたくさんお金を入れてった人がいたから、嬉しくてついたくさん買っちゃったのよ」
それを聞いた魔理沙は心底驚いたような表情をした上に、大声まで上げてしまった。
「えぇぇっ!? あの神社の賽銭箱に大金が入ってただって!?」
「な、なによ! たまにはそういう人がいたっておかしくないでしょ!」
「これはこれは大スクープじゃないですか!」
言い争う霊夢たちの所に現れたのは文だった。彼女もまた、新聞記事のネタを見つけられたことで機嫌がよく、ニコニコしながら文花帖とペンを取り出して二人の前に降り立つ。
そんな文を見て、おもむろにスペルカードの発動宣言の準備に入る霊夢たち。ただでさえあることないこと書かれて、妙な噂が立ちそうになっている等の迷惑を被っているというのに、その上こんな笑顔で現れて来られたのだから、今回こそはお灸を据えてやろうと身構えたのだった。
「あややややや!? いきなりそれはないですよ二人とも! いくら私でもお二人のスペルカードをまともに受けたら無事では……」
「大丈夫でしょ、妖怪なんだし」
「それに、ここ最近退屈だったしな。たまには撃っとかないと鈍っちまうぜ」
「えぇぇぇぇぇ!? そんなちょっと待ってくだ……」
『問答無用!! 「霊符!」「恋符!」』
「そんなぁぁ!」
「夢想封印!!」「マスタースパーク!!」
慌てて文が上空に舞い上がるも時すでに遅し。彼女を狙って発動された霊夢の夢想封印のホーミング弾に翻弄され、自慢の速度でスペルカードの射程圏外に逃れることが出来ずにいるところを魔理沙がマスタースパークで追撃する。
二人の見事なコンビネーションに、為す術無く文はスペルカードの餌食となってしまったのだった。
「ふぅっ! これで少しすっきりしたわ」
「いやぁ、久々にマスタースパーク撃ったらすげーすっきりしたぜ。やっぱり弾幕はパワーだな」
「アンタはパワーがありすぎなのよ。文が飛び上がったから良かったものの、あのまま私たちの目の前から動かなかったらどうするつもりだったの?」
「勿論、そのままぶっ放してたぜ?」
「魔理沙! アンタねぇ!」
「嘘! 嘘だって! 全く霊夢は冗談が通じないなぁ!」
魔理沙の冗談とも言えないそれに、険しい表情をする霊夢。それを笑って冗談だという魔理沙に、霊夢はため息をつくしかできなかった。けれど、それは彼女たちにとっていつも通りのやり取りでしかない。それを分かっているからこそ、魔理沙は冗談に聞こえないそれを遠慮なく口にできるし、霊夢もいちいち感情を爆発させることもないのだ。
形はどうあれ、そこには紛れもない友情があった。怠け癖のせいでろくな修行をせず、けれども有り余る才能のおかげで凄まじい実力を持つ霊夢と、陰ながら努力をしたことで霊夢に肩を並べるほどの実力をつけた魔理沙。まるで正反対の彼女たちだが、その絆はことのほか強いものだった。
「まぁ、冗談はそのくらいにしておいてだな。いつ宴会やるんだ?」
「どうしようかしらねぇ……宴会をやるとなると準備も片づけも全部私がやらなきゃいけないからなぁ……」
「いつものことだろ?」
「アンタもたまには手伝いなさいよ!」
「お前たち……そういう会話を昼間から寺子屋の前でするな」
そう言って宴会の話題で盛り上がる霊夢と魔理沙の元に一人の女性が現れる。彼女こそ、尹が探していた人物、上白沢慧音だった。
整った顔立ちに出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいる、男性が見たなら思わず目を奪われるような姿の彼女はしかし、険しい顔をして二人を睨んでいた。
「お、慧音じゃん。お前も宴会に参加するか?」
「魔理沙、ちょっとこっち来い」
「?」
慧音に呼ばれ、不思議そうな表情をしながらも魔理沙が彼女に近づいた途端、慧音はおもむろに魔理沙の頭を両手でガシッ! と掴む。その瞬間、魔理沙が「げっ!」と声を上げ、霊夢はその顔を引き攣らせた。
何をされるか理解した魔理沙は慌てて慧音の手を振りほどこうともがくものの、常日頃からそれを行っている慧音の力は想像以上に強いのかびくともしない。
「な、なぁ慧音……私たちは別にそこまで悪いことは……」
「お前たち、さっきスペルカード使っただろう?」
「べ、別に何かを壊したわけでもないんだから私たちは無実だぜ……?」
だが、魔理沙の弁明も空しく慧音は自らの頭を振り上げた。魔理沙の瞳が思い切り見開かれ……そしてゴツンッ! という音が辺りに響き渡る。
慧音が魔理沙にやったのは頭突きだ。寺子屋で里の子供たちに勉学を教えている彼女はよく宿題を忘れてくる子供に頭突きを食らわせているのだが……それが滅茶苦茶痛いと里の子供たちから恐れられているのは既に有名になっていた。
当然、異変が起きては弾幕ごっこをしている魔理沙と言えどもその威力は到底耐えられるものではなく、声なき悲鳴を上げながらその場にうずくまる。そんな彼女を見て、霊夢はさりげなく自分の住処に帰ろうと回れ右をして空に飛び立とうとして、出来なかった。
「霊夢、お前には一度しっかりと子供たちに巫女の仕事と言うものを教えて貰わなければと思っていたんだ。せっかく寺子屋の前まで来たんだし、丁度授業も休み時間が終わる頃なんだが……勿論構わないよな?」
そう言って霊夢の肩をつかんでいる慧音は満面の笑みを浮かべていた。……普段、神だろうと誰だろうと臆することなく立ち向かう彼女でさえ寒気を感じるほどきれいな笑みを浮かべた慧音が。
あまりにもどす黒いオーラを出して微笑む慧音に、首を縦に振らざるを得なかった霊夢だが、しかしそこは怖いもの知らずの巫女である。不機嫌そうな態度を隠すこともなく慧音に自分たちがなぜこんな目に遭わなければならないのか問いかけた。
「慧音、たかがスペルカード撃った位で何をそんなに怒ってるのよ?」
「たかが? 霊夢、冗談もほどほどにしてくれ。お前も魔理沙も、さっき手加減なしで撃っただろう? もしあれが空に舞い上がっていた文ではなく里の人や建物に当たったら大惨事だったんだぞ!」
「大丈夫よ、私達だってそこまで馬鹿じゃないわ」
本当に大丈夫だと保証できるのか、甚だ怪しい態度でそう答える霊夢に大きくため息をつかざるを得ない慧音。つくづく、霊夢たちにはもう少し力を持っている、という自覚を持ってほしいと願う慧音だったが、魔理沙も霊夢もそんな自覚を持つような人間でないことは既に分かっていることだった。それゆえに、慧音は再びため息をつく。
「……アンタが上白沢慧音か? 仕事を紹介してもらいたいんだが」
「……君は? 見たところ外来人のようだが」
そんなため息をつきながら寺子屋に入った慧音に声をかけたのは尹だった。実は、声をかけようにも授業終了直後で勤勉な子供の質問に答えていた慧音に声をかけるにもかけられず、教室の前で壁に寄り掛りながら待っていたのだ。しかし、そんなときに霊夢たちがスペルカードをぶっ放したため、その音で外に飛び出した慧音に声をかけることが出来ずその上珍しい格好をしている尹に子供たちが興味を示してしまったため、動くに動けなかったのである。
その為か尹は現在非常にストレスが溜まっており、初対面であるはずの慧音に向かって挨拶もなしにいきなり要件を切り出していた。
そんな尹に慧音はムッとしたが、そこは教鞭を振るうものとして大人の対応を試みる。子供たちの前で感情に振り回されるのは物を教える者としてあるまじき行為なのだから。
と、そこでやや意外そうな声を上げたのは霊夢だった。
「……アンタ、生きてたのね」
「……おかげさまでな」
「霊夢、知り合いなのか?」
「まぁね。それより、私の話が聞きたいんでしょ? やるなら早くやりたいんだけど」
「あ、あぁ……そうだな。と言うことだ、すまないがしばらく待っていてくれないか? 客間の方でくつろいでいてくれて構わないから」
「チッ……」
ほんの一瞬で終わる用事だと思っていたことが、予想外に時間のかかる事へ苛立ちを隠せず舌打ちをしながら、しかしどうしようもないことを悟り大人しく慧音の案内に従う尹だった。
そんな尹を、どこからか覗き見る者が一人。
「さて……これからどう動くのかしらね?」
彼女は静かに微笑む。しかし、その眼は決して穏やかなものではなかった。
次回更新はかなり先になりそうです。かなり予定が立て込んできたので……
それでもこの小説を楽しみしてくれている方がいるのならば、出来るだけ早くあげられるようにしたいと思います。
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