2月15日の今日はバレンタインデーの翌日。その午前10時。
僕は執務室で一人静かに机に向かい、手紙を書いている時のことだった。
ノックの音もなしに叩きつけるようにしてドアを思いっきり開け放ったのは、艦娘の『戦艦ビスマルク』だ。
彼女の姿は黒を基調とした制服と帽子を身につけ、腰まで伸びる長く美しい金の髪が僕の目にうつる。その絹糸のようなサラサラとした髪は見ているだけでも心を奪われ、さわり心地はまるでウットリと幸せな夢を見せてくれるほどに素晴らしい。髪の金色は、世界中のなによりも色鮮やかでどんな絵画よりも魅力的で心の底から惚れてしまう。見るたびに天使の姿を連想するほどに。
そして170cmほどある身長と豊満な胸、丸みを帯びた可愛らしいお尻。雪を思わせるような白い肌。目は吸いこまれそうなほどの深い青の色をしている。
20歳代前半の大人の魅力を感じる外見で、僕と同じぐらいの身長をしているものだから近づかれると顔が近距離にあるから緊張してしまう。
出会った当初は、目線が同じ位置なために変に緊張したものだ。
そんな彼女はやる気に満ちている顔で、廊下からの冷たい空気と一緒にツカツカと足早にやってきては僕の机に勢いよく両手を叩きつけきた。
「Guten Tag、Admiral! 私が恋人になれば、提督の問題は最終的に解決されるわ!」
何の前振りもなく、唐突に聞かされたその言葉は自信たっぷりに言ってくる。
そんな彼女に、僕は溜息をついて返事をする。
「ドア、閉めてきて」
寒い空気は我慢できなかった。
◇
ビスマルクが部屋にやってきてから30分が過ぎた。
手紙を書き終えた僕は、チョコが入っている机の引き出しにしまって彼女の用事を聞こうと顔をあげる。
彼女は部屋の隅にある暖炉の前で回転椅子を置いて座っていた。燃え盛る炎を眺めつつ、しょんぼりしてる姿は若干の罪悪感を覚えなくもない。
真横から見る、憂いを帯びた横顔はまるでいたずらをして怒られた少女のようだ。寂しげな横顔は素敵に見えてもう少し眺めたくなるけども、待たせ続けるのも悪いと思いってその考えは思いなおす。
声をかける前に、部屋にやってきたときのことを思い出す。
彼女は僕の『問題』を解決することができると言っていた。だが悩みとはなんだろう。ビスマルクのことだから、華やかな問題についてだろうか? 恋人がどうとか言っていたから恋愛問題。……ああ、僕が金剛から恋愛的なアプローチをされているということか。まだ提督になったばかりで25歳の若造だというのにチヤホヤしてくる艦娘が何人かいて困っている。
問題について推測をしたところで、声をかけようとするといつのまにか彼女と目が会っていた。
考え事をしていたために、こちらを向いたことにも僕がずっと彼女を見てしまっていたことも気がつかなかった。
「終わったよ」
この言葉を聞くと彼女は跳ね上がるように立ち上がり、僕の元へ早足でやってくる。そして、入ってきたときと同じように、机へ両手を叩きつける。
「恋人関係になれば、提督を悩ます女性たちからのアプローチや思わせぶりな態度で頭を悩ませる必要はなくなるわ」
部屋に来た時の最初の言葉が、今と繋がる。
恋愛の悩みはどんな数学問題よりも難しいと思う。恋愛に対する全ての悩みは、完璧な解決なんてものはない。
よって、ビスマルクの提案は『問題解決』ではなく『問題解消』ということになる。
少々乱暴的だ。
「そもそも、どうして恋人になれば問題解決になるんだい? むしろ他の女性からの嫉妬が増えると思うんだけど。ああ、これは僕が僕の思っている以上に女性ウケがいいという仮定での話だけれど」
「提督はかっこいいし人気があるからそこは大丈夫よ。それで、疑問に思っていることを疑問で返すのは失礼だけどあえて言うわ」
「どうぞ」
そう言ったらビスマルクは一旦机から離れ、暖炉の前から椅子を持ってきては僕の正面へと置いて、背筋をピンと伸ばして座った。
彼女は自信に満ちていた表情から、真面目な表情へ変わる。
「提督は、女性に対して悩むことの限界を考えることはできる?」
女性に対しての限界?
それは僕に対して好意を持っている艦娘たちの行動や考えを、対処しきれないのでは、ということか。
僕が男である以上、考えられるものと考えられないものがあるのはわかる。男と女では悩むポイントと問題の大きさが違うから。
つまり、限界とは。
僕が彼女たちに対しての考えうることのできる予想、言葉の範囲。それらを含め、女性に対しての限界は考えられるかということだろう。
「それは考えられないというのが答えだね。限界の向こうがわかるなら、限界という言葉は使えないから」
ビスマルクはこの答えに満足したのかわからないが、深く頷いた。
「女性に対しての限界がわからない、ということは思考することだけでは解決できないということよ!」
彼女は椅子の上でくるりと一回転して綺麗な金髪をなびかせて、改めて僕の机を両手で力強く叩いてくる。
僕は彼女の興奮した様子とは反対に、冷静で話を考えている。
そもそも問題の前提が間違っている。
僕の問題というのはビスマルクが言っていることよりも、もう一歩深い。
「……その、僕は女性が苦手なんだ」
「それがどうしたっていうのよ」
「君が僕の問題を解決するって言ったけれど、今まで言っていた問題とは別なんだ。僕は君のそばにいるだけでストレスを感じて胸が苦しいんだ」
彼女から顔をそむけ、静かに言うとそれにショックを受けたのかビスマルクは何も言わずに硬直しているようだ。
こうしている今も胃が痛い。
ストレスを感じる。
女性相手に何を言えばいいのかわからない。何を求められているのかわからない。僕の一挙一足が見張られていて、常に成功しなきゃいけないと思ってしまう。
自分自身のプライド、もしくは失望させたくないという考えからこの問題は発生している。
「たとえあなたのストレスになろうとも嫌われようとも、私はあなたを諦められないわ。むしろ、さっきよりも恋人になりたいと思っているのよ。お互いに幸せと苦しみを分け合ってこその恋人なのよ?」
僕は口を開き、何かを言おうとしたが彼女のぶれないまっすぐな目を見ていると何も言えなくなった。
ビスマルクに対して、頭に浮かぶことはどれも小さな不満だけで言葉に出すには不適切だ。
彼女に対し、語る言葉を持たない僕は静かに彼女を見つめることだけをする。
お互いがお互いを見つめて言葉もなく、目で語りあう。
ビスマルクは自分の感情に素直になりながらも、僕を救いたいという気持ちを感じる。昨日、ビスマルクにはチョコ付きのラブレターを渡された。手紙の内容はただただ僕を心配することだった。不器用ながらも、上司や艦娘たちとの会話を助けてくれる。会話下手な僕にはとてもありがたい。
ビスマルクの恋人提案は実利から見て良いものだ。だけれど、僕は彼女に対してあげれるものはない。一方的に利用してしまう。
先ほど書きあげた手紙はラブレターの返事で、断る内容を書いた。
「ビスマ―――」
「言葉がダメなら行動であらわすわ」
ビスマルクの告白を拒否しようと言い始めるも、椅子に座っている僕の横へゆっくりと歩き、僕の顔を胸の中にうずめてくる。
むせかえるほどの女性の匂い。ほのかに温かく、大きく柔らかい胸の感触を顔全体で感じる。
「あなたは頭で考えすぎるからダメなのよ。もっと感情で動いてもいいと思うわ。失敗を恐れすぎるほど、成功は遠ざかるものよ」
子供をあやすような優しい声と頭を撫でるくすぐったい手の感触。
それらを感じていると心が落ち着き、全てをビスマルクにゆだねたくなる。こんないい思いができるのならビスマルクと恋人になってもいいかなと思いかけてしまうが、僕は気を強く持ってビスマルクの体を押しのける。
押しのけられたビスマルクは僕の手を掴み、長く美しい髪を触らせてくる。
「私はあなたになら、この髪を好きにされてもいいと思っているわ。だって、あなたは私にとって本当に大切な人だもの」
「そこまで思われるほどの人間じゃないよ」
「いいえ、素晴らしい人よ」
ビスマルクは髪を触る僕の手をそっと離してきて、僕に背中を向けて2歩3歩と歩いたところで立ち止まる。
「私がドイツから来て満足に日本語も喋れなかったのを、親切にしてくれたじゃない」
彼女が鎮守府に来た当時は誰もが遠巻きに見て、関わるのを避けようとした。でも僕は違った。天使と思いそうなほど美しい金髪に一目惚れをし、彼女と関われば他の人と関わりが減るという考えの元で近づいて仲良くなった。
女性が苦手だったけれど多少の我慢をすれば、より大きい我慢をしなくて済んだ。
僕にべたべたと近づいてくる艦娘たちもあまり来なくなったし、上層部からはビスマルクを僕に任せてくれて艦隊の戦力が増えるという良いことがあった。
だからこそ、彼女への罪悪感がある。僕は彼女のことを好きではないから。
「あれは迫ってくる女の子たちから逃げるために利用したんだ」
「それでも私は嬉しかったわ」
僕へと首だけ振り向いて、微笑む彼女は嬉しそうに言う。
「私の髪を褒めてくれたのはあなただけだったから。だから、私はあなたが欲しいの。あなたがいれば、もう寂しくならないわ」
顔を見て声を聞いたら僕の心は大きく動いてしまい、恥ずかしくなって顔をそらす。
彼女が近付いてくる足音が聞こえ、僕の顎をそっと掴んできては顔を正面へと動かされる。
動かされた先には、ビスマルクの整った顔が近くにあった。唇を突き出せばキスをしてしまいそうな距離に。
あまりの近さに僕は動けなくなり、ビスマルクの真剣な目だけが僕の視界にうつる。胸が痛いのは女性が嫌なストレスからきているのか、鼓動の痛みなのかがわからない。
それから十数秒ほど経った頃、僕から離れてさっきとは打って変わったかのようにとても申し訳なさそうな表情になった。
「えっと、その、悪いことをしたわ。女性がダメだというのなら、今のは相当嫌だったのでしょうね。……本当、悪かったわ」
早足で部屋を出ていこうとする彼女を、僕は立ち上がって彼女の手首を掴む。驚いたビスマルクに僕は言う。
「確かに嫌だった。でも僕は君との関係をくずしたくない。女友達のような関係を」
意を決して、緊張で胸を痛くしながら言いきった。
言われた彼女は驚いた表情のまま固まっている。今の状況を信じれないのだろう。
決意した言葉を信じてもらうために、机の引き出しからチョコと手紙を取りだす。
ハート形の手のひら大の大きさのチョコは可愛いハート模様のピンク色の包装紙に包まれ、おしゃれなリボンでラッピングされている。これは昨日、バレンタインの日にビスマルクから渡されたものだ。
ラッピングを解き、黒いチョコを一気にバリバリと食べきる。
次に手紙。先ほどまで書いていた手紙の内容は、昨日もらったラブレターの返事だ。返事は『恋人にならない』という内容。
最初、部屋に来た時は、すぐに返事をしようと思ったが臆病な僕は返事をできなかった。でも臆病のおかげで助かった。そうでなければ、僕はこうしてビスマルクに心を開こうとすることもなかった。
だからこそ手紙が必要なくなった今、破ろうと手にかけるもビスマルクの手が僕の手を掴んで止められる。
「なに?」
「私宛なんでしょ。もらうわ」
止める暇もなく手紙を奪われ、目の前で堂々と読まれていく。
相手を嫌う手紙を読まれるのは恥ずかしいと思うよりも、とても申し訳なく気まずい気持ちになる。
読み終わるまでビスマルクの表情を見つめながら待つ。
彼女は表情がピクリとも変わらないまま淡々と読み、手紙を服の中にしまってから彼女は一言こう言った。
「あなたってバカね」
慈しむ表情で言われたその言葉でなんだか救われた気持ちになる。今まで僕が彼女に思っていたことを許されたようで。
「この手紙を渡されていたとしても私の想いは変わらないわ。だって、私は言葉で表現しきれないあなたが好きだもの。言葉によって語られることもだけど、言葉で語られないことも重要なのよ?」
ビスマルクの言葉を聞くと、彼女になら身を任せてもいいと思う。
その時、僕は部屋に来たときのビスマルクを思い出す。言った言葉は自信に満ち溢れていて、心が少し揺れ動いてしまいビスマルクを頼ってしまいたくなるものだった。でも手紙を書いていたときだから、そっちにまで気が向かず詳細を覚えていない。
ビスマルクになんて言ったかを聞くと、不満げに言ってくる。
「私が想いを込めて言ったことを忘れたのね?」
「ごめん。もう一度お願いできるかな」
僕から数歩離れ、「仕方ないわね」と言ったビスマルクは両手を腰にあて、胸を張って大きな声で元気に言う。
「私が恋人になれば、あらゆる問題は解決できるわ!」
最初に聞いた言葉とは若干違うけれど、その自信たっぷりな言葉は僕を安心させてくれた。
これから彼女と一緒の時間を生きていきたい、と。