僕は今まで23年間を生きて、初めての一目惚れをした。
その女性の名前はリシュリュー。
腰まである長さの淡く薄い金色の髪。雪を思わせる白い肌。色素の薄い黄色の目で、目元と口元のほくろが色っぽくて美人で気が強そうな顔立ちをしている。
身長は僕より5㎝高い175㎝で、すらりとしたスタイルは雑誌で見るモデルの人と同じかそれ以上に見えた。
そんな美人の彼女に憧れの感情を持った僕は、提督になったばかりだったために秘書にしたいと考えていた。
でも周りの人たちは「秘書になら他に適した子がいる」と言ってきたが、僕はその忠告に従わずないで彼女を秘書にした。
僕の目にはリシュリューしか映っていなかった。
リシュリューのことしか考えられなかった。彼女の会うために提督になったんだと思ったほどに。
でも一緒に仕事をするようになって、反対された理由がよくわかった。
僕に対して強い言葉で意見をよく言ってきて、嫌な仕事ややりたくないお願いごとはやらないとはっきり言う。自分勝手でマイペースに動く。
健康のためと言って僕に肉を抜いた野菜中心の食事に果物を食べさせてくるし、提督は筋肉をつけるのが仕事でないと言われて筋トレの量も管理されている。
他の艦娘たちと仲良くしすぎるなとも警告され、仕事以外で会ったのがばれると秘書の仕事を放り投げてストライキをし始める。
反抗的な態度は一目惚れした時の勢いなんてなくなるほどに。
けれども時々、彼女は僕の表情や雰囲気で多くを察して気を遣ってくれることがある。
たとえば疲れた時はカフェオレを淹れてくれる。落ち込んでいる時には何も言わずに僕がやめてと言うまで膝枕をしながら、ずっと優しく頭を撫でてくれる。
そんなリシュリューの姿は、真面目過ぎて融通の利かない僕の癒しとなっている。
優しいところも苦手な部分もあるけれど、それも含めて『リシュリュー』という存在で全部に対して惚れている。
―――そんな彼女と一緒に仕事をして早3年。
春である5月の今日は仕事が落ち着いている日だ。こんな日こそ心穏やかに過ごしたいものだ。
昨日は独身の僕に結婚をしないかと軍の偉い人から迫られ、断るのに大変な苦労をした。その疲れが次の日である今日にも残っている。
眠くなる日の光の暖かさと涼しい気温による眠気を我慢しながら、午前中に提出資料をまとめ終えた僕は空き時間ができると鎮守府にある本部屋へと来ていた。
ここは艦娘たちの娯楽のために僕の指示で作った小さな部屋。
8畳ほどの大きさで畳張り。外からの艦娘たちの訓練する音と声が聞こえてくる四角い小さな窓がある面以外の場所は本棚が隙間なくあり、艦娘たちのために集めた本は小説と少女漫画中心だ。
本に関連する以外の物は座布団が2つあり、そのうちのひとつは僕が使っている。
もうひとつはリシュリューが。彼女は僕と肩がふれあっているほどの近さでお互いの軍服越しに暖かい体温を感じさせてくれる。
畳の香りと同時に、とても近くにいるリシュリューからは香水のフローラルな爽やかさと甘い桃の香りが混じったものを感じて本を読むのに集中できない。
僕の姿勢は壁に背を預け、足を伸ばして詩集を読んでいるのだけど綺麗な文字が頭に入ってこない。
隣からはリシュリューの息遣いや本をめくる紙の音が聞こえ、僕の意識はそちらにばかり集中してしまう。
読んでいる本から視線を外してリシュリューの顔を見ると、不機嫌そうに小説を読んでいる。
どうにも朝から機嫌が悪く、理由を聞いても本人は気のせいだと言っていた。
生理ではないと自己申告で聞いてはいるも、どうにも僕になんらかの理由がある感じがする。
なぜなら僕と一緒に本を読んだことがなく、体をくっつけるほどの距離でいたことは今が初めてだ。そんな彼女はきっと僕に何か言いたいがために近くにいるのだと思う。
本来なら読書は癒しだが、一目惚れをして、けれども告白をするには僕とは釣り合いが取れないリシュリューがあまりにも近い距離でいるから緊張し続けている。
僕の癒しでもある読書は一目惚れして以来ずっと好きであり、告白をするには高嶺の花でありすぎるリシュリューが秘書である時よりも近いから緊張しっぱなしだ。
「
「いや、そういうわけじゃ」
「そう」
僕の視線に気づいたリシュリューは普段よりもどこか刺々しく感じる言葉を言い、僕はすぐに視線を本へと戻す。
そして集中できずに頭に入ってこない文章を読み続けているとリシュリューから僕への視線が外れ、苦情を言われることがなかったから安堵のため息をついてしまう。
僕とリシュリューの関係はよくわからないものだ。
こうやって肩を並べて一緒に本を読む距離感だけど、話をしても友達みたいに好意的な気配はあまりしない。時々何かを期待するような目で見てくるけど、それがなにかがわからずに毎日悩む日々。
悩んでも自分1人で答えが出ない時にはビスマルクに助けを求めている。
ビスマルクとは僕がリシュリューに片想いを始めてから、ビスマルクについ愚痴を言ってしまってから仲良くなり、今では信頼できる友人の間柄だ。
だからこそ、リシュリューに恋人だと誤解されないように昼間の時だけ会うようにしている。
用心を重ねてリシュリューに気づかれないように仕事を与え、または休みの日を選んでは隠れて相談をしている。
でも昨日だけは軍の偉い人から勧められたお見合い話に対してどうしても心が落ち着かず、初めて夜にビスマルクの部屋へ行って長々と相談に乗ってもらった。
相談に乗ってもらった後は気分が爽やかになり、ビスマルクがいるからこそ助言を受けている僕はリシュリューとも悪くない関係を続けることができ、将来的には告白できるほどに仲が良くなりたいと努力している。
でもそのリシュリューはどうにも今日は不機嫌な日らしく、仲を深めるための会話は別の機会にしよう。
今日は仕事以外での話はせず、ただ静かに本を読むことにする。
そう決意して本を読もうとしたところ、リシュリューは僕の読んでいる本にそっと手のひらを乗せてくる。
読むのを中断させられた僕が顔をあげると、僕が読んでいた本に紙のしおりを挟むと本を取り上げて畳の上に置いた。
「……どうしたの、リシュリュー」
「
僕を見る冷たい目、感情がこもっていない平坦な声に背筋が冷たくなる。
それは僕を責めているようで浮気がばれた時のような気がしてしまうが、僕はずっとリシュリューのことしか見えていない。
だからその罪悪感はすぐになくなり落ち着いて話をすることができる。
「ああ。少し悩み事の相談がしたくて行ったんだよ」
「それならRichelieuがやってあげるのに。そもそも夜に女性の部屋へ行くのはよくないことよ? あなたが権力を使って女を好き放題にしていると誤解されてしまうわ」
「そう見える?」
「Richelieuにはね。Bismarckと恋人だって言うのなら―――」
「違う! ビスマルクとは友人なだけだ!」
一瞬でも誤解されたくなくて、リシュリューの言葉を遮って大声で言ってしまう。
リシュリューは僕の声に驚いて目を見開いたけど、すぐに言葉の続きを言ってくる。
「恋人なら周囲に言うべき、と言おうと思ったのだけど違うようね?」
「違う。恋人なんていないよ。恋愛に興味はあるんだけどね」
「誰かと性行為がしたいだけなら、Richelieuは全力で止めるけれど」
冷たい声で目つきは厳しく、伸ばしている僕の足に手を置いてくると痛みが出るほどに力を入れて掴んでくる。
どうにも誤解されてしまったようで、いい説明をしようと必死で考える。
そもそも日本と外国であるフランスでは恋人同士の関係や付き合い方は少し違うと何かの本で読んだことがある。
それがどう違うかは思い出せないままに僕は口を開く。
「そういう意味じゃなくて。ええと付き合うのは日本人的な……わかりやすく言うなら一緒にいて落ち着けるが関係いいんだ。
なんでも言えることができて、お互いに甘えられるような」
「やっぱりBismarckじゃない。隠れて付き合っているのなら言って欲しいわ。何かあったら助けるのが秘書なんだから」
そう言ってリシュリューは寂しげな目をすると、静かにそう言う。
リシュリューからしてみれば、今までの会話では僕が付き合っているのを隠そうとしているようにしか思えないのだろう。
僕は違うと説明しているけど理解してもらえるのは難しい。
確かにビスマルクとは落ち着いてなんでも言える関係だけど、お互いに甘えるような恋人関係ではない。
「違うって。僕には好きな人がいるんだから、ビスマルクとは―――」
誤解されそうな状況に、精神を落ち着かせて慎重に言葉を言って関係を否定していく。
でもその言葉は最後まで言えず、僕の顔を掴んだリシュリューによって強引にキスをされた。
最初は勢いあるキスで、次は唇同士で撫であうような優しいキス。
それはほんの数秒でも何分にも感じられるほどの甘く痺れる感覚で、僕がぼぅっとして何もできないでいると唇を舌でなぞってくる。
頭でその感触を理解しきれずに硬直していると今度は僕の唇を甘噛みしてきて、リシュリューにされるがままになっていると僕から少し顔を離しては嬉しそうに微笑みを向けてくれる。
「あなたの好きな人なんて関係ないわ。
……あなたに好かれようだなんて日本人好みに自分を抑えてきたのが本当に馬鹿らしいわね」
僕が好きなのか? そんなことを聞く余裕もなくリシュリューは顔を近づけてきて、今度は口の中に舌を入れてくる。
リシュリューの熱い舌の感触が僕の舌と絡み合い、僕の全部を欲しがっているように感じる。
それは興奮するものだ。でも僕が一目惚れしてから好きだったリシュリューとのキスなのに、嬉しさはそれほどない。
そんな僕の様子に気づかず、いや気づかない振りなのか1度口を離すとお互いの間に唾液が粘りを持って糸を引いていた。いつもは冷たいリシュリューだけど、今だけは頬を赤くして興奮した様子で僕の足の上にまたがってくる。
リシュリューは僕の胸にもたれかかり、お互いに吐息がかかるほどの近い距離で僕たちは見つめあう。
「Richelieuの味はどうかしら?」
「……どうして僕にキスを?」
僕はその質問に答えることなく、悩んで当然の疑問を返すと当然のような顔をして口を開いた。
「
「ダメではないけど、好き? 僕のことが?」
「私は気分だけでするような安い女ではないわ。それで、好きと告白したのだけれど恋人にはなれるかしら?」
さっきの興奮した様子とは変わり、今では冷たい氷のような視線で僕を見つめてくる。
僕はその視線から目をそらさず、混乱している思考を整理していく。
「僕の好きな人の名前を聞いてからで返事はいいかな?」
「よくないわ」
「僕が好きなのはリシュ―――」
強引に言おうとする前に僕の首へと両手を回してきて、口をキスでふさいでくる。その快感に僕は抵抗ができない。
息が苦しくなるほどにキスは続き、ようやくリシュリューが離れたときはお互いの息は荒くなっていた。
その隙に手でリシュリューの顔と肩を抑え、僕は言う。
「リシュリューだ。僕はリシュリューが好きなんだ。出会った時からずっと。
綺麗な顔と髪への一目惚れから始まって、我がままとか自分勝手とか、提督である僕の指示には反抗することが多いし、自分が正しいといつも思っている。冷たい目で睨んでくるし、間違っていてもすぐに言い訳をするし」
「それ、ただの悪口じゃない?」
「悪口だ。でもそんなリシュリューが好きなんだ。
マイペースなだけで、僕のことをよく理解してくれている。フランス語を覚えようとしたときには勉強に付き合ってくれた。疲れたときにはコーヒーを淹れてくれたり、頭を優しく撫でてくれながら膝枕をしてくれるのは最高に心臓がどきどきしたよ」
ようやく言えた。告白できたことに安心していると、リシュリューは僕の手を払って僕へと抱き着いてきて首元へと顔を寄せる。
「……私はあなたの感触で好きになったわ。私たち艦娘と違って筋肉と脂肪の絶妙な柔らかさ。肉を食べさせないことによって、元から好きだったあなた自身の匂いを自然に感じれるようにした。
それと真面目過ぎる性格で失敗することが多いダメなあなたを私がなんとかしないとって思ったの」
リシュリューからそんなことを言われ、僕たちは相思相愛なのが確認できた。
それは嬉しい。でもリシュリューが僕の首筋に鼻を当てて匂いを味わっている呼吸を感じ、抱き着いた手は僕のお尻を何度もいとおしく掴んで離すというのを繰り返していることにどう反応すればいいんだろう。
しかも僕を好きな理由が変わっていて反応に困る。
「ああ、これからいつどんな時でもあなたの体を自由にできるだなんて幸せだわ」
その言葉を最後に熱っぽいため息を出したリシュリューは僕の体のあちこちをさわり、色々な場所の匂いを嗅いでくる。
恥ずかしいところをさわろうとしてきた時に抵抗され、艦娘ならではの力を全力で発揮して僕は力を抜いて時間が経つのを待つしかない。
でもリシュリューの新しい一面が知れて嬉しく思う。もし恋人関係になれなかったら、こんなことは知ることができなかった。
「これからはRichelieuがあなたを幸せにしてあげる」
「そうなると僕は何をすればいいのかな」
「Richelieuだけをずっと見ていればそれで満足よ」
今までで最も優しく、さわるだけのキスを僕の唇へとするとスカートのポケットからハンカチを取り出して唾液で汚れた僕の顔をふいていく。
そうしてから自分の顔をふくとリシュリューは立ち上がって服の身だしなみを整えていく。
「あなたともっとふれあっていたいけど、大事な用事を片付けてくるわ」
「用事?」
「ビスマルクや他の艦娘たちに
しゃがみ込んで僕の頬に軽くキスをしてくると、微笑んでは優雅に部屋から出ていった。
僕はリシュリューがいなくなってからも、座ったままでぼぅっとしていて今のは現実だっただろうかと不思議に思う。
これで僕は恋人同士になった、はずだ。キスをしたから僕の一方的な好意ではない。
大丈夫なはずだ。でも不安でたまらない。あんな美人でかっこよくて仕事ができるリシュリューが相手ではすぐに愛想を尽かされ、別れ話をされそうだから。
リシュリューからは戻ってくるまでいろと言われたが、頭をすっきりさせるためのコーヒーを一杯淹れてくるぐらいは許してくれるだろう。
そう思って立ち上がって部屋を出ると、廊下の扉近くにリシュリューがいた。
彼女は壁にもたれかかってうずくまっていて、頬を思い切り赤くしては顔を両手で押さえている。
小さく何かの言葉を呟いてはいるが聞き取ることができず、その内容が気になって気づかれないようにゆっくりと近づいていく。
もう少しで言葉の意味がわかるところまで近づいたが、不意に立ち上がったリシュリューと目が会った。
静かに流れる時間。僕とリシュリューは何も言わずに見つめあう。
それが5秒ほど過ぎたときに恥ずかしさのためか頬を真っ赤にリシュリューは何事もなかったかのように立ち上がって僕に向けて急に走り出す。
が、次の瞬間には自分で自分の足を蹴り飛ばして倒れてしまう。
顔から豪快に倒れた姿を見て慌てて近づくが、すぐにリシュリューが僕へと手を伸ばして止まれという仕草をする。
それを見て立ち止まるとリシュリューは倒れたまま僕を見る。その表情は涙目で、物凄く恥ずかしそうだ。
「見ないで。そして今のRichelieuのことは忘れて」
そう震えた声で言ってはまた走り出していく。今度は倒れることがなく。
初めて見る、どじっこ成分があるリシュリューの姿を見て自然と笑みがでてきて、恥ずかしがっている表情はもうかわいいの言葉しか考えられない。
それはカメラがあったら、何枚も撮り続けたいほどに。
かっこいいだけじゃなく、少し緩んだ姿を見るともっと多くの表情を見たいと思う。
恋人に、今まで以上に遠慮なく物事を言える立場になったんだから。