「はぁ……」
「お疲れ。ほい、奢りだ」
「サンキュ」
新学期の慌ただしさも落ち着いた頃、信、桜、燈、真、愛の五人は一緒に下校していた。その中でもひときわ疲れが目立つ親友に、燈は近くの自販機で買った缶コーヒーを渡す。それを一息で飲み干し、ゆっくり深く息を吐きながらグッと体を伸ばした。
「まさか1年生のクラスに通訳しに行くなんて思わなかったよ」
「私達もビックリしたんだよ!最初のクラスの自己紹介の時とかも普通にいるんだもん」
「俺もそこまで任されるとは思わなかった」
そう。なぜ彼がここまで疲れているのかというと、新学期が始まってから約一ヶ月。つまり今日まで学校内でのエマとアリサの通訳を一人で担当していたのだ。初日の朝のSHR終了後に先生に『Let's go信!』と言われた時は皆が耳を疑った。その上自分の勉強を疎かにするわけにはいかないのでこれほど疲れが出ていたのだ。
「しかも家ではエマちゃんとアリサちゃんに日本語教えてるんだろ?」
「ああ。2人とも真面目に頑張ってるし覚えもいいから今日限りで授業中の通訳は終わりだ。でもたまに変なときがあるからフォローしてやってくれよ?愛、真」
「うい」
「了解。そういえばまた1年生で信兄のファン増えたよ」
「なんでまた」
「そりゃ、授業を2人の留学生に別々の言語で同時に通訳し続けるなんてそうそう出来るやつ居ないだろ。『そんなハイスペックでスタイリッシュな信先輩ステキー』って言う声が絶えなかったらしい」
「それくらいでモテたら苦労しないっての」
何てことを信はほざいている。他の人であったら嫌味でしかないだろうが彼は本気の本心でそう思っているのだ。だから余計に質が悪い。
「そう言えば信って他に何語話せるの?」
そう聞かれると、指を折りながらカウントしていく。イタリア語、ドイツ語、スペイン語、中国語、ギリシャ語、英語。英語についてはアメリカ英語の方だと補足を付け加えた。
指が一つ折られる毎に英語が嫌いな燈は頭を抱え、それが終わるとため息をつく。
「……いつ覚えたんだよ」
「ほら、俺小さいときに空手とかで行き詰まると別の何かに没頭してただろ?」
「ああ、そんなこともあったな」
「そう言えば昔、たまに部屋からぶつぶつなんか聞こえてたね」
真の言葉に購買で買ったパンを頬張りながら愛がうなずく。
「その時にやればやるだけ身に付く他国の言葉に惹かれたんだよ」
「何歳で完璧になったの?」
「確か中学入る前にはマスターしてたな」
「何て野郎だ」
「私達の兄がハイスペック過ぎる件について」
「なんなら教えてやるが?」
「勉強なんてしたくねーーー!!!」
「聞きたくなーーーい!!」
今年大学受験の二人は耳を抑えながら走り出す。学校でも家でも勉強のことを言われるのに、全く使われない言葉なんぞ覚えてる暇があるか!
「待てよ!スペイン語とか発音面白いんだぞ!」
「「やめろ(て)ーー!」」
受験生の苦悩は続く。
「「ただいまー」」
「お三方、おかえりなさい」
「ガウッ!!」
玄関から入るといつも通りコトとモコが出迎えてくれる。いつも通りの光景だ。ただ、この1年でかなり変わったところもある。
「……なあ、コト」
「はい?なんですか?」
「さすがにでかくなりすぎじゃないか?」
「そうですか?」
「ワウ?」
この家に住むもう一匹の狼、モコだ。この1年ですくすくと成長していたモコは、十分大きいはずのコトを軽く凌駕する大きさになっていた。正確にいうと体長200cm。
「別にいいじゃん。モコは頭いいんだし問題は起こさないよ」
「それにお兄ちゃん、名前の通りこんなにモコモコなんだよ?」
「ワウッ♪」
愛が毛並みに顔を埋めワシャワシャと撫でまわすと、モコも嬉しそうにお腹を出す。
「……それもそうだな。モコ、ちゃんと他の犬と遊ぶときは加減するんだぞ?」
「ワンッ!!」
「そんじゃあ晩飯の準備するか」
「そう言えば信兄、幻想郷にまだ行ってないの?」
「……言われてみれば行ってないな。もう5ヶ月になるのか」
「明日ちょうど休みだし行ってみたら?エマとアリサの勉強は私たちに任せて」
「ん~……お言葉に甘えようかな。明日は頼むよ」
「はーい。それでお兄ちゃん。今日は久々にがっつり肉食べたい」
「ここ最近はあんまりお肉食べてなかったからな~」
「おっと、ここぞとばかりにおねだりして来やがったな?」
夕食の話をしながらリビングの扉を開けると、今の話を聞いていたようで目をキラキラと輝かせた悪戯三太が扉のすぐ近くでこちらを見上げていた。
「信兄!今日焼肉なの?ハラミある!?」
「俺牛タン食べたい!」
「俺カルビ!!」
「豚トロあるといいな~」
三太に続いて広美も願望を提案してくる。
「「我ら、マルチョウを所望する」」
「……出来れば味噌味の奴も……追加で」
部屋の隅でまた何か不都合なことを言ったのか、陸が空と海の二人に三ヵ所の関節を固められている。そんな状況でも肉の注文をしているので、割りと余裕があるのだと周りは認識した。
「「おにくっ!!」」
「ワンッ!!」
更に玄関からちょうど今帰宅した元気な末っ子組の声が響く。呼応するようにモコが一度吠え、生肉が食べたいのだとコトが通訳を入れてくれる。
今夜は焼肉だと思い皆テンションが上がっているのだ。そして夕飯の決定権を握っている信に期待の眼差しを向けている。
「お前ら……よしっ!代わりに準備手伝ってもらうからな。今日は焼き肉パーリーだっ!!」
「「「おー!!」」」
「これが日本の焼き肉……豪華絢爛ね」
「早く食べまショウ!お腹すきまシタ!」
明渡家の焼き肉はいくつかの七輪を使う。準備と後始末は大変だがその分、熱々で炭の香りが程よく乗ったの旨い肉を食べることが出来る。そして全員の期待に応えるために様々な種類の赤々しい肉がテーブルの上に広げられている。
「味は保証するから楽しんでくれ。それじゃあ皆さん手を合わせて」
「いただきまーす。」
網の上で焼かれる肉は脂を踊らせ、滴り落ちると炭から煙を上げさせる。何とも言えない食欲をそそる香りが空間を満たす。
各々で焼き好きなタイミングで食べるというスタイルに慣れていないエマとアリサはやはり出遅れてしまっている。それを見かねた真と愛は二人の取り皿を信に渡し、信は一瞬で様々な種類の肉が美しく盛られて返還された。
「熱いから気を付けてね」
「ハ、ハイ!ありがとうございマス」
「早く食べないと私が食べちゃうよ~」
「酒池肉林……じゃなくて、電光石火でだべるわ」
二人は自分の皿に置かれたまだパチパチと水分が焼ける音が鳴る肉を眺めていた。目と耳、次に鼻で楽しみ、ついに我慢しきれなくなったのか一つの肉を口に運んだ。
「柔らかい……なのに噛めば歯を押し返してくるこの心地いい弾力。美酒佳肴」
「そして熱々な肉汁の甘味と旨味が何とも言えない幸福感を感じさせてくれマス」
最初に口に入れた肉を胃に納めると、火薬に火をつけたような勢いで新たな肉を食べ始める。それを見て安心できたのか真と愛も自分の食べたいものを焼き始め、焼肉パーリーは賑やかに進んでいった。
「よし、そろそろ行こうかな」
昨日真や愛に言われた通り、今日は幻想郷に行ってくることにした。
「ん、兄貴そろそろ行くのか?」
「お土産よろしくね」
「そっちもエマやアリサのことは頼んだぞ?」
「分かってるって」
「そんじゃ、行ってきます」
久しぶりに能力を使い、その場から一瞬で姿を消した。
「……やはりこの時期と言ったら、アレでしょうか?」
「だろうな」
「やっぱり信にいって……」
「厄介事に巻き込まれるよね」
「主、どうか無理をなさらないでください。」
家族の心配とは裏腹に、今日も彼は無理をする。
side change
(みんなに会うの久々だな。あいつらちゃんと稽古してるかな...まあ、ジンもいるし俺が居ないからってサボるようなやつらでもないか)
久しぶりの幻想郷のためやりたいことや会いたい人物などいくらでも浮かんでくる。
(宴好きのみんなだから今頃花見とかやってるのかな)
「よっ!久しぶりだな霊夢って、何やってるんだお前?」
てっきり花見の宴会会場にいるものだと思っていた信はその光景に驚きを隠せない。
「あら、久しぶりね信。何って見れば分かるでしょ?コタツでぬくぬくしてるのよ」
「なんで?」
「寒いから」
「もう春なんだからそんなのに入ってたら季節感が狂っちまうぞ」
温かくなり始めたこの時期にすべての出入り口が締め切られていた。だから温かい風を入れるためにも、彼は一つ窓をあけ放つ。
「……雪?」
開け放たれた障子の先には美しい銀世界が広がっていた。
5月に、辺り一面、銀世界である。
「雪いいいいいっ!!??」
そしてもちろん、外からは冬特有の肌を刺すような冷気が流れ込んでくる。
「あの……霊夢さん。俺もこたつに入っていいですか?」
「いいわよ」
「恩にきります」
季節外れのこたつでぬくみ、明渡 信の3度目となる異変解決が、今 始まった。
こたつってどんな感じなんですかね。私は雪国出身なので逆に入ったことがないんですよね。
という訳で春雪異変の始まりです。ゆっくり楽しんでください。