76人もいる艦娘たちの補給申請が終わったのは午前10時52分。
弾薬と装備を要求するだけなのに4日間もかかって少し嫌になった気分を解消するために僕は外へ出ている。
黒い軍服から作業着にも着替えずにやって来たのは、鎮守府の隅っこにあるビニールハウス。
高さ2m・幅2.7m・奥行き4.7mという小ささだけど、僕だけの神聖なる場所だ。
4月中旬の晴れでも肌寒い空気だけれど、ビニール越しに感じるあたたかい太陽の光は気持ちがいい。
その光に暖められて、ハウスにあるミニトマトたちも実に土臭くていい匂いを出してくれる。27歳という僕の歳でそれはじじくさいといわれるけど、農作物を見るのは心が落ち着く。
ミニトマトのプランターだけでハウス全部を埋め尽くし、プランター同士の隙間も少なくて歩くのも苦労するほどにたくさんある。
棚がなくて全部が水平で同じ高さにあるのを見下ろすのは、小さな世界の支配者となって楽しくなる。
仕事の隙を見つけては水やりと薬をかけるのは楽しい。植物という生き物を自分の手で育てあげ、自分で食べる。
今年で3年目になり、トマトの育て方も段々と慣れてきた。
これから実がついてくるのが楽しみだ。
育っているミニトマトの葉や茎の感触、それとビニールハウスいっぱいに広がる青臭い植物の匂いを楽しんでいると、慌ただしく走ってくる足音が聞こえて扉が力いっぱいに開かれる。
その遠慮も何もない行動に普通なら怒るところだが、そもそもそんなことをしてくるのは1人しか知らない。
扉のほうを見ると、涼しげな空気と共にやってきたのはビスマルクだ。
20歳ぐらいの外見で、僕と同じ170cmほどの身長がある彼女は、輝くような鮮やかな金色の髪がとても素敵だ。
外からの穏やかな風に、腰まである長い金髪と制服がほんの少し揺れるのは僕の心を惹きつける。それと左手薬指に僕とおそろいの銀色の指輪があることもあって。
「帰ってきたわ提督! 執務室にいないと思ったらやっぱりここにいたのね。それで今日はちょっとした講義だけで終わったのだけど―――」
「おかえり。話の前にこっちにおいで」
息を切らせて汗を流しているビスマルクを呼び寄せると、ポケットからハンカチを出して顔の汗を拭きとっていく。
笑顔で元気よく喋っていた彼女は、ハンカチが触れると目を閉じて気持ちよさそうな表情になる。
その顔を見ていると幸せな気分になり、自然と頬が緩む。
顔の汗を丁寧に拭き取り、ビスマルクの頭を帽子越しに軽くポンポンと叩く。
「手間を取らせたわね」
「楽しかったから大丈夫」
「どういう意味よ」
「さぁ?」
不満げに言うのをからかうようにして返事をする。
いつでも元気で気が強いビスマルクがしおらしくなる姿は新鮮な気分になる。
でもそんなことは教えない。教えてしまうとプライドが高いビスマルクのことだ、完璧に身だしなみを整えてから僕の前に現れてしまうようになるだろうから。
結婚と同棲をして2年目。まだまだ新婚気分が抜けない僕は顔を見るだけで嬉しくなる。
「で、今日の予定はなにかあるかしら」
「僕の? うーん、夕方に遠征の子たちを迎えるくらいかなぁ」
「今日は予定に余裕があるのね?」
「うん。それで来た時に言いかけたことってなに?」
「そう、そうよ。ちょっと聞いて、提督!」
話の内容は教習所のことだった。
ビスマルクが部下になってから3年目。
僕と結婚したビスマルクは、私生活でもっと僕の役に立ちたいと言うようになって教習所に通い始めた。
ドイツでの免許は持っていたものの、国際免許がなかったから1から勉強をして頑張ってくれるのは嬉しく思う。
「明日から仮免なんだけど、講師のおばさんがひどいの! 私に日本のマナーとか文化、習慣について説明してくるのよ!?」
ビスマルクが僕のところに来たときはカタコトの日本語に、日本文化についてあまり知らなかった。
でも今ではずいぶん慣れている。
春は桜を見ながらお団子を食べ、夏はスイカの種を飛ばす。秋は山菜取りに行って冬はこたつでみかん。
そんな日本人以上に日本を満喫している子だ。だから改めて言われるのも面白くないのだろう。
両腕をいっぱいに広げたり殴る仕草をしながら愚痴を言い続けるビスマルクを、僕は微笑ましく思いながら聞く。
10分ほどたった頃に全部の不満を言いきるとすっきりとした顔になるけど、恥ずかしかったらしくすぐに顔が赤くなる。
「僕はまだ時間かかるから先に戻ってて。あ、お昼は一緒に食べたいから迎えに来てね」
これ以上恥をかかせないように僕はビスマルクに背を向け、ビニールハウス内に置いてあるハサミを取る。
プランターの前に行き、しゃがんで剪定作業をしようとするとすぐ隣にビスマルクがしゃがんでくる。
「……大変そうだから手伝ってあげるわ」
「そう? じゃあ、これ」
まだ顔が赤いままのビスマルクが小さく言うのが可愛くて、笑いそうになるのを我慢しつつ持っていたハサミを手渡す。
予備のハサミを持ってきた僕は、初めて園芸をするビスマルクに丁寧に教えてあげる。わき芽を切るのはおいしいミニトマトを作るためで余分な栄養をまわさないようにすること。自分が食べることになるものについて世話をすることの楽しさ。
一緒に並んで同じことをするのは初めてだから、僕はついたくさん喋ってしまう。
「あなたと結婚してから2年も経つというのに、私との会話以外でそんなに嬉しい笑顔を初めて見たわ」
深いため息をついて落ち込む様子を見て僕は慌てて、何か言わなければと考える。
「掃除も家事も満足にできず、あなたを世話することもできない。そう、戦うことしか能がない私が結婚するなんてこと自体がおかしいことに気付くべきたったのよ。そうしたら、あなたは私以外の人と結婚して―――」
ミニトマトの幹をジョキジョキと切り落としていくのに悲鳴をあげる寸前までいったけど、それを強引に押しとどめた。
とても悲しげで、目には涙が浮かびはじめたビスマルクに大声をあげることはしたくないから。
どんどんと負のスパイラルに陥っていくのは見るに耐えられず、僕はハサミを放り投げてビスマルクを抱きしめる。
その勢いでビスマルクは倒れてお尻を地面につけるが構わない。頭を僕の胸に押さえつけ、帽子が落ちていくのも構わずに髪を力強く撫でる。
「僕は君が好きだから結婚したんだよ。君はドイツが誇る戦艦の艦娘だろう? ビスマルクが戦場でばっさばっさと敵を片付けるのは報告書を読むだけで胸が躍るんだ」
「……でも戦うことしかできないのが辛く思うわ。私はあなたに料理も洗濯も満足にできないのに」
僕はビスマルクを体から離し、両肩に手をそっと置く。
「主夫になりたいんだ、僕は」
「主夫ですって?」
「うん。ビスマルクだけを支えて、ビスマルクのためだけに生きたいんだ。……まぁ、提督をやめたら結婚も解消されてしまうからできないんだけどね」
僕の言葉を聞いて安心したように微笑むビスマルクは自分の目元を手でこする。
「それを聞いて落ち着いたわ。提督が暇になるほど私はもっと頑張らないとね。もう朝から夜までずっと」
「充分に頑張ってると思うけど」
「夜の営みのことよ。さっさと私に溺れてもらいたいものだけど」
僕の腕を取り、大きな胸を押し付けてくる。やわらかい胸の感触で、胸に目がいくのを理性の力を持ってして首ごと視線を動かす。
ただでさえ惚れている僕が、これ以上になってしまうと仕事どころか人生に支障をきたしてしまう。
「あら、どうしたのかしら? 人と話すときは目を見ないとダメなのよ?」
楽しげにからかう口調になったビスマルクは、僕のあごを掴んで顔を向けさせようとしてくる。
僕はそれに抵抗して意地でも動かさないと決める。
次第にビスマルクの握力が強くなってきて、あごが痛くなるばかりだ。
力で振り離すのは難しいし、素直に顔を向けることはプライドが許さない。
息を浅くつき、ビスマルクに顔を向けると唇に向けてキスをする振りをする。そうするとビスマルクは一瞬だけ驚いたものの、すぐに目を閉じて口を閉じる。
僕はそれから2秒だけ時間を置き、おでこに軽くキスをする。
そのキスでビスマルクは目を見開き、ひどく恨むような目と顔付きになる。
僕はハサミを素早く片付けて立ち上がり、逃げるようにビニールハウスの外へと出ていく。
恐る恐る振り返ると、僕をにらみながら帽子を頭にのっけて立ち上がる姿が。
「今日の食事は僕が作るから家に戻ろうよ」
謝罪と日ごろの感謝の気持ちを込めて手を伸ばすと、ビスマルクは僕の手を掴んだかと思うと勢いよく歩き始めた。
直前にかろうじてハウスの扉を閉めれたけど、他には何もできずにされるがまま。
僕の手を引っ張って先を行く彼女の表情はわからず、どうすればいいか考える。
「夜はふたりっきりでお酒でも飲まない?」
「……いつものレッドアイ?」
「シャンディ・ガフでもパナシェでも!」
立ち止まり、顔を向けずに返事をするそれはビールカクテル。
言った順にトマト、ジンジャーエール、ソーダ+レモンのカクテル名だ。
お祝い事、もしくはビスマルクがすっごく疲れたときに僕が趣味で作っているもの。
それを今日飲もうと言った。
反応が止まったのを不思議に思い、手を掴まれたまま回り込むとさっきまで怒っていた顔が『ニヘラッ』という擬音をつけてもいいほどにゆるんでいた。
いつものキリッとした顔もいいけれど、ちょっとアホっぽい顔を見るとなんだか落ち着く。本人に言うとすごく怒られるに決まっているので言わないけれど。
「しょうがないわね、提督ったら。いいわ、昼間から付き合ってあげようじゃない」
「夜だってば!」
顔がゆるんだまま、元気よく歩き出すビスマルクに引きずられるように歩きながら思う。
誰かが自分のために日頃から頑張る姿を見ると嬉しくなる。それが仕事だけでなく私生活ともなるとなおさらだ。
だから僕はお返しとして甘やかしたくなる。
どんな時でも君の笑顔が見たいから。
1人ずつ、きちんと話を書こうとすると自分では多くの艦娘たちのことを書けないことを知った。