梅雨も終わる7月の上旬。
1日経つごとに暑くて苦しく、けれどもその暑さが嬉しい夏がやってくる。
時刻は午前5時。太陽は昇り始めたばかりで朝はまだ涼しい。
海軍の攻勢作戦が終わったあとの連日続いたデスクワークからも開放された提督の俺は、運動不足解消のために早朝ランニングをはじめた。
鎮守府の敷地内にある提督用アパートから、運動不足解消というかっこよくない目的のために一人で出かけようとしたところを、俺と仲がいい五十鈴と長良に偶然見つかった。彼女たちは早朝散歩というやつをしているところだそうだ。
その2人は俺に待つように言うと、寮まで走っていき数分としないうちにおそろいの緑色なジャージを着て戻ってきた。
そして俺と五十鈴、はりきっている長良を連れて鎮守府を出てランニングをはじめた。
予定では鎮守府内をぐるぐると回るだけだったが、長良が「海岸を走りたい!」と言う勢いに負けた。でもそれで良かったかもしれない。
ところどころある雲の隙間から朝日の太陽は綺麗だ。空気も澄んでいて、機械や船の音が聞こえない。風も気持ち良く、呼吸するのも爽やかな気分。体を動かすというのも楽しい。学生の頃を思い出すようだ。
気分も軽く、長良と五十鈴のペースに釣られて俺は普段から決めているよりもだいぶハイペースで走った。
―――それがいけなかった。
20分走っただけで3週間ほど運動をしてなかったために、足が痛くて呼吸も苦しい。
額には汗がぶわっと噴き出し、自然と足が遅くなる。
俺の先を走っていた2人は、俺に気付いて戻ってくるとそれぞれが俺の腕を引っ張ったり、後ろから体を押してくれた。それでとりあえずは海風が気持ちいい海岸までやってきた。
3人で一緒に砂浜へと行き、俺はすぐに腰をおろして荒い呼吸を整えながら海からのぼりつつある太陽を眺める。
五十鈴と長良は俺が動かない様子なのを見て、2人揃って掛け声をあげながら楽しげに砂浜を走り始めた。
そんな姿を見て、これが若さか、と30歳の自分に落ち込む。
それからボケーと何も考えることもなく海を眺める。聞こえる音は風と波の音。それに五十鈴と長良の声を出しながら走る音。今、この瞬間は仕事や面倒な人間関係、何もかもを忘れることができる。
「隣、座っていいかしら?」
「ご自由に」
俺に声をかけてきたのは五十鈴。ランニングを終えたらしい彼女は、荒い息をしながら俺からちょっと離れたところに可愛く体育座りをする。
ぼうっと何も考えずに海を眺めはじめた彼女を、俺はじっと見つめる。
絹糸みたいな美しい黒髪は白いリボンで髪を結ってツインテールにしていて、腰に届くほど長い。
15、6のような顔をしていて、肌は若い子らしいもちもちすべすべな肌だ。機会があれば長々と触りたいぐらいに。
胸は左右とも形が整っていて、動くたびに揺れるほど大きい。それに目を取られることがたびたびあるのは男として仕方がない。
俺がじっと眺めていたことに気付いたのか、前髪をかきあげた五十鈴は俺へと顔を向けてくる。
顔についている汗や上気した顔は少々色っぽく感じ、一人前の女を思わせる匂いを感じさせてくる。
「何か用があるのかしら?」
「すぐ近くで五十鈴を見るのは初めてだから、ついじっくりとね」
冗談めかして言うと五十鈴は小さく声をあげ微笑みを浮かべる。
俺は五十鈴から海に顔を向ける。隣にいる五十鈴も海をまた見始めた気配を感じる。
2人で会話もなく、砂浜に打ち寄せる波の音を聞きながら海を眺める。
何も考えずに海を見るのは日ごろの疲れが癒されるようだ。けれど1人で眺めているときは途中から寂しさがやってくるが、隣に五十鈴がいる今はそんなこともない。
艦娘の中で最も仲がいいのは五十鈴だが、これほど近くにいるのは初めてだ。
いつもは部下との距離を一定以上取ることにしている。
それは深海棲艦と戦争をやっているから。いつの日か死んでいなくなるであろう彼女たちに、情を入れないようにしている。その時が来てしまったら、きっと俺は立ち直れなくなってしまい提督をやめてしまうだろう。
「提督」
「なんだ」
「キスしよっか」
なんてことのないように言う言葉に、声をあげることを忘れて五十鈴の顔をまじまじと見つめてしまう。
見つめてくる目はひどく澄んでいて、いたずら心も好奇心も感じられない。表情は何かを決心したのか力強く、それでいて穏やかだ。
今まで俺に恋愛アピールはあったが、こんなに過激なのはなかった。何か伏線でもあったかと考えていると、五十鈴の手が俺の肩へと伸びてきたので慌てて立ち上がりその手をかわす。
「長良、長良!」
名前を大声で叫び、助けを求めてあたりを見回すも走っているはずの長良が見当たらない。
その時、注意がそれていた俺の足を五十鈴は掴んできたと同時に強く引っ張ってきて転ばされた。そうしてから、素早く体に乗りかかってくる。
先ほどの穏やかな表情とは違い、今の五十鈴は顔が紅潮して息が荒くなっている。なぜ興奮しているかまったくわからない。
「落ち着いて欲しいんだけどなぁ、五十鈴さん!?」
俺の頭を両手で掴んで、力強く唇を俺に押し付けてこようとする五十鈴の頭を押さえながら叫ぶ。
けど、五十鈴は返事をしない。そのままお互いに全力に力を入れ続け1分。
かろうじて勝った俺は五十鈴を横に転がし、仰向けになって太陽が昇った朝の青空を見ていた。
おとなしくなった五十鈴は、俺のすぐ隣で深いため息をつく。
「五十鈴が変な行動を取った理由は聞かないの?」
「聞かないほうが俺にとっていい気がしてな」
そう返事をし、今度は邪魔をされることなく考え事をする。五十鈴がなんでキスをしようとしてきたか。
普段から艦娘たちとは一定の距離を取る俺に対しての好意。仲良くしすぎないように心がけ、物理的接触はしないように日頃から努力しているし、ふたりっきりという状況も作らないようにしている。
それが徹底しすぎたからか、五十鈴が暴走したかもしれない。
でも足りない。それ以外にもなにか理由があるはずだ。突然すぎる行動にでたことが。長良がいないのも意図的で、前もって打ち合わせをしていたのだろう。
「あなたが悲しそうな顔をしてたからよ」
考えをさらに深めようとしていたら、ひどく寂しさを感じさせる小さな声で言ってきた。
「時々、あなたは五十鈴たちを見ては寂しそうな目をするわ。そんなのを見てしまうとね、なんとかしてあげたいと思うのよ。あなたが一定の距離を取ろうということを知ったうえでね」
隣から手を伸ばしてきた五十鈴は俺の頬をそっと壊れ物を扱うかのように優しく撫でてくる。
俺は何も言えずにされるがままになっていた。
彼女たちと近づきすぎないようにとしていた行動が、逆に彼女たちを心配させていたことに落ち込む。艦娘たちの提督という仕事をしている以上、非道にでもならないと仲良くなってしまうのだろう。
五十鈴の言葉を聞いて考えた俺は答えを出す。
心配させない程度には心を開き、彼女たちに一歩あゆみよることを。
いつか来る別れがあるのなら、避けることはせず受け止めよう。
彼女たち全員のことを大事にし、彼女たちのことを見てみよう。
「はぁ……提督とずうっと一緒にいたいなぁ」
「1人が気楽でいい」
「寂しくなったらどうするの? 五十鈴と一緒ならいつでもどこでも甘やかしてあげるわよ」
にんまりと笑う五十鈴に俺はデコピンをおでこへと強くする。
痛がる五十鈴はおでこを手で押さえずに俺の胸へ頭を乗せては呼吸し、匂いを嗅ぎ始めるという変態ちっくなことをし始めた。
呆れた俺は文句を言う元気もなく、嬉しそうににやついている五十鈴の顔をじっと眺めていた。
それからお互いに俺と五十鈴は見つめあう。
五十鈴から感じるよい匂いにドキドキしながらも心が暖かくなる今の時間が愛おしい。
それから長良がのんびりと歩いて戻ってくるまでは五十鈴の髪をなでたりして、いちゃいちゃしてしまった。
「いすヾのトラック」の曲を聴きながら考えた話。
シンプルで印象に残るCMが好きです。