零崎討識の人間感覚   作:石持克緒

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第三話になります。
以前以上に間が空いてしまい、申し訳ございません。
今回も前後編の前編だけ投稿します。
よろしくお願いします。




第三話
黒手袋と商談して切断(1)


 

『悪くない』

 受話器の向こうからの第一声が、それだった。

『お前から電話をかけてくるとは、実に悪くない』

「開口一番にそんな台詞は、随分と印象が悪いぞ」

『そうか? これでも相当に驚いているし、喜ばしく思っているのだが』

「とてもそうとは思えねえよ」

 とあるマンションの一室、零崎討識(ぜろざきうちしき)はソファに寝転がりながら電話をかけていた。肘掛けを枕代わりにし、脚を思いきり伸ばした完全リラックス体勢。膝の高さのテーブルには、グラスに注がれストローも差してあるアイスコーヒーに、市販品のビスケットが添えられているぐらいで、もうかなり気が緩んでいると見られる。

 時間も午後三時、おやつタイムである。

 それでも討識の表情は、かなり険しい。癖のある黒髪、長い手足、整った顔立ちと、容姿はそれなりに美少年だが、目付きの悪い三拍眼がそれを強く阻害する。ましてや今は不機嫌なようで、三拍眼が人を殺さんとばかりに、凶悪なものになっていた。

 その原因は電話の向こう側の人物。

 殺人鬼にして音楽家、零崎曲識(ぜろざきまがしき)にあった。

『つれない言い方だな。お前が小学生の頃、音楽を師事してやった仲だろう』

「頼んでもねえのに、勝手にリコーダー教えに来ただけだろうが。 まったく、あの時は三日も拘束されていい迷惑だったぜ」

『仕方がないだろう。お前が下手なのだから、時間がかかるのは当然だ』

「『きらきら星』吹くのに下手も上手いもあるかよ」

 早くも電話を切りたくなったが、ぐっと堪える。曲識には用があるからこそ電話をかけたのだ。ここで自分が臍を曲げては意味がない。

『ちなみに『きらきら星』はモーツァルトが編曲したことでも有名だ』

「は?」

 曲識が蘊蓄(うんちく)を披露し始めた。

『原曲は十八世紀のシャンソンの一つである『Ah! Vous dirais-je, Maman』だ。イギリス人のジェーン・テイラーが『Twinkle, twinkle, little star』という替え歌を詩集に載せたことで、童謡として世界的に広まった。が、その替え歌は十九世紀に発表されたから、モーツァルトが変奏曲として編曲したのはシャンソンの方だがな』

「ふうん」

 興味がなかった。

 というか、どうでもよかった。

「つうか曲識さん、自分の曲以外のこと知ってんだな」

『当然だろう。いくら僕でも、零から音楽を奏でることはできなかったさ。勉強の為に、一通りの楽曲は鑑賞したし、演奏もした』

 一通り、というのがどの程度の範囲なのかは分からない。しかし曲識は一賊でも数少ない、表舞台で大々的に活躍できる程の才能の持ち主である。そんな才人の一通りだ、恐らく、良くも悪くも、驚愕に値するぐらいに努力しているはずだ。

 それでも、曲識にとっては、普通なのだろう。

 良くはないし、悪くはない。

『勉強といえば、討識。お前は高校を卒業したのだったな』

「ああ。 ――曲識さんにも伝わってるんだな、その話」

『少し前にレンが嬉しそうに語ってきた。卒業式のスケッチも見せてきたが、あまりいい出来映えとは言えなかった。悪くない』

「それ、褒めてるのか?」

『褒めてはいない。レンが芸術的な製作が不得手なのは、そういうキャラクターであるからだ。僕達殺人鬼が人を殺す鬼であるのと同様に、それはそういうものだからな』

 意味深長なことを言っているようで、ただ貶しているだけである。

 まあ、出席していない卒業式のスケッチそのものに、かなりの無理があるのだが。

『よくもまあ、学校などと、遊びに呆けていられたものだ。僕には理解ができないな』

「俺も理解できないさ。姉貴に強制されてなきゃ、俺だって通いはしなかったし」

『僕が学校という空間で、唯一評価できるところは、音楽の授業があるという点だけだ。 それでさえ、その内容には大いに不満があるが』

「なら、音楽学校でも経営すればよかったじゃあねえか。 ああ、それだ」

 討識は思い出したように言った。当然、それは演技だ。だが、それが今日の本命でもある。

 本命で、本題である。

「曲識さん。アンタ、店開いたんだってな」

『ああ』

 『小さな戦争』が終結――終結の目処が立って数ヶ月後。

 零崎一賊の殺人鬼も落ち着きを取り戻しつつあり(実際に動いていたのは極少数だが)、各々が各々、自分達の都合で殺人活動に勤しみだした頃のことだ。

 零崎曲識が自分の店を構えた、という情報が討識の耳に届いたのだ。『少女趣味(ボルトキープ)』零崎曲識は人識(ひとしき)と同様、家なしの根なし草で、あっちこっちに放浪する殺人鬼である。それが一所に拠点を構えたのだから、一賊の殺人鬼なら驚こうというものだ。

「昔はホームレス殺人鬼とか呼ばれてたのに。時間は過ぎるものなんだな」

『――討識。お前は相変わらず、口が悪いな』

「悪くない、だろう?」

『誤用ではない。頸織(くびおり)から教わらなかったか? 親戚同士とはいえ、年上には礼儀を持って接するようにと』

「教わったともさ。 だが、礼儀を弁えない奴から教わったことなんか、従う気はないな」

『ふむ。確かに頸織の言葉では、説得力がない。だからといって、従う必要がないわけではないだろうが』

 曲識はふう、と溜め息を吐いて、言葉を続ける。

『お前は昔から口が悪い。口の悪さなら人識も大概だが、お前は人識よりも余程賢い。賢い分、お前は様々な出来事から、様々な事柄を学び、活かせるはずだが。その割には、あまり成長が見られないな』

「口のきき方で成長を量られちゃあ、堪んねえ。どうでもいいだろう、そんなこと」

『どうでもよくはないが、まあいい。それで、僕が店を構えたことがどうかしたのか』

「ああ。ちょっと、頼みがあってな」

 討識はソファの背もたれの方に寝返りをうった。

「曲識さんの店って、バーなんだよな」

『そうだ』

「じゃあ、曲識さんの客に、問屋の人間っているか?」

 問屋。卸売業。

 商品の流通過程において、製造業から小売業へ、商品の販売を行う業態である。

『……それは正規の事業者のことを指すのか? それとも、非正規の事業者のことを指すのか?』

「やっぱりいるんだな、そういう客。殺人鬼が経営するバーに、真っ当な奴が出入りするわけがねえ」

 討識は一人納得して「当然、非正規に決まってる」と答えた。奇人変人の巣窟である一賊の中でも、一際異彩を放つ男の店なのだ。普通の店だと思う方が無理がある。

『名誉のために断っておくが、僕の店の客が全て表向きでない商売に勤しんでいるわけではない。真っ当な人間も多い。 それに僕の店は真っ当な、清廉潔白、嘘偽りなく健全なピアノバーだ。客は僕のピアノを聴きに来るのであって、決して非合法な行動をしに来るのではない』

「そんなことはどうでもいいんだよ。 それで、そういう客を紹介してほしいんだが、できるか?」

『できるかできないかで言えば、できるな。だが討識。お前も事業者の端くれで、プロのプレイヤーだ。表立っては動けない闇商人ぐらい、お前なら見つけそうなものだと、僕は思うのだが』

「……まあ、それはその通りなんだけども」

『どうした?』

「どうしたもこうしたも……どいつもこいつも『そんな品はない』だの『こんな要望には答えられない』だの『あんなものは武器じゃあない』だの否定的でよ」

 けっ、と討識は悪態を吐く。アイスコーヒーでも飲んで落ち着こうと、起き上がってテーブルを見た。

「…………じゃあ、誰かから紹介してもらおうと思ったのさ」

『ならば僕に頼むより、レンやアスに頼むほうが確実ではないのか」

「そうしたかったんだが、断られてな」討識は再び寝転がる。「双識(そうしき)さんや軋識(きししき)さんも、『小さな戦争』の後始末が大変らしいぜ。方々に攻め込んだし、終いには匂宮雑技団(におうのみやざつぎだん)の『断片集(フラグメント)』と組んだりしたから、忙しくて構ってられないんだとよ。代わりに、どうせ暇してるだろうからって、アンタの店を教えてくれたのさ」

 つまり、忙しさから邪険に扱われ、あしらわれたのである。それは討識に曲識を宛がうなんて行為からも、露骨なぐらいに見てとれようというものだ。

『ならば、僕の店に来ればいいだろうに。お前はもう成人しているだろう』

「生憎まだ未成年だよ。それでなくとも、行くつもりはねえ」

 討識は零崎双識のことが『嫌い』だ。

 そして、零崎曲識のことが『苦手』だ。

 理由は単純、原因は曲識そのものにある。

 音楽家、零崎曲識は『音使い』である。音を媒介にして人間の行動を操り、音を衝撃波にして攻撃する。『(ころ)()』よりも『(まじな)()』に近しいこのスキルは、討識のようなプレイヤーには絶大な効果を発揮するのだ。曲識はその自慢の技術を、敵だけでなく家族にも行使するので、討識はそういう、他人の好きにされる感覚というのが、大の苦手だった。

 また、曲識のような、何とも言えない性格も苦手だ。物静かで表舞台に出ることを嫌うが、決して引っ込み思案でも出不精でもない。知能も低くないはずだが、その割には思い込みが強く、誰のことをどんな風に勘違いしているのかもよく分からない。

 考えが読めない相手は、正直不安になる。例えそれが、家族であってもだ。

「それより、どうなんだ? できるのか?」

『話を通すのは、問題はないだろう。だが、僕が紹介しようとしている人物は、それなりに地位の高い人間で、活動できるエリアが決まっている。恐らく、本人が討識の下まで赴くことはない。討識自身が、その人の下へ伺うしかないだろう』

「別にそれは構わねえ……」

 曲識と顔を会わせないのなら、遠出するぐらいは苦ではない。

 そう思っていたが、曲識は討識の言葉を遮って、話を続けた。

『しかし、討識。その人物と同程度の地位を持つ人間ならば、お前に会う可能性はある』

「ああ? どういう意味だ、そりゃあ」

『同じ組織で同程度の地位を持ち、違うエリアを統括する人間、だということだ』

 受話器の向こうから、かつんと音が聞こえる。何かを置いた音か、落とした音か。それには構わず、曲識は言った。

『そしてその人物は、商人ではない』

「はあ?」

『職人だ』

 職人――武器職人。

 その単語が意味することは、つまり。

「おいおい。それって……」

『お前の想像通りだ、討識。 先方には僕が話を通しておく。了承が取れ次第、連絡しよう』

「…………」

 討識の想像通りだとすると、やや面倒なことになる。

 『武器職人』という単語自体は、別段珍しい肩書きではない。商人が当てにならないならば、職人を頼るという発想も悪くない。

 しかし、暴力の世界において『武器職人』とは、ある集団を呼称する場合が多い。

 その集団は、金で動くことはないが。

 代わりに。

 何を請求されるか、分かったものではない。

 だから、なるべく関わり合いになりたくないのだ。利益にならないことが多いし、どころか、損害にしかならない場合もある。

「一つ質問がある」討識は問う。「俺にソイツを紹介することに、アンタにメリットがあるのか?」

『特にはないな。というよりも、家族の頼みを聞くのに、理由が必要なのか?』

「いや?身内が頼ってくるってえなら、俺でも応えたくはなるさ。 だが、身内に紹介するには、少しばかり危険な奴じゃあねえか? ソイツは」

『僕はそうは思わない』

 曲識はあっさり否定した。危険ではない、危険なのは当たり前だとでも言わんばかりだった。

『そもそもだ、討識。(ねぐら)の周囲では都合がつかないから、他人を頼るのはいいとしても、それならばお前自身が直接、僕の下へ出向き、頭を下げるべきではないのか?』

「それは……」

 言えない。好き勝手操られるかもしれないから行きたくない、なんて言えない。

『トキもアスも抗争の後始末で忙しい。リルに関しては基本的に音信不通だ。 そこにかかってきた電話が、開店祝いすら前置きにせず、ただ依頼を寄越してきたとなれば、厳しい応対にもなるというものさ』

「曲識さん……」

 アンタ、拗ねてるのか?

 という言葉が出かけたが、すんでのところで飲み込んだ。曲識が拗ねているのなら、ここでそれを指摘するのは余計だ。ここで機嫌を損ねては、紹介を撤回すると言いかねない。

「……悪い。礼儀がなってなかった」

 素直に謝った。それに対して曲識は『悪くない』と返した。

『お前の、その非を認めるところは、一賊の中では見ない美徳の一つだ。悪くない』

「そりゃあどうも……じゃあ、予定が取れたら連絡をくれよ」

『ああ。ではな、討識』

 電話が切れた。これからのことを考えると気が重くなるが、しかし決まった以上は仕方のないことだ。

 覚悟を決めよう。

「――で。勝手に俺のおやつを食うんじゃあねえよ」

「美味しそうだったんだもん。そりゃー食べちゃうよ」

 頸織は体育座りでソファに凭れ、討識のお菓子を食べていた。ビスケットはもう食べ尽くしたようで、タコス味のポテトチップスを食べながら、アイスコーヒーをストローから吸っている。

「曲識さん何だって?」

「何もねえよ。曲識さんがバーを開いたから、電話しただけだ」

「へえ」

 頸織が反応する。恐らく『バー』という単語に興味を持ったのだろう。

 頸織は酒に強くないが、酒が好きだ。未成年で酒を飲まない討識には、おおよそ理解できない思考と嗜好である。

「ロングアイランド・アイスティーだとかも出るのかな?」

「知らねえよ。 つうか、なんだそりゃ。アイリッシュ・コーヒーみたいなもんか?」

「違うよ~。ちょーっと名前が似てるだけじゃない、それ。 まったく、討識は何にも知らないんだねー。困ったもんだ」

「それを姉貴に言われるとはな……」

 実に屈辱的だった。

「んじゃ、今度行ってみようかな」

「また放浪すんのか」

「放浪じゃないよ、旅行だよ。帰る家があるんだから、人識くんと一緒にしないでよねー」

「別にここは姉貴の家じゃあねえけど」

「でも、入れてくれるでしょ?じゃあ、ここは私の家だよ。 私と、討識の家」

 嬉しそうに、楽しそうに笑う頸織。

 純粋無垢な笑顔に、討識は照れたように言った。

「まあ、それでも構わねえけどさ」

 討識の家族関係は、良好でも不良でもない。

 曲識の言葉を借りるなら『悪くない』。例え八つ当たりのように危ない人間をけしかけられたとしても、それは揺るぎないものだった。

 

 ◆    ◆

 

 閑散としたカフェテリアであった。壁の塗装は所々剥げ落ちているし、窓ガラスは見て分かる程に曇っている。店先に置いてある小さな黒板には、白い跡が雨垂れのように残っていて、長い間風雨に晒されたまま放置されているのが明白だった。

 見るからに閑古鳥が鳴いている店。当たり前だ、店側から客が入るのを拒絶しているのだから。

 討識はそんな店の扉を開ける。

 からん、とベルが鳴った。

「…………」

 店内も、やはり寂れた感じが否めない。照明も暗いし、椅子やテーブルも使い込まれて古ぼけている。

「…………」

 カウンターの向こう、店主らしき中年男性が、無言で討識を見ていた。

 何なんだ一体注文しろってことかと思い、討識は少し考える。

「……じゃあ、マンデリンで」

「煎り具合は?」

「……フレンチ・ロースト」

 店主が頷いて、作業を始める。討識はカウンター席に座ろうと腰を下ろすと、店主は「待ち人なら奥だ」と顎をしゃくった。無愛想でぶっきらぼうな物言いに、討識は僅かに苛立ったが、待ち人を前に揉め事を起こす程、討識は見境ない人物ではなかった。

 待ち人がいる。

 武器職人がいる。

「…………」

 そう考えると、やや気が重くなる。

 何しろ相手はただの職人ではない。『武器職人』である。

 その異質さ、凶悪さは、風聞だけでも十分に知れている。

「……けっ」

 何にしろ、もう今更だ。

 この先に待ち人はいる。

 広くない店内の奥、衝立のように仕切られた壁が邪魔をして、待ち人が確認できない。だが、確かに人がいる気配がした。

 席の横に付ける。

(――――?)

 座っていたのは女性だった。高校生ぐらいの華奢な少女。

 黒いロングヘア、黒いサングラス、黒いセーラー服と、全身が黒色でコーディネートされた、奇妙な女だった。

 スカートも黒ければタイツも黒く、履いているローファーすらも黒く、墨を塗ったように黒い口紅が唇を彩っている。

 そして高級そうな黒いオペラ・グローブの上から、黒い手袋を嵌めていた。ここまでくると黒以外なのは頬ぐらいのもので、その肌は桜のようでも魚のようでもない、上質な砂糖のように、文字通りに白い。白粉でも塗っているのかと討識は思ったが、しかし見たところ、それが素肌であるらしかった。

 モノトーンの世界に生きているが如く、奇妙で奇天烈な存在。

「……アンタが『武器職人』か?」

「――はい」口元に運んでいたカップを置いて(これもまた、やたらと真っ黒いコーヒーだった)、少女は答えた。「私が、『罪口(つみぐち)』です」

 討識は相手の正面にどかっと座り、脚を組む。対して少女は、前髪を後ろに掻き流して、それから膝に手を置いた。

「罪口商会第八地区統括。罪口即詰(つみぐちそくづみ)と申します。以後、お見知りおきを」

 少女――罪口即詰は軽く頭を下げて名乗った。言葉使いや振る舞いは年相応のものではない、大人であり社会人のそれだ。ただし、彼女は社会人ではないし、ましてや商売人でもないが。

 彼女は武器職人だ。

 呪い名第二位『罪口商会』所属の、武器職人。

「零崎一賊の殺人鬼。零崎討識だ」

 討識はやや高圧的に名乗った。相手が職人とはいっても、これから行われるのは取引だ。相手のペースに飲まれない為にも、強気の態度で行くのが良い。

 だが、根本的には意味がない。

 それは、討識にも分かっている。一応、とりあえずやっているだけだ。何かが良く転ぶかも知れないから、その布石ぐらいは打っておくだけのこと。

 その程度でぶれる相手ではないことも、分かっているけども。

「…………」

 店主が無言のまま、注文のコーヒーを淹れてきた。適度に注がれたカップを置いて、そのまま立ち去る。

 自分は何も聞いていないし見ていないから、何かを言うこともない。これはそういう意思表示だ。

「――では。早速本題に入りましょう」

 そう言って、即詰は傍らに置いていた二つのケースの内、一つをテーブルに乗せ、ケースを開いた。

「ご注文の日本刀。で、ございます」

 ケースに納められていたのは、抜き身の日本刀であった。

 二尺三寸一分、約七十センチメートルの打刀。日本刀によく見られる鎬造りに、丸みがあるが乱れなく揃った、兼房乱の刃紋。そして紺色の柄に朱色の鞘、葵形の鍔も添えられている。

型番号(シリアルナンバー)E458823F0016C。私、罪口即詰が製作致しました」

「…………へえ」

 純粋な機能美を追究した日本刀だが、この刀は芸術的にも美しい。斬るという意志を、まさしく精魂込めて叩き込まれたような業物だ。

「見事な出来だな。まあ、実際に振るわねえと、斬れ味は分からねえが」

「それについては、自信を持って保証致します。私が手ずから鍛え上げた、可愛い可愛い『子供』ですから」

 即詰はそう言って、コーヒーを口に含む。討識はカップに手をつけず、そんな即詰を見ていた。

 『子供』。

 自らの製作物に対する愛着、というよりも愛情のようなニュアンスを、その単語に感じた。

「…………」

 罪口商会。

 武器を造ること、凶器を作ること、兵器を創ることに執心、執着した、職人集団。

 武器至上主義、なんて言葉ではすまないぐらいの変人達だが、製造される武器の出来栄えは一級品だ。資材も私財も惜し気もなく投入し、最先端から最後尾まで技術を結集して武器を造り上げる。その為の研究、講究も欠かさず、その為の試験、実験も躊躇わない。

 と、そこで討識に疑問が生じる。

「この刀。アンタが打ったのか?」

「はい。そう述べたはずですが」

「その細腕でか?」

 討識は即詰の腕を指差して言った。グローブに包まれたその腕は華奢で、極端に細い。骨と皮だけという表現そのままな身体では、即詰は痩せている女子高生にしか見えない。

 とても職人には、見えない。

「確かに」即詰は言った。「そのお疑いはもっともです」

 カップに残っていたコーヒーを飲み干す。カップの縁には、不思議と黒い口紅が付いていなかった。

「私は見ての通りの細身で非力ですから。幼少の頃から身体も弱いですし、食が細いから体力もつきませんし、体力がないから筋肉もつきません。実際に、例えば鎚を持つのも難儀していますから、疑惑の目を向けられるのも無理からぬ話だと思います」

「別に疑っているわけじゃあねえよ」

 ただ不自然に思っただけで。

 とは言わなかったものの、その雰囲気は伝わったようである。

「……何か気に障ったみてえだな」

「そんなことはありません、昔からよく言われていることですから。 私の師匠――私の父親ですが――には、武器職人になるのは諦めろと、散々勧められたものです。まあ、当然ですよね。虚弱で泣き虫で愚図でのろまで、物覚えが悪い馬鹿には、勤まらないと見られても、仕方のないことです」

 言い終わると同時に、即詰の眉間に皺がよった。

 嫌な記憶がフラッシュバックしたように、下唇を食んでもいる。

「――いえ、撤回します。やはり気に障りました。私の誇りを汚されたようで、やや不愉快です」

 誇り、とは『子供』である武器、日本刀のことを指すのだろう。武器職人ならば、誇るべきは造った武器と、それを造り上げた腕だ。罪口商会が噂通りの集団ならば、尚更そうでなければならない。

「私は、私の武器を、命懸けで造り上げています。魂も心も精も霊も、全てを注いで生み出しています。武器製作こそ私の人生、どんなことであれ、一欠片でも疑念を抱かれるのは、私の人生を貶されたも同然です」

「……すまない。気を悪くしたのなら――」

「謝罪を求めている訳ではありません。それに私は気に障っただけで、気を悪くしたわけではないのですよ」

 武器への称賛は常に私への侮辱に勝ります、と言い、即詰は黒い手袋を外す。

「それに私が造った武器は、あなたと生涯を通じて添い遂げられるように、依頼主であるあなたの体格と要求に沿って造られています。誰かのために造った武器が、その誰かの手に渡らないのは、武器が可哀想ですので、武器が完成した時点で、その武器は依頼主のものですよ」

 続いて肩口まであるオペラ・グローブを外す。

 右腕から、次いで左腕を。

「例え私自身が(けな)されようと、(おとし)められようと、『子供』である武器が使われるのであれば、侮蔑は相殺され、帳消しになります。 勿論、大事に大切に扱って頂けるのならば、『親』としては非常に嬉しい限りですし、自分のことのように幸せです。何故なら――」

 

 オペラ・グローブの下、真っ白い両腕には。

 

 縦横無尽に駆け巡るかの如く、至るところに刻まれた傷。

 

「私が身を削り、砕き、粉にして、流した血液や飛び散った骨肉から成る武器が振るわれるのは、私自身が振るわれているのと同義だからです。身を呈して他人のお役に立てること以上の幸せが、一体何処にあるというのですか」

 

 無数の傷痕。

 大量の傷跡。

 白い腕に残る生傷。切り傷、打撲痕、ケロイド状に隆起した火傷痕、削がれたように肉が窪んでいる箇所もあれば、銃創のように穿たれたような箇所もある。右腕の肘辺りは焦げ茶色に酷く変色しており、左手首には明らかに猛獣の噛み痕としか見えない深い傷がある。

 指には夥しい数の手術痕があり、指の間接の幾つかには繋いだような縫合痕が残っている。それでも指が付け根から曲がっていたり、指それぞれの太さがまちまちだったりと、今でも決して完全には治っていないことも見て取れた。爪には黒いマニキュアが塗られていたが、その爪にだって、何度も剥がれた痕がある。

「……成程」

 討識は呟き、独りごつ。

 この傷は武器を造る上で負ったものだと。

「その格好は傷を隠すためか」

「ええ。傷によっては外気温が上下するだけで痛みだしますから。特に火傷は、未だに風が吹くだけで引きつるんですよ。困ったものです」

 傷だらけの素肌を他人に見られるのを避けるため、という意味合いだったのだが、即詰は的外れな肯定を返す。それは討識の予想通りの返答で、そして事実、即詰がこの傷に嫌悪感や羞恥心、劣等性を覚えることはないのだった。

 虚弱で泣き虫で愚図でのろまで、物覚えの悪い馬鹿。

 それが即詰の自己評価だが、それでも彼女は武器職人を名乗っているし、罪口商会第八地区統括という地位にすらいる。

「…………」

 曲識に電話した時のことを思い出す。

 曲識は天才だが、この即詰は明らかに天才ではない。過剰なほどに怪我を負っているこの少女に、天賦の才があるわけがない。

 だが努力をしている。

 恐らくは、天才ですら凌駕するほどに。

 恐らくは、天才でさえ驚愕するほどに。

 そして、栄誉の傷は、見せつけた腕だけでなく。

 その身の全て、全身に及んで――。

「…………けっ」

 この少女にとっては、傷だらけの身体は恥辱ではなく自尊の象徴なのだ。

 傷にまみれた分だけあらゆる経験をし、それ故にあらゆる武器を造ることができる。

 そして造られた武器が振るわれることで、刻まれた傷痕は報われる。

 身体が傷つくからといって、心が傷つくとは限らない。

 

(端から見れば、気持ちの悪い連中だ。普段なら近付きたくはないが)

(物を持っているのがコイツらな上、他人からの紹介とあっちゃあな)

 

 討識の注文通りの品物を作れる為、関わらなければならないし、曲識からの紹介である以上、付き合わないわけにもいかない。

 そもそも何故、討識は刀を一振り、求めているのだろうか。

 それは以前の、五人組三十五郎の件に端を発する。

 闇口木霊(やみぐちこだま)に放った一撃によって、討識の刀は曲がってしまった上にひびが入ってしまった。別に刀はあれ以外にも持っているし、大量生産の廉価品であるから、特に惜しくもないのだが、しかしそれでやや考えを改めることにしたのだ。

 討識は特定の得物を持たない。刀も振るうし、銃も撃つ。家には槍も置いてあるし、状況次第で弓矢だって射る。『寸鉄殺人(ペリルポイント)』のように爆弾を仕掛けることもあれば、『自殺志願(マインドレンデル)』のように罠を張ることもある。討識に取って置きの得物はないし、いざという時の方策もない。

 秘蔵の武器や戦法があると、それに頼りがちになる。それらを敵に知られた時、それが決定的な敗因になりかねない。

 死因になりかねない。

 だが、愛用の得物を持っているからこそ、強く、生き残っている者がいるのも事実だった。例えば、零崎双識や零崎軋識がそうだ。

 大鋏使い『自殺志願』零崎双識。

 釘バット使い『愚神礼讚(シームレスバイアス)』零崎軋識。

 彼らは個々の運動能力や判断能力の高さもさることながら、扱っている武器も強力だ。

 鉄の鎖をも裁ち切る大鋏は、てこの原理に日本刀の斬れ味を相乗させた武器だ。独特の形状から使用者の技術が求められるが、単にナイフとして扱うだけでも強力な武器であることには違いない。

 易々と頭蓋を砕く釘バットは、外装の釘から内層の芯まで鉛でできた重量武器だ。重いバットを持ち上げられる程度の筋力があれば、遠心力で振り回すだけでも絶大な破壊力を生む。

 大鋏と釘バット。非常に特異な武器を用いる二人の武功は数知れない。しかしそれは、愛着を持っている武器が優れていたからこそ、成し遂げられたものでもある。

 

 討識は強い。それは自身で自負しているし、自覚している。だからこそ業物といえる武器は持たなかった。

 しかし相棒ではなく片棒であったなら。

 頼りにする武器ではなく、消耗品としての道具であったなら、性能の良いものがあってもいいと思ったのだ。

 そうと決まれば行動する。即時即断、妥協なく注文を出して、刀を探し求めた。

 その注文や条件を満たしたのが、罪口商会だけだったのは、完全に予想外だったが。

 

「――さて」即詰はオペラ・グローブに袖を通し、黒手袋を嵌める。「私のことを分かってもらったところで、話を続けましょう」

 どん、と二つ目のケースがテーブルに置かれる。見た目は日本刀が入ったケースと同じだった。

「今回の代償についてですが」

 代償。

 代金ではなく、代償。

 武器の引き渡しに、金銭以外の何かを支払わせる。それが呪い名第二位『罪口商会』との取引における規約だ。

 取引相手が罪口商会と予感した時点で、討識は一気に意欲が減退した。悪評に名高い罪口との取引では、何を請求されるか、何を要求されるか、何を徴求されるのか、本当に分かったものではないからだ。

 この時点から二年後、零崎人識が罪口商会の人間と接触することになるが、その時の人識の有り様が良い例と言えるだろう。根無し草で無一文な人識が支払える代価など知れたものだろうから、ここで多くは語らないが、とにかく、人識が将来的に酷い目に逢う程度のことを、討識も経験することになったのだった。

「まずはこちらをご覧下さい」

 即詰がケースを開ける。入っていたのは、白鞘に納められた刃物だった。

 目測で一尺九寸ほど、五十センチメートル強の刀身。僅かに反った刀身に刃紋はなく、刃よりも峰の方が幅が大きい。白地の朴の木でできた柄に納められており、鞘は先のケースと同じく、別に添えられていた。

「日本刀、刀か? いや――」

 討識は外見から検分する。見た目はやや小振りな日本刀だが、どうにも違和感を覚える。

 白鞘に納めているというのも妙だ。刀の保存という面では、普通の鞘よりも白鞘が優れていることは、討識も知識として知っているが、しかし即詰がこれから何をするにしろ、即詰にこれから何をされるにしろ、この刃物を使うことは間違いはなくなったのだ。

 白鞘には刀身を錆びにくくする特性があるが、とても戦闘に耐えられる強度は有していない。そんな刀を見せるには、特別な意図がある筈である。

 違和感から辿って、記憶から引き揚げる。

 はたして、討識は辿り着いた。

「――こりゃあ、鮪包丁(まぐろぼうちょう)か?」

「流石は零崎一賊の殺人鬼、優れた観察力と知識力をお持ちですね」

 鮪包丁。

 マグロなど、大型の魚類を解体するために用いられる包丁である。

 食品を切る際に刃を往復させると、切断面が乱れ、食品の味が落ちる。鮪包丁はそれを避けるために、無駄に刃を行き来させないよう、普通の包丁よりも大きく造られている。

 見た目は日本刀、ものによっては、日本刀よりも長く大きい。

「おいおい、俺にマグロの解体ショーでもさせるつもりか? それとも俺自身を解体するとかか?」

「いえ、そんなことはありませんよ。そんな河岸にでも行けば見られるようなことはさせませんし、私の『子供』を譲る方を殺すようなことも致しません」

 それにこれは鮪包丁ではありません、と即詰は言った。

「型番号U214365Y2877D。名称は、そう――『獣包丁(けものぼうちょう)』とでも名付けましょうか」

 鮪包丁ではなく――獣包丁。

 その名付けの意味するところは、つまり。

「水辺の魚を解体する刃物ではなく、山中の獣を解体する刃物。それがこの武器のコンセプトです」

 黒い口元が、僅かに吊り上がった。

 自慢するように、自賛するように、即詰は微笑む。

「自信アリってわけだ。その包丁は」

「ええ。自信については全ての武器に漏れなくありますが、この武器はその中でも指折りの自信作――になる予定です」

「予定?」

「未完成品、試作品ですから」即詰は言う。「完成品をお見せできないのが、大変心苦しいのですが」

「それは別に構わねえが……まさか俺に試し切りをさせようってことなのか?」

 そこまで言われれば流石に気付く。

 試作品を見せてきたこともそうだが、即詰が自身で実地試験を行うことは、ほぼ不可能であろうからだ。虚弱で脆弱な上に、傷だらけの怪我まみれなのだから、武器を造ることはできても、武器を使うことはできないだろう。ましてや戦闘行為など、彼女にとっては自殺行為でしかない。

 ならば、他人にさせるまでだ。

 自分にできないことは、他人にやらせるに限る。

「はい。私の武器を受け取る代償に、この包丁で獣を切って断って割って分けて頂きたいのです」

 それも野生で、大型の動物を。

 生きているうちに。

 それが罪口即詰の提示する、代償だった。

「……けっ」

 討識は了承した、と即詰に告げた。

 

 ◆    ◆

 

「それで私のところにきたというわけね」

 夢辻道休(ゆめのつじみちやすみ)は、その健脚で山道を登る。銃を担ぎ、険しく舗装もされていない山中を、会話していながらも、息を切らさずに。

「確かにこの山は、獣の発見には事欠かないわ。最近は特に鹿が増えすぎて困るぐらいだから、見つけるのはそう難しいことではないけれど」

 (かすみ)(こも)る天狗山。そう麓の人々が呼んでいる山に、ある二人の人物が登っていた。

 一人は夢辻道休。この山に住むマタギで、この山の持ち主でもある。

 絹糸のような黒髪のお下げ、瞳は大きいが半眼の目に細い眉、スレンダーな身体にベージュのツナギを、青白い肌に通した女性。武骨な設えの小銃を担ぐ手には使い古された軍手(よく見ると右手首部分は解れて破けている)が嵌まっていて、お洒落さなどは微塵も感じられないが、その端麗な容姿は幽鬼のように妖しく、この世の者ではないという魅力を感じさせる。

「――っ、はあっ、っ。ああ……くっそ」

 もう一人の人物、零崎討識は、悪態を吐きながら、息も絶え絶えに登っていた。一流のプレイヤーで殺人鬼である討識、体力にも相応の自信があるが、やはり傾斜の厳しい山道を登るのは、戦闘とは勝手が違う。

 慣れない山道、高所による酸素の減少、休との会話。それに荷物の重さが加われば、ベテランの登山家だって疲弊しようというものだ。

「畜生……はっ、高地トレーニングしてんじゃあ、ねえんだ、ぞっ」

 まずは刀――ではなく包丁。罪口即詰から受け取った『獣包丁』である。白鞘のままでは扱いづらいため、鞘と柄と鍔を仕立て直し、本日は左腰に帯刀していた。重いと言えば重いが、しかし慣れた重さだ。トレッキングウェアの下には拳銃を始めとした武器も携帯しているが、これも普段の装備に比べれば少ないものだから、さして気にならない。

 肩にかけたボクサーバッグに入った日用品も同様だ。というか、そもそもこんな山中に長居するつもりはないため(むしろもう帰りたいぐらいだ)、中身は簡単な着替えぐらいしか入っていないから、さほど重くない。

 問題は背負っている荷物だ。

「畜生、重え……」

 背負っているのはクーラーボックスだった。重量二.七キロ、容量二十六リットルの箱に、ストラップを付けて担いでいる。

 中身は完全に満杯で、当然に重い。

「重そうね」

 休は足を止めて、振り返った。ちなみに休の荷は小銃だけで、他には何も持っていない。そんな人間に、さも他人事のように言われるのは、かなり心外だった。

「だったら、お前が持てよ。 そもそも、これはお前のもんだろうが」

「それが今回の私の報酬だというだけで、受け取っていない以上、まだ私のものではないわ」休は再び斜面を登りだし、言う。「それに、女は荷物を持たないものよ」

「…………」

 どこかの女性誌に書いてありそうな台詞だった。というか女性誌の受け売りじゃあねえのかと討識は思った。

 隔絶された環境で育ったこの女は、案外、都会的なものに影響されやすいのかもしれない。

「まあ、そろそろ到着するから、もうしばらく頑張りなさい。小休止に、お茶くらいいれてあげるから」

「ああ是非そうしてくれ。これで労いの一つもなきゃあ、ぶち殺したくなってくる」

「それは恐いわね。 ええ、恐ろしくはないけれど」

 

 罪口即詰の代償に対して、討識が思い出したのは、夢辻道休の存在だった。確かあの時、自らのことをマタギだとか言っていたし、居を構えている山の名前も言っていた気がする。それを覚えていたから、即詰の代償を受け入れることができた。

 休に山中を案内させ、且つ休に解体のフォローをしてもらう。それが討識の思いついた手段である。

 休に通じている仲介屋を探しあて、接触を取ってもらい、連絡を待つこと一週間。封蝋で綴じられた封筒が送られてきたのには、休の初対面のイメージとは似合わない古風な方法で驚いたが、より驚いたのは、休に対する報酬の内容だった。

 そもそも討識は、今回の件に当たって、それなりの資金を用意していた。一括現金払いででも支払うつもりでいたし、多少の資金オーバーも許容するつもりでいた。

 だが、休は金銭を要求しなかった。

 討識の背負うクーラーボックスには、その代わりのものが入っているのである。金銭ではない、しかし言われてみればすんなり納得できるものが。

 

「あら」

 休は再び足を止め、浅い草むらの中で屈んだ。

「何だ……どうした?」

「これ」

 休が手にしていたのは、黒いボール状の何かだった。ゴツゴツしている上にひび割れていて、傍目には単なる石にしか見えない。

「何だそりゃ」

「ショウロよ」

「ショウロ?……ああ、松露(しょうろ)か」

 ん?松露? と、討識は思い出す。

 松露は和名で、フランス語では確かーー。

「ーーそれ、もしかして、トリュフか?」

 トリュフ。

 セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属に属するキノコで、ヨーロッパでは『黒いダイヤ』と呼ばれる高級食材。

「トリュフ? ……ああ、ええ。トリュフね」

 休の中では和名で落ち着いているようだった。一時停止したあとに同意はしたが、しっくりこないのか、首を捻っている。

「自生しているのは初めて見たぜ」

「そうね。大抵のものが生えているこの山でも中々見ない、非常に貴重な食べ物だから。私でも発見できたのは、これで三度目よ」

 日本にも野生のトリュフは存在しているが、その発見例は多くない。流石の討識も、自生しているものを見るのは初めてだ。むしろ三度も見つけている休は、かなり運が良い。トリュフは人の手の入った場所に生えやすいというから、山間で見つけているのは、尚更レアケースだ。

「ーーこれは、今後の楽しみに取っておくとしましょう」

 土を軽く払って、休はトリュフをツナギのポケットにしまう。

 討識に振る舞うつもりは一切ないようである。

「……まあ、いいけどよ」討識は言う。「そいつはたまたまだとしても、この山で暮らしてたら、食い物には困らなさそうだよな」

「確かに食べ物には困らないけれど、でも食べられるものは肉と野草とキノコと川魚ぐらいのものよ」

「充分じゃあねえか」

「生で食べられないじゃないの」

 歩を進める休。山育ちのためか、生食の危険性を熟知しているようだ。

「…………」

 背負っているクーラーボックスの中身を、脳内で羅列する。

「ーーけっ」

 何と言うか、呆れた。これでは案内の件がなければ、自分は単なるパシリではないか。

 一つ分かったのは、この女は金よりも生活を優先するタイプだということだ。扱いやすいのか何なのか、それは判断できかねるけれど。

「さて」

 目の前にあるのは柵だった。登山口にあるような金網ではなく、木製の杭を組み合わせた簡素なものに、有刺鉄線を巻きつけたものだ。

 ドア代わりの古い板木を押し開き、休は言った。

「私の家に到着よ」

 茅葺き屋根の屋敷。築数十年は経っているであろう木造の平屋が、どうやら休の住み家なようである。

 柵の内側は大分拓けており、縁側の側には小さな畑が広がっている。畑の脇には鶏小屋、その隣には納屋と、山奥の民家にしてはそれなりに充実しているようだった。いや、都会育ちの討識のイメージでは、はたして充実しているかは、正確には分からないが。

「まあ、上がりなさいな」

 ずずず、と戸を引くと、予想通りというか、玄関からすぐに囲炉裏が見えた。その奥は土間になっているようで、古い竈の傍には薪と藁が積まれている。

 時代劇で見るような、古典的な古民家。討識が持った第一印象がそれだった。

「適当に座って、休んでなさい。お茶を淹れてくるから」

 そう言って休は銃を壁に立てかけて、障子の向こうに消える。

 クーラーボックスを囲炉裏の前に置いて、討識はその隣に座った。

「…………」

 一切、警戒しないんだな。と、思う。

 別に休とは気の置けない仲でも何でもない。顔を合わせたのも、今回で二度目だ。そんな気心の知れてる訳でもない相手に、自宅とはいえ、武器を手放すというのは、無警戒が過ぎはしないだろうか。

「…………けっ」

 警戒に値しない。否、警戒する必要がない、ということである。

 それは嘗められているのではなく、侮られているのでもなく、ただ単に信じられているからだ。

 自分は相手を殺さないし、相手も自分を殺すつもりがない。

 

(『何故だか貴方を殺したくないから』)

(なんて、普通に考えれば、ふざけた言葉だよな)

 

 信頼してはいないが、信用はする。討識と休の関係性は、つまりはそういうものだ。あの密約とはとても言えない口約束を信じるのは、はっきり言って馬鹿そのものである。

(それに乗って口裏を合わせた俺も俺なんだが)

(俺も馬鹿ってことか)

「もっと賢いつもりだったんだがなあ……」

「何が?」

 休が戻ってきた。両手には切子に入った麦茶を持っている。その左手の分を手渡して、休は囲炉裏の反対側、討識の正面に胡座をかいた。

「っ、ーー、ーー」

 ゆっくり、静かに、休は麦茶を一気飲みする。その仕草自体ははがさつなものだが、頸織とは違って、御淑やかで落ち着いていて、実に清楚で綺麗だった。

「ーー? 飲まないのかしら?」

「いや……」

 促されて、ようやく討識は麦茶に口をつける。普通によく飲むような、チープな味だった。

「水出し麦茶三十パック三百円、ってところか?」

「惜しい。 二百五十円よ」

「そんなに変わんねえだろ。どっちにしたって安物じゃあねえか」

 四分の一ほど飲んだところで、討識が言う。

「あら、安物は嫌い?」

「嫌いなわけねえだろう。 嫌いだとか言う奴は、偏屈な美食家か、虚栄心の強い成金か、それらを夢見る貧乏人さ。いずれにしろ、ロクなもんじゃあねえ」

 切子を置いて、軽口を叩く。

 そうできる程度には、討識も休のことを気に入っていた。これはかなり珍しいことだと、自分でも感じていた。

 討識が気に入る相手といえば、一賊では軋識ぐらいのものである。通っていた高校でも、特に親しい関係の人間はいなかった(むしろ絡まれる程には嫌われていた)訳だし、休のように、身内でもないのに親しみのある相手というのは、かなりのレアケースだ。

「しかし麦茶とは、一気に生活感のある飲み物が出てきたな」

「どういう意味よ」

「勝手な印象でモノを言わせてもらうと、俺はドクダミ茶とかセンブリ茶みてえなのが出ると思ってたぜ」

「……分からなくはないけれど、ね」

 面倒くさいじゃない、と休は答えた。

 討識のイメージでは、この天然自然な山中に住まうからには、嗜好品に凝っていそうな雰囲気があったのだが、どうやらこの女、消極的というか、それなりに合理的であるらしい。

「出せなくはないけれど、飲む?」

「遠慮する」

 健康には良さそうだが、際モノは避けたい。特にセンブリは強烈に苦いことで有名だし、これからの行動に少なからず影響を与えそうなものは、なるべく控えたいところだった。

 そう。

 これからの行動こそが、本命であり、本題なのだ。

「さて、一息ついたことだし、本来の目的に入りましょうか」

 休の視線が、討識の隣に寄せられる。

「その箱を開けなさい」

 箱とは勿論、クーラーボックスのことだ。大仰な、というか大袈裟な言い方にやや呆れたが、それだけ待ち望んでいたのだろう。

 別に中身は大したものではない。しかし休にとっては、生活的に死活問題に等しいのかもしれない。

 と、無理矢理に解釈した討識は、蓋を開けて、中身を休に見せる。

「ーーこれは実に」休は満足そうに頷いた。「美味しそうな(かに)、ね」

 クーラーボックスの中身は、海産物だった。

 蟹を始めとして(さけ)(たら)(たこ)(あわび)帆立(ほたて)牡蠣(かき)と、旬の海の幸がつまっていた。鮮魚や干物もあれば、瓶詰めの雲丹(うに)や数の子や烏賊(いか)の塩辛、乾燥した昆布だの若布(わかめ)だのなんかもあったりして、最早ちょっとした市場を凝縮したかのような内容物である。

「いい。実にいいわよ。期待以上の報酬と言えるわ」

「そりゃあどうも」

 今回の件で休が指定した報酬は、金銭ではなく食料だった。

 それも海産物限定。

「山奥で暮らしているから、鮮魚の類が珍しいのかと思えば、そのものズバリって訳か」

「そうよ。特に甲殻類や貝類は、川では手に入らないから」

田螺(たにし)とか沢蟹(さわがに)じゃあ駄目なのか?」

「飽きたわ」

 既に食べていたようだ。考えてみれば、子供の頃からジビエ料理を食べて生活してきたようなものなのだろうから、飽きるのも当然なのだろう。

「しかし、思ったよりも沢山買ってきたのね。重そうに運んでるのを見てると、軽く罪悪感を覚えてしまったわ」

「重かったのは確かだが、別に大したことはしていないし、労力もかけてはねえよ」

 ただ単に、北海道のアンテナショップで売っていた物を、手当たり次第に買い漁っただけのことだ。予想外の出費ではあったが、予想以上の出費ではなかったことだし、食料の提供ぐらいで喜んでもらえるなら結構だと、討識は思った。

「でも、ありがとう。嬉しいわ」

 そう言って、休は微笑んだ。

「私の手料理を振る舞ってもいいぐらいよ。これは」

「喜び度合いはどれぐらいなんだ、それは」

「トリュフを使ってもいいぐらいかしら」

「いや、分かりやすいつもりかもしれねえけど、分からねえから」討識はクーラーボックスを閉める。「ボックスごとくれてやるから、今日はよろしく頼むぜ」

「勿論。 イエティでもビッグフットでもヒバゴンでも仕留めてみせるわ」

「全部UMAじゃあねえかよ」

 それも全て猿人だった。

 世代的に知らなくてもおかしくない(ヒバゴンは特に)のだが、妙なところで知識のある女である。

「月刊ムーが愛読書だったりしないよな?」

「むう?」

「いや、何でもない」

 それは知らないようだった。

 やはり、変な女だ。

「じゃ、そろそろ行きましょうか。暗くなる前に、家に戻りたいし」

「やっぱり夜はマズいのか?」

「私は土地勘があるから平気だけれど」休は言う。「貴方は違うでしょう?」

 夜の山歩きは危険、という意味だ。通常ならば休も危険なはずなのだが、そこは生まれ育った場所である。安全な道筋や安泰な方法を持っているのだろう。

 しかし休一人ならばともかく、素人である討識を連れて歩くのはリスクが高い。

「まあ、私とはぐれなければ大丈夫よ」

 休はライフルを肩に担ぐ。武骨な設えのそれは、黒く鈍く光っていた。

「はぐれた場合は、安全は保障しないけれど」

 その言葉に対して、討識は「けっ」と笑った。

万事了解(オールオーケー)。精々迷わず惑わず、踏み外さず、山道を歩くさ」

「ならいいわ」

 では、と休は続ける。

「一緒に、山狩りへと洒落込みましょうか」

 





前編終了です。後編は来年になると思われますが、できるだけ早く投稿しますので、どうぞお付き合いください。
誤字脱字報告、感想よろしくお願いいたします。
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