「うーん……、もう、飲めない……」
ぱたりと、小町が畳に寝そべった。瞬く間に気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。きっと眠りから覚める頃には、頬に綺麗な縞模様が浮かび上がっているに違いない。
「飲み比べで鬼に勝って死神の最強を証明すると豪語していたのに、この様かよ」
「ほとんど閻魔に乗せられての発言だったけどね」
たった今目の前で夢の世界に旅立った小町と、少し前から柱に寄りかかって寝言を言っている映姫。彼女たちが使っていた器などを片付けながら、萃香は今日の出来事を思い出していた。
あの後、具体的には辰彦が力尽き地に伏した後、瓦礫に埋もれた颯と一緒に、勇儀が彼を担いで閻魔のところへ戻った。全くの無傷である玉藻ら御一行はどこかに逃げ出すかと思われたが、意外にも素直に同行に応じた。腹の中を探ろうとも考えたが、どうせはぐらかされるだろうと先を急ぐことを優先した萃香。
そして映姫と合流してからは特筆するような揉め事もなく事は運んでいった。強いて挙げるとするならば、辰彦らを拘束するために萃香と勇儀の力を使ったということくらいか。監獄を突破されたという事実がある以上、物理的な拘束手段は愚策であるという映姫の提案によって成されたこの方法。萃香の密の力と勇儀の怪力は、これよりほかない拘束道具とも言える。
法廷で簡単な後処理を済ませた後、主だった処分等は後日に回すことにした映姫は、鬼たちを自宅へと招待する。手放しに喜ぶ彼女たちであったが、その様子を見ていた小町は映姫の真意を見抜いていた。
映姫は連日に渡る緊張状態から、肉体的にも精神的にもいち早く解放されたかった。上層部には功労者への労いを行う、とでも銘打って休みを貰ったのだろう。家に着いた時に映姫に体調の方は大丈夫かと聞いてみたが、「デザートは別腹」の一言だけで片付けられてしまった。精神的な疲れは楽しい場でしか癒せないのも事実であり、小町は大人しく盛り立て役に回ることにした。
それから宴会が始まってしばらく経過した頃、程よく酔いの回った映姫がこう言いだした。
「時に小町。あなたは私の直近であるというのに、途方もなく力不足過ぎませんか? 今のままでは、今回のような非常時におちおち身を預けていられません」
「途方もなくって……いやですね、お言葉ですが映姫様。あたいはそもそも戦闘向きじゃないんですよ。しがない舟頭が役職のただの死神なんです。この大鎌だって飾りみたいなものだと前に説明したじゃないですか」
「そうですか。私は非力で無力で無能で貧弱で非凡で見かけ騙しの張りぼてなので閻魔様の側には居られないと、そう言うのですが。それならば、もう少し戦闘向きの死神を秘書にでも雇うことを前向きに考えましょうかね」
「ちょっとあたいの発言を捻じ曲げすぎてはいませんか!?」
「ほう、張りぼてが私に意見するんですね。……胸だけは無駄に大きいくせに……。まあそれはいいとして、それでは貴女の強さというものを見せつけてみてください。ここは宴会の場です。目の前には鬼がいます。答えは……出ていますよね?」
そして、冒頭の飲み比べに至る。
勇儀がため息混じりに口を開いた。
「この幸せそうな顔……死神なりに多少の意地を見せつけたと思っているだろうが、序盤から閻魔が寝ていたことは黙っておいたほうがいいのだろうか」
「いい加減にしておかないと、死神が気に病みそうだからね。と言っても酒の場だから、この様子だと起きた頃にはお互いに忘れていそうだけど」
「酒と言えば、最初に出してきた酒はあらかた飲みつくしたな」
萃香は辺りを見回してみる。空の一升瓶ばかりが部屋の隅に並んでいるだけで、未開封の酒らしきものは見当たらない。
「どこかにあるかな? 閻魔の家だし珍しい酒でもありそうだけど」
「閻魔に聞くのが一番早いか」
勇儀は眠る映姫を揺すり呼びかける。ようやく訪れた安眠を妨害された彼女は、やや不機嫌そうに薄く瞼を開いた。
「おーい。どこかに酒蔵とかないのかね。酒が無くなったんだ」
「あなたたちはまだ飲むつもりなのですが……。えーと、家の裏に物置として使っている蔵があります。酒蔵ではないですが、多少の備えはあったはずです」
「あいよ。家の裏ね」
「ただの蔵ですから珍しい物は無いです。絶対に荒らさないで下さいね。これは振りではなく忠告です。では、私はもう少し眠らせてもらいますから……」
そしてすぐ寝息を立てる。
「人様の家なのに、外様だけで飲むっていうのもね」
「ここが神様の家だろうが仏様の家だろうが、おいしい酒が飲めればそれでいいのさ」
「帰ってからも吸血鬼のとこで宴会があるの、忘れてないよね?」
「鬼の辞書に二日酔いの文字はあったかい?」
質問に質問で返す勇儀。この遠慮のなさは友好的というか無礼というか、竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろう。もはや何も言うまいと、萃香は酒を探しに蔵を目指して居間を後にした。
◆
映姫の言う蔵に着いてみたものの、期待するほどの珍しい物は無く、そこは本当にただの蔵だった。少しは期待していた鬼たちだったが、あまりにも映姫の言う通りだったので少しつまらない気分になる。しかし元より目的は別であったので、気を改めて物色をすることにした。
「……匂うな」
「え? そんなに変な匂いする? たしかに埃っぽいけども」
「いや、ここにはいい酒がある。そんな匂いがする」
「…………」
一応無類の酒好きを自負している萃香であったが、とうとう知らぬ領域に達してしまったのかと、勇儀に対してそんな哀れみの感情を抱く。
「……ん?」
ふと、視界の端に何か光るものがある気がして、そちらに視線を向けてみた。ところが光源らしい光源は見られず、途中で右に折れる奥への細い通路があるだけ。首を傾げる萃香に勇儀が気付く。
「どうした萃香、何か見つけたか?」
「いや、目ぼしいものは見つかってないよ。ただこっち側には奥に続く通路があるみたいだね」
「おう、まだ奥があったんだな。ここら辺には酒はないみたいだし、恐らくそっちか」
痺れを切らしているのか、肩を怒らせながら通路を進んでいく勇儀。足元の邪魔なものを蹴散らしながら進む彼女は、曲がり角でその先を覗き込むと目を輝かせた。
「あったあった! 結構置いているじゃないか!」
贈り物を貰った子供がそれに飛びついて行くように、勇儀は奥へと姿を眩ませた。萃香は彼女の後を追いかけてみる。
そこには横幅十尺程度で三段からなる木製の棚があり、その全てを埋めるように酒瓶が綺麗に並べられていた。
「へぇ、謙遜して言っていたにしては数があるね」
「純米酒が大半だな。さすが閻魔、わかっているじゃないか」
「随分前に飲んだきりの酒も置いてるんだね。ほらこっちは……あれ、これ銘柄が貼られてない」
萃香が手にした一升瓶は見た目こそ普通のものであるが、蓋にも底にも名前が刻まれていなかった。蓋を開けて匂いを嗅いでみても特に変わった感じはしない。すぐに栓をして元の場所に戻す。
「古すぎて剥がれ落ちたとかじゃないのか?」
「いや、そんな跡はないよ。それに腐ってる様子もなかったし。香りからしてちょっと甘めの日本酒だね。随分と上等そうだ」
「そうか、なら飲んでみようか」
「……え?」
まさか、と思って遊戯の方を振り返る。彼女はまさに懐から小振りな盃を二枚取り出す所だった。
「用意周到というか、貪欲というか」
「味見用に持ってきたんだよ。ほら、注いで注いで」
「…………」
引きつった笑みを浮かべた萃香は再びその瓶に手を伸ばす。
「そういえばさ」
「ん?」
「勇儀と二人だけで飲むのって、久々だよね」
「そうか? ……ああ確かに、地底でも地上でも、飲む時は他に誰かいるな。サシ飲みは橋姫とは頻繁にするけど、私自身騒がしい方が好きだからな」
「私はつい昨日霊夢としたところだよ。綺麗な満月だったからいい酒が飲めた」
「昨日は満月だったのか。地底にいるから月の事情は把握してなくてな。……ということは今日は十六夜、か。……よーし!」
勇儀は棚に並べていた二枚の盃を懐に直した。まさに注ぎ入れようと瓶を傾けていた萃香は、勇儀の顔を覗き込む。
「どうせなら外で飲もうか! 折角だしこんな空気の悪い所は止めて、月を楽しもうじゃないか!」
「ここで飲もうとしたのは勇儀だけどね」
「細かい事はいいんだよ。ほら行こう行こう!」
◆
十六夜の月が三途の川に映る。満月に負けず劣らずの輝きを放つそれは、満天の星空で異彩を放っていた。そんな岸辺に座った二人は、盃を並べて仕切り直す。
「では、乾杯といきますか」
勇儀がそう切り出すと、互いは互いに向き合い盃を掲げた。
「依頼解決の祝いに」
「親友との久しい共闘に」
今回の出来事の全てを締める言葉をそれぞれ述べると、一口に喉へ流し込む。
否、これが全ての始まりだったのかもしれない。
「……っ!?」
否、始まりなどは、とうの昔だったのかもしれない。
「かっ……は! 喉が……体が……あ、熱い……っ!!」
後の調べから、鬼たちが飲んだ酒は『神便鬼毒酒』だということが判明した。
「くそっ! ち、力が入ら……ない」
座っているのも苦しくなり、焼けるように熱い喉を抑えながら勝手に体が倒れる。
「ゆ、うぎ……からだが……熱い……」
勇儀は薄れ行く意識の中、何処かで口にしたことのあるこの毒酒の味を必死に思い出そうとする。
「どこかで、この味……まさ、か……ぐっ!!」
一つの結論にたどり着いた時、目の前にいる萃香の体と自分の体から、一筋の光が空へと伸びていくのが見えた。
「…………」
静かな、静かな夜の彼岸。
耳を澄まさないと波打つ音が聞こえてこないような、そんな静かな夜。
鬼が二人、地に伏した。