零崎討識の人間感覚   作:石持克緒

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お久しぶりです。石持克緒です。
大変長らくお待たせしました。第四話を更新させて頂きます。


……まあ、例によって前半部分だけなのですが。


第四話
人間失格と解釈して貸借(1)


 夜の帳が下りた住宅街、人気がない道路を、少年が一人歩いていた。

 ちらりほらりとオレンジ色を灯す街路灯の隙間を縫うようでありながら、堂々と車道のど真ん中を歩くその少年の足取りは、ややぎこちない。動くと痛みが走るようで、動作の一瞬ごとに動きが止まる。そんな不細工な歩き方は、見る人が見れば『ああ、筋肉痛なんだな』とか、理解はしてくれるだろうが、生憎この通りには少年以外に人間がいないので、理解どころか助けもなく、ひたすらにぎくしゃくと歩みを進めるのみだった。

 いや、人気がないのは、むしろよかったのかもしれない。

 異質な少年であった。

 華奢で小柄で童顔、という点は普通だが、まだらに染めた髪や右顔面に大きく施された刺青が、少年の特異さを際立たせている。右耳に三連ピアス、左耳には携帯電話のストラップを付けていて、タクティカルベストを素肌に直接羽織り、そのベストには数十本ものナイフを仕込む。タイガーストライプのハーフパンツに妙なデザインの安全靴、両手にオープンフィンガーグローブと、見るからに『普通』ではない。暗がりで目立たないが、よく見れば身体中のそこかしこに薄く青痣が浮かんでおり、その疑問を抱くようなファッションセンスも相まって、一目で常識的な人物ではないことが予想された。

 しかもそんな出で立ちの少年が、にやにや笑いを貼りつけて歩いているのだ。人通りの多い繁華街ならばまだともかく、こんな閑静な住宅街では警察に通報されかねない人物が、何が面白いのか笑いながら奇妙に歩行する様は、実に『不審者』そのものだった。

 目が合ったらーー目が合わなくても何かされる。人気がないのは本当に幸いだった。

 

 何しろこの少年は見た目以上に異常な凶悪殺人鬼で。

 この少年が向かう場所に住まう者もまた、大量殺人鬼なのだから。

 

 少年は十字路を左に曲がる。

 街路灯が、オレンジから青色に変わった。

「──傑作だぜ」

 青色の街路灯は犯罪率を下げる、らしい。科学的根拠の薄い都市伝説レベルの学説を、殺人鬼のいる土地で採用するという偶然が可笑しくて、少年は皮肉げに笑った。

 だが、ある意味で役割は果たしているとも言える。設置されているのなら、その土地の治安は悪いとも取れるからだ。

 リオデジャネイロかケープタウンか、はたまたカラカスか。こことの違いは衛生面ぐらいで、本質的には変わりはしない。殺人鬼の御膝元である場所が危険地帯でないはずがないので、もしかしたら単に領域の線引きをしているだけなのかもしれなかった。

 日常と非日常。

 生殺、死活の線引きを。

「──とっ、ここだここだ」

 そうこうあれこれしているうちに、少年は目的地に辿り着いた。

 十三階建てのマンション。エントランスに入り、オートロックパネルの前に立つ。テンキーの横に鍵穴があるのを見やると、少年は懐に手を入れて、錐状の刃物を取り出す──ところで、そういえばアレは盗られたんだ、と思い直す。

 仕方がない。少年は適当に部屋番号を入力してコールした。カメラがついているから、右頬の刺青を手で隠すのも忘れない。

 『はい』

 年齢を感じる、女性の声。

 どう言えばいいのかは、あいつが教えてくれた。

「すみません。オートロックのゲート中に閉じ込められちゃって。申し訳ないんですが、開けてもらえません?」

『あ、はい。分かりましたー』

 がごん、とオートロックの扉が開く。

「ありがとう」

 あの時、言っていた台詞をそのまま使い、少年はオートロックを突破した。

「まったく、戯言だねえ……エレベーターはー、っと。こっちか。 十三階だったけな」

 エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。持ち上げられる様な浮遊感を味わいつつ、少年は笑いながら呟いた。

「……なんか、妙に大人しいな」

 普通すぎる気がする。このマンションの持ち主とは顔見知り──というか親戚だが、あの用心深すぎる男が、ここまでの道程の中で、何の牽制もしてこない。

 例えばこのエレベーターだ。ある程度の高さに達したらロープが切れて垂直落下するとか、水が大量に流れ込んでくるとか、何かしらも罠が仕掛けられていない。

 実際問題、このマンションには親戚の男以外にも人が入居しているから、無駄な損害を出さないように罠を設置していないだけなのだろうが、生憎、少年には先日の一件があった。この身体中に広がる青痣の原因となった人物(別の親戚の男だ)の根城にはそうしたギミックがあったので、多少疑心暗鬼になっているのかもしれない。それに、少なくともこのマンションの持ち主には、そうしたことをされかねないぐらいには嫌われている自覚があるので、なおさら変に思ってしまう。

 泥棒の様な手口でオートロックを通り抜けたのも、普通にインターホンで呼び出したら、確実に門前払いを食らうからだ。どうやら対面すらもしたくないようで、実際に顔を合わせたのは片手で数えるほどしかないし、露骨なまでに目を合わさず、合っても不愉快極まりない視線を向けられた。会話も必要最低限に止め、質問にはほとんど答えなかったぐらいなので、初対面から数年が経った今でさえも、来訪を拒む可能性は非常に高い。まず間違いなく、男の方からオートロックは開錠しないだろう。

 つまり、不法侵入という印象が最悪な行為をするほどに、状況は切羽詰まっているのである。確執だらけで軋轢まみれの摩擦が激しい不仲な親類に頼らざるをえないレベルの難事に、少年は直面している。

 絶対に成功させなければならない。

 できなければ、死ぬ。

 十三階に到着、エレベーターの扉が開いた。

 このフロアに居住スペースは一室だけだ。迷わずその部屋のドアへ向かい、正面に立つ。

 そして、ドアホンのボタンを押した。

『──どうやって入った糞餓鬼』

 もの凄く不機嫌そうな声。その聞き覚えのある声質と口調に対して、少年は「あー、とりあえず開けてくんねえ?」と返した。

『…………けっ』

 ぷつっ、と音声が途切れる。しばらくして、内側から鍵が回った音がした。

 正直、開けてくれなくて待ちぼうけを食らう可能性もあったが、そうはならなかったようである。

 最悪、鍵を壊して、無理矢理に押し入ることも選択肢にあった。流石にそうなってしまうと、目的を果たせない可能性が非常に高いし、親類とはいえ本当に殺されかねないので、悩み所であったのだ。

 とりあえず最初の難所は越えたことに安堵していると、ドアが僅かに開いた。頑丈そうなドアチェーンが掛かっていて、その隙間から癖のついた黒髪の青年が現れた。

 白いワイシャツと黒いジーンズを長い手足に通した、整った顔立ちの青年である。が、灰色の瞳をした三拍眼は明らかな不快感を示しており、眉間の皺が掘り込まれたように深い。その表情は美麗でありながら凶相を呈していて、敵意と殺気が発されているのもあって、悪魔も畏怖させ射竦めさせそうな、禍々しい凶悪な面持ちだった。

 さらに左手には日本刀の鞘が握られており、既に親指で鯉口が切られている。もう今すぐにでも斬りつけて殺してしまいたいという気持ちが具体的に表れていて、それに気付いた少年も、にやにや笑いが引き吊った苦笑いに変わった。

 ここまで嫌われていたか、自分。

「ひ、久しぶり」

「……何の用だ」

「いや、用ってほどでもねーんだけど」

 こんなにも剥き出しの敵愾心を向けられている中、話を切り出さなければいけないのか。いや、何もこの場で話すことはない、とでも言って室内に入れてもらってからでもいいのではないだろうか。しかし男は既に鯉口を切っている。緊急事態なのかもしれないから仕方なく開けただけで、本来なら話は聞かないし、下らない用件なら殺すと暗にアピールしているのだ。とても中に入らせてくれるような雰囲気ではない。

 つまりここで、他人の家の玄関先で、今回の来訪の目的を告げる他ないのだった。

「えー、ちょっとばかし、言いにくいんだけどよ……」

 顔面刺青の少年──零崎人識(ぜろざきひとしき)は覚悟を決めて用件を述べて。

 灰色の瞳の青年──零崎討識(ぜろざきうちしき)は即答した。

「……金貸してくれ」

「断る」

 

 ◆    ◆

 

 ある教会の講堂である。日中は信徒がミサや告解を行い、講堂は静粛ながら荘厳な雰囲気がするが、もう夜が更けようかという頃には祈りに来る者もおらず、ただ静けさが支配するばかりだ。暖色の明かりが幾つか灯っているだけで大分薄暗く、磔刑にかけられた聖人の像にも、えも言われぬ怖さが感じられる。

 告解室は講堂の隅に設置されている。ブラウンで木造のそれは、過度な装飾の無いシンプルな造りであったが、薄明かりの下では怪しさが際立つばかりで、とても告白したところで罪が赦されるとは思えない。

 その告解室の側の長椅子に、顔面刺青の少年──零崎人識が、一人座っていた。

 教会を滅ぼす悪魔の使いか、なんて連想が容易に出来るぐらいに、人識はにやにやと笑っている。その上「傑作だぜ」などとよく分からない言葉を呟きながら、頭の後ろで手を組み足を伸ばしていた。ますますこの場所にそぐわないし、そして似合わない。

「まったく──本っ当に──傑作だ」

 にやにや笑っているのだが、その口元はやや引き吊っているのを見るに、苦笑いのようだった。どうやらのっ引きならない事情を抱えているらしい。事態が深刻な程に笑えてくる性格なのかもしれない。

「人識くーん」

 少女の声がした。見ると、頭にタオルを巻いた細身の少女が、職員用の通用口から現れた。

「お風呂空きましたよー」

「…………」

「人識くん?」

「……傑作だぜ」

 人識は引き吊った笑みのまま、少女に言った。

伊織(いおり)ちゃんよお、いくら何でも自由に使いすぎじゃねえ? 何二時間も風呂入って頭にタオルまで巻いてんの?何でそこまで気ままにゆったり出来んの? 確かに神父さんは『自由に振る舞って構わない』って言ってたけどよ、それでもある程度は遠慮するのが普通だろ」

 非常識的な人間が常識的な言葉を放つ、という特異な状況に、無桐伊織(むとういおり)は「女の子ですから」と返す。

「伊織ちゃんはお年頃の女子高生ですから、容姿に気を使うのは当然の義務なのです。綺麗な容姿は綺麗な身体から、綺麗な身体は綺麗な心から生まれるのですよ」

「なんだそりゃ。『健全な魂は健全な肉体に宿る』って話か?」

「違いますよう。『()(かい)より始めよ』ということです」

 珍しい故事を、伊織は言う。とてもじゃないが、お年頃の女子高生が例えに使う言葉ではない。

「『千里の道も一歩から』でもいいですけど。とにかく、地道にこつこつと、積み重ねることが大事なのです」

「微妙に言葉が間違ってる気がするけどな。 見知らぬ他人の家での長風呂も、美容の一環だってのか?」

「それはそうですよ。三日もお風呂に入らないで、気にしないでいられる女の子はいません」

「異性にトイレの世話されても気にならない奴の発言じゃねーよ、それは」

 人識の毒のある発言に、「仕方がないじゃないですか」と伊織は肩を竦める。

「わたし、三日前まで両手無かったんですし」

 無桐伊織の容姿は人識と違って、常識的なそれだ。パーカーにプリーツスカートにローファー、今はタオルを巻いているものの、普段はニット帽を被っている。女子にしては背が高くて細身であり、平時にはメイクもしている。濃くて厚ぼったいものではなく、細部を整える程度の薄い化粧で、伊織の元々の素材の良さを引き立てているあたり、お洒落には相応に気を使っているようだ。

 そんな『お年頃の女子高生』らしい伊織の容姿を裏切る、非常識的な部分が、その両腕であった。

 伊織の両腕は義手である。それも肌の色をした補助器具などではなく、黒く輝く鋼鉄の武具だ。

 日常生活に支障をきたさないようにという意味よりも。

 相手を確実に殴り殺すという明確な意志を示す、見て明らかな武装だった。

 とある事情によって両手首を切断されてしまった伊織であったが、人識の親類である零崎曲識(ぜろざきまがしき)の伝を頼って、先日、義手を入手することができた。

 当初は人識が手術を執り行う予定であったのだが、患者である伊織の勧めで、結局、医術の心得がある者に任せた。リンパ浮腫を始めとする肢の移植時のリスクについて、どうやら人識は失念していたようで、小一時間程度、伊織が説明をすると、素直に人識は辞退した。「手先は器用だから大丈夫だろ」と、あのへらへらした笑顔を浮かべていた人識が、妙に真面目な顔つきになったので、どうやら自省したらしい。

 その五分後には、また軽薄な笑みが戻っていたので、本当に反省したかは怪しいが。

「……しっかし大した義手だよな。術後に痛みが全くないってのは」

 通常、手足の移植手術では、術後に接続面が痛んだりするものだ。どれだけ精巧かつ緻密に作られていようと、それは人間本来の、その人本人の肢体ではないので、違和感や異物感を覚えるのは避けられない。

 だが伊織にはそういった症状が全く見られなかった。ぶらぶらと大きく揺らしても平気なぐらいで、本来必要な義手に慣れる期間をいくらか省略できたのだった。よって様子を見ながらではあるが、予定していたペースよりも早くリハビリのレベルを上げている。

 とはいえ、それでも一人では風呂に入れないので、この教会を取り仕切る神父の娘に、介助をしてもらった。人識が伊織を介助するのもいい加減面倒臭くなってきたから、という理由もあるが、やはり異性よりは同性に世話してもらった方がよいだろう。

 しかし伊織は遠慮というものを知らないのか、かなりの時間、付き合わせてしまったようだが。

「はい。伊織ちゃん、頑張りましたからね」

「いやあんたの手柄じゃねえから」

 どう考えても闇医者、そして武器職人の手柄である。

 その義手は過度な装飾のないシンプルな造型でありながら、真に迫る機能美を内包した一品だが、その機能美はどうやら術式のサポートも守備範囲らしかった。術後の後遺症が全くないというのは、世間一般からすればノーベル賞を受賞して然るべきレベルの技術ではないだろうか。

 とはいえ、社会復帰するには、まだ時間がかかる。

「いえいえ、これでも頑張ってるんですよ?」

「そりゃ頑張ってもらわなきゃ困るぜ。あんたの為にも、俺の為にも」

 そうなのだ。頑張ってもらわなければ困るのだ。

 それはリハビリや放浪生活といったことにではない。現在進行形で困っていることが、人識と伊織にはあった。

「……伊織ちゃん」

「はい?」

「ハッキリ言う。非常にヤバい」

「何がですか?」

「金が無い」

「そんなっ!?」

 がーん、と影が射しそうなリアクションをする伊織。そのオーバーな反応も、始めは戸惑ったものの、最近では鬱陶しいだけである。

 無桐伊織という少女は、掴み所がない面倒な奴。というのが、人識の第一印象で、いくらか時間が経過した今でも、少々の修正はあれど、大筋では変わっていない。

 とにかくおちゃらけて、お茶を濁すことを信条にしているかの如く、冗談を飛ばすのだ。それがユーモラスであるなら許容はするが、大抵の場合でスベっているので始末が悪い。挙げ句人識が嫌いな下品なギャグ(大体下ネタである)をも発するので、兄である双識の頼みでもなければ、ここまで世話をしてやることはなかった。気楽な一人旅を満喫していたことだろう。

 そういえば数少ない女性の零崎──あの女も、こんな感じだったか。

 陽気で寛容だが何を考えているか分からない、掴み所のない馬鹿女。会う度に笑いながら突進してきてスピンダブルアームを仕掛けようとする、出鱈目に能無しでぼんくらな、親戚の姉。

 が、いつもへらへらしている割に、はぐらかしたり、誤魔化したりするのが得意な一面があった。

 いらない無駄話は垂れ流す癖に、欲しい情報は触れさせもしない。単に人識が弁論術に明るくないというのもあるが、それを抜きにしても、あの馬鹿女は、秘密を秘密のまま隠し通すのは上手かった。

 そういう所は、伊織とよく似ている。

 内面を必要以上に晒け出さない。それが天然か意図的かの違いがあるだけだ。

「ひ、人識くんっ! わたしという可愛い妹がいながら、どこの商売女に入れ込んだんですか!?」

「人聞きの悪いこと言うな……それに、俺は妹だと思ってねえ」

 若干疲れてきた人識。この謎のテンションに付き合うのも骨が折れる。

 それでなくとも、人識は身体中が痣だらけなのだ。この怪我は伊織の義手を手に入れるにあたって負わされた()()なのだが、単なる内出血とはいえ、流石に二日三日で治るものではない。

 身動ぎ一つ一つに疼痛が襲い、地味な痛さが疲労を蓄積していく。そんな中で伊織の世話にしつつ、応対を返すのは、正直しんどいのだった。

「おや、人識くん。お疲れみたいですね」

「ああお陰様でな」

「お風呂でも入ってきたらどうですか? 『湯は洗う為ではなく心身を健やかにさせる為にある』と、ルシウス・モデストゥス技師も仰ってますし」

「いや、そいつ架空の古代人だし。 ……風呂は後回しだ。まずは金策を練る必要があってだな」

「ならば、尚更お風呂ですよ。 『ローマ人ならば大事な話は風呂でせねば』と、ハドリアヌス帝も仰ってますし。 残念ながらわたしは既に入ってしまったので、人識くんの思索にお付き合いすることはできませんが」

「あんたいつから古代ローマ人になったんだ? それでなくとも、あんたと混浴なんてありえねえよ」

「またまたぁ、ついこの間も一緒に入ったくせにぃ」

「……そのにやにや笑いはやめろ。ぶっ殺すぞ。 ──あんたの介護の為にな。そうでもなきゃ女と風呂なんて入らねえっての」

「え?」

「え?」

「嬉しくなかったんですか?」

「はあ?」

「現役女子高生の生肌ですよ?半分達磨状態だったとはいえ、しっとりもちもちすべすべな女の子の柔肌に触れていたんですよ? 期待していたんじゃなかったんですか?」

「するかっ!」

 人識の怒号が、静かな講堂に響いた。

 思った以上に反響して、少しばつの悪さを覚えた人識は、とりあえず、腹いせに伊織の頭を小突いた。

 ごん、と鈍い音。

「うなっ!?」

「……俺はいつも服着てるだろうが。混浴じゃねえ。 次にそんなこと言ったら、本当に殺すからな」

 人識が物騒な台詞を吐く中、伊織は涙目で頭を擦っていた。

「うー、人識くんは暴力的です……DVは世界中で問題視されているんです。もっと妹に優しく接してくださいよう」

「…………」

 何というか、こういう全然悪びれない態度は、やっぱり頸織(くびおり)と似ている気がする。

 閑話休題。

「もう一度言うが、金が無え」

「それはやっぱり、私の義手のおかげですか」

 闇医者に診てもらった、と一口で言っても、彼等彼女等も相当の腕の持ち主で、従って相応の金額を要求する。

 それが例え、見るからに理由ありそうな、若い男女の凸凹コンビであろうともだ。慈善事業ではないのである。

「別にあんたのせいじゃねえさ。そもそもあんたの金だしな」

「それはそうですよ。わたしのお金でわたしの買い物をしただけですし」

「……そうだな、間違ってねえ。その腕の手術代で、あんたの貯金が全部トンだってこともな」

 苦笑しながら、人識は言った。この放浪生活中、金銭に関することは全て伊織が負担しているのだ。食事代の一つも出していない人識としては、本来意見する立場に無い。

 が、敢えて言及した。それぐらいに、現状は逼迫しているからだ。

 そもそも根無し草の人識はともかく、何故つい先日まで家族の庇護の下で生活していた伊織も金欠なのか。

 無桐家はそこそこ裕福な家庭だった。それなりの金額をお小遣いとして貰っていて、且つ伊織も嗜みとして流行の服飾品を買い揃えていたが、それ以外にさして物欲が掻き立てられなかった為、お小遣いの内、使わなかった分がある。それが伊織の銀行口座に、女子高生としては結構な額が、貯まっていたのだ。

 それを伊織の手術費用に充てた。ほぼ全額を、支払ったのである。

 だが、問題はその後だ。先の事件により、人識と伊織の二人は、死亡した扱いになっている。なので、お金を引き出したりしたら、実は二人が生きていることが露見してしまう。特に人識は指名手配犯として、表立ってはないものの、顔が知られてしまっていた。今でさえ面倒なのに、余計に厄介な状況に陥りかねない。

「仕方ないですよ。闇医者相手に、保険適用なんて通るわけないんですから。 それはともかく、本当にバレないんですかね。ことが表沙汰になれば、わたしの故郷がセンセーショナルな殺人事件の現場として、お茶の間の皆様に持て囃されてしまうのですけど」

「そんだけ余裕があれば、街宣車で帰郷したって平気だろうさ。 ──まあ、大丈夫だと思うぜ。よくよく考えれば、あの件には四神一鏡(ししんいっきょう)の一角が事後処理に当たってるはずなんだ。だから預金を全部引き出したって、恐らく問題ないだろうぜ。多分」

「曖昧でふわふわしてて、全然安心できないのですが」

「気にすんな。こっちの世界じゃ、多少いい加減でも何とかなるもんなんだよ」

「それはあの赤い人レベルの話じゃ……」

「考え無しに列車脱線させるのは、こっちでもあの女だけだ」

 あれに関してはいい加減なんてレベルでは済まないが、あの街で起きたことを、いい感じに覆い隠したと言えた。人識と伊織は移動する度に、雑誌やテレビをチェックし、事件になっていないか確認していたが、報道されているのは脱線事故や通り魔殺人のニュースばかりで、伊織の街で起きた戦いについては、話題にすら上がっていないようだった。

 もしかしたら、あの赤い請負人が、あえて派手な事件を起こして、あの件のカモフラージュとしたのかもしれない。

 と、考えると筋は通るが、流石に考えすぎだろうし、派手すぎな上に事件の規模が馬鹿にならない。

 あの女と一括りにされたくねえなあ、などと呟きながら、人識は話を進めた。

「兄貴──に限らず、零崎三天王が本格的に活動するってなったら、結構派手になりがちなんだよ。普通に、警察とかに感知されそうなぐらいに。隠蔽工作は必須ってわけだ」

「それは以前言っていましたけど、だから私達は死んだことにしておこうという話になったのでは? というか、零崎三天王という名称は何なんですか。もう一人ぐらい足せなかったんでしょうか」

「さあなぁ。ペリルポイントの爆弾魔を加えて、収まりよくしてもいいと思うけど。 ──この前言ったけど、兄貴には氏神(うじがみ)っつーとんでもない大金持ちのパトロンがいてな。兄貴が動くなら、まず間違いなく、ソイツと連絡を取るはずなんだ」

「その人に後始末をしてもらうというわけですか。双識さんも中々隅に置けませんね」

「あ? 何でだよ?」

「鈍いですねえ、人識くん。男の人の面倒事を進んで引き受けるなんて、そんなの乙女心を持った女性以外にありえないじゃないですか」

「……あの変態に付き合い切れる女がいるとは思えねえがな。 ──氏神家の奴が男か女かは知んねーけど、兄貴がシームレスバイアスの大将よりも先に頼る程だ。スピーディー且つスマートに処理するだろうよ……既に兄貴が死んでいてもな」

 『財力の世界』の中核を成す、四神一鏡。

 赤神(あかがみ)謂神(いいがみ)、氏神、絵鏡(えかがみ)檻神(おりがみ)の五家系からなる巨大財閥グループであり、その経済力は大国の国家予算すら突き放す程に膨大である。

 当然、組織力も突き抜けている。上司のゴーサインに従うその様は蟻の行軍が如しであり、文字通り死を睹してでも使命を遂行する。例え犬の散歩であろうともだ。そんな連中が火消しに乗り出すのだから、アフターフォローも滞りなくこなすだろう。

 というか、もしも銀行が不信に思い警察に通報したとしたら、自動的に氏神家の関与が疑われてしまうので、フォローに入らざるをえないはずである。

 四神一鏡自体は巨大にして強大すぎる家柄なので、スキャンダルなど屁でもないが、旧態依然とした家系でもあり、面子が潰れることには異常に反応する。事が明るみに出そうな時点で面目が立たないと判断し、即座に事件ごと処理されるのも珍しくない。つまり、迅速で確実で丁寧に、対応するということだ。

 エリートぶった奴は大体が完璧主義なんだよ、と人識は嘯く。

 大体が不得要領なニートが何を言うのか、と伊織は思った。

「うなー……でも本当に、想定通りに、動いてくれるのでしょうか」

 伊織が天井を眺めて言う。

「わたしの口座から引き落としても警察は関知しない、というのは、ただの予想でしかありません。 その氏神さんとやらが何もしない可能性の方が高いですよ?実際、バレた時はどうすればいいんですか?」

「そりゃあれだ、逃げりゃいいんだよ」

「もうわたし達、逃げてるようなものですけど」

「じゃあ、神様に祈ればいいさ。殺人鬼の願いまで聞いてくれるかは、分かんねーけどな」

 人識は十字架を指差して笑った。

 伊織も、笑って応じた。

「で、金欠だ」

「そうでした」

 うなー、と唸りながら項垂れる伊織。テンションの上がり下がりが激しい女だった。

「結局、曲識さん?には、お金は借りられなかったんですよね」

「話が纏まった頃には、もうそんな状況じゃなくてな……義手を手に入れるので精一杯だった」

「ついでにアプールさんみたいなボディも手に入れて」

「そんなレベルの青痣じゃねえよ」

「ではギニュー隊長」

「伊織ちゃん、結構漫画好きなのな」

 兄貴と話があったかもな、と人識は独りごちる。それはいいことだったのかもしれないが、鬱陶しさに拍車がかかりそうでもあった。

「どうするんです? 日雇いのバイトでもしますか?」

「勘弁してくれ、ウシジマくんみたいにタコ部屋送りになんのは嫌だ。 ──まあ、借りるしかねえよな」

「ウシジマくんに」

「違う」

「では萬田銀次郎に」

「このやり取り、もうやめねーか? ……曲識のにーちゃんが一番後腐れがなかったんだが、今更だしな」

「もう当てがないと?」

「当てっつーか、金持ってそうな奴は、いるにはいる。けど俺、そいつに嫌われてるからなあ」

「嫌われてる……ちなみに、どれくらいにですか?」

「もう、指先の薄皮一枚すらも触れたくないぐらい」

 かはは、と人識は笑う。

「顔を合わせたのは数える程だけなんだけどな。目は絶対合わせねえし、話しかけても無視されるし、やたらと距離を取ろうとするし。 毛嫌いされてるんだな。理由は分かんねえけど」

「……何か失礼に当たることをしたんじゃないですか?」

「かもしれないが、思い当たるところがないんだよな。 そんな関係の奴が、纏まった金額を貸してくれるかどうかが問題なんだ」

 人識自身が、一賊内で筆頭の嫌われ者であり、忌みわれ者だという事実を差し引いても、あの避け方は異常だ。

 関わり合いになりたくない、と一賊の誰もが思っていても、一緒に行動しなくてはならない、顔を合わせなくてはならない状況というのは、幾度かあった。軋識がそうだし、曲識も無理矢理とはいえ、共に戦いに赴いたことはある。だが、あの男は露骨に態度に表し、あからさまに不愉快だと示す。結果、一緒に行動したことはなく、一方的に嫌われている状態のまま、現在に至っている。

「今更ですけど、結構羽振りの良い方なんですかね。 えっと……」

「零崎」

 人識は言った。

「零崎討識」

「そうそう、討識さんでした」

「貸してくれるかはともかく、金自体は結構稼いでるはずだぜ。 マンションとかアパートを何棟か経営してるらしい。後、株式とかFXとかやってるんだと」

 零崎一賊の殺人鬼などと恐れられていても、基本的な生活様式は一般人のそれだ。衣食住の為に、金は稼がなくてはならない。

 討識は一賊の中では成功者の部類であり、規格外のパトロンを持つ双識を覗けば、最も裕福な殺人鬼と言えた。嫌われていなかったら、いの一番にせびりに行っていただろう。

「高卒のくせに、どうしてそんなに儲かってるのか謎だが」

「商才があるんですねえ、討識さんという方は。 それで、どうやってその方からお金を(たか)るんですか?」

「それなんだよなあ……」

 正直、まったく算段がつかない。

 曲識の様に、とはいかないのだ。曲識は思い込みが激しいという一面があったから、気楽に交渉に持ち込み、がばがばで隙だらけの大嘘に騙されてくれたが、討識は理性的で聡く、頭の回転が速い。人識が吐く嘘程度は、絶対に見抜くだろう。

 それに討識は、例え親戚相手であっても、損得勘定を重視する傾向が強い。守銭奴と言えるぐらいに、利益にならないことは決してしないのだ。

 そんな討識が、宿無しで無一文な人識に、メリットを覚えるはずがないのである。

 まあ、頸織を動かして討識を促す、という策も、あるにはある。

 討識の弱点に、姉の頸織には弱いという点が上げられる。が、他の殺人鬼と比較した場合なだけで、姉相手でも基本的に厳しい。また、頸織の知能は、最終学歴が中学校卒業の人識から見ても残念な部類に入るので、討識を説得できるかはかなり怪しかった。適当にあしらわれて終わるだろう。

 ちなみに頸織に借りるのは論外だ。彼女は働いていないので年中金欠であり、たまの臨時収入も、各地に旅行に行って消費してしまう。人識と同じく無職で無一文である彼女に、金の無心などできない。

「うーん、素直に貸して欲しいって言えばいいんじゃないですかね。 案外、簡単に貸してくれるかもしれませんよ」

「かもしれねーけどな……」

 全然想像できないのが辛い。

 だが、それ以外に方法が思いつかないのも、確かであった。

「……傑作だぜ」

 人識は立ち上がった。ハーフパンツのポケットに手を入れて、祭壇に歩み寄る。

「気は進まねえが、それぐらいしか手は無さそうだ。 明日、奴さんの街に入る。そして、できるだけ多くの金を貸してもらう」

「はい。よろしくお願いします。ところで、伊織ちゃんはその間、何をしてればいいのでしょうか」

「リハビリをするんだろうが。 早く動かせる様になってもらわなきゃ困るぜ、ホント。渡米するったって、ファーストクラスで優雅にテイクオフってわけじゃねーんだから」

「ええ、エコノミークラスで我慢します」

「アホか。正規の手段は使えねーって言ってんだよ」

「み、密入国ですか……」

「当たり前だろ。誰がチケット買うんだよ」

「それは、ほら。闇商人とか、怪しい人が」

「買えても検問は突破できねーっての」

 それに俺達パスポートも持ってねえぞ、と人識は笑う。

「飛行機じゃなくて船かもしれないけどな。 ま、それも含めてせびってくるわ。上手くいくかは、分かんねーが」

「とりあえず」

 伊織も立ち上がって、人識の隣に並ぶ。

 珍しく神妙な顔つきをしていた。

「神様に祈っておきますか」

「……だな」

 

 

 ◆    ◆

 

 一応、神頼みはしておいたが、やはりというか、現実は常に非情である。

「――コイツと」

 チェストから軟膏を。

「コイツをやるから」

 冷凍庫からアイスを。

「とっとと帰れ」

 一つずつ、人識に向けて放り出された。カップ容器に入った薬剤と、ハーゲンダッツのストロベリー。乱雑に投げられた割には強く回転がかかっていたそれらを、人識は右手で難なく掴む。

「……悪いけどそうは、っと」

 続けて放たれたのは、ハーゲンダッツのロゴがあるプラスチックスプーンだ。左目に向けて投げられたそれをも掴み、人識は言葉を紡ぐ。

「――いかねーんだ。 つーか危ねえよ」

「……けっ」

 討識は心底不愉快そうに、人識の対面に座る。

 何とか説得(門前払いをせず、話を聞いてくれるよう説得)を終え、リビングに通された人識は、客用のソファに座る様に言われた。その直後にこれである。礼儀として上がらせただけで、歓迎はしていない事をありありと示していた。

「動きに無駄が少なくなった。それなりに実力はついたみてえだな」

「何だ、俺のスキルチェックだったのか、今の。 食っていいのか、これ」

「そうでなきゃあ、くれてやったりしねえよ」

 はあ、と溜め息を吐く討識。傍らには、朱色の鞘に納められた日本刀が立て掛けられている。討識らしくない、鮮やかで目立った拵えに、思わず手が伸びそうになる。が、手を伸ばそうとした瞬間には、人識の手首が斬り落とされていることは間違いない。玄関先でのやり取りで、そう確信した。

 やはり今考えても、これまで嫌われる様な出来事は無かったと思うのだが、しかし現実問題、討識は人識を毛嫌いしている。食べ物なり薬なりを渡してくれる分には、角が取れて丸くなったと言えるのだろうが、先程から殺気を抑えようとはしていない。隙あらば殺すというスタンスは、数年前から変えるつもりはないらしい。

 かちかちに固まったアイスを人肌で溶かして、一口食べる。

「…………」

 甘いには甘いが、パサパサしていて、乾燥した味と食感がする。明らかに冷凍庫で長期間放置され、水分が飛んでしまったものだった。

「……傑作だぜ」

 嫌がらせに生ゴミを押し付けられただけだった。だが、スポンサーの機嫌を損ねるわけにはいかないので、文句は言えなかった。

 アイスクリームを食べ終えた人識は「で、これは?」と、薬剤の容器を手に取る。

「軟膏以外の何に見えんだよ。 どこで何をしたのか知らねえけど、目立つ傷作って来やがって。前衛アートのつもりか?」

「いや、これは色々あってだな……つか、これじゃあ量が足んねえんだけど」

 原因をそのまま話す訳にはいかないが、かといって上手い言い訳も思いつかない。ぼんやりと濁すしかなかった。

「けっ」討識は言う。「足りねえなら、ドラッグストアで同じヤツを買え。それに、テメエの事情なんざ、どうでもいい」

 食ったなら失せな、と手で払う。視線は人識を捉えてはおらず、天井の蛍光灯に向いている。

「さっきも言ったけど、そうはいかねーんだよ。このままじゃ飢え死にだ。殺人鬼が殺人以外で死ぬなんざ、笑い話にもなんねえ」

「笑い話にはならねえが、ホームレスが餓死するのは、世界中である話だ。別にテメエが飢餓で死んだところで、俺は驚かねえし、困らねえし、悲しまねえよ」

 けんもほろろ、素っ気なく答える討識。

 しかし、それは予想できていた返答である。

「けどよ、討識のにーちゃん」

「おい」

 討識の視線が、さらに鋭くなる。殺気も増した。

「にーちゃんとか呼ぶな。気色悪いんだよ。殺すぞ」

「……悪い、討識さん」

 忘れていた。討識はそう呼ばれるのを嫌う。

 元々悪い機嫌を、更に損ねてしまったが、気を取り直して、人識は言った。

「頼む。金貸してくれ」

「拒否する。 大体、俺がテメエに金を貸すと思うか?文無しのテメエのどこに支払い能力があるってえんだよ」

 まさにその通りだった。弁解のしようもない。

「それとも、身体でも売るか?その苛つく刺青のせいで価値は落ちるだろうが、どこかの物好きが買ってくれるかもしれねえぞ」

「誰がやるかよそんなもん」

「じゃあ内臓を売れ。不健康な腎臓一つでも、標本としてなら、それなりの値段になる」

 絶対に身銭は切らないようである。こうなってしまえば、意地でも金は出さないだろう。

 どうしたものかと人識が思った時、「それにな」と討識が言った。

「俺はテメエが、俺に集りにくる程、金に困っているたあ、思えねえんだよ」

「は?」

「京都の十二人殺し。犯人はテメエだろ」

 どきり、と人識の鼓動が速くなった。

 断定――特定されて困るわけではない。人識は殺人鬼だが、討識もまた殺人鬼だ。お互いに人殺しで、糾弾される側である。別にどこで誰を殺したことなんてことが一賊に露見しようと、同族でお互い様なのだから、非難されるいわれはない。

 直感的にマズイと思ったのは、金が無い理由を探られそうだからだ。

「……何で、そう思うんだ?」

「別に。単なる勘だ」

「おいおい、ミステリーじゃありえねー決め手じゃねーか」

「五月蝿えんだよ餓鬼。 生憎、ミステリーっつうのが嫌いでな。使い潰された手法を磨り潰した論理なんざ、何の価値もありゃあしねえ。あんなもんは、暇人の暇潰しだ。コナン・ドイルも、アガサ・クリスティも、エラリー・クイーンもな」

「……昔、曲識のにーちゃんも似たようなことを言ってたぜ。 ミステリーは前世紀の遺物だってな」

「……けっ」

 人識のことが嫌いなら、曲識のことは苦手だ。不機嫌な顔が不愉快な顔に変わるという、傍目には分からない違いを出しながら、討識は続ける。

「……『京都連続通り魔殺人事件』『古都の辻斬り解体犯』『現代に蘇る切り裂きジャック』。色々言われてるみてえだが、本質的には通り魔殺人じゃあない。愉快的な強盗殺人だ」

 五月に起こった『京都連続通り魔殺人事件』と呼ばれる事件。

 一月の内に十二人の老若男女が殺される。それも胴体を鋭利な刃物で切り開かれて内臓を解体、部位ごとに路上に晒されるという、犯罪史上類を見ない猟奇殺人が行われ、日本中を震撼させた。

 機動隊による警備、検問が敷かれた厳戒体制を嘲笑うかのように、昼夜も屋内外をも問わず重ねられた犯行。犯人は未だ不明で、証拠らしい証拠も一切発見されていない。

 が、この猟奇殺人にも不可解な点が幾つかある。

 その一つが、被害者の所持していた金銭が盗まれている、という点だ。

「主目的はともかく、副次的には強盗が目的だってえのは明らかだ。そして綺麗に解された死体。素人の手口じゃあねえ、プロの犯行だ。だが、プロにしては遊びが過ぎる。  ――ところで、お前言ってやがったよな」

 殺して解して並べて揃えて晒してやんよ。

 零崎人識の、文字通りの殺し文句。

「文無しで、奇天烈で、腕だけは一丁前のプレイヤー。 零崎一賊にはいたよなあ。テメエっていう核弾頭がよ」

 本当に勘の域を出ない、証拠など全く無い推理である。

 しかし、零崎一賊の殺人鬼にならば、真実と看破できる推論だった。

「……確かに、それの犯人は俺だけど」

「やっぱりか。阿呆みてえに目立ちやがって。 ――強盗殺人っつう前科があるならば、またぶっ殺して盗ればいいだけの話じゃあねえか。しかし俺に借りに来た。明らかに嫌われているだろう相手にだ。 不自然に思わねえか?糞餓鬼」

 ふう、と溜め息を吐き、頭を掻く人識。あの赤い請負人の言い付けに従っているのだとは、口が裂けても言えない。まさか伊織のことを言う訳にはいかないし、かといって上手い言い訳など無い。

 どうしたもんかと困って沈黙していると、討識が「けっ」と睨みながら言った。

「大方、双識さんか曲識さんに断られたから、ダメ元で俺の所に来たんだろうが……生憎だが、テメエ如きにやる金は無え。テメエに貸すぐれえなら、下水に流した方がマシってもんだ。 痣だけで済ませたいんだろう?分かったらさっさと帰んな」

 これ以上居続けるなら実力行使に出る、という意味だ。

 流石の人識も、討識を敵に回すのは避けたかった。討識は名前こそ知られていないが、一賊屈指の実力を持つプレイヤーである。絡め手が得意で機転も利く為、他の『殺し名』とも互角に渡り合えるだろう。

 そしてこの通りに嫌われているので、最悪、本当に殺されかねない。ある程度までは伊織の面倒を見ると決めたし、それでなくとも、こんな形で人生に幕を下ろしたくはないのだ。

「……まあ、そういうなよ。 こっちも止むに止まれぬ事情が――っておい、刀に手え掛けようとすんな。危ねーだろ」

「年上の言うことを聞かねえ奴は死ぬべきだと思わねえか?」

「思わねえよ。あんただって、別に頸織のねーちゃんの言うことなんざ聞いてねーだろうが。 ……つーか、その刀」人識が指差して言う。「やたらいい刀だな。どこで手に入れたんだよ」

 討識が手に掛けていた日本刀は、外装だけとはいえ、見事な出来映えだった。深い紺色の柄に鮮やかな朱色の鞘、葵形の鍔と、この青年にしては目立つ拵えであるが、一流の職人の手によるものであることは間違いない。そして一流の職人には、一流の刀鍛冶がつくものだ。その刃もまた、造形美に優れたものであることは、想像に難くない。

 実利を重視する討識らしくないその刀に、人識が問うた。

「ああ?何でそんなことを教えなきゃなんねえ」

「別にいいだろ、そんぐらい。 それに俺も専門がナイフとはいえ、刃物に関しては一家言あるんだぜ。教えてくれよ、後学のためにさ」

「……けっ。 ――『罪口商会(つみぐちしょうかい)』だよ」

 吐き捨てる様に、討識が言った。

 『罪口商会』。

 『暴力の世界』における殺人集団の代表格として『(ころ)()』が上げられるが、その対極の対極の対極に『(まじない)()』という非戦闘集団がある。

 『罪口商会』はその序列第二位、武器職人の集団だ。絶対的な武器至上主義者が製作する武器は超一流の一級品あり、手に入れるには相応の代償を払う必要がある。

 例えば、人識の青痣がそれである。全身隈なく隅から隅まで、皮膚という皮膚を余さず残さず漏らさず攻撃されるという、ほとんど拷問に近い責め苦を受けた人識は、全身の内出血と引き換えに、罪口積雪より伊織の義手を手に入れた。試作品のデータ収集という名目であったので、反撃することはおろか口答えも許されなかった。

 まるで、本当に呪いにかかっていたかのような時間であった。

 体現した地獄を体験させる呪い。

 つまり、取引相手は、心身を問わず、必ず不幸になるということである。関わったら何かをされる、それが『呪い名』であり、それが『罪口商会』なのだ。

 そんな連中から武器を受け取った。よって、討識も何らかの代償を払っているはずである。

 だが、討識に目立った外傷はない。既に治っているのか、隠しているのかは定かでないが、ならば必然、精神的に攻撃されたと見るのが自然だろう。

 が、そこを突っ込むと臍を曲げるのは間違いない。人識は「そりゃあ、災難だったな」と言うに止めた。

「ああ、災難も災難、厄難も厄難さ。テメエと同じだな、人識」

「人を災厄呼ばわりすんな。 ……」

 ふと、ある方法が、人識の頭を過る。

 確実な方法ではない。しかし、もうこれ以外に交渉できる材料が無い。

 それに本来、駄目元でせびりに来ているのだ。神様が気まぐれで殺人鬼にも奇跡を起こしてくれればラッキー、ぐらいの期待度でしかないのだから、むしろ材料があるだけマシである。断られたら断られたで、伊織との貧乏旅行が多少長引くだけで、うざったいがこれまでと変わりない。プラスもマイナスもなく、収支が零で終わるだけだ。

 人識は意を決して、討識に告げる。

「討識さん」

「何だ糞餓鬼」

「勝負しよう」

「ああ?」

「俺と試合(バト)って、俺が一撃でも討識さんに入れたら、金を払ってくれ」

 最早、これしかあるまい。

 情で動かないのなら、現実的な取引をする。しかし取引のネタがないのならば、ギャンブルを吹っ掛ける他ない。

「……咄嗟に出たにしちゃあ、悪くねえ案だな」討識は言う。「で、テメエは何を賭けるんだ?」

「は?」

「惚けんじゃあねえよ糞餓鬼。コイツは、つまり博打だぜ? 俺が勝った場合の報酬も決めなきゃあ、不公平だろうが」

 当然の様に言う。いや、公平性を問うならば当然の主張なのだが、討識が言うと、途端に不吉な予感がし始める。

 とんでもない要求をしてきそうな気がして、人識は身構えた。

「そうだな。 俺が一撃入れたら――」

 討識は言った。

「片脚を貰うぜ」

「え」

 提示されたのは、実質的な処刑宣告であった。

 『暴力の世界』のプレイヤーにとって、四肢の一部を失うことは死を意味する。運動能力が極端に落ちるし、攻撃も防御も手段が減り、対処が遅れる。神経系に障害が出ることもあるし、免疫力が低下して病気に罹りやすくなったりもする。

 伊織の様に失ってから身を投じる、欠損が前提のプレイヤーならばまだともかく、五体満足でいるプレイヤーには、その場で一生を諦め、終わらせかねない代償だ。脚ともなれば尚更である。

 そんな致命傷を負わせようというのだ。嫌いとはいえ、親戚相手に提案するには、常軌を逸している。

「いや、さすがにそれは」

「俺に一撃くれやがったら、現ナマで五百万やるが」

「ぐ……」

 思っていた以上の金額を提示され、人識の心が揺れる。

 臨時収入としては破格の金額である。どう考えても悪魔の誘いでしかないのだが、しかし即座に拒否できないぐらいに魅力的だ。

 悩んでいるそばから、討識はどこからか札束を持ってきて、叩きつける様にテーブルに置く。新品の一万円札が五センチ程の厚さで束ねられたその様は、まるで邪神のようなオーラを醸し出していた。

 悪魔の様に魅力的で、そして邪神の如く蠱惑的。

 なにしろ条件が緩すぎる。

 一撃とは、つまり掠り傷でもよいということだ。ナイフでちょっと傷付ければ、それだけで五百万円である。

 冗談で言ったファーストクラスの話が、唐突に現実味を帯びてきた。

 負けた時のリスクを、度外視してもいいと思える程に。

「……いいぜ。その勝負、受けた」

 いずれにせよ、人識に選択の余地などない。どういう経路でヒューストンに行こうと、結局の所、金は絶対に必要なのだ。

 不適に笑ってみせた人識を、討識は鼻で笑う。

「受けるのはこっちだってえんだ、馬鹿野郎」

「……言葉の綾だよ、気にすんな」

 吹っ掛けたのは人識のはずなのに、勢いで主導権を握られて、恥をかいてしまった。

「けっ、まあいいさ。 ――屋上でやる。先に準備してくるから、五分後に来な」

「ああ。 けどよ、この部屋の鍵は誰が閉めるんだ?俺が閉めるなら、合鍵でも貸してくんねーと」

「この部屋はオートロックだ。扉が閉まった瞬間に錠が落ちる」

 だからとっとと出ろ、と討識に促され、人識は席を立った。何が『だから』なのか分からないが、まあ、面倒事を手早く済ませてしまいたいのだろう。

 討識は立て掛けていた刀を手に、続けて立ち上がった。

「ああ、糞餓鬼」

「何だよ討識さん」

「テメエには鐚一文やる気は無えし、テメエがどうなろうが知ったことじゃあねえ」

 けどな、と討識は言った。

「テメエの連れぐらいは、しっかり食わせとけよな。面倒を見るつもりなら尚更だ」

 

 

 

 




以上で第四話前編は終了になります。次回更新は、本当に申し訳ないですが、未定です。
なるべく早く書き上げますので、勘弁して下さい。
また、誤字脱字等が有りましたら、ご報告下さい。
最後になりますが、更新が遅れてしまい申し訳ございません。寄せていただいた感想にも返信できずにすみません。本当に申し訳なく思っております。
こんな小説と私ですが、お付き合いいただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願い致します。

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