「……どういう意味だい?」
彼女からは心なしか不機嫌さも伺える。
「意味……ね。『霊夢は本気を出さない』って言ったら?」
「ほぅ。つまり私との戦いは本気じゃなかったと?」
萃香はちらりと勇儀を見やると、後頭部に当てていた両手を前で組み直した。
「恐らくそうだろうね。後から聞いた話、私と戦った時も、全力だけど本気じゃなかったらしいから」
勇儀は小馬鹿にするように鼻で笑ってみせた。やはり彼女の表情からは不機嫌さが否めない。
「信憑性がないね。言葉だけならどうとでも言えるさ。それに全力だけど本気じゃないって、なんだそれ」
「確かに矛盾してるよね。別に勇儀に嫌味を言いたいわけじゃないんだ。でも紫がこう言ってた」
萃香は軽薄な口調で続ける。
「『あの娘は基本的に他人に無関心だから、感情的になることがないのよ。だからもし、可能性は無いに等しいけどもし、あの娘が我を忘れるほど力を解放してしまったら、私でも手が付けられないかもね』って」
「…………」
萃香の言葉を聞いた勇儀は俯き、腕を組んでじっと黙り込んだ。頭で話を整理しているのだろう。萃香は、勇儀が何か言い出すのを、賑わう屋台に目を向けながら待つ。
「っくくっ。あっはっはっ!」
ところが萃香の予想に反して勇儀は突然吹き出すと、腹を抱えて大声で笑い出した。萃香も含め周りの人は、何事かと勇儀を凝視する。
「あー、腹痛い。 酒飲んで帰ったくらいで我を忘れて退治されたら、鬼はもうお手上げだな」
「……あはは」
確かにそうだと、萃香は苦笑を浮かべた。勇儀が怒りかねないと内心冷や冷やしていた彼女は、ほっと胸を撫で下ろす。
「とりあえず霊夢の実力は前の三割増しくらいに捉えとくよ。ちょっと頭に来たけど、今回は萃香の為にも霊夢には逆らわないでおこう。第一、反抗したいわけではないからな」
「まあ触らぬ神に祟り無しってとこだろうね。実際、霊夢は神降ろしなんかもできてしまうわけだし」
「神降ろし、か……。本気を出さずに神に頼れるとは、つくづく巫女というのはずるい種族なんだな」
勇儀は呆れたような声色でそう言った。
少し前、霊夢が紫に月へと連れて行かれるにあたり、事前に紫の指示で体得させられた神降ろし。神を身に宿すという奥義であるため、そう簡単には体得できるはずのないものなのだが、やはり天性の才能からか霊夢は難無く自分の物にしたようであった。確かに霊夢がずるいという点に関しては、誰もがそう思い、誰にも異論は無いのかもしれない。
「霊力さえあれば色々な神を身に宿せるみたいだね」
「神と言えば天照大御神とかか。他はあまり詳しくないから知らないが……あぁ、洩矢も八坂も神だったね」
ちょっと身に宿したくはない奴らだな、と失礼なことを言いながら笑う勇儀。つられて一緒に笑っていた萃香は、何かに気が付いたような声を漏らした。
「もしかしたら、鬼神も降ろせるのかな?」
「…………!!」
萃香の言葉に勇儀はぴくりと体を反応させた。萃香はそんな勇儀の様子を気にも留めず、愉快そうに話を続ける。
「そういえば結局、鬼神の力を次ぐ者って誰なんだろうね。私たちの代ではないことは確かなんだけど……」
鬼神。
読んで字の如く、鬼の神。
今では、鬼のように強い者、という捉え方をされるのが一般的ではあるが、本来は鬼たちにとっての神を指す。鬼神は鬼たちの中で伝説とされている鬼であり、その力は他の鬼とは一線を画し、天地以上の差があったという。
伝説と言えど、架空の鬼という訳ではなく、現在の鬼の四天王と同じで一種の地位としてそう呼ばれていた鬼がいたようだ。しかし、歴史の闇にでも消えたのか、鬼神という存在は気が付くと消えてしまっていた。
一度萃香の提案により、鬼神の力を継ぐ者を見つけようという事になった。稗田に頼んで幻想郷縁起も調べてもらったのだが、良い報告は聞けず、何の手がかりも見つからないまま捜索は終わったのであった。
「でもあんだけ捜して見つからなかったんだから、案外四天王の誰かだったりして。ねぇ、勇儀?」
萃香は、お宝発見を夢見る子供のような、そんな無邪気な笑顔を勇儀に向ける。それに対し勇儀は、何故か落ち着かない態度を見せた。
「……え? お、おう」
「証拠もろくになかったから根拠は無いんだけどさ、私的には勇儀がそうだと思うんだよね」
「あぁ、お、恐らく私だろうな……うん」
「私たち四天王の中で勇儀が一番腕力はあるからね。うんうん」
何度か深く頷く萃香。そして前に向き直ると、立ち止まった勇儀に気が付くことなく上機嫌に歩を進めた。
「…………ふぅ。やれやれだねぇ」
その場で束の間難しい表情を浮かべていた勇儀は、糸が切れたかのようにほっと一息ついた。
先を進む萃香に目を向けると、その先には既に大きな水流の気配がしている。そして後ろを振り返れば、萃香と会話しているうちに通り過ぎてしまっていた屋台たちが、道の左右に小さく見えていた。勇儀は一つも立ち寄らなかったそれらに名残惜しさを感じながらも、小さくなりゆく萃香を追い掛けて行くのであった。
◆
相変わらずの晴天が広がる幻想郷の午後。中有の道の終点へとたどり着いた萃香と勇儀は、そこで一旦足を止めた。
「ひゃー、やっぱり広いねぇ……」
勇儀は、無意識にそう小さく声を漏らす。
彼女たちの目の前には、どちら向きに流れているのかすら判断し難いような、広大な川が流れていた。言うまでもなくそれは三途の川であり、彼女たちが今から渡らねばならない場所でもある。そして広大な川もそうだが、そこに立つと必ず目に入ってくるものは、川岸一面に咲き誇る彼岸花であった。
彼岸花は別名、死人花とも呼ばれる。生き物がその一生を終えると魂は彼岸へ行き、肉体は彼岸花となると言われている。朱紅色に染まるそれらは、凛と背筋を伸ばし風に揺られることによって、自分の存在を誇示しているかのように感じられた。
「着いたはいいけど、ここからどうしようか。飛んで行っても大丈夫かな?」
水際まで寄っていた萃香は、指先でちゃぷちゃぷと波立たせながらそう言った。
「そういえば、この川は死神の舟しか浮かばないんだったね。泳ぐが駄目なら飛ぶも駄目かもしれないな」
「うーん、私たちは死んでないから迎えも来ないだろうし、いや、来られてもそれはそれで困るんだけど……ん?」
何かに気付いた萃香は、川の下流方向へと顔を向ける。水面に霧が立っていてよく見えにくいのだが、ぼんやりと小舟に乗った人影が確認出来た。
「おーい、お前さんたち」
そして萃香たちに呼びかける女性の声が近づいて来ると共に、その姿がはっきりとしてきた。肩には特徴的な歪んだ大鎌をもたせかけ、赤み掛かった髪を頭の両側で結んでいる女性。
死神、そして三途の川の船頭を担っている、小野塚小町であった。
雪駄を履いた右足を舟の先端に乗せ、柔和な笑顔を見せている風貌からは、とても死神であるとは思えない。そもそも見た目と種族が一致している者自体、幻想郷には数えるほどしかいないのだが。余談ではあるが、彼女の衣服の下から主張しているはち切れんばかりの胸は、勇儀のそれと結構良い勝負をしていた。
萃香は立ち上がると、接近する小町に大きく手を振る。
「やあ、死神! 私たちをわざわざ迎えに来てくれたのかい? 忙しいのにすまないね」
「なあに。あたいとしては仕事がサボれて万々歳だよ」
器用に萃香たちの前に小舟を着けると、人差し指を唇にあて、ずいと顔を寄せた。
「あ、今のは映姫様に言わないでおくれ。ボランティアだけど、あくまで仕事だからさ。真面目にやってないと叱られるんだ」
いつも通りの小町の様子に、萃香と勇儀は黙って苦笑いを返すしかなかった。
「ところで、乗せるのは二人で良かったかい?」
「あぁ、私と萃香だけだ。安全運航で頼むよ」
「そりゃあもちろんさ。落ちられて困るのはあたいたちの方だからね」
そう言うと、小町の顔は徐々に引きつっていく。
「膨大な量の始末書に、一ヶ月の追加残業。そして気の遠くなるような映姫様のお説教……まったく、考えたくもない」
「ははっ。それならいいんだ。じゃ、失礼するよ」
そう言って勇儀は小舟へと乗り込んだ。萃香もそれに続き、ぴょんと飛び乗る。
「ではでは、彼岸に向けて出発させてもらいますよ。わずかな時間ではありますが、良い舟旅をごゆるりとお楽しみください。なんてね」
二人の乗舟を確認した小町は、二人を見て一度頷くと、舟を下流へと流し始めた。