―――ふと息苦しさを感じて目を開ける。
それは秋の寒さを感じるなか、布団の中で暖かく寝ているときだった。
ぼんやりとした頭でうす暗い部屋を見ると、夜の部屋の中は淡い月の光がカーテンを開けた窓越しに降り注いでいる。
それは真っ暗な部屋でも落ち着く柔らかい光。世界中の人が平等に感じ取ることができる優しさだ。
だけれど、その優しさは俺には受け取ることができない。
目を開けて少し時間が経つと、段々と恐怖という感情がやってくる。
軍人になる前は『恐怖』という存在に対して怖がることはなかった。それは克服できる感情であり、臆病さを象徴する良くないものだと思っていた。
それが今では怖がることしかできない。
提督になって多くのことを経験してしまったからだ。
経験は人を成長させるというが、ただの綺麗事。または上司が部下を使うときの言い訳にしか聞こえなくなった。
すべての経験が良いわけではなく、悪いのは当たり前のことだというのに。
そのすべての経験に俺が怖がる理由があった。夜の怖さと自分の罪について。
「提督、眠れないの……?」
その声の方を向くと、同じ布団で肩を並べて寝ていた艦娘の子、駆逐艦の山風が俺へと眠たげな声を向けてきた。
「ああ、いつものだ」
「そっか……大丈夫だよ、提督。山風はここにいるよ?」
そう言うと俺へと小さな手を伸ばし、優しげな笑みを向けながら頭を撫でてくる。
山風は中学生と思えるほどの小さな体と顔つきだけれど、同じ布団にいるととても暖かい。
普段からリボンで結んでいる髪は降ろしていて、いつも感じていた幼い部分はなくなって大人っぽさがある。
それは着ている服が制服でないこともある。今はパジャマを着ていて、俺と同じ灰色のおそろいだ。
大人である36歳の俺は、小さく可愛らしい山風に頭を撫でられるに任せて夜の怖さを考えないように山風の手の感触へと集中する。
……山風に撫でられながらもすぐには恐怖は収まらず、夜が怖くなった理由を思い出してしまう。
◇
海軍で前線にいる提督だった俺は通常の巡洋艦に乗り、艦娘たち12人を連れて指揮をしていた。
その日は予想してなかった小規模戦闘が継続的に続いたものの、夜になったあたりで終わり、被害なしの圧倒的勝利だった。
それから疲労した艦隊をまとめ、俺が乗っていた巡洋艦のそばへと艦娘たちを集めて帰ろうとしたことだ。
突如として敵潜水艦からの雷撃があった。1隻ではなく、4隻以上からの複数による攻撃。
艦娘たちの被害は軽かったものの、俺が乗っていた巡洋艦に3発も命中し、浸水してすぐに沈んで海へと投げ出されてしまう。そうして艦娘たちが俺や巡洋艦に乗っていた乗員を助けつつ、敵潜を探していたときのことだ。
大多数の敵航空機編隊がやってきて、身動きができない俺達に攻撃を仕掛けてきた。
俺はすぐに無線で艦娘たちを指揮をし、ばらばらだった行動を組織的な対空戦闘へとまとめあげた。
けれど、それでも敵の攻撃を防ぐことはできず攻撃を妨害するだけで精いっぱいだった。時間が経つにつれ、防空の効率も下がっていき、艦娘も乗員も次々に殺されていく光景を見るだけしかできなくなってくる。
逃げることもあきらめることもなく、艦娘たちは必死に防戦を続ける。けれど、ひとり、またひとりと海の底へと沈んでいく。
そんな光景を見ることしかできず、俺もここで最後かと死を覚悟したが、1人の小さな艦娘である山風によって助けられた。
血を流し、怪我をしている山風に連れられて逃げ続けた。短く、けれど長い時間がたった頃に助けにきた艦隊に救助されたが生き残ったのは俺とわずかな乗員。それと艦娘の中で生き残り、片足を失った山風だけだった。
山風の怪我は沈めた敵潜水艦の血によって足を汚染され、修復材でも直すことができない怪我だった。
鎮守府に戻った俺は軍上層部からの叱責と、鎮守府に残していた一部の艦娘たちの無感情な表情を向けられるのが辛かった。
生き残った乗員や山風は俺を責めることはなかったが、内心は他の人たちと一緒かもしれないと想像してしまうとなにもかもが不安で仕事さえもできなくなった。
1人になったとき、思い出すのはあの光景だ。あの一方的に殺されていた時のことが頭から離れない。
乗員たちが血を流し、死が近づいたことに助けを求める声。俺になんとかしてくれと訴える悲しげな目。
戦争だから死ぬことがあるとわかっていても、目の前で次々と殺されていく光景を見ると戦争とはなんなのだろうかと思う。
そんな光景が頭から離れず、軍の失態を隠すために事故と処理された俺は予備役になった。精神を落ち着かせるために田舎にある1DKのアパートを借り、医者へと通う日々がはじまっていく。
毎日を何もやることがなく無気力に過ごし、3週間と4日経った頃だった。
右の太ももから下の足を失った山風が荷物を持って車椅子で俺のアパートへとやってきた。
悲しげな雰囲気をまとう身にまとう山風は俺へと無理やり浮かべた笑みで「提督、えっと……おひさしぶりです」と少し震えた声で言ってくる。
俺はその姿を見て動くことができなかった。俺のために足を失い、艦娘ではなくなった山風が俺に恨みごとを言いにきたのかと怖くなった。
けれど構えていた俺に対して家にやってきた山風は俺と一緒に暮らしたいと言い、山風に対して後ろめたさがあった俺はそれを受け入れた。いつ責められるのかという恐怖があったが彼女は俺を救ってくれた恩人でもあるから。
山風は孤児みたいな扱いになっているらしく、養子として引き取ってくれる人の連絡を待っているらしい。それまで居させて欲しいといったのでそのことも俺は了承した。
1人でいても苦しいだけで、一緒に暮らすと覚悟を決めれば山風が恨みを持っていても良かった。殺したいのなら殺されてもいいと思っていた。
俺が提督として艦娘たちと辛くも楽しくも生きていた世界はなくなり、希望を失って現実を見ることができなった俺に生きる理由がなかったから。
そうして傷を舐め合うような俺と山風の、小さな部屋でのアパート暮らしが始まった。
◇
嫌な記憶を思い出し終わると、山風の優しく手で撫でられていることで怖かった意識が段々と落ち着いてくる。
生きているだけで怖くなった原因、そのことを思い出してもこうやって落ち着けている。2週間前に山風と暮らすようになってから精神は安定しつつあり、もう山風なしでは生きていけない気がする。
深い安堵の息を吐くと、俺を撫でていたことで少し冷えた山風の手をそっと掴むと温かい布団の中へと入れる。
「……撫で方、下手だった?」
「いや、上手だ。とても落ち着くものだった」
「そう? だったら……うん、あたしは嬉しい」
撫でられるのを止められた山風は不安げな表情になったが、俺の言葉を聞くと柔らかい笑みを浮かべた。
窓から入る月の光もあって、山風のことが慈悲深い天使みたいだと一瞬思ってしまう。
以前は艦娘のひとりひとりをじっくり見ることなんてしなく、厳しい上下関係だった。
あの時と比べれば、山風のような小さな子に甘える俺は弱くなったのだろうか? それとも弱さを素直に出せるようになって強くなったのだろうか?
自分自身について考えな、山風の顔を見ながら俺は安心して眠っていった。
そうして朝が来た
まぶしい太陽の光が部屋に入り込み、心地よい目覚めを感じる。
すぐ隣には山風の暖かい体温があり、静かに腕を回して抱きしめると髪から心が落ち着く匂いがする。
それを深く吸い込んでしばらくの間、やわからかい山風の体を抱きしめてから布団からゆっくりと這い出ていく。
部屋の片隅に置いてある石油ストーブに火を入れ、寒さで体を震わせながら居間からダイニングへと行く。
テーブルの上に置いてある予約設定していた炊飯器は米が炊けていて、保温状態になっていた。
その様子を確認したあとにガスコンロの上に置いてあったヤカンに水を入れ、お湯を沸かしているあいだにドリップ式のコーヒーをセットしたマグカップを用意する。
水が沸騰するまでは台所から山風の寝顔を見るのが日課となり、穏やかな寝顔を見るのは飽きることがなく、小さな楽しみとなっている。
コーヒー用のお湯ができ、マグカップにそそいでいくとコーヒーの香りが部屋へと広がっていく。
「ん……、てーとく、おはよう」
「ああ、おはよう」
コーヒーの香りで目が覚めた寝ぼけ顔の山風。起きたばかりは寝た時と同じく髪をおろしているから、いつもの癖っ毛と寝癖が合体して色々と髪が跳ねているがそういうのも可愛く見える。
こうして山風と朝の挨拶をすると、一日が始まっていくという実感を得る。
暮らしはじめた最初の頃はコーヒーの香りで起こしてしまうことに悩んだが、山風が「提督の香りだから……好きだよ?」と言ってくれて今も朝のコーヒーを続けている。
山風が起きたことでコーヒーを一気に飲み干し、山風が毎朝飲んでいるミルクティーを作り始める。
小さな片手鍋に冷蔵庫から取り出した牛乳をマグカップ一杯分とアールグレイの茶葉を入れ、弱火でゆっくりと沸騰させていく。
そのあいだに体を起こした山風のそばへ行く。
「だっこ……して?」
俺をじっと見つめ、首をかしげる仕草を見ると愛おしくてたまらない。以前はこういうのを見ても心を動かされなかったのに、今では動いてしまうのは父性とかそういうものなんだろうか。
両手を伸ばした山風の体を抱きあげて左足を抱え込み、お姫様だっこの持ち方でダイニングへと連れていく。
抱き抱えたまま、4人掛けのテーブルの椅子を足で引いてはそこへ山風の体を降ろす時に、右足の部分へと目が行く。
山風の義足はまだできていないため、普段から足がない状態のを見ているがパジャマの余っている右足部分のすそを縛っているのを毎朝見るたびにわずかばかり動揺してしまう。
俺の視線に気づいた山風は俺の頬を撫でるようにさわって声をかけてくる。
「それはあたしの勲章だよ? だって……大好きな提督を守れた証拠だもの。初めて恩返しができて嬉しかった」
「守られる価値があったのか、俺なんかに」
「うん、あったよ。あたしもみんなも提督のことを好きだったよ。厳しかったけど、大事に見てくれていたのを知っているから」
「そうか。……そうだったか」
山風に言ってもらうと気が楽になる。自身も怪我を負い、日常生活も不便になったというのに恨みごとのひとつも言ってこない。だから山風の言ったことは本当の他の死んでいった艦娘たちが思っていてくれたことだと信じることができる。
息を深くつき、暗い気持ちから明るい気持ちへと変えようとする。
台所へ行き、マグカップに茶漉しを取りつけると温めていた鍋からマグカップへと流しこんでいく。甘さを出すためにシュガースティックを入れてしっかりと混ぜると簡単ミルクティーの完成だ。
ミルクティーにちょっぴり茶葉も流れ込んでいたのはおしゃれということにしておく。
それを山風に手渡すと、両手で持っては息を吹きかけて冷ましながら飲んでいく。
俺は松葉杖を持ってきて山風の隣の場所へと立てかけると、向かい側に座りって飲んでいく姿を頬をゆるめて眺める。
ある程度飲んだところで、これからのことについて山風へと声をかける。
「今日の朝食は俺が作ってもいいかな」
「ダメ。それはダメ。絶対に、ダメ」
「男だって料理の練習しないと生きていくのに大変になってな?」
「あたしがやる。そういうのは……あたしがいなくなってから好きにしてよ」
俺のささやかな希望を、山風が強気の発言で阻止してきたことに苦笑いを浮かべてしまう。
同居し始めてから、山風は自分の仕事は料理だとばかりに目を輝かせながら始めた時のことを思い出す。
俺は病院や買い物に行く以外はずっと家でごろごろ転がっていることもあって軍にもいなく、やることなんてそうそうない。
自分の存在価値を示したかったらしく、よく俺に何かして欲しいことはないかと聞いてきた。
家へとやってきたときは堂々としていたが、負い目があるからか家の中でも妙に俺へと遠慮をしていた。
仲良くやっていくにはどうするかと考えた結果、足のことも考えて動くことが少ない料理となった。
料理をしてくれと言ったときの山風の喜びぶりはすごかった。目はきらきらと輝き、顔には自信がみなぎっていた。もし犬のような尻尾があったのなら、ちぎれそうなほどに振り回していたに違いない。
そういうことで話が決着して俺は料理ができなくなってしまった。
山風がミルクティーを飲み終わったのを見て椅子から立ち上がるとダイニングの隅へと置いていた、座面が高い椅子を台所の前へと置く。振り返って山風を見ると松葉杖で経ちあがり、俺が置いた椅子へと座る。
座った山風は俺へと松葉杖を渡し、受け取った俺は少し離れた床へと置く。
俺は冷蔵庫の前へ行き、山風を見ると包丁や菜箸を出したりと準備をしていた。
「今日は何を作る?」
「えっと、鮭の塩焼きに出し巻き卵。それにレタスと大根のサラダを作りたいの」
冷蔵庫と野菜室を開け、材料があるのを確認したあとに「わかった」と伝えた。俺の言葉を聞いたあとに、山風は鮭の切り身が欲しいと言ってきたので2つを取り出して山風に渡す。
山風はまな板を置き、鮭の切り身を受け取ると骨抜きを始める。
そのあいだは、俺は見ているだけだ。今は大丈夫だが、時々難しい料理に手間取っていたり、やりづらそうになるのを見ると手伝ってしまいそうになるのでその衝動を抑えるのに苦労している。
以前に1度山風の文句も構わずに手伝ってしまったら嫌いと言われ、その日は口をまったく聞いてくれなかった。
あの時は辛かった。同じ部屋にいるのに会話をしてもらえないなんて。知人から聞いたことのある娘の反抗期というような状況に似ている気がしないでもない。
悲しみの衝撃を受けたあれ以来、俺は山風の強く嫌がることはやらないようにと誓っている。
だから食事はよっぽどの問題がない限りは山風の好きなようにさせている。
俺が冷蔵庫から材料を取り出して食器を動かすこと。山風が椅子に座ったまま動かなくてもいいように料理の補助をする。そんな関係がなんだか楽しい。
共同作業の料理が終わり、料理をテーブルへと運ぶ。山風も運びたがっているけど、片足だけで移動するのは不安定だし松葉杖を使うと両手がふさがり、車椅子だと狭いアパートの室内じゃ動くことも大変。なので、そこらへんは妥協してもらっている。
テーブルに朝食を並べ終えると、俺と山風はテーブルを挟んで向かい合って座る。両手を合わせ「いただきます」と言って俺と山風は食事を始めた。
今日の鮭の塩焼きは少々焼きすぎ感があるものの、日々上達していくのがわかる。料理も俺から教わったり、本を読んでは基本的なことを中心に勉強をしている。
「おいしいな」
「ほんと? それなら……、それならあたしは嬉しいな」
料理を褒めるとはにかんだ笑顔を向けてくれる山風を見ると、小さな幸せを感じる。
精神的にダメになり、療養という形になっている俺だがもう軍での出世は望めないだろう。復帰しても提督という仕事をできるのかもわからない。仕事ばかりを考え、趣味を持たずに生きてきたが山風のことを見ていると無趣味で良かったと思うことがある。
趣味なんて持ってたら山風と一緒の時間が減ってしまうだろうから。
「山風」
「ん、なぁに?」
「今日はなにかしたいことはあるか?」
「うーん……」
俺の質問に悩んだ山風は箸を口にくわえ、天井を見上げて考え事を始めた。すぐに答えが返ってくると思ったがやけに長いため、俺は食事を続けていく。
山風はそれから首を傾げたり、鮭の塩焼きをじっと見つめていたが決まったらしく俺へと真面目な顔を向ける。
それを見て食事を進める手を止めて言葉を待つ。そして出た言葉は。
「提督のそばにいれて、邪魔にならないことをしたい」
「それはしたいことになるのか?」
「うん。あたしは提督と一緒にいるのが好きから。提督はあたしと一緒にいるの、嫌い?」
「嫌いではない」
「……よかった」
俺の返事を聞くと、ほぉっと安心したため息をついて食事へと戻る。
山風の言葉を聞いて俺は頭を悩ませる。そこまで山風に好かれるようなことをした記憶がない。今も以前も。それに今は一緒に生活しているだけだ。遊びに行くことなんてないし、出かけても近所へ買い物に行く程度しかない。
むしろ、俺といることで今後の山風のことが悪くなるんじゃないかと思うこともある。俺みたいな人生をあきらめているおっさんよりも、若く活力にあふれている子たちとふれあっていたほうが精神にいい影響を与えられそうかと思う。
「でも提督はあたしに優しい。あたしは足がないから、もう艦娘として働けないの。恩返しなんてできなくて……」
「優しくされるのに理由が欲しいのか?」
「だって、戦うことしかできないのに他のことなんてできない。普通の人として生きていこうって思っても、あたしの体は普通じゃないから」
箸を置き、山風は悲しげな目で俺を見てから目をそらす。
山風がこの家に来てから、俺は対等な関係でいるつもりだった。上下関係もなく命令もない。お互いが家での役割をそれぞれ果たしていると思っていた。でも俺は気付いてやれなかった。片足がなくなったこと、艦娘ではいれないこと。
そんな苦しみは知らなかった。今まで気付かなかった。甘えているのは俺だけだったと。それに言葉が足りなかった。料理をする時は強気だったので忘れてしまっていたが、山風はいつも自分よりも相手のことを優先する子だった。
言葉が足りなかった。態度や行動で示しても、言葉ではっきり伝えられないと本当にわからないということを。
言葉で言われなければ、それは自分の想像でしかない。
想像だけなら不安になってしまう。不安は自身に対して病気のようにあらゆるものを蝕んでいく。だから俺は山風に言う。
「俺は嬉しかったよ」
「……それは、同情?」
「違う。俺は1人で家にいるのは苦しかったんだ。でも山風がいたら苦しみがやわらいだ。声を聞くたび、頭を撫でられるたびに俺は幸せを感じた。その幸せはささやかで小さなものだけど、嬉しかった。山風と暮らして2週間。本当に幸せだ」
「こんなあたしでも?」
「山風だからこそ、だ。俺はもう世界の終わりだと思っていた。生きる目的もなく、心は死にかけていた。そんなときに山風が来てくれた。お前、俺がどんなに感謝しているのか、わかってないだろう?」
こくりと小さく頷くのを見て、この感情をどう表現すればいいか頭に手をあて悩んでしまう。
言葉では表現しきれない。なら、頭を撫でるとか抱きしめればいいのかとも思ったが違う気がする。問題は山風が山風自身のことを嫌っているのが問題なんだ。……そうだ。それなら俺にはやれることがある。
これからやることを頭で考えながら食事を続け、山風にも続けるよう目でうながした。
その時の山風は俺が何も言葉を続けてくれなかったのに対し、ひどく落ち込んでいるように見えた。子犬のような涙目になってみつめてくるのは辛く、謝りたくなりそうなのを我慢する。
無言で苦しい食事が終わると、俺はすぐに山風のところへと行き、片ひざをつく。
山風の足がないほうの結ばれたズボンのすそをほどいていく。山風は抵抗もせず、顔を恐怖で引きつらせている。けれども俺は自分の意思を伝えるためにやめることをしない。
ほどいたあとはめくりあげていき、なくした足を見る。足の切断麺は皮膚で覆われており、俺を助けてくれた時と違って綺麗になっている。
「山風は足を失ったので自分への自信をなくしているようだが、俺はそうは思わない。確かに足をなくしたのは不便だ。だけど、それを艦娘として役立たずだと誰か言ったか? もし誰かが言ってたとしても、それは言ってたやつがクズなだけだ。足をなくしても自暴自棄にならなかったお前はすごい。俺はお前を一生褒め続けるし、誇りに思っている。俺にはもったいないぐらいだ」
そう言って切断面をそっと優しく撫でたあとに元のようにズボンのすそを縛り、見上げるとそこには涙で目がうるんでいた山風の顔が。
「……あたし、役立たずじゃない?」
「ああ、もちろん。」
「嫌われてない?」
「好きだぞ。この一言の言葉に言い表せないぐらいに」
「よかった。あたしも好きだよ。……提督のこと」
お互いに笑みを浮かべ、きちんと想いが通じたことに安心する。
そこで気付いたことがある。笑みを浮かべた山風だが、少しすると顔を赤くして挙動不審になっていたことを。もしかしてだが。
愛の告白として受け止められてしまったのだろうか?
誤解があったらいけないと口を開こうとしたが、俺の肩に手を置いて山風が迫ってくると、俺のおでこへとキスをしてきた。
一瞬のことに俺は言葉を続けれない。顔をまっかにした山風は松葉杖を掴んで立ちあがると、さっきまで寝ていたところへ飛び込んでは頭から羽毛布団をかぶって丸くなってしまう。
キスされたところをさわると、ほんのりと温かく湿っている。それを実感すると心が暖かくなり、生きている実感、いや人生そのものが充実していると感じられた。
山風と暮らし、人を大切に思えるということは幸せだとわかった。
そのうち誰かのところへ養子として引き取られていくが、それまでは山風を大事にしてこの幸せに甘えていたいと俺は想う。
自分の素直になった感情を大事にしようと考えたあとは、しばらく山風が動きそうにないので久々に1人で食器を片づけ始める。
台所に食器を持っていき、全部を洗い終わると視線を感じて振り向いた。
見た先には、羽毛布団にくるまりながら顔を出している山風の姿があり、可愛いという印象がすぐに頭へと浮かんでくる。
「あのね、提督」
「食器洗いなら気にするな。たまには俺だけでやりたい時もあるんだ」
「ううん、そうじゃなくて」
急にそわそわして目線が落ち着かなくなった山風の言葉を待つ。
「えっとね、あたしがどこかへ養子に行っても……会ってくれる?」
「ああ。権限がなくなったが、相談くらいなら乗ってやれるぞ」
「よかった」
ほっと安心した笑みを浮かべると、布団から出て着替えを始めた。
一緒に暮らしているとはいっても山風も1人の女の子。気安く肌や下着を見ないように気をつけている俺は背を向けると、精神安定剤を手にとり、蛇口の下に手を置いて水を汲む。
それからあまりおいしくない水道水を口に入れたまま薬をのみ込むと「ねー、提督?」と後ろから声がかけられる。声だけ返事をすると、少し沈黙があり不思議に思うがそのまま待つことにした。
しばらくのあいだ待っていると、山風の着替えの音が止まる。
「てーとく……だーいすき!」
その言葉を聞き、着替えをしている山風のことなんて忘れてしまって振り向いてしまう。
ピンクの可愛らしい下着姿の座っている山風を正面から見てしまい、偶然見た時以来のしばらくぶり光景にどうすればいいか俺は固まってしまう。
山風は顔を赤らめながらも、俺をからかうのが成功したのを見て微笑んでいた。
俺はそれを見ると、山風を他の人に渡したくないなんて思ってしまう。こんな可愛くて素敵な子を俺以外の人が幸せにできるのだろうか?
そこでふと気付く。まるで親バカ的感情を持った自分のことを。
まだ独身だというのにそんな気持ちを持ったことにショックを受けるが、結婚している人たちが、子供を持つとこういう幸せな気分になれるんだなと俺は思った。