提督LOVEな艦娘たちの短編集   作:あーふぁ

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30.熊野「読書の夏、熊野の世界」

 もう夏らしくなりつつある7月上旬。

 天気は快晴な午後の2時。

 そんな暑い日に俺は畳6畳ほどの小さな部屋で、紙とカビの匂いで満ちている空気を堪能している。

 正方形な部屋は壁の半分ほどの高さに長方形の窓があり、北向きな窓からは直接には光が入らなくて薄暗くなっているが部屋の気温は30℃ほどもある。

 窓がある壁をのぞき、壁にそって天井ほどの高さまである本棚を置いてある。

 本は小説、辞書、色々な資料などが1600冊ほどある。

 5階の高さにあるこの部屋は、窓を開けても正反対に位置するドアさえ閉めていれば中々に静かなものだ。

 窓がある壁に背をあずけ、尻には座布団を敷いて読書をするのは心落ち着くものだ。たとえ暑くても少しは我慢できるぐらいに。

 暑さを耐えるために夏用軍服の上着を脱いでTシャツ姿になる。帽子も外し、上着と一緒に部屋の中央に投げ捨てている。

 隣には人ひとり分の距離を置いて熊野が俺と同じように座布団の上に座り、膝を抱えるようにして『人間失格』を読んでいた。

 彼女は腰まで伸びる淡い栗色の髪をポニーテールにし、額にはうっすらと汗を浮かべている。

 見てわかるほど暑がっているというのに軍支給の制服は着崩してはなく、女子高生のような若くて整っている顔は平気そうにしている。

 視線を感じたのか、熊野が俺へと顔を向けて笑顔を向けてくる。

 じっと見ていたことに気恥かしくなり、俺は畳に置いてた『銀河鉄道の夜』を手にとり足をまっすぐに伸ばしてリラックスした姿勢で読書を始める。

 大量にあった書類仕事を昨夜のうちに1人で終わらせた俺は、待機任務中の熊野と朝からずっと一緒にこの部屋で過ごしていた。

 昼は食堂で一緒に食事をし、水を飲む時とトイレ以外は黙々と本に読みふける時間。

 このささやかな幸せを感じていたときに、熊野が本を閉じて畳の上に置く音が聞こえた。

 

「恋がしたいですわ」

「……なんだって?」

 

 突然の脈絡もないその言葉に、俺は読んでいた本から顔をあげて熊野を見る。

 熊野は何を見ているわけでもなく、ただ正面を見つめている。

 『人間失格』を読んでそんな想いを持ったのだろうか。不思議に思いながら次の言葉を待つが、熊野は何も言わなかったため俺は読書へと戻ろうとした。

 

「提督、私と恋人になりませんか?」

 

 今は主人公が銀河鉄道に乗っていいところだというのに意識が現実世界へ戻させられ、俺は少しばかり不満だ。

 提督になってからこの4年、楽しいことも辛いことも熊野と一緒にあじわってきた。そのあいだ、提督と艦娘という関係はとても良好だと思っている。

 今まで恋愛的なアプローチは何もなかった。

 記憶を探るが、今日は何かの記念日というわけでもない。

 熊野に顔を向けると同時に、熊野も俺へと顔を向けてくる。

 

「恋人になる理由がない」

「そんな寂しいことは言わないでください。少しだけ考えてくれませんか?」

 

 熊野が会話を続けてくるので俺は本を閉じ、畳の上へと置く。

 そして、天井を見上げて熊野の言われたとおりに考え事をする。

 冗談は滅多に言うことのない熊野だから、さっき言ったことは本音と思ってもいいはず。熊野のことは好きだけれど、1人の女性として見たくはない。仲のいい友人関係のままいたいというのは贅沢だろうか。

 俺は恋人まで幸せにできる気がしないから。

 気を持たせるような行動や言葉はなかったはずだし、女にもてたいとも彼女が欲しいとも言ってない。

 そもそも読書好きで背も高くなく、線が細い体の男なんて魅力的ではないと思うのだけど。

 特に断る理由もないけど、だからといって付き合うだなんてことは不誠実すぎると思う。熊野はそれでもいいとか言いそうだけれど。

 だからこそ嘘をつかなければいけない。それもリアリティのあるものを。

 そして俺は『グッド・バイ』という太宰治が書いた小説を思い出す。

 あれは妻のいる主人公が、10人の愛人たちと綺麗に別れるために絶世の美女を使うという話だった。

 その小説の内容を使えば本当らしく聞こえるはずだ。

 

「今まで隠していたが、俺は熊野よりものすごい美人と付き合っ―――」

「そうしていることにすれば、私があっさりとあきらめるとお思いですか?」

 

 天井から熊野へ顔を戻して真面目に言うも、熊野は怒るでも呆れるわけでもなく優しく微笑んでいた。

 すべてを見透かしているような澄んだ目に、俺の心は嘘をついた罪悪感がやってくる。

 変に言葉を使わず、シンプルに返事をしたほうがいいだろう。断っても熊野となら悪い空気にはならないと思うし。

 深く息をつき、暑い部屋のままでは思考が鈍くなるため部屋のドアを静かに開ける。すると窓から生ぬるい風が通り過ぎ、開いたドアからは足音や人の会話が少しだけ聞こえてくる。

 元の場所に戻ると、悲しげな目を俺へと向けてきた。

 

「熊野のことを信頼できませんか?」

「そんなことはないが……」

 

 信頼できるか、できないかで昔のことを思い出す。

 学生の頃に付き合ってた人がいた。その人は美しくて賢かったが、俺に愛想を尽かして別れることになった。

 その時の言葉は今でも強く覚えている。『恋人になってもあなたは私を見ていなかったわ』と。昔から心の片隅でいつも距離を作っていた俺に強く届いた。

 誰かに自分の心をさらけだした時の恐怖。信頼し、もし裏切られた場合の悲しみ。

 それらを乗り越えれなく、だから今でも1人だけで生きていこうと思っている。

 一緒に生きていく人がいなくても悲しいとは思わなかった。

 

「悩む提督の姿はそれが魅力的であり、他の艦娘たちも惹かれていましてよ?」

「そんなものか?」

「ええ。1人で頑張っている姿を見ると、自然と手伝ってあげたいと思うほどに」

 

 一生懸命に仕事をしていた時に感じる視線はそれだったのか。

 そういう時は決まって忙しく、構う余裕がない。重要な仕事は集中してやってしまいたいから。

 熊野から顔をそらし、畳の上に置いてある『銀河鉄道の夜』を取ろうとするが熊野が先にそれを手に取った。

 

「天の川で入水自殺と言えば、なんだか素敵なことに聞こえませんこと?」

「まだ読んでいる途中なのになんてことを!」

 

 頭に浮かんでいた幻想的世界なイメージが一瞬にして、殺伐とした雰囲気にされて本を読む気をなくす。

 そうしてから熊野は起き上がり、俺の片腕へ抱きつくようにもたれかかってきて熊野の髪からシャンプーのいい香りがやってくる。

 そして今、切なげな表情をされるとなんでもお願いごとを聞いてしまいそうになって顔を横へとそむける。そうすると、熊野の息遣いがすぐそばにまで聞こえてくる。熊野がゆっくりと近づいてきても俺は何もすることができない。

 その時だ。

 開いたドアの方から物凄く熱い視線を感じて視線を向けると、そこには鈴谷がいた。

 熊野も遅れて気付き、鈴谷とのあいだに気まずい雰囲気ができあがる。

 鈴谷は熊野と同じく待機任務中で、ここに来たということは何かの用事ができたかもしれない。

 熊野とくっついている状況を見られたことに恥ずかしさを感じながら、感情を抑えてゆっくりと言葉を出す。

 

「どうした、鈴谷」

「リアルで少女漫画的なのが見れるだなんて……」

 

 そう言われると恥ずかしさがちょっとずつ湧きあがってきて、熊野を振り払ってしまいそうだ。

 もう執務室に戻ろうかなと思ったときだ。

「鈴谷、鈴谷。こっちにいらっしゃいな」

 熊野は体を戻し、俺にぴったりとくっつくと自分の隣へと鈴谷を手招きする。

 鈴谷は俺と熊野、交互に見たあとに靴を脱いで手招きする熊野の隣へやってきて、不思議そうな顔のまま熊野の隣に座った。

 そうしたあとの熊野は俺と鈴谷に挟まれる状況となって、幸せそうに微笑んでいる。

 その表情を見ると俺までもが幸せ気分を感じてくる。

 それからはどうするかと思ったが、熊野は何をするでもなく読書を再開していた。

 俺も本を拾い上げ、読書を再開することにする。

 急に静かになった部屋で鈴谷が困惑する空気が伝わってくる。

 熊野に放置されているのがかわいそうで、なにか声をかけようかと考える。

 

「……キスしないの?」

 

 鈴谷を心配していると突然そんなことを言われた。

 なんでそうなるんだ、と意識が一瞬真っ白になっていると熊野が本を閉じて笑い声を隠せずに喋ってくる。

 

「ねぇ提督。さきほど、あなたは付き合う理由がないとおっしゃいましたわよね?」

「言ったな」

「恋人関係になれば鈴谷に見つかっても堂々とすることもできますし。なにより恋人同士と思われてますわよ?」

 

 そう言われて鈴谷を見ると、目がきらきらと輝いている。

 普通は知っている人のキスシーンなんて見ても気まずく、面白くもなんともないと思うのだが。

 男と女では感性が違うのか?

 鈴谷の顔をじっと見ていると、熊野は俺の頬に手をあてて顔の向きを変えてきた。

 そこには不満げな熊野の顔があったが、俺と目が会うと途端に穏やかになる。

 

「それにわたくしならば、あなたに信頼されるということは確信を持って言えますわ」

「ずいぶんと自信があるじゃないか」

 

 それを聞いて俺は強い不安に襲われ、学生の頃に付き合っていた人を思い出す。

 あの時の彼女も同じことを言っていた。

 俺は大好きだった彼女を信頼し、本気に好きになってよかったと思っていた。

 でももう1歩踏み込めなかった。自分の心と彼女の優しさに。

 思っていることを素直に言えず、友達だった時と同じ優しさと言葉しか使うことができなかった。

 次第に彼女の気持ちが俺から冷めていったことはよく覚えている。

 だから、熊野もいずれ離れていくんじゃないかと不安になって気持ち悪くなる。心が冷たくなり、体が寒気で震える。

 どんなに愛しても、俺が心を開く前にまた捨てられるんじゃないかって。

 だからこれからも1人で静かに生きていくほうがいいと思う。

 

「なぜなら、提督が遠慮なく話せる相手はわたくしだけですから」

 

 そう思った時に明るい言葉が響く。

 それだけで悪いことしか考えれなかった思考が止まり、次の瞬間には大きな笑い声を出していた。

 言われてみれば単純なことだった!

 熊野に対しては、怒鳴ることも愚痴もなにもかも言っていた。

 一度たりとも熊野は嫌な顔をしなかった。いつでも優しく聞いてくれた。

 そんなことにまったく気付かなかったなんて。自分で自分のマヌケ具合に笑いしか出てこない!

 むせるほど笑ってから落ち着いてくると、隣にいる鈴谷は危ない人を見るような目をしていて、熊野は口をぽっかりと開けて驚いている。

 笑いすぎて涙がにじんだ目を指でぬぐい、晴れやかな気分となった俺は自然と出てきた笑みを熊野へと向ける。

 すぐに柔らかい微笑みを返してくれた熊野に、心の奥底から暖かい気分が出てきた。

 熊野がいてくれたことは素晴らしく幸せで、楽しい時間を過ごせていたってことを!

 そして今なら熊野がさっき俺に言ってくれたことに、しっかりと返事を返すことができる気がする。

 

「俺と付き合ってみるか?」

「ええ、よろしくてよ!」

 

 恥ずかしがりながら言った俺の言葉に、熊野の顔はとても晴れやかでヒマワリのような明るい笑みを浮かべてくれた。

 俺と熊野を見て、鈴谷は目の前で恋人関係になった瞬間を見れたことに感激して、言葉にならない声が口から漏れ出ている。

 ひっそりと恋愛をしたかった俺だが、この鈴谷の様子では今日中には全員に知れ渡ってしまうなと少し困ってしまう。

 

「見せつけてやれば恥ずかしくありませんわ」

「そういうものかね」

「はい、そういうものです」

 

 こうして鈴谷という証人付きで付き合うことになった俺と熊野。

 しばらくは色々な人からからかわれることになると思うが、そういうのも含めて恋愛なのかと理解した瞬間だ。

 今日から忙しくも楽しくある日々が始まりそうな予感がした。


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