Ⅰ
関疾風が世界大会に出場し、数日振りに学校へ戻ってきた。新聞部からは取材を申し込まれ、クラスメートからはそれをネタに話しかけられる。そのことは校内だけにとどまるだけで無く、世間でも注目されていた。マスコミからも狙われているが故に、疾風は疲労感やストレスを覚えている。正直うんざりという気持ちが強かった。自分の意思とは全く関係なしに、誰かが色々と問い詰めてくる。
そんな疲れ切った疾風が屋上で休んでいると、聞きなれた声がした。
「疾風、ここにいたんだね」
整った顔立ち。それを引き立たせる様に白いワイシャツ、スクールスラックスを着こなしている男がやってくる。三年間、疾風と共にバッテリーを組んできた男、
「鈴本か」
首に巻いてある“関建設”と書かれたタオルで、汗をぬぐいながら疾風は言う。鈴本が心配するような目付きを浮かべた。
「もしかして、疲れている?」
「別に」
口では余裕を見せる為に、空元気を鈴本にしめしながら、疾風は言ってみせる。疾風自身はここ数日に付き纏ってくる人間に、かなりうんざりしていた。
「そんなことより」と、疾風が続ける。「鈴本、今後の進路の予定は?」
「僕は大学だよ、プロに行ける実力は無い」
疾風は軽く肩を竦めた。鈴本の実力であれば、プロのスカウトの目に留まるはず。自分自身の実力が無い、おごらずに謙遜的な態度なのか。それとも、自分と同じ考えがあっての判断なのか。それが疾風には分からなかった。
鈴本大輔、ポジションは投手。疾風、猛田、東條の三人と同じ高校に在籍している選手である。彼がこの高校に入ったのは、鈴本自身の選択。中学時代は六道聖とバッテリーを組み、同じチームでプレーしていた。彼女と対戦をするために、別の高校へ進学。そこで、疾風ら三人と出会った。もっとも、この出会いは全くの偶然である。
選手としては、コントロールを売りとした投球スタイル。鈴本のコントロールは、内角ギリギリを狙って投げられるほど。精密なコントロールだけでなく、マウンドでも動じない精神力を持ち合わせていた。右打者の胸元をえぐるシュート、左打者の胸元をえぐるスライダー、魔球とも言われているナックルを武器とし、直球も百四十キロ前半。
ギリギリまで球の出所が見えないフォーム、素早い打球反応速度、クイックモーションの速さ、スピードガンで図るよりも速く感じるストレート。投手として、文句の出ないレベルでのトッププレーヤーだった。
そんな彼だが、日本代表には自ら辞退を申し出た。鈴本が自分の実力が足りない、そう判断してのことである。
「そうか。僕達とは別の大学か?」
「うん。疾風は何で大学へ?」
「姉とバッテリーを組むためだね」
疾風の姉、
「なるほど」
鈴本がそう言い切ると、ドリンクを口に含めた。疾風が屋上から見下ろせば、自分達が使っていた野球部グラウンドから声が響いている。そこでは猛田がノックをしていた。はっきりと顔色こそ分からないが、頭にタオルを巻いていて、野球部の縁を持っている人間は彼しかいない。彼のノックがハードなのか、後輩部員たちは悲鳴を上げている。
「慶次の奴、結構ハードな練習をさせているな」
「猛田くんらしいね、疾風も行く?」
「当然。鈴本、お前は?」
「僕はそんな気分じゃないから、ここにいる」
「そうか。次に対戦する時、容赦はしないからな、鈴本」
そう言って、疾風が屋上を去る。
自分が野球をするためには、常に高い目標であることに超したことは無い。むしろそうで無ければ、気が済まない。六道や橘だけでなく、鈴本も相手。考えるだけで、彼のアドレナリンが掻き出しいった。自分が築き上げてきた経歴、プライド。そして、磨き上げてきた実力と精神。更に自分の限界を、引き出せる可能性を見出していた。だからこそ、鈴本という新たな敵が現れたこと、彼の内心では喜びの感情がある。
野球というスポーツは、九つの与えられたポジションを争う。レギュラーになれる人間は、各ポジションでただ一人。幾数多のライバルを蹴落とし、レギュラーの座を手にした人間だけが、スタメンとして試合に出場し、相手チームに勝利する。そして、自分の存在感を始めてアピールすることが出来る。それらを勝ち取れなかった選手は、屈辱と絶望の感情しかない。
疾風はそう考えながら部室へと向かい、慶次と共に後輩をしごいた。新たなライバルの出現、三年間苦楽を共にしてきたエースが、今度はグラウンドで戦う。意気込みが段違いに燃えていた。
Ⅱ
あの夏の日から月日があっという間に経過していった。この期間、疾風にとっては野球漬けの日々を過ごしていたと言っても過言では無い。
受験勉強は勿論、将来的に実家を継ぐ可能性を視野に入れ、建築の専門的な勉強も行っていた。また、野球面にも力を注いでいる。野球雑誌を細部までじっくりと読み上げて、有効と思った練習を積極的に取り入れていた。「セレクション」と言われる野球推薦による試験対策のために。
全ては大学へ入学した後の未来を見据えていた。練習によるブランクが原因で、自分が遅れを取ってしまうことを嫌っている。その練習の成果もあり、疾風は大学へ入学した時点でもブランクを一切見せなかった。
しかし、それは東條も猛田も同じこと。彼らも大学野球で更なる高みを目指すために、己の体を苛めていた。そこへ辿り着くまでの仮定として、あらゆる障害が大きな壁として待ち受けている。最初から躓いてしまっては、意味が無い。
いずれにせよ、遅れをとることはない。自分達のベストな状況で、いつでも踏み込める準備だけは終わっていた。そこにはどこまでも上を目指していく心意気、必ず達成すると言う覚悟が出来ていた。
高校野球を終えてからの時間を、無意味なことには使わなかった。高校よりもさらにハードルの上がることを考えれば、練習に費やすのは至極当然である。準備できることは全て終え、推薦で志望大学に入学。彼らは大学野球の門を叩いた。
大学では歴戦の強者が揃っている。高校野球で名を轟かせた選手もいれば、そうでない選手。ステップを踏んで、野球をしていった選手達が集まっている。
そして、その中から猛田と東條の二人を見つけた。
「慶次、東條。お前達もここか」疾風がそう言うと、二人に近づく。
大学になっても、猛田と東條の二人は相変わらずの仲である。食って掛かる猛田、軽くあしらう様に受け流す東條。疾風が肩を竦めつつ、いつも通りに喧嘩を止めに入ろうとする。
「あー!」
それを遮るかの如く、女性の大きな叫び声が聞こえた。振り返ればおさげが特徴的な青髪の女性、橘みずきだった。橘の隣には六道聖がいる。
「あんた達もここだったのね」
「今回はチームメイトだな。四年間、よろしく頼むぞ」
そう短く告げると二人は去る。高校野球の世界大会の時と同じく、一触即発の状態になることを未然に防いだ。
「すぐに遠くへ行っちゃったね」と戸惑いながら疾風。
「当然だ、以前の例がある」
と呆れながら、高校時代の一件を思い出していた東條が言う。
「疾風、お前も大変だな。アイツがライバルなんてよ」
レギュラー争いになったとしても、絶対に負けられない。これが疾風の答えだった。
捕手としての実力を舐めている訳では無い。レギュラー争いをするライバルが強ければ強いほど、倒す甲斐がある。「六道聖に引導を渡す」という役割が出来て、彼のやる気が高ぶっていた。中途半端な気概で臨む、そんな心配も更に無かった。もっとも、最初から抱いていた目標を覚えていた。
猛田と東條の二人も理解していたのか、これ以上口にはしなかった。
自分が生き残る道を考えている。それぞれが高い目標を胸に抱いていた。
投手を志望する選手が橘を含め、九人。捕手を志望する選手が疾風と六道を含め、六人。内野手を志望する選手が東條を含め、二十二人。外野手を志望する選手が猛田を含め、十三人。野球部に入部した人数は全てのポジションの人数を合わせ、五十人。
大学の練習はハードなものだった。野球をやるならば、頂点を狙えるチームで野球をやって、一・二年でベンチ入り、三年でレギュラーになる。そして、四年でチームの主力選手として神宮大会に出る。その目標を抱いて、新チームが始動した。
「ナイスボール。高さがもうちょい低ければ、なお良かった」
新チームが始動した数日後、疾風がブルペンでボールを受けていた。二球目も同じコースを要求し、それに投手がコクリと頷く。投手が投じたフォークボールは、スパーンと乾いた音が大きく鳴り響いて捕球された。打者への心理には有効であり、投手の気持ちを波に乗せ、更に球審を自分の有利な判定にさせるための技術。それが自分には備わっていることを投手陣に強くアピールする。
「疾風、六道がグラウンドでテスト受けているわ」
グラウンドの様子を見ながら、香澄は言った。グラウンドに目を向けると、六道がアピールしていた。肩の強さは女性選手としてはやや強め程度だったが、彼女は捕球してから送球するまでの動作が素早く、コントロールも非常に良かった。構えて、捕球して、送球する。その一連の動作がかなり鮮やかだった。
「試合の時は、チームのことで頭いっぱいだった。改めて見ると動作が速いな」
「あら? あんたも速いでしょ。けど、送球精度については聖を見習うべきだわ」
痛い所に釘を刺された。疾風も肩の強さに自信があるが、コントロールはお世辞にも良いとは言いにくい。目も当てられないレベルの送球では無いが、ボールがやや高かったりすることが多い。そのことは、誰よりも疾風自身が自覚をしている。確かに弱点ではある部分だが、それでも肩の強さでカバーできる自信が、疾風にはあった。
「じゃ、そろそろテストの時間だ。見ていてくれ、香澄ちゃん」
疾風は足早にグラウンドへ走っていった。ミットを叩いて、やる気があることを首脳陣にしっかりとアピールする。疾風の顔付きが更に真剣になった。
負けたくはない、と疾風の六道に対する抵抗心は燃えている。あの世界大会で初めて六道と出会って以来、彼女とは同じチーム。彼女に勝つために、リードスタイルを試合のビデオなどを通じて、徹底的に分析した。どう実力を見せていたかは、容易に想像が出来る。
だが、今はどうでも良かった。己の実力を相手に見せ、力を証明することを集中することが重要だ。捕手としての実力を見せる。
負けられない。今まで築き上げてきた力のすべてを、出しておくしかなかった。
緊張するだろう、疾風は思っていたがそれを感じることは無い。最初から全力を出すことだけを念頭に置いて、テストへ望んでいった。
「そこまでだ」監督が大きな声を出し、テスト終了の合図を告げた。
疾風がその指示を聞いて、監督の近くに寄る。多少の疲労感こそ覚えていたが、肩で息をするほど疲れては無かった。
「今日はもう上がって良い」と短く告げる。
「分かりました」疾風が答え、切り上げた。
監督が疾風と六道の評価を見比べる。疾風の肩は同級生で一番強かったが、やはり送球の精度は捕手希望の選手の中では低かった。(それでも平均よりやや低い程度だが)
しかし、キャッチングする技術、捕球してから送球までの一連の動作、打球処理をするフィールディング。技術面が一年にしては、完成されている。六道共々正捕手争いに、一歩先を行った存在であることは間違いない。それが監督の下した評価だった。
Ⅲ
あのテストの日から一か月以上の月日が経過していた。この期間、一年生はほとんど基礎練習や先輩の練習手伝いをしていた。
入部当初に行われていたテストの日、それぞれの希望するポジションのテストを受験した。橘は投手、東條は内野手、猛田は外野手としてのテストを受ける。橘は自信のある制球力と変化球、東條は長打力、猛田は粘り強さと勝負強さを監督にアピールする。
監督は一人一人の選手の特徴を見抜き、チームのデータをまとめた。チームに加入してきた新入部員と既存部員、それぞれのレベルに合わせた練習を考える。
そしてある日。一年を含めたキャッチャーの選手には、他校の戦力分析として二人一組で偵察を行うことが指示される。疾風と観察眼に優れる六道があかつき大学と帝王大学を担当することになった。
「六道と同じグループになるとは」疾風がため息をつきながら言う。
「私と一緒に偵察するのが、そんなに不満か?」
対照的に六道が淡々と疑問をぶつけた。
「いや、別に」
「そうか。では、相手チームの分析をするぞ」
二人があらかじめ調べた、スタジアムの死角となる席に座る。二人とも持ってきた荷物からビデオと双眼鏡、ノートとペンを取り出した。
あかつき大学は大学野球ナンバーワン投手と名高い猪狩守、その兄を支える弟の
その対戦相手、帝王大学もまた名門と呼ばれるチーム。戦力という面から見ても、あかつき大学に一歩も引けを取らないチームである。猪狩守世代の投手であり、高校でも名を轟かせた
「練習試合だが、両チームのエースが先発。お前ならどう考える、六道?」
「春の大会に向けた最後の調整だろう」
大学にもプロ野球同様にオープン戦とシーズン戦がある。猪狩守、山口賢――両者ともに所属する大学のエースという扱いを受けている。それが彼女の考えだった。調整のための登板なのか、チームとして真剣に勝つための登板なのか。どちらにせよ、データを収集するため、全力を尽くすことを疾風は考えていた。
試合は投手戦だった。猪狩守は速球主体で、タイミングを外すために時折変化球を混ぜて打者を翻弄するピッチングを組み立てる。山口賢は落差の大きいフォーク、カーブと言った変化球主体。速球を時々混ぜて打者を翻弄するピッチング。全く反対の投球スタイルを見せ、両投手共に相手打線を封じ込める。
猪狩進はそんな兄の状態を汲み取ったリードをして、相手打線に狙いを絞らせることは一切しなかった。打撃でも広角に打ち分ける技術、俊足を発揮した。
友沢亮も長打と巧打。そして、時には進塁打となる右打ち。これらを巧みに使い分けることをアピールする。守備でも三遊間の深い所からでも、一塁までノーバウンドで送球できる強肩、カバー出来る広い守備範囲を見せつけた。
更に選手一人一人がミートは上手く、堅実な守備を披露している。さらに足の速さも披露。走攻守バランスのとれた選手の集まり――それを二人は感じていた。
「試合も終わったか。そろそろ帰るぞ、六道」
「ああ、こっちももう大丈夫だ」
バッグに、レポート用紙を詰めながら六道は言った。
太陽は既に傾いている。街ではちらほらと、街灯が明るく照らしていた。疾風は帝王大学とあかつき大学の試合を振り返っていた。
猪狩進の捕手としてのタクティクス、技術を見て大学ナンバーワン捕手になれる逸材と評価される理由を自己完結していた。投手のやる気を引き出し、その投手が売りにしている持ち味を存分に引き出す。ボールを後ろに逸らさない技術、審判を味方に付けるキャッチング、状況を瞬時に判断出来る観察眼。それだけではなく、巧みな打撃技術と俊足。どの部分にも隙のない選手だった。
捕手としての偵察、彼が一番それを感じ取っていた。ほとんどは捕手としての部分を見ないで、華となる内野手や外野手のファインプレー、強打者の本塁打、投手のピッチングに意識が傾くことが多い。どのような状況でも、チームを勝つために導く。気付けば、一打サヨナラの場面でのシチュエーション、どの様にリードするか。疾風の頭の中で想定していた。
「六道」
「どうした?」
「お前なら、どうやってあの強者達を抑える? 一打サヨナラの場面と想定して、だ」
「面白いことを考えていたな。それで、こちらの投手は?」
「それは……」
疾風と六道は互いの持っていた捕手としての持論を話し合った。
試合当日の敵、自分自身を含めた味方の調子や心理を研究して、その中から最良の方法を吟味して試合を作る。捕手でしか味わえない醍醐味や、苦しみを二人で討論する。その中で、自分達が抱いていた独自の捕手理論が、有効に使用できるものが多くあった。知らない部分から次々に知識が吸収される。自分も利用してみよう、そう二人は心に決めていた。
同じポジションで、意識している相手の技術を盗む。それだけでなく、今日の練習試合に出場していた猪狩進のタクティクスを吸収し、自分も使う。疾風の捕手としての、技術や拘りが更に強くなった。
自分の実力がどれほどなのか示し、野球プレーヤーとしてまだまだ強くなりたい。自分の道で歩んで、燃え尽きたい。
この出来事が、疾風の中に秘めていた闘志を奮い立たせた。