Ⅰ
同じ大学生だとしても、格――強さの違いというものがある。そんな経験をさせられた大会だった。白薔薇かしまし学園大学との試合の後、パワフル大学は白薔薇かしまし大学と熱血大学を相手に対して、勝利収めることが出来た。
しかし、あかつき大学や帝王大学、西強大学と呼ばれるチームに対しては勢いだけで勝利することが出来るなどという甘いことは無い。三チーム共に、地力はパワフル大学よりも圧倒的に優れている。そこに名門校が勝利の為に、考えられた緻密な野球タクティクス、野球の為に時間を割いていた。全ての面で下回っているパワフル大学が、負けてしまうことは道理だった。
だが、勝利への渇望と執着心。その心がけだけは、いかなる大学にも負けてはいない。
この出来事をきっかけに、選手たちの闘気は更に燃え上がった。敗退するという苦い経験を得て、さらに強くなる決意を固める。
パワフル大学の練習がよりハードな物になった。ほんの少しでも勝率を上げるためであれば、練習量を増やし、効率の良くするしか方法は無い。何も考えずに練習をハードにしてしまうのは、身体を壊してしまう。計画的に練られた練習メニューを通じ、積み重ねていった。
それは盗塁阻止や盗塁の練習も含まれていた。俊足のランナーを想定し、刺殺をする練習。ランナーも次の塁へ進塁するために、タイミングを見計らってスタートをする練習も兼ねていた。投手が走者である疾風に対して、けん制を三回ほど行う。
「スチール!」
一塁ランナーから叫び声が響く。捕手は六道聖、走者は関疾風。投手から幾度と無くけん制をされたにも関わらず、疾風が大きなリードを取る。投球モーションを盗み、スタートを切った。
六道はスタートを切ったのを見て、左足に体重を乗せる。捕手の構えから捕球、捕球から二塁へ送球。一連の流れは素早かったが、彼女の送球よりも疾風の足の方が速かった。投手のクイックモーションも遅くは無い。純粋に疾風の盗塁技術、癖を盗む観察眼、走力が優れていたのだ。
六道は悔しさのあまり、歯を強く食いしばる。右手を強く握りしめ、彼女の手のひらの
「練習終わり!」
監督の終了と言う合図を出し、練習が終わった。すぐに六道は肩力を強化する練習を行うために、室内練習場へ向かう。一人でも練習が出来るネットスローを中心に、六道はメニューを計画立てた。
当然のことだが、無茶と言える内容では無い。自分の体を確かめ、練習の量を決める。怪我をしないギリギリの範囲で練習を始めた。捕手の構えを取り、立ち上がり、ボールを投げる。どの流れも無駄なく、効率化された緻密な動きだった。
「残って練習か、お疲れ」疾風が声をかけた。
「ああ」短く六道が返し、練習に戻る。
疾風が周囲を見渡す。六道にはレガースやミット、プロテクターが付いている。彼女の前にはネットが置いてある。肩を鍛えている――同じ捕手を経験していた疾風には、彼女のやっている狙いに気づく。昼間の練習で盗塁を許してしまった時、悔しそうな表情をしていた。握り拳を作っていた姿も、疾風は二塁ベースから見ている。
ピッチングと同様、盗塁阻止も投手との共同作業だが、捕手にも出来ることがある。相手チームの盗塁の意図を見抜き、走者にも揺さぶりをかける駆け引き。低い位置での正確な送球、捕球から送球までの一連の動作。六道には捕手としてのスキルに、非の打ち所が無かった。最後の一点、肩が強いことは除いてだが。責任感の強い彼女は、自分にもう少し肩を強くあれば刺せたことだ、と悔やんでばかりいた。
「肩を強くなりたいんでしょ? すぐには無理だ」
昼間のことを思い出しながら、疾風が言う。
「そうだろうな。だから、私は練習を積むしかない」六道がネットスローをしながら、返した。
「でも、強いと錯覚させることはすぐに出来る」
疾風が淡々と告げると、興味を持った六道が大きく反応した。「本当か!?」
「そうだ、それを教える」真剣な声質で短く言いながら、疾風がボールを手に取った。
一般的にキャッチャーから二塁への送球は、中腰から左足を前に捕球し、そのままワンステップで送球するのがセオリー。だが、疾風の場合は異なっていた。中腰の体勢のまま右足を前に出し、勢いを付加する。そのまま左足を大きく踏み出し、疾風の身体全体に弾みをつけ、ネットに投げ込んだ。
「勢いを付けて投げる。送球が上手く出来なかったから、カバーした点だ」
自身のアピールポイントの一つ、強肩。送球する時の動作までは疾風も速かった。しかし、ウィークポイントの一つ、コントロールだけはイマイチ安定してなかった。ボールがやや高く、高さのアジャストが出来ていても逸れてしまう。送球が安定しないことが、多かった。アピールポイントを活かすこと、ウィークポイントの克服することの両方を兼ねた策だった。
「なるほどな」感心したように六道が言う。
「それぞれのベース手前に投げられるならば、それが理想だけどね。六道、僕も練習お供する。こっちもタッチの練習になるから、それで良いでしょ?」
「ああ。そうだな、付き合ってもらうぞ」
六道が淡々と、だが、どこか寂しそうに返した。
自分の経験談を話してくれた感謝の気持ち。正捕手争いすることが叶わないことが出来ない無念の気持ち。この二つの感情が、彼女の中で葛藤していた。
その後も練習は続いた。盗塁を想定した連係プレーはもちろん、捕手である六道としての視点から見た、遊撃手である疾風の弱点の指摘。その逆の然り、遊撃手である疾風の視点から捕手である六道が化ける可能性を指摘した。
「六道、ちょっとワンバンで僕に投げて。その後、すぐに僕が返球する」
六道が短く頷いた。疾風の指示通り、すかさずボールをワンバウンドで投げた。そのワンバンのボールを救い上げる様に捕球した後、すぐに六道へ返球した。六道がその姿に驚き、感心するように疾風に漏らした。
「逆シングルから捕球するわけだな。お前には驚かされる」
「そういうこと」
今の様なワンバウンドの様なケースでも、常時使えるようにするのが理想だ。疾風がそう付け加えた。通常の場合であれば、ボールを後逸させないために、ワンバウンドの投球は体全体を使ってでも止めるのがセオリー。特に、ホーム付近のボールはイレギュラーバウンドが発生しやすいため、どこにバウンドするか分からない。ボールの捕球から送球までの時間のロスを減らせるが、ランナーを更に進めてしまいピンチを作ってしまうリスクを背負っていた。
それは当然、捕手経験者の疾風も知っている。逆シングルから送球するのは、大量得点の開いている時に限られていた。リスクの大きいプレーにも関わらず、彼女に教えたのは捕手としての実力を高めてほしいから、彼女の実力であれば自分以上に使いこなせると信じていたから。それが自分の一人よがりだとしても。
「僕の捕手戦術は全て教えた。それでお前の言う弱点とは?」
すぐに自分の弱点を知りたい疾風が、六道に急かすように言った。
「けん制の時のタッチプレーだ」
遊撃手が投手からけん制からボールを貰うとき、ランナー側に体を捻った状態で入り、そのままタッチする。しかし、疾風の場合は真正面からボールを受け、そこからタッチを行う。普通の遊撃手と比較しても、ワンテンポ遅かった。遊撃手としての動きが適正解により近づけるため、マンツーマンで特訓を行った。最初こそ初動が安定しなかったが、徐々にその動きになれていき、最終的には形が様になっていた。
「頭で動いている部分はあるが、上出来だな」
動作を見終えた六道が一言伝え、疲れている疾風を見る。表情こそ変えてはいないが、顔全体の汗が多かった。
軽く息を吹き、疾風がストレッチをやる。どんなに軽い内容の練習だったとしても、入念にストレッチするのは習慣となっていた。彼の隣では六道も怪我をしない様に、入念にやっていた。
「聞きたいことがある、良いか?」六道が尋ねる。
「良いよ」疾風が短く返した。
「どうして捕手を止めたのだ? お前と争えたなら、もっと刺激し合えたはずだ」
単刀直入に六道が質問する。
彼女の表情は一縷の曇りも無く、真剣な表情だった。分からないことはすぐに人に聞くのは嫌っていることを、学や教養のある六道は嫌っている。一人で悩んでしまい、考え込むことだってあった。
だが、疾風はどうして捕手をやめたのか。彼女がどれだけ考えを張り巡らせたとしても、納得のいく答えだけはどうしても分からなかった。あれだけプライドや拘りを持っていた疾風が、監督からの提案があったとはいえ遊撃手にコンバートしてしまったのか。
「話、聞いてくれるか? ちょっと長くなるよ」
幼少の頃から、疾風は体格に決して恵まれていない。どこにいっても身長が低い、という一点張りで監督からは干されていた。野球人として気躓いてばかりいたある日、投手希望だった自分の姉――香澄に提案され、半ば強制的に彼は捕手を始めた。
最初の方はやらされている感じが強く、乗り気ではなかった印象を今でも覚えている。意地になって負けない様にするため、捕手への道を歩み始めた。
ベンチ、他のポジションの場所から見る景色と比較して、異なって見えたビジョン。そのビジョンが斬新であり、のめり込むのに時間を要さなかった。
また、姉の力になれている喜びもあった。姉が活き活きと出来る姿を正面から見られるのならば、自分も全力を持ってやりたいという感情が芽生える。徐々に捕手としての結果を示していき、シニアや中学の段階では東條や猛田と言った腐れ縁も出来た。捕手は自分にとっての誇りだった。
しかし、六道聖と言う捕手が自分の目の前に現れた。心意気、技術、ほとんどの面を比較しても彼女に対する劣等感を直感的に感じ、自分の実力では勝てないことを悟った。だからこそ、生き残りをするためにコンバートという道を選択した。
「僕が……試合に出たいのを優先して、捕手を辞めた。お前の意思に応えられなくて、本当に済まない」
疾風が経緯を説明し終わると、ストレッチを終えた六道が立ち上がる。彼女の体はロッカールームに向かっていった。
「僕に怒らないのか? 必ずケジメでも付けると言ったでしょ」
「カッコつけるのもいい加減にしろ! そんな簡単に割り切れることじゃない!」
六道が疾風に対して怒鳴り、足早に去って行った。正捕手争いがしたかった。自分と同じ戦術を使う数少ない選手だった疾風が、自分と切磋琢磨し、お互いの知識を共有できれば、また違った高みが見えたはず。そんなことは自分勝手なワガママとは分かっているが、抑えられない感情が爆発してしまう。
残された疾風はただ後悔していた。
茫然自失の状態に近く、脱力状態だった。こうしても仕方ないと考え、自分自身を奮い立たせる。自分なりの懺悔だったが、彼女の逆鱗にどれだけ触れたことか。彼の脳裏にハッキリと残っていた。
「伝え忘れちゃったか。すぐに追いかけないと」
そう言ってすぐに自分もロッカールームへ行った。
Ⅱ
怒りに身を任せた六道は、すぐにロッカールームを出て帰路についた。疾風が自分のレベルアップの為に、捕手の技術を教えたこと。そんなことは分かりきっていたのに、どなってしまった自分にただ後悔していた。しかし、その疾風の気持ちを理解しながらも捕手としてライバル争いをしたいという感情が疼き、もう叶うことが無いことに大きく憤りを表した。気が付けば、大学近くにある橋を目的も無く歩いていた。
「姉ちゃん、良い女じゃねえか。一晩、俺らに付き合わない?」
チンピラの一人が六道に声をかける。人数は四人と少ないが、逃げ道を無くすために彼女を取り囲んでいた。
手馴れている、と六道が直感的に感じ取る。人の少ない夜の時間帯、目撃者が少ないこの状況では助けも呼べない。自分の目の前に虎が現れ、逃げ道が失ったかの如く彼女は恐怖している。歯を食いしばらなければ、ガチガチと震えそうだった。
「お前達、何を馬鹿なことを言っているんだ?」六道が必死に声を出した。
「良いね、強がっている姿勢。気が強い女はもっと好み」
チンピラの一人が六道の腕を掴み、そう言った。
「ちょっと待った!」疾風が大きく叫んだ。
六道の所へダッシュで駆け寄るが、相当な距離を走ったのか、既に肩で大きく息をしている。「練習終わりの体にしんどいね」
「誰だ……って関!?」チンピラの一人が驚いた。
「ちょっと見ないと思ったら、こんなことやっていたのか。到底まともな堅気とは言えないね、座子川」
「何なんスか、このチビ?」チンピラの一人が問う。
「こいつ……、中学の頃は腕っぷしのあった奴だ。野球を再開してから、見なくなったんだが」
「なつかしいね、慶次とシマ争いした過去。ちょっとだけ昔を思い出しちゃったよ」
周囲にポキポキと聞こえるように、指の骨を大げさに鳴らしながら疾風が言う。ドスの効いた声でもう一押し言った。
「その子には、今後も野球をやって貰わないと困る。夢を潰させはしない」
座子川を鋭く睨みつけ、疾風は勢いのままそう言った。
「ひい。テメエら逃げるぞ!」座子川が部下にそう告げ、逃げ出した。
ふう、と軽く一息をして疾風は落ち着かせた。流石に四人を一人で相手にするのは、ただでは済まない。自分が無傷で済まされることは無く、野球部にも何かしらの影響が必ず出てくると懸念し、内心では冷や汗が止まっていなかった。何も考えずに勢いだけで行動する自分が珍しい、疾風は自身の行動を省みて結論付けた。
「誰かに見られたくないね。さっさと行くよ」
六道に告げ、彼女の手を強引に引っ張って走り出す。彼女のペース、体力、表情などを窺いながら走った。しばらく走っていれば、人気のいない商店街の狭い隙間道に入る。野球道具を持って走っていたので、肩で大きく息をする。
「す、すまない。助かったぞ」息を整えながら六道は言った。
「いや……。たまたま通りかかったのと、過去のツケが回って来たからね」
疾風が繋いでいた六道の手を離す。人ごみの多い場所にいれば、先程のようにナンパをされる危険性も少ない。後は普通に六道と別れ、疾風は帰宅するはずだった。
「待ってくれ。今は遊びたい気分だが、付き合ってくれるか?」
珍しいな、と疾風は思う。
普段は真面目な性格をしている六道。彼女の方から誘って来るのは珍しい。単なる気分転換なのだろうが、疾風には新鮮見える。彼女からの誘いを受けることにした。肩の息を整えてから、隙間道を出て商店街内を歩き始めた。
商店街の灯りの中で、何軒もの飲食店が店を開いている。一銭でも多く稼ごうと、一人でも多くの客を呼ぼうと、キャッチの人間が宣伝をしていた。商店街の日常を観察しつつも、二人はただ歩く。帰宅途中であろうサラリーマン、OL、女子学生、様々な層の人間がいた。どの居酒屋で酒を飲むのか、会社の上司に対する愚痴、ゲームセンターによって行こう、層によって会話の内容も異なっている。
そんな情景を観察しつつ、二人は互いの近況を話しながら歩いた。野球と距離を離れれば、二人ともかなり柔らかい物腰だった。疾風も六道も忙しくはあるが、充実した大学生活を送っている。一緒に話していて面白いという気持ちがあった。普段は知ることが出来ない環境を、互いに知ったことは斬新だった。
「六道、クレープ食っていくか?」
しばらく歩き、屋台を見つけた疾風が六道に問いかけた。最初はためらっていたが、六道の腹の虫が鳴り響く。彼女が恥ずかしさで顔を真っ赤にして、黙って頷いた。おかしかったのか、疾風は軽く口元を緩めながらクレープを二人分購入する。疾風が両手でクレープを受け取ったのを確認した後、六道は疾風の右手に持っていたクレープを手に寄せ食べた。疾風が六道の行動に驚き、戸惑う。
「何をしている? 早く行くぞ」六道が急かすように言う。
「分かった。これ、渡しておくよ」
六道に食べられた方のクレープを渡しながら、疾風が同意した。受け取った六道が「ありがとう」と短く感謝する。ゆっくりと食べられる場所として、公園まで歩く。ベンチを見つけ、腰をかけた。
「きんつばも良いが、クレープも良いな」堪能した六道が、満喫した様な声で言う。
「ああ。それだけ、他の甘いものを口にしてなかったことだ」
疾風が軽い口調で返した。「違いないな」
「よし。食ったら、体を動かしたくなった。近くのバッティングセンター行くか?」疾風が六道を誘う。
短く「ああ、そうする」と一言伝え、頷く。
バッティングセンターに着いてから、単純に飛距離を争うような勝負、どちらがより正確に同じポイントに打てるか技術を競い合う勝負など、何ゲームか行う。このときには六道も疾風も体は疲れていた。疾風が自動販売機でスポーツドリンクを二つ購入し、先にベンチで休んでいた六道に手渡す。
「美味い。運動した後の飲み物は良い」嬉しそうに六道が言う。
「そうだな」疾風が同意した。
「甘いものも欲しいな、アイスも買ってくる」
そう言い、貰ったペットボトルを置いた六道が立ち上がる。
「気が利くね」
「褒めても何も出てこないぞ」六道が動揺する。
「素直にそう思った」
「だから何も出ないぞ?」ちょっとムッとした声質で六道が返した。
六道は優しい、可愛いという言葉を言われる機会が少ない。むしろ、男勝りで試合でも積極的に声を響かせる姿に、相手チームのメンバーが戸惑う方が多かった。過去に味わった自分の経験からの判断であり、疾風の言っていることが嘘であることと考えている。その事実を疾風に初めて話した。
「人間、着飾らない方が楽じゃないかな?」疾風が六道に反論した。
もちろん、疾風自身も六道の詳しい過去を知らない。だが、六道聖が野球選手である以前に、女性であることを周囲が分かっていなかった。今の六道は周りの評価を気にしすぎていて、それに突っ張ることに必死で見失っている。同じように、疾風の姉の香澄や六道の同期の橘にも言えることだった。世の中には、彼女たちの長所を大切にしてくれる人が必ずいるはずである。そして、六道自身は誰よりも野球を純粋に愛していて、本当は優しい人間だと疾風は信じている。一人の男の見解として、疾風自身が六道に抱いている感情をハッキリと伝えた。
「そ、そうか」
戸惑った六道が、疾風の勢いに押されながら返す。ありがとう、と短く伝えると逃げるようにして売店へ向かった。残った疾風はバッティングしている他の客を観察する。自分も昔は必死にボールに食らいついて、野球の為だけに色々と試行錯誤を繰り返してきた少年時代を思い出していた。
疾風は自分自身が、野球の才がある人間かそうで無いかは分からなかった。仮に才がある人間側だったとしても、才能だけでここまで上手くなれたとは思っていない。常に
「待たせたな」
六道の声が聞こえ、疾風が振り返る。両手にソフトクリームを持っており、右手にあった分を疾風に渡した。
「その……先程は済まなかった」六道が謝罪する。
「室内練習場の時のこと?」
疾風の問いに六道が黙って頷いた。
「気にしてないよ。でも、六道にしか出来ないことを一つ頼んでも良い?」
「私にしか出来ないこと?」
首を軽く傾げる六道に対し、「そうだ」と疾風が頷く。
疾風が抱いていた夢は、捕手として限界まで突き進むことだった。だが、コンバートしてからはその夢は潰え、自分の手で叶えることはもう出来ない。自分の見ることの出来なかった世界をどうしても託したかった。六道に頼むこと自体、押しつけとさえ捉えられる。疾風も充分に理解していた。
「分かった。お前の想いは受け取った」
それでも六道は承諾した。彼女は、疾風から託されたことを誇りに思っていた。疾風の意思を継ぎ、自分のやり方で叶える。夢というものは、人から人へと受け継いでいく。だからこそ、疾風の夢を潰させるわけにはいかなかった。
「サンキュー、僕はもうちょっと打ってから帰るよ」
ならば私も、と六道も言ったが疾風はそれを許さなかった。明日のこともあり、体調をしっかり管理しなければならない。何より、疾風自身が一人になりたかったから。
ソフトクリームを平らげた後、六道は帰路に着く。彼女の後姿を見届けた疾風は、ベンチで寄りかかっていた。これで捕手としてもやるべきことはやった、もう後悔は微塵も残って無い。しかし、頬からは静かに涙が流れていた。清々したはずなのに、何故こんな訳の分からない涙が流れるのか。バッティングセンターに一人残っていた疾風は、自分がばかみたいとの感じていた。