立てる波も穏やかに、大河を進む一隻の小舟。先程の霧は一時的だったらしく、今現在は晴れて視界も良好になっている。晴れといえども地平線しか見えていなかったのだが、どうやら目的地に近付いてきたらしく、舟上から川辺の彼岸花が綺麗に見えてきた。
「ほら、そろそろ着く頃だよ」
川の先を指差した小町は、彼女の定位置なのか、先程と同じように舟の先端に片足を乗せて立っている。指先を辿ると、うっすらと桟橋のようなものが岸から伸びているのが確認出来た。と言ってもその大きさはこの舟に合わせられているようで、目の前にあるのは大河に似つかわしくない小規模で質素な桟橋だ。そして桟橋があるにはあるのだが、他に見られるのは彼岸花の絨毯と、それを切り裂くように桟橋から伸びる一本の小道のみ。その周辺の土地には建物と呼べるものは何も無かった。
「案外短かったね。三途の川の道のりってもっと長いものだと聞いていたよ」
「この長さは渡し賃の額の大きさに反比例するんだ。そしてその渡し賃とは生前に使ったお金の合計金額。いやぁ、妖怪の頂点とあって、さすがの距離ですな」
「渡し賃なんて払ってないぞ?」
「今回はボランティアだからお前さんたちの支出も私の収入もないんだよ。予想通りというか、期待外れというか」
小町はがっかりした顔を見せる。彼女としては金額よりその距離、時間に不満があるのだろう。
「この川って、閻魔のところまで直接繋がってなかったんだな」
今から地を進むことを懸念したのか、愚痴にも聞こえる声を勇儀が漏らした。
「繋がっているにはいるけど、魂も含めお客様はこっちからって決まってるのさ」
「そうかい。それじゃ素直に従っておくよ。で、どれくらい飛ぶんだい?」
「や、今の彼岸は飛べないというかなんというか、ちょいと訳ありでね」
コツン、と小さな衝突音を響かせ、小町は舟を桟橋の横に静止させた。小町の言葉に勇儀は深く眉をひそめる。
「飛べない?」
船縁にもたれ掛かっていた萃香が立ち上がると、そこで小町の誘導があり、萃香たちは舟から降りる。地に足を付けた瞬間、大きな違和感が二人を襲った。
「…………!! なるほど、確かに妖力そのものが使えないな。いや、使えないというより、何かに邪魔されてる感じだ」
「ということは、死神の能力も彼岸では使えないってことね」
「つまりそういうことだね。恐らく映姫様の能力だろうと……」
一旦言葉を切り、小町も舟から降りると、その舟を蹴って水流に乗せた。川に投げ出された舟は、ゆらゆらと漂いながら下流へと流されていく。
「だからちょいと遠いけど、歩きで勘弁しておくれ。大した距離でもないから」
「うん、まあそれはいいとして、このことは私たちが呼ばれたことと関係してる?」
萃香の問い掛けに、小町は困ったような顔を見せる。
「それが、お前さんたちが呼ばれた理由をあたいは知らされてないんだよね。詳しくは歩きながら話すよ」
そう言い残すと萃香のすぐ横を通り過ぎ、小道に沿って歩きだした。萃香たちはお互いに顔を見合わせると、小町に続いて歩み始めた。
◆
「あたいは映姫様に、二人を迎えに行くように頼まれただけなんだ。その時には、彼岸で能力が使えないことについての話題は一切無かった。ただ……」
一帯の彼岸花を貫く小道を進んでいると、萃香たちの少し先を歩く小町が話を切り出した。
「ただ?」
「最近地獄で何かあったみたいでね。一週間程前から魂の審判が止まっているんだ。……一応重役しか知り得ない機密情報なんだけれど、それが関係してるのかもしれない」
「うーん……」
腕を組み難しい顔を浮かべながら唸る勇儀。
「審判が止まってるのは機密だとしても、能力が使えなくなったんだから彼岸の住民は騒いだりしないのか?」
「それなんだけどねぇ……、ちょうどその頃に禁止令が出されたんだ。『今後暫く能力の使用を禁ず』ってさ」
顔だけを後ろに向け、小町は勇儀に返答をする。
「能力って言ったって、それこそ飛ぶくらいなら、閻魔の目に付かないよう隠れても出来るだろ。それで誰かが不審に感じると思うが?」
「それは無理だね。可能不可能の問題じゃない。映姫様直々の禁止令だから、皆はもう逆らえるわけがないんだよ。故に飛ぼうとも考えない。それがどれだけ生活に根付いていても、ね」
確かに勇儀の言うように、他人の行動をいくら規制しようとしても、知らずにどこかで規制は破られているはずである。悪事は発覚しなければやっていないのと同じようなものだ。しかし映姫には、それさえもさせない程の風格、威厳、いわばカリスマが確かにあった。そして彼女自身の『白黒をはっきりつける程度の能力』も、上記の手助けをしていると思われる。
つまり彼女が白と言えば白、黒と言えば黒なのであって、他人は一切それに対して干渉、反抗することは決して許されない。映姫の力量というものは、八雲紫や西行寺幽々子という、幻想郷のパワーバランスを担う妖怪たちでさえ、彼女を牽制していることからもよくわかる。
絶対中立の無慈悲な閻魔、それが四季映姫・ヤマザナドゥ。
「でも死神は能力が使えないことに気付いたんでしょ?」
萃香は首を傾げながら、不思議そうに自分の手を開閉させている。恐らく能力を使おうとしているのだろうが、彼女の手には全く変化は見られない。
「そう。いくら禁止令が出ていようがあたいは仕事柄能力を使わないとやっていけないからさ、怒られたらその時はその時だと、自分の能力を使おうとしてみたんだ。そこで発動さえしないことに気が付いて、こりゃ霊力そのものが封じられているんだなって」
「で、そんな大技が可能な人物は閻魔くらいだと」
「ま、そういうわけだね。恐らく映姫様も、既に私が気付いていることを悟っているだろうけど。何か理由があって言及しないんじゃないかな」
飄々と小町は言った。
「それを閻魔は禁止令としてわざわざ隠す必要はあるのか? 普通にしばらく能力が使えないと言えば良いものを」
やはり腑に落ちていないのか、勇儀の口調はやや荒く感じる。それを感じ取ったのか、小町は歩く速度を落として勇儀の横に並ぶと、出会った時に見せていた柔らかい笑顔を再び浮かべた。
「恐らく映姫様自ら能力を使ってることを大っぴらにしたくないんじゃないかな? 事件の匂いを嗅がれると、必ず騒ぎが起こるからさ。だから問答無用で『禁止』とだけ皆に伝えたんだろうよ」
閻魔が能力を使わねばならぬ程の、しかも閻魔からの説明が一切されないような事態。そんな事が彼岸の住人はおろか、幻想郷にまで知れ渡ってしまったら、噂が噂を呼んで収拾がつかなくなってしまう。故に、確かに映姫の企みは強引ではあるものの、そのカリスマのおかげで誰も逆らうことなく、そして大した騒ぎもなく一週間を経過出来たと、小町はそう言いたいのだろう。
「だけど禁止令なんか出たら普通それについて騒がない?」
勇儀の影に小町が隠れてしまっていたため、萃香はひょこりと顔を覗かせながらそう尋ねた。
「禁止令そのものは過去に何回か出てるから別段珍しい話ではないんだ。流石に『能力を使うな』ってのは初めてだけど。皆は、映姫様の機嫌が悪いんだな程度に捉えてるさ」
小町はカラカラと笑う。
「あ、勘違いしてそうだから言うけど、彼岸は死神以外にも住人はいるからね? 天国に行った奴らが仕事を任されていたりするんだ」
「ふぅむ……」
顎に手を当て、なんとか納得したような様子を見せた萃香。不確かな事柄と推測が多く、とてもではないがわかりやすい話ではない。彼岸の人々のこの従順さは普段から映姫に従っているからこそ成せることなのだろうか。反対側では、小町が申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「話を聞いてる限りでは、死神の言う『閻魔の審判が中断される程の事件』が私たちの呼ばれた理由だろうね。後はそれと霊力封印との関係か――」
「ちょっと待った」
ここで勇儀が萃香の話を遮った。驚いた萃香が声のしたほうを見ると、眉を更にも増してひそめている彼女がいた。固い腕組みは崩さないまま、勇儀は口を開く。
「もう考えるのはよさないかい? どうせすぐに閻魔に聞いてわかることだし、そろそろ私の頭が破裂しそうだ」
「…………」
束の間の沈黙が流れる。
「……あっはっは! そりゃもっともだね! それじゃあ話題を変えようか」
何がそこまで可笑しかったのか、小町は苦しそうに腹を抱えながらそう言った。馬鹿にされたと感じた勇儀は、あからさまに不機嫌な顔をする。それを見た小町が、慌てて言葉を付け加えた。
「あぁ、馬鹿にしてるわけじゃないんだ。確かにここであれこれ考えても、机上の空論で意味は無いなって。勇儀は何か面白い話は無いのかい?」
呼吸を整え目に溜まった涙を拭い、更に話題を逸らした小町の言い訳は、どうみても確信犯の苦しい言い草である。
「面白い話? それなら是非聞いてほしいのがあるんだ! 橋姫の話なんだがね……」
どうやら小町の思惑通りに、勇儀の意識は振られた話に逸れていくようだ。萃香はまた橋姫の話かと半ば呆れ顔で勇儀の話に相槌を打ちはじめる。事なきを終えたと思った小町は、したり顔で話を聞き流していた。だが予想外にも勇儀の話は延々と続いてしまい、小町は自分の失態を深く後悔するはめになる。
結局閻魔の下へ着く頃には、笑っていた小町は疲れ果てた顔に、不機嫌だった勇儀は清々しい顔になっていた。
役者が舞台に上がり、閉ざされていた幕が上がり始めた。彼女たちはその舞台から見下ろす光景をどのように受け止め、どのような判断を下し、どのような行動を起こすのか。
塗り変えられた戯曲を演じきるのか。
それとも隠された真実を見つけだすのか。
回された歯車は、もう止められない。