ビスマルクを探してやってきたのは鎮守府内から少し外れた民間の港。
広い湾内には大小様々な艦が並んでいる。
穏やかな風で湾内の水面は小さくうねり、晴れた日の光にあたって海は輝いていて停泊している小さな漁船なども美しく見える。
そんな6月の昼を過ぎたばかりの今、俺はビスマルクを探して歩き回っている。
演習や出撃をしたあとの彼女は1人でいることを好み、同じドイツ出身のマックスやプリンツたちも居場所を知らないことが多い。
だが俺はなんとなくわかる。
別に場所を教えられているわけじゃないが、38年生きた男のカンというものだ。
港の遠くから訓練のかけ声や砲撃の音が聞こえ、近くに人がいない岸壁に近づていく。
そして湾内に停泊している艦たちを見渡すと1隻の7mカッター(短艇)、軍用のボートが岸壁につながれているのを見つける。
外側がネズミ色で内側が木の色そのままの1隻に、ビスマルクが俺に背を向けた格好で体育座りをして海を眺めている。
その背中には寂しさという気持ちがいっぱいになっているのを感じ取れる。
俺は軍服を着崩し服のボタンをはずして動きやすくなると、足音を大きく鳴らしながらビスマルクに近づいていく。
そうして近くへと来てもビスマルクは何も反応をしてくれない。
岸壁の上で立っている俺と、浮かんでいるボートの上で座っているビスマルク。
高低差が1mちょいあり、直線距離は3mほど。
それは遠いというわけでもないが、近いともいえない。
ビスマルクの腰まである長い金髪は、海風によって絹糸のようにさらさらと流れて光にあたると綺麗に見える。
いつもきっちりと来ている軍服はどことなく緩んでいるようにみえ、ふと俺に気付いたらしく首だけ動かして目が合う。
20歳ぐらいの顔立ちが整っているその顔はかったるそうにやる気がなく、じっと俺を見つめてくる。
「……なにか用かしら?」
「いんや。特にはないな」
「そう」
力なく言うビスマルクは俺から視線を離し、また海を眺めはじめた。
確かに用はないものの、放っておけず探してしまう。
別に1人が寂しそうだからとか、他の艦娘たちとなじんで欲しいというわけではない。
俺の目が届く範囲にいないとどうにも落ち着かない。そんな単純な理由だ。
ビスマルクにそっけなくされても帰る気にもならず、ポケットからタバコとマッチ。それと携帯灰皿を取り出して火をつける。
マッチで火をつけたタバコはうまく、穏やかな気分になる。
7本ほど吸いきったころに、ビスマルクが立ちあがってはちょっと怒っている様子で俺をにらんでくる。
「用もないのに一体なんなの? 私は1人でいたいのよ。言いたいことがあるなら早く言ってちょうだい。そしていなくなって欲しいわ」
俺にまっすぐに腕を伸ばして指をつきつける姿はかっこよく、真顔か笑顔で写真を取ればコンテストで入賞できそうな被写体なのにと感じて残念がってしまう。
「何か言いなさいよ。いつも1人でいるときに限って私を見つけてくるのはなんなの? 今回で何回目? 嫌がらせなの?」
「放っておけない。18回目。心配だから」
8本目のタバコを取り出しながら言葉に飾りもつけず、ビスマルクに聞かれたことを雑に言葉を返す。
そんな言葉を言った途端、俺へ向けていた指は腕ごと降り、怒っていた表情が困惑したと思ったら顔をそむけ視線を外してきた。
艦娘を心配する俺の言葉が伝わったことに安心し、単独行動が多い彼女はただ落ち着く場所が見つけられないと考える。
こうやって素直にしてくれると娘というか、妹ができた気分だ。
8本目を吸い終わり、いっぱいになりつつある携帯灰皿に強引に突っ込んでいると、ちらりと俺を見て静かに言い始める。
「その、なんで提督は私なんかを心配するのかしら。気を使うなら大和や武蔵のほうがいいでしょう? 彼女たちは重要な戦力なんだし」
「その通りだな」
「……そうよね。私なんかが聞くまでもなかったわ」
「だが大和より速度が速いし、金剛よりも丈夫なのがいい。魚雷も撃てるし、艦隊に組み込むときは使いやすいぞ。それに金髪が綺麗なのがなによりも好きだ」
ビスマルクの目は見開き、驚きの表情に満ちている。
「お前はお前が思っている以上に必要とされているんだからな? 空母連中が褒めてたぞ。文句はちょくちょく言ってくるが艦隊行動をしっかりやってくれるって」
頬を赤くし、帽子を深くかぶりなおしたビスマルクは居心地が悪そうに視線をふらふらと向け、時折俺の顔を見てくる。
「提督も私が必要なのかしら? 心配するほどに?」
少し考えて、言葉だけでは納得できないんじゃないかと思う。
ビスマルクは少々ひねくれた考えで、表面は強がるが中身はとても繊細だ。そんな彼女に言葉だけじゃ足りない。
数歩ほど後ろに下がり、助走をつけてビスマルクがいるボートに向かって飛び込む。
その中は平面じゃないことに気をつけつつ、両手両足をついて無事に着地することができた。
「
勢いよく飛び込んだ結果、ぐらぐらと強く揺れまくるなかでビスマルクが怒りながら大声で言ってくる。
けれど、あいにくと俺はドイツ語がさっぱりわからない。
「わかるように言え!」
そう言い返すと、ビスマルクは何かに気付いたようにハッとして視線をそらすがそれも一瞬のあいだだけ。
すぐに俺へとキツい視線をぶつけてくる。
「いきなり飛び込んでくるなんてバカじゃないの? バァッッッッカじゃないの!?」
「うるせぇ、黙れ。……俺の覚悟がわかったか?」
「私に嫌がらせするのはわかっ―――」
揺れがおさまってから立ち上がってビスマルクへと近づく。そうすると彼女は怯えた表情になってあとずさろうとしたが、すぐに追いつけた。
ビスマルクは倒れ、俺はおおいかぶさるように両手をビスマルクの頭の横に置く。
「こんな無茶をするほど、お前の近くにいたいんだよ。お前が心配過ぎて俺はいっつも不安になっちまう」
怯えた表情が一転し、何を言っているかわからないといった顔になる。そしてまたそれは変わり、顔が耳まで真っ赤になる。
その様子を見て『あ、これは愛の告白だわ。やべぇ』と思ってすぐに体を起こすがもう遅かった。
「私をいつも探すのはそういう理由だったからなのね。ほんと、本当に仕方がないわね。あなたは私がいないと服すらまともに着れないんだから」
体を起こして、俺にぴったりとくっつきていたビスマルクは、にこにことした笑顔でさっき着崩した服をなおしてくれる。
以前、はじめてビスマルクを探したとき、怒りながらも今と同じように服をなおしてくれたことがあった。
それ以来俺はこうやってビスマルクを探すときには、わざと着崩す。そうするとケンカしたとしても仲直りのキッカケができるからだ。
でも俺がビスマルクがいないと生活できないようなダメ男と思っていることに文句のひとつも言いたくなるが、服をなおしてくれるのは別に悪い気分ではないから厄介だ。
「まったくもう。相思相愛だったならもっと早く気付きたかったわ」
「女としては好きじゃないんだが」
「そんな照れなくてもいいわ。初めて会ったときから、私が世話をしなくちゃって思ったほどだもの」
1人で勝手にテンションをあげ、誤解しつづけているのに頭が痛くなる。
紛らわしい言葉を言ったとはいえ、なんですぐに恋愛と結び付くんだ。ドイツ娘ってのはみんな恋愛に積極的だってのか、おい。
あと、ダメ人間扱いしてくるのに腹が立つ。
「おい」
「私ほどの美人ともなると、気になってあとを追いかけまわすのも当然ね。淑女とはまさに私のような素晴らしい女のことを―――」
「……頭を冷やしてきやがれ!」
次々と言い続ける言葉を止めるために、ビスマルクの体を転がしては海に突き落とす。
艦娘だから泳げるだろうし、溺れる心配もないからな。
イライラがすっきりした俺は海に落ちたビスマルクを見る。
彼女は俺の予想と違って手足をバタバタと苦しそうに動かしている。
「ていと、ちょ、わたし、およげっ」
そう言い残して海の中に沈んでいくがただの冗談だろう。
そう思って5秒ほど待つも浮き上がってこない。
まさか本当に泳げないのか!?
慌てて海を覗き込むと、ビスマルクの手が海の中から素早く伸びてきて俺の首に手をまわしてきた。
俺はその手をはずす間もなく海に引きずり込まれる。
ボートから体は落ち、海水が体をつつんでくる。
海水によって目が痛むのを避けるため目を閉じる。
そして、酸素を求め、水面を探して浮かぼうとするもビスマルクが抱きついてくる感触がする。
相思相愛なのに相手を苦しめるってどういうことだ。心中しようってか!? どんな理由かはわからないが!
ビスマルクから離れようともがくも離れる気配はない。
呼吸が苦しくなり俺の動きが鈍ってきたところで、海よりほのかにあたたかくマシュマロのようなやわらかい感触が唇にきた。
一瞬、苦しんでいることも忘れる。
忘れてしまうほどの理由は、キスの感触。
ほんの数秒のキスをされたあと、ビスマルクは俺の体を解放してくれる。
でも酸素不足で苦しんでもがく俺は海面へと顔を出すのも辛く、ビスマルクにささえられて海面へ出る。
ボートのふちを掴み、目を開けて荒い呼吸をしている俺の横には、同じように荒い呼吸をしているビスマルクの姿があった。
2人揃ってずぶ濡れで、かぶっていた帽子は行方不明だ。海水を吸った服の重みと、へばりつく感触に気持ち悪さを抑えながら呼吸を整える。
「私がいないとあなたって本当にダメね」
「自分で問題作って解決はおかしいと思え。死ぬ寸前だったぞ、俺は」
俺より先に息が整ったビスマルクに、かろうじてそれだけを言うと満面の笑みで返事を返してくる。
「もしそうなったら、私はすぐにあなたの後を追うから問題ないわね」
肩をくっつけるほどのすぐそばにまで移動してきたビスマルクに文句を言おうとするも、怒鳴る元気さえもない。
そうして俺は深いため息をつく。
いつもふらふらといなくなっていたビスマルクは、この先もこうやってずっと俺にくっついてきそうだ。
これからはいちいち探さなくてもよさそうだが、こんなうるさいのがいると仕事どころか人生に支障が出る。
そもそもなんで恋人同士みたいになってるんだ。
けど、抱きついてきて頬ずりをされるとあきらめというか、こういうのもアリだなと思う。
でもやられっぱなしはどうにも落ち着かない。
どう驚かしてやろうかとわくわくして考えていると、ビスマルクが小さな悲鳴を上げて俺からわずかに離れていく。
「提督、ひげ! ひげがすごく痛いわ!」
ビスマルクの頭を掴み、頬ずりを返すとかなり嫌がるのにショックを受けるが、甘い雰囲気なんて俺にはあわない。
こんな悪ふざけなのがお似合いだ。
これから長年の親友のように、俺とビスマルクは付き合っていくのだろう。
それも悪くないと思った。