溶けるような暑い日差しの夏も過ぎ去り、少しずつ秋の気配が近づいてきた9月下旬の朝。
俺は執務室が入っている5階建てな建物の屋上へ来て、屋上のフチにある腰までの高さの柵に寄りかかっては下に広がる鎮守府を見下ろしている。
鎮守府内にある道路には、秋の特別練習ということで戦艦と空母の艦娘たちをぐるぐると敷地内を走らせている。
普段着ている制服から、半袖の体操着とブルマで走っている艦娘たちを見るのは実に心が躍る。
それをもっと間近で見たいが、真面目な提督というイメージ像を持たれているためにそれをくずさないよう妥協してここで静かに楽しんでいる。
いつもと違う、というのは心がときめくものだ。
普段はロングヘアーの艦娘は走る邪魔にならないようにとポニーテールになっていたり、健康的なイメージを持つブルマから見える白い太ももの付け根はとても良いものだ。
また、制服でわかりづらい胸の動きが体操着だとよくわかって眺めるだけでも楽しい。
仕事の息抜きとしてはいい光景だ。この光景を見れて俺はなんて幸せなんだ!
にやにやして走る艦娘たちを見ていると、着ている白い軍服の裾をちょんちょんと引かれた。
結構前から隣にいた女の子を見下ろすと、彼女はとてもつまらなそうに艦娘たちを眺めていた。
身長180cmの俺より頭ひとつちょい小さい彼女の姿は、ツインテールの髪は腰まで伸びるツヤツヤな赤毛。それに肩から脇の部分が大きくひらいたワンピース風の制服。健康的な褐色肌もあって多少はときめく。けれど、足りない色気と控えめすぎる胸は強く興味を引きつけない。
そんな彼女の名前はリベッチオ。
愛称はリベだ。
イタリア娘の彼女は、俺が走る艦娘たちを眺めていつのまにか隣に立っていた。
何をするまでもなく、ただ俺と同じく艦娘を眺めているだけだった。
邪魔にならなかったから放っておいたが、こうも静かにしているのは不気味だ。
普段は陽気で『ぼんじょるのー!』と言ってきては抱きついてきたり触りまくってくるはずなのに。
それがどうだ。
アンニュイな表情で元気な気配のかけらさえも見えない。
あまりの沈み込みように心配になった俺は、リベの頭に手を置いてぐしゃぐしゃと撫でまわす。
いつもならこれで騒いでくれ……るはずだがうっとうしげに撫でる頭を強く払われて、ショックを受ける。
リべが俺の手を払っただと!?
あまりの出来事に心は深く傷ついてしまったがそんな心の痛みはすぐに癒される。
リベから視線を外して下に向けると、ビスマルクが走っているのが見えたからだ。
普段はストレートヘアだがポニーテールにしてある髪型はぴょんぴょん揺れ、大きな胸も揺れる。
その上下に動く姿は素晴らしく癒され、タバコや酒以上にいい気分になる。
ビスマルクさえいれば、俺の生活は格段に向上しているのだ。
「あー、ビスマルクはいいなぁ」
「なにがいいの?」
ここに来てから初めて喋ったリベの可愛い声は、低く不機嫌そうだ。
ふむ。これはビスマルクのよいところを知らないからだな。
「教えてやろう。ビスマルクは胸が大きいし、特にあの輝くような金髪は最高だ。性格もドジっ子やアホの子成分が多いのもいい。声もいい。つまりは、全部いい!」
「秘書にでもして毎日見てればいいのに」
「それはなぁ……」
深い深いため息をつく。以前秘書にしていたビスマルクとはコーヒー飲み仲間だ。それで話す機会も多いが、その時に言われたことがある。
『提督は友人として最高の男ね』
ビスマルクに対して恋愛感情を持っている俺は、それを聞いてから秘書を交代制にした。ビスマルクをずっと秘書にしていると恋愛感情が暴走するからだ、間違いなく。それで嫌われでもしたら俺は提督をやめるぐらいに考えている。
中学生並に恋愛心が弱いぞ自分。
「なんでお前に言わなきゃいかんのだ。ああ、それと俺が惚れていることは内緒にしてくれよ?」
リベに振り向き、人差し指を口の前に立てて内緒をお願いすると彼女は俺に振り向いて人差し指を右手で掴んでくる。そして、憂鬱な表情から一転とてもいい笑顔になる。そう、いたずらを思いついた子供のような。
「いーやっ!」
「は?」
「提督さんの想い、リベが伝えてきてあげる!」
人差し指から握られた手が離れ、そう言ってリベは屋上のドアまで素早く走っていくのを俺は呆然と眺めていたが、リベがドアノブに手をかけたところで意識が戻る。
リベ経由なら冗談だと思われるに違いないが、そんなことをビスマルクに意識されてしまったら関係がちょっぴり変わってしまうかもしれない。
「待て待て言うんじゃない! 内緒にしてくれるならなんでもしてあげるから!!」
悲痛な声を聞いてくれたのか、リベはすぐさまドアノブから手を離して俺に向かってゆっくりと歩いてくる。
さっきの笑顔とは違い、今の笑顔は違う意味を持っているように見える。
そして後悔する。焦ってた俺は『なんでもしてあげる』と言ってしまったことを。
さっきの約束はなし、と伝えればそれでおしまいだがそれだけでは終わらない。小さい子に対して約束を守らないと長いあいだ恨みを持つこともあるし、約束を守らなくなることもある。
1人恐怖していると俺の前に近づいてきた彼女は手を伸ばして俺の軍服の襟を掴んでくる。
そうして俺の頭の位置ががリベに近づいてくると、彼女は小さい唇を俺に近づけてくる。
突然の行動を回避するため、俺はリベの頭を掴んで胸に抱きしめる。
「うがー! なにするのよー!」
じたばたと抱きつかれている状態から離れようとしてくるがそれに構わず深呼吸して聞く。
「おい、今何をしようとしてた?」
「キス」
「なんでだ」
「イタリアじゃキスは挨拶だよ?」
「ここは日本だ」
頭を掴んでいた手を肩にまわして俺から離す。肩にまわされた手をはねのけようとするリベと掴もうとする俺の戦いが始まる。
「なんで嫌なのさ、リベは提督のこと好きだよ。だからキスしてもいいじゃん!」
「キスは恋愛感情でするもんだっての。お前のは親か兄に向ける感情だろ」
抱きつく抱きつかれないという数十秒に渡る戦いを終え、荒い息をつく俺とリベ。
俺は小さい子に恋愛感情なんてない。好きなのは巨乳で金髪で美女で大人の女なんだから。
「だいたいなんで伝えてこようとしたんだ。俺は静かに恋愛したいの!」
「だって振られるのわかってるし。それに『傷心した心を癒すのは女の務め』だって。そこが狙いどころって聞いたもん!」
「……誰から聞いた」
「ローマさん!」
もはや怒る気力もなくなる。彼女の恋愛感情というのは年上のお兄さんお姉さんに憧れるのに近いと思う。
小さい女の子の想い。それは一時的かもしれないし、ずっと続くかもしれない。本気かもしれない。
でも、こうも純粋な想いを向けられるとそれはむずがゆくて心が満たされるようだ。
溜息をつき、リベの肩から手を離してまた頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。それを嫌がるようすもなくされるがままになっている。
そして、今日一番の笑顔と大きな声でこう言ってきた。
「提督さん、大好き!」