提督LOVEな艦娘たちの短編集   作:あーふぁ

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35.グラーフ『グラーフ:愛にいたる病』

 灼熱といえる痛みがある。

 僕を暑さという力で痛めつけてやろうという暴力が。

 それは朝の訪れと共にはじまり、逃れようとあらゆる扉や窓を開くが敵からは逃げることなんてできない。

 だからといって無抵抗だったわけではない。

 僕は、僕たちは戦った。

 偉大なる風の力をもって涼しさを得ようと。

 だが負けた。機械の故障という物理的問題には対処できなかった。

 つまりは夏の暑さだ。

 8月という日本の夏はじめじめとして熱苦しい。汗がじんわりと出てくる。

 提督用の白い夏用な軍服でも暑く、帽子はそこらに放り投げて上着のボタンを全部外してしまう。

 暑いとしか感じることのできないこの場所は小さい洋室の部屋で、執務机に本棚、それと秘書用の机があるだけの執務室だ。

 この執務室は窓や扉を開けても風通しが悪くて涼しくならない。とてもいい感じに窓から直射日光も入ってくるせいもあって。

 唯一の希望だった扇風機は壊れ、秘書である由良に少ないお金を渡して、どこからか調達してきてとお願いした。机の上にあるウチワだけじゃ耐えきれなくから。

 だから扇風機が壊れた昼前から出かけ、夕方になる4時になっても戻ってこない。

 本当ならたっぷりとお金を渡して新品を買ってきてもらえればよかったのだけど、提督同士の飲み会や接待、艦娘たちへのご褒美として多くを買っているためにお金の余裕なんてものはない。

 歳も21と若いから相手に下に見られ、階級が低い提督の僕が悪いことになるのだけど。

 暑さで手紙を書く仕事が進まず、椅子に深く腰掛けて正面にあるのは開いた扉から見える廊下。

 そこには時々よその艦娘たちが、なにかをキャッキャと楽しそうに話しながら通り過ぎていく。

 ああいうのを見て、うらやましいだなんて思ってしまう。

 自分のところの艦娘はみんな真面目、または物静かな子ばかりだ。会話するのにもちょっと気合いを入れる必要がある。

 そういう子ばかりを預けてくる軍の人たちは、若い僕が女の子によって暴走しないようにさせたいのだろうか。

 僕は確かに若い。でも同期の提督たちよりもおとなしく、女遊びも恋愛だってしてこなかった。

 勉学とスポーツに励み、ただ真面目に生きてきた。

 ……だからといって成績が数字に出ないと人格が良くても悪くても評価されないのだけど。

 社会って厳しいなぁと深いため息をついて机へと顔を突っ伏す。

 それから時間が少し経ち、開いた扉を律義にもコンコンと軽くノックする音が聞こえた。

 

「Admiral、今日の報告に来たぞ」

 

 顔を上げるとグラーフ・ツェッペリンが来ていた。

 通称グラーフと呼んでいる金髪のドイツ人の子はとても美人だ。

 20歳ぐらいな顔立ちで美しく整っている顔顔と透き通るような白い肌は、美人過ぎて初めて見たときにはしばらく呆然としてしまったほどに。

 淡い金色の髪はツインテールにまとめられて肩まで伸びている。顔と同じく髪は美しく、彼女の髪が風でなびくたびに僕の視線を奪うのは犯罪的でずるいと思うこともある。

 胸がけっこう大きく、灰色の瞳で常に半眼でにらまれてるような感じなのもまた印象によく残る。

 むしろ全部が印象に残る。

 白を基調とした軍服と同じく白の帽子。黒のミニスカートに黒のタイツも。それに身長が160cmの僕より8cm高いのも。

 こういう美人さんと1度は付き合って仲良くおしゃべりしたいと夢を見るのも男として思うのも無理はないと思う。

 僕も付き合いたいなぁと思って1年とちょっと。ごく最近までは仕事の話しかしない関係だった。

 

「今日もお疲れさま」

「なに、Admiralほどではないさ」

 

 服装からわかる僕のだらしなさを見ても笑みを浮かべず、皮肉というか怒っている気がする。

 そういう雰囲気で僕の前へ来て、手に持っていた報告書を渡してくる。

 ―――美人だけど、怖いお姉さん。

 それが僕が持つ彼女の印象だ。会うたびになにかと僕のことを気にして、頼ってれと言ってくる。

 艦娘たちに戦闘以外の負担をかけたくない僕としては、できうる限り自分と秘書だけで問題は片付けたいと思っているからそのお願いは聞くことができない。そのたびに不満顔になってしまうのは申し訳なく思っているけど。

 だからいつもグラーフと会うときは少しばかり緊張をし、雑な言葉や変な行動にならないようにと意識しながら素早く、丁寧に訓練結果の報告書を読んでいく。

 何も問題がないのを確認すると机にしまい、息をつく。

 

「うん、確認したよ。これでグラ―フのお仕事は終わりだね」

「確認感謝する。……ところで秘書の由良がいないようだが。なにかあったか?」

 

 僕に敬礼をしたグラーフは秘書に割り当てられている机を見て僕にそう言ってくる。

 どう返事をすればいいのか悩む。素直に『扇風機が壊れたから調達しにいってもらいました』と言えば、壊れるのを予測していなかったのが悪いとかそんな説教をされそうな気がする。

 でも嘘をいうともっと怒られるのはすでに体験済みだ。説教を覚悟して正直に言うしかない。

 

「扇風機が壊れたんだよ。だからそれを捨ててもらうのとどこからか持ってきてとお願いしたんだ」

 

 悩んだ末の返事を言うと、ほぅ、と何かの感情がこもったことを言っただけで説教はなかった。

 それから部屋をぐるりと見回し、由良が使っている秘書用の机へと行ってその椅子へと座る。

 そして僕をじっと見つめてくる。

 監視されると警戒しておびえてしまう。

 近頃はなにかあると、僕をじっと見るようになってきた。

 その原因はわかっている。グラーフが風邪を引いたときに僕がつきっきりで看病をしたときからだ。

 3週間前のあの時はちょうど誰もが手が空いていなく、暇なのが僕だけだった。

 看病なんてしたこともないから苦労した。知人の女性に連絡し、弱っている相手にどうすればいいかを聞いて準備した。

 飲み物や食べ物、ティッシュペーパーなどを。それに言ってもらえると嬉しい言葉。最後のは必要かと悩んだが、知人いわく絶対必要だと言われたので懸命にグラーフに声をかけたのは今でも覚えている。

 準備万端で看病に挑んだものの、実戦となるとやっぱり予想と違うことが当たり前だった。グラーフの体調が悪いのに心配しすぎて逆に気遣われてしまった。

 それとグラーフから言ってきたとはいえ、上半身が裸になった体をタオルで拭いてしまったのはとてつもなく大きな問題だ。

 あの美しく白い肌は忘れようにも忘れられない。汗でしっとりと濡れている肌をさわった時は気持ちよくて、体を拭くたびに漏れ出る色っぽい声は頭にぐらぐらと響き渡った。

 ……無防備ともいえる姿を見せてしまったのを後になって後悔したはずだ。なぜなら、それまで僕に関心がなかったというのに、グラーフから会話をしてきたり、僕のそばにいようとしてくるからだ。

 2日にわたって看病したことについて、1度も文句は言ってこなかったけど、あの時から会うたびに僕を見つめてくる視線が僕の心のなにかを探っているのは間違いない。

 今だってそうだ。そんな厳しい視線にさらされながらも僕は仕事を再開する。秘書の由良がすぐに戻ってくることを強く願いながら。

 グラーフに見られながらやっている手紙の返事を書くことは頭を使う。その内容が友人である同い年の提督が艦娘と結婚したことを伝えてきたので、お祝いの言葉をどう書こうかと考えていた。

 書く内容があまりにも思いつかないので、由良にやってもらおうかと思うほどに。だけど、やっぱりこういうのは下手でも書いたほうがいいのかなとも思う。

 唸り声をあげ、じっと白紙の手紙を眺めているとグラーフが声をかけてきた。

 

「差し支えなければ、今やっているのを私も見たいのだが」

「でもまだ何も書いてないよ」

「構わないさ」

 

 僕がそういうと、椅子を持ってすぐ隣にやってくる。

 その時に汗とシャンプーの匂いが入り混じったいい香りがやってくる。一瞬、顔がゆるみそうになるが気合いで引き締めた。

 いつも礼儀にうるさいグラーフだから変な顔になってたら嫌がられるかもしれないし。隣に来たことで恥ずかしさと嬉しさと緊張がやってくるが平常心をこころがける。

 

「友人が艦娘と結婚したから、なにかお祝いの手紙をと思ってたんだ」

「結婚の手紙か……。ならば私が手伝おうか? 由良がいないし、苦労しているだろう?」

「ありがとうでもこればかりは自分でやらないと」

「それもそうだな。どんなに美しく素晴らしい文章であろうとも、他の人が書いたのであれば価値はないからな。さすがは私のAdmiralだ」

 

 グラーフにもこう言われたことだし、ますます自分だけの力でやらなきゃいけない。だけど暑いために汗が吹き出てくるのはつらく、それに見られていると思うとどうにも落ち着かない。

 それらに耐えながら机へと向かっていると、なまぬるい風が顔へとやってくる。

 横を見ると、グラーフが机の上からウチワを取っていて、僕へと向かってあおいでいてくれる。

 

「グラーフ?」

「私ができることと言えば、このぐらいだからな。邪魔だったらやめるが?」

「いや、嬉しいよ」

「それならよかった」

 

 部屋に入ってから今までずっと硬かったグラーフの顔が、ほんのりと和らぐ。

 少ししてからウチワであおぐのをやめ、今度はポケットからハンカチを出すと顔から出ている汗を優しく拭いてくれた。

 ……なんかグラーフの印象が変わっていく。

 真面目で誰にでも厳しいと思っていたけど、こんな気遣いをしてくれるだなんて。いや、今まで艦娘たちにはしてたけど僕には初めてだ。

 グラーフがきてからちょっとだけ緊張していた心が落ち着くが、こんな美人さんが世話をしてくれていると考えたらまた緊張してしまう。贅沢な悩みかもしれない。

 ハンカチで僕の汗を拭い終わると、またウチワであおぎ始めてくれる。

 汗が吹きとられて爽やかさを感じる肌。なまぬるくも風があるおかげで少しだけ涼しくなって、さっきよりも手紙のことに集中できるようになった。

 なので今までより深く、じっくりと考えれるように。

 そうして思ったことがある。

 

「なんで人って結婚するんだろうね」

「寂しさを埋めるためだろう」

 

 小さくつぶやいた独り言にグラーフが返事をしてくれたことに驚いて振り向くと、なぜか僕から顔をそむけていた。

 じっと見つめて言葉の続きを待つも何も言ってくれず、僕は手紙について疑問に思ったことをぶつけていく。

 

「僕は恋人さえいたこともないから想像なんだけど、人は愛があるから結婚するんじゃ?」

「その前に過程がある。恋愛という、精神における病を得たのちに愛という大きな病へと発展する。その大きな病へと発展する途中に寂しさという感情が生まれてしまうんだ」

「詳しいね」

 

 そう言うとグラーフは僕に目を合わせてくるがすぐに視線を外してしまった。頬がちょっぴり赤くなっていたのは怒っているのか恥ずかしいのかわからなけれど。

 雰囲気からして怒ってはいないようだけれど、女性からすれば恋愛の話をするのが好きという人が多いけれどグラーフはそうでもなかったらしい。

 

「考えたことがあっただけだ。愛とかそういうものを。結婚をするのは人間だけで、一生を添い遂げるのも人間だけだ。動物はそういうのがないからな。逆に人が恋愛という面倒な過程を得て、愛情を持ち、結婚していくというのもおかしな話だが。動物たちはすぐに交尾をして子孫を残していくのにな」

 

 いつも冷静だというのに言葉に熱が入り、気分よく語っているのを見ると不思議な感覚になる。

 むしろ、嬉しいかもしれない。こんなグラーフの姿を見れたことに。それに言っていることもなかなか考えさせてくれるものだった。

 僕が関心していると、咳払いをしたグラーフはウチワを机へ置くとハンカチをまた取り出しては僕の顔をゴシゴシと力強く拭いてくる。

 

「痛い、痛いって」

「あ、あぁすまない。今の話だが、風邪で倒れたときに考えたのであって結婚や恋愛に憧れがあるとかそういうのではなく、ましてやAdmiralに対して恋愛感情を持っているわけではないからな!?」

「わかってる、わかってるって! 僕みたいなのが好みじゃないってことは!」

 

 そう僕が叫ぶとグラーフはハンカチを引っ込め、なぜか不満げな表情を僕に向けては静かになった。女心はわけがわからない。

 

「……最近になって初恋は迎えているからな」

 

 グラーフの言った意味がわからず、首をかしげるがさらに話を聞くとまた怒られるから、グラーフの恋愛がどうこうということを頭で考えながら手紙を書くことへと戻る。

 

「ありがとう」

「なにに対してだ」

「グラーフのおかげでいい返事が書けそうな気がするよ」

「そうか。……それならよかった」

 

 穏やかになった声を聞き、僕は集中する。友人が結婚した報告の返事は、結婚を喜ぶことと『愛という精神的病気を永遠に続けていくことを願う』という一文を書いた。

 書き終わると手紙を封筒に入れ、机の引き出しにいれたことで今日の仕事は終わった。

 難しい仕事をやり終えて机へ突っ伏していると、頭を優しく撫でられる感触がする。

 グラーフへと顔を向けると、優しげ幸せそうな表情だった。それを見た途端、僕の心臓の鼓動が強く跳ね上がって顔から目を離せなくなった。

 頭を撫でてくれる気持ちよい手の感触を、撫でられるままに任せたままで言うのは感謝の気持ち。

 

「今日の予定が終わったのに付き合ってくれてありがとう。おかげでいい返事が書けたよ」

「私が力になれたのなら喜ばしいことだ。だが、こういうふうにもっと私を頼ってもらわないと困る」

「ごめん」

 

 返事してから気付く。なんで僕に頼られないとグラーフが困るんだろう?

 艦娘たちには頭を悩ますようなことはさせたくなくて、書類関係はみんな僕がやっている。きちんと艦娘たちの許可を取ったり、本人のそばで書くから悪い上司ではないと思っている。

 仕事が追いつかないときには秘書の由良に助けてもらっているし、それでも足りないときは睡眠時間や休暇の日を削ったりもしている。

 理想は効率よく仕事をし、定時退社ができればいいのだけど。

 

「なにか問題でも起きた?」

「そうではない。ただ、1人でやりすぎだと言っている。今だってそうだ。扇風機ぐらい誰かに頼んでもいいのではないか? もし、私に言ってもらえたら喜んでやっていたんだが」

「今日は訓練で外行ってたでしょ?」

「いや、そうではなく……つまり私が言いたいのは―――。やめた。はっきり言わないと通じないようだ。……今日ここに来てから恥ずかしがりながらもずっと言っていたというのに。そう、不安や嬉しさや恥ずかしさ。それらの感情に戸惑い、喜びながらも言っていた。顔には出ていなったと思うが」

 

 そう言われて部屋に入ってきたグラーフの行動を思い出す。

 いつもより言葉数が多く行動も積極的だった。すぐそばにやってきたり、一緒にいたがったりと。なんでそんな行動を取ったのかと考え、いつもと違うことといえば、由良がいないことぐらいだと思いつく。

 

「わからないか?」

 

 いらだった様子で机の上を指でトントンと叩き始めた。

 グラーフの言いたいことがまったくわからない。このままだと怒らせてしまう。いったい何をやってしまった? グラーフが来てから大きなミスはしてなかったはずだけど。

 答えを出せないまま、返事を言えずにいるとグラーフが身を乗り出してきて僕の両肩へと強く手を置いてくる。

 ゆっくりと確実に近づいている顔は無表情ながらも迫力を感じる。

 逃げ出そうとしてもしっかりと肩は掴まれていて、もうされるがままに。

 緊張と恐怖がやってきて、僕はもう何も考えれない。

 そんな時に天使はやってきた。

 廊下の方からガチャガチャと音を鳴らして近づいてくるのがわかる。

 その音の主は由良に違いない。もうすぐで由良が来る!

 安心して、由良の姿を見ようと扉へ顔を向けた瞬間、肩を掴まれていた感触がなくなって代わりに顔をがっしりと掴まれて顔を戻された。

 そして目の前には目をつむったグラーフの顔が視界いっぱいになって唇へとキスをされた。

 勢いがよかったために歯と歯がぶつかってガキンという音と痛みが。キスは気持ちがいいものと聞いたことがあるけど、これはそうじゃなかった。

 グラーフ本人も驚いたらしく、すぐに顔を離しては目を見開いていた。

 お互いに硬直する静かな時間。でも心臓の鼓動が苦しいほどにバクバクとなってうるさい。

 僕は頭が真っ白になってどうもできずにいると、執務室の入り口から気配を感じる。でもすぐ目の前にいるグラーフからは目を離せない。視線はやわらかそうな唇へといったままだ。

 

「えーと、由良は空気を読んだほうがいいのかな?」

 

 困惑した由良の声に意識は戻ってきて、由良のほうを見ようと顔を動かそうとしたが、顔はまだグラーフの手で抑えられていた。

 

「由良が帰ってきたから離して欲しいんだけど」

「私より由良のほうがいいのか?」

「まぁ由良とは長くいるし、一緒にいると落ち着く―――」

 

 『落ち着けど、美人なグラーフといると嬉しいよ』と続く言葉は言えなかった。

 なぜならグラーフによって椅子から床へと引きずり倒されて口をふさがれたからだ。

 それはキスによって。

 そのキスはさっきとは違い、ゆっくりと優しいもの。歯と歯がぶつかるなんてことはなく、今度は唇の柔らかさを感じ取れた。唇の感触に僕の頭はまっしろで、目をしっかりと開けているグラーフと見つめあったままどうすることもできない。

 次第に呼吸が苦しくなり、離れようとグラーフの肩を押すが微動だにしない。

 その時に扇風機を放り投げた音が聞こえ、由良の慌てて駆け寄ってくる足音が近づいてくると、グラーフは自分がかぶっていた帽子を僕の顔に押し付け、離れていく。

 

「提督さん、大丈夫!?」

「ああ、うん。大丈夫、かな?」

 

 押し倒されたのは机越しだったために、由良は僕がキスされたことに気付かなかったらしい。

 それがよかったのか悪かったのかはわからない。

 グラーフに対して恋愛感情なんてなく、少し怖いと思うばかりであった。

 でもキスのおかげで気付いたことがある。

 グラーフが僕を好きだってこと、仕事時間が終わってからも僕といようとした理由。最初に来たときに由良がいないことを確認したこと。病気を看病してから、厳しくなった目も単に嫌われたことじゃなかったことも。

 僕のことが好きなんじゃないかって今にして思う。

 由良の助けを借りて立ちあがり、落ちたグラーフの帽子を拾って机の上へと置く。

 部屋の隅っこにはグラーフが僕に背を向け、壁と向き合うように体育座りをしている。

 さっきの僕を襲った勢いはどこへいったのだろう。冷静で落ち着いていて大人っぽいグラーフの大胆な行動は初めて見た。

 僕を助け起こしてくれた由良は僕を椅子へと座らせるとグラーフをにらみつけるが、すぐに不思議そうな顔になって何かを考え始めた。

 けど、それもすぐに終わって何かを納得した様子だ。

 

「由良がいなくてさびしかったですよね。また、"いつも"のようにキスをしませんか?」

 

 いつもの? キス? 由良とはそんな関係になったことはなく、甘い雰囲気さえもなかった。なぜ今そんなことを言う?

 口を開こうとしたが、人差し指を僕の口へと当ててウインクをして静かにするように伝えてくる。

 それで何かをするということに気付き、由良のたくらみに乗ることにした。

 僕の了承を得た由良は、椅子に座った僕の足の上へとまたがり、首に手をまわしつつも顔はグラーフの方へと向けている。

 グラーフをからかうということに戸惑い、怒らせたら怖い目にあうなと思っても一緒になってからかってみたい欲求に駆られた。

 

「グラーフがいるんだけど」

「別にいいじゃないですか。グラーフさんは壁を見ているから気にしてませんよ。ほら、じっとしていてください……」

 

 由良の言葉を最後にお互いが静かになると、グラーフは跳びはねるようにしてこっちへと向かってくるが、途中で僕と由良に見られていることに気付いて足が止まる。

 そしてグラーフはいじけるとかすねるとか。そんな状態になると思った。

 でもそうはならなかった。

 

Hör auf(やめろ)!」

 

 グラーフは大きな声で叫ぶと、ひどく怒っている表情で僕の方へとゆっくりと歩いてくる。目の前までやってくると、僕の上に座っている由良を抱きかかえて床へと降ろし、今度は僕を抱き上げてはお姫様抱っこの形へと持ちかえた。

 由良は困ったように微笑み、僕はお姫様抱っこの抱かれる優しさと恥ずかしさ、抱きあげられて自分の足で立てないことに意外な怖さを覚える。

 不安なのに気付いたのか、グラーフは僕を力強く抱きしめると、いつのまにか目がうるんでいた涙目で由良をにらみつけた。

 

「Admiralは恋人さえもいないと言っていた。私たちは今、お互い合意の上での恋人関係となる!」

「僕はまだ合意してないよ!?」

「私が裸を見せ、Admiralは見た。それで充分だ。もしダメだというなら今日、今この時から仲良くなっていけばいい!」

「グラーフ、正気になって!?」

「私はいついかなる時も正気だ! だから冷静に言葉を言える。そう、私はAdmiralを誤解していた。看病をされた時に気付いたのだ。私たち艦娘を信頼していないからこそ、Admiralは自分と秘書だけですべてをやろうと思っていた。だが違った。自分の浅はかさを呪ったよ。病気が治ってから秘書での由良や他の艦娘たちから話を聞き、それから私は気になったのだ」

「仕事のことはごめん。そういう気持ちはなかったんだ。戦いは君たち艦娘にしかできないから、他を僕が全部やればいいかなと思って」

「そういう心遣いを部下である私が理解できなかったのは悲しい。だが、これも精神的および物理的距離があったからだ。これからはもっと仲を深めようと思う」

 

 抱っこされている僕にとても優しげな表情を向けていて、今までの会話でグラーフが僕のことが好きだということがはっきりわかる。

 少女漫画の性別を逆転したような展開になっているけど、こんな状況が悪くないと思っている自分がいる。誰かに求められて自分が必要とされているからかもしれない。

 

「グラーフさんは提督さんのことを好きなのはわかったけれど、提督さんはどうなの?」

 

 由良が僕の言いたいことを言ってくれる。さすが秘書な由良だ。いつも一緒にいることはある。言いたくても言えなかったけど、由良が作ってくれたチャンスを使わないと。

 好きと言われて悪い気はしない。グラーフは美人だしかっこいいし、胸も大きく金髪も綺麗だし。『はじめはお友達から』と漫画であるような言葉を言おうとしたが、グラーフが先に口を開いた。

 

「以前、看病したときに私の体を拭いてもらったが……興奮したか?」

「……ちょっとだけ」

「そうならば、私に対しての愛がちょっとはあるということだな。これからはそれを増やしていきたいと思っている」

 

 性欲=愛という考え方。

 クールな外見や言動に対し、中身は思いっきり愉快な人物。こんなふうなのは全然気付けなかった。

 艦娘のためにと提督の仕事を熱心にやっていたけど、もうちょっとは艦娘に頼って仲良くしたほうがいいななんて思う。

 グラーフがいい例となった。看病するまで僕はグラーフを避けていた。でも接してみれば、怖い以外の部分も見えてきた。

 意外と繊細で自分に自信がない。けれど、いったん決めたことには全力で挑む。そんな姿は可愛くもある。

 一緒に素敵な恋愛を始めたい。だけれど、このままじゃ僕が情けないばかりだ。特にお姫様抱っこしてもらっている状況だと。男の見栄になるけれど、少しはかっこいいところを見せたい。

 僕はグラーフにお願いして降ろしてもらうとグラーフへと正面から向き合い、背かが高い彼女へと顔をあげて目をしっかりと見つめる。

 これから言うのは僕の決心であり真実。また、グラーフにしか言うことはなく、これから先もグラーフ以外に言うことをしたくない言葉。

 

「人生という砂時計がゆっくりと積もっていくように、友達から始まり恋人同士になって時間がめぐり終わるまで一緒に過ごしていきたいな」

 

 グラーフは僕の言葉を聞くと、頬や耳を真っ赤にして両手で自分の顔を覆う。それから指の隙間から僕を覗き、ゆっくりと手が降ろされていく。

 

「Admiralのことを見始めたのは最近だった。でもそれは私の好きの浅い深いに関係なんてない。あなたの優しさに気付き、恋をしたことがなかった私は病になった。この病は心の奥底に隠そうとも隠しきれず、荒れ狂う想いへとなりかけた。でも優しさで私を包み込んでくれのなら、私は幸せのなにものでもない」

 

 お互いがお互いを想っての言葉。愛の告白も同然なもの。それゆえに言ったほうも言われたほうも言葉が心に響き、次第に恥ずかしくなってくる。

 

「よかったですね。提督さん、グラーフさん」

 

 由良がパチパチと手を鳴らして拍手でお祝いしてくれるが、由良がいたことを忘れてしまうほどグラーフのことしか見えていなかった。

 恥ずかしい。

 

「私に恋愛感情だと気付かせてくれたのも、好きならそばにいろと言ってくれたおかげで精神が充実していた。すべては由良のおかげだ、ありがとう」

「いえ。私も弟のような提督さんが幸せなら嬉しいです」

「任せておけ! このグラーフ・ツェッペリンが私という自分を通してAdmiralを幸せにし、自分もまたそうなることを誓おう! ではさらばだ!」

 

 僕の体をまたお姫様抱っこで抱き上げ、僕はグラーフの首へと手をまわして自分からもグラーフへと近づく。

 そうしたらグラーフは明るい笑みを僕へと向け、嬉しげに執務室を出ていく。

 その時に見た由良は、笑顔で手を振りながら僕たちを見送っていた。

 由良にとっていつ僕が弟になったのかとか、また男が女性にお姫様抱っこにされるとかいう悲しみめいた疑問は考えない。

 今はそれを越えるほどの幸せがあり、その気持ちをまだ感じていたい。

 これからもずっと未来の先まで。


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