風吹き抜ける荒野に立ち、両者が対峙する。片側には小柄な鬼と大柄な鬼が。片側には鬼、天狗、狐、犬、猫の妖怪が。もう一人、つい数分前までは死神だった者が地面に転がっているが、あえて見て見ぬ振りをしておこう。それぞれが、それぞれ違う表情をしていた。
「伊吹萃香に星熊勇儀か。……なるほど、閻魔は最高の日に最悪な輩をよこしたわけだな」
「……ちっ、よりにもよってこいつらか」
辰彦も颯も苦虫を噛み潰したような表情をしている。打って変わって玉藻らご一行、いや、玉藻一人は、萃香たちに対して特に何の反応も示していない。むしろ楽しんでいるようにも見える。
皆逃げたのか、はたまた皆やられたのか、この場にいる五人以外は物音一つ立てる者はいない。
「閻魔の言っていたことはそういう意味だったか……。まったく、タチが悪いな」
「やあやあ、何処の誰でどういう御身分かは知らないが、こんな成れの果ての地で随分暴れてくれているようじゃないか」
萃香が大胆不敵に辰彦らを煽る。辰彦の眉がピクリと動いた。
「何処の誰だと? 貴様、ふざけるのも大概にしろ。忘れたとは決して言わせんぞ」
「……? 何処かの道端で喧嘩を売ってきた奴のことなんて、いちいち顔も名前も覚えてないぞ? 酔っていることが大半だからな」
「相手にするな萃香。閻魔が与えた時間はそう長くはない──ほら」
訝しげな萃香を勇儀が制した時、突如その場にいた全員が、何か心の奥に重い石を置かれたかのような、そんな感覚に見舞われた。約束の時間になり、映姫が能力を発動させたのだろう。
ここから半刻の制限時間が設けられる。一歩前に歩み出た勇儀は指の骨を鳴らすと、辰彦らを見据えた。
「明日のないお前らと違って、生憎この後は予定が詰まってるんでね。名残惜しいのはわかるが、これ以上のおしゃべりは無しだ」
「再び妖力封印、か。閻魔も随分と分厚い保険を掛けてくるのぉ。……これでいよいよ脱走が不可能になってきたわけじゃな」
お手上げと言わんばかりに両手をひらつかせる玉藻。彼女の両脇では、不安げな表情をした鈴と猫又がいる。
「また妖力が使えなくなったじゃねーか……。くそっ! 肉弾戦でこいつらを相手にするのは結果が見えているようなもんだぞ、辰彦!」
「黙っていろ颯。騒いだところで戦闘は避けられんのだ」
腰を落として身構え、辰彦は戦闘に入る体制をとる。それを見た颯も慌てて身構えた。
「少し耐えればこの術は解けるじゃろうて。流石の閻魔もそこまで霊力も体力も残っておらんはずじゃ」
「貴様はさっさと構えをとれ、玉藻」
「愉快なことを言うのぅ。さっきは儂に焦るなと言っておきながら、今は主らが焦っておるのか。かかっ。無論、儂は後にも先にも焦りなどないのじゃが」
ただ一人、本当に愉快げに肩を揺らす。
「大人しく捕まってくれると、こちらとしてはありがたいんだがな」
「そーんなことするような奴らなら、そもそも脱走すらしてないじゃろうて」
そう玉藻が言う。
脱走犯であるはずなのに、玉藻だけは彼らとはどこか波長が違っていた。脱走犯であるはずなのに、玉藻だけは逃げたいという意思さえ感じられない。
「……引退試合と復帰戦が同じ相手とはな。しかし幸運にも開放されたこの身、戦う前からみすみす白旗も揚げてられん……!」
決意したように奥歯をきりりと噛み締めた辰彦は地面を強く蹴り、構えの薄い萃香に襲い掛かった。ただ脚力だけに頼った単純な攻撃だが、その速度は常人には目視できない程のもの。不意を突かれた萃香は、上体を大きく反らし辛うじてこれを回避する。この隙に颯も萃香に飛び掛り、波状攻撃を仕掛けようとした。
「かかっ。策も無しに慌てて飛び込んで、勝てる相手ではなかろうに」
颯の脇腹に蹴りを叩き込む際、勇儀は玉藻のそんな声を耳にした。颯は萃香しか見えていなかったせいで、その蹴りは深く体にめり込む。
なぜ彼女は動こうとしないのか。
疑問を持ちながらも蹴り出した右足を大きく振り切る勇儀。攻撃が直撃し瞬間的に向きを変えられた颯の体は、近くに建つ廃れた建物を半分ほど破壊して静止した。
「……化け物め……!」
体を纏う木片を払いのけながら瓦礫の中から顔を出す。よろりとよろけてみせる彼は、見てわかるほどにダメージを負っている。
勇儀は萃香の様子を伺ってみるが、あちらはあちらで辰彦を圧倒していた。妖力が使えず力と速度に頼るしかない今では、頭身の低い萃香が相手となると逆に高い辰彦には分が悪い。萃香の身のこなしは目を見張るものであり、辰彦は受け身すらまともに取れていない。一発、また一発と、萃香の重い拳が辰彦の体に打ち込まれていく。
「随分と呆気ないのぉ。決死の脱出劇の途中で決死するとはな。まあ……劇が始まる前から必死だったのかもしれぬが」
辰彦と颯の様子を観察しながら玉藻は失笑する。
「玉藻、と言ったか。なぜあんたは闘わない?」
いよいよもって、勇儀が玉藻にそう尋ねた。堅く腕を組んでいた彼女は、目線だけを勇儀に向けるとまた笑い声を漏らす。
「かかっ、気になるか? そりゃあ気になるわのぅ。……なーにも探らんでよい。お前さんの見た通りが儂じゃ。お前さんの感じた通りが儂ということじゃ」
「私の目には不審者しか映っていないがな」
「ふむ、不審者とな。生きとし生けるもの、自分の理解に及ばん事柄は何でも否定したくなるものじゃが、それをしない分、主はまだましかの」
「さっきから何処かのスキマ妖怪みたいなことを言う奴だな。言動の中身が全くわからん」
「スキマ妖怪? ……あぁ! 紫のことか! その口ぶりじゃと、元気でやっているようじゃのぅ」
ふさりふさりと、玉藻は嬉しそうに自分の九尾を動かす。
「知り合いなのか?」
「かっかっか! 知り合いなのか、じゃって? 逆にだなお前さん。地獄の底近くに落とされるような妖怪が、紫と面識が無いとでも思ったか?」
「…………」
言い返す言葉の見つからない勇儀。
「もっと頭を使わんとのぅ。──今そこにいる、見るからに聞くからに哀れな小鬼は、しかと頭を使った結果なのじゃろう?」
勇儀の表情が曇った時、ぱしりと、肌と肌がぶつかる乾いた衝撃音が辺りに響いた。横から飛んできた颯の拳を、勇儀は視線を向けることなく片手で受け止めている。
そのままくるりと颯の腕とともに彼の体を捻ると、再び彼の脇腹に蹴りを叩き込み、また先程の建物まで吹っ飛ばした。三度目の正直を待たずして建物は流石に全壊し、颯の体は埋れて見えなくなる。
「まさに赤子の手を捻ってるようじゃ」
「そんなことはどうでもいい。さっきの言葉、どういう意味で言っている?」
「どういう意味もこういう意味も、ああいう意味でありそういう意味じゃよ。お前さんが思ったとおりであっとるはずじゃ」
「なぜ、萃香について知っているんだ」
「さっきから質問ばっかりじゃのぅ。少しは落ち着いたらどうじゃ」
玉藻は素早く下半身を回転させ、自分が履いていた下駄を一足飛ばした。豪速で風を切る下駄は、しぶとくも起き上がってきた颯の額に命中する。激しく脳を揺すられた颯は白目を向いたまま、その場で仰向けに倒れてしまった。
「ふむ、これで静かになったかのぅ」
玉藻は遠目で伸びた颯を満足げに確認すると、鈴に指示を出して下駄を取りに行かせた。
勇儀は呆然としている、いや、理解が追いついていないと言うべきか。なにせ敵だと思っていた者が、その味方と思われる者を攻撃したのだ。
「なぜ小鬼について知ってるか、だったか? その答えはな、別に知っているわけではない、じゃな。じゃが一つ言えることは、儂はお前さんが思っている以上に古参の妖怪ということじゃ。当然──」
玉藻と勇儀の視線が重なる。
「幻想郷史に残るようなあの大事を知らないわけもない。儂はそこから推測したまでよ。あの小さな鬼が抱えたであろう、それはそれは大きな事柄のことをな」
また、場の空気が変わった。
今度は重いと言うよりかは、皮膚に針を突き立てられるような感覚に近い。そして玉藻は笑う。
「そう殺気立たんでもよい。ここで口にして彼女に聞かれてよいことと、そうでないことの違いくらいわかっとるわ。先程からのお前さんの様子からもな」
「……あれは口走るも何も、歴史上、存在しない話だ。あんたの話は絵空事だよ」
「ほほう。やはり、無かったことにしたというわけじゃったか。今ので疑心も確信に変わったわい。……それにしてもそろそろ、儂に敵意がないことを悟って欲しいものじゃが――」
何かに気が付いた玉藻が、跳ねるように一歩後ろへ下がる。そんな彼女が居た所に、辰彦が文字通り落ちてきた。彼は衣服から露出させているあらゆる所を青く腫らしている。瀕死とまではいかないが、最早虫の息で、気力だけで意識を保っているようだ。
「玉藻……貴様……、裏切りおって……」
「かかっ! 裏切る? 笑かすでない。そもそも儂は、檻から出せと頼んだ覚えは無いがのぅ。勝手に仲間意識をせんでもらいたいものだ」
明らかに辰彦らと同調性のない玉藻の言葉を聞き、勇儀は飛ばしていた殺気を緩めていた。それを感じ取った玉藻は、最後の呟きとともに空を見上げる。
「並びにこれは、お前さんたちにも言えることなのじゃがな」
彼女の視線の先から萃香が飛び降りてくる。勇儀の横に着地すると軽く体をはたいた。
「なんだこいつ。勇儀の知り合い? 殺意の欠片もないじゃないか」
「いや、知り合いでも味方でもない。でもついさっき敵でもなくなったようだな」
「……大人しく捕らえられてくれるということかな?」
「捕らえるというよりむしろ、ついて来てもらうと言うべきかもな。恐らく、逃げも隠れもしないさ。そこいらのペットよりかは凶暴だけど言うことは聞いてくれるはずだ」
舐めるように玉藻を見た萃香は疑念に満ちている。と言ってもその視線は勇儀に向き直っているのだが。
「さっきから何処かのスキマ妖怪みたいなこと言うよね、勇儀は」
「…………」
恥ずかしげに少し顔を赤らめた勇儀は、無言のまま颯の残骸を拾いに向かった。その場に残された萃香は、否応にも玉藻と目があってしまう。
「……かかっ」
「なんだよ。私の顔に何か付いてるか?」
「いやぁ、なぁにも。気を悪くさせてしまったのならすまんのぅ」
萃香にとっては意味深な笑みを浮かべる玉藻は、ほとんど空気と化してしまっている猫又と鈴の頭を優しく撫でるのだった。