10月が終わる日本の秋。
それは段々と近づいてくる寒さと雪の気配を感じる時期だ。
そういう時期になっている時、2日前に軍から呼び出された俺は自分がいる鎮守府から遠出をして県外にある軍での会議へ行く途中の道で季節が移り変わる時期というのがよくわかった。
歩いている人たちの服装はコートやタートルネックといった暖かいものへと変わっていっている。
そうやって道中は道行く人を観察して心穏やかだったが、会議が終わったあとはストレスがとてつもなく溜まってしまった。
今回もメインの話はいつもしているのと変わらず、艦娘の存在が確認されてから続いている『道具か人か』という扱い方についてだ。
どこからか出てきた妖精というファンタジーな存在が艦娘を作るから消耗品扱いをしてしまうようになった。
人間に従って戦ってくれる艦娘へ、人を守るために人でない物を効率よく使っていくのは分からないでもない。
道具扱いを徹底すれば、彼女たちが死んでもそれを指揮する者へ精神の負担は少ないからだ。
だが、艦娘を大事にして経験を積ませた子も強いという意見もあるのだから、多数派の意見を押し付けないで欲しいところだ。
まぁ、その少数派に属する俺は26歳の若さで出世が望めないと多数派にいる知人から言われた。野心を持たないと男ではないと言ってくるが、道具扱いとするよりも俺は共存していくほうが出世よりも興味があるだけだ。
そういう少数派の派閥に所属してしまっている俺には、多数派から使えないと判断された艦娘だけを与えられる。
だが彼らには使えなくとも、俺にとっては大事な艦娘たちだ。
そんな多数派による一方的な主張が進む会議とも言えない会議の出張から帰り、自宅で一晩ぐっすりと寝たことでイライラは少し収まった。
だが、寝すぎて寝坊し、慌てて紺色の軍服を着ては自分の仕事場である鎮守府へと行く。
途中、音が聞こえて沖合で艦娘が訓練をしているのをちょっと見たあとに、俺がいなくてもやっているんだなと不思議に思いながら執務室へと早足で行く。
執務室の重い木の扉の鍵がかかっていないことを不思議に思いながら開けると、暖かい部屋の中にはソファーに座って天井を見上げてはぼぅっとしている五十鈴がいた。
今日は休みなのに 珍しく執務室に来ている五十鈴は初めて俺の部下となった艦娘で、出会ったときは目には光がなく無感情的な子だったのをよく覚えている。
その時の様子は腰まで長い髪を無造作に伸ばしていて、外見も綺麗とは言いづらいものだった。
昔にそんな見た目だった五十鈴は俺より頭1つ分ほど背が低く、身なりをぴしっとすればかわいいのにと思った記憶がある。
これで素敵な笑顔を浮かべれば、きっと俺は一目惚れしてしまいそうなほどに。
別な提督の下から転属してきた五十鈴は生きる気力がなく生きているか不安になるほどだったが、2年経った今では俺が積極的に接したためか元気になったと思う。今は身だしなみもよくなり、美人な子になっている。
ただ、あまり表情が変わらないのだけは悲しく思うが。それは俺がうまく彼女の力になれていないんだろう。
その感情のことはうまくいっていないが、お互いに信頼しあえていると思うし、ここの鍵を預けるほどに五十鈴を信じている。
そうやって少し昔のことと五十鈴は美人になったなと思っていたら、五十鈴は俺へと無表情な顔を向けてくる。
「おはよう、五十鈴」
「ん、今日は遅いのね」
挨拶の言葉を優しくかけると、五十鈴は一瞬だけ微笑んで返事をくれた。
俺が提督になって2年。その間、ずっと一緒にやってきた五十鈴は今日も軍から支給された巫女服のようなデザインの制服をしっかりと着ている。
印象的な制服ではあるが、それよりも記憶に残るのは絹糸のような美しい黒髪だ。
その黒髪には、俺がプレゼントした白色の垂れ付きリボンのヘアゴムを身に着けてツインテールの髪型をしている。
そして曲線のラインが美しい大きな胸。気を抜けば、つい視線が吸い寄せられ見つめてしまう。
そんな印象的で素晴らしい特徴を持つ五十鈴は中学生の終わりごろのような幼さと大人が混じった顔立ちをし、アイドルってこういう感じだよなと思うぐらいにかわいい顔をしている。
その五十鈴がいるソファーへと行き、仲がいいとは言ってもある程度の礼儀は必要と思って2人分ほどの間を取って座る。
普段は1人でいる執務室だが、珍しく五十鈴がいてくれた。だから、誰もいなくて暗いはずの部屋はカーテンが開けられていて部屋がストーブで暖かいのは嬉しくなる。そして誰かが先にいて挨拶をしてくれることも。
「疲れて寝過ごしたからな。それで遅く来てしまったが陽炎たちが砲撃訓練していたのは五十鈴が?」
「そうよ。何も予定が入ってなかったから私が指示したわ。越権行為をしたから罰してもいいわよ?」
「まさか。時々俺の代わりをやってもらっているのに、罰を与えたら他の艦娘たちに怒られるじゃないか」
軽い話をして気分は楽になるが、これから仕事をするのかと思うと気が重くなり、深いため息をついてしまう。
どうやら、昨日の嫌な気持ちが強く残ってしまっているようだ。
艦娘を道具扱いするという話はいつ聞いても心の底から嫌悪感が湧く。
深海棲艦と戦争しているから、犠牲があるのは仕方ないにしてもやり方を押し付けるのは本当にやめてほしい。
うちは道具扱いしなくてもそこそこ軍に貢献しているし、地味な仕事をきちんとしているから役だっているはずだ。
まぁ、軍にはあまり好かれていないから功績を得づらい輸送の護衛や海上警備の仕事しか与えられない。
艦娘も26人しかいないため、それぐらいしかまともにできないが。
制限を色々押し付けるなら自由にやらせてほしいと強く思い、同時に昨日の会議とは言えない会議を思い出すと腹立たしいだけじゃなくてストレスで胃が痛くなって腹を押さえてしまう。
「提督」
「なんだ?」
「私の体、さわってもいいわよ?」
何の表情を感じさせず、どうぞと言うように俺の隣へ移動してくると、両手を軽く広げて俺の目をじっと静かに見つめてくる。
「俺は何も言ってないぞ」
「でも、すごく嫌なことがあった時は私をさわっているじゃない」
俺がすぐに動く様子がないと見るや、広げた手を自分の膝の上に置いた。
五十鈴の言うとおり、たしかに体をさわることがある。
だが、それは決してエロとか怪しい気分になるためではなく、道具扱いをされている艦娘は人間のような存在だという俺の考えが揺らぐときだ。
五十鈴をさわることで、艦娘の彼女たちを道具ではなく俺たち人間とあまり変わらない存在という認識を得るためだ。
そして、感情の起伏が少ない五十鈴には嬉しい、悲しい、驚いたぐらいの気持ちをもっと表面へ出して欲しい。
そうでないと、本当に道具を相手にしている気持ちになって俺が嫌だから。
そして感情を出してもらうためと、仲良くするために五十鈴を含めた他の艦娘たちに女性として大切であるスキンケアや、髪と肌の手入れを教えている。
他にも自分で作る料理の楽しみ、絵や小説を書くために想像することの面白さを。
道具扱いで戦闘関係のことしか知らない彼女たちは、俺の教えることをすぐに吸収して実践しはじめていく。そして人間性を少しずつ得ていった。
そして今まで自分で考えることをしなかった艦娘は、俺に意見を強く言うようになり、深く考えて行動するようになった。
そうすることで戦闘中に予想外の問題が起きた場合はマニュアルにない独創的対処をし、こうすれば問題は改善するのだと各々が考えて実行していた。
時には失敗して、駆逐なのに火力粉砕思考で魚雷発射管を全部降ろして代わりに砲塔をたくさん装備して出撃する陽炎みたいなのも出てくる。
失敗例として思い出した陽炎は 2人目の部下になった子で、中学生に入ったばかりな見た目相応の若い少女のように元気を持て余し、俺のところに来てから段々と感情を素直に表現するようになった。
だが、最初に来た五十鈴はどこか遠慮し続けていて表面的にしか感情をあらわしてくれない。
その理由が何かはわからない。仲良くなるために、ご飯を一緒に作っては食べ、買い物もした。
出会った頃の時に渡したプレゼントは五十鈴に似合う、垂れ付きリボンでかわいいガーリッシュ系のものをあげた。
プレゼントは気に入ってもらえたらしく、今でも同じ物を使ってくれている。
それでも五十鈴が俺に向ける感情がわからなく、五十鈴をわかりたくてやった手段は体をさわることだ。
そうすれば、五十鈴は1人の女性なんだと理性だけでなく心からわかることができるから。嫌がり、それで感情を出してくれるのならいい。
そして、あまり人間らしさを感じることが少ない五十鈴を、道具という存在ではないと認識するために俺はさわっていく。
「さわらせてもらうぞ」
そう言うと恥ずかしそうにするわけでもなく、ただ目をつむった五十鈴に俺は頭から彼女の体をさわっていく。
五十鈴の外見は絹糸のような黒髪、おしゃれな白いガーリッシュリボン、日焼けして健康的な肌。
そして白と赤色が目立つ制服。その制服の下にある体は華奢なイメージがあるも、実際にさわってみると想像よりも良く鍛えられている。
服の隙間からお腹をさわると無感情な五十鈴の印象とは違い、熱い体温を持っている。
そのまま、お腹の位置から上へと制服の下にある体をさわり続けているとかたい骨の感触にすべすべしている肌。
そしてブラ越しに感じる柔らかい胸の感触。
そこをさわったところで手を止めて五十鈴の体から離し、顔をじっと見つめる。
手を止めたためか、つむっていた目を開け、先ほどと変わらない表情のままに俺を見てくる。
「もう終わりなの?」
「嫌なら嫌だと言ってくれ。無抵抗なお前にさわることに今さら罪悪感を持ち始めた」
「ほんと今さらね。今回で7度目なのに。私は構わないから続けて。あなたの精神安定に私が必要でしょ?」
言われるとおり、俺には五十鈴が必要だ。今までさわられても五十鈴は嫌がる素振りを見せることはなく、俺の黒く汚れた心は五十鈴をさわることで雪のように綺麗な白色へと澄んでいく気がする。
何事にも動じず、いつも1人でいる五十鈴は放っておいたらいなくなってしまいそうだ。だからこそ、俺や他の艦娘とは違って儚く思える。
そんな五十鈴がいてくれるからこそ、物や人に八つ当たりすることもせず艦娘たちの前で立派にやっていける。
俺にとって五十鈴は言葉にするなら――――なんだろうか?
恋人に向ける感情ではなく、友人や妹に向ける親愛の情とも違う。
仕事のできる部下に対する強い期待とも思ったが、五十鈴は事務能力や戦闘能力がそれほど優秀ではない。
五十鈴に対する自分の感情がわからないでいると五十鈴は静かに平坦な感情で、でもその言葉には俺を気遣う気持ちが入っている言葉をかけてくる。
「私はあなたが頑張っているのを知っているわ。今まで扱いが悪かった私や他の子たちを引き取ってくれた。生きることが楽しくなるのを教えてくれたあなたが、私たちは好きになっているわ」
「俺の一方的な満足に終わってないならいいが」
「大丈夫よ。もっと色々なことを知りたいから、死にそうな状況になっても生き残りたいと思うようになったと陽炎が言っていたわ」
陽炎本人から俺へ感謝の言葉を多く言ってもらえているが、それを五十鈴経由で聞くと本当にそう思っているのだと知って嬉しくなる。
提督をやってきてよかった、と思える瞬間だ。そして、俺が艦娘たちと接している今の方向性は間違ってはいないのだと実感する。
「それにもしダメだったら、私があなたに文句を言っているじゃない」
「悪いなら悪いと言ってもらえるのは嬉しく思っている」
表情は変わらずとも、ほんの少し優しい声になった五十鈴の頬を片手で優しく撫でていく。
柔らかくも弾力がある肌はさわっていて気持ちよく、つい撫で続けてしまう。
そうして俺が夢中になっていると執務室の扉が突然勢いよく開いた。
その音に反応して俺は人生で最高レベルに近い反応と瞬発力で五十鈴の頬から手をどける。慌てた俺に反して、五十鈴は落ち着いて自然と距離を取っていく。
この部屋にやってきたのは陽炎だ。陽炎は五十鈴よりも少し幼い顔をし、シャツとブレザーベストなミニスカ制服姿にはところどころ油の染みや水に濡れた場所があるのが見える。
陽炎は扉を開けた勢いそのままに、まぶしいほどの笑顔でソファーにいる俺の隣へと勢いよく座ってくる。
座ったあとに陽炎は五十鈴に手を合わせて謝ったあと、俺の目の前へと迫ってくる。そのとても近すぎる距離は陽炎の爽やかな髪の香りと汗の匂いを感じるほどだ。
「訓練が無事に終わったわ! 不知火も黒潮も上手にできたのよ。親潮がまだ艦隊運動の動きに難があるけれど、段々と改善しているの!」
「それはよかったが……陽炎、近い」
「そう?」
元気すぎる陽炎の汗ばんだおでこを手でそっと押しながら注意すると20㎝ほど離れてくれ、近いことの何が悪いのかと不思議そうな表情になったがすぐに笑みを向けてくれる。
俺は陽炎から訓練報告の詳細を聞き始めるが、陽炎越しに見える五十鈴の雰囲気がいつもと違うように感じた。
どこが違うと言われれば困るが、静かだけれど迫力がある静かさの成分があるような。
様子が普段とちょっとだけ違うような五十鈴を少し気にしつつも陽炎の報告が終わると、そのまま別の話をする。
それは陽炎の妹たちの料理が上手とか下手という日常の話、出かけた店で新商品の駄菓子を見つけたこと、昨日の夜間訓練の月は綺麗だったから今度一緒に見ようとも。
楽しく言う陽炎に俺も聞いているだけで楽しくなってくる。昔の無感情で無気力な頃と比べると特に。
そしてこういう、かわいい子が慕ってくれるのは男としても嬉しい。
だというのに、陽炎と楽しく話をしているだけなのに五十鈴の圧力を段々と強く感じてくるのはなぜだ。
今までこれほどに強く感じたのは、俺が軍上層部に対して弱腰になったときや作戦決行に戸惑った時だけなのに。
この圧力は何を意味している?
それがわからないまま話を続けていると、陽炎が俺へ背を向けて結われている黄色の大きなリボンとヘアゴムを外した。
ツインテールだった陽炎の淡い赤色の髪は背中までのストレートヘアになり、陽炎と向かい合うことになった五十鈴は俺への圧力が消え、陽炎に小さな笑みを向け始めた。
「今日は頑張ったから、いつものように髪をやって欲しいの。いいでしょ?」
少しだけ首を傾けながら俺を見て、かわいい顔の角度でお願いしてくるのを断れるわけがない。
「わかった。クシを取ってくる」
「やったぁ! そんな提督が私は好きだからね!」
「はいはい」
ちょくちょく言われる好意の言葉に嬉しくなりながらソファーから立ち上がると執務机へ行って、その引き出しから艦娘たちのためにと買った高いクシを取り出す。
それはつげの木でできた大きなかまぼこ型の物で、手の平サイズで使いやすい。
クシを持ってソファーに戻ると、さっそく陽炎の髪をクシですいていく。
この髪をクシで通す感触が俺にはとてつもなく嬉しい。汗でしっとりとした髪を手で持ち、ゆっくりとすいていくのが。
本当はシャワーを浴びたあとの乾いたほうが髪にとっていいのだが、陽炎は髪を綺麗にするよりも俺にやってもらえるというのが嬉しいみたいだ。
髪を俺に預けてくれるというのは信頼の証拠でもあり、いい関係を築けていることに安心する。
陽炎は俺に髪をすかれながら、五十鈴と食堂のご飯の何々がおいしいおいしくないとか提督のご飯は1品おかずが多くてずるいなどの世間話をしている。
4分ほどの時間をかけてすき終わるクシを胸ポケットへ入れ、陽炎の肩越しに手を伸ばす。
「陽炎、リボンとヘアゴムをくれ」
「ん、かわいく結んでね!」
「おう、任せとけ」
陽炎から黄色のリボンとシンプルな黒色のヘアゴムをそれぞれ2つ受け取ると、手で髪をまとめてツインテールの片方分を手に持ちながら髪をさわっていく。
後ろあたりの髪を1つにまとめてから2つの束にわけ、そのうちの片方を耳よりも高い位置で後ろ寄りのところをヘアゴムでテールを作る。
そしてリボンでヘアゴムの上から結んでいく。この結い方ならリボンだけで結ぶのと違って外れづらく、自由に結べる。
そうしてやったのを反対側も同じようにしていく。気分よく結ってできあがったのは来たときよりも髪がよくまとまったツインテールが完成した。
今までたくさんの、だいたい50回ぐらいは陽炎のリボンを結び、他の艦娘のリボンもやっているために我ながら中々の器用さを手に入れたと満足している。
「綺麗にできたぞ」
「ありがとう、提督!」
この執務室には鏡がないため、陽炎は両手でそれぞれのリボンをさわって確認して立ち上がると、俺へと元気に感謝の言葉をくれる。
上機嫌な陽炎は「訓練が終わった他の子の様子を見てくるわ!」と言って部屋からスキップでもしそうな勢いの早歩きで部屋から出て行った。
元気な陽炎がいなくなり、また五十鈴との静かな時間が戻ってくる―――と思っていた。
2人になった途端、なぜか五十鈴が物凄く俺を睨んでいる。それはもう不満だとすぐにわかるような。
普段よりも感情が表情に出ているのは喜ぶことだが、こういう息苦しいのは遠慮したい。そういうのは俺相手ではなく、他の誰かにぶつけてくれ。
「いつもあんなことをしているの?」
「あんなこと?」
「髪をすくことよ」
「あれは褒めるときにやっているだけだ。全員じゃないが、一部の艦娘も陽炎みたいに髪をなでてやると、かわいい笑顔で喜んでくれるんだ」
「陽炎には今回で何度目?」
「回数は……50を超えてはいるな」
五十鈴のちょっとだけ低く、威圧感を感じる声に誤魔化すのは怒るだけだと思って素直に答えたが、それでも態度は変わらない。
ジト目であきれたふうに見つめてきながら、俺に近づいてくる五十鈴。それはさっきと同じように胸元近くの距離まで。
でもさっきと違い、圧迫してくる雰囲気から俺は五十鈴の目から視線をそらしてしまう。
そらしたままでも五十鈴が俺を見つめてくるのは感じていて、1分ほど無言でいられると冷や汗が流れ始めてしまう。
もうどうしようかと思った時に、五十鈴は俺の胸へと顔を押し付けて手を背中に回して抱きしめてくる。今まで俺が一方的にさわるだけだったが、逆にさわられるのは初めてだ。
腕の力強さと、そのために圧迫された弾力ある胸の感触にどうすればいいかと悩む。
こんな大きな胸の感触を感じるのは初めてで、男として興奮してしまうがなんとか理性で頑張って落ち着きを保つ。
「どうしたんだ、いったい」
「……ずるい! 私だけ、あなたに髪をやってもらったことが1度もないのだけど?」
不満たっぷりな声で言い、俺の背中を強い力でつねってくる。
五十鈴は昔から1人で色々できたから、肌や髪の手入れを教えたあとは1人でずっとやってくれていた。
だが、他の子は教えても上手にできなく、俺がメイクや髪を洗って結っていた時期が五十鈴以外の艦娘たち全員にある。
俺は五十鈴の静かな怒りに耐えていると、つねるのをやめた五十鈴は俺から顔を離しては悔しそうに怒った表情で見上げてくる。
その感情をはっきりと出したことに驚くと共に、表面的でない表情はかわいいものだと強く思う。
やばい。この怒り顔はとてつもなくかわいい。このまま説教をしてもらいたいと思い始めるほどにだ。
でもそう思ったからと言って、このまま放置しておくのは提督としての威厳がなくなってしまう。
「頭以外の体をさわっているのは五十鈴だけだ」
「……本当?」
「本当だ。髪をさわるようになったのは褒め方がわからなかったのと、髪をさわっているとその艦娘が見せる表情に人間らしさを感じられるからやっているだけだ」
俺がそう言い終わった途端に、五十鈴は長いツインテールを縛っている垂れ付きリボンのヘアゴムを外して俺の手へ押し付けて五十鈴は勢いよく俺に背中を向ける。
1年と半年ぶりに見る五十鈴のロングヘア姿に見とれ、少しのあいだはぼぅっとしていたが陽炎と同じようにしてもらいたいんだと思って胸ポケットからクシを取り出してズボンにあるハンカチで拭く。
そうしてから五十鈴のさらさらとした長い髪を手で持ち、手のひらの上で滑らせるということを2度したあとにクシで髪をすき始める。
陽炎よりも手触りがよく、手入れが行き届いている髪に感心する。どうやら俺が教えた手入れのやり方を続けてくれているらしい。
それに俺好みの香りがする。五十鈴にはシャンプーや髪をケアする道具までは教えていなかったのに。人工的でなく、自然なアロマオイルのような香りが五十鈴からして嬉しくなる。
「五十鈴は綺麗な髪で俺の好きな匂いがしていいな」
「でしょう? きちんと気を遣っているのよ。それで、私の髪はどれぐらい綺麗かしら?」
「毎日さわっていたいほどに」
そう言ったときにクシでの手入れが終わり、使い終わったクシを胸ポケットへしまうと今度は髪型だ。
陽炎の時とは違い、五十鈴のツインテールは後頭部やや上側あたりで髪の束を分け、襟付きリボンのヘアゴムをそれぞれつけていく。
「よし、終わりだ」
「……私だけリボンを結んでもらえないのね」
五十鈴は俺へと体を向け、寂しそうにリボンをさわる。
リボンを使う艦娘の中で、五十鈴だけがリボン付きのヘアゴムだ。俺がそれを使ったのには理由がある。
初めての部下である五十鈴が来た頃はまだリボンを結う技術は持っていなく、町で見つけたものが五十鈴に似合いそうだと思い、それをプレゼントした。
その後、艦娘が増えるにつれ、俺のリボンを結う技術や三つ編みなどの髪型を作るセンスは向上していった。
五十鈴にもリボン付きのヘアゴムでなく、普通に結んであげたいと思ったが、どうしても垂れ付きリボンはうまくできなかった。
それに初めてあげただけに思い入れがある。それも時々同デザインのものを予備として五十鈴にあげるくらいには。
「俺には垂れ付きリボンという、おしゃれなものはうまく結えなくてな。それに初めてのプレゼントをずっと使ってもらえるのは嬉しくて……」
「提督は他の子にもリボンをあげたことがあるの?」
「五十鈴だけだ。他は五十鈴のリボンを見て、それぞれが自分で買ってきて真似をするか、俺にやってと言ってくる」
プレゼントを使ってもらえて嬉しいだなんて恥ずかしいのを我慢しながら言うと、なぜか緊張した様子で聞いてくる。
その返事に、俺は恥ずかしい思いをさらにしながら、五十鈴に言う。
「そう、もらったのは私だけなんだ……」
消え入るような声でつぶやいた五十鈴は俺に背を向けて立ち上がると、左右の手でそれぞれのリボンを大事そうにさわっていく。
だが、ちらちらと見える横顔は喜びと困惑が入り交じっているものだった。
気分を悪くするようなことを言ったかと落ち込んでいたが、これほどの感情豊かになってくれたことを喜んだほうがいい。
今日の朝に会ったときは表面的だったが、本心からの感情が出てきたのは……今日で7度目となる五十鈴の体をさわった時から? それとも陽炎が来たときに?
天井を少し見上げ、低いうなり声をあげて悩み始めたが五十鈴の呼びかけによって視線を戻す。
「ねぇ、今の私が持つ感情ってなんだと思う?」
「わからん。わからんから、言ってみろ」
「えっと、私のこと、どう思っているの?」
俺の正面へと向き直り、頬は少し赤くなった五十鈴がそんなことを聞いてくる。
今までにない言葉、表情と緊張した様子に俺の頭は必死に動いて、正解か正解に近い答えを探す。この質問は今までの人生で1番目の難易度を誇る気がしてならない。
そして、この質問の答えによって、これからの俺への五十鈴の態度が決まってしまう気がする。
だから頭の中で慎重に考えつつ、時間をかけて言葉を出していく。
「五十鈴にはリボン、特に白い垂れ付きリボンがとても似合う。それに――」
「それに?」
「……出会った時と違って、感情豊かになった表情やかわいい仕草をする五十鈴は、その……とても俺の好みだ」
五十鈴から視線を外した俺は恥ずかしい思いをしながらも正直に五十鈴を褒めたというのに返事は返ってこない。
あぁ、これなら適当に言って今の関係を続ければよかったか? 1度言ってしまった言葉はもう消すことはできないから、しばらくは気まずい思いになりそうだ。
10秒経って言葉も動きもなく、そっと顔を五十鈴に向けると、五十鈴はぽかんとした表情で固まっていた。
「……五十鈴?」
恐る恐る名前を呼ぶも返事はなく、口を開いては何か喋ろうとしているが言葉にならない。
喋るのをやめた五十鈴は目を閉じて深呼吸したあと、ゆっくりと目を開くと俺の目をしっかりと見つめてくる。
「私はここに来てから自分の感情がどういうものか、わからなかったの。そのせいで迷惑をかけたわ」
「俺は道具扱いじゃなく、人として艦娘たちと一緒に戦いたいからな。それを迷惑とは言わない」
「だとしたら嬉しいんだけど。それで!
……それであなたが私以外の子と、陽炎とすっごい仲良くして、胸にむかむかとした感情ができたの。
いらいらするような、寂しいような。私からあなたが離れていく感覚がして、寂しさを感じて……」
時に声を大きく、段々と小さな声で寂しそうに言いながら、五十鈴は後ずさって扉へと少しずつ近づいていく。
「だから陽炎と同じように髪をすいてもらったんだけど、初めてやってもらった時に気づいたの」
「何をだ?」
「心の底から温かくて、あなたのことしか考えられなくなる気持ち。これがきっと、陽炎が言っていた言葉と同じのを言う瞬間だと思うの。……好き。大好きよ、私の提督!!」
言っている途中から顔を赤くし、大声で好きと言った五十鈴は身をひるがえして素早く扉を開けると、そのまま全力で走っていく。
走り去っていく音が聞こえ、やがてなくなる。そのあいだ、俺の意識は固まってしまっていた。
今までクール系な五十鈴だったのに、急激に強い感情を表へ出し始め、感情のおもくむままに告白をされた。
好意というよりも、きっとあれは恋愛という意味での好きだ。
もし違ったのなら、俺は1週間ずっと軍の会議に出てもいい。
3度深呼吸してから落ち着いて現状を把握した俺はのっそりと立ち上がっては執務室の扉を閉めると、ソファーまで戻って深く腰掛ける。
今日で完全に自分の好みとなった女の子からの告白なんだから。
そして、そんな子に今まで好きなように体をさわっていたことが急激に恥ずかしくなって、この気持ちの整理ができない。
ああ、次に会ったときは物凄く恥ずかしくて遠ざけるに違いない。だけど、この抑えきれない今の気持ちは恋をしたのだと俺は感じた。
1人恥ずかしくなっていると、扉が開く音が聞こえて顔を向ける。
そこには扉をほんの少しだけ開けて、顔半分だけ見える五十鈴の姿が。
五十鈴は顔を赤くし、俺と目が合った瞬間には目を素早くそらした。
「あのね、キッカケは陽炎だったけれど、あなたの好きな部分はいっぱいあるわ。男らしいゴツゴツとした手で私をさわってくれるのは嬉しいし、私がそっけなくしてもヒマワリのように明るい笑顔を向けてくれるのは好きよ。
初めて会った時から私を大事にしてくれているのは一生の思い出だわ。えっとだからね……」
少しの沈黙のあと、視線をそらしていた五十鈴はしっかりと俺を見つめては大きな声で強く言ってきた。
「いつか私に恋してくれると嬉しいなって。それだけが言いたかったの!!」
そうして逃げるように扉を閉め、廊下を走り去っていく音が聞こえた。
……俺はもう落ちているというのに。もう五十鈴のことは好きで恋だと実感しているが、もっと惚れてしまいそうだ。
近いうちにいいムードとプレゼント付きで告白してやるから、俺と同じようにもっと恥ずかしくしてやるから覚悟しておけよと心の中で静かに、でも強く思った。