とある少女の育成計画   作:神道道也

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咲夜の日記 運命のあの日

此処に来て十年が経った。

 

それは長いようで短いものだった。

 

あっと言う間なんて表現があるが実際にあっと言う間だった。

 

だけど一日たりともここの生活を辛いとか苦しいとか思ったことは、感じたことは無い。

 

寧ろ一日一日が楽しくて仕方なかった。

 

そしてそれはこれからも続いていくだろう、楽しみだ。

 

……ああ、そうだ。十年前の明日はあの運命の日じゃないか。

 

今日まで一度たりともあの日の事を忘れた事はない。

 

あの日があるからこそ今の私が存在しているのだから…

 

そうだ、今日は折角だからあの日の事を記しておこう。

 

私が私に、‘‘十六夜咲夜’’になった日の事を…

 

 

 

 

 

 

 

○○○○○

 

 

「はぁ……はぁ、くっ」

 

私はその時走っていた。

色の無い木々をかき分け、時折、追いつかれるはずも無い後ろを振り向きながら…

 

誰も動けないと分かっている、自分しか色が無い事も分かっている。

…だけどアレは何かが違った気がした。

 

「う、く……はぁはぁ」

 

足に痛みが走る、血は出てはいないが出ているぐらい、いや寧ろそれ以上に痛く悲鳴を上げていた。

 

そしてその痛みのせいで私は気付けば能力を解除していた。

 

世界に色が戻る、音が戻る。止まっていた全てが動き出し、再び世界は回り始める。

 

私はそんな動き出したことを感じながら身体を休めてしまっていた。

動き出した世界に心を奪われてしまっていた。

 

意識が全て世界に向いてしまっていた。

 

夜風が痛みしか感じない肌を撫でる、月は美しく、だけど妖しく私を眺めていた。

 

そんな風に私を眺めているだけなら助けてよ……

そんな事を思いながら月に手を伸ばす、だけど届くことも伝わることも無く空を切った…

 

 

 

そんな時だった、私は油断していた。逃げ切ったと思いこんでいた……

 

それは一瞬で目の前に現れた、月の光とは真逆、殺意や殺気にまみれた黒いそれは薄笑いを浮かべながら私に覆い被さった。

 

 

 

今思えば、アレはもしかしたら月の答えだったかも知れない…

 

 

 

だけど当時に感じたのは殺される、殴られる。あの人から感じたのはそれだけだった。

 

「子……供……?」

 

その言葉をその人が発した時、殺気が飛散した。浮かべていた怖い笑みも消え、困惑の表現が現れていた。

 

「はな……して……」

 

私は逃げようと身をよじるが中々拘束は解けない。

そんな中その人は相変わらず困惑の表現で私を見つめている。

 

何故、私を見て困惑をしているかは分からない。

その人の中で何が違って何が思いもしなかった事なのかは分からない。

 

だけど怖かった、それだけは感じた。

 

どうせこの人も村の大人たちと変わらない、そう思った。

 

だからたった一瞬だったが見逃さなかった、拘束が緩む、その一瞬を…

 

そしてそれは訪れた。私はそれを逃さず再び能力を使い《時を止める》

その人は石像のように固まり、色を失う。全てを失ったそれは冷たくて嫌いだ。

 

その後、私は這い出るように拘束から抜け出した。

 

そして再び森を走る、だが身体は時を止めたまま動くのを許さなかった。

ある程度離れた所で身体に痛みが走り、能力が途切れてしまった。

 

「待って!」

 

その人が叫んだ、私に対して制止を求めているのだろう。だが止まれば必ず何かされる……痛いことをされる。

 

だから私は止まることは無かった。

 

「こな……いで……」

 

小さな声だと自分でも思った、こんな弱い声しか出せない自分が凄くイヤになった。

 

「何も痛い事はしません!だから待って!」

 

痛い事はしない……嘘だ、そう言って私を捕まえて痛い事をしてきた人なんて山ほど居る。

 

人間なんてそんなものだ、何時も嘘をつき、相手を騙し、嘲笑う

 

そして変わった者が産まれれば、忌み嫌い、下げ見続け、暗い闇へと落とす

 

それが人間、それが大人。何処にでもある話で、誰の記憶にも残らない話

 

「……はぁ……はぁ」

 

だけど身体は限界だった。足が震え始め言うことを聞かなくなる。

 

止まってしまった、動けなくなってしまった……殴られる、殺される。

 

だけどもしかしたら脅かせば逃してくれるかもしれない。

だから私は木に背を預け、その人を睨み、ナイフを構えた。

 

怖い、物凄く怖い…構えたナイフが足と同じくらい震えている

 

「こないで…でないと……いたいことする」

 

怖いという感情はこの前に居る人にも感じているが、もう一つにも感じてしまっている、それは……

 

このナイフだ

 

持つのも恐ろしいくらい、このナイフが怖い。

当たれば痛いし血が出る、だから怖い。だから恐ろしい。

 

だけどもそんな事を言っていてはこの世界で生きてはいけない。

この世界で醜く生きていくためには、傷つける道具というものは必要不可欠だ。

 

……たとえ、私のような者でも

 

そんな葛藤をしている中、その人は私の警告を無視して一歩近づいた。

 

「こないで……ほんとに…これ…いたいよ?あたると…あかいの…でるよ?……だから…こないで」

 

分かっている。この人が村の大人たちではない事は……それに違う事も

 

私を見る目が明らかにこの人は違う。村の大人たちは私を汚い物を見る目でこちらを見ていた。

 

だけどこの人の目は何処か泣きそうだった。

その事を私は不気味に感じてしまっていた。

 

知らないからだ、何故、私をそんな目で見るのかが分からないからだ。

 

その事を感じた時、手の震えが大きくなる。

この人が分からないから恐怖した。そして同時にこの人を知るのが怖くなった。

 

それに傷つけるのが怖いし、イヤだ。

自分がされていたから痛いのはよく分かる、だから他の人には感じて欲しくない。

 

だけどこの人は私の考えてる事なんてお構い無しでこちらに近づいてくる。

 

もうダメだな、そう感じた……だからナイフを捨てて、ゆっくりと目を閉じた……

 

だけど何時まで経っても痛みは来なかった。寧ろ何かに暖かく包まれていた。

 

そう…この人はこんな私を抱き締めていたのだ。

 

「はなして……」

 

だけど私は拒絶した。分からなかった、何故この人がこんな事をするのかが本当に分からなかった。

 

怖くて怖くて……身体の震えが止まらなかった。

 

そしてこの人は私に……

 

「ごめんね……」

 

謝罪した

 

意味がわからない…何故私にこの人は謝るのだろう、何故謝罪するのだろう…この人は私に何かをした訳でもないのに。

 

だから意味が分からなかった……だけどその謝罪の言葉は私の中の何かを刺激した。

 

「良く……頑張りましたね、良く生きてくれました」

 

そして生きている事を褒められた。

 

何故だろうか、私は醜く生きてきたのに、生きてはいけない者なのに……何故こんなにもこの人は暖かいのだろうか。

 

「……でももう一人で頑張らなくても良いですよ__」

 

気が付けば暴れることを止めていた、この人の言葉が暖かくて、優しくて、聞き入ってしまっていた。

 

「__私が居ますから、守るから……安心しなさい」

 

「……うゔゎぁ」

 

居てくれる、守ってくれる。それを聞いた時、何かが溢れそうになった。

 

だけど不安にもかられた、こんな私の側に本当に居てくれるのか……もしその場凌ぎだけの言葉なら……私は要らない

 

「わ…わだしの……そばにいてくれるの?」

 

私はキュッとこの人の服を握った、不安だった、もし本当にそう思っていなかったらどうしようと思った。

 

だけど私はこの人の目を見た、嘘つきの目は沢山見てきた、だから分かる。

 

この人は嘘つきの目じゃない。

 

そしてこの人は優しい笑みを浮かべると私の頭を撫でながら、背中を摩ってくれた。

 

「はい、貴女が居て欲しいと思うのなら、喜んで近くに居ますよ」

 

「……ぅうっ……ぅうわぁぁああぁぁぁああ!!」

 

瞬間、何かが溢れ出た。自分でも分からない何かが沢山溢れ出た。

そして壊れてしまっていた物が再び元に戻った気がした。

 

溢れ出た何かは本当に分からなかった。けど、とても心地良くて、とても優しくて、とても暖かかった。

 

そして壊れてしまっていた物、正確に言えば、壊れかけていた物。

それは生きていくために必要不可欠なモノで、簡単に傷ついてしまうし、簡単に壊れてしまうモノ……

 

 

 

 

‘‘心’’

 

 

 

 

私の心。

それは真っ黒に染まって、沢山傷ついて、引き裂かれて、バラバラにされて……もう壊れてしまったと、駄目だと諦めていた。

 

けど……この人はその諦めていたモノを元に戻してくれた。

白に染めて、癒してくれて、優しく集めてくれて…

私の心が元に戻った。それに気付いた時、もっと何かが溢れ出た。

 

ああ、本当にこの溢れ出るモノは何なのだろう…この心から出ているのは間違いない。

だけど決して悪いモノではない、黒いモノしか知らない私でもこれは良いモノだと感じる。

それに何故か伝えたくなる。この人に言葉にして伝えたい…伝えたいけど、言葉を知らない。分からない。

 

残念だ、とても残念。

 

だけど……この人はそれをも許してくれるかの様に優しく抱き締めてくれていた。

暖かかった、太陽の光のように、月の光のように…

この人はまるで光だ、私のような暗くて闇の中に居るような人間でも明るく照らしてくれる、優しく包んでくれる……そんな光…

だからこそかもしれない、冷たくて痛くて寂しい闇に居たからこそ、この人がとても暖かい、そしてこう初めて思えた

 

 

 

 

 

‘‘生きてて良かった’’

 

 

 

 

そう思えた

そして

 

‘‘この人に一生付いて行く’’

 

そう誓えた

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどのくらい泣いていただろう、数十分かもしれないし、数時間かもしれない。

それくらい長い間泣いていた、今まで我慢してきたモノをぶつけた。

 

その所為かもしれない、私は此処から館に入るまでを、お嬢様と一戦交えるまでを鮮明に覚えていない。

感情の爆発が起きて記憶があやふやになってしまう事は良くあるケースらしい、実際に部分部分しか覚えてない。

 

一つは魔法で怪我を治してもらった事だ。

とても綺麗で美しかった事を覚えている。

…だけど残念ながら私には使えないらしい、魔力が全くないからとの事だ…残念

 

 

 

そしてもう一つ、これは生きていく以上とても大切な事を教えてもらった…

 

『ありがとう』

 

この言葉と、感謝の気持ちと言うのを教えてもらった。

先ほど泣いていた時も怪我を治してもらった時も感じていた溢れ出る何か。

それはどうやら感謝の気持ちと言うのをらしい。

 

そしてその感謝の気持ちを伝える言葉

『ありがとう』

感謝と言うのがいまいち分からない私でもこの言葉はとても良いものだと思えた。

言ったら笑顔になれたし、言われた人も笑顔になってた。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして……では行きましょう」

 

「……はい」

 

私はこの言葉を、この感情を大事にして行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

そこは不気味だった、兎に角不気味だった。

 

外装も内装も紅、紅、紅、紅。紅以外の物は装飾品くらいだろう、壁も床も紅しかない。

 

故に不気味だった。

もしかしたらこれは全て血なのでは無いだろうか?

 

そんな考えがよぎると余計と恐ろしく感じてしまった。

 

確かに私は此処に侵入して食料を殆ど毎日盗んでいた。

だけどもそれは全て《時を止めた》状態であって、今のような動いている状態では無いのだ。

 

して、何が違うのかと問われれば全てが違うと言えるだろう。

全てを止めた世界に色など存在しない、全ては白と黒に染まり、動いている世界のように色鮮やかではない。

全てが止まり、全てが色を無くす……もしかしたらこの館より不気味なのかもしれない…

 

だけど私はそれを不気味だとか恐ろしいなどとは感じた事はない。

それが私にとって生まれてから普通の事、当たり前の事だったのだ。

故に不気味とは感じない。

 

別の話も入ってしまったがこの上記に述べた事が当時の私が怯えていた理由だ。

本当はこの人に手を握ってもらいたかったけど……何やら難しい顔をしていたので中々言い出せなかった。

 

そしてこの人は、今までとは全くと言っていいほど別の場所で立ち止まった。

 

何が別なのかはこの威圧感だ、思わず息を飲んでしまう程の威圧感とよく分からない何か……それは恐ろしくて怖い感情を私に持たせた…

 

「ここで待っていてください」

 

「……っ」

 

思わず手を握ってしまった。

情けない事かも知れないがそれくらい怖くて泣きそうだった。

 

それくらい行かないで欲しかった。

 

「大丈夫ですよ、誰も取って食べたりしませんから」

 

その人は困った笑みを浮かべると私の頭を優しく撫でた。

その撫で方はとても安心するもので不安や怯えを少しずつ取っていってくれた。

けどやはり怖いものは怖い、いくら拭われようとも染み込んでいるものは取れないのだ。

だけど私は離した、何故ならこの人がずっと困り笑顔だから。この人にそんな顔をして欲しくない。

 

するとこの人は柔らかい笑顔になってくれた、そして最後のひと撫でをして扉に向き直り、中へ入っていった。

 

 

誰の声も、気配も消えた。

静まり返ってしまった不気味な廊下で私はただ(たたず)む。

怖いけど考えてみれば私に住む場所なんて無い、近くに居てもらう場所も。

あの言葉はどちらかと言えば逆だ、私の側ではなくて、私が側にいると言った方がきっと正しいだろう。

だとしたら此処が私の居場所になるなだろうか?

 

そんな事を思うと恐怖は消えていって、何処かドキドキしてきた。

なんというか、悪いドキドキでは無くて良いドキドキだ。

それにソワソワしてしまいそうになるくらい心がフワフワしている。

この感情にも名前は存在しているのだろうか?もし、有るのならば気になる。

 

 

 

そんな思考をしているとあの人が部屋から出てきた。それに気付いた私はその人の足に素早く抱き付いた。

 

「……お待たせしましたね」

 

そう発言したこの人、その声は先ほどのように優しいものでは無く…とても弱かった。

 

心配だった、その人の顔を見上げれば今にも泣きそうなくらい顔を歪めていた。

 

どの様な事を言われたのかは分からない。だけど泣きそうという事はきっとこの人にとって辛い事を言われたのだろう……

 

だから余計と心配になった……

 

「……貴女は本当に優しい子ですね」

 

そう言ってその人は膝をつき私を抱き締めた。先ほど抱き締められていた時よりも強い抱き締めだったけど、心地良くない訳ではなかった。

 

寧ろ、この人の方が怯えているような気がした。なぜかは分からないけど…何処かでそう感じていた。

 

だから真似をした。この人にしてもらった事を……暖かくて優しかった事を真似した。

 

「だい…じょうぶ……だいじょうぶ……だから」

 

変だったかも知れない、上手く出来てなかっただろう……だけど、伝わったみたいだ

 

「ごめんなさい、もう大丈夫です……ありがとう」

 

その人は私を離すと頭を撫でてくれた。やはりこの人に撫でられるととても気持ち良い、もっと撫でて貰いたくなる。

 

「……良いですか?」

 

だけどそういう訳にはいかない。この人は撫でるのを止めると私の眼を見て、肩に手を置いた。

 

「これから貴女は過酷な運命に逢います」

 

運命……それがどういうものかは知らない。けれど今までも見てきた気がした

 

「それはきっと、いえ、絶対に今までとは違うものです」

 

今までとは違うもの……いや、何も変わってはいない。

 

負ければ死ぬだけ、何時もと変わらない。

 

「過酷で辛くて投げ出したくなるような運命が待ち受けています」

 

だからどれだけ辛くても、苦しくても……

 

私は諦めない。この人の側に居る為にも

 

「だけど貴女なら絶対に乗り越えられます、私はそう確信してます」

 

信じている……そう言われるだけでどれだけ力が貰えるだろう

 

「だから諦めないで闘いなさい、醜くてもいい、足掻きなさい……貴女には生きる価値がある」

 

泣きそうになった。嫌な涙じゃなくて、とても良い気持ちの涙。

だけどここで泣くわけには行かない、グッと我慢する。

 

そんな風に葛藤している時だった、この人が懐から一本のナイフを取り出す。

 

それは装飾も何もされていない銀のナイフ、刃は先ほど私が持っていた物よりも鋭く……

 

綺麗と感じていた。

 

理由は分からない、だけどこのナイフからは恐怖など感じる事なく、寧ろ美しさを感じていた。

 

「……これは私からの餞別です。余すことなく使いなさい」

 

そしてそのナイフを貰った。

せんべつという言葉がどういう意味か分からないけど、これを使って闘いなさいとそう言われた気がした。

 

だから今までよりも力強く私は頷いた。

 

もう今までの事は気にはしない、今は前だけ見よう。この人と居る為にも…

 

 

私は闘う

 

 

「お嬢様、お客様です」

 

「 」

 

「失礼します」

 

何度目だろうか、扉が開かれた。

なんというかこの人が出てくる時よりも簡単に開けている気がした。

 

そして私は中へと導かれるように、吸い込まれるように、部屋へと進んだ。

 

だけど一瞬だけ、少しだけ後ろを見なきゃいけない…何処かでそう思った。

だから振り返る、するとあの人が優しく笑っていた。

 

「ご武運を」

 

その言葉の意味は分からないけど……

応援しているよ、そう言われた気がした。

 

そして扉が閉まってしまう。あの人の顔も見えなくなってしまい、目に写っているのは重そうな木の扉だけだ。

 

再び前を見ようと身体を動かした時だ。そんな時に気がついた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が異常に汗をかいている事に……

 

それはもう尋常ではなかった。身体が壊れたように汗を出していた。

 

もしかしたらもう壊れているのかもしれない、何故なら動かないから。

何かに締め付けられたかのように、何かに押さえ付けられたかのように、身体が言うことを聞かない。

 

何故だろうか、その疑問が頭に浮かんだ瞬間……脳が震えた

 

「無礼な客人ね、紅魔館(ここ)の主の顔をも見ようとしないなんて」

 

その幼い声を聞いた時、より一層身体が重くなり、立っているのが不思議だった。

そしてもう一つ、心臓が悲鳴を上げた。まるで誰かに無理やり早く動かされているかの様に、鼓動が狂ってしまった。

それに伴い、息も上がっていった。今では全力で走った後みたいに息を荒げている。

 

「……そう、こう言っても動かないのね。分かったわ」

 

それはため息を吐きながらそう言った。椅子などから立ち上がるような音がした後、何か大きな物を羽ばたかせる音がした。

 

私はその間も身体が動かない、否、動かせない。本能が動くことを拒否していた。

 

「こっちを見ろ、人間」

 

凄みのある声が部屋に響いた、それは先ほどの声とはかけ離れていて同一人物とは思えないほど低かった。

そして何よりも二重にも三重にもその声が聞こえていたのだ、それはもう不気味で恐ろしかった…

 

 

だけど、そんなんじゃ駄目だ。

私はここに捨てに来たんじゃない、勝ちに来た、闘いに来たのだ、臆して負ける訳にはいかない。

 

だから足りない勇気を振り絞って振り返り、それを見据えた。いや、睨んだ。

 

「……へぇ、臆して動けなかった癖に良い目をしているわね。闘志に燃えている目…悪くないわ」

 

それを一言で表すのならば

 

‘‘王’’

 

幼い見た目からは想像も出来ないほどの壮大な威圧感に、引き込まれるそうになる妖しげな雰囲気。

 

まさに王、闇の王。

人間の王とは違い、牽引すると言うよりも、恐怖で威圧し制圧する様な‘‘魔王’’と言った方が正しいだろう。

 

 

 

だけど私は屈しなかった、今までとは比べものにならないくらい強い恐怖…

けど負けないと決めたから…

 

「だけど残念、貴女には__」

 

私は時を止めた。瞬間全ての色が消えて無くなる。優雅に妖しく笑っている彼女も白黒に染まり石像と化す。

何か言っていたようだが今の私には関係の無いことだ、この空間は…この時間は私だけのものなのだから…

 

 

私は一呼吸した後、ナイフを構えて彼女へ走り出した…

折角落ち着けた心臓を再び煩く鼓動させる、息も段々と上がっていく。

そして彼女まで二、三歩のところで誰かが叫んだ気がした

 

‘‘行くな!’’

 

と、だけどこの世界で動けるのは、音を出せるのは私だけのはず、もし仮に誰かが叫んでいたとしても私はそれを否定する。

寧ろ確信していた。貰ったと、勝ったと。勝利を確信していた。

何故ならもうすでに刃が彼女の首元に突き立てられていたからだ。

 

必死に伸ばした両腕の先にあるナイフ、それは石像のように固まっている彼女の首元に致命傷を与えようとしていた……

 

そして、後少し。ほんの少しのところで__

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__世界は裏切った

 

 

 

 

 

色を失い、動けなかった筈のそれは一瞬で色を取り戻し、妖しく笑っていたその口をさらに釣り上げ、悪魔のように笑う

 

「__勝つ運命なんて見えないわ」

 

その言葉を残して彼女は視界から消える。無論、私の届くはずだったナイフは空を切った…

 

だけどそんな事はどうでも良いくらい私は困惑していた。彼女が視界から消えたことではなく、世界が元に、私が止めていた世界が元に戻ったのが分からなかった。

 

私は解除していないのに何故動き始めたのだろう…

 

そんな考えを持った時だった、時間にすれば僅か一秒にも満たないかもしれない、そんな僅かな時間だったが彼女にとっては絶好のチャンスだったのだろう…

 

気付けば彼女は懐にいた、そしてゆっくりと右手を引き、私を殴った。

 

「だから貴女は負けるのよ」

 

瞬間、腹部に走る強烈な痛み。それはこれまでの痛みとは次元が違った、叫ぶ間もなく私の口は苦い赤の液体と酸っぱい液体で埋められた。

そして、身体の中で何かが潰れた音がした後、私の身体は後ろへ吹っ飛んでいき壁へと激突する。

だが、それでも殴られた衝撃は収まらず、壁でバウンドし床へと叩きつけられた…

 

「がっは…」

 

ここでやっと吐くことが出来た。赤いのか、黒いのか、黄色いのかよく分からない液体が口から出てくる。

そしてそれは止まることを知らない、特に赤と黒の液体が口から止まらない。

 

「戦いで一瞬でも止まるなんてまだまだね、自分が負けることも常に考えておかないとこうなるわよ」

 

彼女は得意げに笑うとそう言った、でも何故だろうか、笑っている彼女が掠れている…

 

「確かに貴女の能力は危険なものね、空間系か時間系と見たわ。でもまだ完全にはコントロール仕切れてない」

 

凄い……たったアレだけで当てるのか……もしかしたら……彼女は私が思う以上……に私を警戒していたのかも……しれない

 

「そして運命というものは幾多も存在する。例えば貴女が能力をコントロール出来ず、私の目の前で失敗するなんていう運命も無論、存在する」

 

あ……れ?……段々と……視界が……目を…開けている……ことが……出来ない

 

「だから私はその運命を選んだだけよ、ってもう聞こえていないの?

…誰に処分させようかしら……漸にさせる訳にはいかないし…」

 

 

 

 

 

 

 

そこは闇だった……暗い暗い闇

 

自分がそこに居るのかさえ、存在しているのかさえ、分からなかった。

 

痛くは無かった、けど冷たくて寒くて……寂しくて溜まらなかった。

 

『化け物め!』

 

何処からかそんな声が聞こえた。そして痛みが腕辺りに走る…石でも投げられたのだろうか…

 

『お前が居るから!お前が居るから!!』

 

次は首を絞められた。苦しい、息が出来ない……

 

『この忌子が!寄るな!』

 

次は何かを刺された。痛い、赤い液体が出た……

 

『またお前か!この盗みっ子が死ね!』

 

次は殴られた。痛い、痣が出来た……

 

『化け物!』

『化け物め!』

『忌子が!』

『この鬼子め!』

 

何人にも何十人にも……そう言われ続けた……そう、やられ続けた……

 

『お前にな__』

ああ、もう私に……

 

『__生きる価値なんてねぇよ、屑』

……生きる価値なんてないのだろうか?

 

 

それを思ってしまった時、身体が何かに引き込まれた、引きづられた……どんどん奥へと、闇の中へと沈んでいく……

 

ああ、もうダメだ。私になんて生きる資格は無いんだ。生きてちゃいけない人間なんだ……

 

もう諦めよう、もう考えるのを止めよう……この闇に埋もれて死ねばそれで良いんだ……

 

そう諦めて目を閉じた時だ、引き込まれるのが止まった……何故だろうか?

 

 

『……ごめんね』

 

……え?

 

誰かの声が頭の中で響く……あれ?誰だっただろうか……

 

『良く……頑張りましたね、良く生きてくれました』

 

……何処かで聞いたことがある……だが分からない。

 

『私が居ますから、守るから……安心しなさい』

 

……優しい声だ、とても優しい。

 

『……良いですか?』

 

それに暖かい……とても心が暖まる。

 

『これから貴女は過酷な運命に逢います』

 

……ああ、そうだ。あの人の声だ、勇気がもらえる声。

 

『過酷で辛くて投げ出したくなるような運命が待ち受けています』

 

そうだ、確かに辛くて投げ出したくなる……けど

 

『__諦めないで』

 

そう、諦めない

 

「…あ、ぁ」

 

『__闘いなさい』

 

そう、闘う

 

「…あぁ」

 

『__醜くてもいい、足掻きなさい』

 

そう、足掻く

 

「…ああ」

 

『__貴女には生きる価値がある』

 

そう、私には__

 

「あああぁぁぁ!!」

 

__生きなきゃいけない理由がある!

 

それを理解した時、全てが戻った。

光も、身体も、彼女も、不気味な部屋も、全てが戻った。全てがまた私の前に広がった。

 

 

 

 

「なっ……なんで動けるのよ!」

 

「……ぁぁあ」

 

起き上がった私に彼女は声を荒げた。それもそうだろう、私は息を吹き返したのだ。自分でも死んだと感じた。

 

心臓が動きを止め、身体中に血液を送るのをやめていた……

だが心臓が止まってしまったならまた動かせば良い、ただそれだけの事だ。

 

やっと……やっと見つけた私の居場所……そう簡単には離さないッ!

 

「ああぁぁああぁぁぁぁ!!!」

 

「……っ良いわ!来なさい!貴女の運命見極めてあげる!」

 

私は吠えた、叫んだ訳ではなく、ただ吠えた。獣ように、本能で動いた。

 

だけど痛みで上手く走れない、ナイフを握れない……

 

 

すると何かが私を暖かく支えてくれていた。

それは痛みを取ってくれて、震えているナイフを、手を覆うように支えてくれた。

 

きっと……いや、絶対あの人だ。私の腕を、脚を、全てを支えてくれている。

 

それを感じた時、自分でも驚くほど身体が軽くなった。そして痛みも全て消える……

 

行ける、そう感じた私は彼女を睨んだ。応戦状態に入っている彼女は翼で自分を覆うようにし、向かい合わせた両手の中で何かを作っていた。

 

「こんな……運命が、無理矢理作られるなんて……あり得ない…!」

 

ギロリと彼女は私を睨む、その目には殺意しかなく、必ず殺す。そう言っていた。

 

だけど私は臆しない、寧ろ本気でぶつかってきてくれた事を嬉しく感じていた、だって私の事を少なからず認めてくれた。そういうことなのだから…

 

「がああぁぁぁ!」

 

そして私はナイフを構えて走り出す。能力は使えない……寧ろ暴走していた。

 

一歩踏み出すと同時にその足から、溜まっている水に雫が落ちた後のような波紋が広がった。

その波紋は広がっていくと同時に世界から色を奪う。

広がったのは私の嫌いな世界。嫌な世界……私一人しか存在できない世界。

 

だがそれも一瞬だった。次の一歩を踏み出した時、色が波打ちながら広がっていった。

美しい世界、確かに今は紅い部屋で不気味だけどそれでも色があると言うのは、人が動くと言うのは美しくて、暖かいものだ……

 

「……っ、貴女!」

 

ここで彼女が何かに気が付いた。それは何に気が付いたのか分からない、けど殺意しか篭ってなかったその目を見開き、顔を驚愕に染めている。

手を合わせて作っていたものも消えてしまっていた。

 

「そのナイフ」

 

けど彼女が動けているのは、色が付いている世界だけだ。

私の能力が暴走してしまっている今、彼女が喋ろうとしている事は途切れ途切れになってしまう。

 

「一体何処で!」

 

だが私にはそんなこと関係なかった、耳に入ってこなかった。

 

ただ、無我夢中で__

 

「やああぁぁぁ!」

 

__このナイフを、私というナイフを…

 

「とどけぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……私は気が付けば、また違う場所にいた。

 

身体は寝ていて動かない。でも

 

さっきのように冷たくなくて、寧ろ暖かかった。そして何よりも

 

誰かが抱きしめてくれているように感じた……

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

そこは暖かかった、それにもふもふしていて心地が良かった。

とても気持ち良くて、もっと寝ていたくなる。

けど私の頬を突いている何かが寝るという行為を許さなかった。

 

「……んぅ?」

 

私は思わず変な声を上げてしまった。けどそれもそうだと思う、起きたというか起こされたのだから

 

「あ……起きたみたいよ」

 

「はい、無事に起きられましたね」

 

少しだけ紅い天井を見上げていたら、そんな声が聞こえた。あの人の声と闘った彼女の声。

 

私はあの人の声に気付いたと同時に身体を起こした、だけど起こした瞬間、視界がグラリと歪んだ。

 

「ああ、そんな急に動いてはいけませんよ。貴女は長く寝ていたんですから」

 

歪んだのは一瞬だったけどそれでも身体は重くなった。

重い頭が今の背中では支えれなくなり、前のめりの姿勢になってしまう。

 

でも私にはそんな事どうでも良かった。ただ、あの人に抱き着きたくて、ただ、あの人に抱きしめて欲しかった……

 

だけどこの人は支えてくれたけど、抱き締めてはくれなかった。

一つの腕で背中をさすりながら私を支え、もう一つの腕を私の前に持ってきて前のめりの姿勢から少しでも楽な体勢へと持っていってくれた。

 

けど私は我儘をした。前に持ってきた腕へとしがみ付くように抱き着き、この人に視線を送った……

 

この人は困った笑みを浮かべていた。

私がして欲しい事をきっと理解しているのだろう、けどしないのには理由があるのかもしれない。

 

そして理由はすぐにわかった。この人が私の視線を導くように前を見たからだ。

 

そこには闘った彼女がいた、とてもつまらなさそうに腕組みをして、半開きの目でこの人を睨んでいた。

 

「……仲が随分と良いみたいね」

 

「えっ……と、すみません」

 

「……別に謝らなくても良いわよ、悪い事では無いのだから」

 

あ、あはは。とこの人は笑った、けどどうみても笑ったと言うよりは、どうしようかと考えているようにしか見えない。

 

そして彼女は最後にもう一睨みした後、大きなため息をついて目を閉じた。

かと思いきや、何かを決めたように私の目を真っ直ぐ見た……

 

思わずこの人の腕を強く握ってしまった。先ほどよりか恐怖は無いが、やはり怖いものは怖い……

 

「貴女にはまず謝らないといけないわね。ごめんなさい」

 

「……え」

 

突然の出来事でよく分からなかったけど……頭を下げて彼女は謝った。

 

私はよく分からなくて思わずこの人に目で助けを求めた、けどこの人は彼女を見つめていて、暫くした後私の目を見つめた……

 

まるでどうするの?そう聞いてきた感じだった……

 

「……だいじょうぶ…だから」

 

私は頭を下げている彼女にそう言った。本当は大丈夫では無かった…まだ彼女が怖いし、傷だってまだ痛い気がする。

 

けど、なんと言うか……もう良かった、ただそれだけ

 

「……ありがとう、優しいのね」

 

彼女は驚いた表情でこちらを見た後、瞳を少しだけ潤ませながらそう言った。

 

そんな表情豊かな彼女を見ていると彼女のイメージが変わっていった。

魔王とさっきは言ったが、今はなんと言うか……礼儀正しいお嬢様?

 

「それと……もう一つ良いかしら?」

 

「……?」

 

もう一つと言うのがよく分からなかったがとりあえず頷いておく、すると彼女は優しい笑みを浮かべた。

 

「……貴女に私を守ってほしいの、私は……弱いから」

 

だが直ぐに笑みは弱々しくなっていった。紅い瞳も弱々しく歪んでいた……

 

けど私にはよく分からなかった。何故彼女がこんなにも弱々しく笑っているのか、何故彼女の瞳が弱々しく歪んでいるのか、何故彼女は……自分を弱いと言うのか。

 

十分に彼女は強いだろう、少なくとも人間の私からすればとても強い…なのに彼女は自分を弱いと言う……

 

確かに価値観の違いは多々あるが、きっと大半の人が疑問に思う所だろう。

 

「……不思議そうな顔をしてるわね…本当に弱いのよ…私はね…そこの漸よりも…きっと貴女よりも」

 

……本当の意味では理解出来てなかっただろう。

 

だけど彼女は余りにも弱々しくて、直ぐにも壊れそうで、とても悲しそうだった。

 

だから私は動かない身体を無理矢理動かして、下を向いてしまっている彼女の手を握った。

 

「……まもる…まだよわいけど……わたしはあなたを……まもる」

 

手を握った事を驚いたのだろう、彼女は驚きの表情で私を見た。

 

その目は潤んでいて、とても痛々しかった。だからもっと彼女を守りたいと強く思った。

 

その思いが伝わるかどうかは分からない……けど彼女は一筋だけ涙を流すと私を抱き締めた。

 

「ありがとう、咲夜……本当にありがとう……」

 

彼女がどういう表情かは分からないけど抱き締められた力は強くて、弱かった。

少し苦しいようで、でも心地良かった。

 

けど……さくやって何だろうか?

 

「……お嬢様」

 

「……ええ……分かってるわ」

 

少しの間抱き締められているとあの人が彼女へ話しかけた。

すると彼女は少し名残り惜しそうにしながら私を離して、私の頭をひと撫でした。

 

その表情はとても柔らかくて暖かい笑みだった。

背中に悪魔の翼を付けていなかったらそれはきっと聖母の様な優しい笑みと言えるだろう…

 

「本当にありがとう、私の側にいてくれると言ってくれて…そのお礼では無いけど、渡したいものが在るわ」

 

渡したいもの?それは一体何だろうか?

 

思わず私は首を傾げてしまっていた。別に言っている意味がわからないとかでは無い、何故そんなものが貰えるのだろうかと思っているからだ。

 

私はただこの人達の側に居られればそれで良い

 

「十六夜 咲夜、貴女のこれからの名前よ」

 

私が首を傾げたのが可笑しかったのかくすりと彼女は笑うとそう告げた。

 

 

 

……なまえ?

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………?」

 

「え、えっと……嫌だったかしら?」

 

私が何も答えず、ただ彼女を見つめていると彼女は少し慌てた様子で私にそう聞いてきた。

 

いや、嫌だと言うかそれ以前になまえとは一体何だろうか?

 

そんな疑問を持つと一つの視線に気が付いた、あの人の視線だ。

 

それに気付いた時、私は慌てている彼女から視線を外し、あの人の目に合わせた。

 

きっとこの人なら分かってくれるだろうと思いながら……

 

「……では、咲夜。これは何か分かりますか?」

 

視線を少し合わしただけでこの人はなるほどと言いたげに笑い、懐から一本のナイフを取り出した。

 

「……ナイフ?」

 

「正解です。ではこれは分かりますか?」

 

いきなりの事だったから少し不安だったが当たっていたようで、この人は満足気に頷いた。

 

そして、すぐにナイフをしまい、胸元のポケットから丸いものを取り出す、かと思いきや何やらボタンを押して蓋を開いた……

 

中には今も常に動き続けている、綺麗な時計が入っていた……

それはとても綺麗で思わず見惚れてしまっていた……けど聞かれたのなら答えなければいけない

 

「……とけい」

 

「そう、正解です。と言っても厳密に言えば懐中時計と言うものですが……まぁ置いておきましょう」

 

かいちゅ……?まぁよく分からない事を言ったあと綺麗な時計をこの人は胸ポケットにしまった……

 

本当はもう少し見ていたかったのだが折角この人が教えてくれているのだ、ここは我慢しよう。

 

そう思い私は再び、あの人へと視線を戻した。この人はクスリと笑ったあと、説明を続けた。

 

「名前と言うものはまだまだあります。例えば今咲夜が座っているベット、先ほどまで使っていた枕、そして今着ている服などなど、色々なものが存在します」

 

この人は全てを指差しながら丁寧に教えてくれた。

 

どうやら物一つ一つには名前と言うものが存在するらしい、確かにアレやソレでは分からない。だからきっと名前と言うものが有るのだろう……

 

でも、それだと……さくやってどういう物なのだろうか?

 

「そしてそれは生き物にも当てはまる事なのです。

申し遅れました、この紅魔館で執事長を務めさせて頂いております、神道(しんどう) (すすむ)と申します」

 

この人はそう言って、右手を下げる頭と同時に動かしながら下げた胸の前へと置いた。

 

そして、顔を上げた後、後ろで少し退屈そうにしている彼女へと視線を向けた。

 

「そしてこちらのお方が、ここ、紅魔館の王で在り、私の(あるじ)の……」

 

「レミリア・スカーレットよ、遅れてごめんなさいね」

 

スカートの両端を両手で摘み少しだけ上げながら、彼女はそう言った……

 

あれ……?もしかしてさくやって……

 

「……そして貴女が、紅魔館の新しいメイドであり、レミリアお嬢様の従者 十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)ですよ」

 

この人は……否、漸さんは幼い私の視線に合わせてしゃがみ込み、そして両肩に手を置きながらそう言った。

 

「わたしが……さくや……」

 

その時の私はただ驚いていた、分からなかったからだ、自分に名前をつける意味を……だけど次の言葉を聞いて私は……

 

「ええ、そうです。貴女が咲夜ですよ、貴女が生きている証拠であり、貴女に生きる価値があるという証拠です。大切にしてくれますか?」

 

生きている証拠……生きる価値がある……

 

今まで、この時まで、私という存在は許されていなかった…

 

どこへ行っても消えろと言われた。

 

どこへ行っても死ねと言われた。

 

……けど、この人たちは……

 

「だいぜつに……だいぜつにしまず」

 

……それを許してくれた

 

 

 

私はこの時、とても泣いた。一番初めに漸さんに抱き締められていた時よりも泣いていただろう。

 

視界は歪んでいて、全く見えなかったけど、抱き締められて感じた暖かさは二人分だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが私が私になった日の事だ。

 

忘れてはいけない日の事だ。

 

いや、忘れない日の事だ。

 

これまでも、これからも、この日の事を忘れずに

 

この二人に、この紅魔館に、私を家族と呼んでくれる人達のために

 

私は生きていこう

 

 

 

 

 

 

 

……to be continue


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