萃儀物語 ~Missing Demon~   作:Kano

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第一章 始まりはいつもの日常から
博麗神社にて


 「ちょっと萃香! あんたまた昼間っから酒飲んでんの!?」

 

 木々の触れ合う音さえも聞こえてくる静かな神社の境内に、そんな場違いな大声が響き渡った。

 

 「まぁまぁ、これは命の次に大切なものなんだよ。怒らないでさ、霊夢も飲めばいいじゃないか」

 

 そして先程の叫び声とは相反して、今度は緩い返事がまたどこからか聞こえてくる。

 

 ここは博麗神社。

 博麗霊夢という、由緒正しき博麗の名を継いだ巫女が住む神社で、幻想郷の最東端に位置しており、また幻想郷と現実世界との境目となっている場所でもある。神社そのものはそれなりの大きさがあるのだが、その大部分は居住スペースとなっている。

 そんな贅沢な暮らしをただ一人で、と言いたいところなのだが、少し前からそうでもなくなってしまっていた。

 と言うのも、鬼の伊吹萃香が居候のような形で博麗神社に滞在しているのだ。これには色々訳があるのだが、まあ場所は有り余っているから、と霊夢は渋々黙認している。しかしそのような、本来肩身の狭い立場でありながら、この鬼は昼間から何もせずに酒を飲んでいるので、現在霊夢は声を荒げているというわけである。

 

 「あんたには『それ』があるからいくらでも飲めるけどね、私には昼間っから飲めるような酒はないの」

 

 霊夢は神社の縁側に腰掛けていた萃香の横に座ると、萃香が手にしている瓢箪を横目に静かにお茶をすすった。それを知ってか知らずか、萃香はお茶を飲む霊夢に見せ付けるように瓢箪を傾け、酒を一煽りする。

 

 「霊夢にこの酒は無理だと思うよ。人間が飲んだら一口でぶっ倒れるくらいキツイ酒だからね」

 

 心地良さそうにゆらゆらと頭を揺らしながら萃香は言った。霊夢は小さく鼻で笑う。

 

 「誰も欲しいなんて言ってないわよ。だいたい、私にはまだやることが残ってるから酒なんか飲んでいられないの」

 

 そう言うと霊夢はどこからか饅頭を取り出し、まるであげる気はないわよとでも言わんばかりに頬張り始めた。もしゃもしゃと、こちらも知ってか知らずか音をたてる。

 

 「……やることって、霊夢に掃除以外仕事ってあるのか?」

 「…………」

 

 萃香のこの発言に、霊夢は口に饅頭を運ぶ動作を途中で止めた。その状態でしばらく沈黙が続く。

 そして何も言わずに静かに手を下ろすと、口の中の饅頭をお茶でゆっくりと流し込み、萃香に向かって不自然な笑顔を見せた。

 

 「あら、あら。じゃあ、居候中の萃香ちゃんに、お仕事手伝ってもらいましょうか?」

 

 そう言ってにっこりと微笑む霊夢。

 

 ────彼女の眼は全く笑っていない

 

 「あ、あれ? 急に酔いが回ってきたなぁ……」

 

 萃香はわざとらしく頭を押さえると、引きつった笑みと共に霊夢から距離をとった。彼女の動きに合わせて霊夢も、不気味な笑顔のままジリジリと腰を滑らせて萃香に詰め寄る。

 

 「どこに逃げるつも……あら?」

 

 ────ふっ

 

 と、突然二人の前を、何かの影がちらついた。影が通った後には数枚の黒い羽が浮遊している。

 

 「……はぁ……。面倒なのが来たわね」

 

 軽くため息をつくと、お茶を飲みがてら霊夢は空を仰いだ。その目線の先からは、先程の影の正体であろう人物がゆっくりと下りてくる。カツン、と、一本歯の下駄が小気味よい音を鳴らした。

 

 「どうもどうも。清く正しい幻想ブン屋、射命丸文でございます」

 

 特徴的な黒い烏の翼を羽ばたかせながら、文は二人の前に降り立った。

 白いブラウスに黒のスカートという学生の様な格好をしている彼女は、肩からは写真機をぶら下げ、片手には手帳を構えている。頭には、彼女のトレードマークとも言える赤色の小さな頭巾を乗せた烏天狗が、営業スマイルを掲げながら少し霊夢達に歩み寄った。

 

 「最近は平和ですねぇ。異変ってものは、解決すると寂しくなりますね」

 

 文は自分の手帳をめくりだすと、途中で同じページを往復させる。恐らくそのページ付近で前の異変が解決し、それから書いてあるネタが少ないのだろう。

 文屋がネタに困るということからも、目立った出来事がほとんど無いことがわかる。

 

 「あんたは大概写真録ってるだけじゃないの。解決するこっちの身からしたら、これくらいの休憩は欲しいものよ」

 「でも異変があれば直ぐにでも飛びつきますよね。何だかんだ言って」

 「う……」

 

 何も言い返せないのか、霊夢は少し悔しそうな顔をする。言葉の出てこなかった口を潤すようにお茶を口に含んだ。

 そして、霊夢を見てケタケタと笑っていた萃香を一瞥し、彼女を黙らせる。

 

 「とりあえずあんたもご存知の通り、ここにはあんたが喜びそうなネタは無いわよ」

 

 霊夢はぶっきらぼうにそう言う。文屋に対してはこういう扱いをしておかないと、何かを聞き出すまで延々と付き纏われるのが目に見えている。

 

 「あやや。異変は無くても、霊夢さんの周りからネタが尽きることなんてないんですがね」

 

 文は何が可笑しいのか、くすくすと笑う。

 

 「ちょっと、それってどういう意味よ」

 「言葉通りの意味ですよ。例えば霊夢さん。何か忘れている、大事な事とかありませんか?」

 

 文の言葉に、霊夢は首を傾げた。

 

 「忘れている事? 忘れるくらいなら大事な事でもないでしょう」

 「まあそれはそうなんですが、おかしいですねぇ……」

 

 文は手帳へと目線を落とし、さも不思議げに自分のこめかみをペンでつついた。

 

 「さっき飛んでいた時に、物凄い爆発音が聞こえたので、そちらへ向かったんですよ」

 

 文はここでわざわざ話を止め、覗き込むように霊夢の顔色を伺う。反応を見て楽しんでいるようだ。

 

 「そんなのどうせ、どっかの不老不死人間共が暴れてるんでしょ。私には関係ないじゃない」

 

 冷たい対応はそのままに、霊夢は先程の饅頭を頬張り始めた。そんな中、萃香はというと黙って二人のやり取りを見ている。

 

 「いえいえ、妹紅さん達ではありませんでしたよ。彼女たちの活動時間は基本的に 夜ですからね。そういえば最近、妹紅さんが久々に勝ったらしく、輝夜さんが荒れていましてね……、あ、話を戻します。しばらく飛ぶと、見えてきたのは賢者さんの屋敷でした」

 「紫の屋敷ねぇ……、あれ……?」

 

 霊夢は何かを思い出したような表情をした。刹那、わずかに口角を上げた文を、萃香は見逃さなかった。

 

 「はい。そして上空から様子を伺ったんですが、庭に藍さんが出ていましてね」

 

 文の話が進むにつれ、霊夢の顔はどんどん青ざめていく。霊夢の様子に、文は核心を突いたかのような、もう面白くて仕方がないような、ニヤついた笑顔を見せた。

 

 「『博麗ぃぃいぃ!!』って、絶叫していましたが……」

 「う、うわぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫と同時に手にしていた饅頭を放り投げると、霊夢は神社の中へと慌てて消えて行った。投げられた饅頭は見事に文の手に収まると、代わりに彼女によって食べられていく。神社の中からは、廊下を忙しく走り回る音と、何かを漁っている物色音が聞こえてきた。

 その場に残された文と萃香の間には、しばらくの沈黙が流れる。

 

 「……霊夢さんは一体何を慌てて探しているんでしょうねぇ。……あ、これ美味しい」

 「……ところで、天狗」

 

 神社の中を覗き込んでいた文は、萃香へと顔を向けた。

 

「本当は私に用があるんだろう? わざわざ霊夢を追いやって、そんなに大事な用事なのか?」

 

 特に会話に参加していなかった萃香が、開口一番にそう言った。萃香の言葉に、文は驚きの表情を見せる。

 

 「あやや。ばれちゃいましたか。でも、どうしてそう思ったのです?」

 「そんなの簡単な話じゃないか。天狗が鬼の前に姿を現すのは、宴会の時か、余程の 用事がある時か、喧嘩を売りに来た時だけだ。この私がいる場に気軽に来るとは考えられないからね」

 「では、喧嘩を売りに来たのかもしれませんよ?」

 「……ほぅ」

 

 萃香はそう呟くと、瓢箪に視線を落とした。そしてそれを傾けると、喉を鳴らしながら中身を飲みはじめる。

 最後の一滴まで口に入れると、手に持つ瓢箪を威圧的に床へと置いた。終わりに大きくゴクリと喉を鳴らし、鋭い目線を文へと向ける。

 

 「ひぃっ!」

 

 途端、文は体を少し震わせ、数歩後ろへと下がった。文の額には、大量の汗が流れ始めている。

 

 「じょ、冗談ですよ! わた、私が鬼に喧嘩なんか、売るわけがないじゃないですか。だから、その『畏れ』を飛ばすのは、止めてください!」

 

 上手く回ってくれない舌を必死に動かし、なんとか弁解をしようとする文。

 

 「……なんだ、久々に喧嘩できると思ったのに」

 

 ちぇっ、と不満を口にすると、萃香はつまらなさそうに両手を頭に回しながら足をばたつかせた。

 

 畏れ、それは鬼の威厳、威圧、風格、実力、それら全てを含めた一種の覇気である。

 鬼は他の妖怪から尊敬され、また恐怖されることで自分達の畏れを強くしていく。萃香がしたことはいわゆる威嚇行為であり、畏れを改めて強く誇示したことで、相手に力の差を見せ付けたと同時に戦闘の意思も示した。特に天狗にとって、鬼は昔から上司に当たる存在であるため、今でも頭が上がらない文はまさに蛇に睨まれた蛙となったのだ。

 

 ふと、神社の中から足音が近づいて来る。

 

 「こら萃香! なにがあって殺気を飛ばしてるのか知らないけど、人の神社の庭で暴れないでよ?!」

 

 部屋の中から顔だけ出した霊夢は、そう言って萃香に釘を刺すとまた中へと消えて行った。

 

 「やっぱり霊夢は勘が鋭いなぁ」

 

 たはは、と小さく笑い、萃香は自分の頭をかく。もうそこには、先ほど見せた鬼の面影は微塵もなく、見た目相応の女の子しかいない。

 

 「……萃香さんって変わっていますよね」

 「まあ、よく言われるね」

 

 文は萃香の『畏れ』が消えたことを確認すると、萃香の隣に腰掛けた。そして饅頭だけに止まらず、先程霊夢が飲んでいたお茶までも口にする。

 

 「他の鬼ならさっきの冗談でも問答無用でしたでしょうに。萃香さんは、実は喧嘩がお嫌いでしたか?」

 「まさか。相手が望まない喧嘩をしたくないだけだよ」

 

 萃香は相変わらず足をばたつかせ、流れる雲を見つめていた。昼間のこの時間帯、特に快晴の日には、点在する雲がより浮き出て思わず見とれてしまう。

 

 博麗神社は、幻想郷でも比較的高い位置に建てられている。次いで神社の縁側からは裏庭が広がり、山の傾斜によって幻想郷が一望できるようになっている。さらに付近は森で囲まれており、空気がとても澄んでいるが故、雲一つ見るにしても絶景なのである。

 また神社は幻想郷と現実世界との境目、具体的には博麗大結界と現実世界の境界にあるので、夜に現れる月の見え方が幻想郷内と外では違う。そのために、幻想郷の住人達の宴会場となることがしばしばあるのだ。

 

 「それじゃあ、ただの暴力に成り下がるからね」

 

 萃香はどこか寂しそうな様子でぽつりと呟く。そして何かを振り払うように、縁側からぴょんと跳ねて庭へと着地した。彼女はその場で大きく伸びをして、体を捻り始める。

 

 「なるほど。そういえば貴女は、異変を起こした後も地上に居ますよね。……もしかして鬼の仲間から外されたとか?」

 「…………」

 

 何も話さない萃香に、地雷を踏んでしまったと思った文は慌てて言葉を発した。

 

 「も、もちろん有り得な──」

 「合っては、いない」

 

 萃香はくるりと振り返った。

 萃香の顔を見て、思わず息を飲む文。その表情には、悔しさや悲しみなど、鬼には到底似合わない様々なものがにじみ出ていた。見てはいけないものを見てしまった気がして、文は言葉を失う。

 

 「合ってはいない……けど、近いものはあるね」

 「……と、……言いますと?」

 「私が、居づらいんだ」

 

 どこからやってきたのか、萃香と文の間で一匹の黄色い蝶が踊り始めた。

 

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