春には少し遠く、まだまだ寒い2月の中旬。
空は雲ひとつなく、明るい太陽の光が窓を通って執務室へと入ってくる。
時間は昼を過ぎた午後の1時ちょい。
外からは昼休憩が終わった艦娘たちの砲撃訓練の音が少し聞こえてくる。
その音と一緒に部屋の隅にある暖炉からは薪がパチパチと爆ぜる音が聞こえ、ゆらめく炎と暖かさが眠気を誘ってきている。
眠るのにいい環境が整っているこの執務室は、提督が普段の時間をじっくりと潰す場所だ。
そんな部屋に、提督である俺は寝る準備していた。
板張りの床に畳を1枚敷き、そこに布団を乗せる。
やることは昼寝だ。
昼飯を食ったあとは眠くて仕方がない。
急ぐ仕事もなく、艦娘たちの出撃や遠征など心配することもなく安心して昼寝をできる時間ができている。
秘書である那智は俺と交代で食事をしにいった。大体1時間は戻ってこないはず。
だから俺は寝る。
昼間から寝ることができるのはそう多くないから、小さな幸せというやつだ。
用意が終わり、廊下へと行ってドアノブに『睡眠中』という札をかける。あとは暖炉に薪をいくつか入れて寝ているあいだに火が消える心配もなくす。
そうして昼寝の準備が完了した。
俺は服がシワになることも気にせず、靴を脱いで布団に素早く入っていく。
布団の中はちょっと冷えているが、すぐに体温で暖まってきた。28歳にもなると体が睡眠をよく求めるようになってきて、とても気分良く感じてくる。
でもひとりで寝るのは少しさびしいと思いながらも、暖かい布団の中で穏やかな気持ちになって意識がゆっくりと沈んでいった。
……ふと、シャンプーのいい香りを感じた。
それにつられて寝ている意識がゆっくりと起きて、段々と感覚が戻ってくる。
そう、それは誰かに優しく抱きしめてもらっている感触とほのかな暖かさ。
目を開けて薄暗くなっていた部屋の中で隣を見ると、そこにはマックスの寝顔があった。
中学生ぐらいの容姿な彼女の顔は可愛らしく、ワンピースタイプの制服を着たまま布団に入っている。
普段からかぶっているベレー帽は布団のそばに置いていて、ショートボブで綺麗な赤毛の髪がよく見える。
俺の体を抱きしめてくれている体は小柄で、胸は控えめ。
いつもはキツい目や口調だけれど、今はとても可愛い寝顔をしている。
それを見るとつい微笑んでしまう。
そして手が勝手に動き、髪を優しく撫でてしまおうとするのを理性で強く抑える。
1度手を出してしまうと、遠慮がなくなってしまう。それに妹のように思っているマックスから嫌われるのはかなり嫌だ。
そもそも添い寝をしてもらう理由だってまったくの偶然からだ。
―――あれは5カ月前のことだ。
あの時も今日と同じように布団を敷いて執務室で寝ていると、ドアノブに札をかけわすてていたために遠征任務の報告をしにマックスがやってきた。
寝ている途中だったために意識は覚醒していなく、考えることもなくやって欲しいことを素直に言ってしまった。
『添い寝してくれ』
そう言ったら、すぐに書類を置いて俺の隣で転がってくれた。
添い寝をしてくれたことに満足した俺はまた睡眠を求めて意識をなくしていった。
次にしっかりと起きたときにはマックスに謝ったが、彼女は嫌がるそぶりもなにかを要求することもなかった。
その日から俺が寝ているときには、いつのまにかやってきて添い寝をしてくれるようになった。
少し前のことを思い出しながらも、なんで添い寝をしてくれるかの理由を聞けないまま今に続く。
聞くタイミングがなかなか掴めない。
自分の度胸のなさにため息が出るも、暖かい布団とマックスがすぐ隣にいてくれるという嬉しさにそのため息を出した気分もすぐになくなった。
気合いを入れて布団の外に出ると、寒さで体が震えながらも部屋の明かりをつける。次に暖炉へ行って置いてある薪を投げ入れる。
そうしているときに、寝ているマックスの息が漏れる音が聞こえてきた。
まだ幼さを残す顔なのに色っぽくて、色気の使い方を覚えたら男なんて簡単に扱ってしまいそうだなんて怖いことを考えてしまった。
暖炉の火が強くなり、ちょっとずつ部屋の温度もあがってきた。
過ごしやすくなった執務室でこれから何をしようかと考えながら執務机へ行くと、そこには1枚の紙が置いてあった。その紙には秘書である那智の字が書いてある。
内容は『寝ていたので起こさなかった。午後4時半に戻ってくる』ということだった。
机の上にある置き時計を見ると時刻は午後3時48分。
寝たときは1時を少し過ぎたときだったから、大体2時間は寝たことになる。
軽く伸びをし、椅子に座って書類仕事を始める。
やっつける書類は、艦娘たちの外出許可申請。普段は鎮守府から出れない艦娘たちが外出するために必要なのがこれだ。けれど、申請してもすぐに許可は出せない。
鎮守府を出る目的、場所、日時を確認する必要があるからだ。
反政府活動や軍を批判する集会がその日その場所にないかとか、どういう祭りやイベントがあったりするかを調べる必要がある。
怪しい外出申請は不許可にしたり、尾行がついたりする。
だから慎重にやる必要がある。
このことでよくよく艦娘たちから恨みごとを言われるが、提督というのは恨まれるのも仕事のひとつだ。精神が辛くなるが耐えなければいけない。
1枚目の書類を始めて少しした頃にマックスが布団から体を起こすのが見えた。
「おはよう」
「……もう夕方なのだけれど」
声をかけるといつもの落ち着いた声で返事をし、マックスはすぐに布団と畳を部屋のすみっこへと片付けた。
それが終わると俺の隣へやってきた。
俺は書類をひっくり返し、中身を見えないようにする。
真面目すぎるほど真面目なマックスだから、見ても悪用はしないだろうけど個人情報だから隠さないといけない。
マックスは書類には興味なかったようで、机の上にあるペンや本などをじっくりと見つめている。
その時に気付いたが、マックスに仕事している姿をしっかりと見せるのは初めてだと気付いた。
いつもは添い寝が終わるとすぐにいなくなるから。
「お前、たまには外出しとけよ」
「出かける必要性が見当たらない」
艦娘たちのなかで1人だけ外出申請を出したことのないことに文句を言うが、すぐに返事を返してくる。
公私混同になってしまうが、添い寝をしてもらっている礼に外出申請をしても1度だけは自由に許可してやろうとしたのに。
出撃や演習、遠征をさせても文句をなにひとつ言ってこないからストレスが溜まっていると思う。本人が気付いていないだけで、心の疲れは気付くことが難しい。
そして気付いたときには一気に精神がダメになってしまう。
「買い物があるだろ」
「売店で充分」
「気分転換してこいよ」
「鎮守府の中は色々な人と物があって面白いわ」
なんとかして外出許可を申請させようとしたが、考える間もなく返答されるとこっちが困ってしまう。
誰かに外へと連れていってもらおうと思ったが、行く気もないのに連れだされても嫌がるだけだろう。
「お前の頼みなら難しくてもやってやるぞ?」
「別に出かけたいところなんて……」
俺が困ってるのを見てか、マックスは俺から視線を外して何かを考え始めたようだ。でも、それは数秒で終わった。
「もう帰るわ」
「今日もありがとうな」
マックスの淡々という言葉に、感謝の気持ちを込めて言葉にする。
小さくうなずきを返すと、静かに扉を開けて部屋から出ていく。
1人になった俺は書類仕事へと取り掛かった。
午後5時になり、帰ってきた秘書である那智の手伝いもあって提出されていた全員分の書類が終わった。
机の上には本や雑誌が散乱していて、今日明日は観光地のことをまったく聞きたくない気分になる。
椅子に思い切り背を預けて気を抜いていると、書類を持った那智が艦娘たちに申請書類を返すために部屋から出ていく。
その時に、那智と入れ替わりにマックスが部屋へと入ってくる。
手にはなにかの書類を持っていて、表情はなぜか困っているように見えた。
珍しく書類を持っているから緊張しているのかな、と思って俺はマックスへ手招きするとため息をつきながらやってくる。
渡された書類は外出申請書類で、初めて持ってきたことに嬉しくなる。
部下になってから2年4か月。休みを取るということは心に余裕ができたということでもあるから。
さっそく書類をやろうとするけど、マックスは机の前にいたままだ。
「時間かかるから帰ったほうがいいぞ?」
「いい。ここで待っているから」
「悪いな。ソファーで待っていてくれ」
そう言うと小さくうなずいてソファーに座ってくれるが、俺へと向いているソファーで静かに俺を見つめてくる。
見られていると仕事にやりづらいが、それに耐えながら書類をやり始める。
それから10分がたつ。
マックスの今月と来月の外出希望日を見ると何かの法則があるような気がする。
不規則でありながら規則的。どうしても気になって考えると、あることに気付く。
俺の休日と一緒なことに。
偶然にしてはおかしく、故意だとしたらいったいどういう理由があるのだろうか?
「マックス」
「なにかしら」
「これ、俺の休みと同じなのは理由があるのか?」
不思議に思ったことを質問すると、マックスは立ち上がって頬がほんのりと赤くしながら俺のすぐ隣へとやってくる。
近くに来たマックスは目を合わしたかと思うと、次の瞬間には目をそらす。
マックスを見つめていると、決心してくれたのか小さい声で喋ってくれた。
「……提督と一緒に出かけたいからよ」
妹のように思っているマックスから言われると、焦りの感情がやってくる。
頬の赤さとたどたどしい言葉で愛の告白かと身構えてしまう。
俺の警戒する反応に気付いて、マックスは慌てて言葉を増やす。
「兄として。そう、提督のことを兄として見たいのよ。優しくて安心できて信頼できる人を。添い寝をするのも安心できるし。でも艦娘の私が提督のことを兄だなんて思うのはあまりにもおかしいことだと自分でも―――」
「嬉しいよ」
そんなふうに親しく思ってくれるのは嬉しい。
いつも添い寝をしてくれるのは兄のように思ってくれるからなのか。
でも疑問がひとつ頭に浮かんでくる。
添い寝を続けてくれるのは兄のようだから、というので説明できるけどそもそもなんで添い寝をしてくれるんだろうか。
「マックスのことは妹のように思っていたから、兄と思われるのは素直に嬉しい。でもなんで添い寝をしてくれたんだ?」
「それは、その、他の子たちを見る目がとても優しかったのが……。あんな目で私も見て欲しかったの。甘えたことがなかったから、1度もそんな見てくれなかったわ。だからもっとあなたに近づいていれば優しくしてくれると思ったのよ。だけど、私の考えは間違っていたわ」
「え、俺、なにか変なことしてた?」
「そうじゃないわ。私が変になっていたのよ。あなたと一緒の、短い時間だけれど一緒に過ごす添い寝の時間は嬉しかった。だから気付いたの。もう近くにいるだけじゃ……」
マックスは目をつむり、深呼吸をした。
そうしてから目を開けて、俺の目をまっすぐに見てくる。
「
それはドイツ語の言葉。胸に手をあてて言うそれは感情が強く入ったものだ。何を言っているかはまったくわからない。
自分の国の言葉なのはとても大事なことだからだと思う。
「
俺は驚きながらもその言葉を静かに聞いた。
それから顔をまっかにして荒い息をついているマックスの息が整うのを待つ。
「……日本語で言うのなら、大好きなあなたの妹になりたいと言ったようなものよ」
「マックスみたいな可愛い妹なら大歓迎だよ」
手を伸ばし、マックスの絹糸のような柔らかい髪を優しく撫でつける。
それを何度かしているうちに、俺から離れて手の届かないところに移動した。
恥ずかしがっているのを可愛いと思い、俺は仕事へと戻る。
「にいさん」
すぐマックスに呼ばれて振り向くと、勢いよく抱きついてきては俺のおでこへと触れるか触れないほどのキスをしてきた。
頬を真っ赤にし、自分の口元へ恥ずかしそうに手を当てるマックスを見るが何が起きたか頭がうまく理解してくれない。
今やってことについて聞こうと口を開いた途端、マックスは全速力で部屋から出ていった。
俺は頭を抱え、いま起きたことについて悩む。
唇ではなく、おでこへのキスだというのにやけに心臓がドキドキしてうるさい。
俺は大人なんだから顔を赤くする必要はないだろ、まったく。さっき妹のようだと言ったばかりじゃないか。
そう自分に言い訳するも、マックスがしてくれたキスで頭の中がいっぱいになっている。
日本と違って、ドイツでは兄と妹ではキスするのはおかしくないんだ。
きっとそうに違いない。
そんなふうに強引に思いこみをし、何度も深呼吸をして心を落ち着けようとする。
もっともそれで落ち着くわけもなく、今日と次の日も俺は恥ずかしさと嬉しさが混ざった感情で仕事をすることになってしまった。
兄と妹、その関係はもしかすると恋人なんてものより凄く気を使うんじゃないかと思った。
ドイツ艦娘だからドイツ語を使いたかった。
ドイツ語と訳は不安。