新しい年度が始まった4月の春。
まんまるな太陽が出て爽やかな青空が出る日。
でも冷たく弱い風が肌へと吹きつけてくる肌寒い日の午前8時。
俺は戦艦の艦娘たちと鎮守府のすみっこへと来ている。
その場所の周囲には倉庫があり、港からは離れていて静かなところだ。そして土の400mトラックコースがある。
目的は体力チェック。
5000mを走らせて1番早い艦娘が誰かを計測することで、体力が衰えていないかの確認だ。
全員に深緑色のジャージとランニングシューズに着替えさせる。
提督の俺は離れたところからベンチのまんなかに座り、ストップウォッチを持って彼女たちの走る姿を眺めている。
走っている彼女たちは少々辛そうに見えるが、寒い空気の中で体があったまっていていいなと思ってしまう。
俺の格好はというと、冬用の黒い軍服と帽子に茶色のトレンチコートを着ているが体を動かしていないとやはり寒い。
400mトラックコースで走っている先頭は金剛型の4人とビスマルクで、最後尾の扶桑型ふたりは少し遅れている。
各自とも普段から鍛えているようで良かった。
それぞれの艦娘たちの姿勢や表情、呼吸具合など見て様子を確認し、そうしてから今度は金剛を見る。
この子は俺が大好きな艦娘だ。
お互いに仲が良い関係で、恋仲になりたい俺としては普段から積極的にアピールしている。けれど、どうにも親友止まりになってしまっている。
18、19の女子大生な外見の金剛と、30歳というおっさんの俺では嫌ということなんだろうか?
元気よく走る金剛をじっと見つめながら、ネガティブ思考になっていると金剛が俺に気付いて手を軽く振ってくれる。
それに対し、俺は両手をぶんぶんと振る。金剛もまた両手を振りまわして返事をしてくれた。
これほど仲がいいのはもしかして問題があるかもしれないかな、と思っていると比叡がトラックコースから外れて俺へと向かってまっすぐに走ってくる。
何か問題があったかと不安になるも、元気な様子で息を切らせてはベンチの端に勢いよく座ってくる比叡。
すぐそばにいる 比叡の髪は首筋までの短い栗色で、光にあたると淡い色になるのは綺麗だ。
ランニングをしたために、女子大生な顔立ちをしている白い肌は桃色に上気して汗ばんでいるのが色っぽく見える。
荒い呼吸はすぐには止まらず、上下に揺れる大きめな胸に一瞬だけ目がいってしまうのは男として仕方がないと思う。
比叡の元気がある声で何か言ってくるまではこちらから何も言わず、静かに金剛だけを見ることにする。
少し時間がたったあと、比叡が俺をにらむ気配がしたのでそちらへと振り向く。
「司令にはお姉さまを渡しませんから!」
「……走り終わってから言ってくれ」
1分ほど休んでから元気よく言う彼女に俺はため息をつく。
今日の5000m走は体力測定だというのを、こいつは理解しているんだろうか。
比叡を無視して金剛に手を振ろうとすると、比叡がすぐ隣にまで近づいてきては俺の手首をがっしりと掴んでくる。
構わず手を振ろうと力を入れるも、握る手にますます力が入って手が少しずつ痛くなってくる。
仕方なく手を振るのをやめて比叡の顔を向けると、比叡はやったぜ的に満足な顔をして手を離してくれた。
「お前、体調が悪かったりする?」
「いえ、私は元気です!」
「じゃあ、なにか問題でもあったか?」
「提督が姉さまを嫌らしく見ていたので止めに来ました!!」
「走ってこい!」
心配したというのに笑顔で元気よく返事をされ、ちょっとだけ怒りが出てしまう。
走ることも仕事の1つであるというのに。
比叡をベンチから追い出そうと肩をぐいぐいと押すが、俺の腕を掴んでは離れまいと抵抗してくる。
こいつは俺が金剛と仲良くしようとするといつも邪魔してくる。
明るくて可愛い金剛と会話するのは俺の数少ない楽しみだというのに。他の娘にまったく手を出していないのだから、それくらい許して欲しい。
そしてお互い金剛を大好きだと公言しているせいか、恋のライバルと感じてしまう。
上司の権限で強引に邪魔をするなと命令することもできるがそれは職権乱用だ。
そんなことをしてしまうと金剛をはじめ、他の艦娘からも軽蔑の目で見られてしまうだろう。
肩を押すのはあきらめ、比叡のぷにぷにしたほっぺたを触ってから両手で両方の頬を掴む。
「さっさと離せ!」
「んーっ!!」
それでも比叡は俺から離れようとはせず、しがみついたままだ。
力での解決をあきらめ、言葉による交渉をはじめる。
「手を離してくれたら今日は好きに料理していいぞ!」
普段、ある出来事がキッカケで比叡の料理は禁止しているためか、この言葉に比叡の力は少しゆるむ。
それをチャンスと捉え、比叡の手を振り切るも今度は腰に手をまわして抱きついてくる。
こんな様子を見られるのはよくない。
見る人によっては痴話喧嘩かと思われてしまう。
周囲を見ると、走っている艦娘たちの視線が一斉にこっちを見ているのに気がつく。
その表情は微笑ましげに見ていたり、やりとりを興味津々に見てきたりという感情を感じる。
最も気になる金剛はというと、暖かい目で俺と比叡のじゃれあいを見ている。
このままでは誤解されてしまう!
比叡の顔をにらみ、すぐさま体から離そうとするが力が俺より強くてひっぺがすことができない
「物で釣るのは卑怯ですよーぅ!」
「お前が料理禁止になったときを思い出せ! お前が俺に料理を作ってくれるっていうから任せたのに、1食で2日分の材料を使ったのは忘れたのか?」
「あれはですね、秘伝の隠し味をたくさん入れるために必要だったんですよ」
「隠し味ってなんだ」
「……提督には絶対言えません」
頬を赤くし、目をそむける比叡に俺は寒気を覚える。
過去の料理だというのに隠し味を言えないだなんて。よっぽど変なものを入れたのは間違いない。
こんなにも頬を赤くするってことは恥ずかしい手段で材料を手に入れたとか、そういう想像をして不安になってきてしまう。
比叡がなにか言うのを待つが、頬を赤くしたまま何も言う気配はない。
俺から顔をそむけたまま何も言わない比叡の肩を掴み、引きはがそうとするがさっきと同じく比叡が力強く抱きついてくる。
そうして比叡ともめていると、走り終わった金剛が息を切らしながらやってくる
ストップウォッチを見ると、17分ほどで走り終わったみたいだ。
「おー、2人とも仲良しですネー? 私も嬉しいデース!」
とても嬉しそうな笑顔の金剛のその姿は、まるで天使そのものといっていいものだが、それに見惚れたままではいけない。
「俺が好きなのは金剛だからな?」
「私もデース! でも比叡と仲良くしている提督はもっと好きですヨー?」
俺と比叡に微笑んでは、あとからやってきた榛名と霧島、ビスマルクたちと一緒に更衣室へと向かっていく。
もっと金剛と会話していたいが汗をかいたままでいると風邪を引くだろうから、我慢して金剛のうしろ姿を見送る。
それは悲しいことだが髪が揺れるたびに見える、汗をかいた首のうなじがいろっぽいから得した気分だ。
うなじを飽きるまでずっと眺めていたいが、俺は仕事中だ。
まだ走っている艦娘たちの様子を見なくてはいけない。
比叡にしっかりと抱きつかれたまま、金剛といちゃいちゃできないのを耐えつつ頑張って目を離す。
……寒い空気のなか、比叡とくっついているところだけ暖かいと考えてしまうことがある。
なんでこんな状態になっているんだろうか。
考えてしまうと、いつもは女と認識していない比叡を意識してしまう。
女らしい柔らかい体の感触。あたたかい体温。耳に吐息。
今すぐにでも比叡を突き放し、走ってくるように言うつもりが言えないままだ。
比叡も、金剛がいなくなってから不思議と黙ったままでなんとも変な沈黙の時間になっている。
最後尾だった扶桑姉妹が走り終わり、はじまって19分ほどで比叡以外の全員が走り終えた。
悪くない記録だ。普段から鍛えているのがよくわかる。
「で、お前はいつまでそうしてるつもりだ」
「あ、えっと、その、なんか暖かくて」
「お前が走り終えないと俺は帰れないんだが」
そういって寒いためか、比叡は上目遣いで見あげてきて、俺の胸へとさらに密着したまま離れる気配がない。
深くため息をつき、仕方なく帽子を脱いでは比叡の頭に深くかぶせる。おかげで俺の短い髪な頭はとても寒い。
帽子をかぶせられた比叡は俺の体にまわした手を離し、自分の頭にある帽子を触っては嬉しそうににやけている。
頭が寒かったから嬉しいのか。俺に抱きついてたのも単純に寒いからという理由だったのか。
そうとわかれば話は早い。
立ち上がると比叡も俺につられて立ちあがったが、バランスを崩して離れていくのを俺は比叡の手を掴んで立ちあがるのを助ける。
俺のおかげで無事に立ちあがることができ、近い距離でみつめあう。
こいつも女だな、と思う匂いや顔立ちをまっすぐ見てしまうと思考がにぶる。
それは比叡も同じだったらしく、お互いに10秒はみつめあったままに。
先に正気に戻った比叡は、顔を赤くしてさっきとは逆に俺の手を掴んだまま走りはじめる。
なぜか手を繋いだまま400mトラックを走り始める俺と比叡。
とても走りづらいはずだというのに、俺をひっぱりながら前を走る比叡のうしろ姿はどことなく嬉しそうに見える。
一瞬可愛いなぁと思うも、俺は金剛一筋ということを思い出してそんな思いを頭を振って意識から追い出す。
「しかし、なんで俺はお前と走っているんだろうな」
「私にもわかりません!」
わからないのなら、俺の手を握っているのはどう説明するんだろうか。
そんな疑問を視線に乗せると、比叡は振りかえって不思議そうな顔をして言う。
「私はいつもやりたいことをやっているだけですよ?」
その理由だと、抱きついてきたのも俺の帽子をかぶっているのも一緒に走っているのも好きだからということになる。
だとするならば、その感情は好意だ。
もしかしたら比叡は俺に恋しているかもしれないが、本人はそのことに気付いていないと思う。
比叡ほど純情な子だとすぐ顔や態度に出ると思うし。でも比叡に好かれているというのは悪くない気持ちだ。
一緒にゆっくりと走りながら、そのことについて考えていると心があたたまるようだ。やすらぐ気持ちとは正反対に、運動不足の体は走れば走るほど苦しくなってくるけど。
そうなっても比叡は手を離してくれず、最後まで走り切ってしまった。
比叡との関係も、いつのまにかこうやって少しずつ近づいてくるような気がしたランニングの朝だった。