近頃の私にはとてつもなく大きな問題がある。それは私の大好きな提督が金髪好きであるということだ。
私はマックス・シュルツという、日本人ではなく外国人だけど金髪じゃない赤毛の艦娘。
そのことがとても悲しく、なぜ私だけが赤毛の髪なのかとよく考えることがある。
艦娘の神様がいるのなら盛大に文句を言って一日中、ずっと正座をさせたいとこだ。
おまけに身長も150cm程度と低く、顔も中学生ぐらいで幼い。
胸も貧乳と呼ばれるほどになく女としての魅力が足りないのは自覚している。
だからせめて髪を長くしようとしたら、今のが似合っているからと同じドイツ出身の艦娘たちに強く止められてしまった。
ビスマルク、グラーフ、プリンツ、レーベ、ユー。
あの5人は自分たちが金髪で提督と仲良くしているからって調子に乗っているのかしら。
言われたときには本当に腹が立ち、食事にこっそりワサビを混ぜて報復したことがあったけれど、あの時は清々しい気持ちになれた。
でもそれは一瞬だけ。
私の頭の中はすぐに提督のことでいっぱいになった。いつ好きになったかなんて覚えていない。気付いたら好きだった。
でも彼は私と目を合わせることも少なく、会話は滅多にない。
それもこれも金髪じゃないせいに違いないと思う。
ああ、神様。どうして私は赤毛なの?
◇
8月の夏。
この鎮守府に私が来てから1年が経った。今日まで私は自分の体を恨み、不満ばかりが溜まる生活を続けていた。
好きな提督と一緒にいることも会話することもできず、目が合うことも滅多にない。
じゃあ、自分から接触すればいいじゃないと考えたこともある。
1度試したけれど、目が合っただけで何を話そうか考えていたことが全部吹っ飛んでしまった。
その時は逃げ出してしまい、自分のベッドの中でひどく後悔したものだ。今ではその時の反省を生かし、遠くから提督を眺めることで満足している。
誰かが提督と恋仲になっても構わない。提督の幸せは私の幸せ。部下として艦娘としてそう思うのは当然のこと。
だから今日は金髪好きな提督の邪魔をしないよう、非番でも制服を着て真面目な私はひとり静かに読書をしている。
そんな私がいる食堂は200人が1度に食事できるほどに広く、午後3時に食事を提供する時間が終わると厨房の食器を洗う音しか聞こえない冷房がよく効いて静かな場所になる。
窓際にあるカウンター席は海が一望できて見晴らしがいい。2階にあればもっといいのだけれど、そうなると毎回の食事が不便になってしまう。
ため息をつき、その席へと座って持ってきた小説を読み始める。
それは急速に日本文化を学び始めたアイオワから渡された女性向けのライトノベルだ。
今まで日本のそういう小説は読んで来なかったけれど、ライトノベルの主人公である女の子たちは理想が強く、運がいいことが向こうから転がりこんでくることが多くて新鮮な気持ちで見れる。
いつも読んでいた堅い本などとは違いが大きくて読んだばかりの頃はあまりに驚いたけれど。
ふと、静かに本を読んでいると、バタバタと騒がしい足音が近づいてくる。
この足音はどこかで聞いたことが……そう、提督の足音だ!
はずんだ心を抑えつけながら食堂の入口を見つめる。やってきたのは提督だ。私の予想は外れていなかった。
提督は大きく息を切らし、顔から汗がたっぷりと流れ出ていた。
食堂のがらんとした様子を見て、安心したように息をつくと私のところへと疲れた感じで歩いて向かってくる。
突然やってきたことにどうすればいいかわからず、いつもの私らしくあるべく冷静になることを意識して読書を再開する。
そうしていると提督が椅子をひいて私の隣へと座ってきた。
「やぁマックス。隣、いいか?」
「そういうのは座る前に聞くべきだと思うのだけど」
本を閉じ、ちょっとだけ嫌そうな顔をして隣を向く。
そこには私の提督であり、大好きな人がすぐそばにいた。
年齢は33歳の男。
夏用の白い軍服を着て、帽子はテーブルの上に放り投げている。
汗に濡れた髪が太陽の光にあたり、色っぽさを感じる。
荒い息を聞いていると、ちょっとだけ興奮する私だけれど何もおかしくはない。好きな人が隣にいるだけで心臓の鼓動が速くなるのは当然だから。
摩耶さんから借りた少女漫画でもそういう描写はよくあった。
「ビスマルクからはビール、グラーフはコーヒーを一緒に飲み続けようって迫られたから今まで逃げてきたんだ」
私は何も言っていないのに、提督は自分からここに来るまでいたった経過を勝手に喋ってくる。
それを文句も言わずに静かに聞いている私はいい女じゃないか、なんて思えてしまう。
「あいつらに捕まると朝まで離してくれないからな。いや、えっちな意味じゃなくて録画したサッカーや自転車レースを見たりでな?」
「そう」
あのふたりはよく夜遅くまで提督と一緒にいることが多い。だからそんなことを聞くと、いらだってしまってそっけなく返事をしてしまう。
ああ、こんなのだから仲良くできないんだ。私はもっと優しく言いたいだけだのに。
「あいつらの金髪はすんげー綺麗で、ずっと眺めてもいたいし触ってもいたいし匂いも嗅いでいたいけど、今日はどっちとも付き合え―――待ってマックス。俺をそんな目で見ないでくれ!」
好きな人とはいえ、変態的なことを聞いてしまうと自然と目つきが蔑むようなものになっていたらしい。
深い息をつき、意識を切り替えて普段通りに戻る。
彼はちょっぴり変態的なところがあるような気がするけれど、男の人にとって大好きなものに対してはこういう変態的なのが普通だと聞いたことがある。
でもあまりにも金髪好きなのに嫌悪感を持ってしまった私。それは自分が金髪ではなく、うらやましさがあるから。
「別に。提督の金髪好きはみんな知っていることだから」
「それだけならいいんだけど」
提督がガラス越しの海を眺め、顔には疲労感がただよっている。
顔の汗をハンカチで拭こうと思う気持ちが出たけど、そんな大胆で恥ずかしいことはできない。
それに私なんかがそういうのをやって、嫌われてしまったことを考えると怖い。金髪であれば、多くのことを許す人だけれど残念ながら私は赤毛だ。
臆病な私は提督を気にしつつ、読書に没頭しているフリをする。
それから少し時間が経過し、提督の汗が引いた頃に強い視線を感じる。
放っておけば、そのうちまた金髪を求めてどこかへ行くと思っていたけどそんな様子はない。
「……なにかしら」
「迷惑だったりしないか?」
本を読んだまま聞くと、申し訳なさそうな声で私を気遣ってくれることに嬉しくなる。
顔がにやけそうなのを抑え、私は冷静に返事をする。
「本当に邪魔だったら言うわ」
「そっか、それなら良かったよ」
もし横を向いたのなら、そこには安心した提督の様子が見れるはず。私の言葉でそれを引きだせたのは嬉しく思う。
提督は上着のボタンを外していき、涼しくなったらしく深い息をつく。
横目でちらりと見ると、軍服の下に着ていたTシャツは汗で肌に張り付いている。
脱ぐと意外と筋肉質なのがわかる提督の体は触れてみたくなり、汗の匂いも嗅ぎたくなってしまう。こんな体を見てしまえば、私でなくても至極当然のこと。
別に私が変態というわけではない。
帽子をかぶった提督が突然立ち上がり、気付かれたかと思ってすぐに本へと視線を戻したが、心臓がバクバクと動いて緊張と恐怖がやっている。
目は本に、耳は提督へと集中する。
立ちあがった提督は椅子をしまわずにどこかへ行ってしまった。
……いなくなるときに声ぐらいかけてくれてもいいのに。
無言でいなくなるのは私が好きではないからだろうか?
さっきまで会話してくれたのは優しさと部下に対する義務感?
私なんかと会話してもつまらないから?
ひどく憂鬱になり、ページを進める手も止まって海を眺めるだけが精いっぱいな精神になった私。
あぁ、もう帰って布団にくるまろうかしら。そう思っていると後ろから足音がやってくる。
振り向くと、そこにはふたつの白いソフトクリームを持った提督がいた。
「邪魔したお詫びだけど、これ食べない?」
「いただくわ」
本を置き、ぶっきらぼうに言った私はそれをひとつ受け取るると提督は私の隣へとまた座ってきて、おいしそうにアイスを食べる。
ありがとうと言うことも素直に言えない私は自分に落ち込みつつ、食べ始めた。
そのバニラの味はきんきんに冷たくてとても甘い。恥ずかしさと情けなさと自己嫌悪で絡まっていた思考がほどけていくようだ。疲れていたのか甘いものは体も喜んでいるように感じてしまう。
黙々と食べていると、提督の視線を感じて目を向ける。
「……なに?」
「微笑んでいるマックスはかわいいなぁって思ってた」
「私、笑ってた?」
「ああ、久々に見れたよ」
「それはよかったわね」
顔を引き締め、冷たく返事をしてしまう。
ああああああ!!
本当は嬉しくてたまらない。このまま会話をしていたい。最後には頭を撫でられたい! なのに、なんで私は素直になれないの!? こんなときほど自分が憎いと思ったことはないわ! そもそも無意識で笑顔になっていたなんて。いつもは表情を制御できているのに。
綺麗にアイスを食べ終えると、浮き沈みの激しい感情を表に出さないように努力しつつ提督へと静かに声を出す。
「ありがとう、提督」
「おう、どういたしまして」
提督に顔を向けてお礼が言えたことに安心し、返事をもらえたことが嬉しい。
すぐ本を読むのを再開しようと思ったけれど、そのまま提督の微笑みをずっと見てしまう。
じっと見ていると、提督は不快に思ったのか私から視線をそらしてしまった。
そうよね。金髪でもなく、胸が大きくなく色気があるわけでもない。こんな私に見られ、そして好かれているなんて知ったらどうなるか想像がつかない。
顔が俯き、ため息を静かにつくと突然帽子がなくなった感触がした。
すぐに顔をあげると提督が私の帽子を持っていて、それとは別の手で頭を撫でてくれる。
撫でられたのも、手の感触が意外と男らしいんだなって思ったのも初めてだった。
しばらくのあいだされるがままで、提督が撫でる手をやめても自分の顔がにやけているであろうことが容易にわかる。
「もう少し撫でてもいいか?」
「あなたの気が済むまでやればいいじゃないの」
「それじゃあもう少し」
撫でるのが再開し、ほんの10秒ぐらいの時間が10分にも感じた。提督の手が離れ、思考能力が少し戻ったときに私は考える。
どうして撫でてくれたのがわからない。私は提督に対して好かれていないはず。パンツを見せたり、胸を触らせてもいない。
なのに私にとって嬉しいことをしてくれた。
これはいわゆるあれ。面倒事を押し付けるときに女に優しくするってことね。さっきまで読んでた小説に書いてあった。
意識してきつい表情を維持していると提督が急に立ちあがる。
「マックス。1年も俺の部下でいてくれてありがとう」
今日でちょうど1年たった私にそう声をかけ、私の頭に帽子を戻していなくなる。
私はその背中に声をかけた。
「あなたの部下なんだから当然じゃない。感謝なんていらないわ」
あいかわらず可愛げがない私の言葉。
それを聞いてから提督は手を軽くあげ、食堂からいなくなった。
細かいことにも気付いてくれる提督がとても愛おしい。
物凄くにやついている顔に私は両手であて、『本当に嬉しいんだなぁ』とどこか他人事のように思ってしまう。
赤毛で貧しい体をしているけど、優しくしてくれた。
そんな提督が私は大好きだ。
さっきまで読んでいた小説のような都合がいいことは、本当にあるのだなと実感した。
心がときめくのは現実でも小説でも同じことが起きる。
日本文化は偉大だと信じると同時に、日本に来てよかったと私は自分の赤い髪の毛を触りながら心からそう思った。